現代知識で墓穴を露天掘り
転生モノで転生がばれないのは、本当うまいこといってるなと思うわけです。
この話の展開はひねくれているので、当然の事ながらトラブります。
ファーガス様がおすすめして下さった、石炭に関する本を、適当に開きます。
この惑星に人類が誕生するまでの歴史を、ウェンディはかなり精密に妄想しています。
したがって、この世界の地質時代も、冥王代・始生代・原生代・顕生代と、地球と同様に展開されています。顕生代はもちろん、古生代・中生代・新生代に分かれます。
マグマオーシャンからスタートし、異説も反論もあるのですが、念のため後期重爆撃期を設定。オルドビス紀末、デボン紀末、ペルム紀末、三畳紀末、白堊紀末の、いわゆる「ビッグファイブ」に該当する、大量絶滅も設定してあります。
なんだって、わざわざ生命をつくっては、滅ぼす妄想をしたのか。
人類が人類に進化するためには、すべての出来事が必要だったと思ったからです。
生命は、試練を乗り越えて、新しい形になる。
原始単細胞生物は、やがて「ヒト」の姿へ辿り着くために生まれたつもりなんて、ないと思うのです。ただ必死で生きて、時代を超えて情報を繋ぎ、組み合わせて、結果として「ヒト」になる。
だとしたら、経験した全ての試練が、一つでも欠ければ、人類への進化は成立しなくなるのではないか、と考えました。
つまりこの世界は、ウェンディの「人類誕生までの歴史を見たい」という願いの元、数え切れないほどの生物種の絶滅の果てに、成立している「夢」なわけです。
さて、で、世界の変化をほぼ地球と同じであろう状況に……少なくともウェンディが入手できた情報の限りでは……再現設定してあるこの世界は、もちろんのこと、古生代石炭紀に該当する時代があるわけで。
……つまり石炭には、惑星の生命体の歴史が詰まっているわけです。
ファーガス様がおすすめして下さった石炭の本には、化石の話も載っていました。というか、見方を変えるのならば、石炭というものが、それ自体そもそも植物化石です。
死んだ植物の組織は、菌類や微生物によって分解されます。
ところが、時代によっては、分解をする存在があまりに少なすぎることがあります。
植物の細胞壁……そもそも、細胞壁というもの自体が動物細胞には存在しないのですが……を構成するセルロースや、それを補強する木質素などは、実を言うと「現代地球」でも分解が難しい、とんでもない化学物質です。
生命進化がまだまだ途上だった古生代には、植物が生まれるだけ生まれて、その死骸はまったくリサイクルされなかった時期があるのです。石炭紀はまさにそんな時代。
分解されずに残った植物組織は、泥炭になります。そこからさらに石炭化が進むと、褐炭、瀝青炭、無煙炭へと変じていくわけですね。
アルビノアには泥炭地層が結構あるようで……あれ、いっぺん火がついたら大変なことになる、かなりの危険地帯なのですが……地質は色々物騒な国ですね、ここ……
「その図が気になりますか?」
鉱山情報ではなく、化石のページで、私の手は止まりました。ファーガス様は、私がどこを凝視しているのかに、気づかれたようです。
「これ……植物組織のクチクラですか?」
「よくご存じで……ええ、リンボクです」
私が気になったのは、これが、石炭という化石になった植物だからではありません。
この図、どうにも顕微鏡写真っぽいのですよ。そう、写真!
地球史上で最初の写真は、フランスの発明家、ジョゼフ・ニセフォール・ニエプスが、1827年に撮ったもの……だったような。その露光時間、なんと8時間!
その後、ダゲレオタイプとか、カロタイプとか、凄まじい勢いで写真技術は発展していき、人間の肖像写真を撮ることも可能になったわけですが……
「……これ、えっと」
どう言ったものでしょうか……写真で通じる気がしません……うーん。
よし、ものを知らない幼児のパフォーマンスでいきましょう!
「絵画というより、まるで本物を写したみたいですね!」
「そのとおりですよ」
「えっ? 本物の拡大画像なのですか?」
うまいこと幼児の演技ができたはずなのに、ファーガス様は、何故かニヤニヤと私を見て笑ってらっしゃいます。おかしい……私はどこを間違えたのでしょうか……
この世界で「写真」に該当する語よ、はやく出てきなさい!
「これは写真です。しかも、ただの写真ではありません。光学顕微鏡の画像を、苦労して焼き付けた、会心の一枚なのです」
こっちでも写真は写真というようです。私の演技時間を返してください。
しかし、また気になる語が出て来たではありませんか。
「光学顕微鏡?」
その言い方だと、まるで違う顕微鏡があるみたいですよ。あるんですか?
しかしヴィクトリア朝っぽいこの時代に、さすがに電子顕微鏡はないでしょう。
「教授なら、偏光顕微鏡をお持ちなのでは?」
あっ、そっちですか!
そういえばたしかに、あれは19世紀半ばに、イギリスで発明されたものです。
現在のアルビノア王国なら、発明されていてもおかしくありません。
「私は、それを見たことが、まだありません……」
「そのうち見せていただけると思いますよ。それにしても……」
ニヤニヤ、ニヤニヤと、ファーガス様は本当に、楽しそうなお顔です。
何故でしょうか。背筋に嫌な汗が流れるような悪寒が……
「何故、アリエラ嬢は、このクチクラの写真が『拡大したもの』だと分かったのですか? この植物はすでに滅びていて、現在の世界で見ることはできませんが?」
……アッ! やっちゃいましたー!!
「え、ええと……」
何故うっかり「拡大」の語をつけてしまったのです、私! このお馬鹿さん!
必死に視線をページに流し、注釈を読みます。あっ! ここに救いが!
「……倍率みたいなことが、書いてあります、もの」
「倍率みたいな?」
「倍率です!」
ファーガス様、そんな、お腹を抱えて笑わなくたって、いいじゃありませんか。
いたいけな5歳児をからかって楽しむだなんて、紳士じゃありませんよ!
「だ、だって……実物大だったら、クチクラの組織細胞が、こんなに大きいわけありませんし! だったら、この数値が倍率かなと思うのは自然でしょう?」
言い訳を追加! さぁ、これでどうです? 納得したでしょう! しなさい!!
「なるほど、論理的ですね」
「これでも私は、アルステラ家の娘なのですからね!」
言い訳の奥義! 800年続く学術貴族のサラブレッド家系!!
普通の5歳児が知らないことでも、アルス家系の子なら知っているかもの術!!
細胞は、ロバート・フックが17世紀に命名した語なので、きっと使っても大丈夫……
「さすがです。生物学の最先端知識まで網羅してらっしゃるとは」
エッ?! 何ですって?!
「『植物が細胞から構成されている』というのは、去年発表されたばかりの論文の内容でしょう? いやいや、リンボクの組織写真を見ただけで、これが『細胞』の拡大写真だと見当がつくだなんて……このファーガス・マーカス・ノヴァ=アルスメディカ、まことにお見それ致しました」
やめてー! 私の頭がおかしいという事実を、改めてつつかないでー!!
妄想していた世界に転生している、という、頭の悪そうな夢を見ているらしい現実を、ねずみをつつく猫のように、ツンツンするのはやめてくださーい!!
ぷるぷる突っ伏した私を見て、あっはっは、と高笑い。
私、ファーガス様は、アルスメディカじゃない方が良いと思うんです。
こんな、患者のメンタルをつんつんする医者がいて、たまるものですか……!
「いじめているわけではないんですよ?」
「いじめてらっしゃるでしょう」
ああ……今回は乗り切れても、そのうちファーガス様には、転生のことがばれてしまう気がします……レッド・ダイアモンドの隠蔽より大きな秘密が……あああ……
血を見るのがダメなドSの貴公子。
アリエラは、絶対に知識のまま突っ走って、墓穴を掘るタイプだと思うのです。
19世紀半ばって、思っていた以上に色々な技術が発明されていて、面白いです。