火山国の災害対策特別会計
ちょいちょいっと書き進め、ようやく、ファーガスとの書きたかったシーンへ、目処が立ちました……まだ書けていないのですけど、道筋が見えてきました……
アリエラは好奇心が旺盛すぎて、話が本当にまとまりません……
カチャンとティーカップを置き、おじいさまは、我が家のお客さま用茶室の自慢でもあろう、大きなアルビノア王国地図のタペストリーの前に立たれました。
まるで先生のようです。いえ、元は実際、本職ですが。
ところで、今、二つの余計なことに気がつきました。
まず、話題に関係ありそうな点。
タペストリーの地図、そうと知って観察すると、グレートノース山脈の向こう側、エリンの大地の部分が、地図記号の解説や地質の凡例などで、うまいこと見えなくされています。
機密を示す手掛かりは、こんなところにもあったのですね!
そして、本当にくだらない余計なこと。
このティーカップ、何ということもなく普通に受け入れていましたが、よくよく考えると……わりととんでもないもののような。
5歳児の私でも持てる薄手のつくり、温かみさえ感じさせる明るい乳白色、カチャンという澄んだ高い音……どう考えても、ボーンチャイナ!
きっと、ボーンチャイナとは言わず、何かこの世界独特の呼び方があるのでしょうが。だって、インディアじゃなくて、ヒンディアになっているのだし、中国もきっとチャイナではないナントカになっているはず。
そもそも、この世界の中国的ゾーンの歴史は、いったいどうなっているのか、自国アルビノアの歴史さえあやしい私にはサッパリですし。
知りたいことが多すぎて、勉強計画さえ立てられません。
とりあえず、おじいさまのお話を拝聴ですよ。
「アッシュポールが存在するのは、グレートノース山脈の少し東、アバディーンの近郊だ。近いといってもだいたい80マイル離れているが」
この世界の1マイルは、だいたい1.5kmです。たぶん。
「この沖にあるのが、オルクネイヤ島だ。ヴィークス語で『あざらしの島』という意味で、ここを含むノルズレイヤル諸島は、多くがヴィークスもしくはセルト、あるいはそれに先んじるピクティの言語によって命名されている」
なるほど。島の命名にも歴史が反映されているのですね。
地図の解説は、アルステラ家としてはよくあることなのか、おじいさまの手には、長い指示棒がいつの間にか携えられています。
ちらりと確認すれば、当然の仕事を達成したような、澄まし顔の執事が立っています。ああ、なるほど。
その指示棒で、おじいさまは、アルビノア本島の北東部に広がる、いくつもの島々を指し示されました。
ちなみに、少なからぬ島々に、アカネ染めとおぼしき赤色で、上向きの三角形が刺繍されています。どうみても火山記号!
「アリエラの母であるルビーナが、現在、調査を行っているのが、このオルクネイヤの北東部にある、ヘラン島だ。我が国の海洋進出において重要な位置を占める島だが、約300年に1回ほど、大規模な噴火が起きる」
玄武岩よりは、どちらかというと安山岩寄りということでしょうか。
「ちなみに、もっとも近い大規模噴火は、何年前のことなのですか?」
「265年前だな。そろそろ危険だろう」
お母さまの強運が、発動されることを願いますよ……
「ノルズレイヤル諸島の火山群の噴火は、アルビノア本島よりも、むしろ偏西風の影響で、大陸部に大きな被害をもたらす。そのため、大陸諸勢力を黙らせる兵器としても機能する」
おおざっぱな世界地図を、頭の中で描きながら、ノルズレイヤル諸島の東側を推測していきます。
火山灰をもろにくらって大打撃を受けそうなのは、ルシオス帝国です。
冬の寒さが厳しいらしい国で、火山灰で夏もつぶされたならば、それはもう、大飢饉待ったなしの大惨事になることでしょう。
「ルシオス帝国の南部は、大陸教会本部に対する、主要な穀物の供給地帯だ。265年前のヘラン島の大噴火は、『ウェルスフォルカの悪夢』の完全な終焉に、間接的に寄与している。大陸教会はこの災害に対し、一島国の内情にかまけていられる状態ではなくなったのだ」
おおお……災害が動かす歴史……地理と歴史がかみ合います!
ファーガス様の手がそわそわしています。ノートを取りたいのですね、すごくよく分かります。私も一言一句もらさず、ノートにまとめたい!
「伯父上、あの……ノートを取りにいきたい、のですが……」
ファーガス様のおねだりに、私も5歳児のうるうるお目目で追加攻撃です。私たちにノートを! おじいさまの生講義の記録を!
「その場で記憶するつもりで拝聴しなさい」
にこやかに、アルバート様から却下を食らわされました。
ドSはアルスメディカ一門の形質なのですか?
ウヌヌ……私は孫娘の特権で、あとでさらに詳しいお話を聞いて、それをもっと本格的にノートにまとめることにしますよ。
そのノートで、さらにファーガス様から知識を引き出すのです。
ああ、なんて建設的でアカデミックな友情なのでしょう!
「『雪』、同じことをあれの前で言えるかね?」
「それは無理ですね」
お母さまの猛烈伝説が、変な所で加筆されていきます。
「我が国は、火山噴火と地震からは逃れられない……それゆえに、来るべき災害に備えると同時に、国際的な振る舞いについても、近々に発生が予想される災害への対応を考慮に入れて行うのだ。貴族院議員には、火山の専門家が、必ず二人は任命される」
つまり、火山学者や地震学者は、国策のアドヴァイザーとして、結構重要な存在でもあるのですね。先ほどアルバート様が「助言」を抜け道と仰った理由が、なんとなく分かります。結局こういうのは、専門家の意見を参考にしなければ、二進も三進もいきませんものね。
ぺしっと、次の地点が、指示棒で示されます。
「ルビーナの専門は、火山噴火が起きた場合の、被害の予想だ。歴史的記録から推測するに、ヘラン島の噴火は、地質学的にはすぐそこまで迫ってきている。現在、ヘラン島の住民は6000人ほど。避難そのものや、避難中の生活支援など、総合的な計画を立てる『対策会議』に加わっている」
ものすごい手厚さですね。日本も火山国で地震国でしたが、避難中の生活支援まで視野に入れた政策は、あまり聞きおぼえがありません。
バブル崩壊後の、財政赤字の影響も大きかったのかもしれませんが。
そういえば、アルビノアの国際収支ってどうなっているのかしら?
「おじいさま、それらの予算はどこから出るのですか?」
政治に関われない貴族でも、政治のことは気になりますよ。
この先、私も研究畑に進むことになるのでしょうし、そうなったら、研究補助金の出所とか気になりますよね!
「我が国には、災害対策特別会計という、噴火や地震が発生した時のための予算が存在する。これらは災害が発生しなければ使われず、緊急時のための国家予算として、毎年貯められていく」
なんて堅実な……貯金という概念が国家予算に……!
「お母さまたちの『対策会議』の予算も、そこから出ているのですか?」
「いや、『対策会議』の予算は、毎年の一般会計から計上されている。対策の審議は毎年継続されるべきものだからな。災害対策特別会計は、あくまでも事が起きた後の対処のための予算だ」
なんて素晴らしいシステム。いざという時の保険ばっちり!
ここまでしっかり色々見据えて対策をとっていれば、アルビノアが世界に冠たる大国に成長できるのも、なるほど納得です。
「まぁ、この積み立てに関しては、経済政策について、非常に面倒な副作用をもたらしてくれているのですが」
アルバート様が、少し苦いお顔で注を加えられました。
なお、経済政策は、政府が行う「財政政策」と、中央銀行が行う「金融政策」をまとめたものです。大雑把にいうと。
「たしかに、通貨価値下落が発生すると、今まで積み立てておいた災害対策予算が、事実上ないも同然になる。したがって、政府も中央銀行も、インフレに対してどうしても抑制気味になる」
「しかし、だからといって通貨価値上昇を推進すると、経済が冷え込みますからね。財務畑の舵取りは、毎度毎度綱渡りの思いでしょうね」
理系貴族が、経済学の話をしています……!
アッ、ファーガス様の意識がトびました。さすがに経済学は、完全に守備範囲の外側だったようです。
「まぁ、それは庶民院と内閣が力を尽くすべき問題だ。我々があれこれ考えたところで、結局、貴族には実権がないのだからな」
「それもそうなんですけどね。でも、我らアルスメディカ一門は、医薬品の市価などから、やはり物価には敏感になってしまいます」
ああ、なるほど……過剰にお高い薬、なんてものは、一般には絶対に普及しませんものね。それに、一般市民が経済混乱のせいで医者にもかかれないようでは、アルビノア王国が破綻してしまいます。
政治って難しいんですね。
私は学術貴族なので、未来永劫、政治には関与しませんし、する権利もありませんけれどね!
〈元ネタ紹介〉 ※ヴィークス語≒ノルド語、です。
・オルクネイヤ島:オークニー諸島が古ノルド的に訛ったOrkneyjarより。
・ノルズレイヤル諸島:オークニーとシェトランドで構成される北部諸島(Norðreyjar)より。
・ヘラン島:シェトランドより。由来は古ノルド語のhjalt(柄)とland(土地)で、子音弱化にともなう接近音化の結果、音が変化している設定。元の音は「イェランド」だが、作中の実際の発音は「エラン」に近い。
災害対策って、いつか起きるって分かっているのだから、多少は貯金したっていいんじゃない? っていう安易な発想から、そういうシステムを考えてみる。
ところが、経済発展のために緩やかなインフレが発生した場合、貯めておいたはずのお金はゆっくりと死に金になっていくという罠……これ、絶対、めちゃくちゃ揉めた歴史があるな……
使えるはずのお金を使わずに残しておくのが貯金ですが、使えるはずの予算を「万が一」のために使わないでおくなんて、少なくとも現在の日本にそんな財政的余裕はない、公債残高1000兆円。
……誰が返すんですか、あの膨大とかいう形容が陳腐な額の借金は。こわい。




