クライルエンの地理
いざ、異世界でブラ○モリ! まだブラブラ歩いてないけど、ようやくそれっぽいことができそうなメドが立ってきましたよ……うわぁ、長かった……
ファーガス様のいじわるな側面を見て、人間の暗黒面を感じた本日。
え? 終わってませんよ? まだ私たち、図書室にいます。
ごまかしきれていない気がしますが、逃げ切りました。
「いいですか、ファーガス様。乙女は秘密を持つことで、美しくなるのです。ですから、乙女の秘密を暴いてはなりません」
意味の分からない屁理屈で、煙に巻きました。
人間、誰だって秘密の一つや二つはあるものです、と言ったら、私には秘密などありませんよ! と、例の爽やか貴公子スマイルで押し通されそうな気がしたんです。
自分で自分を乙女と言うなんて、それはそれは胡散臭いと思うのですが。
背に腹は替えられません。
頭がおかしいと思われるより、性格がおかしいと思われる方がマシというもの。
……五十歩百歩は禁句です。どっちにしたっておかしいとか、禁句です。
惑星を誕生から妄想したウェンディの時点で、確かに私はおかしいのですから。
それはそれとして、この本、おじいさまの蔵書にしては妙ですね。
写真という新しい技術が使われている点、石炭という「産業」に関連する点、でありながら、化石に関する考察が載せられている点……
ぺろっ、と見返しを見てみると、見覚えのない蔵書票が貼られています。
「んっ?」
おじいさまの蔵書票なら見慣れています。鉱物結晶模型の図案を組み合わせた、いかにも宝石学の大家であるおじいさまに、似つかわしいデザインのものです。
しかし、この蔵書票は、世界地図をベースに、測量具と、ハンマーとランプがあしらわれたデザインです。なんというか、全体から、鉱山な感じが漂います。
「あ、この本、カーマーゼン子爵様のなんですね。どうりで毛色が違うわけです」
お父さまの本ですか……ああ、たしかに……地質調査……うん……
サーマス大陸の埋蔵資源の分析も、お父さまの仕事であるのだとしたら、たしかに、この本はお父さまの持ち物に似つかわしいものです。蔵書票のデザインも。
「ここには、おじいさまの本しかないと思っていました……」
「いえ、ほとんど教授の本ですよ。たしか、子爵様の本は、基本的にカーマーゼンの本邸の図書館に保管されているはずですから……私が欲しいのは古い情報なので、先にこちらをお訪ねしましたが」
なら、何故ここにお父さまの本があるのでしょう?
「この近辺に、泥炭地がありますよね。その調査ででも参照なさったのでは?」
なんですって? この屋敷の近くに、そんなわくわくするスポットが?!
「……この近くなら、私も現地調査をできるのでしょうか?」
このクライルエンなら、わりと空気は綺麗ですよね! ね?
目をキラキラ輝かせてしまった私に、うーん、と腕組みをなさるファーガス様。
「問題があるとおっしゃるのですか?」
「そもそも、クライルエンの町中を、アリエラ嬢が歩いて大丈夫なのか……」
ちょっと、どういう意味ですか! 私、ここで静養しているのですよ、多分?
呼吸器の弱い人間が歩き回ったら問題があるような町の近くに、おじいさまが私を滞在させているとでもおっしゃるのですか?
じろり、という私の視線に、ええと、とファーガス様は眉尻を下げられます。
攻守逆転ですよ、ふふん!
「アリエラ嬢は、クライルエンの特産品を、ご存じですか?」
うっ。
コランダムとスピネルの見分けがつく私は、カーマーゼン子爵領のことすら、実はろくすっぽ知りません。
だって、このところ、毎日サファイアの分類でしたもん!
……はい、言い訳です。
頑張って勉強しますよ! 地質と、そして地理のアルステラ家ですもの!
これから頑張りますって! 私はまだ5歳!!
だから、アルステラ家の人間なのに……みたいな目で見るの、止めて下さい!
「……お酒なのですよ。色んな種類の」
クライルエンの町は、あっちこっちに酒造関連施設があり、アルコールを含んだ風が流れるような地点もあるとのこと。
「いや、でも、クライルエンにも子どもは生まれて育っていますよね? 空気にアルコールが含まれることがあるからといって、それで即、私が出歩けないというのは、早計では?」
「アリエラ嬢のお父上は、一滴も飲めない下戸として有名なのです。その血を引いているあなたも、アルビノア人の平均より、よっぽど弱い可能性があります」
まさかの、アルコールアレルギーの可能性……
前世はアルコール平気だったのに!
……いえ、飲んでいません。一滴たりとも飲んでいません。
服用している薬と変な反応を起こす恐れがあるので、アメリカ基準で成人しても、飲酒をしたことは一回もありません。
ただ、ほら、病院って、いろいろアルコール消毒するので。
「……実験に付き合って下さいな」
厨房になら、お酒があるはず。
そう、アルコールパッチテストをやりますよ!
本来なら専門家の指導のもとでやるもので、素人がカンでやったら、万が一の時に万が一で大変なのですけれども。でも、今は主治医のアルバート様もいらっしゃるし……
いったん図書室を離脱。
厨房の料理人に、実験にちょっとだけ! とゴネゴネして、ハンカチの先に数滴だけ、無色透明の蒸留酒を分けてもらい、それを左腕の関節でしっかりはさみます。
「これで数分待って、何の反応もなかったら、私は少なくとも、お父さまほどの下戸ではない、というわけですよ」
「なるほど」
パッチテストの結果待ちの間に、図書室へ戻ります。
ファーガス様から、このクライルエンの町について、講義をしていただきます。
「クライルエンは、カーマーゼン子爵領の東部に位置し、その山地から流れ出す川のほとりに広がっています……」
地図を広げながら、滔々と解説されるファーガス様。
そして地形図を見ながら、気づいてしまう私。
「河岸段丘……」
すごい! 群馬県の沼田市みたい!!
「そのとおり。そして、この屋敷は、西側の段丘の、最も高いところにあります。台地の地下には、宙水という地下水層があり、また段丘崖のあちこちに、豊富な湧水が確認されています」
綺麗な水は、少なくとも日本酒造りにおいては、必須条件ですよね。
アルビノアのお酒の醸造方法は知りませんけれども。
ただ、もちろん汚い水では無理でしょうし、水に不足するようなところで発展する産業でもないはず。多分。
「そして、川を挟んで反対の東側には、典型的な扇状地が形成されています」
水はけが良いのが特徴で、果樹栽培に向いています。典型例は山梨県。ぶどうと桃の生産で有名。山梨県は、日本有数のワイン産地でもあります。
クライルエン東部の扇状地は、驚くほどきれいな扇形をしています。
「……つまり、このクライルエンの町には、お酒造りに必要な美味しい水と、お酒の材料になる果物の生産に適した土地とが、揃っているわけですね?」
「そのとおりです。クライルエンの名産は果実酒ですが、穀物を原料にしたビールや蒸留酒も、盛んに生産されています」
なるほど。小麦は水をためない土地に向いた作物ですから、扇状地での栽培にも適しているでしょう。小麦のビールというと……ヴァイツェン?
「ちなみに、そのハンカチにつけた蒸留酒は、例の泥炭地近くの水を使ったものです。独特の、煙のような香りがあり、通が好むと言われます」
あれですか……噂に聞く「泥炭臭」というやつですか……
くんくんと、今更のようににおいを嗅いでみますが、あんまり分かりません。
もっとしっかり嗅いでおくんでした……不覚。
「あとクライルエンでは、段丘を形成した河川を使い、物資の輸送も行っています」
交易都市として、実に素晴らしい条件が揃っているではありませんか!
でも、それにしては田舎のような気もしますが……
「もっとも、水運が発達したのはここ最近のことです。段丘を形成するような川は、基本的に暴れ川で、治水が大変ですからね」
あー……谷底平野は、氾濫原からできていきますものね……。
しかし、知識が地形と繋がるというのは、本当に感動ですね。
そろそろテスト終了の時間です。かゆみとかは感じていませんが、さて?
「……ファーガス様、私、お酒大丈夫みたいですよ」
パッチテスト、クリアです!!
クライルエンは絶対に、河岸段丘の水の町って決めていたんです! 段丘崖にはロマンがあるって、私は全力で主張したい。
あと、扇状地では、果樹以外に小麦も栽培していたらいいと思うんです!
もちろん、パッチテストは、素人が勝手にやってはいけません。
ガチすぎるアルコールアレルギーの人は、パッチで死ぬこともあります。