貴族たるもの研究者たれ
書きためストックが尽きたので、以後は大変苦労する悪寒……早く社交シーズンまでいきたい……
ファーガス様は6歳で、次の秋から、初等教育学校へ進学される予定です。
アルビノアの学校制度は、第二次世界大戦前の日本に少し似た、複線型カリキュラムを採用しています。あるいは、ドイツ的と形容することもできるでしょうか。
さて、人には向きと不向きがあります。
カリキュラム制定は、向き不向きとどう付き合うか、という問題を含みます。
私が生まれ育った頃の日本は、基本的に「単線型カリキュラム」が採用されていました。
大多数の児童生徒が、小学校から、中学校、高等学校に進む。もちろん、四年制大学・短期大学などなど、最後の方では違う進学先を選ぶ状況になるのですが、中等教育課程まではほぼ一緒。
このように、中等教育課程に至るまで、ほぼ単一の学習環境しか用意していないシステムのことを「単線型カリキュラム」といいます。
対して、複線型カリキュラムは、いわゆる「3R」つまり、読み・書き・計算の、本当に必要最低限の学を身につけた後は、職人など、自分の志望する分野への専門教育を充実させる。
日本では高等専修学校などがこれに該当しますが、戦前はより多様な中等教育の場が開かれていました。
つまり、向いていないものを勉強するのは程々で止めて、あとは得意を伸ばすことに特化した教育システム。それが「複線型カリキュラム」です。
で、アルビノアの教育システムは、実に分かりやすい「複線型」です。
まず全国民向けの初等教育。これが7歳から4年。この4年で、生活に必要な最低限の「3R」を身につけます。
ちなみに、アルビノア国民の識字率は8割超。結構びっくりな数値です。
手に職をつけたい顔ぶれは、4年の初等教育が終わると、目指す分野の組合が運営する専門学校で、修行に入ります。
さらに学を積みたい場合は、ここから7年の中等教育学校に通います。
……もう、この時点で、学費を工面できる層と、工面できない層との間に、決定的な格差というか、もはや断絶ともいうべきものが、生じていますね。
ちなみに中等教育学校は7年課程ですが、4年で修了する「前期課程」というものがあります。
労働者階級の中でも、いわゆるホワイト・カラー系の就職をめざす場合は、この「前期課程」で法律や会計などの実務の知識を積みます。
なんと、学校からの斡旋で、ほぼ100%就職できるらしく、かなり厳しい競争を勝ち抜かないと、そもそも入学すら難しいそうです。結構エリート。
そして、中等教育学校を優秀な成績で卒業すると、高等教育機関である、大学への門が開かれる、というわけです。つまり「大学生」というのは、エリート中のエリート。
しかし学術貴族というのは、大学院まで進んで当たり前。だからこそ、全国民から敬意を持って接される存在であれるわけなのです。
……勉強が嫌いな人が貴族に生まれたら、発狂するのではないかしらん。
「来年のいつ、入学されるんですか?」
「秋ですよ。夏の社交期が一段落したら、入学式です」
なるほど、そこはいわゆる欧米式ですか。
なお、こちらの暦は、1年が365.25日で、4年に1回閏年。
1月が31日、2月が30日、3月が31日、4月が30日、5月が31日、6月が30日、7月が30日、8月も30日、9月も30日、10月が31日、11月が30日、12月が31日。
2月が30日あるわ、閏年は8月が31日になるわの、変則カレンダーです。
社交シーズンは、5・6・7・8月です。
アルビノアは北半球に位置し、この時期がちょうど、日の長い季節にあたるのです。
推測するに、緯度は北緯45度ぐらい、でしょうか……中緯度やや高めです。
つまり夏の昼は長い。冬の夜も長い。子どもの私はだいたい寝ていますけれど。
「私は、次の社交期が、とても楽しみなんですよ!」
「何故ですか?」
「初等教育学校に入学予定の子女向けに、最先端研究の講座がありますからね! 入学予定者限定の講座なので、ずっと聴きたくてもだめだったのですよ」
なんですって!? それは私も、ものすごく気になります!!
「講座の発表者は、まだ全員は明らかになっていないんですけれども、ルビーナ・アルスヴァリ=アルステラ様が発表されるそうなんですよ!」
んっ? そのお名前……もしかして……
「お母さま?」
「ええ! スカンジア諸島の火山活動について、解説して下さるそうなんです」
なるほど。こちらの世界は、スカンディナヴィア半島がないかわりに、スカンジア諸島があると。ということは、スカンジウムがスカンジウムになる可能性は、残っているわけですか。
スカンジウムを含有する鉱物が、スカンジア諸島で採れるかは不明ですが。
あと、お母さまは複合姓を名乗ってらっしゃるんですね。
アルス家系同士の結婚では、複合姓を名乗るのが普通なのでしょうか?
そのうち調べましょう。
「スカンジア諸島の位置は?」
「ここです」
ファーガス様が、地図で示して下さいます。
「おお……ルシオス帝国の、まだ北ですか。すごく寒そうですね……」
「スカンジア諸島は『氷と炎の島』の異名を持ちます。近辺の神話にも、よく題材として取り上げられていますね。罪人の魂を永遠に閉じこめる牢獄だとか、ろくなものはありませんが」
扱いはいまいちですが、異名からしてアイスランドっぽい。
氷河に火山……うーん、なんて素敵な……地質学的には魅力的ですよね。
まぁ、この呼吸器疾患を何とかしない限り、どうにもならないのですけど。
「私とファーガス様、どちらが先に、私のお母さまに会えるのでしょうね」
「あの方、現地調査にかまけてらっしゃいますものねぇ」
「ファーガス様のご両親は、どんな方々でいらっしゃるのですか? お父上は石綿公害の調査をしてらっしゃるそうですけれど……その、お母上は……」
アルビノアは女子でも大学に行けて、そして、学術貴族は勉強をするのが仕事の一部である……とはいえ、全員が研究者であるとは限らないわけで。
さて、ノヴァ・アルスメディカ家ではどうなのでしょうか。
「私の母は……ちょっと、風変わり、ですね……」
「風変わり?」
火砕流までスケッチするお母さまよりも、変わった人などいるのでしょうか?
「我がアルスメディカ一門は、医術の道を先導する存在です。父の石綿公害調査も、医療技術そのものの進展に貢献するわけではありませんが、病との戦いの一つといえます」
そのとおりです。
「ところが、母は『病を生じさせない』こと自体を研究しています。治療ではなく、予防こそが医術の核である、と」
それは、間違いなくそのとおりです。
病気になってから治すより、病気に掛からない方がよほど効率的です。
「素晴らしい発想の転換ですね!」
なんて敬意に値する方なのでしょうか!
……と、私は思ったのですが、ファーガス様は苦笑してらっしゃいます。
「発想については私も同意しますけれど、どうにも母は、注意散漫というか、好奇心が旺盛すぎるといいますか……どうにも研究がとっちらかっていて、うまくまとまっていないのですよ」
首を傾げると、たとえば、とファーガス様は、指折り数え始められました。
「栄養に関する研究は、もう何年もずっと続けられていますが、未だに論文にまとめられていません。薬草の研究は、アルバートおじさまと共同で進めていますが、それもまとまった成果は十分には出ていません。住環境の研究や、日光浴……興味の赴くままに、かじり散らかすようにやっています」
学術貴族は頭脳で国家に貢献するもの。
まとまった研究成果を出せていないというのは、たしかに困った話ではありますが。
でも、ファーガス様の笑みは柔らかく、愛情に満ちています。
研究者としては、ちょっと問題ありでも、きっと素敵なお母さまなのでしょう。
……私のお母さまは、いったいどんなお方なんでしょうか。
学術貴族の社交は、華やかなダンスとか、そんなのではないですよ!
ゼミ! 学会! 勉強会! 論文発表! 公開シンポジウム! パネル討論会!
貴族令嬢に転生して、イケメンに囲まれて、エンジョイするのは学問です。
この世界、貴族のデートコースって、博物館とか標本採集とかになりそうですね。