表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/56

第8話 塩の沼(1)

 ユナグールからクレムまでは意外に近かった。トーコにとってむしろ遠かったのは、ヘーゲル医師宅から西門のほうだった。町をほぼ横断するのに時間がかかるので、集合時刻はとんでもなく早く、トーコは半分寝ぼけ眼でハルトマンのよこしてくれた迎えについていった。

 移動は馬ではなく船だった。ユナグールからはクレムまでは河を遡って二日。員数外のトーコは荷物の間で丸くなった。昨夜遅くまでヘーゲル家で馳走になっていたハルトマンは元気いっぱいの様子だが、トーコはまだ眠り足りない。

 ベアに置いてけぼりにされて憤懣やるかたないトーコに話を持ちかけたのはハルトマンだった。

 「ゲルニーク塩沼? そんなに行きたきゃ連れて行ってやる」

 「別に塩を採りに行きたいわけじゃない」

 興味はあったが、トーコがふてくされているのはそこじゃない。しかし無神経男ハルトマンは、

 「どうせ暇だろ、お前」

 「暇じゃないもん。魔法の練習もしなきゃいけないし」

 「ちょうど水係が欲しかったんだ。好きなだけ練習していいぞ。存分にやれ。報酬は塩だ。欲しいだけ持って帰っていい」

 「塩~?」

 トーコには全然魅力的でなかったけれど、逆に目を輝かせたのはバベッテだ。

 「塩が好きなだけ? あら素敵」

 「え、バベッテ姉さん、塩なんかいるの?」

 「いるに決まってるわよ。毎日のお料理にも使うし、お肉や野菜を塩漬けするのにも使うし。特にこれから冬に向けて塩漬けを作るのに沢山使うわ」

 「そうそう、塩をケチると保存が悪くなるけれど、量があるから結構馬鹿にならない金額になるんだよな」

 「だからわざわざハルトマンさんが採りに行くの?」

 「あほか。軍務に決まっているだろう。塩を採掘する鉱夫の護衛だ」

 「でも、ぜったい志願したでしょ」

 「当然。前線組を行かせたら、糧食を消費するだけ消費して、塩なんぞ一粒も持って帰りそうにないやつらばかりだ。護衛も大事だが、塩の確保も大事だ」

 ハルトマンはふんぞり返ったあと、昨今の塩価格についてバベッテと愚痴をこぼしあっていた。ボウル一杯分のサンサネズの実をアカメソウの実と同じ要領で乾燥させながら、トーコはバベッテが喜ぶならと気乗り薄のまま行くことに決めたのだった。

 船旅は暇だった。仕方がないので、ひたすら空間拡張魔法の練習に励んだ。一辺三十センチから初めて、一メートル、三メートル、五メートル。縮むのには何日かかかるのですぐに暇になる。解除してやり直してもいいのだけれど、どのくらいの魔力を注いだらどのくらい保つのかも知りたい。ハルトマンの部下が紙に細い針金を刺して荷物のラベルにしているのを見て、真似することにした。いつ、どんなサイズで作成したかメモを貼っておく。

 手持ちの麻袋のほとんどに掛け終わってしまいあっという間に暇になる。水を生成して氷もあれこれ作ってみる。飲み物に入れる用の小さな立方体、カキ氷用の大きな直方体、ヘーゲル医師のお酒に使えそうなグラスサイズの球形。イマイチ用途が思い浮かばないので、練習も中途半端でなんだか消化不良だ。水から氷への変換だけは早くなったけれど。

 風の刃で氷を削るのは結構難しく、うまくカキ氷を作れるようになるにはだいぶかかった。問題は、カキ氷シーズンは終わったばかりなのと、シロップがないことだ。お椀とスプーンを抱えて船端でひとり寂しく氷をショリショリ削っていたら、ハルトマンにこめかみぐりぐりの刑を受けた。

 「あほか、お前。こんなところで目立つ魔法を使いやがって!」

 「だって練習しなきゃ! それに好きなだけ魔法使っていいってハルトマンさんが言ったんじゃない! ちゃんと邪魔にならないところでやってるし!」

 「兵士どもが怯えるだろ! いいかげんその辛気臭い顔をどうにかしろ」

 三枚のお札の山姥扱いにトーコが憤慨していると、

 「ところで、なんだそのお椀は。氷でも食うつもりか」

 「つもりじゃなくて食べてたの。本当はシロップをかけて夏に食べるものだけど、とりあえず今は食感の確認。粒粒が残るのも美味しいけれど、やっぱりふわっと薄く削れて、口の中でさーって溶けていくのが一番美味しいと思うんだよね」

 「ほう。シャーベットとは違う感じか」

 「果汁を凍らせて? それはそれで良さそう。一回凍らせて、削って攪拌してもう一回適度に凍らせて……いけるかも」

 「あれは凍りきる前にかき混ぜるんじゃなかったか?」

 「そうなの? じゃ、両方試してみよう。一気に凍らせないで、ってのはやってないな。調整が結構難しそう」

 やっと少しいつもの調子に戻ってきたトーコにハルトマンはもう一押ししてやった。

 「昼に寄る町で適当なのを探したらどうだ。おごってやるから全員分作れよ」

 「わーい」

 約束どおりハルトマンは昼の休憩で船を止めた町にトーコを連れて行ってくれた。ハルトマンの用事はよその管轄区域に入らせてもらいます、という挨拶だけだそうなので、トーコは外で待つことにした。ユナグールとは比べ物にならない小さな町だが、ハルトマンが兵士をひとり置いていってくれたので、果汁探しのついでに市場を冷やかすことにする。

 もう朝からの市場が終わる時間なので、店じまいをしているところも多い。売っているものはユナグールと大して変わらないが、魔の領域の産物はほとんど見なかった。普通の野菜ばかりというのがトーコには珍しい。たまにあってもユナグールより価格が高めだ。逆に農家が直接持ち込んでいるらしい卵やチーズはユナグールより若干安い気がした。

 これは帰りにバベッテにお土産に買って帰るべきか? 立ち止まって考えていると片付けはじめていたおばさんが誘いの水をかけてくる。

 「安くしといてあげるから、買っていかないかい」

 これからクレムまで行くので無理。分かっているのについ反射的に「いくら?」と訊いてしまった。バベッテの癖がうつった。

 「ひと盛十タス」

 籠に一ダースくらいの卵が入っている。トーコが知っているスーパーのパック卵より小ぶりだ。

 「うーん。やっぱりいいや。ごめんなさい。すぐ家に帰るわけじゃないの」

 店を離れようとするとすかさず、

 「ふた盛十五タス」

 「下さい」

 安い、と思った瞬間答えていた。後ろで兵士がええーっと声をあげてはっとしたけれど、おばさんに毎度! と言われてしまった。

 「どうするんですか、それ」

 「どうしよう?」

 うっかり買った卵を抱えたトーコに兵士があきれた目をする。

 「玉子焼きにして皆で分ける?」

 「フライパン持ってきていませんでしたよ。鍋しか」

 鍋でも作れないことはないと思うが、鍋を占領してしまうのはまずいだろう。ゆで卵というわけにも行かない。人数分ないのは、ないのと同じ、がハルトマンの持論である。絶対許可が出ない。食べ物の恨みは恐ろしいのだ。

 「ゆで卵……あ、これ実験に使えるかも!」

 卵も無駄にならないし、ハルトマンにも怒られない。よしよし。実験計画を練りながら、歩いていたトーコの視界を鮮やかな色が横切った。

 「あれ何?」

 「何って、神殿ですね」

 「違う、その前でなんか売っている人」

 「お守り売りじゃないですか」

 兵士の声音はあからさまに胡散臭げだったが、かまわずトーコは突進した。

 「おじさん、それおいくら?」

 「旅の安全祈願なら二十五タス、恋のお守りは三十タス」

 「どの袋がどれなの?」

 「ここに下がっているのが旅の安全、ここからここまでが恋愛成就。中央からえらい坊さんが来たときに祈祷したありがたいお守りが入っている」

 「中身いらないから、袋だけ頂戴」

 「袋だけえ?」

 お守り売りは兵士に負けず劣らず胡散臭げな顔をした。

 「うん、袋だけ」

 「恋の成就なら……」

 「それ要らない」

 「これは中央から偉い坊さんが……」

 「価値あるのは中身なんだね。袋だけだったら当然五分の一以下だよね」

 「んなわけあるかい。一枚最低でも十二タスは……」

 トーコはにっこりした。

 「ありがとう。十枚買ったらいくらにしてくれる?」

 目的を果たし、ほくほくして振り返ると、兵士がなんともいえない顔で見ていた。

 「どうしたの?」

 「いえ、さすがハルトマン隊長の妹弟子だな、と……」

 ほめ言葉かけなし言葉か判断つきかねていると、当のハルトマンが探しに来た。

 「少しもじっとしとらん奴だな。市場中を探したぞ」

 「そんなに広くないじゃない」

 「果汁は見つかったか」

 「あ、忘れてた」

 こめかみぐりぐりの刑を喰らって、ハルトマンが見つけたブドウジュースを買って市場を後にした。

 純粋な水と違って不純物の多い液体を凍らせるのには余分の魔力がいる。そして、削るのにも氷とは違う力加減が必要だった。

 一度適当な大きさに砕いたジュースを障壁で覆い、その中で小さな風の刃を数枚回したら、シャーベットというよりスムージーになってしまった。

 「これはこれで美味しいですけれど、完全に液体ですね。器がありません」

 「そういやシャーベットも器の問題があったな。皿出してやるから自分で洗えよ」

 「うん。お皿に余白が多いと寂しいかな。ハーブとかブドウとか飾り用にあればよかったかも」

 トーコは以前食べたプレートデザートを思い起こした。

 「いらんわそんなもの。ボウルいくつかに分けて勝手に掬って食べさしゃいいだろ」

 「皿ってそういう意味……」

 こういうとき、使い捨てカップ容器の偉大さを思い知る。資源の無駄使いであろうと、利便性の高さはそれを上回る。

 満足の行く出来になるまで何度も凍らせては削りを繰り返して、ハルトマンと料理係の兵士に試食してもらい、一時間もかかってしまった。口の中がすっかり冷たい。

 作ったシャーベットを四つのボウルに分ける。そこに時間凍結魔法をかけて、あとは時々溶けていないかチェックすればいい。時間のある時に作業しておいて食べるときまでこの状態を保てるのだから、なかなか便利な魔法だ。

 暖かいお料理を暖かいままにしておくのにバベッテは火を落としたオーブンにいれているけれど、この魔法があれば、食卓に出しておいて、食べる直前に解除すればすむ。特に暖かいお料理が何品もあるような時に使える。バベッテはそんなことにならないようにメニューを組んでいるけれど、オーブンのスペースを気にしなくていいならバリエーションが広がるはずだ。

 試食に使った器とスプーンを洗って返し、ハルトマンたちは仕事に戻っていった。トーコはベルトポーチから買ったばかりの卵を取り出した。割れたり崩れたりしないようにコーティングしておいた障壁魔法を解除し、卵の殻に直接シャープペンで番号を書く。一番の卵以外に時間凍結魔法をかける。どの程度魔力を込めたらどのくらい時間をとめて置けるのか分からないので、がっつりかけておく。適当な熱湯を作って卵を投入。ハルトマンから借りた懐中時計を睨みながら、一分ごとに番号順に時間凍結魔法を解除していく。この大きさの卵を茹でるのにさすがに二十分はかからないだろうと思ったので、ナンバリングは二十までだ。二十分後、卵を氷水で冷やしていると、ハルトマンが覗きに来た。

 「なにやってるんだ」

 「美味しいゆで卵をつくる実験。暇なら殻をむくの手伝って。一番からね」

 暇じゃないといいつつ、ハルトマンは卵を剥きにかかった。単に食べたいだけだろう。新鮮な卵だから殻が綺麗にむけるか心配だったけれど、急速冷却のおかげでそう苦労なく殻が外れる。ハルトマンの剥いてくれた卵を小さな風の刃で半分に切る。

 「だいぶ固いな」

 「だろうね。二番も大して変わらないみたい」

 ふたりでひたすら卵の殻を剥く。

 「このあたりから美味そうになってきたな」

 「わたしはもうちょっと半熟部分が広いのがいいなあ」

 「それだと白身の弾力がやわくなるだろ。こんくらいでちょうどいい。この実験、帰りにやったほうが良かったんじゃないか。塩が欲しい」

 「ちょ、何勝手に食べてるの。人数分ないのに!」

 「そろそろ手で剥くのは限界だな。これ以上柔らかいと器が要る」

 「借りてくるね」

 トーコは返したばかりの器をまた借りに走った。途中からは生卵を割る要領になった。見ているとなんだか次は温泉卵を作りたくなってきた。

 「おい、この卵変だぞ」

 ハルトマンが二十番目の卵を怪訝そうに指の背で叩いている。時間凍結魔法がかかりっぱなしの卵だ。

 「うん、生だと思うよ」

 「生がどうかは知らんが割れないぞ」

 「え、そんな馬鹿な」

 ふむ、とハルトマンは器の底に思い切り卵をたたき付けた。

 「わっ!」

 「ほらな」

 ハルトマンが差し出した器の中に卵はひびもなく転がっている。思い切りが良すぎる。

 「ええーっ、なんで?」

 「俺に聞くか。なんの実験をやっていたんだ?」

 時間凍結魔法、と言おうとして慌てて両手で口に蓋をする。さっき氷魔法と風の刃の魔法を、だから人に手持ちの魔法をばらすなと言っただろ! と叱られたばかりだ。

 「ほう、ちょっとは学習したか」

 「したよ!」

 トーコはこめかみを押さえてハルトマンから距離をとった。

 「だけどここで俺に口をつぐむってことは、まだ俺にばらしてない魔法だな」

 トーコは冷や汗をかきながら必死で視線をそらせた。ここで反応したらダメだ、ここで反応したらダメだ。それだけでバレる。またこめかみぐりぐりの刑がくる。あの攻撃を何とか防げないものだろうか。

 「う、器返してくる!」

 戦略的撤退を選んだトーコは外中逆転温泉卵の入っている器を引っつかんで身を翻した。

 「あほ!」

 ハルトマンが怒鳴るのと、ひじで作ったばかりのシャーベットのボウルを突くのが同時だった。もともと荷の上に不安定においてあったボウルが逆さまに床に張り付く。

 「ほんと碌なことせんな、お前! あー、もったいない」

 「だ、大丈夫。障壁魔法を張っておいたから」

 ほこりが入ると嫌なので、ラップ代わりにボウルに被せていたのだ。良かったーと思いながら、ボウルを拾い上げる。

 「ほら、大丈夫」

 「まったく、落ち着きのない」

 トーコは笑ってごまかし、ふと気がついた。障壁魔法にシャーベットは付着していなかった。というより、シャーベットがボウルの底に張り付いて、逆さまにして振っても落ちてこない。

 「なんで?」

 障壁魔法をシャーベットに押し付けて固定しているならわかる。でもラップしていただけだ。

 「この卵どうするんだ?」

 「うん」

 「ちゃんと片付けておけよ」

 「うん」

 「聞いてないな」

 「うん」

 シャーベットを冷たくしすぎてボウルに張り付いた? いやでも、ボウルは金属製じゃなくて木製のだし、こうして持っていても特に冷たい感じはないからそこまでの温度じゃないと思う。

 考えていたら耳を引っ張られた。

 「片付けておけよ!」

 ぐわんぐわんする耳を押さえてトーコはとりあえずシャーベットのボウルを戻して片付けるために外中逆転温泉卵の器を手にとった。器の中でぷるんと揺れる卵を見て思い至った。もしかして。ためしに時間魔法を卵に掛けてみる。ぷるぷるしていた卵がぴたりととまる。スプーンの柄でつつくと、

 「硬い! これか、割れない卵の正体は!」

 「なにがどうした」

 「シャーベットも、もしかして。あ、やっぱり固い。危ない危ない、このまま皆に出していたら食べられなかったよ~。うん、解除すれば平気だね。ん? でも底に張り付いてはいないなあ。つつくと動くもの」

 そういえば、前に魔の領域で会った魔法使いのお姉さんが生きている人間相手に使うとカチンコチンになると言っていた。卵はカチンコチンだが、器の中でプラスチックの見本みたいにカタカタ動いている。

 「あ、もしかして!」

 トーコは一度時間凍結魔法を解除して、今度は器ごと時間凍結した。予想通り、卵は器にくっついたままびくともしない。シャーベットの謎が解けた。

 「できたーっ!」

 「やかましいわっ!」

 トーコの雄たけびは悲鳴に変わった。


 卵は料理当番兵がかき卵きもどきを作ってみんなに食べさせてくれることになった。ゆで卵と呼べるほど固いのはトーコがスムージーを作るのに使った風の刃と障壁魔法で刻んだ。見ていた料理当番兵が野菜のみじん切りに使えそうだと感想を漏らしたので、今度やってみよう。もっと微調整がきくようになればフードプロセッサーとして使えそうだ。これはいい魔法を覚えた。

 卵をいれた金属製ボウルを熱湯で湯銭しながら巨大しゃもじで根気よく混ぜると、火がなくても卵料理ができた。調理時間前、火気厳禁な船の上なのでこれは提案した料理当番兵のファインプレーだ。大皿に移して時間凍結の魔法で食事の時間まで保管する。

 でも使えるというなら時間凍結魔法も相当使える。

 かき卵の皿をどこに置こうか考えて、思いついたのが器にくっついた外中逆転卵だ。これって、簡易接着剤に使えるんじゃない? 皿の底を壁面に付けてみたらうまくいった。見た目はまるで飲食店の店先に展示されている食品サンプルだ。なんだか懐かしい。

 きっと時間凍結魔法をちゃんと学んだ人ならなんてことないのだろうけれど、トーコ的には大発見だ。

 ひとりで興奮していると、食べ物で遊ぶなとハルトマンにどつかれた。

 そんなこと言ったってシャーベットもあるし、料理を置いておく場所がないのだ。荷物の上をあまり占領しても怒られそうだから、壁ならいいかと思ったのに。仕方なく障壁魔法で棚を作って天井から下げた。平らな障壁魔法を作って組み立てて、接地面を時間凍結魔法で固定すれば、トーコのDIY能力でもなんとかなる。

 「でもやっぱり、どんくらいの魔力でどのくらいの時間固定できるか、ちゃんとやらなきゃだめだな」

 うっかり時間凍結魔法が解けて落下したら困る。でもどうやって止まっている時間を計ればいいのだろう。料理だってすぐ冷めるわけじゃなし。いや、接着能力を活かしてなにかを天井にでも貼り付けておいて、落ちたら音がすればいいようにしておけばいいんじゃない? さすがにここでは落ち着いて時間を計れないし、むやみに大きな音を立てるわけにもいかないので、これは帰ってからだ。いや待て、中ではまずいだろうが、船の外ならどうだろう。コップ一杯分の水を凍らせて、篭める魔力の量を少しずつ変えながら時間凍結魔法で船べりに貼り付ける。時々落ちていないか確かめていると、ハルトマンが、

 「お前はどこへ行ってもやりたい放題だな」

 と言った。でも邪魔にならなければ止めろとは言われないので、トーコは往路の二日間、時間凍結魔法に没頭できた。


 クレムの町はトーコが想像していたよりも小さかった。同じく魔の領域に接しているユナグールとは比べ物にならない。聞けば、年に一度、塩の採掘のために鉱夫を入れる塩沼以外はあまり産物がないということだった。高山に阻まれて他への移動が容易でないことの他に、中で水が得られないのも活動域を縮める理由だ。

 ただし、塩の産出は公国東部域にとって貴重な命綱であり、この時ばかりは各地の国境警備隊とギルドが交代で護衛を務めることになる。交代なのは、塩の強い土地は生き物の長くいられる場所ではなく、護衛も鉱夫もいられるのは三日が限度だからだ。何かが原因で足止めを喰らうことを考慮して、予定では塩沼での作業は二日交代である。

 数は少ないとはいえ、魔の領域なので、魔物は出る。元々の生息数は少なくても、塩を舐めに普段の生息域を外れてやってくる魔物もいるらしく、日頃魔物の相手をしなれている国境警備隊とギルドの狩人たちが相当数動員される。

 クレムは塩で成り立っており、小さな町なのに塩商人の豪邸が立ち並んでいた。近くの人の領域にも塩鉱山があり、町の外には塩の精製所が大小立ち並んでいて、不思議な光景だった。

 宿舎で一泊し、翌朝には鉱夫とともに魔の領域に入る。行きには水を、帰りに塩を運ぶのはトロッコである。魔の領域にこんな人為的な設備があるとは思わなかったが、平らな半砂漠地帯なので、敷設自体は難しくないらしい。ただし、すぐに鉄がさびるので、そのメンテナンスが大変だと、一緒に歩いた鉱夫に聞いた。

 鉱夫たちも道具はすでに現地にあるので、自分の私物だけ持ち、トロッコには水と食料を主に積んで、これを交代で押しながら進むことになる。

 まだ塩の気配はないのに、石がごろごろしている白っぽい大地に緑は少ない。針のように鋭い葉の潅木がぽつぽつとあって、たまにトカゲっぽい小さい魔物を見たけれど、魔の領域とは思えない静かさだ。

 昨夜トーコたちと入れ違いに魔の領域から出てきたギルドの人によれば、塩の結晶に似た額の鱗を残して地面に身を隠し、塩を舐めに来た魔物を襲うシオヘビなどがいるらしいが、もともといる魔物よりも塩を舐めに来る魔物のほうが厄介らしい。周囲を高山に囲まれた極端なくぼ地のため、魔物にとっても来にくい場所だが、それを越えるだけの力を持った大物が来るという。だから、ギルドでは狩人と魔法使いを中心に編成をたてるらしい。

 「トーコは常に水樽に気を配ってろ。こぼれるから満杯にはするなよ」

 さっそく水係に命令が飛ぶ。トロッコに固定された水樽は四つ。隊列に均等に配置され、トーコはこれらの間を行ったりきたりしながら、歩くことになる。トーコの足ではいくらがんばっても一度隊列の後ろに下がったら前に戻るのは無理なので、後ろから前に移動するときは移動魔法でずるをする。移動魔法で前に戻ったらまたてくてく歩いて、でも屈強な兵士と鉱夫の速度についていけるわけがないので、自動的に水樽の前を通過して最後尾に戻っているという按配だ。

 「疲れたら適当なトロッコに乗ってかまわんぞ」

 「また人をお荷物扱いして」

 「トロッコで運ばれたら名実ともに荷物だな。心配せんでも、お前ひとりくらいたいした重量じゃない。水樽より軽いし、ここで水係にへたばられたら目も当てられん。見栄張ったところで迷惑なだけだ」

 「いつもは水樽を何十も押していくんだ。お嬢ちゃんひとりくらい、どってことないさ」

 鉱夫の取りまとめ役の人もそういってくれたので、トーコがせめてものお礼に樽に氷を入れたら、あほ、とハルトマンに怒られた。

 「お前、ほんと碌なことをせんな! こんなに冷やしたら腹こわすだろ! 限度をわきまえろ」

 仕方ないのでせめても誰かがうっかりヘビやトカゲの魔物を踏みつけたりしないように、探査魔法で周囲を探ることにした。でもいるのは小物ばかりだ。

 日差しがきついのでモリガエルのフードをしっかりとおろす。景色も代わり映えなく、退屈である。樽の中身も探査魔法でチェックしているので、巡回もなくなってますます暇である。

 トロッコに揺られながら、トーコはポーチからお守り袋を取り出した。空間拡張魔法の練習のために買ったのだが、時間凍結魔法に夢中になってすっかり忘れていた。お守り袋というか、今となってはただのミニ巾着。塩を入れてバベッテへのお土産にするつもりだ。どのくらいの速度で縮むのかいまいち掴みきれないけれど、とりあえず一辺十メートルの明確なイメージで中を広げる。

 「よく見ると、縫い目が粗いなあ」

 見た目はかわいいのだが、ちょっと雑なつくりだった。塩がこぼれないように、障壁魔法を中に張る? でも障壁魔法は空間拡張魔法や時間凍結魔法と違って長持ちしない。ん? 長持ち? 障壁魔法に時間凍結魔法をかけたら保つんじゃない? 試しにやってみて、障壁魔法への魔力供給を絶つ。おお、残ってる! 魔法にも時間凍結魔法が有効だとは思わなかった。これ、空間拡張魔法をかけた袋にかけたら、ひょっとしてこのまま維持できないだろうか? 早速やってみるが、効果はあるのかないのかさっぱり分からない。どうやって効果を計ろうか。

 水を入れて、縮みだしたらあふれて判るようにするか。でも水でやるには移動の続く今ではなく、家でちゃんと置いてやるべきだろう。これはちょっと保留だな。

 昼を回った頃、一直線だったトロッコ線路が二本になった。

 「ここで休憩だ。料理用の水を出せ。鉱夫のほうにもな。必要ならお湯にしてやれ」

 「うん、分かった。ここって何にもないね」

 魔の領域なのに、隠れるものもない。見晴らしが良くて、魔物の接近に気がつきやすいけれど、隠れ潜むベアのスタイルに慣れているトーコには少し落ち着かない。

 トロッコから調理器具と食材、薪を下ろしている兵士のところに行くと、野菜を洗う水だけ先にくれということだったので、適当に水塊を浮かべて、鉱夫のほうへ顔をだした。こちらは今期二回目の入域ということで、手際がいい。数人がトロッコに乗って移動中に芋の皮をむいていたようだ。彼らが樽の中で芋を洗ってくれたので飲み水としては役に立たなくなっていたが。

 とりあえず、鍋に水を満たし、樽の中の汚水を捨てて洗浄して、また満たして。ついでに揺れるトロッコの上で刃を滑らせて指を切った人がいたので治癒する。たいした怪我じゃないけれど、これが意外に喜ばれた。

 「傷に塩水が入ると痛くて痛くて」

 なるほど、因幡の白兎状態なのか。それは痛かろうというわけで、怪我のある人は休憩中に申し出てもらうことにした。

 「前からなんか来るよ」

 兵士たちが手際よく張った日除け兼風除け天幕でお昼を食べていたトーコの探査魔法に何かがひっかかった。魔力もあるが、むしろ質量がある。

 「人がいっぱい来るみたい」

 トーコが伸び上がって前を見ていると、ハルトマンがこともなげに言った。

 「引き上げ組だな。トロッコがここでしかすれ違えないそうだ」

 「だから、ゆっくりお昼休憩だったのか」

 すぐに麻袋や樽に詰めた塩を満載したトロッコとともに、鉱夫と護衛が到着した。護衛はユナグールとは別の国境警備隊らしかった。皿洗いをしていると、先方に情報交換がてら挨拶に行っていたハルトマンに呼ばれた。水の補給をということだったので、水樽を覗かせてもらったが、入域して四日ともなるとトーコには口にするのもためらう代物だ。結局、全部の水樽をひっくり返して、水を捨て、中を念入りに洗浄した。つい先ほど同じ手順を経験済みなので、楽なものだ。ハルトマンに怒られたので、氷は予備の樽にだけにした。

 鍋にお湯を継ぎ足していると、ハルトマンと話していた責任者の若い将校が言った。

 「便利だな。水だけでなく、火いらずか」

 「ううん、根菜は水から煮ないとだめだと思う。根菜だけ水から茹でて貰って、こうしてあとからお湯を足しているの」

 「よく水魔法を使える魔法使いを連れてこれたな。ギルドの斡旋か」

 「いや、こいつは俺の個人的な伝だ。治癒魔法も使えるから、怪我人がいれば使ってやってくれ」

 「それは助かる。あとでひとり頼もう」

 「ささくれが剥けたとか、擦り傷くらいでも治すよ? 塩で痛いんでしょ?」

 将校は破顔して、部下に怪我人を集めるよう指示した。

 「事故か? 魔物か?」

 「魔物だ。弩で追い払ったが、あんな大きな魔鳥は初めて見た」

 「結構出るのか?」

 「たまに出る。魔鳥以外はこちらも大人数だから、ほとんど寄ってこない」

 皿洗いして、怪我人の治療をして、とトーコがバタバタ走り回っているうちにもう出発になった。

 道中は何事もなく、ゲルニーク塩沼へ到着した。途中から地面が更に白っぽくなったと思ったら、塩が混じっているのだという。やがて岩場になり、トロッコの路線が切れた。そこで野営を張るというので、トーコが樽の水を入替えていると、ハルトマンに呼ばれた。

 「そこの暇人、下に挨拶に行くからついてこい」

 「下?」

 塩の結晶がこびりついた岩場を下ると、その果てに広い水の連なりが待ち受けていた。切り立った崖がどこまでも伸びており、海のようだ。海と違って波がなく、岸辺はびっしりと塩の結晶が覆っている。

 「この塩を持って帰るの?」

 岸辺に厚く積もった塩を指してついて来ていた鉱夫の代表に尋ねると、否定が帰ってきた。

 「陸の塩は砂交じりで使えない。沼の中の塩を採るんだ。ほら、向うで作業しているのが見えるだろう」

 岸辺から沼地に百メートルほど入ったところで、ひとが働いていた。沼は広いが浅いらしく、水は彼らの足首あたりまでしかない。そこで塩を小山に盛り上げているようだ。

 「何をしているの?」

 「水を含んだ塩は重いから、ああやって水分を抜いてからトロッコまで運ぶんだよ。ここの塩は食用に適していて、精製に手がかからないんだ。水底に沈んだ結晶を濃い塩水で洗って干せば終わりさ。塩の採掘が一番重労働で重要だ」

鉱夫は普段は製塩場で働いているそうで、ゲルニーク以外から運ばれた岩塩からどうやって塩を作るのか詳しく教えてくれた。ゲルニーク塩沼から採塩できれば、精製にかかる時間も労力も燃料も必要ないからこそ、危険を冒しても魔の領域に踏み込むだけの価値があるということらしい。小さなクレムの町に塩商人たちの豪邸が並ぶほどには割が良いのだろう。

 防水加工を施した装備があっても高濃度の塩水の中で人が作業できるのは一時間程度、交代で塩を盛り、塩水に浸かっていた足を真水で洗って、トロッコまで人力で運搬するそうだ。なるほど、大量の水を持ち込む必要があるから、ハルトマンはトーコをひっぱってきたのか。見ると水際の岩場に小さな水樽がいくつも並んでいる。今も沼から上がったばかりの鉱夫がその中に足を突っ込んで靴ごと塩を流している。その肩にも背中にも白い塩が付着している。

 先に警備についているよその国境警備隊とギルドの責任者を尋ねてハルトマンは挨拶と情報交換をする。なんだかこの数日、あっちでもこっちでも挨拶、挨拶で彼も大変だ。ゲルニーク塩沼が始めてのハルトマンは、ここでもトーコの治癒魔法と水魔法を大盤振る舞いして情報収集に励んだ。それによると鉱夫は昨日到着した隊も、今日到着した隊も一緒になってところてん式の輪番制、護衛は午前、午後で塩沼と岩場に分かれて交代制とのことだった。道具は明日の朝、塩沼を離れて人の領域に帰還するよその国境警備隊から受け取ることになる。なんの道具がいるのかと思ったら、魔鳥対策の据え置きの弩用の矢や、遮光眼鏡ということだった。

 「遮光眼鏡ってみんながかけているあれ?」

 「長くいると塩で皮膚をやられるが、一面白いから目もやられるんだ。雪目と同じだ」

 昨日来たというよそのギルドの取りまとめ役が教えてくれた。

 「雪と一緒?」

 訊ねてはっとした。

 「もしかして日焼けする!?」

 「するな」

 「しまった~!」

 日焼け止め! 雪焼けは嫌! 騒ぐトーコをハルトマンは実力行使で黙らせた。

 翌朝、言われたとおりにあちこちに置かれた水樽を満たし、トーコは塩沼で護衛に立っているハルトマンのところへ報告に行った。足元が濡れる事を想定せず、いつもの角ウサギの靴で来てしまったので、移動魔法で水面ぎりぎりを移動する。

 「水の補給終わったよ~」

 「あほかお前!」

 「え、何、いきなり、何?」

 「なんだそれは! お前はほんと碌なことせんな!」

 「だって靴濡れるの嫌だし」

 「靴とその頭に何の関係があるんだ。首なし幽霊かと思ったぞ」

 「首なし?」

 首をかしげてトーコは思い当たった。

 「もしかして、遮光用の幻惑魔法のことを言っている?」

 日焼け止め代わりに、太陽光を光魔法で反射すればいいいと思いついて、頭の周りを幻惑魔法で覆っている。目的が幻惑でなくて、遮光なのでかなり反射して、トーコからは周囲がやや薄暗く見える。が、外から見たら鏡のような感じなので、周囲が真っ白なこ場所だと首がないように見えるらしい。ためしにハルトマンに掛けてみると、遠目にはたしかに首がないように見えた。

 「そんなこと言ったって、遮光眼鏡はサイズがあわないし」

 一番小さそうなのを借りようとしたのだけど、眼鏡は両耳にも鼻にもひっかからず、色ガラス部分があごにぶら下がったのを見て大笑いしたのはハルトマンだ。しょうがないから自前でどうにかしているのに、いきなりこめかみぐりぐりの刑はないと思う。仕方なく、反射度を下げて、開放してもらう。

 ハルトマンはただ警護に立っていたのではなく、鉱夫を真似て部下に塩を小山にさせていた。

 「見ていると簡単そうなんだが、なかなか技術がいるな」

 トーコは鉱夫が作った塩山の列と兵士の作っている小山を見比べた。塩をトンボのような道具でかき寄せて、山に盛る。鉱夫は一定のリズムを刻むようにリズミカルにかいていくのに、兵士のトンボは沼底に引っかかってばかりだ。それでもやっと水面から一メートルくらいの高さになったので、トーコは小山から水分を分離させた。抽出された水が一塊になってその場に浮く。

 「おい」

 ハルトマンが低い声をだした。

 「今、なにやった」

 「水を抜いた」

 「なんで塩を盛るか聞いていたか?」

 「水分を抜くためでしょ?」

 だからこの水分抜いてよかったんでしょ? トーコは怪訝な顔をした。その頭をがし、とハルトマンの手が鷲づかみにする。

 「あほか、お前! 水を抜くために盛っているのに、お前がやるな! 今、俺たちの作業を無にしたな!」

 「ご、ごめ……!」

 怒鳴るハルトマンと悲鳴をあげるトーコに兵士が恐る恐る話しかけた。

 「あの、この塩取れないんですけれど」

 「なんでだ。かまわん、それはそれで採っておけ」

 「いえ、びくともしません」

 「えっ!」

 トーコは塩の山を見た。別に時間魔法なんかかけてないけれど。ハルトマンが睨んだ。

 「水分抜きすぎだ、あほ!」

 「し、塩って水分抜いたらさらさらになるんじゃないの?」

 「ほんと碌なことせんな、お前! もういいから、向うの邪魔にならないところで遊んでろ!」

 しっしと追い払われて、ハルトマンの指示で上から塩水をかけている兵士たちからすごすごと撤退した。このところ、アカメソウの実やサンサネズの実で乾燥作業はお手の物になったので、役に立てるかと思ったのに、とんだ誤算だ。これは要練習か。

 トーコは沼の奥へ入り、移動魔法でボウルいっぱいぶんくらいの塩を掬った。そのまま水分を思い切り抜くと、たしかにカチンコチンだ。でも、塩が湿っているのって嫌だと思うんだけどな。とりあえず、障壁魔法で足場を作って着地する。時間凍結魔法で固定すれば地面より頑丈だ。こんな真似ができるのも、障壁魔法を立てた沼底がしっかりしているからだ。

 底に沈んだ塩の結晶は綺麗な立方体、直方体で、まるでザラメ砂糖みたいだ。

 トーコは移動魔法でせっせと塩を山に盛り始めた。とりあえずひとつ完成させてハルトマンのところへいく。

 「見て、ハルトマンさ――痛い痛い!」

 「お前は目を放すと……! 今すぐ戻せ、平に均らせ!」

 「え、なんで? せっかく積んだのに」

 「あほ! 積みすぎだ!」

 「ええ? 高く積んだほうが早く水分が抜けない?」

 ハルトマンはこめかみに青筋を浮かべた。

 「だれが高さ十メートルの塩山から塩を採るんだ。崩れて波でも起こったらそれこそ塩山が濡れて迷惑だ!」

 トーコはすごすご引き下がった。ただ崩すのも勿体ないので、結晶をすこしずつ取って水分を飛ばし、空間拡張袋に放り込む。高さ十メートルの山はあっという間に消え、しおたれたトーコだけがあとに残った。

 沼底から塩の結晶をかき採っては空中に平らに伸ばした障壁魔法の上に広げて乾燥させる。これなら一応塩の結晶同士がくっついたりしない。単純作業作業なので、三回もやると眺めているのが退屈になる。

 「それにしても立派な結晶だなあ。パスタを茹でるとかバスソルトにするにはよさそうなんだけど、もうちょっと細かくしないとお料理に使いづらそう」

 トーコは底に沈んでいる塩ではなく、十センチほど溜まっている塩水を汲み上げた。これってほとんど飽和水溶液じゃないのか。試しに水分をとばしてみたらいい感じに粉末状の塩が残った。すでに結晶化した塩を採るより非効率的だが、バベッテへのお土産なのですぐ使える綺麗な塩があったほうがいい。この水をろ過してから水分を飛ばせばいいのか?

 トーコは今度は障壁魔法で巨大なタンクを作った。棚をつくったりしてだいぶ要領が分かってきたので、思い描いたタンクの形状に障壁魔法を張り、時間凍結魔法で維持・固定。接着面に都度かけるより、一度ですむので、楽である。そのタンクの下部にコーヒーフィルターを設置したかったのだがうまくいかない。プラスチックや金属のイメージは作りやすいのだが、紙っぽいイメージが描けなかったので、代わりに網を重ねることにした。上ほど網目が粗く、下ほど詰む寸法だ。小学校の理科の授業でやった砂利を通してろ過する方法も考えたのだが、砂利の一粒一粒を障壁魔法で作って時間凍結かけるのが面倒だったので、微妙にミックスした方法になってしまった。

 さっそくタンクの上に塩水をくみ上げて投入する。網を重ねすぎたか、出てくるのに思ったより時間がかかった。

 「まいっか。ろ過しきれないよりはいいよね」

 滴り始めた塩水から水を分離していく。なかなかいい感じに塩ができていく。できた塩を空間拡張魔法に時間凍結魔法を重ねがけした巾着に入れる。

 「すりきりいっぱい塩を入れてみて、それがあふれてきたら、そのぶんだけ縮んだってことになるよね」

 家に帰るまで待たなくていいし、水でやるより判りやすいはずだ。幸い塩は無限にある。これは時間凍結魔法にこめる魔力量を色々変えてみて実験したい。そして、塩水から分離した水はどうしよう。足元に捨てたら塩分濃度が薄まっちゃわないか? 

 そこまで考えてはたと思い出した。それ以前にそもそもトーコはここへ水係として来ていたのだった。水を捨ててどうする。

 すっかり言いつけられた役目を忘れていたトーコは陸へ戻ろうとし、足元を見た。飽和水溶液なら海よりずっと濃い塩水ということだ。もしかして簡単に浮いたりしないだろうか。一枚板だと上でバランスを取るのがむずかしそうなので、試しに障壁魔法で両足の下に円盤を作って固定する。サーファーよりも忍者っぽい。移動魔法を解除すると、

 「浮いた!」

 おお、凄い。自力で全部移動するより、浮力を借りたほうが消費魔力量が断然少ない。移動魔法で水平方向に進ませる。最初はそろそろと、次第にスピードを上げると、なんだか楽しくなってきた。おっかなびっくりやるより、勢いがあったほうが安定する。

 「水上スケートみたい!」

 巾着はタンクにひっかけて、自動的に滴り落ちた塩水から分離した塩を流しいれておくことにした。やっていることは果実の乾燥と大差ない。むしろ残す水分量を考えなくていいので、探査魔法で様子を確認しておけば、少々離れたところからでも魔力だけ飛ばして作業できる。

 精製した水塊を引き連れて、トーコは岸に戻った。樽の水を真水に入れ替えたくらいでは水があまる。見ていると、塩沼から上がった人たちは、小さい樽に足を突っ込んで靴ごと洗い、洗い終わると今度は沼からひきあげた塩の袋詰め作業に加わる。袋詰めの道具を渡した方は運搬に回っている。こうやって全工程をぐるぐるまわって塩沼に浸かる時間を調整しているらしい。だけど、足だけでなく、跳ねた塩水が乾いたのか、担いでいる塩がこぼれたのか、みんな結構全身塩まみれだ。いわば人間の塩漬け状態なわけで、そりゃ体にいいわけない。見ているだけでシャワーを浴びたくなる。さすがに全員にお風呂の魔法をしてあげようと思うとトーコがかかりきりになってしまうけれど、さっきのタンクを応用してシャワーもどきを作れないだろうか。

 大人の人が下に立てるように、さっきよりもかなり高い位置にタンクを置く。底近くから四箇所に穴の開いた管を取り付け、簡易的な栓を作る。動かないと困るので、一度栓だけ外して別々に時間凍結魔法をかけ、もとどおりにする。タンクに水を入れて、開栓すると簡易シャワーの出来上がりだ。重力と水圧で自然に水が出てくる。

 「もうちょっと穴を小さくして変わりに数を増やしたほうがいいな。そんで上のタンクを大きくしてもっと水が入るようになれば勢いもつくかも」

 納得いくまで手を入れて、トーコは塩沼から上がってきた鉱夫を手招きした。試しに使ってもらおうとしたのだが、いきなり問題が発生した。

 「栓? どこに?」

 「……そういえば、障壁魔法って見えないもんね」

 トーコは自分の魔力で作ったから問題なく感知できるが、物理的に見ているのではない。即席で精製した塩の粒を全体にまぶしつけ、固定する。だいぶ粗いやっつけ作業になってしまったが、とりあえず、知らずに人がぶつかったりはしないですむ。栓が分かりにくいようだったので、ハンカチを結びつけた。

 「水の量はこの栓で各自調整してね。こっちにスライドさせれば、水を通す穴がふさがって、出てくる水の量も少なくなるから」

 しばらくそこで使い方を教えてから自分の塩精作業場に戻る。巾着の中はまだまだ全然だ。水と塩の分離作業は退屈なほど簡単なので、ろ過装置をもう一台作って設置した。最初のろ過装置を単純に横に大きくしたようなもので、さすがに十倍だとそれなりの水量が落ちてくる。精製は魔力まかせなので、別にトーコがそこにいる必要はない。魔力だけ送り込んで探査魔法でチェックしつつ水上スケートで遊んだ。何しろ、普通の沼と違って繁茂する植物がない。なんの障害物もないのだ。どんなにスピードを出しても危なくないので、楽しい。加速、減速、ターン。

 「だけど、日差しがきついなあ」

 時間が経ち、太陽が高く上りだすと日差しが気になる。頭部だけ光を反射させるとハルトマンに怒られるので、全身を幻惑魔法で覆う。全部反射させると外が見えにくいのでほどほどだが、沼の上に障害物などないので、見えても見えなくても大差ない。一応、幻惑魔法を解除すればハルトマンたちが目視できるより遠くに行くつもりはない。探査魔法で塩精製設備とシャワー装置の様子はみているので、方向を失うこともない。

 魔物もたまにトーコの探査魔法にひっかかるが、ほとんどは塩を舐めて去っていく。塩沼まで来るのは聞いていた通り、飛行能力のある魔物がほとんどだ。たぶん、地をいく魔物はここまで来なくても道中の塩で充分なのだろう。一回だけ近くの岸に大きな魔物が飛んできたが、トーコが幻惑魔法の壁を立ててこちらを隠すと気がつかずに塩を舐めて飛び去った。いたって平和だ。

 トーコが塩を入れる巾着を三つ目に変えていると、ラッパの音が鳴った。何かと思って岸へ戻ると、一斉休憩の合図だった。一応トロッコのところまで塩を運んだら、そこで順番に休憩をとる仕組みだけれど、食事の時はさすがに全部止める。指令所に戻ったら、鬼の形相のハルトマンが待っていた。料理用の水とお湯が必要なのに、遊びほうけていて戻ってこなかったからだ。

 「どこにいるんだかまるで見えないし、使えん奴だな。いくら呼んでも返事はないし」

 「いたたたたた! ごめん、ちょっと遠くまで行ってたかも」

 料理用の水は飲料用に置いていった水で代用したらしい。余分に薪を使わせてしまったので、がっつり怒られた。

 「水係は声の聞こえる範囲から遠くへ行くの禁止!」

 「……はい」

 さぼって遊んでいたトーコは抗弁できない。すごすごと飲料水の補給に行った先で、ギルドの取りまとめ役にいきあった。

 「ここまで声が聞こえていた。一応魔の領域だし、あまりひとりでうろうろせんようにな」

 「みんなの邪魔にならない所で遊んでろ、って追い払ったのはハルトマンさんなのに」

 トーコが唇を尖らせると、ギルドのリーダーは苦笑を浮かべた。一緒に指令所へ戻りながら、

 「彼もまさか陸じゃなくて沼の中のほうに行くとは思わなかったんだろう。料理の水のことならそんなに気にするな。もともとあてにしていない」

 「お皿洗いはちゃんとやるからね」

 「朝の水魔法か。皿洗いに魔法を使うなんてと思ったけれど、便利なものだな。だけどそんなことをしていて魔力は大丈夫なのか?」

 「これくらいなら平気。足りなくなりそうだったら塩作るのやめるし」

 「塩を作る?」

 「単に塩水から水とそれ以外に分離させてるだけ。水魔法は得意なの。お土産に持って帰ろうと思って」

 「塩水から? なるほど、魔法使いならではの発想だな。俺たちは午後にいくらか切り出して持って帰ろうと思っている」

 「切る?」

 「斧で直接堆積している塩を割るんだ。昔はそうやって塩を採っていたらしい。いまではほとんどやっていないみたいだが、古株の鉱夫に教えてもらったんだ。時間がかからないし、足首まで塩水に浸かって作業しなくていいし、切り出したブロックを運べばいいだけだから容器がいらない」

 「良さそうなのに、どうして廃れちゃったの?」

 「砂や塵なんかの混ざものが多いうえに、採りやすい地形のはあらかた撮り尽くしているんだと。家畜に舐めさせるには充分だって話だ。精製が大変だが、塩沼で塩を採ろうとしたら、水分を抜くのに三日はかかるって話だからな」

 ハルトマンは知っているのだろうか。というか、護衛そっちのけで塩なんか採っていていいのか? その不真面目な護衛には戻りが遅いと言ってまた怒られた。

 「早く食え。皿洗いに遅刻するぞ」

 兵士が持ってきてくれたごった煮を吹き冷ますトーコの脇でハルトマンとギルドのリーダーも食事をしながら引継ぎをしている。トーコがいるので水の心配はないけれど、道具の破損や怪我人の発生、人の配置について。ハルトマンはちゃっかりシャワー装置についても説明している。護衛は午前と午後で持ち場を交代だが、塩水に直接触れないトーコの配置に変わりはない。

 「沼で遊ぶのもいいが、合図したら戻ってこいよ」

 「わかったってば」

 「魔物はどうだ。こちらは問題なかった」

 「沼のほうも問題なかった」

 「たまに来ても小さいのばっかりだもんね。大きな鳥みたいのが一羽来たけど、それだけだもんね」

 ハルトマンは手を止めてトーコを見た。

 「鳥?」

 「あんな大きいの鳥初めて見たよ!」

 「ワシくらいか?」

 「ううん、もっと。遠くからだと分からなかったけれど、近くに来たら家よりも大きくてびっくりした! あたたた!」

 「ばか者! それは要報告案件だ! いつの話だ!」

 「さ、さっき。ラッパが鳴る十五分くらい前」

 「何故言わない!」

 「だって気がつかれずに済んだし。別にいっかなって」

 「いいわけあるか!」

 ひとしきり説教をくらって、今度魔物に気がついたら報告するように厳命された。

 「いいか、手のひらサイズのトカゲでも報告するんだぞ!」

 「わ、わかった」

 トーコはほうほうのていで皿洗いに逃げ出した。午後、約束どおりトカゲが出たと報告しに行ったら、三回目で何故かハルトマンがキレてこめかみぐりぐりの刑を喰らった。

 夕方になるとギルドから派遣されてきた次の隊が到着した。トーコと同じユナグールから来た隊で、今回ユナグールのギルドは三隊を派遣するらしい。先に他のギルドから来ていた隊は明日の朝ここを離れ、明日は新たに来た隊と護衛することになる。なんとも慌しく、効率の悪い話だが、塩の利権とやらが絡む政治上の事情があるらしい。ハルトマンが説明してくれようとしたが、いくらも聞かないうちに船をこいだら思い切りどつかれた。

 機嫌を損ねたハルトマンはどっかその辺ででも寝ろと言ったが、上司よりはるかに親切な兵士たちがトーコのために天幕をひとつくれた。仮にも女子一人なので同室者は荷物だ。ハルトマンにちゃんと荷物番しろ、と言われたので、障壁魔法と時間凍結魔法をかけて間違っても誰かに持っていかれないようにしてから、その晩は早々に就寝した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ