第36話 備え
久しぶりに登校したトーコは始業前、必死に休んでいた間のノートをエンケに写させてもらった。バッタはまだ町のあちこちではねているが、ギルドが市民からも買取をしているので、確実にその数を減らしている。
中には町の外の草原までバッタを獲りに行って東区の端にあるギルドまで持ち込む強者もいるらしい。ギルドとしては、小遣い稼ぎでもなんでもいいのだが、中には石を混ぜたり、バッタをわざわざ水で濡らして重量を稼いだりという不届きな輩もいて対応が大変らしい。
「学校は大丈夫だった?」
「うん、大したことなかったよ。ただ、あの日はさすがに学校から出られなくて、お腹がすいてまいった」
「僕たちが帰れないのはもちろんだけど、寮が目と鼻の先の寮生もここに泊まったもんね」
「いつ家に帰れたの?」
「次の日にうちの親父が迎えに来て、それで三人一緒に帰った。途中で凄い火事を見たよ。それで心配になったみたいだけど、バッタを踏んで歩くのがもう、気持ち悪くて」
「うっ、それは確かに嫌だ」
思わず足裏の感触を想像してしまい、トーコはぞっとした。するとヴォルフが呆れたように言う。
「何言ってるんだよ。ギルド構成員なのにバッタの駆除はしなくていいのか?」
「やったよう~。しばらくバッタは見たくない」
「それについては同感だけど。今年の魔の領域はどうしちゃったんだろうね」
「大魔周期だからしょうがないよ」
ノートのページをめくりながらトーコは言った。あんなことがあった後だと言うのに授業はトーコを置いて進んでしまっている。
「歴史の授業でやった?」
トーコはペンをインクに浸しながら生返事をした。
「そうそれ」
ヴォルフとエンケは顔を見合わせた。
「大魔周期ってどんなのだっけ。英雄王の話しか覚えてないや」
「建国の初めの方のだよな。んで、それがバッタとどんな関係があるの?」
「ん? また周期が来ていて、そのせいで魔物が人の領域に溢れてくるって話。エンケ、ここの途中計算が分からない。なんか一個式を飛ばしてない?」
「あー、そこ眠かったから飛ばしてるかも」
「だと思った。字が流れてるもの」
「ヴォルフ、ここんとこだけノート見せてくれない?」
「いいけど……こないだのバッタとか、他の魔物とかって侵入してるんじゃなくて溢れてきてるのか? それって大丈夫なのか?」
トーコはヴォルフの差し出したノートをパタパタとめくった。
「誰も経験したことないのに分かるわけないよ。でも、町議会と国境警備隊とギルドがまた合同で対策本部をたてたんだから、大変なことなんだと思うよ。しかも、ユナグール大学の先生の話じゃ、前回よりも酷くなる可能性があるって」
「前回? 前回って歴史の授業でやる?」
「うん」
「それが本当なら、危険なんじゃないの?」
「そうだね。前は十人に三人が亡くなったみたいだし」
エンケ少年がかぱっと口を開けた。
「あのさ、トーコはなんで平気でいられるわけ? 俺たちを担いでいる?」
「別に平気じゃないけど。町の人を避難させたりするのは町議会の役目だし。ギルドは魔物に対抗するのが役目だから、今はいざってときに備えて準備している段階。何百年も前にはユナグールの城壁はここまで大規模じゃなかったし、今回は過去の記録があって何が起こるから分かってるから対策だってとれる。前と同じにはならないはずだよ」
絶対そうだ。そのために、ベアだって薬種商たちだって今できることを始めているんだから。
トーコとしては、医薬品や防御用障壁も大事だが食糧不足の話も気になる。今日も学校に来るより早く馴染みのパン屋に行って小麦と交換にパンを焼いてもらう約束を取り付けてきたところだ。
大魔周期の話はふうん、というレベル、食糧不足についても冬支度も終わりかけの今ごろ教えてもらっても、という反応だった。それでも、この間のバッタの騒ぎのようなことになったらパン焼きも中断だろうから、上等の小麦をいくらでも、というとがっつり食いついた店主は今頃頑張ってくれているはずだ。
そこへ、寮生たちが登校してきた。級長のカレルがトーコを見て歩み寄った。
「おはよう、トーコ。久しぶりだね」
「おはよう、級長。第三学年はどうなった? この間は級長ひとりに押しつけて早退しちゃってごめんね」
「ギルドの魔法使いなら仕方ないさ。第三学年は今頃大人しくなっているんじゃないかな。君に意地悪した子は青くなっているかもしれないけれど、君がついている以上、ヘレナにおかしなちょっかいは出さないと思うよ」
トーコはペンをとめてカレルを見上げた。
「それ、どういう意味?」
「君がギルドの魔法使いなのはもう皆知ってる。どういう手段でかヘレナのリボンをとった子を特定したのもね」
トーコは眉をひそめた。
「それ、わたしが怖いからヘレナに嫌がらせしないってこと?」
「そんなところだ」
「級長、それってなんの問題解決にもなっていないんだけど、分かってる? この学校の第三学年の生徒は自分より強そうな相手には媚びるけれど、自分より弱い相手に対して集団で嫌がらせする卑怯者だって言ってるも同然。彼らは自分が何をやったか本当に理解している? そして、カレル、君たち第五学年生も理解している?」
カレルは押し黙った。
「わたしはヘレナと友達になりたいけれど、だからと言って第三学年の男の子たちを敵だと思っているわけじゃないよ。彼らにも反省して成長してもらいたち思ってる」
「そうだね。ごめん」
「カレルはそうやって自分の間違いを認めることができるし、そこから成長することもできる。でも、今の第三学年生にはまだ誰かの助けが必要だと思うよ」
実際、カレルは凄い。十代前半の年齢で指摘されてすぐ自分の過ちを認めることのできる子どもなんてそうはいないと思う。負けを認めること、謝罪する事、どっちも勇気がいる。
「第五学年生だけで難しいなら、上級生や先生に協力を依頼するのも判断のひとつじゃないかな。わたしだって自分の手に余るからカレルと第五学年生に助けを求めたんだし」
「うん。少し考えてみるよ」
カレルは珍しく皮肉抜きに素直に頷いた。
第三学年の授業に移動したトーコは教室に入るなり、ヘレナを除く全員の視線が向けられるのを感じた。無視して席に着き、近くの子にノートを写させてもらうよう頼むと、少年はノートを差し出しながら訊ねた。
「空が飛べるって本当?」
「うん」
「それってどんな感じ?」
「どんなって言われても。自分で自分を持ち上げてるだけだから。飛んでみたいの?」
「飛んでみたい!」
勢い込んだ少年にトーコは目をあげた。
「飛んでみたいなんて、男の子だなあ。わたしなんか最初はおっかなびっくりだったのに」
「ええーっ、いいじゃないか、空が飛べたら最高だよ」
「飛行船があるよ」
「飛行船なんか乗ってるだけじゃないか。自分で鳥みたいに自由に飛びたいんだよ!」
「魔法で飛ぶくらいなら体験させてあげられるけど、学校は魔法禁止だし、わたしは皆が運動の授業している間に帰っちゃうし」
彼らも運動が終わったらそのまま寮に戻り、外出の時間はない。第四学年生以上になると、申請は必要だが休日の外出はできるようになるらしいけれど、第三学年生はそれもできない。
「外出るなんて、三校戦の時ぐらいしかないしなあ」
「サンコーセンって何?」
「えっ知らないの!?」
「うん、初めて聞いた」
少年は心底びっくりしていた。信じられない、とまで言われる。彼が憤慨して教えてくれたところによると、夏の初めに交流ある準備学校三校が集まって運動の交流試合があるとのことだ。
そういえば、ヴォルフとエンケがそんな話をしていたような気がする。運動の授業に参加しないのであまり記憶に残ってなかった。
「その試合って運動の授業に参加していないわたしでも見に行けるの?」
「さあ。この日は朝からだし、女の子はどうだっけか。でも、来年までなんて待てない~」
頭を抱えている少年を他の男の子たちがチラチラ見ている。
「運動の授業って城壁の外でやるのもあるよね」
「うん。普段の授業では城壁まで行って戻ってくるだけで時間がかかるから、試合形式じゃないときは近くの運動場でやることがほとんどだよ」
「城壁の外での授業は危ないからやめたほうがいいんだけど」
「そんなこと言ってたら他所の学校に負けるよ! 明日は久々にボールを投げられるんだから」
だけど、城壁の外に出ている時に魔物が来たら。
「大魔周期のこともあるから、残念だけど城壁の外に出るのはしばらくないと思うよ」
「でも、さっきすれ違った先生がバッタはだいぶ収まったから大丈夫だって。あれ、どこ行くの。もう授業始まるよ」
「シェール先生かシュミット先生のところ」
トーコは足早に階段を降りてシェール教師とシュミット教師の教室を覗いた。あいにくどちらも授業が始まったところだった。授業を邪魔するのは気がひけたので、トーコは再び階段を登った。記憶を頼りに以前一度だけ行った校長室を探す。幸いにもこちらは在室していて、トーコの話を聞いてくれた。
「わたしも師匠からの又聞きなので、確認して。ください」
敬語がどうにもうまく使いこなせないトーコの話を聞き終えて校長は頷いた。
「町議会に問い合わせてみよう。いや、それよりもギルドのほうがいいのか。町は保養客が逃げだすような話を簡単に肯定するか分からん」
風聞被害で観光業に打撃、というのに近い感じだから、その理屈はトーコにも納得できる。
「だったら、ユナグール大学に直接問い合わせたほうがいいと思う。ここの卒業生がさっきギルド長や町長に説明したパウア先生の研究室にいるんだから一番確実な情報が手に入るはず。です」
こういう大事な情報はすぐに皆に伝えるべきなのに、テレビもインターネットもないと情報の拡散に時間がかかるようだ。パン屋や生徒たちの反応がトーコにはじれったい。校長が生徒たちを城壁の中に留めてくれそうなので安心する。
そっと教室に戻るって授業を受けたトーコは次の移動時間でヘレナに呼び止められた。彼女から声をかけられるのは初めてだったので、トーコは嬉しくなった。相変わらず態度はそっけないけれど、トーコ的には大きな一歩だ。
「さっき、大魔周期って聞こえたんだけど」
「うん。ヘレナちゃんも気を付けてね」
トーコはベアから聞いた話を繰り返した。今朝からパン屋、ヴォルフとエンケ、校長に続く四回目なのですっかり話し慣れてしまった。
ヘレナはぎゅっと眉を寄せた。
「それって建国史の大魔周期なんでしょ。今まで気にしたことがなかったけれど、繰り返すから周期って言うんだって今気がついたわ。魔物がたくさん町に入ってきたら、わたしたちはどうなるの?」
さすが、ヘレナ。理解が早い。今までトーコが話した中で一番核心をついた質問だ。だから、トーコも率直に答えた。
「危険なことになると思う」
「どうやって身を守ればいいの」
「城壁があるから、飛行する魔物以外はあまり気にしなくても大丈夫だと思う。巨鳥に対しては、物陰に入って。真上から降りてくるけれど、地面にとどまって狩りはしないから。他に城壁を越えそうな魔物と言ったら羽のある鳥や虫だけど、人を襲うようなのはあまりないよ。ただ、バッタみたいに数と勢いは脅威だから、建物の中で行ってしまうまでじっとしているのがいいと思う」
「外にいるときに襲われたら?」
「なるべく石の建物の北側に避難して、姿勢を低くしてじっと行ってしまうのを待つ。むやみに動いても結果が変わらないなら石になったつもりで凌ぐのがいいんじゃないかな。実際この間のバッタの時、城壁の外にいたギルド構成員はそうやって助かったよ」
そのあとで、城壁にたどり着いたらトーコに締め出されていたわけだが。
「魔物はユナグールに来ると思う?」
「分からない。ユナグールの町は魔物に対する備えが厚いし、国境警備隊もギルドも本気で対策を練っている。国境を突破した魔物が公国に流れ込んだら、取り返しのつかないことになるから、なんとか国境で持ちこたえるために最大限の努力をしている」
「そう……」
ヘレナはぎゅっと唇を引き結んだ。
課業後、パン屋で頼んでおいたパンを受け取ってから思いついて肉屋に行くと、大歓迎された。角ウサギはまだしも、猟期にもかかわらずワタリヌマガモなどの水鳥がさっぱり入荷しないとのことだった。買取票を持ってベアと待ち合わせのギルドに行くと、ベアはギルド長と出かけていると元狩人のギルド職員が教えてくれた。
「ところで、ワタリヌマガモの依頼がだいぶ溜まってるんだ。出張査定所を建てたんだけど、今年は参加者の集まりも悪くて大口以外まで手が回りそうにないんだ。みんな近場にしか出ないから、角ウサギは余り気味なんだけどねえ」
「角ウサギならいっぱいあるのに。逆だったら良かったな」
前に獲ってからだいぶ経つので、トーコとて潤沢に水鳥の在庫があるわけではない。特に昨年秋に獲ったのはだいぶ品薄だ。その分燻製やさばいたのはあるし、冬に獲ったものもあるから、ヘーゲル家やベアと食べるには困らないと思うが、いつも大量の在庫を持つトーコには心もとない。
掲示板を見ても、ギルド構成員たちがバッタの駆除に追われているからか依頼品は軒並み高騰しているようだ。もうすぐ取引期間が終わるツムギグモの卵など驚くほどの高値だ。大した値にならないキノコや木の実も気持ち値が高い。薬草類はこの二、三日中に出たものを除きなかったので、ベアが依頼に応えたのかもしれない。
掲示板を転写してあまり魔力を消費しない作業をポーチの中でやってるとベアが戻ってきた。
「ベアさん、おかえりなさい」
「時間かかったな。ギルド長は?」
訊ねた馴染みのギルド職員に向かってベアは渋い顔をした。
「ギルド長は合同本部に残って交渉中だ。国境警備隊にはすんなり話が通ったんだが、町長が町議員を招集して議会に図らないとダメだと」
「そんなこと言ってる間にも魔物は侵入するのに。駆除するこちらの身になってほしいよ」
「何がダメだったの、ベアさん」
「トーコの障壁を城壁外に建てる件だ」
トーコは首を傾げた。今日はその作業をする予定だったがダメになったということらしい。
「町の中じゃなくて外なのに、町議会に言わなきゃいけないの?」
「合同本部をたてているから無視と言うわけにはいかない。障壁がある間、人の出入りもできなくなるしな」
「じゃあ、今日はやることなし?」
「いや、いくつか指名依頼が来ているから先にそれを片づけよう」
言ってベアは依頼書を二枚トーコに差し出した。
「どっちも空間拡張魔法だね。ひとつはギルド、ひとつはザカリアスさん? 情報が早いね」
避難するにも魔物から商品を守るにも空間拡張容器は便利だ。
「ギルドが必要物資の調達に彼に声をかけて、その場で依頼された」
「最優先処理ってことね」
ギルド用の容器と結晶石を受け取って、トーコは早速指定サイズに拡張を始めた。汎用性が高いので、ほとんどが麻袋だが、背負いかごタイプもある。随分な数量にギルドの本気がうかがえる。トーコが作業している横で、ベアはトーコが転写したばかりの依頼書をチェックした。
「今回は角ウサギ掃討作戦以上の物資が必要なのが分かりきっているうえ、終了が見えない。今年はギルド構成員の活動も好不調が激しい。危険の大きい強制依頼を嫌って引退者が未受取金を引き出したり、長期化すればギルドの現金資金が回らなくなる。張り出しから三日以上経っている中で請けられる依頼は全部対応する」
「全部?」
ベアが選り分けた依頼書の束にトーコは目を丸くした。ベアは本気らしかった。ギルド職員三人がかりで持ち込み対応をしてもらい、すぐに作ったばかりの空間拡張容器に収めて配達に出る。
「ベアさん、キノコや木の実なんかは余裕あるけど、ワタリヌマガモとかはこの調子だと全然足りないよ。今日時間があるなら、ザカリアスさんの依頼が終わったら獲りに行く?」
「頼むよ、ベア。あまり依頼に応えられないとギルドの信用が落ちる。できればシンリンヌマジカも欲しい」
元狩人のギルド職員が深刻な顔で頼み、ベアも頷かざるを得ない。
「水鳥のほうはなんとかする。シンリンヌマジカはあてにしないでくれ」
時間短縮のため、ザカリアスの屋敷までボードを飛ばす。事前に行くと伝えてあったので、ザカリアスが結晶石と拡張予定の容器を用意して待っていた。空間拡張魔法は高価なので主自ら立ち会うらしい。
「空間拡張して欲しいのはこれだ」
「馬車!?」
前庭に三台並んでいたのは荷運び用の箱型馬車だった。こんなものを拡張するのは初めてだったのでトーコはびっくりしたが、道の悪い場所で大量の荷を運搬するのに便利なので、商人の間ではよく使われるらしい。
「大きさは、高さ三メートル、幅と奥域が十メートルで良かったか」
ベアが確認した。
「一辺十メートルじゃないんだね」
「動かない倉庫ならいいが、揺れ動く馬車だとあまり積み上げるわけにもいかないんだろう」
「そっか。動く倉庫みたいだと思ったけれど、そういう制約もあるのね」
時間凍結魔法と移動魔法を多用していたので、気にしたことがなかった。
「だから、なるべく、床は平らに頼むよ」
ザカリアスが注文を付けた。
「平らって?」
「地面と水平に」
言葉が通じなかったと思ったザカリアスは手振りも交えたが、ベアが遮った。
「ザカリアス、俺の弟子はそんなへまはしない」
「へま?」
「大丈夫だ。トーコはいつも通りやればいい」
よく分からないが注文通り拡張して内部を確認してもらう。ザカリアスは中を歩き回り、時々膝をついて床を確かめている。その間にベアは説明した。
「空間拡張もただ膨らませるだけでなく、任意の形に拡張するには修練がいる。トーコもただ袋を大きくする時と箱を拡張するときでは同じようにはしないだろう?」
「そうかな……あんまり意識したことない」
トーコは自信なさそうに言った。中をどうしたいか明確なイメージが先にあってそれに合わせて拡張しているので大差ない気がするのだが。
「魔力を吹き込んだ中心から外に向かって拡張させるのは比較的容易だが、任意の形にするのは簡単じゃないんだが」
「あ、わかった。一番最初に無限空間の容器を作ろうとしたとき、確かに風船みたいに中から外へ外へ空間が広がっていった。ああいう感じなのかな。こういう場合、床が歪まないようにするのってあたりまえだと思ってた」
階梯があることすら気が付かず跨ぎ越してしまったので、ザカリアスと話が噛みあっていなかったことにやっと気が付いたトーコは、勉強になった、と感心することしきりだ。
ザカリアスが確認を終えたので、結晶石を取り付けて固定する。残り二台の荷馬車も同様にして、ザカリアスは満足そうだった。
依頼完了の署名と代価を貰ってベアとトーコはその足で千年樹の森南の湿地へ転移した。ワタリヌマガモを探して南下すると間もなく大きな群れに行き当った。
「どうせ増えている。オスメス関係なくさっさと数を獲るぞ」
「うん」
隠形の魔法で近づき、半径一キロメートル範囲のヌマガモを一斉に打ち倒して無数に放った採集玉に回収する。場所を移動しながら、ワタリヌマシギ、ヌマガモ、ヌマシギも同様に獲る。
「ベアさん、お魚も獲っていい?」
ワタリヌマガモの多い開けた湿地からヌマシギやワタリヌマシギの多い森林湿地帯に近い場所へ移動したトーコは水の中を覗き込んで嬉しそうに言った。
「ベニマスもアオマスも太ったのがいっぱいいる!」
「この時間からじゃ森に入るのは無理だな。あとの時間は好きに魚を獲っていいぞ」
「ありがとう!」
トーコは嬉々として採集玉を送り出した。
「去年、お魚について教えてくれた漁師さん、どうしてるかな。今年の漁は大丈夫だったかな」
「気になるなら訪ねてみればみればいい。もし漁を休んでいるようなら魚を融通したらどうだ」
水上に散らばった採集玉に飲み込まれていく魚の群に恐れをなしたベアはトーコを唆した。
トーコと違って食べ慣れないので、ベアは魚自体あまり好きではない。干し魚は日持ちする保存食としてよく入域の折に持ち込むし、燻製や香辛料をまぶして油で揚げたのなどは酒の肴として食べるが、トーコがよくやる塩焼きや蒸し焼きはいまいち味気なくて食欲がわかないのだ。
「そうだね、このところやってなかったから、また捌き方を見てもらいたいなあ」
師匠が腹黒い計略を巡らせているとも知らず、トーコは水辺や森林湿地からも採集し続け、ベアは本日の収穫を目視確認だ。すぐにギルドに持ち込むものから優先的に片づけ、ベアのポーチに片づける。
「これだけあれば当分は賄えるだろう」
「ベアさん、アシナガミズオオカミの群がいる。シンリンヌマジカの群を追いかけているみたい。横取りしちゃう?」
「ちょうどよかった。獲れるようなら、アシナガミズオオカミも血凝りの加工に持ち込もう」
「うん。漁夫の利~」
陽が沈みきる前に狩りと漁を切り上げ、ふたりはユナグールに帰還した。ギルドに帰還報告を出して水鳥とシンリンヌマジカの依頼に応えたあと、ベアと別れたトーコは、ヘーゲル家に戻る前に伝言屋の少年の家に寄った。
「こんにち……こんばんは!」
「なんだ、また来たのか」
「お見舞いだよ! ってもう起きてていいの?」
トーコはドアを開けてくれた伝言屋の少年に目を瞠った。
「いつまでも布団に張り付いていたら、それこそ死人になっちまうよ」
「寝てるのに飽きただけでしょ」
生意気な少年に言い返しながら、トーコは嬉しくなった。相変わらず痩せて薄着だけれども、顔色はだいぶいい。
「寒いから入れよ。寝てる必要ねえもん。今日はお粥じゃなくて、普通に食べたし」
「良かった。しっかり食べて寝るのが一番の薬だって、治癒魔法の師匠も言ってるよ」
「治癒魔法使いなのに、案外普通のこと言うんだな」
「そりゃそうだよ。患者本人ががんばってくれなきゃ治癒魔法使いだってどうしようもないんだから。でも布団から出られて、ご飯が食べられるようになって良かった。はいこれ、お土産」
トーコはポーチからワタリヌマガモを呼び出して両手にぶら下げた。
「鳥?」
「ワタリヌマガモだよ。色のきれいなのがオス。焼いても蒸しても美味しいよ」
「こないだの卵の?」
「そう。卵は春に採っておいたやつだけど、これは今、獲って来たばかり」
重いワタリヌマガモを長く持っているのが辛いらしく、少年はテーブルの上においた。弟妹たちも寄ってきて、珍しそうに羽を撫でた。
「まだ、あったかい……」
「そう、そこが大事だから」
「大事って?」
「体温があるうちのほうが羽が毟りやすいんだって。さあ、頑張って!」
少年は怪訝そうな顔をした。
「なんであんたが嬉しそうなんだ」
「君たちがワタリヌマガモの羽を毟る。毟った羽は洗って布に詰めれば軽くてあったかい布団になる。布団が完成すれば、わたしは君に貸した布団を返してもらえる! どう、完璧じゃない!?」
「いや、それ、なんか変だよ」
「すみません、お借りっぱなしで。もうお返しできると思います」
口を挟み損ねていた少年の母親がすまなそうに言った。
「暫く魔の領域での野営はしないことになったから、大丈夫。あ、あとこれも今日採って来たんだ」
「なんだこれ。食えるのか? あ、まさか薬じゃねえだろうな! あれ、すっげえ不味いよ!」
「不味いけど体はぽかぽかしてくるでしょ」
「でも、まっっっずい!!」
「そのくらい我慢するの。わたしだって我慢して飲んだんだから。病人でもないのに!」
そう言いながらベアに飲まされた薬の不味さが口の中に蘇って、思わず頬をさするトーコである。
「不味い薬を飲んだ後の果汁は美味しいんだけど」
「ずりい! 自分は我慢してねえじゃん!」
トーコは首を竦めた。しまった。急いで話を戻す。
「これは食べ物じゃないよ。ホムラギっていう湿地に生える木の皮。こうやって簡単に火がつくの。焚きつけにすると便利だよ。火を灯したままコップにでも立てておくと、そのまま明りとしても使えるから、わたしはろうそく代わりにもするけどね」
「自分の火があるのに?」
「こっちのほうが魔力を消費しないもん。危ないから火の傍に保管しちゃだめだよ。じゃあね、また明日」
「明日も来んのかよ!」
「来れたらね。二羽じゃ羽根布団に足りないじゃない」
「それが目的かよ!」
「頑張れ!」
トーコは少年の母親にオオミツバチの蜂蜜を渡すと、笑いながら少年の家を辞して、狭い階段を足どりも軽く駆け下りた。急な階段は板がすり減っていて、ゆっくり降りるよりこうしたほうがいいと、伝言屋の少年の弟妹たちが教えてくれたのだ。
最後のほうは息が切れ始めていたけれど、少年は確実に元気になっていて、ヘーゲル医師にもいい報告ができるのが嬉しい。長居はしなかったのに、外は暗くなっていた。そんなところにも冬の迫る気配を感じる。
ヘーゲル家の夕食にはぎりぎりで間に合った。それでも、今日は早かったわね、とバベッテに言われてしまう。大急ぎで手を洗って食卓についたトーコにバベッテが紙片を渡した。
「結晶石屋さんから、近く寄ってほしいって伝言があったわよ」
「何だろう。明日行ってくる。あ、バベッテ姉さん、最近お肉屋さんに行ってる?」
「もちろん、行くわよ。どうして?」
「魔物のお肉って減ってる?」
「言われてみればそうね。角ウサギはそう変わらないと思うけれど、モリガエルなんかはないことが多いわね」
「角ウサギはあるのに、モリガエルだけ? なんでだろ」
どちらも同じく初心者用の獲物で、ユナグール東区の食肉市場に出回っている。トーコは狩ったことがないが、モリガエルは角ウサギよりも危険が少なく、可食部も多いうえ、皮革が高値で売れるので初心者に人気と聞いている。
「森を抜けて湿地まで行くほうが危ないからじゃないのか。アシナガミズオオカミの群に襲われたこの春ギルドに登録したばかりの若いのが昨日も来た。そこまで無理をしなくても、ユナグールに近い角ウサギで稼げんこともないしな」
浅い地域の事ならトーコよりもヘーゲル医師のほうが詳しい。あっさりとトーコの疑問を解いてくれた。
「そういえば、わたしも今日アシナガミズオオカミを群で見たよ」
「危ないことはないでしょうね」
バベッテが心配そうに言った。
「ベアさんがいるから大丈夫。アシナガミズオオカミは全部まとめて狩って、明日ベアさんが血凝りを作ってもらいに薬種商に持ち込むことになってる」
「アシナガミズオオカミを狩りに行ったのか? 湿地は危ないぞ」
ヘーゲル医師まで心配する。
「本当はワタリヌマガモなんかの水鳥を獲りに行ったの。ついでにお魚を獲りに森林湿地帯に行ったらシンリンヌマジカの群を追いかけてるのに行き会ったんだよ。でも、狩るべきはモリガエルだったかあ」
トーコはシチューの鶏肉を頬張った。卵を産まなくなり、餌の確保が難しくなってくる今の時期、鶏肉は豊富に出回る。季節の味なのだ。
「モリガエルは群を作らないらしいからたくさんは無理かもしれないけれど」
「別に無理しないでいいのよ。角ウサギだって美味しいんだから」
「そうだぞ。森林湿地にはシンリンヌマジカやアシナガミズオオカミで毎年怪我人が出ているんだ、迂闊に近寄るんじゃない」
「うん、近くには寄らない。バベッテ姉さん、明日の朝、お肉屋さんに寄るけれど、なんのお肉を預けとけばいい? 水鳥は自家消費用にも十分あるし、魚もたくさん獲ったし、シンリンヌマジカもあるよ」
「シンリンヌマジカなんてよく狩れたわね。でもギルドに持っていかないでいいの?」
「今日は運よく沢山獲れたから、自分たちで食べる分はいつものお肉屋さんで解体してもらうつもり。ベアさんはバベッテ姉さんになら、いつも好きなだけどうぞって言ってくれるよ。足りなければまた獲ってくるし」
「あら嬉しい。ベアさんによろしくね」
バベッテ御用達の肉屋ではシンリンヌマジカの解体を快く引き受けてくれた。このところ頻繁に納品も解体の依頼もしているので、解体手数料は別途支払うことにして済ませている。お互いにに物々交換が面倒になってきたのだ。
「シンリンヌマジカを捕まえるなんて頑張ったねえ。うちのひとに任せなさい。美味しくしてあげるから」
「ありがとう! 本当に助かる。お店で売るなら二、三頭くらい融通できるよ」
「そりゃ嬉しいね。でも今日のところは角ウサギ十、ワタリヌマガモ二十、ワタリヌマシギ二十……」
トーコはギルドに出す買取票を取り出した。
「今日あたりから水鳥の持ち込みがギルドにあるから、あんまりたくさん買わないほうがいいかもよ」
「そうなのかい」
「うん」
ベアが持ち込む予定である。
署名してもらった買取票を受け取ってトーコはモリガエルについて聞いてみた。やはり入荷が少ないという。シンリンヌマジカも足りないというし、今日の課業後は森林湿地かな、などと思いながら登校すると、珍しいことに自宅通学生のヴォルフとエンケが先に来ていた。そして、別学年のヴォルフの妹ヘレナまでいる。
「おはよう。三人そろって珍しいね」
「おはよう、トーコ」
「なに言ってんだ、トーコを待ってたに決まってるじゃないか」
「あれ、そうなの?」
通学鞄を置いたトーコは三人にぐるりと囲まれた。
「城壁外での運動の授業は暫く中止だってさ」
ヴォルフがふてくされた表情で言った。無事に中止になったようで、トーコは安堵した。
「昨日の大魔周期の話、あれ本当なのね。昨日の課業後、運動の先生以外が集められて校長先生から話があったって先生方がおっしゃってたわ」
「もう動いてくれたんだ。校長先生は頼りになるね」
「あなたが校長先生になにか言ったの?」
「大魔周期のことは教えた」
ヘレナは眉間にしわを寄せてトーコを見た。
「トーコ、あなた何者」




