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子爵令嬢の地学満喫生活  作者: 蒼久斎
§1.転生令嬢アリエラ5歳、子爵家令息ファーガスと友誼を結ぶ
30/102

一等星セイリオス

ようやく……ようやく、書きたかったシーンに到達した……





 夕食後、ばあやと一緒に、毛布を二枚用意します。

 中庭は寒いので、たっぷり防寒着を着込まされました。コルク断熱仕様の屋敷の中では、むしろ暑いぐらいです。


「アリエラ嬢」


 かけられた声に振り向くと、やはり防寒着を着込まれたファーガス様が、毛布とランタンを手に、立っておられました。


「ファーガス様……アルバート様は?」

「伯父上なら、一足先に行ってしまわれましたよ」


 ばっちり防寒仕様で着膨れしても、貴公子のイケメンは健在です。

 ただし、その端正なお顔には、どこか物憂げな様子が見受けられました。


「アリエラ嬢は、私のために話を変えて下さったのですね」


 何のことでしょう、と空とぼけようにも、真剣な目で言われてしまうと、どうにも口ごもってしまいます。

 ファーガス様は、小さく笑って、そして言葉を続けられました。


「お察しの通り、私は生体組織の話が苦手です。1年少し前に、背伸びをして、アルスメディカ本家での、一門の集会に参加しました……そこでね、大量の標本などを見てしまいましてね……以来、どうにも」


 それは何というトラウマ。見て楽しむ幼児がいたら逆に怖い。

 多分、医学とか解剖学とか病理学とかにおいては、とても貴重な標本だったのだろうとは思いますが、私も喜んで見入りたいものではありませんよ。


「アルスメディカの子が、血が苦手でどうするのだ、と言われるのですけれども……アルスヴァリ五家系だって、全て途中から養子が入っていますし、ノヴァ=アルスメディカ家も、養子をとればいいとは思うんですけれど……」


 ご自分に言い訳をしたくないけれども、言い訳できずにいられるほど、強くはあれない……という、葛藤が伝わってきます。

 意地を張ってみたい、背伸びをしたい年頃ってありますよね、うん。


「ファーガス様は、ファーガス様が情熱を傾けられる学問に打ち込まれれば良いと、私は思うのですよ。その結果、アルスメディカ家ではなく、アルステクナ家に入られたとしても、学問的に充実されれば、それで良いのでは、と」


 私がそう言うと、ファーガス様は、少し照れくさそうに笑われました。


「アリエラ嬢は、私を勇気づけるのがお上手ですね」

「そしてレポートも素晴らしい……と、言わせてみせますよ」


 ふふん、と胸を張って言うと、楽しみにしています、と、以前のやり取りよりも、柔らかに笑って仰いました。


「この蛍石の実験は、教授の研究室の、冬の恒例行事だったそうです。さっき、伯父上が教えて下さいました。久々だそうですよ」

「それに立ち会えるなんて、素敵なことですね」

「そうですね。では……」


 参りましょうか、と、優雅な仕草で手を差しのべられて、少し照れくさく思いながらも、その手を取りました。

 エスコートを受けながら、階段を下りて、中庭へ向かいます。


 丸々と着膨れした子ども二人が、それぞれ、つないだ手の反対側には毛布を持って、それでいて澄ました振る舞いをしているのですから、傍目には、微笑ましくも滑稽だったかもしれません。

 でも、とても、とても楽しいと感じました。




 きぃんと張り詰めた、紺色をした夜の空気に、星の光が降っています。透き通る空気を、銀色に揺らして、ちかちかと揺れるように瞬きます。

 この惑星に生まれて、はじめて見る、夜空です。


「……星が綺麗ですねハウ・ビューティフル・スターズ


 ありきたりで、いささか間の抜けた私の感想に、でも、ファーガス様は穏やかに微笑んで、ええ、と頷かれました。


「とても良い、星月夜スターリー・ナイトです」


 私は、地球の星空も、実際に見たことはありません。コンピューターソフトや室内用プラネタリウムで見ただけです。

 天文オタクでもなかったので、詳細を覚えているわけではないのですが、この空と地球の星の並びは、やっぱり違うように思います。


「あの、とても明るい、青い星が見えますか?」


 南の空の一角を、ファーガス様が指し示されました。

 たしかに、白というよりは青に近い、ぎらぎら輝く星があります。


「あれは『セイリオス』……エリニカ語で『焼けつくほどに輝く』という意味の星です。ユリゼン大陸の古い文献では、あの星を基準に一年の始まる時期を規定した、とも伝えられています」


 地球のシリウスに該当する星ですね。

 近辺の明るい星を確認しますが、オリオン座の三ツ星や、冬の大三角形などは見当たりません。やっぱり、星は違うようです。

 今さらですけれど、天文学の基礎知識は、ほぼ役に立ちませんね。


「一番明るい星なのですね、セイリオスが」

「ええ。他の季節の星々にも明るいものはありますが、目が痛くなるほどに眩い星は、やはりあれ以外にはないと思います」


 セイリオスの光に感応するように、中庭に四角く積もった雪が、ぼうっと青白く輝きます。その片隅に、暖かなオレンジ色の焚き火が燃えています。

 その傍らには、おじいさまとアルバート様が、これまたやっぱり、しっかりと防寒着を着込んで、佇んでおられました。


「来たか、二人とも」


 満面の笑みで、白い息を吐きながら、おじいさまが仰います。

 アルバート様の手には、厚紙の箱がありました。


「それでは、蛍石の実験を開始するにあたり、注意点を述べる」


 おじいさまは、いかにも教授然とそう仰ると、私の手から一枚の毛布を取り上げられました。その毛布を、ご自分の体に巻きつけられます。


「首の上、あごまで、毛布で自分の体を巻きなさい。ただし、いざという時に、一瞬で脱ぎ捨てられるようにしておくこと」


 手慣れた様子で、アルバート様も、ファーガス様から毛布を一枚取り上げて、自分の体を巻き込みます。

 ああ……なるほど。毛布が必要な理由が分かりました。


「現象の詳細な確認は、厳密な設備の元で行うのが原則の実験である……つまり、気になっても、炎の方に踏み込んではならない。いいな?」

「はい!」


 それはそうですとも。本来なら安全ゴーグル装備でやる実験です。

 ファーガス様は、いまいち合点がいかないのか、少し不思議そうに首を傾げておいででしたが、鉱物に関しては私の反応を信用されるようです。


「それでは……スノーウィ

「了解です、くもり(クラウディ)


 アルバート様は、おじいさまにあだ名で返事をして、紙箱にぎっしり詰め込まれた蛍石をひとつかみ、無造作に炎に投げ込まれました。




 しばらくは、何の反応もありません。

 ところが、次第に炎のオレンジの中に、ぼうっ、ぼうっと、青白い、それこそ先ほど見上げたセイリオスのような光が、いくつもともります。


「おおお!」

「これは……」


 その不思議な現象を、つい間近で観察したくなったのでしょう。

 ファーガス様が、足を踏み出されようとするのを、私はとっさに毛布の裾を踏みつけて、妨害しました。


 思い返せば危険な行為だったなと、次の瞬間には後悔したのですが、しかし、その次の瞬間には、踏んで良かったと思う事態が発生しました。


 パッチン! バッチン!


 明らかに良からぬ破裂音が連続し、焼けた石の欠片が飛びました。

 ファーガス様は、我に返って、じりじり後ずさりされます。


「全ての蛍石は、高温にさらされると、蛍のごとく光り輝く……が、その光が消えうせた時に、爆発四散する」


 私が知っていたから、止められましたけれども!

 二人とも何も知らなかった場合を考えて、事前に説明をする方が良いのでは、と思うのですけれども……まぁ、危険なドッキリは無事に成功し、ファーガス様は驚きとともに感動して下さったようなので、本当に幸運だったとしか言いようがありません。


「もう一度やるぞ」

「お願いします」


 紙箱の中の蛍石がなくなるまで、私たちは、炎の中に一瞬だけあらわれる「セイリオス」を、目を凝らして堪能しました。


 バンバン破裂した蛍石は、もう二度と光ることはありません。

 これは全て、大地の神秘の結晶の、最後の輝きなのです。


「焼けた石の欠片に気をつけなさいね。まぁ、火傷をしても、冷やすものには事欠かない季節ですけれども」


 アルバート様が、紙箱を小さく畳みながら、興奮して炎の周りをちょろちょろする私たちに、そう注意喚起をされます。

 だから冬にやる実験なのですか。なんとも合理的です。


「やるからには、やはり盛大にやらないとな」

「教授が、蛍石だけで終わるとは思っていませんでしたよ」


 おじいさまが、にやりと笑って、ポケットから何かを取り出されました。

 それに対抗するように、アルバート様も、小箱を取り出されます。

 そして、お互いに競い合うように、何かを炎に投げ込みました。


「おおお! 赤! 緑! また赤!」

「なんて鮮やかな!」


 炎が次々、虹のようにその色を変えます。炎色反応!


「雪の、お前は相変わらず、ストロンチウムが好きだな」

「それより、あの緑色の反応は見たことがありません」

「あれはモリブデンだ」

「6族が炎色反応を示すのですか?!」


 まるでただの研究室の先生と生徒のように、おじいさまとアルバート様は、次々に色々な色を炎に示していかれます。

 私は、ファーガス様をちょんちょんとつついて、そっと囁きました。


「いつか、ファーガス様の新元素が、この焚き火に加わるのですね」


 私がそう言うと、ファーガス様、一瞬だけ目を見開いて、それから、とても幸せそうに、ええ、と頷かれました。


「あのセイリオスのような、青く輝く元素を見つけたいものです」


 青い炎色反応といえば……ヒ素?

 あっ、それはダメ。死にます。死んじゃいます。





・セイリオス:元ネタにしたシリウスの、ギリシア語をそのまんま。意味は「焼き焦がすもの」「光り輝くもの」で、エリニカ語の方では意味を合成。


蛍石の実験は、実際にやりました……小さいヤツを試験管に入れて、じっと加熱すると、やがてぼうっと光ってきて、最後に「パチッ」「パキッ」「ピンッ」と弾けました。正直、光っている時間は1分にも満たないです。


6族で炎色反応を示すのはモリブデンだけ。

ヒ素の炎色反応は、明確に青というよりは淡い青ですが。他、リンとアンチモン、錫と鉛が淡青色。ガリウムが青、インジウムが藍色です。

セシウムも青紫色が出ますが、焚き火では足りない高温が必要です。


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