第6話 調査依頼
「あんたがトーコ? ギルドから伝言。アカメソウの実を採りに行くなら明日の朝、ギルドまで来いってさ」
ヘーゲル家の夕食時に、魔の領域から戻ってきたばかりという風体の男が伝言を置いていった。それ以上のことは男も知らなそうだったので、トーコは翌朝一番でギルドへ行った。ベアが懇意にしている元狩人の職員か、採集に詳しい女性職員かだと思ったのでまずは元狩人の窓口に並ぶと、
「まだ相手が来ていないから、そのへんで待ってて!」
と女性職員が声を掛けてくれた。
トーコは掲示板の所へ行き、アカメソウの実の依頼を探した。先週に比べて数が減ったようだ。買取数量が極端に少ないものや、買取単位が大きいものが残っている。トーコは少量のものをふたつキープした。アカメクサグモの依頼もあったけれど、こっちは運が良かったらだ。角ウサギの依頼を探したり、湿地帯の依頼をおさらいしていると、呼びかけられた。
「治癒魔法が使えるトーコってあんた?」
振り返ると、背の高い女狩人が不機嫌そうな顔で立っていた。女性職員にトーコの採集に一日つきあったら、治癒魔法をおごってもらえると聞いたという。どうやら女性職員がお仲人をしてくれたらしい。魔法も酒や食事と同様おごるものだとは知らなかった。
「窓口が今忙しいから、先に治癒してもらって空くまで待っててくれって」
「怪我を診せてもらってもいい?」
女狩人は上着を脱ぎ、左上腕に巻かれた包帯を取った。まだ新しい傷口は痛そうだが、治癒魔法使いに頼るほど深くはない。
「いつどこで何に襲われたの?」
「怪我をしたのは三日前の夕方。一日半ほど中に入った森で、チョウロウクロネコの爪にやられたのよ」
「じゃあ、毒とか魔法の心配はしなくていいよね」
単純な外傷でよかった。これならトーコに治せる。見る間に肉が盛り上がり、皮膚が閉じる。
「うまいじゃない。じゃ、もひとつお願いしようかな。こっち来て」
女狩人は空いている依頼人用の窓口に回ると、柱の陰でズボンをおろした。左太腿部に厚く包帯が巻かれている。外すとまだ出血している深い傷口が三本現れた。
「こっちのほうが重傷じゃない!」
「治せる?」
「さっきと同じだよね。治せるけれど、痕が残るかも。そこ座って」
平行して傷が走っているので、皮膚がひきつれて閉じにくい。治癒魔法ならとりあえず傷を塞げるけれど、自然治癒に頼るならしっかり包帯を巻いて固定しておかないと中々傷がふさがらないはずだ。
「それくらいは仕方ないわね」
女狩人はあっさり言った。傷は斜めに走っていた。トーコは膝をついて目線を傷口の高さに合わせる。消毒してから三本の傷に注ぐ魔力を振り分け、傷の治る速度を調整し、最終的に皮膚が癒着するタイミングを慎重に合わせる。受傷してすぐなら難しくないのだが、傷が乾き始めてしまうと難しい。
「お願いだから動かないで。できれば息も止めていて欲しいくらい」
それでも三本目の傷が短いので、二本目の傷の治癒が先に皮膚を引っ張ってしまい、癒着痕が残る。
「ごめん、痕になっちゃった」
「いいわよこのくらい。ほとんど判らないもの」
「そう言ってもらえると。本職の治癒魔法いの医師たちは綺麗に治すんだけど」
「見習いなの?」
「見習い以下というか。治癒魔法使いを目指しているわけじゃないから」
「へえ。魔法使いの世界も厳しいのね。わたしはこれで文句ないからいいわ」
痛みが消えて不機嫌さも消えた女狩人は服を直すとその場でぴょんと飛び跳ねて、足の様子を確かめた。
「で、ギルドのほうは正しく見習いなのね? アカメソウの実を採りに行きたいって聞いたけれど」
「うん。ひとりで行く自信がないから、一緒に行ってくれる人を探していたの」
トーコは依頼書を見せた。
「前に連れて行ってもらったことがあるから、その復習を兼ねて。陽が落ちる前に町に戻るつもりだから、報酬はそんなにならないと思うけれど」
「いいわよ、わたしの報酬はもう貰ったから、今日一日はなんでも付き合うわよ」
女狩人は自分の太ももをぽんと叩いた。
「じゃ、もうひとつ。ウズラソウもできれば一緒に探したいの。見つからなくて、この間依頼に失敗しちゃった。アカメソウの下にも生えているらしいんだけど」
「薬草についてはあんまり詳しくないのよね。窓口の彼女が詳しいけど聞いてみた?」
「目線を薬草の高さに合わせて探すといいって教えてもらったよ」
「薬草の目線って? その草大きいの?」
「十五センチくらいっていっていた」
ふたりで頭をひねっていると、くだんの女性職員がやってきた。
「お姉さん、一緒に行ってくれる人をみつけてくれてありがとう」
「こっちも、いい話をありがとう。傷はすっかりいいわ」
「それは良かったわ。じゃ、さっそく依頼だけど」
「アカメソウの実を取りに行けばいいんでしょ」
「それだけじゃ暇でしょ。ついでにわたしの依頼を請けてちょうだい」
「ギルドの強制依頼?」
「そこまでの話じゃないから、これは個人的な紹介への報酬ってことにしてよ」
「いいいけど、何?」
「角ウサギの様子を見てきて。数が多くないか、異常な固体がないか」
女狩人は眉をひそめた。
「異常な固体? ひょっとして深刻な話なの?」
「まだ判らない」
「危険がある可能性は?」
「とりあえず三匹の角ウサギに囲まれても大丈夫なら平気じゃない?」
「それ、わたし無理かも……」
前回、角ウサギにすごまれて逃げ出したトーコは素直に自己申告した。女狩人はあきれた顔をした。
「それくらい守ってあげるから心配しなさんな。角ウサギなんて十匹でも二十匹でもお肉になるだけよ」
頼もしい反面、自分がちょっと情けない。
「よろしくお願いいたします……」
「物理的な意味でしか危険がないならいいわよ、見てきてあげる。具体的に何をどうしてほしいのか言ってもらったほうがやりやすいんだけど」
「こっちも具体的な指示をだせるほど判ってないの。今は情報収集の段階」
「わかったわ。じゃ、トーコ行きましょうか」
女性職員と女狩人の間で話がついたのでふたりは歩き出した。
「ところでお名前を聞いてもいい?」
「あらやだ、わたしったら。リーネよ」
「じゃ、リーネさん、今日一日よろしくお願いします」
東門でいつもの消臭魔法、眩惑魔法をかけようとしてはたと気がつく。
「わたしは消臭魔法や幻惑魔法で魔物に見つからないようにするけれど、リーネさんはいつもどうしているの? 一緒にかけても平気?」
「森の中ならともかく、この草原じゃどうもしないわね。あなたがいつもやってるようにかけてくれてかまわないわ」
トーコはありがたく練習がてら、消臭魔法、幻惑魔法、対フキヤムシ障壁魔法、対蛭障壁魔法、隠形魔法をかけさせてもらった。
魔法を掛けられた本人にはなんの影響もない魔法なので、掛け終わったというとリーネは拍子抜けした顔をした。
ふたりが向ったのは、ベアと行った南東の草原ではなく、町の北東だった。南のほうはそろそろ最盛期も終わりで、実も採り尽されているころだと女性職員が教えてくれた。北側の草原にはアカメソウの群生地が少なく、狙い目とのことだった。たしかに群生というより、あっちにひとかたまり、こっちに四、五株というふうに規模が小さい。実はまだあったけれど、これも前回のように沢山はなくて、水分を失って萎れた実やあまり美味しくなさそうなのが混じっている。ベアと採りに行った時は綺麗な実を摘み放題だったのに。手を出す前にアカメクサグモがいないか確認する。クモはいないが角ウサギはあちこちにいた。
「そういえば角ウサギの調査って何をどうすればいいの?」
「出会ったら片っ端から捕まえてみるしかないわよね。あとは見かけた数を数えておくか」
「だったら、半径二十メートル範囲に何匹いるか数えておけばいい?」
「どうやって数えるつもり?」
「探査魔法で」
言ってしまってから、ハルトマンに魔法について人に言うなといわれたのを思い出したが、出てしまった言葉は戻らない。
「探査魔法が使えるの。それは便利ね」
リーネがあっさり流してくれたのでどうやらメジャーな魔法らしい。
「でもわたしが言いたかったのは、どうやって半径二十メートルの範囲を決めるかってことなんだけど」
「アカメソウを中心にする? アカメソウのところには集まっているから」
「じゃ、それで何箇所か調べましょうか」
トーコはペンとメモを取り出した。
「まずは、あそこに見えている株からでいいかな。四羽っと」
「どこにいるか教えて。獲るから」
リーネが背中にさげていた弓を外して言った。はい、とトーコは移動魔法で四羽の角ウサギを見えやすい位置に持ち上げた。移動魔法はヘーゲル医師の診療所でも患者を運ぶ担架代わりによく使うので秘密にしなくていいと思ったのだ。
「あらま」
リーネは呟いて弓を下ろしてしまった。
「なんだ、あなたひとりで捕まえられるじゃない」
「ここまではできるけど、その先が全然ダメだったの。暴れておっかないし」
リーネは目をぱちくりさせた。
「変な子ねえ。ここまでできるならあとは簡単じゃない」
「簡単じゃないよ!」
「ま、いいけど。そのままにして頂戴」
リーネは一矢も外さず角ウサギを仕留めた。トーコが感歎すると苦笑して
「このくらいで尊敬されてもねえ。隠れる必要も追跡する必要もないうえに、相手は動かないんだから」
「めちゃめちゃ暴れているよ! 怖いよ!」
「だって首の後ろ固定してるじゃない。二日ばかり弓をひいていなかったから、いいリハビリにはなるけれど」
「何日も魔の領域に入る人は、言うことのレベルが違うなあ……やっていけるか自信なくしちゃう」
「そこは修練なさい。ここまでできるんだから、狩人になればいいとこいけると思うけれどね。採集専門にするにしても、角ウサギくらい狩れなきゃ危ないわよ」
「うう……」
トーコが回収した角ウサギから矢を外し、リーネは獲物を検分した。
「別に変わったところはないわよね」
聞かれても、肉屋の店先でも、ベアの獲ったものでも、目をそらせてなるべく直視しないようにしていたトーコに分かるはずもない。
「見た目がおかしいのか、行動がおかしいのかにもよるよね。病気だったら外見からわからないし」
「考えても分からないから、とりあえず持って帰ってあとはギルドに任せましょ」
リーネとトーコはアカメソウの実を摘んでは次のアカメソウを探して移動し、見つけたら角ウサギを数えて捕まえ、実を摘む。その繰り返し。獲った角ウサギは麻袋に入れてトーコが移動魔法で運ぶ。
「これは楽だわ。魔法があると角ウサギ狩りもただの作業ね」
三回目の移動中で半ばあきれ、半ば感心したようにリーネが言う。
「角ウサギ狩りはついでの依頼だけど、ホントに片手間作業になっちゃう。矢を使うのがもったいないというか、馬鹿らしいというか」
「矢、もったいないの?」
トーコが見る限り、リーネは狙いを外さないし、使用した矢は角ウサギごと回収している。
「使えばどうしたって、曲がったり、痛むもの」
「ベアさんはナイフを投げてたよ。あと、角ウサギのほうを引き寄せて直接ナイフを使ってた」
「それを早くいいなさいよ。そうよ、直接ナイフで充分じゃない。罠猟だと思えばいいのよね」
リーネは弓を仕舞って、大ぶりのナイフを引きぬく。
「もっと近くに寄せて。もっとよ。それじゃ届かないわ」
「あんまり近いと危ないよ。蹴られるよ」
「平気だって。あんたのほうが怖がってどうするの」
トーコがおっかなびっくりひきよせた角ウサギにむかってずかずか歩く。角ウサギの後ろに回り、さっと喉を掻き切る。血が飛び散り、トーコは小さく悲鳴をあげた。リーネは平然としたものだ。
「このまましばらく逆さに持っていてよ。血抜きしちゃいましょ。ほら、次の角ウサギよこして」
トーコは言われたとおりにして、なるべくそっちを見ないようにしていた。リーネには笑われてしまったけれど、これはちょっとハードルが高い。肉屋の店先につるされている丸ごとの角ウサギだって目が合うのが怖くて直視できないのに。せめて麻袋にはいってて見えなくなってくれればいいのだけど、リーネはさっき捕まえた角ウサギも出させて血抜きし始める。さすが狩人、手馴れている。処理し終えたリーネの周りには、喉を切られて逆さまにつるされた角ウサギが一列に並んでいる。トーコにはホラーな光景だけど、彼女は満足そうだ。
「リーネさん、手洗う?」
というか洗って欲しい。その手でアカメソウの実を摘んだら絶対苦情がくる。トーコが水塊を集めると素直に洗ってくれたので助かった。
「トーコって水魔法も使えるの? ここで解体もできていいわね」
「か、解体ーっ!?」
これ以上ハードルあげるのは勘弁して下さい。
「お昼に一羽食べましょ。そのくらい大丈夫でしょ。ふたりだとあまっちゃうからもったいないわね。塩持ってくるか、ヤネの葉あたりがあればいいんだけど。トーコ、持ってる?」
「ううん、持ってない。ヤネの葉って何?」
「草原に良く生えているの。防腐効果があって、ちょっとお肉なんかをくるんでおくのにいいのよ」
笹の葉っぱみたいなものだろうか。リーネはそれ以上詳しいことは教えてくれなかったので、トーコには探しようがない。できればこのまま解体をあきらめてくれないかと思ったのだが、結局お昼には実況解説つきで解体を見る羽目になった。このくらいできないでどうするの、とのことだが、トーコは解体はお肉屋さんに任せたい気持ちでいっぱいだ。
「血の臭いで危険な魔物が寄って来たりしないの?」
「来たらラッキーじゃない。わたしとトーコで角ウサギの要領で狩ればいい小遣いになるわよ。ここらには大型の魔物なんかいないから、それだけの数の角ウサギを持ち上げていられるんなら心配ないわ。それより火の魔法を使える?」
「使えないの。ホムラギの樹皮なら持ってるけど」
「いい物持ってるじゃない。一枚頂戴」
リーネは地面に浅く掘った穴に、火を熾すと、塩と魔の領域で自分でとってきたという香草や香辛料をまぶしてヤネの葉で何重にも包んだ肉を水をいれた小鍋に、水に浸からないよううまい具合にひっかけた。ヤネの葉はリーネが言うとおりすぐに見つかった。あちこちに生えていてトーコも見知っていたが、こんな利用法があるとは。問題はヤネの葉を互い違いに重ねて肉を包むのが難しいことだ。トーコがひとつ包む間にリーネは三つやり、結局全部やってもらった。これは要練習だな。葉っぱを採って帰らなくては。
「蒸し焼き?」
「そう。これならちょっとくらい目を離して作業していても焦げたりしないから。ここのアカメソウの実を摘み終わるくらいには出来上がってるわよ」
なるほど、時間も無駄にしないとはさすがだ。リーネの手際よさは見習うべきだ。
トーコはアカメソウの実を摘む前に根本をぐるりと見て回った。ウズラソウはまだ見つからない。代わりに見つけたのはアカメクサグモだ。
「リーネさん、アカメクサグモがいたけれどどうする?」
「どうするって、危険なの? それともなにか使い道のあるクモなの?」
「あれ? リーネさんでも知らないことがあるんだ。麻酔薬代わりに使われるんだって。今朝もアカメクサグモの牙が依頼にでてたよ」
「じゃ、獲っていきましょ。牙を引っこ抜けばいいのね」
「丸ごとが良いみたい。頭胸部と腹部の間に神経が集まっていて、そこを刺すといいって言っていたけれど」
リーネはよく知らない獲物にもかかわらず、あっさりとしとめた。もちろんナイフは即洗浄させてもらった。だってそのナイフでさっきお肉捌いていたし。順番が逆じゃなくて心底良かったと思う。そんなことを思っていたら、リーネに呼ばれた。
「ウズラソウってこれじゃない?」
「え、リーネさん、どこ?」
「ここよ」
トーコがきょろきょろしていると、リーネがアカメソウの間から顔を出した。近寄ると、ついていた膝をあげて地面を示した。
「うわ、ちっちゃい!」
ひょろっとした一本の茎に丸い楕円形の葉が互い違いについている。先端には半ば枯れかけた白い花が一輪。これは見つからないわけだ。こんなに細くて小さいとは思わなかった。
「目印の花も小さいね」
「でも、こうやって横から覗いてご覧なさいよ」
トーコは言われたとおりに膝をついて地上十センチの高さからウズラソウを見た。
「あ、少し大きい」
釣鐘型の細長い花は真上から見ると点にしか見えないが、横からだとそれなりに面積がある。
「薬草の目線で探せってこういうことかあ。でもこの姿勢で探すのはちょっと怖い。今は角ウサギもアカメクサグモも狩ったあとだからできるけど」
リーネも笑った。
「この格好で角ウサギに襲われるのは間抜けで嫌よねえ。採るの?」
「今日はやめとく。小さい株は根が育ってないから採っちゃいけないんだって。これが大きいか小さいかは分からないけれど、依頼も出ていなかったし、探し方がわかっただけでよしとする」
「そ。それじゃお昼前にアカメソウの実を摘んじゃいましょ」
お昼はバベッテが持たせてくれた多めのお弁当と角ウサギの蒸し焼きにアカメソウの実のデザートもついて豪勢だった。近くにずらりと並んで浮いている角ウサギの死骸さえなければピクニック気分である。
「蒸し焼き美味しいね。もっと硬いかと思ってた」
「アカメソウの実をたっぷり食べた角ウサギだからでしょ」
「アカメソウの実と角ウサギって関係あるの?」
「あるに決まってるじゃない! アカメソウの実が角ウサギの肉を柔らかくしてくれて、味もよくしてくれるのよ。夏の青臭みがなくなって甘い香りがするの」
「へえ、知らなかった」
「常識だから、かえって誰もわざわざ教えてくれなかったのかしら? アカメソウの実は終わりだけど、角ウサギの味はこれからよくなっていくわよ」
それは楽しみだ。メモしたいけれど、両手は脂でべとべと、口の中もいっぱいだ。トーコがわたわたしているのを面白そうに見ていたリーネはふと訊ねた。
「トーコはベアさんとやらと組む予定なの?」
「ううん。ベアさんて何週間も、下手したら一ヶ月以上もひとりで魔の領域に入りっぱなしなんだもの。さすがについていくのは無理」
「一ヶ月……それは凄いわね。一週間くらいならわたしも経験あるけれど。よっぽど稼いでいるのね」
「それはどうかなあ。全然そんな風に見えないけど」
「だって、一ヶ月も中で過ごすってことはそれなりの物資を持って入らなきゃならないし、持ち帰る獲物だって日帰りよりは当然増えるわよね。だとしたら空間拡張魔法の入れ物か、移動魔法が使える要員が必要じゃない」
「ベアさんは魔法使いだけど」
「なるほど。自分でまかなえれば問題ないわけか」
「空間拡張魔法の入れ物ってなに?」
「魔法道具よ。見た目は小さいのに、中にはとても沢山ものが入る容器。稼ぎのいい狩人ならけっこう持っているチームもあるけれど、高価なのよねえ。メンテナンスにもお金かかるし」
「へえ」
ベアもなんでも入る魔法のベルトポーチを持っていたけれど、あれと似たようなものなのだろうか。
「アカメソウの実どのくらい摘んだ? もう依頼分くらいはとったんじゃない?」
明らかにアカメソウの実摘みに飽きてきたリーネが言った。トーコも先日の量からしてそろそろ集まったかと思ったが、リーネの摘んだ分を見せてもらって言葉に詰まってしまった。
「あの、リーネさん、しわしわの実も結構入っているみたいなんだけど」
「そうね。これくらい平気でしょ。乾燥させる手間が省けて良いじゃない」
「依頼には乾燥用とは書いてなかったんですけど」
「向うでよりわけるんじゃない?」
そうなのか? そうなのかもしれない。でも、普通に生食用だったらまずいんじゃないか。
「それにしわしわのほうが甘くて美味しいのよ」
「へえ。水分が抜けて甘みが凝縮するから?」
「あらー、学者さんみたいなこと言うのね」
リーネは笑ったが、トーコは心配になった。もしかして、リーネさんってけっこう大雑把な人?
「量が足りるか心配だからもうちょっとだけ採るね。あと家に持って帰る分も欲しいし。リーネさんはお暇になっちゃうけどもうすこしだけ付き合ってもらって良い?」
「いいわよ。じゃ、わたしは角ウサギを持って帰る用に捌かせてもらおうかしら。もらっても問題ないわよね、この角ウサギ。別に現物をもってこいって言われたわけじゃないし」
「いいんじゃない? お水だけ置いておけばいい?」
午後も魔の領域での狩りの話や野宿の話を聞きながら、草原を歩いてアカメソウを探す。トーコが数をメモして、リーネが仕留める。アカメソウはトーコがとっただけでも充分な量が集まったので、ヘーゲル家で食べる分を摘む。しわしわになった実は見た目は悪いが確かに甘い。天然ドライフルーツへの進化途上みたいだ。これはこれで別に摘んでおこう。
リーネはすっかり角ウサギ狩りとそちらの処理にかかりきりになっている。コツが分かったので、ウズラソウも目視でふた株ほど探せるようになった。目視で探したあと、探査魔法で探すと探し漏れがあったのでまだまだだけど。アカメクサグモは二匹もいた。全部リーネが仕留めてくれて助かった。
収穫は充分だったので、ほどほどで切り上げ、町へ戻り始める。戻り道は行きにとおったのと違うアカメソウを探して、角ウサギの調査だけ続行する。アカメクサグモは見つけるたびに獲ったけれど、アカメソウの実はスルーだ。東門が見えてきたあたりで、角ウサギをしまう。角ウサギはトーコ手持ちの袋だけではとても入りきらなかったので、リーネの袋にも押し込む。さすがに街中で角ウサギの死骸ををぶら下げて行進するのは女子としていかがなものかと思うので。
「移動魔法が使えて良かったわ。しばらく角ウサギの肉が楽しめるわね」
リーネがほくほくしているので、腕利き狩人を一日つまらない作業に付き合わせてしまったトーコはほっとした。これでなんとかギブ&テイクまではいかなくても、損したまではいかずにすんだだろうか。
早くに戻ってきたのでギルドは空いていた。女性職員を見つけて手を振るとあきれた顔をされた。
「その大荷物はなに? まさか角ウサギとか言わないわよね」
「ほぼ、角ウサギよ。現物見たほうが早いでしょ。わたしには何が異常なのかさっぱりなんだもの。でもまずは他の依頼品の買取をよろしく」
トーコがアカメクサグモの依頼書を掲示板から探して戻ると、女性職員がリーネのとったアカメソウの実を覗き込んでいた。
「今だとこんなかんじかあ」
「あ、こっちにもあるからこっちから買い取って。それはリーネさんのお土産ぶんだから」
トーコは慌てて割って入った。トーコが採っただけで充分あるはずだ。女性職員はトーコの袋を覗き込んでにやりとした。トーコが一生懸命知らん振りしていると、何も言わずにそちらから買ってくれた。ちょっとだけ余ったのでそれはヘーゲル家へのお土産にする。
「ええ? こんなにいらないわよ。あなた食べる?」
「くれるって言うなら喜んで」
言いながらすでに袋に手を突っ込んで口に放り込んでいる。トーコを見やり、
「買い取り価格には響くけれど、これもけっこう美味しいのよ」
「うん、リーネさんに教えてもらった。だから、こっちはこっちで別にお土産に採ったの」
女性職員はトーコの手元を覗き込み、いきなり、身を乗り出して両肩をたたいた。
「えらいわ! 君には採集の才能があるわ! ぜひわたしの後継者を目指しなさい」
リーネが呆れた。
「大げさな」
「大事なことなの! あなたはやっぱり狩人で正解よ。採集には向いてない。お金になるものはなるものとして、きちんと採る。だけど自分の楽しみだって大切なの!」
「そうだよね! 同じ考えの人がいて良かったー」
リーネは女性職員とトーコが盛り上がるのをあきれ顔で見ていた。
「で、本題の角ウサギだけど」
あ、アカメクサグモ飛ばされた。トーコは気がついたが、まいっかとメモを取り出した。
「北東の草原を一日歩いて往復できる範囲にあるアカメソウを探して、そこから半径二十メートル以内に何匹いるか数えたの。その二十メートル以内に別のアカメソウがあったりもしたら、あまり厳密じゃないけれど。口頭で言っていい?」
「えっ、数えた? そんなことしたの?」
「どうやって調べればいいのか判らなかったから……」
「トーコが探査魔法で数えたの。判ったら、さっさと写す」
女性職員が紙とペンを探してきたので、トーコは一日の調査内容を読み上げた。アカメソウの株数、そこにいた数。
「七番の場所でお昼を食べて、十番の場所でアカメソウの実を摘んだあとはもう摘まないでどんどん歩いたの。十四番の場所で折り返して、最後の三十番はもう東門が見えていたよ。本当は二十九番で終わりだったんだけど、キリのいい数字にしたくて」
「こういうつもりで頼んだわけじゃなかったんだけど。ちょっと待っててね」
女性職員は一度席を外し、元狩人の職員ともうひとり年配の職員を連れて戻った。年配の職員が女性職員の書き写したメモを見ながら三人で何か話している。
「獲ってきたっていう角ウサギを見せてくれる?」
年配の職員が言った。
「だいたい三十番からだすことになるけれど、いい? 角ウサギに番号をつけておけばよかったんだけど、気がついたのが遅くて」
「もちろんいいわよ。だけどこれ何羽いるの? 百羽くらいいそうね」
「計算上では百十二羽だけど、一羽食べちゃったし、リーネさんが捌いちゃったのもあるから」
「捌いたのは食べたのとあわせて十一羽。肉と頭と毛皮は持ってきたわよ」
頭からはいい出汁が出るからと、捨てずにリーネは持ち帰っていたのだ。トーコを除く四人は角ウサギの検分を始めた。死骸が怖いトーコは遠くから見ていた。何を調べているのか判らないが、時間をかけて全部確認し、なにやら言い合っている。
「こんなところで何しているんだ」
ふいに頭上から怪訝な声が降ってきた。
「ベアさん! 帰ってきてたの?」
「今戻ったところだ。この時間にしては窓口が混んでいると思ったら……彼らは何をしているんだ」
トーコが事情を説明すると、ベアは眉間にしわを刻んだ。
「あそこにある角ウサギ、全部トーコが捕まえたのか?」
「この間と同じ。狩ったのは今日一緒にアカメソウの実を採りに行ってくれたリーネさん。弓がすごく上手なの。角ウサギもあっという間に捌いちゃうの。魔の領域で野営もするんだって」
「探査魔法で探して、移動魔法で捕まえたのか」
「そう」
ベアは頭が痛くなった。ギルドの依頼だろうがなんだろうが、よく知りもしない相手にそんな魔法の使い方を見せるべきではなかった。トーコの魔法は立派なものだが、安易に手の内をさらすことは時に自分の身を危険にさらすことにつながる。ユナグールのような治安の悪い土地でなくても。魔法を見破られるのは魔法使いにとっての生命線にかかわる。便利で特殊な技能だからこそ、悪用しようと考える人間はどこにでもいる。トーコは魔法よりも、魔の領域よりも、人を疑うことをまずおぼえるべきじゃないのか。魔法使いが秘密主義なのは故ないことではないのだ。
「あ、終わったみたい」
ベアの心のうちなど知らず、トーコは跳ねるような足取りで窓口に向かった。
「何かわかった?」
「これ」
いきなり、角ウサギの死骸を目の前に突きつけられて、トーコの目が泳いだ。
「えっと、何?」
「長歯化が始まっている」
トーコの頭越しに角ウサギを見たベアが言った。
「チョーシカって何?」
「前歯が異様に長くなることだ。これはまだ短い。二十年前の角ウサギの大発生のときには、どの角ウサギももっと明確に歯が伸びていた」
「また大発生しそうってこと?」
「百羽中の一羽ならなんとも言えんな。俺も前回は駆け出しだったし、詳しいことは知らん」
「新米のベアさん……想像つかない」
ベアは懇意の職員を見やった。
「まだ三回の後見制度も終わっていないトーコに調査させたのは理由あってのことか」
「ベアさん?」
トーコはびっくりした。抑揚のないベアにしては珍しく、声音に隔意があったからだ。
「頼んだのはわたし。調査ってほど、たいしたものを頼んだつもりじゃないわ。トーコがアカメソウの実を採りに行くのに一緒に行ってくれる人を探していたから、彼女を紹介しただけ。腕は確かだし、人柄は保障する。彼女のほうは、怪我を治してもらうかわりに一日付き合っただけ。そして、アカメソウの実を採りに行くならついでに角ウサギの様子を気にかけておいてくれって個人的に頼んだの。結果はふたりはわたしが思っていたより優秀だったってだけ」
「なるほど、事情は理解した」
「判ってもらえて良かったわ。ついでに言わせてもらうなら、トーコが同行者を掲示板で探そうなんて考える前に誰か紹介するくらいのことはしてあげてもいいんじゃない? 二十年もギルドにいて全く知り合いがいないなんて言わないでしょ」
「掲示板?」
ベアはトーコを見た。ふたりの会話の中身にイマイチ理解が追いついていないものの、険悪な雰囲気にはらはらしてたトーコは突然話を振られて反応が遅れた。気がつくとみんなが見ている。ベアが重ねて訊ねた。
「掲示板で同行者を探す?」
「だめなの? できるって聞いたけれど。あ、いや今すぐじゃなくて、依頼できるだけのお金が溜まってからだよ。どうして皆、ため息をつくの? リーネさんまで、どうして?」
「いや、トーコが本当に初心者なんだってことが判っただけ」
リーネは苦笑いをした。
「むしのいいことを考えていたんだけど、そっちも今はまだ早いみたい」
「あら、それはいいのよ。そのつもりで紹介したんだもの。チームは大事よ。でもいつまでもしがみついていられるものじゃないし、良くないと思いながらズルズルいくからそんな怪我する羽目になるのよ」
女性たちの会話を強い口調でベアがさえぎった。
「彼女を紹介してくれたことには礼を言う。そちらの彼女も今日一日トーコの面倒を見てくれてありがとう。だが、それは今ここでする話じゃない」
「そうしてもらえると助かるね。いい加減窓口が限界だ」
年配の職員が言った。混みだすのはこれからだが、混雑を避けて早めに来たギルド構成員たちでもう列が出来ている。
「ついでに、角ウサギについてはあまり憶測を振りまいて欲しくない。これもいいかね?」
「判ったわ」
「承知した」
リーネとベアが了承したので、トーコもうなずいた。
「話が終わったなら、送っていこう。もう陽が落ちる」
「あ、買取がまだ途中なの」
トーコはアカメクサグモの依頼書を出した。
「ウズラソウも見つけたけれど、採っていい大きさか判らなかったから、やめておいたの。思っていたより小さい草だった」
「あら、これもいっぱいね」
袋を覗いた女性職員が声をあげた。それを聞きとがめてベアがトーコを見る。
「アカメクサグモ? 何匹捕まえた?」
「六匹」
「全部アカメクサグモか? アカメクサグモモドキではなく?」
「えっ! 違う種類のクモがいるの? てっきりあの辺にいるのは同じクモかと思ってた。そっか、前に取り違えないように頭ごと獲るって言ってたのはこういうことか」
あちゃー、とトーコは目を覆った。脱見習いの道は遠い。しかし、カウンターに出された捕獲品を見たベアは首を振った。
「いや、全部アカメクサグモだな。モドキはもっと小さくて牙に毒がない。全部今日とったのか?」
「そうだよ。さっき話したみたいにアカメソウと角ウサギを探すついでに」
「……この時期のアカメクサグモの主食は角ウサギだ。これだけ仔グモが増えているとなると、角ウサギは本当に増えているのかもしれんな。いくら探査魔法でもこれは多すぎる。ふだんは一日で一匹見かけるかどうかだ」
ベアは女性職員を見た。
「アカメクサグモの捕獲も増えているのか?」
「アカメクサグモ自体そんなに持ち込まれないから、ちょっと判らないわね。今年は全体に豊作だし。角ウサギは持込が多くて値が下がりぎみだから気付いたのだけど。今の話も併せて報告しておくわ」
女性職員はというわけで、とリーネとトーコのほうへ紙片を置く。
「角ウサギの引き取り金額は百羽ちょうどで千五十五クラン。例の一羽はギルドに頂戴。アカメソウの実が二件で、それぞれこの金額。一番下がアカメクサグモ。金額に納得したら署名を」
角ウサギに端数が出なかったのが残念だな、と思いながらトーコはリーネを振り仰いだ。
「リーネさん、いい?」
「わたしの今日の報酬はもらい済みだから」
「捌いた角ウサギ?」
「じゃなくて、朝治療してもらったでしょ。角ウサギはもらうけど」
「あ、そっか。じゃ、半分ずつで」
「いいの?」
「うん、ひとりじゃ獲れなかったんだし」
リーネは署名を終えたトーコからペンを受け取り、書類を覗き込んだ。
「安いとはいえ、角ウサギも数があると馬鹿にならないわね。わ、あのクモっていい報酬じゃない」
リーネが声を弾ませたので、やっぱりアカメクサグモはいい値段らしい。とすると、いつもこれだけ稼げるのではなく、アカメクサグモのぶんはラッキーな臨時収入くらいに思っていたほうがいいのかもしれない。今回のようなうまい話はそうそう転がってないだろう。
トーコがメモしていると、カウンターを離れたリーネがはい、と言って麻袋をくれた。中を見るとヤネの葉に包まれた角ウサギの肉が入っていた。
「いいの? わーい、ありがとう!」
「どういたしまして。こっちも杖とおさらばできてせいせいしたわ」
「杖? 使ってなかったよね?」
「家の中でだけね。外で杖なんか使っていたら舐められるもの」
トーコは目をぱちくりさせた。狩人ってそういうものなのか? ヘーゲル医師のところにいると、多少の怪我は織り込み済み、古傷は狩人の勲章というような人が多いのだけれど。元狩人のギルド職員も現役時代の傷跡を自慢そうに見せてくれたし。
「問題はこっちのアカメソウよね。誰か要らないかしら」
「食べないの?」
「明日の朝からまた入域するつもりだから。ご近所に配る時間でもないし」
トーコは断って十粒ほどを両手にすくい取った。探査魔法で実が含む水分量を量る。三本の平行した傷にやった要領で魔力を振り分け、水を皮や細胞を破らないよう少しずつ移動させる。手のひらには黒っぽいドライフルーツが残った。
「あら、便利。美味しいわ」
「もっと水分抜く? あんまり抜きすぎると硬くなっちゃって食べにくいと思うけれど、保存するならカチカチにしちゃったほうがいいと思う。こんな感じでいいなら、今度リーネさんが戻ってくるまでにやっておくよ。角ウサギのお礼」
「いいの? 大変じゃない?」
「魔法の練習にもなるから」
「じゃ、お言葉に甘えようかな。カチカチのを半分、このくらいのを半分。無理しなくて良いからね。家はさっき通ったところよね」
「うん。ヘーゲル医師の診療所って人に聞いてもらえば分かると思う」
ギルドの前で手をふりあってリーネと分かれたトーコはベアと一緒に歩き出した。一人歩きできるリーネとの差を思ってため息をついているとベアが言った。
「アカメソウの実を乾燥させた魔法は誰に習ったんだ?」
「習ったというか、ただ実の中の水を移動させただけ。大気中の水を集めて水を生成するのの逆」
ベア自身は水魔法に縁がないので詳しくは知らないが、そのふたつは同じ魔法の逆ベクトルではない気がする。果物の表面についた水分を飛ばすのと、内包する水分を抜くのとでは違う工程があるように思うのだが。しかもトーコは同時に十個の実を乾燥させたが、萎れかけたのも、瑞々しいのも同時に一律の出来具合になっていた。
「今思いついてやったのか?」
「うん。アカメソウの実は乾燥させて保存できるってリーネさんが言ってたから。これなら急いで食べなくてもいいかなって」
「……前に似たようなことをしている人を見たことはあるか? もしくはやったことはあるか?」
「どっかで見たかも知れないけれど……うーん、わかんないなあ。似たようなことといえば洗濯物を乾かす時だけど、水分を急に全部抜きすぎると、布がばりばりになって着心地最悪なんだよね」
ベアは考え込んだ。魔法には型がある。魔力を最も効率よく構築するための経験則のようなものだ。たとえば物を動かすには移動魔法を使うが、移動させる対象や状況に合わせて都度調整する部分はあるものの、根底にある物体を移動させるための魔力構成は変わらない。
火矢の魔法のように、誰が使っても火力、射出威力を常に一定に揃えることを前提とした魔法が、広い共通認識のもとに存在するのも、それが効率よく安定した形だからだ。魔法使いはそうやって基礎を学び、移動魔法の各自調整部分を次第に拡大して様々に応用して自分なりの魔法を編んでいくものだ。
しかし、トーコは階梯をとばしてかなり自由に魔法を使っているようだ。水の生成も、水流操作も、洗濯物を干すのも、ドライフルーツを作るのも、なべて「水の移動」として広く解釈しているとしか思えない。それがダメだというのではないが、魔法を覚えて半年にもならない者がやることではない。基礎を抑えてこその応用であり、トーコにはそれが抜けている気がして見ていてハラハラするのだ。ヘーゲルがどういう意図で好きにさせているのかまでベアが口を挟むことではないのだが。
「あ、しまった」
突然トーコが立ち止まった。
「どうした」
「ヤネの葉を取ってくるの忘れちゃった」
「ヤネの葉? 何にするんだ」
「お肉を包むのにいいんだって。お昼はリーネさんが角ウサギの肉をヤネの葉で包んで蒸し焼きを作ってくれたの。教えてもらったんだけど、うまく包めなくて、結局全部やってもらっちゃった。練習しておこうと思ったのに。あーあ、また誰かアカメソウの実を摘みに行く人いないかな」
トーコは肩を落とした。
「トーコ。サンサネズの実を採りにいくが来るか?」
「行く! 明日?」
「いや、明日は俺もギルドに買取りをしてもらわなきゃならない。それにトーコにも準備する時間が必要だろう」
「何を準備すればいいの?」
「サンサネズは森を越えた先の高山地帯に生えている。片道二日、採集とあわせて五日の行程だな」
トーコは飛び跳ねた。
「中で野営するの? 泊まり?」
そうだ。「高度があるから寒さ対策が必要だ。冬前の予行演習だと思え。そうだな明後日に荷物を作って、翌日に出発だ」
さっきまでのしょんぼりはどこへやら、やったーといいながらメモを取り出す。ベアは矢のように飛んでくる質問に答えながらヘーゲル家の戸を叩き、そのままトーコとバベッテに引っ張られるようにして夕食に招ばれた。