さよなら、キャンベルタウン
更新が遅くって申し訳ありませぬ。
第100話にして、ようやく登場。
チェシャーの男は灰掻きなんて慣れてる、という、ネッドの言葉に嘘はありませんでした。降ってくる灰の量も減りましたし、降り方も今はもう「泥の雨のよう」ではありません。
対灰装備らしいフード付きのマントをかぶせられ、移動を開始します。予想していたより軽い布地です。素材は何なのでしょうね?
さて、馬と、ロバにひかせた車で、庁舎へ。私は馬に乗りました。理解したのです。車輪がついているものに乗ると酔う体質なのです、私は。
キャンベルタウンは、人口では小さな町ですが、家は密集を避けてまばらに建てられています。そして、あちこちに灰捨て場がもうけられています。郊外寄りにあるネッドの家から、町の真ん中にある役場の庁舎へ行くのは、幼女には徒歩だと厳しいのです。
ちなみにばあやは「今は馬には乗りたくない」という、大変よく解る理由で、車の荷台です。しっかりとクッションを敷いて座ったあたり、腰はまだ本調子ではないと思われます。
別れ際、ネッドはうまく言葉が出てこないようでした。ですから私は、なるべく明るく微笑みました。笑顔は言語を超えるのです。前世、日本からアメリカに移住した時の経験談です。
「生きててね。そうしたら、私、すっごい論文を見せてあげるから!」
「……そんな高尚なの、俺には分かんねーよ」
「もちろん、私がどれだけすごい成果を挙げたのか、ちゃんと分かるように、手紙も添えるわ!」
「だああぁ……もー、これだからガクジツ貴族ってのは」
嬉しいような、でも、もちろん困惑した表情で、ネッドは帽子を外し、髪の毛をくしゃくしゃと掻きまぜました。今までの交流に感謝して、私は、学術貴族の敬礼をしました。
これで、ネッドやその家族たちとは、お別れです。
バーナード氏に抱き上げられ、鞍の上に乗せられると、ネッドは一気に遠くなりました。体の柔軟性が許す限り、手を振ります。ネッドもその家族たちも、大きく手を振って応えてくれました。
なお、ワーンサイド山脱出の時と同じく、今回もバーナード氏が、私の後ろで馬を操って下さっています。アルビノアの6歳児は、馬なんて乗れませんからね。
チェスター子爵レイノルド様は、幼女の療養中に火山が噴火したことについて、ずいぶんとご心配下さっているようです。
「……バーナードさん」
「はい、何ですか、アリエラ嬢?」
「今回はチェンダースクートが噴火しましたけど、ダンもネッドも、次の噴火があるって確信しているような口ぶりでした。『七人騎士』の噴火が連動するのは、よくあることなんですか?」
「フーム……」
バーナード氏の前に座っているので、もちろん顔は見えません。見えませんが、何となく察せられます。
「連動している……つまり、一つの火山が噴火したら、何か月か置いて次の火山が噴火する、これを説明できる理論がある、ということですか?」
「ええ……あまり喜ばしくはない理論ですけれども。ところで、『七人騎士』の噴火について、バーナードさんや周りの方々は、どう理解されていたのでしょう?」
「我々は、七つの火山が入れ代わり立ち代わり噴火する、と理解していました」
わぁ。どちらにせよ、灰の対処に慣れないと、暮らしていけないような土地ですね。あと、入れ代わり立ち代わりとはいっても、七つの火山の連動噴火は、何か月か空いているわけですから、七つ全てを合わせても、桜島の活発さには到底及ばないわけですか。一日三回、年間千回の噴火って何なんですかね。まぁそれは、大正以降の話だった気がしますが。
しかし、疑問がわきます。わかずにいられません。
「そんなに頻繁に噴火するのに、地下にもぐる岩塩の採掘が出来たんですか?」
「今回は、アリエラ嬢のために大事をとって出ましたが、我々地元民は慣れていますので、落盤対策の退避壕に逃げ込んでしまうだけです」
なるほど、つまりやはり、レイノルド様の過保護……じゃなかった、ご厚情。
「噴火の間隔はどのぐらいなんでしょうか?」
「平均して、三か月です。半年近くも他の山が黙っていたこともあります。かと思うと、ひと月足らずのうちに、その次の噴火があったこともありまして」
「なるほど。今回は最悪の想定で避難したわけですね」
ウワァ、いやな仮説が出てきちゃいそう。
噴火が連動するということは、つまり、マグマだまりが繋がっている可能性大。
地図を確認しなければ、ただの妄言にすらなれませんが……
ねぇまさか、あの、ミドルウィッチに塩化ナトリウムを流し込んでいる盆地……
あれ、カルデラだとか言わないでくださいよ???
待って、まだ妄言の段階ですけど、もしそうだとしたら、恐ろしい大きさのカルデラです。アルビノアでAso-4並みの破局噴火が発生したら、私のブラブラ地質研究人生計画は、木っ端微塵になってしまうんですが。微塵もミジンコも消え去りそうなんですが。
え、やだ。それは困る。困ります。せっかく転生できたのに。
「本当に、火山国なのですねぇ、アルビノアって……」
「アリエラ嬢がお住みのシムスは、アルビノアの中では火山の少ない地域ですからね。スノードンのグウィネッド山は火山ですが、かなり長い間黙っていますし」
「そうですね」
長い間休んでいた火山の方が、恐ろしいんですよ!(個人の所感です)
草津白根山とか、御嶽山とか、大丈夫だと信じていたら、背中から撃ってくるんですよ! 火山弾だの噴石だのをね!! まぁどうせウェンディの時は、登山なんかできませんでしたけどね!
しかし、これは真面目に火山を学んだ方が良さそうです。火山は地下でマグマ、もっと下ではマントルとつながる直通路。想像を絶する環境が、希少鉱物や新しい鉱物を生み出すのです。例えば、ロシアのカムチャツカ半島は、環太平洋造山帯の一角を占め、多くの火山が存在します。そして、何十種もの新鉱物が報告されていました。
私の野望の一つは、新しい鉱物、できれば宝飾品という用途に耐える鉱物を発見し、おじいさまの名前をつけることです。もちろん、エレンお姉さまの宝石も!
そのためには、危険と隣り合わせ故に忌避されている、火山周辺こそが狙い目!!
とはいえ、火山噴火とそれに伴う諸々が、人類にとって災害であることは紛れもない事実。
やっと着いた市庁舎では、災害対策会議の本部で、実におそろしい晩餐会が開かれていました。
なるほど、ばあやが「研究が忙しい」という理由でお断りを差し上げたのも納得です。こんな状況でも、貴族が来たら晩餐会の申し込みをしなければならないなんて、頭のおかしい慣習ですよね。まぁ、そこで「はい是非とも!」と回答する愚か者を、あぶり出すためなのですけれど。
町長を真ん中に、副町長がその右、書記官が左に着席し、それが上座です。ちなみに役職はプレートに描かれてありました。そして、下座は両側に二列ほど長机が並べられ、関係者と一同が着席。ちらほら歯抜けもありますが。
各員の割り当て区画があるらしく、机上を見ると、だいたいどこまでが占領地域かが分かります。すなわち、山盛りの書類、走り書きと筆算だらけの反古紙と、インクで汚れまくったペン軸を何本も突っ込んだペン立てと、壊れたペン先を乱雑に突っ込んだ箱が、手を伸ばせば届く範囲。
食事時なのでしょう。それらをどけた真ん中には、軍用糧食が置かれていました。皆さん、スープの缶詰に、直接スプーンを突っ込んで召し上がっています。
それから、ものすごく硬そうなぶ厚いビスケットを、スープが残ると思しき缶に放り込まれる方、そのままボリッボリッと噛み砕いて召し上がる方……
あれ、私が噛んだら流血沙汰ですね、間違いなく。まだチラホラ残る乳歯が、ぐらりぐらり……絶対にふやかしてから食べましょう! もし食べざるを得なくなったなら、ですが。
会議場の端をチラリと見れば、携帯湯沸かし器がいくつも窓の傍に並べられ、すでに蓋を開けた缶詰が、湯の中に立てて並べてありました。火の通ったものから厚手のミトンで掴み出し、お盆にのせて渡しているようです。お盆を受け取った人は、鷲掴みに持っていたスプーンの束を、器用に一本ずつ缶詰に突き立てていきます。見事な早業です。欲しい人に渡し終え、食べ終わった人からは回収。
皆さん、慣れていらっしゃるのだということが、見ているだけでよく分かります。
缶詰に何度もスプーンを突っ込んで栄養を補給しながら、資料を行ったり来たり、その隅や裏にメモや計算をしている。そんなお役人さんたちの姿を見ていると、少し、悔しくなりました。
もしも私が幼女じゃなかったなら、何かお手伝いができたかも……いいえ、これは傲慢ですね。たとえ私が大人でも、キャンベルタウンのことなんて、数字でしか知らないのですから。
「お嬢様、お部屋をお貸しいただいたので、出発までこちらで」
そう呼びかけてきたばあやの声に、ほっとしました。自分の無力を感じ続けるのは辛いものです。
用意されていたのは、この町の庁舎の貴賓室でした。
幼女には不相応だと思いましたが、二つの理由から納得するしかありません。つまり、私が領主であるチェスター子爵レイノルド様の客であるということと、私自身が、建国以来800年続く「アルス」家系の娘であるということです。
優生学なんてゴミだと思っているのですが、今回はふかふかのソファを有難く堪能します。たとえ中身は女子大生でも、私の体は幼女なのです。幼女の体が、ふかふかを求めているのです!!
疲れが溜まっていたのでしょう。気がつけば寝落ちしていたのです。ばあやに起こされ、慌てて口元を手で拭います。良かった! ヨダレは垂れていません!
「チェスター子爵のお迎えが?」
「ええ。ささっとお仕度をして参りましょう」
寝こけていた間に出来たシワを、誤魔化します。木綿の服は、一度シワができると、アイロンを当てなければならないのですが、今は冬なので毛織物。叩いて引っ張って出来上がり。
その間に、ばあやが、崩れた髪型を整えてくれます。
てんやわんやの対策会議は、まだまだ続いています。
会議室の前に立って、学術貴族式に敬礼。
私に気が付いた町長さんが、国際共通式の敬礼をしてくれました。それに気づいた他の方たちも、次々と私に敬礼してくれます。お忙しい中に申し訳なく、私は深々と頭を下げました。
「アリエラ・アルステラ子爵令嬢!」
真っ暗な闇の中、対灰装備のフード付きマントをかぶった御者が、ランタンを持った腕を大きく振っていました。
ばあやと共に、馬車に乗り込みます。荷物はカバーをかけて、後ろの荷台へ。
もちろん、ばあやのためのクッションと、私の乗り物酔い対策のミントキャンディは、中へ持ち込みます。さすがにお迎えの馬車の中で、吐くのは避けたいのです。
「馬を替えながらどんどん飛ばします。腰に固定ベルトを締めて下さいね」
アッ……終わりましたね……。終わりました。私の吐き気と、ばあやの腰……
途中の宿は一か所。行きは三日かかった道を、二日で駆け抜けました。
スクランブルエッグに胡椒。そしてスープ。私が宿で口にした全てです。パンなんて、とても入りませんでした。固体なんて無理なのです。
ばあやの湿布のにおいは日々強くなり、私はミントキャンディを何粒もなめ尽くした他、残り少ないチョコレートを食べ尽くしました。
そして、チェスター子爵のに辿り着いた時には、私たち二人は、揃って半死半生だったそうです。
はたと目が覚めれば、すでに日が昇っている気配。
高緯度アルビノアの冬で、日が昇っているだなんて、真昼前後ですよ! ずいぶん眠っていたのですね。いえ、ここに着いた時の記憶などありませんけれど。
枕元のベルを鳴らすと、チェスター子爵邸のメイドさんが来てくれました。ばあやはきっと、まだ立ち上がれないのでしょうね。ゆっくり養生してください。是非。
「ご朝食です。どうぞ」
「ありがとう」
どうせボロボロこぼすので、寝間着のままいただきます。
道中の様子が伝わっていたのか、スクランブルエッグと胡椒、そして玉ねぎと人参のコンソメスープです。それと、私のこぶしほどの小さく丸いパンが二つと、赤いジャムとバター。
スープをいただき、次にスクランブルエッグをいただきます。
「食べ終わったら、お風呂に入りたいの。準備をお願い」
「かしこまりました」
たっぷり寝て、少しは回復したのでしょう。まだ食べられそうです。パンは柔らかく、幼女の力でもちぎれます。ジャムとバターをちょこっとつけて、いただきます。
お砂糖をたっぷり入れたミルクティーを飲んだら、お風呂前に少し休憩。
じっとしている間に考えるのは、三つの論文のことです。岩塩坑における呼吸器疾患の改善。チェシャーにおける岩塩坑の形成。それから、ネッドから聞いた、あの話。
フィーンズ山の窪地……近づくことも危険なら、穴の深さの計測は不可能です。超低周波の測定も、どうしたら良いんでしょう? 前世に聞いた機器の数々があれば……いえ、科学者として、ない物ねだりはいけません。しかし人体への有害性についての検証……後回しにしましょう、とりあえず、この論文は。
呼吸器疾患の改善は、アルスメディカ一門にお任せするとして、私のまず書くべきは、ミドルウィッチ周辺の岩塩層の形成でしょうね。
周辺の火山における、塩化物イオンとナトリウムイオンの供給元……
あまりに深く考え込んでいたので、ノックの音で固まってしまいました。
バァン! と勢いよく開かれた扉から入ってきたのは、明るい栗色の髪をたっぷりと揺らし、夏空のような明るい青の目をした女性でした。見たことのない顔ですね。
「風呂に入りたいそうだな、アリエラ! 一緒に入ろうじゃないか!」
「……どちら様ですか?」
「私を忘れてしまったのか?!」
彼女は大仰によよよと泣き真似をしました。
まさか……私をファーストネームで呼び捨てにする、この女性は……
「ルビーナお母さま?」
「おお、思い出してくれたか!」
「お名前だけは」
お顔なんて覚えていませんよ! 私がまだ乳児のうちに、スカンジアだのオルクネイヤ諸島だのの火山調査に行ってしまったんですからね! そして当地で温泉を楽しんでいらしたとか、おじいさまが仰っていた方なんですからね!!
火山学を学びたい今の私にとって、会えたことは僥倖ですけれども。
「つれないことだ。その物言いは義父上に似たな」
「娘と火山、どちらが大切なのです?」
「……大切なのはお前だとも。だが私は火山学者なのだ」
へーえ。ふーん。そうですかぁ?
まぁ、予想はしていましたよ。お父さまと違って、そこまで離れてはいない地域での調査なのに、娘に手紙の一つも送ってこないのですから。
ここで会ったが百年目。知識の限りを搾り取ってくれます!
前回案内されたのとは違う道を、とてとてと進みます。
お母さま曰く、複数人で一緒に入るお風呂も、別にあるとか。
脱衣所に入ったら、服を脱ぎ……一人で出来ますってば!
少々ぶすくれつつも、スパァンと潔く全裸になった母親を見上げます。
「……お母さま、その右肩の傷は?」
「ああ、これか? オルクネイヤで噴石が当たったんだ。何、全治半年もなかったし、大したことはない。まぁ、海の荒れる時期で、医療設備の整った島に渡るのに難儀したが」
「私にお手紙を下さらなかったのも、海のせいですか?」
そう問えば、アッ、と思い出したように目を逸らされました。
「忘れていたのですね? 忘れていたのですね、娘のことを??」
「いや、まさかもう文字が読めるほど、大きくなっていただなんてな!」
「それだけじゃありません! 5歳の誕生日には、レポートをまとめて、発表だってしたのですからね!」
あとちょっと! あとちょっとで、第3章が終わるはず!!




