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第38話 魔鳥の群

 クロオチョウの群に追われた水鳥はそれ自体が巨大なひとつの生き物であるかのように、うねり、膨張し、引き裂かれた。国境警備隊が早くに警鐘を鳴らしてくれたおかげで、障壁を増設する時間的余裕があった。

 先日立てた障壁は町の城壁が途切れる部分から南と北に延びているだけだが、上部にジョイントがある。ジョイント部分だけ城壁に沿って伸ばしていたので、、そこに障壁をはめて移動魔法で押しやれば、現地まで行かなくても設置可能だ。必要枚数は確認済みなので、南北にぴたりとはまる。

ただ、城壁部分に勝手に増設するのはみとめられていないので、城壁のない南北の草原部分だけだ。既存の障壁は城壁に合わせて高さ十二メートルだが、上に増やしたのは高さ五十メートル。空飛ぶ相手にはこころもとないが、先日のバッタのような相手には十分効果があるはずだった。

 トーコは障壁をスライドさせながら、探査魔法で魔物の群を探った。背後ではベアがギルドに向かって、その実、町の住民と国境警備隊へ魔物の襲来を告げている。その落ち着いた声音に、トーコは深呼吸することを思い出した。慌て者のトーコにベアは良く深呼吸しろ、と言う。

肺が空になってもまだ吐き続けるつもりで、息を吐く。吐ききったら勝手に吸える、というのがベアの持論だ。

「よしっ」

魔物の群との距離を測りながら、三段目の障壁魔法をスライドさせる。音声拡張魔法を兵士が走り回っている城壁の上に向ける。

「誰でもいいから、城壁前と上に魔法の障壁を立てる許可を頂戴! その輪っかに向かってしゃべれば声が大きくなるから!」

最大限のボリュームに設定した輪を城壁に投げ込んだトーコは、二重障壁を纏い、魔の領域の空を覆い尽くすほどの魔物の群に飛び込んだ。トーコの進路をふさぐ水鳥をレンチン魔法で百羽単位で撃ち落とし、空いた隙間に突っ込む。目的は水鳥の群の後ろにいる巨鳥クロオチョウだ。<深い森>の空の王者ダイコクチョウには一歩譲るが人を襲って食う程度には大きい。

水鳥の群を突き抜けたトーコは一気に探査魔法を絞った。探すのはクロオチョウではなく、神経中枢を担う脳のごくわずかな部分。数十羽のダイコクチョウの脳を補足、送り込んだ魔力で焼き切る。空を支配していた巨鳥が落下する。落ちた先を確認するまでもなく、トーコは進路を北にとった。水鳥を追うクロオチョウは追われる立場になったことに気が付かず、トーコに落とされていく。

探査魔法を放ちながら、トーコは町の城壁を見やった。もう距離がない。

トーコはポーチから火竜の炎をふたつ取り出した。それを水鳥の群の上空へ最大限の速度で飛ばす。水鳥の群が障壁まで三十メートルを切った瞬間、火竜の炎を解放する。先日の竜巻の経験を生かして、真上ではなく、空を塞ぐように南と北に向かって火柱が横たわった。

炎に押されるようにして水鳥は地を這うほどに低くなり、そして城壁に衝突した。

耳を聾さんばかりの羽ばたきと鳴き声と、衝突音。水鳥の群が大混乱に陥っている。クロオチョウは竜の炎にも負けず、水鳥を追いかける。群のど真ん中に取り残されてしまったトーコはぶつかり合う水鳥に翻弄され、クロオチョウを追うどころでなくなった。強引に群を突破して町の城壁の内側に逃げ込んだ。

竜の炎が切れ、町の上空を水鳥が埋め尽くしつつあった。そしてそれを追うクロオチョウ。トーコは汗をぬぐった。焼け石に水。国境警備隊からの応答はない。

「しっかりしなきゃ! まずはクロオチョウ!」

トーコは自分を鼓舞するためにベアの指示を大声で繰り返した。

気を取り直して逃したクロオチョウを追う。町の中に死骸を落下させると危険なので、採取玉で回収しつつ、進路上の水鳥を排除してクロオチョウを仕留める。混乱に乗じてクロオチョウは水鳥の群の中に入り込んでいるので、最初のころのような効率的な駆除はできない。魔物の群と一緒に移動して駆除するうちに、いつの間にか町を通り抜けてしまった。トーコの感覚では駆除したクロオチョウは半分ほど。

トーコは方針を切り替えた。クロオチョウを探すのではなく、すべて一体の群と見なして、片端から魔力を送り込んで、群事体を削り取っていく。

日々の採集とこのところの狩りで鍛えた容赦ない殺戮の魔法が発動する。採集玉ではなく、障壁魔法を飛ばして死んだ水鳥を重力任せで回収する。無限に思われた巨大な群は徐々に小さくなっていった。

途中で鳥たちの動きが変わった。クロオチョウも水鳥も一緒になって、群に追随して外側から削りとるトーコから逃げる。進路を邪魔する者がなくなり、最後はクロオチョウに絞って追うことができた。最後のクロオチョウを落とした時には、一緒にトーコの気力も切れて、暫く落下してしまったほどだ。

だが、まだ終わりじゃない。トーコは目の前の群を追うので手いっぱいだったが、群が途中で分離している。トーコが分かっているだけでも、どこかにもうひと群侵入している。そしてトーコが目の前の処理で手一杯になっている間に分裂が他になかったとは言い切れないのだ。駆除自体はたいして魔力を食わないが、この追いかけっこをもう一度はしんどい。

「一回、ベアさんのところに戻らなきゃ……」

どこともわからない原っぱで息を整えたトーコは障壁を回収して立ちあがった。人の領域なのは確かだが、現在地がまるで分らない。まずは民家を探してそこからユナグールがどこか聞くしかなさそうだった。

轟音とともに火炎が噴きあがり、うなる竜巻が無数の屍をまき散らした。

「キリないわね」

押し寄せる魔物の群を吹き飛ばしてギルドのトップチームに籍を置く女魔法使いは汗をぬぐった。半分は冷や汗だ。

「これ、夜になったら収まってくれるんだろうな」

「夜行性の魔物が来なきゃね」

城壁から見下ろす草原は押し寄せる魔物で黒いまだら模様になっていた。密集域に大魔法を打ち込んだキースリング青年は舌打ちした。

「障壁係の嬢ちゃんはどこ行ったんだ」

「治癒係よ」

「狩人と兵隊を出せるんならどっちだっていいよ」

魔物の侵入にギルド構成員たちもすぐに対処しようとした。しかし、圧倒的物量の前では腕利きの狩人も無力だ。そんな中で反撃の嚆矢を放ったのが彼だった。通り過ぎようとしたクロオチョウの群に向かって街中にも関わらず、最大規模の魔法を打ち上げたのだ。

障壁魔法で身を守れると言っても、ぶつかってくるものの圧力が勝れば、壊れてしまう。向かってくる鳥の群れをものともせず、大魔法の連打で群に空隙をつくる。圧倒的な魔法と魔力量に任せた力技だ。手をこまねいていた魔法使いたちが、合流し、自分たちの居場所を確保しながら、放射状に魔法を連打する。

魔鳥の群が通り過ぎるまでの半時間あまり。駆除というより自分自身を守るために魔法を打ち続け、群が去った後には大量の死骸と、甚大な被害が残った。

バッタの襲来で学習していた人はすぐに建物の中に籠ったが、それでも逃げ込む場所を探すうちに襲われたり、逃げた建物の上に、撃ち落とされた巨鳥が落ちてきて家が破損したりした例は限りない。

合同作戦本部は直ちに伝令を送り、被災者の救出にあたった。

ベアは連絡のないトーコを心配しながら、ギルド前広場に加療所を作るのを手伝っていた。武器を扱えるギルド構成員はあちこちで残った魔物の駆除と死骸の回収だ。黒焦げなのはまだいい方で、切り刻まれた死骸が酷い臭いを放っている。

ベアが貸した音声拡張魔法の輪っかで女性職員が町中に散ったギルド職員に指示を出している。国境警備隊からは城壁に障壁を立てる許可が出たものの、肝心のトーコがいないのでどうしようもない。

「トーコったらどこ行っちゃったのよ。こんなに怪我人が出てるのに」

「クロオチョウを追いかけているんだと思う」

「それも大事なのは分かるけれど、ああ、トーコがふたり、いえ五人くらい欲しいわ」

薬草に詳しい女性職員が愚痴った時だった。再び鐘が鳴った。

「今度はなに? これでクロオチョウ一羽だったら怒るわよ」

普段だったら一羽侵入したら当然鳴らすが、千羽の大群のあとだと些細なことに思えるから不思議だ。と、少しぼやけた男の声が広がった。

「あー、あー」

ベアは音のする方へ向き直った。音声拡大魔法独特の感じにぼやけていても、ハルトマンの声だ。

「国境警備隊よりギルドへ連絡。魔物の群が東門に接近中。現在森から草原を横断して城壁に向かって侵攻中。ギルドの障壁担当者は直ちに対処願う」

ハルトマンの声は同じ内容を二度繰り返し、切れた。

「魔物の群ですって? この上更に?」

薬草に詳しい女性職員がうめいた。聞いていたギルド構成員も同様だろう。

「今のは、どこで油売ってるか知らんがとっとと仕事しろ、あほトーコ、の意味なんだろうな」

「ベア、現実逃避しないで。とにかく様子を見に行って詳細を知らせて頂戴。この魔法道具、もうひとつないの?」

「そんな大層なものじゃない。向こうのを借りるからそれは使ってくれ」

ベアが地を蹴って飛ぶと、後ろからついて来る者がいた。

「キースリング、キッツェ、魔力はまだあるか」

「結晶石の魔力を使ってよけりゃな」

「わたしも同様よ」

ベアは頷いた。ギルド最大の戦力である彼らには当然一番多くの結晶石が貸与されている。

城壁の上ではハルトマンが待っていた。あいさつ抜きで、草原を示す。

「角ウサギの時を思い出すなあ」

「角ウサギなら良かったのに。ずいぶんと色々な魔物が集まったものね」

ベアは森からにじみ出る影のように近寄る魔物の姿を見やった。

「血の臭いに引き寄せられたのか」

「そんなとこだろう」

ハルトマンが頷いた。キースリング青年が訊ねる。

「明日の合同訓練はそのまま実践に移行か?」

「おそらくな。トーコが戻らない中で打って出るのは自殺行為だが、それ以前にさっきの鳥で東門が塞がっている。先にこれを撤去しないことには通行できない」

城壁に沿って衝突死した魔鳥が高さ数メートルに積み重なっている。

「早々に撤去しないと臭うな。肉食の魔物も寄ってくる」

「トーコがいりゃ、簡単なんだが、あいつはどこだ」

「クロオチョウを追いかけていった。今どこにいるのか分からん。千羽のクロオチョウを野放しにするわけにはいかない」

「分かるが、参ったな。今、接近してきている魔物の群がどう出るかまるで見当がつかない。餌を漁りに来ただけなら短期的にはいいが、長期的にはまずい」

「そうでしょうね。獲物はたっぷりあるけれど、食い荒らせば血の臭いが増えて新手が来るわ。いつまでたってもわたしたちは町に閉じ込められたままよ」

「それ以上だ。バッタみたいに、この死骸を足掛かりに壁を乗り越えてこないとは言い切れない」

ハルトマンが言い、ギルドの三人は顔を見合わせた。

「国境警備隊でもまだ方針が出ていないが、もし打って出るとしたら、ギルドは対処できそうか?」

「分からん。が、とにかく東門前だけなら魔物の死骸は撤去しよう」

ベアの手持ちの時間凍結封筒があれば、移動魔法の使い手の誰かに任せていい。ハルトマンの言う通り、トーコが戻って障壁を立さえすればその中に呑み込まれるはずなので話は簡単なのだが。本当にどこまで行ってしまったのだろうか。あれだけの群をすべて駆除するのはいかにトーコと言えども不可能だが、魔力と気力の続く限り追いかけるだろう。危険な魔物を野放しにしたまま途中で諦めるような彼女ではない。

「地をゆく魔物は暫く猶予があるが、問題は飛行能力のある魔物だな」

「その通りだ。さっきのような大群で来られたらこちらとしても防ぎようがない。そしてこの長い城壁のすべてに兵士と迎撃武器を配備するわけにもいかない」

「……つまり、角ウサギ掃討作戦を再現するしかないってわけね? 他所へ行かれたら困るから、魔物をここに集める」

「理解が早くて助かる」

ベアは天を仰いだ。防護と治癒を担当するトーコが戻らないうちにやるには危険な作戦だ。しかし、既に魔物が集いつつある状況で、飛行する群が来たら容易に城壁を突破されるのも目に見えている。せめてここへ誘導しなくては迎撃もおぼつかない。

「その作戦は国境警備隊の総意か?」

「いや、俺の草案だ。ギルドの協力をとりつけられれば上に具申しやすい」

ハルトマンは笑いもせずに言った。ベアはため息をついた。

「ギルド長に伝えるだけは、伝えよう。ふたりは悪いが万が一に備えてここに残ってくれ。危険なようなら自分の身を優先に」

「言われるまでもないね」

「ギルド構成員に自己犠牲の精神はないもの」

ハルトマンの案を持ち帰ったベアはギルド長の内諾をハルトマンに伝えた。すぐに合同本部の立てられた公堂ではこれ以上の被害拡大を抑えるためにはやむなしとして打って出ることに決まった。

ただし、医療体制のお粗末なギルドでは自己完結できる国境警備隊のように今すぐの対処はできないし、町に侵入した魔物の駆除にてんでに散ってしまっている。鳥は夜飛ばないので日暮れまでしのげばいい、城壁の外に出ても草原中から湧き出る魔物には対処しきれない。そこで折衷案として攻撃は東門近くの城壁からのみ。空の魔物を優先的に駆除し、地上は後回しにすることになった。

城壁の上は狭いので、ギルドからは射手と弓矢は温存して魔法使いのみ派遣となった。身一つで動けるのが魔法使いの強みである。

キッツェとともに東門の真上に陣取ったキースリングは、ぽつぽつと黒い点の浮かび上がる空を見やり、辟易した顔になった。

「細かいのばっかだな」

「クロオチョウ千羽が来ても困るわ。最初は派手にやるわ」

「任せた」

キッツェは草原を侵食しつつある魔物を見据えた。大きな竜巻が大地をえぐり、巻き込んだ全てを切り刻む。展開時間は短いが、あたりにむっとするような血臭が立ち込める。次いで小さな風の刃を立て続けに打ち出し、竜巻の範囲から漏れた大型肉食獣を選んで次々に首を刎ねていく。完全に切り離された首からは勢いよく血が流れているはずだ。

「チョウロウクロネコの血はいい値がするのに、もったいないなあ」

「この様子なら、いくらでも狩れそうよ。いつもの追跡の苦労は何だったのかしら」

軽口をたたきながらも、的確に危険な魔物を最小の魔力で排除していく。キースリングと他の魔法使いたちは、空から侵入しようとする魔物を片端から狩る。

大型のクロオチョウやダイコクチョウもちらほらと姿を見せ始め、そのうちの何羽かは国境警備隊に配備されたばかりの大型弩で撃ち落とされた。数が少なく、兵士たちもまだ扱い慣れていないので、外したものは魔法使いたちが最優先で処理する。

「北東からでかいのが来るな」

すり抜けようとした小鳥を障壁魔法で叩き落としながらキースリングが言った。相手が小さいと火炎を打ち込むよりもこっちの方が柔軟で効率的だったりする。城壁の外に向かって落下する死骸には目もくれず、新たに出現した大きな影の正体を見定めようとした。

「鳥にしちゃ形が変だ」

「そうね、なんだか蛇みたい……分かった、セグロコウモリの群じゃない?」

「言われてみれば、あの動きは見たことあるな。まだ日暮れじゃないのにもうねぐらから出て来たのか」

「獰猛だし、町に入られたら厄介だわ」

「ちょっと行ってくる」

「魔物と間違われて味方に撃たれないようにね」

キースリングは纏った障壁魔法に浮遊魔法を重ねて、草原をつっきった。厄介なコウモリの群を大規模な火炎で焼き尽くして城壁へとってかえす。冗談交じりに警告されたように、味方の攻撃を邪魔しないために、彼ら魔法使いは基本的に城壁から前へ出ないことになっている。

「あなた、移動魔法早くなった?」

「浮遊の魔法を使えりゃこのくらいのスピードは出る。風のある日は使いづらいが、いいぞ。あんたもトーコに教えてもらっただろうが」

「うちのチームにはわたしより移動魔法が得意なひとがいるもの。あんまり使わないのよね」

「ああ、あの時間凍結魔法のじいさん。そういや、城壁で見ないけれど、移動魔法が得意なら、この死骸の回収は彼の担当か?」

「まさか。彼がそんなつまらない役目を引き受けるわけないでしょ。すごくプライド高いんだから。トーコが戻ってきたら、彼女にやらせるんじゃない?」

「そういや、角ウサギの時もひとりで回収してたな。文句たらたらだったが」

回収した角ウサギを燃やしてもらおうとする彼女を躱し、その後に出た指名依頼も無視したキースリングはしれっと言った。報酬にはちょっと心惹かれたけれど、あの角ウサギの量にはうんざりする。

「それにしても、ほんとどこまで追いかけて行っちゃったのかしら」

「迷子になってるんじゃねえ?」

「転移魔法が使えるんだもの、それはないでしょ。さて、新手のようよ。それも二群。あなたどっち行く?」

「じゃ、右で」

接近する魔物を撃ち落としながら、ふたりはそれぞれの相手に向かって城壁を蹴った。

合同作戦本部では緊迫した話し合いが続いていた。先日のバッタに加えて、今日の魔鳥、しかもユナグールでもおなじみの人を襲うクロオチョウの大群の侵入は人々を震撼させた。直接魔物に相対するギルドほど大魔周期の脅威を肌で感じていなかった町議会もここに至って非常事態を悟らないわけにはいかなかった。彼らが特に気にしたのは町の南側、保養地区に居を構える裕福な保養客だ。

「このままでは次の飛行船でユナグールを離れようとする外国人保養客をとどめておけない。一度そういう流れになれば、ユナグールはすたれてしまうだろう」

南区に滞在する裕福な長期療養者は魔の領域から得られる滋養豊かな薬膳料理や薬が目当てである。彼らの撤退は町の経済にも影を落とすだろう。影響を受けるのはギルドも同様だが、日持ちするものは輸出できるので、町議会ほど致命的ではない。

町議会からは町、特に南区の防衛を目に見える形で最優先に、と希望が出された。火災の危険のある大規模な火炎系の魔法の自粛要請も出た。

彼らの立場を考えればそうだろう。だが、国境警備隊は拠点としての町は大事だが、魔物の国内への侵入を阻むのが任務である。そのためにはユナグールを捨てることも戦略のうちだ。それなのに、町の一地区に余計な戦力を割くなどあり得ない。純軍事的に意味のある防衛拠点だというならまだしもだ。

そしてもっとも打算的なのが魔の領域への入域管理ギルドだ。魔の領域から得られる資源の流通は管理するが、それは拠点となるユナグールの町全体を何が何でも守らねばならないと言うものではない。これほど多くの魔物が侵入することによって、魔物の値が下がり、魔の領域での採集が困難になった以上、できる限りギルド構成員を温存し、大魔周期が落ち着いてから防御から攻勢に転じたほうがよい。何しろギルドは構成員に対して、頭ごなしの命令を出すことができないのだ。大魔周期後を考えて、今は頭を低くしてやり過ごしたいのが本音で、防衛戦線拡大には慎重だ。

三組織それぞれの事情が火竜のときより更に先鋭化してあらわれてきた。あの時は火竜を町に入れないことという三組織に共通の目的があったのだと、伝令係として出入りしていたベアは今更ながらに痛感した。

確定しているのは、トーコが戻ったら、城壁の東に障壁を張って魔物の流入を抑えること、城壁外の魔物の死骸を回収させること、そうやってある程度安全を確保したうえで、東門外で戦うこと。そのためには当然、トーコの治癒がいる。更に、公都への伝令も彼女に遅らせるのが最も早い。

全部トーコ待ちなので、しだいに中々戻らない彼女へのいら立ちが募る。ベアも頻繁にトーコはまだ戻らないのかと聞かれるのに嫌気がさす。同時にあまりに遅いので何かあったのではないかと気が気でない。まだクロオチョウを追いかけているのか、途中で被害にあった町で治癒にでもあたっているのか。それともなにか起こったか。

ベアは首を振って不吉な考えを追い払った。

「ベア、君の弟子はまだか」

城壁の魔法使いたちの様子を一渡り見てきたベアが報告のために合同作戦本部に戻ると、報告するより先にギルド長が訊ねた。また突き上げられていたらしい、と察するものの愉快であるはずがない。

「戻ったという話は聞いていない」

この非常事態に、と誰かが舌打ちする。国境警備隊はさっさとトーコ抜きで作戦を建て直し準備も整えたが、戦闘員が少なく、物資も蓄えていないギルドは同調できない。

「君の弟子とやらは無責任ではないかね」

たまりかねた町議会の男がベアに直接苦情を言った。ベアはギルド長を見やった。視線を受けてギルド長が繰り返す。

「彼女は今クロオチョウ駆除の任についている。クロオチョウの進路が誰にも分からない以上、連絡が取れるまで時間がかかる」

「だとしても、人の領域に入ってしまったクロオチョウよりも、これ以上の侵入を許さないことのほうが優先されるのではないかね」

今度は国境警備隊長がきつい目をした。町議会の人間にとってクロオチョウは通り抜けた災厄でしかない。それより、城壁の外に魔物が集まりつつあるというのなら、次の脅威の排除をしてほしいのが本心だろう。反応したのはギルド長ではなく、国境警備隊長だ。

「千羽ものクロオチョウの群が空から襲いかかる。よその町や村のことなど知ったことではないと言いたいのかね」

「この町を守りたいゆえだが、議員の言葉が過ぎたのは謝罪する」

町長がすばやく言葉を挟み、抑えにかかった。国境警備隊長はそっけなく頷く。

「その気持ちは理解できる。我々とて国を守りたいと思っている」

「頼みに思っております」

殊勝な言葉の裏にはだったらなぜ早く打って出て、魔物を排除しない、といういら立ちが透けて見えた。もうずっとこんな実のないやり取りばかりである。話が落ち着くのを待ってベアはギルド長に話しかけた。

「報告をしても?」

「ああ、続けてくれ」

続けるどころか始めさせてもらえなかったベアはやっと報告した。正確には、もうすぐ陽が落ちるが夜間の警備をどうするか、である。ギルド長は他の人に聞かせるために質問した。

「夜行性の城壁を越えてきそうな魔物はいるのか」

「コウモリやフクロウの類、この季節だから数は少ないと思うが昆虫類やヤモリなどの爬虫類がいる。コウモリは既に夕方の早い時間から大群がひとつ出ているが、駆除済み。フクロウは小型のが<深い森>にいるが、生息数は多くない」

「夜は比較的安全と見ていいか」

「なんとも言えん。サルの魔物のように見たことのない魔物も現れている。油断すべきではない」

「魔法使いたちに余力はあるか」

「予備魔力に手を出しているのが半数以上。既に長時間魔法を使い続けている。集中力の切れた者から仮眠をとらせて魔力と気力を回復させているが、弓と同じで暗くなれば飛行する相手に魔法をあてるのはどのみち無理だ」

視力でなく探査魔法で敵を察知するトーコならば、夜だろうが関係ないのだが。ユナグールの特性上、探査魔法の使える狩人の魔法使いは多いがトーコほどの精度は望めない。

明確な方針が決まらないまま、時間ばかりが過ぎ、陽が落ちてギルドの魔法使いは城壁から撤収した。対策本部も少数の連絡要員のみを残して座を解くことになった。疲れた表情の人々が立ちあがり、ベアは暗い窓の外を見やった。トーコが追っているのは夜目の効かない鳥だ。移動していない相手にトーコもそろそろ追いかけっこを追えるはずだ。

と、ベアの視界が急に暗くなった。視界を塞ぐものがのしかかってきて、注意散漫だったベアは簡単に近くの椅子を巻き込んでひっくり返った。けたたましい音が響く。同時に聞きなれた情けない悲鳴が耳を打ち、ベアは上半身だけで跳ね起きた。

「無事か!?」

尻餅をついたベアの上で顔を抑えて呻いているのは紛れもなく彼の弟子だった。その顔を覗き込んで、ベアは仰天した。

「どうした!」

「べ、ベアさん……」

打ち付けた鼻を押さえながら、トーコが顔をあげた。ただでさえ涙でぐしゃぐしゃの顔が更に歪んだ。その目に涙が盛り上がる。

「何があった!?」

「い、いくら探しても人なんかいないし、く、暗くなってくるし、寒くなってくるし、お腹空くし」

ずびっ、盛大に洟をすすりあげながら、トーコはベアのローブを両手で握りしめた。

「も、も、もう、二度とベアさんにも、バベッテ姉さんにも会えなかったらどうしようって、ひくっ」

「……は?」

「か、帰ってこれてよかったーっ! うわーん!」

トーコの頭突きを受けながらベアは唖然とした。泣きじゃくる合間のトーコの言葉を拾ってつなぎ合わせると……。

「このくそ忙しい非常時に迷子だと!」

「きゃー、痛い痛いいたたた!」

こちらもすっかり聞きなれた怒声と共にハルトマンが左右の拳骨をトーコに見舞っていた。

「いつまで自分の師匠を足蹴にしている。この不届き者が!」

「ふぐっ! く、首……!」

「大丈夫か」

「ああ。ありがとう」

ハルトマンが荷物をどけてくれたので、呆然としたまま、彼に引き起こしてもらってベアは立ち上がった。首根っこを掴まれたまま、じたばたしているトーコを見やる。

「怪我はないな?」

「うん」

「魔力はあるか」

「うん」

「これから障壁を張りに行く」

「ここ、どこ?」

トーコはきょろきょりとあたりを見回して、初めて大勢のひとに注目されているのに気が付いた。

「待った、その前にクロオチョウは全部駆除したか?」

ベアの言葉を遮ってハルトマンが確認した。ベアはひそかに息を深く吐いて吸った。うっかりトーコに釣られて動転していたようだ。ハルトマンが冷静で助かる。

トーコはしゅんとした。

「ううん」

「なんだと!」

ハルトマンが語気を強めると、吊り下げられたままトーコは必死に言い訳した。

「だ、だって」

「だっては使用禁止だろうが、お前!」

「群が別れちゃったんだもん! な、なるべく大きそうな群を見失わない範囲で追いかけて、離れた群もギリギリまで駆除したけど、ひとりで全部は無理だもん! 誰も手伝いに来てくれないし!」

「あんなあほみたいな速度についていける魔法使いがそういるか!」

「酷い!!」

「針路くらい読めるようにしとけ」

「前なんか見えないのに無理だよ! 三十センチ先だって見えなかったんだから! やっと追いかけた分を全部駆除したら、今いるのがどこかも分からないし!」

「そういう時はとにかく東に向かえ。魔の領域にぶち当たってそこが湿地なら北へ行けばどこかでユナグールにぶつかる。高原砂漠なら南へ行けばいい話だろうが!」

トーコはぽかんとハルトマンを見上げた。

「あそっか」

再びトーコの悲鳴。

やっと涙のひっこんだトーコから聞き出した話を総合すると、百羽から二百羽のクロオチョウが公国内で野放しになっている状況らしい。当然、解散は取り消されて、場は追加の使者を出すことで満場一致した。

ベアとトーコは公都への使者をハルトマンの次兄の屋敷まで送り届けてから、城壁外と町の南北の障壁に三段目を立てた。これ以上魔物が寄ってこないように、草原に散らばる魔物の死骸も残らず回収する。

「城壁上は攻撃拠点だから、全部塞がないようにという国境警備隊からの要望だ」

「塞いじゃうとわたしたちも、出入り大変だもんね。スライドと掛け金で開け閉めできるようにすればいい?」

「そうだな。高さは二メートルもあれば」

「その上に通常のトリ障壁をのっければいい?」

「トリ障壁?」

「障壁魔法と空間拡張魔法と時間凍結魔法を施したトリプル障壁。略してトリ障壁」

トリプル、の意味は不明だが、トーコがそう名付けることにしたならここは製作者の意思を尊重しておくことにして、ベアはサンドイッチを齧りながら障壁の増設を見守った。トーコも口をもぐもぐさせながら障壁の増設に励む。幸い夜行性の魔物で飛行するものはそんなに数が来ておらず、接近したものは、増設の片手間に空も地上も漏れなくトーコが駆除して回収している。その程度の魔物しかいない。

「血臭が薄れるまでは魔物が来るだろうが……」

「空飛ぶ相手にどこまで障壁の高さをあげるかも問題だよね」

「上を見ればキリがない。ここまででいい」

地上にしても、ユナグールを中心に南北へ延ばしているだけなので、魔の領域との境すべてをカバーするには遠く及ばない。そしてこの障壁もいつまでも維持できるものではない。消費した魔力は、ため込んだ魔力のあるトーコから見ても相当な量だ。

深夜、ヘーゲル家に戻るとバベッテが起きて待っていた。ヘーゲル医師は例によって治療疲れと魔力切れで睡眠中だ。ヘーゲル家も被害を免れなかった。バベッテがすぐに家じゅうの窓と板戸を閉めたので家の中は大丈夫だったが、外では鉢植えが割れたという。

先日のバッタに続く鳥、しかも今回はひとをたびたび襲うことでユナグールでもお馴染みのクロオチョウの大群の侵入だ。町の中に降り立った数は少ないものの恐怖心は前以上だったろう。

「空が真っ暗になって、ものすごい音がして、怖かったわ。シラーさんのところは窓を破った鳥が二階の部屋に入ってきて、夫人が後片付けの時に割れた陶器の破片で手を切ったの。明日診てあげてくれない?」

「うん、朝一番に行くよ。肝心な時にうちにいなくてごめんね」

スープを温める火を一緒に眺めながらトーコは謝った。バッタの時も後悔したのに、またバベッテが怖い思いをしているのに、ほっぽって魔物を追いかけ回していた。たまたま家にいたからいいものの、そうでなければ危険だったのに。自分で自分の学習能力のなさに情けなくなる。

トーコは翌朝、家の壁や屋根はすべて障壁魔法でコーティングし、家の中にも緊急避難室を作った。廊下の床とヘーゲル医師の診療所の壁だ。診療所の方は、今回もまた怪我人や付き添いの家族が家の中に溢れていたので、ヘーゲル医師は避難所と言うより、バッタ襲撃時の救護所のような、作り付けのベットのある巨大空間を希望した。だが、あまり大きくすると所詮閉鎖された空間なので風通しがよくない。

「いっそ、家の外に独立して作る? それなら通風孔は確保できるよ。百床くらい置いても大丈夫だと思う」

「百か。こういう時だし、近所の連中にも声をかけてみるか」

「試しに作ってみるから、意見を聞きたいな」

トーコはヘーゲル家の南側にトリ障壁魔法を立てた。救護所の経験があるので、ベットだけでなく、トイレや水場、薬品棚なども一息に形成して時間凍結する。先日は包帯を作る場所がなくて床で作業したり、物資を直接床に積んで、ぐちゃぐちゃになってしまったりしていたので、その反省を生かした。スタッフ用の休憩スペースや作業スペースも確保する。各ベットのヘッドボード部分に棚も作って個々の薬や荷物を置けるようにする。

「ほう。いいじゃないか」

「試作品だから有効期限は三日。本番は一年くらいで作るよ。結晶石はここに付けておくね。誰かに補充してもらわないといけないんだけど」

「それは、なんとかなるだろう。この結晶石はえらく小さいが……」

「普通の結晶石を取り出した後の残石に混じってるのを貰ったの。小さいけど、数貼りつければ十分保つよ」

これがうまく行くようなら、ギルドの加療所にも応用できないかな。そんなことを考えながらバベッテに連れられて、シラー夫人の怪我を治して、シラー家にも同じように避難室を設置する。乳児を抱えたシラー夫人は不安そうで、今日からここで寝ようかしらとまで言う。

「トーコちゃん、最近アムル村に行った? 実家がどうなっているか心配なの。村には城壁なんかないのに、魔物がこんなに入り込むなんて」

「ごめんなさい、最近の様子は知らないの」

シラー夫人はがっかりした。アムル村はユナグールから近い。つまりは魔の領域に近いわけで、今年の初めに既に大型の魔物が何頭も入り込んでいることを思うと、心配なのだろう。

約束の時間にギルドに行くと前の広場でちょうど反対側から来るベアを見つけた。

「ベアさん、おはよう!」

「おはよう」

ベアは元気よく駆け寄るトーコを見やった。昨日、泣いたことなど忘れた顔でけろりとしているので、安堵する。ギルド前の広場には情報を求めてギルド構成員や町の人がたむろしている。

ギルドに顔を出して、依頼されていた音声拡張魔法のかかった道具を渡す。金魚すくいのポイを大きくしたようなのと、それを納める鞘はトーコのお手製だ。このところの薬入れづくりですっかり慣れた木材から転移魔法で刳りだしたもので、鞘のほうには時間凍結魔法がかかっている。音声拡張魔法はもともと効果時間が短いので、これで少しでも使用時間を延ばすつもりだ。

ギルドでは他に音声拡大魔法を使える魔法使いを三人見つけていたが、その場で直接音を拡大するのではなく、物にかけて使うという発想はなかったということだ。練習する時間もないので、トーコがやったほうが早い。

「トーコ、クロオチョウは何羽捕まえた?」

「八百三十一羽。水鳥は数えてないけど、万の単位」

「頼むから、それ全部一度に持ち込まないでくれよ」

元狩人のギルド職員が寝不足の顔でうめいた。

「このクロオチョウから血凝りを作れないか。血凝りを作れる加工職人を紹介してもらえるなら、こっちで直接持ち込んでもいい」

「その血凝りは寄付してもらえると助かるね」

「図々しい。血凝りを買い取るか、血だけ買い取って自分で持ち込むかは選ばせてやる。肉や羽を一度に持ち込むのを遠慮するだけ褒めてくれていいぞ。とにかく、血だけでも今すぐ取引できるようにしてくれ」

「そういうことなら、こっちも考えるよ。俺の一存じゃ決められないから、すぐに返事はできないが、血凝りの加工は始めてくれていい。ただ、まだ他所へ売るなよ」

「了承した」

「ついでに、昨日回収した魔物の中にモリガエルがあったら、出して行ってくれ。持ち込みが足りなかったからちょうどいい」

「これ全部あげる」

トーコはちょうどいいとばかりに草原から回収した魔物を放り込んだ封筒を押し付けようとしたが、うまく躱されてモリガエルだけ巻き上げられてしまった。

ベアはがっかりしたトーコを連れて東区の食肉市場近くの屠殺場へ足を向けた。隣接する貧民街の中をまっすぐにつきすすむ。すさんだ雰囲気の住民が非友好的な視線を投げる。何年も掃除していないトイレのような酷い臭いがする。トーコはこっそり消臭魔法と消毒魔法を使ってしまった。

「びくびくするな。舐められる」

「ご、ごめん」

「背中を丸めるな」

ベアは堂々と住民に道を聞き、答えてもらえなければ無視して次の相手に質問を繰り返した。その平然とした様子を見てトーコもなんとか背を伸ばしたが、ベアのローブを握りしめるのはやめられなかった。

やたらと複雑で行き止まりの多い細い道の果てに訪問先はあった。ギルド職員の殴り書きの紹介状を見やり少し開けた道でゲーム卓を囲んでいた男たちは鼻を鳴らした。

「ヨードという男の工房を知らないか」

「あんた誰だ。そいつになんの用だい」

「ギルドのベアという。血凝りの作成の依頼に来た」

「金は払えるのか?」

ベアは鼻のひしゃげた男を見返した。

「血凝りの出来による」

「それは血による。ものは何だ」

「クロオチョウ」

男は嘲る笑みを浮かべた。

「だったらお気の毒さまなこった。同じ鳥でもダイコクチョウほどいいのはできねえ」

ベアは男を見返した。

「あんたが俺の探している男なら、クロオチョウの血凝りとしてよい出来なら金を払う用意がある」

「血の鮮度によるし、量による」

ベアは瞬きもせず言った。

「一羽出せ」

「う、うん」

ここに? と思ったが、トーコは言われたとおりにクロオチョウを一羽出して空に浮かべた。何人かはぎょっとしたように後ずさったが、鼻のひしゃげた男は笑みを消して無表情になった。立ち上がり、クロオチョウに触れた。

「仕留めたばかりで暖かい。鮮度に文句はなかろう」

「まあまあだな。屠殺場へ持ち込むといい。ここへは血だけ持ってこい」

「トーコ、血抜きしろ。適当な入れ物でいい」

適当と言われても。トーコは首の血管に小さな切れ込みを入れ、素焼きの壺に押し出した血を注いだ。

鼻のひしゃげた男に渡すと、臭いを嗅いで、指を突っ込み、次いでそれを口に入れた。見ていたトーコは気持ち悪くなって思わず目をそらせた。

「一羽と言ったな。あと何羽やってほしいんだ」

「何羽やれるのかによる」

「この三倍だな」

ベアは二羽分同じように処理して鼻のひしゃげた男に渡した。そこまでしてやっと加工賃の交渉に入る。

「高い」

「嫌なら持って帰りな。他を探している間にも血はどんどん劣化するぜ」

「心配無用だ。俺の手にある間はそんなことにならないと、あんたが今見たとおりだ」

ベアは強気で交渉し、トーコはハラハラした。やっと金額と納期が折り合った時にはほっとした。それでも、貧民街を出たベアは足元を見られたとぼやいた。こちらが急いでいるのを見透かしているようだと言われても、トーコには全然分からない。

次に訪ねた加工職人はやはり屠殺場近くの生臭い地域に住んでいたが、客あしらいはまともで、トーコは助かった思いだ。ギルドが知っている血凝りの加工職人はいずれも職業柄か屠殺場近くに工房を構えていた。ギルドの競売場でも解体はされるが、近くには住んでいないようだった。不思議に思ったが、単純に家賃が高いということだった。

「血生臭いから近隣にも嫌われるし、自然と工房を開ける場所が限られるのもあるだろうが」

「そうなんだ。あんなに工房を回ったのに、一度に加工できるのは二十羽もないんだね。全部血凝りにするには時間かかりそう」

「結局必要ないかもしれんからな」

ユナグールの守りに関してはトーコの障壁魔法がある。あまり長引くと再度時間凍結魔法をかけたり、作り直す必要が出てくるが、空から来る魔物以外はこれで対処できるので、角ウサギの時のようなことを考えて焦っていたベアは一息ついた気分だ。

これから侵入した魔物の駆除などに追われることになるだろうが、当初想定よりましな状況だ。ヘーゲル夫人の実家の薬種商に寄ると、冴えない顔色のアニが出迎えた。店や自宅に被害はなかったものの、相次ぐ魔物の侵入にみな神経質になっているという。

「うちの人もてんてこ舞いみたい。昨日はうちに帰っても来なかったわ」

アニの夫は町役人である。今頃、忙しいはずだ。

「じゃあ、昨夜は家でひとりだったのか。こういう時は店に泊まったほうが安全だぞ」

「そういうわけにもいかないでしょ。帰ってくるかもしれないんだし」

「鐘が鳴ったら、確認するより先に、とにかく近くの家に入れてもらえ。それができないなら、頑丈な石壁の北側に隠れて身を低くしていろ。むやみに動き回るほうが危ない」

「ええ、そうするわ」

「あとは、これくらいか」

ベアは封筒から緊急避難用の球形障壁を出した。トーコが使い方を説明し、ついでに店に避難室を作っていると、店主に奥に呼ばれた。

「魔物のほうはどんな塩梅だい」

「ユナグールの町に限って言えば、魔物の流入はかなり抑えられている。だが、魔の領域と人の領域の境のすべてを防護する事はできないし、空から来る魔物に対しても同様だ。どの程度で魔物の流入が収まるのかにもよるが、暫くは入域できそうにない」

「うん。うちでも傷薬や止血薬の注文が増えた。予想の範疇だが、ひとつ別の問題が発生している。飛行船が出発日を早めるそうだ」

「飛行船?」

「そうだ。ここらの薬種商と付き合いのある交易商人がさっき来た。昨日の魔物の侵入で、飛行船に搭乗申し込みが殺到しているらしい。主に帝国の富裕療養者からだが、もっと酷くなる前に逃げ出そうということだね。今のうちに手付を払って荷を積むスペースを確保したそうだ。うちも次に持って来てもらう注文の品を早く決めないとならないんだが、こっちとしても何をどれだけ仕入れなければならないか読めなくてね」

「そういうことなら、次に届いた荷のうち、すぐに使わないのは時間凍結して預かろう。他の魔の領域からどれだけの魔物が流入するかも分からんし、備えがあるにこしたことはない」

「じゃあ、それで連絡を回しておくよ。ユナグールで必要なくても他からひきがあるかもしれないしね」

「南区の保養客は逃げ足が速いな」

「わざわざ危険な場所に来る理由もとどまる理由もないからね」

「薬屋も困るんじゃないのか」

「長引けば響くねえ。今は帰国者が入用な薬をまとめて買っていくが、経済力のある彼らが消えた後が問題だ。このまま状況が悪化すれば、最悪次の飛行船がユナグールに来ないことも考えておかないと」

「そんなに深刻なのか?」

「空の上で魔物の群に襲われたら、応戦しようがない。情勢がはっきりするまでは外からの供給が経たれることも覚悟しておかないと」

「飛行船ってのは、帝国までどのくらいかかるんだ」

「詳しくは知らないが一ケ月以上なのは確かだ。中継地のキリナンまでが三週間だったはずだから」

「三週間か。さすがにトーコでも無理だな」

行ったことのある場所なら、トーコが転移できる。最悪それで薬品原料を運べないかと思ったが、そのためにはまず通常の移動手段で目的地まで行かねばならない。今の状況で長くユナグールを離れるわけにはいかない。

「薬品原料が届かないくらいなら、まだいい。いや、良くはないんだけど、このまま冬を越した後が問題だ」

「あと?」

「ユナグールは辺境だ。飛行船が来るのはユナグールに集まる魔の領域の産物があるからだが、ギルドの通常の活動が止まってしまった今、仕入れの商人がどれだけ来るかな。彼らの目当ては魔の領域の産物、その加工品だが、来るときは手ぶらじゃない。食料や布地といった生活必需品も少なからず運んでいる。ユナグールに限らずバルク公国に運ばれる穀物や布地はほとんどが帝国産だ。これから国内の流通が怪しくなると、公都からも、海の玄関口の南の交易港からも遠いへき地のユナグールには物資が届きにくくなる」

ベアはどきりとした。ハルトマンに聞いた話がよみがえる。人口の三割が犠牲になった……。

「今は冬に備えて蓄えた物資があるが、これがなくなった時が、本当のユナグールの踏ん張りどころだろう」


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