ファーガス様の「お願い」
フラグが立つようで立たない……
お昼寝の後、博物室に行くと、ファーガス様がいらっしゃいました。
熱心に、おじいさまの収集された鉱物標本をみておいでです。
「……ファーガス様は、石がお好きなのですか?」
「ええ……」
「素敵ですね! 本当に、素晴らしいですよね!」
「……鉱物とは、この世界の神秘の結晶ですからね」
少しいたずらっぽく、ファーガス様がおっしゃいます。
ん? また何か企んでらっしゃる? さらなるテストが私を襲う?
「実は、この博物室にいたのは、石が好きだからだというのも、もちろんあるのですけれど……アリエラ嬢をお待ちしていたんです」
来た! なんかテスト来ますよ、きっと!
「実は、折り入って、アリエラ嬢にしか頼めないお願いがあるのです」
あわわわわ……すでに悪い予感しかしません!
ものすごい貴公子スマイルとともに、ファーガス様は、私の手に黒いベルベットの布袋を握らせました。
これは何? 私は何をさせられるの?
「実は私、鉱物の成分を化学的に調べようとしていたんです。それで、研磨工房から、リジェクトされた石を集めているのですが……」
リジェクト。宝石としてジュエリーなどに加工するに値しない、という判断です。石の質が悪い場合もありますが、傷も内包物も少ないのに、カットに失敗して扱えなくなったものなどもあります。
……待って。この袋の中身が石なら、いったい何カラットあるのです?
ちなみにこの世界でも、宝石の単位はカラットです。エリニカ語で「いなごまめ」を意味する「keration」が語源。
おそるおそる、私は袋の口を開いて、中を観察し……
……そして、即座に口を閉じて、見なかったことにしようとしました。
キラキラしてましたよ! キッラキラしてましたよ!
「まさか、これ全部の鑑別を私にしろと……」
「教授からも、よい訓練になるだろうと、お言葉をいただいたのですが」
ファーガス様、抜け目ない! 私、逃げられません!!
おじいさまのお言葉なら、私、頑張るしかないじゃないですか……
「助かります。いやぁ窮地に女神は現れるのですね」
さわやか貴公子スマイルで、ごまかそうとなさらないで下さい!
何なんですか、この量は!!
「教授は、『最近はコランダムしか見ていないから、他の石を見て、鑑別が鈍らないようにするのもいいだろう』と、おっしゃっていました」
おじいさま……おじいさまあぁ!!
いえ! たしかに! 私は最近コランダムと格闘していますが!!
だからって、別にコランダムに飽き飽きしたりしているとか、そういうことは一切まったくこれっぽっちもございませんよ?!
一粒ひとつぶが、全て、貴重なこの世界の神秘の結晶なのですから!
片手だけとはいえ、手のひらに山盛りいっぱい。
……これ全部の鑑別を、気分転換のつもりで孫に勧めるだなんて、これが真のアルステラ家の英才教育なのでしょうか。
博物室から移動します。行先は小客間。
暖炉に赤々と火が燃えているのは、この展開を予想していたメイドたちの気遣いなのでしょうか。
暖炉のそばに、テーブルと、向かい合うソファ。本当にモノのない部屋です。あとは、小さな書き物机が一つあるだけ。
出入りの商人や職人さんたちを迎えたりする部屋でもあるそうなので、品物を運び入れられるように、という配慮かもしれません。
この部屋を選んだのは、持ち込まれた商品を検品するために、照明器具が充実しているからです。拡大鏡も書き物机の中にあります。
私は拡大鏡と、それから黒いベルベットの布も取り出して、ソファテーブルに、ファーガス様いわくの屑石を、ばらっと出しました。
濁った原石から、カットされて一応はきれいな石まで、様々です。
しかし、さすがにリジェクションを食らっただけあって、透き通りすぎて色がほぼ見えなくなっていたり、ジュエリーにするには致命的な規模のヒビが入っていたり、まさにそこを魅せたいというところがカケていたり。
……こうやって、商品にならなかった分の労働費も上乗せするから、宝石というものは、どうあがいても高額商品になるのですね。
「さて、やりますか」
気合を入れて腕まくりを……するのは寒いので、服の袖を引っ張って、何となくそんな気分を持ち上げます。
まずは、もっとも硬いだろう、コランダムを選りわけます。
石をじゃらじゃら一か所に突っ込むと、硬い石と柔らかい石とが擦れ合って、柔らかい石に傷がつけられてしまいます。これがモース硬度の差。
コランダムのモース硬度は9で、これを超えるものは、硬度10のダイアモンドしかありません。
ダイアモンドは多分ないので、傷がついていない、もっとも硬い石がコランダム、って寸法です。
軽くルーペで観察しながら、しぱぱぱっ、と仕分けます。
「速い……」
「今、分けているのはコランダムですので」
「慣れていらっしゃる、と」
いえ、見分けやすいだけです……
私はコランダムを一つ手に取り、そして、黒っぽい石を左手に持って、両者をファーガス様の眼前で、ゴリゴリ擦り合わせました。
「コランダムはとても硬いので、混ぜて保管すると、他の石にこのように傷を入れるのです。しかし、コランダムには傷がつかないのです」
「はぁ。この黒い石が、コランダムですか……」
えっ?!
待て待て待て……待って下さい!
アッ! 本当だ! コランダムの方に傷がついて……
「申し訳ございません、ファーガス様」
「はい?」
「……この黒い石は、ダイアモンドです」
「えっ?!」
ええ、私も「えっ?!」ですよ。
色石の研磨工房と、ダイアモンドの研磨工房は、普通は別なんですよ!
色石の価値は、物体透過色の鮮やかさと、深みにあります。
どれだけ美しく光を通させて、色を見せるか、というのが、色石カットのポイントです。
一方、ダイアモンドの価値は、その輝きにあります。
どれだけうまく光を反射させて、光をテーブル面に返すか、というのが、ダイアモンドのカットのポイント。
つまり、求められる技術の方向性が違うのです。
だから通常は、違う工房で専門の技術を磨くはずなのですが。
「……黒すぎて、ダイアモンドだと思われなかった?」
「おそらく、ガーネットだと思われたのかと」
「でも、ガーネットとは比べ物にならない硬さでわかるでしょう?」
ガーネットのモース硬度は、種類にもよりますが、8に達しません。
「よしんばダイアモンドだと分かっても、こうまで黒くては、宝石として商品価値はほとんどありませんので。研磨の手間も面倒くさかったのでしょう」
濁った重い赤色です。明かりにかざして、ようやく赤黒く光る。
「でも、私はなんだか、素晴らしい宝物を手に入れてしまった気分です」
「間違っていません。素晴らしい宝物だと思いますよ」
レッド・ダイアモンドだなんて、とんでもない希少品です。
「どうしたらいいんでしょう?」
「どうもしなくていいと思いますが?」
「ただでもらっちゃって、本当に良かったんでしょうか?」
「向こうが価値を見出していないのですから、問題はないのでは?」
自分にとっての宝物が、他人にとっても宝物だとは限りません。
そして市場価値というのは、万人にとっての宝物、につくのです。
「アリエラ嬢、これは、私と貴女だけの秘密にしてもらえますか?」
「構いませんよ」
「ありがとうございます!」
二人っきりの秘密ときけばロマンティックですが、ダイアモンドが混じっていたという事実を内緒にするだけという……後ろめたさいっぱい?
仕分けを進めましたが、ダイアモンドはさっきのあれだけでした。
なんという確率にぶちあたったんでしょう、私ったら。
前世といい、転生といい、私の運はいろんな意味でレアですね。
「はい、これがコランダムで、これがスピネルで、これがアルマンディンで、こちらがカーネリアンで、こちらがおそらくパイロープ、こちらが多分トルマリンです! あと、こっちはアゲートです」
さすが赤い石の家系。赤ばっかりでした。
多分とか推定とかおそらくがつくのは、すみませんとしか言えません。測定の道具に限界が。あと、私の知識量にも限界というものが……
ファーガス様は、満面の笑みで、石を小袋に分けて詰めなおしていきます。
だから、同じ硬度の石をじゃらじゃら入れたら、傷がつきますって!
……いえ、大半の石がすでに傷とカケだらけですが。
「労働と、秘密の対価、要求してよろしいんでしょうか?」
これでただ働きだったら泣いちゃいますよ!
「貴族は対価を要求しないものですよ?」
……よーし、泣いちゃおう!
ダイアと色石の研磨を両方やるところは少ない → 某ルビーのお店より
ガーネットのつもりが…… → デ・ヤング・レッド・ダイアモンドの実話
ちなみに、デ・ヤング・レッド(De Young Red Diamond)は、ムサイエフ・レッド(Moussaieff Red Diamond)、カザンジャン・レッド(Kazanjian Red Diamond)に続く、世界で三番目に大きなレッド・ダイアモンド。