専門バカになるなかれ
すごいわ。一ヶ月離れていた……ハァイ。まだまだお仕事が修羅場デスマーチなので、更新再開できるかっていうと不安です! むしろ不安しかないです!
今回は、歴史学と言語学と考古学方面から、地質にアプローチ!!
アルバート様、ファーガス様がいらっしゃる、最後の夜です。
主治医であるアルバート様の意見で、お昼寝は命ぜられてしまいましたが、夜は取り返しますよ! 本を抱えて、ファーガス様にまとわりつきます。
私は5歳児です。ファーガス様は6歳児です。断じてやましいことはない!
「アリエラ、お茶の時間だ。本は置きなさい」
おじいさまに注意されてしまいましたが、ここで引っ込んではなりません。
「では、本よりすてきなお話を聞かせてくださいませ! 地質とか、地理とか!」
「いつからそんなにたくましくなったのやら……」
「ファーガス様のレポートを、微力ながらお手伝いするのです!」
ふん、と胸を反らして宣言しますが、半分は言い訳です。私が知りたいのです。
あわよくば……とは思っていますけれども。
「ふむ……では、このクライルエンについて、まずは語るとしよう。クライルエンを学んだら、次はカーマーゼン。領内の大まかな地理を把握したら、王都ロンディニウムについてだ」
ロンディニウム。
イギリスの首都ロンドンの、ラテン語名と同じです。
こちらの言語だと、ラティーナ語です。
「あの、おじいさま……ロンディニウムの語源は、何なのでしょうか?」
文系な質問をしたせいなのか、ファーガス様が不思議そうに首を傾げられます。
私は理系一択らしいお兄様とは違って、文理両方おいしい人間ですからね?
「良い質問だ、アリエラ」
初っ端から話の展開の腰を折ったわけですが、おじいさまは満足そうに頷かれました。見ると、アルバート様も同様の反応をなさっています。
「『ロンディニウム』とは、先住民族であるセルトの言葉で『沼地の砦』を意味する。この町には大きな川が流れており、元々は交通の要衝として発展したのだ」
「テームズですね!」
「そのとおり」
英語では「Thames」ですが、アルビノア語では「Tames」で、発音も「テ(e)ムズ」という短母音ではなく「テイ(ei)ムズ」という、二重母音のような音です。
でも、明確な二重母音かというと、やはり長母音に近い感じがします。
というわけで「テームズ」です。
「テームズの名の由来は不明だ。セルトか、それ以前の古い信仰に関係する名前かもしれない」
「なんということでしょう! 興味深い!」
「……アリエラ嬢は、地名にも興味がおありなのですか?」
大盛り上がりの私に、ファーガス様はやや困惑顔をなさっています。
分かってらっしゃらないようですね。地名は地質にときめく基礎知識ですよ!
むぅ、と、私はファーガス様に宣言しました。
「古い地名とは、地質を理解するための手がかりなのですよ!」
理系宣言のファーガス様は、何を言われたか理解できない、という様子で、私の言葉に首を傾げられました。言語学はやはり興味の外ですか。でも、それではいけませんよ!
「おじいさま、テームズの近辺には、たくさんの『フォード』地名がありますよね?」
オックスフォードとか、そういう感じの地名です。
ちなみにアルビノアにも、オックスフォードという地名はあります。そこに大学があるかは知りません。
「『フォード(ford)』とは、『歩いて渡れる場所』を意味する、古アルビノア語の『フォルダ(forda)』の、最後の母音が欠落したものだ。すなわち、言語を現代に伝えるほどの、地質学的に近しい時代において、その土地がすでに『歩いて渡れる』ほどに堆積作用が進行していたことを示す」
ファーガス様が、目からウロコ、とばかりに、瞬きをなさっています。
そう! 昔の地理的な特徴が、地名には潜んでいるのです!
地名に水が絡む所には水害の恐れがあったりするし、谷じゃないのに谷という文字が使われているところは、谷を埋め立てた造成地で地盤が脆い恐れがあるのです。
アルビノア語に漢字はないので、つまり「ford」などの特徴が手がかり。
「ファーガス君……理科や数学以外にも、重要な学問は山とあるのだよ」
にやり、とおじいさまは微笑まれ、ええ、とアルバート様は頷かれ、そしてファーガス様は、静かに、小さく首肯されました。
「アラン……アリエラの兄だが、あれと君は親しくしているそうだな。あれはアルステラの技術面においてはなかなか良い素質がある……が、いささか的を絞りすぎていると、わしは思う」
そうですよ。寄り道は、学問を豊かにするのですよ。
「今はもう少し、広い分野の物事を学びなさい。でなければ、専門以外の分野では、くだらない偽情報を真に受けて狼狽するような、醜態をさらす愚か者になりかねない」
いやに具体的です。前例があるのかもしれません。
いえ、特に知りたいとは思いませんが。
「というわけで、アリエラの希望も入ってきたことであるし、もう少し地名について掘り下げてみよう。無論、地名をひもとくには、歴史と言語学の知識が必要だ。だが、地名の由来を理解することは、とても重要なのだ」
私の質問が元で、話が大幅にずれました。おおう……
しかし、新しい鉱物を探すのならば、やはり地質やその来歴を知るための手がかりとして、地名の研究だって避けて通れませんよね。避ける気もありませんけども。
「二人の未来ある学徒の卵のために、カーマーゼン子爵領と、アーガイル子爵領の双方に共通する、このアルビノア島の先住民について、まずは語ろう」
うっ。さすがは40代続く学術貴族……おじいさま、思ったより本格的!
そういえば、不思議な(?)ことに、アルビノア(Albinoa)は、ブリテン(Britain)とかブリトン(Briton)とかブリソン(Brithon)とかいうふうには呼ばないのですよね。
……何故この語は見当たらないのやら。全島が白いと言うこともないでしょうし。全島が白かったら、それは石灰岩か凝灰岩かただの火山灰で、農業に適さないったらないでしょう。
「アルビノアの先住民は、総合して『ピクティ』と呼ばれる」
んっ?!
カーマーゼン子爵領の先住民はシムス、アーガイル子爵領の先住民はセルトで、一応、言語も別という扱いだったと思うのですが……大枠で見れば近かったということですか。
「『ピクティ』とは、ラティーナ語で『彩った』という意味で、これは彼らの風習である刺青に起因する命名だと推測される。ピクティたち自身が、自分たちをどう呼んでいたのかは、記録がない」
それは、ときめきますが、困りますね……古来の地名があっても、言語の中身が判別できないでは、その地名に秘められた謎が解き明かせません!
「ピクティに関する記録は、ラティーナ帝国のものですか?」
真剣に話を聞く気になったらしいファーガス様が、小さく挙手をされました。
おじいさまは、そのとおりだ、と頷かれます。
「最も分量が多いのは、ラティーナ帝国の年代記だ。だが、僅かながらエリニカなど、他言語での記録もある。しかし、彼らはピクティと意志疎通はできなかったようだ」
ああ、それは、たしかに、まともな記録は残りませんね……
「また、ピクティたち自身も、その後の大陸系の移住者たちとの通婚などで、やがて自分たちの文化的伝統を喪失した。したがって、非常に古いピクティの言語に由来すると思われる地名は、その流れを汲むと思われる、セルトやシムス、あるいはエリンの言語を参照して推測する」
エリンって、アイルランド? アイルランドの自称はエール(Éire)ですが。
……でも、アイルランドに該当する島って、ありませんよね??
疑問に思う私へ、北の半島です、と、アルバート様から解説が入りました。
「アーガイル子爵領の西部に、山脈があるでしょう? あの山脈の西向こうに広がる大地がエリンです。あの地域は王族の支配地域で、ピクティの系譜に属する先住民が生き残る、唯一の地域です」
ナンデスッテ?!
エリンのネタは、もうちょっと後においておくつもりだったんですが、ロンディニウムの謎を解けって言われたら、先住民のネタを伏せ続けるのもムリですやん……白状するしかないですやん……
ピクティのモデルはピクト人。ラテン語の「Picti」が由来……下手に言語を突くと、ほぼそのままのネタを使わざるを得なくなるってやつです……ブリテンだけは意地で外した。




