クロードおじいさまの博物室
食事が終わったら、私はおじいさまの「博物室」に行きます。
この部屋の存在を教わったのは、本当につい最近です。
そこの地図で「ウェンディ」のやったことを、完全に認識したわけですね。
ヴィクトリア朝時代は、イギリスを中心に、博物趣味が流行っていました。
世界中の珍しいものを集める、というのは、古今東西よくある趣味なのですが。
好奇心ももちろんあるでしょうけど、伝手の広さの宣伝や、知的さの演出も目的。
しかし! クロードおじいさまは、本当に学者さんなのです!!
ご専門は知りませんが、地質系の資料が豊富にあるんですよ。鉱物標本とか!
地質に興味が大々的にある私にとって、この星を構成する鉱物が、すぐに触れられる場所にあるのは、まったくもって最高の幸せです。
5歳児ですからね、今の私は。
それでも、前世「ウェンディ」の時より、可能活動範囲は劇的に拡大しているんですが……ああ、無菌室の外を出歩けるだなんて……もうこれだけでも幸せなのに……
おじいさまの自慢のコレクションを、幼児がうっかりやらかさないために、ばあやが見張りにつきます。事情が許せば、執事が来ることもありますが。
でも執事の仕事は男性使用人一切の取り仕切りなので、主人の孫娘とはいえ、幼児一人にそんなに時間は割けません。子守が専門のばあやが、だから私には一番身近。
「はうぅ~」
奇声も発しちゃうというものです。
目の前にあるのは、アルビノア王国の各地の岩石標本!
学者であるおじいさまは、もちろん採取地などの記録も、しっかり併記。
さらに、来訪者に説明しやすいようにか、それらの地点を全て書き込んだ、王国の大きな地図も掲げられているのです。おかげで、大地の構造と成り立ちが類推できます。
ほとんど地球と同じ設定にしたせいか、標準的な鉱物組成は地上と同じようです。
落ちてきた隕石の量とかで、希少な元素には差はあるんでしょうが。
むしろ、地球に存在する鉱物の種類が、宇宙標準的には異常に多彩なのですけど。
うふふ……そうかぁ、この辺りに多いのは、六角形にひび割れた、黒っぽい石かぁ……
それはもう玄武岩ですね! 柱状節理が大いなる特徴!
海底火山の活動かな? この王国は、どのプレートのどの位置にあるのかな?
ちなみに、アルビノア王国の名前の由来は「白の女神」だそうです。
イギリスの別名でもある「アルビオン」は、ラテン語で「白」を意味する「アルバス」に由来します。ドーヴァー海峡近辺の、白亜の崖から名付けられたとのこと。
同じような真っ白の岩石の露出が、ここ、アルビノア王国にもあるので、おそらく命名の由来も、イギリスと似たようなものだと思われます。
……つまり、アルビノアっていうのは古語です。
アルビノア王国の言語はほぼ英語です。英語は基本的にゲルマン系の言語です。まぁノルマン=コンクェストで、大量にロマンス系のフランス語が流入していますが。
「アルビノア」は、大陸部のラティーナ人が使っていた、ラティーナ語に由来。それがつまり、ほぼラテン語というわけで……ということは、この世界にもインド=ヨーロッパ語族はあるのか。
ちょっと思考が脱線しましたが、意識を眼前の標本に戻します。
アルビノアの名前の由来になった、真っ白な石は……
イギリスは石灰岩というか、未固結の石灰岩である、チョークなのですけども。
……うーん、この標本は、どういう構造なのかなぁ?
ああ、手に取りたい……ルーペで観察したい……あと、もっと照明が欲しい……
19世紀ぐらいの文化水準じゃ、電灯なんてないですからね……
あ、でも、それだとレンズは発明されている可能性が極大なのですね。
ということは、ルーペは手に入るかもしれないのか。
もしアルビノアの白い岩が、凝灰岩だったら……
崖ができるほどの火山灰が降った、火山活動があった、というわけで……
……そんな大災害は、できれば想像もしたくないかなぁ。
パッと見た感じ、石灰岩っぽい気はします。
塩酸に入れて二酸化炭素が発生したら、炭酸カルシウムと判定できますが。
おじいさまの標本に、酸をかけるわけにもいきません。
……そもそも、塩酸があるのかどうか。いや、この文明水準なら、きっとある!
地球での塩酸の発見者は、アラビアの錬金術師、ジャービル・イブン・ハイヤーン。
で、塩酸の大量生産が実現したのは19世紀です。
厳密には、それを後押しした炭酸ナトリウムの生産方法である、ルブラン法の確立が18世紀末。
……まぁ、環境にまったく配慮していない、色んな意味でものすごい合成方法ですが。塩化水素と硫化水素をまき散らしますからね!
しかし、その塩化水素を水に溶かせば、塩酸が完成します。
さて、このお屋敷には、普通にガラス窓があります。
つまり、窓を作れるほどの大きなガラスが、少なくとも上流層には供給できる程度には、工業生産されていると思われます。そう、私が注目するのはガラスです。
数々の汚染をまき散らしたにもかかわらず、ルブラン法が普及したのは何故か。
それは、これによって生み出される、炭酸ナトリウム……通称・ソーダ灰が、ガラスの生産に必要不可欠だったからなのです。
ガラスは二酸化ケイ素を主成分としますが、二酸化ケイ素の融点は1600℃を超します。ここまで炉の温度を上げるのは、とても大変。
そこで、融点を下げるための添加物として使われるのが、ソーダ灰。
地球では元々炭酸カリウムを使っていましたが、植物の灰を大量に集めないと作れません。
だからガラスは貴重品だったのですが、ルブラン法によりソーダ灰が大量供給されるようになると、ソーダ灰を添加物にした、ソーダ石灰ガラスの大量生産が可能になります。
ソーダ石灰ガラスの融点は、たったの1000℃。ずっと容易に作れる温度です。これで、ガラス使用は一気にポピュラーになるのです。
で、このお屋敷には大きな窓もあるので、この巨大なガラスを生産できるだけの工場が、この世界にはほぼ確実にあるだろうと、そう推定できるのです。
……これが炭酸カリウムのガラスだったら、私はビックリ仰天ですよ。
ルブラン法じゃなくて、ソルベー法だったら、ある意味もっとビックリですけど。
なお、ソーダ石灰ガラスは、二酸化ケイ素を主成分とする珪砂に、ソーダ灰と、それから炭酸カルシウムを混ぜて作られます。
そう、炭酸カルシウム……石灰岩です。
アルビノアの白い崖が石灰岩なら、この国で炭酸カルシウムの調達は朝飯前。
国内に工場があれば……
あれば……うーん、塩化水素と硫化水素がまき散らされている……?
……うっ、恐しい。
イギリスでは、塩化水素による大気汚染がひどくなったので、大気汚染規制法的なものが作られたのですが、今度は塩化水素を水に溶かして、その水を垂れ流した結果、深刻な水質汚染を起こします。
塩酸を垂れ流すとか、狂気の沙汰ですよね。環境は大事。
世界は、この調和こそが奇跡なのですからね!
ああ、アルビノアの白い崖を観察したいなぁ……遠いですけど……
ちなみにアルビノア王国は、イギリスよろしく島国です。東方のすぐ近くに、大陸がある点もそっくりです。その大陸に最も近いポイントが、アルビノアの白い崖。
このお屋敷(?)があるのは、島の西側です。崖のある東側とは反対。
……夢は結構遠そうです。
まぁいいや!
無菌室の外で、岩石を間近に見ても発作が起きていない! 最高!!
感動と共に、鉱物標本に夢中で見入っていると、ばあやがポツリと言いました。
「本当に、石がお好きで……血は争えませんわねぇ」
んっ? 石が好きなのが、血筋??
いや、それもそうか。おじいさまは地質フィールドワークしてらっしゃるわけだし。
でもなんか、しみじみ感が、すごい気が。
「ばあや、石が好きなのは、アルステラの血筋なの?」
「あら……聞かれてしまいましたか」
本当にうっかりの発言だったようで、口元をおさえています。
それはいいから、詳細を早く!
「アリエラ様の祖父であるクロード様は、この国の宝石学の大家であらせられます」
えっ? おじいさま、宝石学が専門?! あっ、でも納得……
どういう地質かによって、採取される宝石も、当然決まってきます。
宝石を知るためには、その産出地を知らねばならないのです。
ははぁ、と納得する私に、さらなる驚愕の事実が、ばあやの口から告げられました。
「そして、アリエラ様のお父上は、地質と鉱物がご専門で……」
えっ?! お父さま? 存在していたんですね、やっぱり!
転生モノで困るのが、記憶が戻るのをいつにするの、戻ってからの反応どうするの、って点。
赤ちゃんから記憶があったら、いろんなところで「……」になっちゃうし、途中から記憶が急激に戻ったら人格も揺さぶられて、周囲も不審に思うだろうし。
そこらを勘案しつつ、不自然だけどスルーされる範囲を目指しました。