鉱物好き同志
アルビノアの政治体制については、成立の背景となった歴史ごとまとめてあるので、そのうちさらに詳しく書ける、かもです……
アルビノア王国は、いろんな意味で異色の国です。
まず、立憲君主制の国ですが、王は「君臨すれども統治せず」の立場を貫いており、最終的な決断は、議会が下します。
議会は、貴族院と庶民院の二院制。
何より着目するべきは、貴族院は「良識の府」として意見をするだけで、政治を実質的に動かしているのは、庶民院と、庶民院議員からなる内閣!
つまり、王族・貴族には、ろくな政治的権限がないのです。
貴族は、実務経験を積んだ人でなければ、庶民院議員に立候補できません。
政治は庶民の代表がするもの、貴族はそれに助言をするもの、の構図。
あと、領地収入から納税をしてはいるものの、庶民に比べて税率が低い。
そのかわりに、頭脳で国家に貢献する義務があり、知識で他者に貢献するのは当然だから、対価も請求しないのが、正しい貴族の姿だそうな。
「それは庶民相手の話であって、しかも私は5歳児なのですよ」
うるうるお目目でゴネてみます。
「ですが、私はお金を扱うことができませんし……」
「私が欲しいのは、お金ではなくて、知識なのです! ち・し・き!」
私の鉱物講座をただで聞いたのですから、何か他の知識を返しましょう!
「でも、私の知識は、アリエラ嬢には目新しくないかもしれませんよ?」
「聞いてみなければ分かりません」
「興味を示されるでしょうか? 化学の元素の話などですが……」
なんですって! それは……
「大変興味がありますので、さぁ! お話し下さいませ!!」
この世界の元素記号を、私は知りませんので。
というわけで、ファーガス様の化学講座がはじまります!
かつて、この世界で主流だったのは、四元素説だそうです。
どうやらこっちにも、エンペドクレスやアリストテレスのような方がいらっしゃったようですね。世界は、火と水と土と空気で構成されている、と。
しかし、空気が一種類ではないこと、土は様々な元素の集合体であるということが、多くの実験結果から判明。
こぞって新元素を探しているのが、現在の状況だそうです。
「それで、最新の研究成果ですが……紙とペンをお貸しいただけます?」
ペンと紙を提供すると、ありがとう、と答え、ファーガス様は、さらさらと、ある表を書きあげていかれました。
「こっ、これは……」
「ルシオス帝国の学者が提唱した『周期表』というものです」
ルシオス……ロシア! ということは、この世界のメンデレーエフ!!
「元素を原子量順に並べていくと、決まった周期で、似たような性質の元素が出てくる……という表なのです」
厳密には原子量順にはならないのですけどね。同位体とか、あと、遷移金属元素は、そもそも位置がややこしいですし……
「ということは、これが元素記号?」
「ええ。その通りです」
元の世界とは、やっぱりちょこちょこ違いますね。水素はHだし、酸素はOだし、炭素はCだし、窒素はNのようですが。
神話や人名由来の元素には、はっきりと違いがあります。
あと、エカケイ素(=ゲルマニウム)、エカアルミニウム(=ガリウム)、エカホウ素(=スカンジウム)などと、未発見予想元素が入っています。
少なくともこの世界、スカンジナヴィア半島はないので、スカンジウムの名前は別物になるんでしょうね……
食い入るように元素の周期表を見る私に、たいそう興味があるんだろうなと、ファーガス様は判断されたようです。
「よろしければ、私の読み終えた本を、差し入れしましょうか?」
「是非!」
おじいさまの蔵書にも、さすがに、最新の化学の知見に関するものはありません。専門外ですものね……
あっ、私はおじいさまの「書庫」には入れませんが、一般の来客にも公開されている「図書室」には、入れるようになったのです。
国家機密の地図は、もちろん「書庫」です。
「そういえば、ファーガス様は、おじいさまの蔵書の、いったいどんな記録を探してらしたんですか?」
地質と、自然災害の記録では、王国最高の蔵書ではありますが。
化学に興味がおありのファーガス様が、見たくなるような本が?
「鉱山の情報を掲載した地図です」
「……鉱山? それなら、鉱工業が専門の、アルステクナ家の方が、情報は充実しているのでは?」
言っては何ですが、アルステラは鉱山の生産云々の情報は、持っていたとしても、一般には公開しないと思うのですが。
「閉山になった地域の情報は、こちらの方が充実しているのです」
それはたしかに。アルステクナは、過去の情報より現在の採算ですよね。
「私は未発見元素を周期表に刻みたいのですよ。すでに発見されている、全ての鉱物を精査して、未知の元素を見つけ出したいのです」
ファーガス様は、うっとりと頬を赤らめて、夢見るようなまなざしで、そう熱く語られます。
「ああ……お気持ちはすごく分かります」
「分かるのですか?!」
奇異なものでも見るような目で、私を見ないで下さい!
誰かの求めるものが、他の誰かの求めるものでもあるというのは、きわめて自然なことなのですよ!
「私は新発見の鉱物に、おじいさまのお名前をつけたいと思っています」
「なんと……それは、素晴らしい!」
未婚の男女にあるまじき話ではありますが、私とファーガス様は、同志の熱い握手を交わしました。
大丈夫、大丈夫。私は5歳。ファーガス様は6歳。そしてこれは健全な友情。
鉱物を愛する友情に乾杯!
地質・鉱物トークで、盛り上がる、盛り上がる。
「私は機会を見ては、実際に鉱山を回って、実験用にボタを融通してもらおうと考えているのです」
ああっ、憧れの現地調査!!
「わっ、私もお伴したいです……」
「アリエラ嬢は、まず、その呼吸器疾患を改善しませんと……」
「ううっ……やはり鉱山は厳しいでしょうか?」
「健康な人でも、鉱山では肺を病みますからね……」
それは塵肺という、公害病です。
「あの、それは……鉱山から出る微細なチリが、肺にたまって呼吸ができなくなる、ので……マスクで防げるのでは……」
ぴくり、と、ファーガス様の片眉が動きました。
「よくご存知ですね」
「いえ……」
「実はそれは……つまり、鉱山病は、私の父である、マーカス・ノヴァ=アルスメディカの専門なのですよ」
えっ?! また、それは何という、釈迦に説法……いえ、釈迦の息子ですけど。
「父は今、石綿公害の調査にあたっているのですよ」
アアー! アスベスト! 肺がん! 悪性中皮腫!!
出た……呼吸器を患っている私にとって、最大の恐怖物質の一つ!
「石綿……きわめて微細な鉱物線維ですね……」
アスベストをさらに恐ろしいものにしている理由。
それは、1本の繊維が、髪の毛の5000分の1ぐらいの太さ、という、とんでもない細かさにもあります。簡易マスクでは防げません。
「ええ。長期にわたって石綿の鉱山近辺に起居すると、肺に疾患がもたらされることが、医学論文によって指摘されています」
さすが専門家の息子。そして、ここまで研究が進んでいるのですか!
「石綿は、耐久性、耐熱性、耐薬品性などにすぐれた鉱物です。なので、我が国でも建築物の断熱材などに用いられてきたのですが……」
待って。とすると、この、冬でも結構暖かいお屋敷も、実は断熱材に、アスベストを使っているかもしれない、ということですか?!
いやああぁぁ! 私は健康に暮らすの!! 石綿ダメ絶対!!!
「建築物を安全に解体しつつ、住居の快適性を保つ方法が、現在模索されているのです。父と、アルステクナの方々との共同研究で」
「断熱性、という点では、コルクは?」
「コルク肺というものもありますが……それ以前に、あまりにも価格が高くなりすぎます。石綿の最大の強みは、価格の安さなのです」
ですよね。それが本当に、難題なのですよね。
いくら安全であっても、あまりにも価格が高ければ、一般の人は到底手を出すことができません。
「しかし、これは我が国にとって、喫緊の課題でもあるのです」
「……何故ですか?」
首をかしげると、ファーガス様はにやりと笑みを見せられました。
「アリエラ嬢、あなたなら、この国の建築が抱える、宿命的な問題について、すぐに見当がつくのでは?」
私に、すぐに見当がつく、この国の建築の宿命的な問題……
地質関連? で、建築……? んっ?!
「……アルビノアは、地震の多い国でしたね」
地震で倒壊した家屋から、アスベストがふわふわ……
おっ、おぞましい……!
これはたしかに、喫緊の課題ですよ!!
1月17日ですね。
この小説は、地震や火山噴火、水害その他、多くの天災の話が出てくる予定です。
地学とは、人力ではどうにもならない、自然の猛威と向き合う学問でもあると思うのです。