関わりたくないムーンストーン
ジュエリーと宝石について、延々と主人公が萌えているだけの回。
ムーンストーンというか、長石グループは本当に面倒くさい。ややこしいんや!
May 07, 2017. 長石グループの記述を、より正確にしました……
ファーガス様がダメそうな話題はさておいて、と。
ジュエリーの話に戻るついでに、質問してみたところ、一応、図書室には、ジュエリーデザインや、古い時代のジュエリーの図録があるそうです。さすがは、おじいさまの蔵書。
「モチーフによっては、使える家門が制限されているものもあるので、デザインをする時には、そういった禁則事項をすべて把握する必要がある」
「例えば?」
「百合はフランキアの国花なので、公の場に『アルビノア人』として出席する場合には、デザインに入れてはならない」
ああ、フランスの「フルール・ド・リス」ですね。
あれは剣みたいな、極端に記号化されたデザインですが。
「アルビノアの国花は?」
「五弁の薔薇だ。もっとも、実在しない薔薇だが」
「……青?」
「そのとおりだ」
色々な条件を地球と同じに設定した結果、基本的な動植物については、本当に地球と同じようです。青薔薇はこの世界にも存在しないのですね。
こっちには、カモノハシはいるんでしょうか。あの、へんないきもの。
「青薔薇が実現される時、アルビノアは世界で最も優れた国となる……という伝承もあってな。アグラ=アルスヴァリの分家に、薔薇の品種改良を続けているところがある。もっともこの家系は、とうにアルス称号は失っているのだが」
まぁ、薔薇の研究だけでアルス称号を継続できたら、それはもう、とんでもなくすごいと思いますよ。現実にあり得なかったわけですが。
「その家系の名前は?」
「ロサ=アグリスになっている。家名に『薔薇』と入るのは、この家系だけだ。アルス称号こそ失っているが、造園や園芸の世界では、名門だ。このクライルエンの屋敷の庭は、ルビーナとアルバートが主に設計したが、カーマーゼンの本邸の庭は、ロサ=アグリス家の技師が設計した」
えっ? このお屋敷のお庭は、お母さまとアルバート様の設計?
「お母さまも、造園に造詣が深いのですか?」
「特にそういうわけではないが。ただ、お前の呼吸器に負担にならない植物、お前の治療に使える薬草を、アルバートが選び、ルビーナは、それを栽培するのに適した土壌などについて、助言をしていた」
ああ。お母さまの元々の研究対象は、火山灰土壌でしたっけ。
土壌学については、アグラ=アルスヴァリには、それはもう、実にたくさんの研究蓄積があるのでしょう。
そして、ご本人が帰られてから次々に明らかになる「薬草のアルスメディカ家」の力。
スノードン伯爵領は、このカーマーゼン子爵領からは、少なくとも、ファーガス様のアーガイル子爵領ほどには離れていない……まだ、行けそう?
行けたら、ばあやが言っていた、丘陵地帯一面を覆い尽くすラヴェンダー畑……見たい……!
……ただし、紫外線対策を開発してから。ウヌヌ。
「もっとじっくりお庭を散策したかったです……」
「雪が降る前なら、ランタンを持って、夕方から夜の散歩はできるが」
「えっ?! いいのですか?」
「ただ、その日は長めに昼寝をするんだぞ」
「はい!」
「ようやく、コランダムの仕分けに区切りがついたしな」
なるほど。今までは、紫外線対策と、そして、例の分類作業のために、散策に割く時間がなかったわけですか。
おじいさま、最初は「少し手伝え」って仰ってたんですけれどね。
いつの間にか、私、完全に戦力扱いでしたよね……
いえ、頼りにされて、うれしかったので、いいんですけれど。
気づいたら背負わされていた責任がですね……アア、例のバークス商会の件、おじいさまだけで始末つけて下さいませんかね……無理か。
鉱物もまたアルステラの領分ならば、正しい知識をもって不当な利益を貪る輩に、悪事を見抜いていると忠告するのも、また学術貴族の仕事。
幼女であろうと、結局、私もアルステラ家の一員であり、そして、学術貴族の一人なのですよね。
すよすよお昼寝をした後は、図書室を調べ回って、ジュエリーデザインの本を借りてきました。
そういえば、5歳児が普通に読み書きをしているわけですが、おじいさま、特に不信感を抱いた様子もなかったですね……
これもまた、800年の学術貴族、アルスの血統に対する、信頼というやつでしょうか。アルスの娘なら、5歳で読み書きできても、別に当然とか、そういう感じの。
……重い人には、ものすごく重くて、苦しいでしょうねぇ。
ジュエリーデザインの本は、実に最高です。
想像するだけでヨダレが出てきそうな、素晴らしい宝物の数々。
ダイアモンドに、サファイア、ルビー……エメラルドは、例の供給ストップの影響で、ほとんどありませんけれど。
私を最も驚愕させたのは、この本に、例のアレが載っていた点。
そう! 王家の秘宝、隕石ペリドット!!
なんと、実寸大の三面図が載っているのです!!!
「なんて巨大な……」
子どものこぶしぐらいの大きさの、原石。
いやいやいや! こんなものが実在するのですか? 奇跡すぎる!!
しかも、驚きはそれだけではなかったのです。
なんと王家の隕石ペリドットは、一つではなかった。
「隕石ペリドットのジュエリーですって?」
さきほど見た、巨大な原石は、原石のまま王権の象徴として、こっそりと継承されているそうです。日本の皇室でいうところの、三種の神器、みたいなものでしょうか。
小ぶりの原石がもう一つあったそうで、それはカットされて、宝冠や王笏、宝珠などに加工されているとのこと。
ちなみに、男性君主の時には、正装時の剣の柄にも飾られているとか。
つまり、君主交代の戴冠式の日にだけ公開される「秘宝」のペリドットとは、例のこぶしサイズの原石のことで、カット済みのものなら、見られる可能性があるということだそうで!
……見たい。見たい! 宇宙の神秘!!
王家の隕石ペリドットのジュエリーについては、代わりの石がないためか、時代に応じてリニューアルが行われているようです。
宝珠だけは、初期のものを使い続けているみたいなのですけれど。
しかし、こんな巨大な宝石、地中から出てきたって大騒ぎになるのに、それが空から降ってきたのですから、ウィリアム1世が、何か神託的なものを受けたような気になったのも、仕方ないかもしれません。
奇跡的な確率が我が身に的中した時、そこに超越的存在の介在を信じるか。
私は信じてしまいますし、ウィリアム1世も信じたのでしょう。
なお、隕石ペリドット自体が極レア品のため、王家のジュエリーは、例の本島の南西沖にある、直轄地の火山島で採れた方のペリドットを、基本的には用いているようです。そりゃね。そりゃあね!
王家所有のペリドット・パリュールの三面図を見て、一瞬だけ期待しちゃいましたけれども、やはりそんなことはあり得ませんでした。
地球の評価で言うなら、家門の石がルビーである、マグナ=アルスメディカ家の正装用パリュールの方が、王家のものよりも高額でしょうね。
赤ではない、青い方のコランダム、サファイアが家門の石になっている家も見つけましたよ。バーミンガム公爵家。大事件が発生したら、王位継承権が回ってくる可能性も……という程度には、尊き血筋です。
ダイアモンドを設定されているのは、軍功貴族でした。
征服王の時代、最強と呼ばれた軍を率いた、カエラフォルカ家。
何よりも硬いその性質が、最強の軍のイメージに合ったのでしょう。
鉄のハンマーで叩き割れるんですけどね。あはは。
なお、カエラフォルカ家は、いくつもの分家に分裂し、現在の本家はブラッドフォード侯爵、アミカ=カエラフォルカ家です。
軍功貴族は、例の「ウェルスフォルカの悪夢」に代表される内乱期に、大量に顔ぶれが入れ替わっているためか、家系の石を継承している一族は、学術貴族に比べるとずっと少ないです。
たしかに、アルバート様は「学術貴族は一家系も王家に逆らわなかった」と仰っていたので、つまり、軍功貴族は何家系も王家に逆らったのでしょう。
クローヴィス・ウェルスフォルカ卿を筆頭に。
各家系が継承する石と、正装用パリュールの図面を堪能します。
トパーズを家系の石とするのは、ブライトン侯爵家を本家とする、チェンバレン一門。中世までは財務大臣を多数輩出、議会を中心とした立憲君主制の確立以降も、アドヴァイザーという形で財務にそれなりに関与している家系です。
ちなみにチェンバレン家は、ウィリアム1世が政権を樹立されてから臣従を誓った、アルビノア古来の有力者の家系なのだそうです。本家のリテラ=チェンバンレンは学術貴族、分家のアルマ=チェンバレンは軍功貴族という、ちょっと変わった家です。
アルマ=チェンバレンは、今は黄水晶が家系の石だそうな。
似ていますものね。硬度はシトリンが7で、トパーズが8ですが。
色水晶では、紫水晶が家系の石の家も。
アルステクナ一門の、ヴィナ=アルステクナ家。
ワインの醸造技術を継承していた家系だったようで、ああなるほど……この世界でも、あの紫色は葡萄酒の色なんですね、と納得。
ブドウ搾り機の改良から、やがて、作業効率を向上させる、機械全般の開発に進んだようです。
世界に冠たる自動車メーカーになった某社も、元をただせば織機メーカー。多分、ヴィナ=アルステクナも、そういう感じの家系なのでしょう。
初心を忘れないためなのか、ジュエリーにも、ブドウや植物のモチーフを多用しています。もちろん、百合と薔薇は外されていますが。
フランキアとの玄関口、ドーヴァー侯爵領を有するフォースター家は、軍功貴族。家系は建国時には遡れないのですが、フランクスとの戦争で大活躍した業績から、家系の石を設定されています。黒曜石。
地味な石だなと思ったのですが、全身を黒い装備に包んだフォースター家の軍団は、大陸ではたいそう恐れられたとか。武器を取るイメージにはぴったりなのかもしれません。
歴史的諸事情もあってか、侯爵家でも家系の石がない場合もあれば、男爵家でも家系の石がある場合もあります。
たとえば、ハイランドの北、アルビノアのほぼ北端に位置するエルギン男爵家は、月長石を家系の石にしています。
天体観測に基づく、暦の確定に貢献した家系の一つです。本家はハーロウ伯爵家。元の家名は、アルスアストラ。今は本家もアルス称号を失ってしまっていますが、天文学界の重鎮を何人も輩出しています。
……ここの鑑定は頼まれたくないなぁ、とひっそり。
だって、ムーンストーンって、とっても面倒くさい石じゃありませんか。
ムーンストーンが属する長石グループは、アルカリ金属や、アルカリ土類金属を組成式に含む、アルミノケイ酸塩鉱物。
石英グループに匹敵するほど巨大なカテゴリです。鉱物の世界がアルビノア貴族世界だとしたら、長石グループはアルスメディカか、アルステクナ一門ぐらいの勢力。たぶん。
大別して、主に花崗岩に含まれるアルカリ長石と、主に玄武岩に含まれる斜長石とに分かれます。
と、簡単に紹介しましたけど、長石グループって本当に鬼門なのです。
含有している金属が、ナトリウム、カリウム、カルシウムのどれかによって、分類が変わります。さらに、高温で形成されたか、中~低温で形成されたかによっても分類が変わり、しかも斜長石は固溶体も形成するという、分類者に対してまったくもって優しくないグループ。
おじいさまも、悪戦苦闘されているようです。
一応、地球の分類では、正長石が「月長石」なのですが、こちらの業者が「月長石」という名前で売っている宝石は、氷長石だったり、玻璃長石だったり。たぶん曹灰長石も、ごったにされる予感。
結晶系で分類すると、単斜晶系とか三斜晶系とかの違いが出てきて、どう考えても鉱物としては別物になるのですが。
しかし、アルスメディカ一門が、あらゆる「赤い石」を適当に家門の石にしていたごとく、旧アルスアストラ一門は、あらゆる「なんかぼうっと白く光る石」すべてを「ムーンストーン(仮)」として、家門の石にしているのです。どうやら。
長石グループの何が問題って、固溶体を形成している場合、非破壊検査で厳密な分類をするのなんて、もう、この世界の技術では無理という話。
産出状況の証拠があれば、そこそこに分類はできるかもしれませんけれども、掘り出され、カッティングも施されてしまえば、もはや何が何だか。
アルスメディカ一門と違って、明確な「定義」は相当な困難になる予感。
青白いシラーはとても美しいし、見る分にはとても素敵な石だと思いますけれど、鑑定についてはやりたくないのが本音です。口にしたら怒られると思いますけどもね。
「ロイヤルブルームーンストーン」って、神聖ローマ帝国に似ていると思うんです。つまり「神聖ローマ帝国は、神聖でもローマでも帝国でもない」っていう。まぁ、青いといえば青いので、そこまで全否定ではないのですけど。別にロイヤルな鑑定基準があるわけでなし、鉱物学的な意味では別物だし。
「アミカ」は、ラテン語で「友」を意味する「amicus」より。
「カエラ」は、同じくラテン語で「天」を意味する「caelum」より。
文法をぶっ壊したのは、ラティーナ語が苦手な征服王ウィリアム1世ですよという、設定の魔法。
「アストラ」は、ラテン語で「星」の意。
本編に全く関係のない雑学をぶち込むなら、宇宙飛行士のことを「アストロノート」っていいますが、これも「アストラ」からの派生語です。
ちなみに米ソ冷戦真っ盛りの頃は、アメリカの宇宙飛行士を「アストロノート」、旧ソ連の宇宙飛行士を「コスモノート」といって区別した、と辞書にあったんですけど、今はどうなんでしょうね……
チェンバレンとかフォースターとか、リスターとかヴィッカーという、「アルスなんちゃら」ではない家系は、実を言うと、かなり職業そのまんまの姓だったりする。
たとえば、ばあやの実家のリスター家は、染色業で財を成した設定ですが、リスター(Lister)とは染色職人という意味です。まんまやん。チェンバレン(Chambalain)は「王の家令」、フォースター(Forster)は「刃物職人」。