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第35話 災厄の痕

 バッタの襲来から三日目。雨が降り続ける中、トーコはヘーゲル医師と一緒に火傷の重傷者を診ている医者を訪ねた。伝言屋の少年に施した治療を説明し、彼の患者にもやるかどうか判断を求める。

 「リスクと患者の負担は高いが、得られる効果も高い」

 「ほとんど賭けだな」

 「そうだ。火傷を負ってからほぼ二日経っている。患者の体力もないだろうし、このままでは死ぬ可能性の高い重傷者への最後の賭けだ。治癒を成功させた少年もまだ目覚めていない」

 医者は考え込んだあとで口を開いた。

 「うちの患者の家族に話してみよう。その間に知り合いの医者連中に声をかける。一軒一軒訊ねて説明していたんじゃ、時間ばかりかかって手遅れになる。とにかく、最初のひとりを実際に治癒するところを見て、判断するしかない」

 「分かった、それでいい。問題は場所だな」

 「町の講堂を使えればいいんだが」

 「建物が使えなかったら、広場とかでもいいよ。障壁魔法で、濡れないようにはできる。広場そのものが使えなくても、広場の上空を使わせてもらえれば、その上に擬似的な場所を作れるから」

 トーコは言った。ユナグール大学の建物を使わせてもらうという方法も考えないでもなかったのだが、大学は東区で火災被害は町の中心から北西に向かって多くなっているので、医者たちが集まるには少々遠い。

 「広場の上でよけりゃ、手配しよう」

 医者が手紙を書いてくれたので、トーコはそれを複写した。近所の人たちや伝言屋を使って他の医者に届けてもらう。幸いにも、彼の患者の家族が治療に同意してくれたので、午後一番でやることになった。

 それまでの間、トーコは医者が役場にかけあって許可をとってくれた広場の上に公開治療の見学場所を作り、伝言屋の少年の家を訪ねて協力を依頼する。まだ意識が戻らない中での無茶な頼みだが、ヘーゲル医師が母親の了承を取り付けてくれた。

 急な開催にもかかわらず、公開治療に集まったのは最終的に百人を越えた。ご近所の治癒魔法使いたち、町医者たち、重度の火傷を負った患者の家族たち、パウア研究員とゼッケ研究員を初めとするユナグール大学の関係者、ギルドからはベアと何故かギルド長。

 そのほかに、魔法に頼らない方法として薬を持参したベアの取引先の薬種商たちもいる。先日、せっかくいい薬があってもそれを配って説明して回るのに時間を食った反省を生かしてベアが提案した。ベアとトーコでは聞いただけの薬の知識しか伝えられなかったが、彼らなら直接医師の質問に答えられる。当然ながら、今日集まった医師の中には昨日、制火膏を受け取ったひとも多い。

 トーコのやり方はリスクが高いので、火傷の深刻な一部だけを魔法でやって、残りは薬で、という方法もあるのだ。トーコの治療がどういうものか、他にどんな方法があるのか理解してもらって、医師たちにどの治療法を取るか患者の家族と相談して選択してもらう。

 空間の消毒や、温度維持、患者の搬送に協力してもらう治癒魔法使いたちと、トーコの魔法の代金は無料。薬種商のほうはベアが説得して、宣伝かねてこの場では半値で提供してもらうことで話をつけてある。竜の血はベアとトーコの提供だ。

 「ベアさんが来てくれたのは嬉しいけれど、なんでギルド長がいるの? あの人、バッタの対応で忙しいんじゃないの? こんなところで油売っていていいの?」

 「トーコが失敗したときに責任取らせるためにいる」

 「えっ、失敗する可能性、とっても高いんだけど、理解してるの」

 「むろん、説明はした。今回のバッタの侵入はギルドも責任を問われる可能性が高い。失敗してもギルドの本分は魔物の駆除で医療活動じゃない。成功したらギルドとして町への貢献にカウントするつもりなんだろう。そういう面倒なことはトーコは気にしなくていい。治療に専念しろ」

 「うん」

 言われたとおり、トーコは雑念を追い払って、中央の低くなったところに運び込まれた患者の傍に行った。思ったより人数が増えたので、見えやすいように公開治癒会場は逆ピラミッド型になっている。最前列が治癒魔法使いと医師たち。その後ろが家族だ。

 最初にヘーゲル医師が伝言屋の少年の状態と使った薬草、施した魔法について説明する。トーコは四方向に向けて幻惑魔法で説明図を作って映した。医師にとって治癒魔法は未知の世界なので、なるべく理解しやすいようにだ。竜の血の説明はベアが担当したが、途中からユナグール大学のゼッケ研究員が話を持っていってしまって、軌道修正が大変そうだった。

 ヘーゲル医師とベアが質問を受け付けている間に、伝言屋の少年からはがしてゴミ入れ用時間凍結封筒につっこんでおいた皮膚に障壁魔法でコーティングして時間凍結魔法をかけたものを医師たちに回す。そして伝言屋の少年の今の状態を見てもらう。見た目はきれいに治っても、意識が戻らない現状を。

 家族の発言を許すと収集がつかなくなりそうだったので、質問はそれぞれ診ている医師からにまとめてもらう。その中で、薬種商たちから薬の説明もしてもらう。それらが一通り済んだら、いよいよ公開治療の開始だ。

 「いつもどおり、落ち着いてやれ」

 ヘーゲル医師はそういって障壁で覆われた治療スペースの隅に腰を下ろした。治療スペースには他にトーコと患者、空間の消毒や温度維持をしてくれる治癒魔法使い、激痛を伴う治療なのでいざとなったとき患者を押さえつける移動魔法のための要員としてベア、立会いの医者がいるだけだ。

 トーコは音の遮断された空間で深呼吸した。手術前の新米外科医ってこんな気持ちなんだろうか。

 患者は働き盛りの立派な体格の男で、これほど時間が経っていなければ体力は充分ありそうだった。探査魔法で火傷の深さを探り、相談して今回は三分割でやることに決める。その先は伝言屋の少年にやったのと同じ手順だ。やることは同じで、少年よりも望みがありそうな患者であっても緊張はする。男の最後の皮膚が癒着したのを確認したトーコはへたり込んでしまった。

 「終わったのか」

 ヘーゲル医師に声をかけられてやっと頷く有様だ。男を診ていた医師が近寄って治療の痕を確認する。痛みに暴れる男を押さえつけなくてはならなかったほどなので、患者に意識はある。この治療方法の場合、意識があるほうが残酷なのだが、それを乗り越えた今、彼が助かる可能性は高い。トーコが治したのは深い火傷と広範囲の火傷だけだが、あとは薬でなんとかできるはずだ。

 治療用障壁から出たヘーゲル医師が医師たちから質問を受け付け、答えている傍で休んでいると、ベアが来てトーコの肩をたたいた。

 「少年の意識が戻った」

 トーコは飛び上がった。

 「ほんと!?」

 「ああ。その男の治癒の最中に……」

 足をもつらかせながら治療スペースを飛び出そうとして、ドアノブを掴む手が滑った。思い切りおでこを自分で作った障壁にぶつけてしまい、悶絶する羽目になる。

 「大丈夫か? 一時意識を取り戻したが、すぐに眠った」

 「そ、それを先に言ってよ、ベアさん」

 トーコは涙目でベアが開けてくれたドアからよろめき出た。周囲の音がうるさくないように、そして温度を維持するために、別に立てていた障壁に入ると、女が泣きはらした目をあげた。少年の様子を見てくれていた治癒魔法使いと医師がゆっくり休んで療養すれば大丈夫だろうと力強い言葉をくれた。

 覗きこんだ少年の顔色は相変わらず悪いが、トーコは胸をなでおろした。

 少年と女を送り届けるついでに、診療所に戻るというご近所治癒魔法使いを送って戻ると、そこからはひたすら治療だ。ギルドが移動魔法の使える魔法使いをふたり都合してくれたので、患者の移送が楽になった。

 少年と男は運よく助かったが治癒しきる前に命を落とす危険が大きいのは変わらないので、トーコの方法で治療したのは十人程度だ。そのうちのひとりはトーコから見ても体力を失いすぎ、火傷の範囲が広すぎ、最初からかなりの確立で無理だろうというのは、治癒魔法使いと医師たちの間でも分かっていたが、家族がどうしてもと言って治療したものの、やはりダメだった。深い火傷を小さい範囲で治療していったが、三つ目の治癒の途中で亡くなった。結果的に死期が早まり、トーコは落ち込んだ。

 しかし、立て続けに同じ治療をしたせいで、治癒魔法使いと医師たちに、「これくらいなら行ける」「厳しいがやってみる価値はある」「無理」というある程度の共通認識が出来たのは大きな収穫だ。何かと反目する両者だが、一緒に相談して、治療方針を決めるうちに治癒魔法が思っていたほど万能じゃなく、微妙なさじ加減や複数の魔法を複雑に使い分けてなお議論になるのも意外だったようだ。

 「治癒魔法使いってのはもっと簡単なものだと思っていた」

 とは、この場を作るきっかけになった医師の言だ。

 「そんな便利なもんじゃない。あんたたちにも得意不得意があるだろうが、それに加えてそもそもその魔法が使える使えないという壁がある。今日はこれだけ集まったから、誰かは使えるが、普段はそうはいかない。それに、俺たちは魔力が切れたらそこでおしまいだ。寝て魔力を回復させないことには治療もなにもない」

 「なるほど」

 「使える魔法が違えば、やり方も違う。だから、治癒魔法使いは何人もの師を渡り歩いて修練するんだ」

 「だが、その治癒魔法使いも人数が集まればこんな真似ができるというわけか」

 ヘーゲル医師は微妙な顔をした。ご近所の治癒魔法使いがその気持ちを代弁する。

 「あのな、こんな真似がいつもできるなんて思わないで欲しいんだが」

 「ああ、もちろん、簡単にはできないのだろうが」

 「それ以前の問題だ。転移魔法なんて、滅多にお目にかかるもんじゃない。あちこちを渡り歩いて修行する俺たちだって、お嬢ちゃんくらいしか使い手を知らん。例えユナグールに他に転移魔法を使える魔法使いがいたとしても、お嬢ちゃんほど精妙な切除はできない。やるとしたら、なるべく鋭い刃物で当たりをつけた箇所を切除することになる。今日の治療は限界まで患者の負担を減らして、その上で竜の血なんて、まず手に入らない伝説上の霊薬を使ってる」

 医師はそんなものか、と納得した。魔法使いのことはよく分からないが、方針を決めるのはベテランたちでも、最も若くて経験の浅い彼女が実務を担当するのだから、彼女には今回のケースに使える魔法があったのだろうと思うしかない。

 

 「本当に大きな災害だったのね」

 公開治癒の翌日、足りない薬草類を持ち込みに行ったベアに、アニがしみじみと言った。昨日は、ベテランの職人をひきつれて、薬を持ち込み、売り込む意欲満々だったのにどうしたというのだろう。

 「使い方を教えるのに実際に患者に使って見せるじゃない。どの人もあまりに傷が酷くて」

 「そういうことか。時間が経ってるからあれでも大分ましだぞ」

 「分かってるわよ。でも、今回のことで痛感したわ」

 「何をだ」

 「どんなにいい薬を作っても、治療する医師にちゃんと理解してもらわないと意味ないってこと。効果の高い薬ほど扱いが難しいから、昨日みたいに説明してすぐに試してもらえることでもないとなかなかね。うちの制火膏なんかは結構名が通ってると思ったんだけどなあ」

 「ああ、知っている医師がたは多かった。半分くらいは知っていたぞ」

 アニは顔をしかめた。

 「半分。やっぱり、そんなもんか。この機会にてこ入れしたいわね」

 「いいんじゃないか。大分助けてもらったし、必要な薬草のほうは勉強しよう」

 「あら、嬉しい。幸い、主な材料のうち<深い森>で採れないクロクスノキの精油はもうすぐ来る飛行船で届くから、ホムラギクの花とアワユキソウの根、それから……あ、ダメだわ。蒸留器が割れたんだった」

 アニは額に手を当てた。バッタが入り込んだ折に、大人の背丈ほどもある蒸留器を倒されたのだ。銅でできた金属部分は無事だったが、ガラス部分が割れた。

 「何を蒸留するんだ。アワユキソウの根か」

 「アワユキソウの根は刻んでベニアンズの杏仁油で浸出よ。ホムラギクの花のほうが蒸留が必要なの」

 「蒸留器はすぐに買えないのか?」

 「キリナンからとりよせの高性能品なの。ユナグールで手に入らないこともないけれど、うちの職人に言わせると蒸留効率やできあがったものの質がやっぱり違うらしいのよね」

 ホムラギクは草原に生える多年草だ。夏の間、比較的長期にわたって次々に花をつける。咲き初めの花を摘んだものをベアも薬屋に持ち込んでいる。自分では花を直接煮出したものをお茶として使う他、軽い火傷の時に布を濡らしてあてたりする程度だ。

 ベアは木箱から探し出したホムラギクの封筒の束を確認した。ストックは充分な量がある。

 「ホムラギクなら余剰がある。問題が蒸留だけなら、トーコにやらせてみるか?」

 燻製やイモを蒸かせたのだから、なんとかなりそうな気がする。

 「あの子、蒸留なんてできるの?」

 「職人に見てもらわなきゃならんだろうが、水と火と障壁魔法が使えればなんとかできないか。材料は俺が出す。アニのところの職人が納得できる質の物ができるレベルまで指導してくれるなら、その精油は進呈しよう」

 「ふーん、以後は花じゃなくて、精油まで加工して持ち込もうって魂胆?」

 「そんなところだ。薬屋としても選択肢は多いほうがいいだろう?」

 「まあね。実際、ツキリンゴの圧搾油は便利に使わせてもらってるし。いいわ、いつでもトーコを寄こしてちょうだい」

 「今、障壁の撤去に行っているから、それが終わったら来させる。よろしく頼む」

 「この天気の中、ごくろうなことね」

 薬屋を出てふとベアは気がついた。今日はトーコを連れていなかったのに、アニの口調がいつの間にかベアにまで身内に対するものになっていたことに。ヘーゲル夫人の店ともアニとも長い付き合いだが、トーコがベアの生活に入り込んでから距離が縮まったようだ。

 

 昨日、ベアの呼びかけに応えて協力してくれた顧客を回り終えて、最後の店を出ると、雨があがっていた。ギルド前の広場に戻ると、障壁の撤去作業を終えたらしいトーコが石段に座って手にした封筒を覗き込んでいた。

 「終わったのか?」

 「あ、ベアさん、おかえりなさい。うん、撤去だけは終わった。今、バッタをひとつにまとめてるとこなんだけど、嫌になるくらい大量。どうやって処分しよう~」

 「ギルドに持ち込まなかったのか」

 ギルドでは、駆除のためにバッタ流入の翌日からキロいくらでバッタの買取を特別依頼にしている。強制や指名の依頼ではないが、ギルド構成員に対しての協力要請なので、構成員としては一回は請けておくのが普通だ。

 「そうしようと思ったら、わたしたちは持ち込んじゃダメって! 酷いよ!」

 「……おれがギルド職員でもそう言うな」

 トーコの障壁に入ったバッタがどのくらいか正確にはわからないが、トン単位なのは間違いない。

 「ベアさんまで~。みんな人の顔を見るなり、バッタ持ち込んじゃダメって言うし!」

 それでむくれて、こんなところで作業していたのか。もっともトーコの不機嫌など大抵の場合長続きしない。既に日常を取り戻した広場の屋台で買った昼食を食べながら蒸留の話をすると、すぐに興味を移した。制火膏のためというと二つ返事で雨上がりの道を走って行った。

 それを見送り、ベアはギルドの建物に入った。

 「やあ、ベア」

 付き合いのある元狩人のギルド職員がベアを見つけて手をあげた。

 「バッタのことなら判ってる」

 「バッタよりサジンダケだよ。バッタ騒動のおかげでサジンダケの買取を中断したから全然足りなくて。持ってたりしないかい」

 ベアはギルド職員に哀れみの目を向けた。

 「サジンダケなら、トーコが自家消費用に大量に確保していたはずだ。だが、ここの皆にバッタの持込を拒否されたと言ってご機嫌斜めだったぞ。余計なことを言わずに先にサジンダケの話をすればよかったのに」

 彼と他数名の職員がしまった、という顔をした。

 「なあ、ベア」

 「断る。自分で交渉しろ。この雨で胞子も落ち着いただろうから、誰かに採りに行かせればいいだろう」

 「そんな人手があるわけないだろう。人の領域に入り込んだバッタの駆除でおおわらわだ」

 「結局、どのくらいバッタは入り込んだんだ」

 「見当もつかんよ。近隣の町や村からの連絡が今日やっと届いたくらいだ。どこも大混乱のはずだ」

 「……トーコを先回りさせて伝令を飛ばすべきだったか」

 ギルド職員は手を叩いた。

 「その手があったか。あの時はそこまで思い浮かばなかった」

 「俺もだ。行ける都市は限られているが、公都から各地に伝令を出してもらえば、こっちでばらばらに動くより連絡が遺漏なくいくんじゃないか」

 「なるほどね。次があったらギルド長にお伺いを立ててみるか」

 「次などあってほしくないが」

 

 普段用のないギルドの二階に上がると、見慣れない顔があった。国境警備隊の軍服や、明らかにギルド構成員ではないパリッとした格好の男たち。ギルド構成員たちもちらほらいるが、身内同士で固まっている印象だ。

 「やあ、ベア。君も呼ばれたか」

 「イェーガー」

 ギルドでもトップクラスの狩人チームを率いるリーダーだ。傍らにはチームの魔法使いで、ギルド屈指の実力者にして彼の恋人の女魔法使いもいる。

 「一体なにが始まるんだ?」

 「さあ? でも角ウサギ掃討作戦並みの協同作戦って考えるのが自然かしら。国境警備隊がいるから、あなたなら何か知らないかと思って声をかけたのだけど」

 「あいにく、俺の知人は来ていないようだ。バッタ騒ぎも収まってないし、茶飲み話する時間はなかったな。バッタ駆除の話か」

 するとイェーガーが首を振った。

 「その程度の話で、町議会議員や国境警備隊の上層部がこぞって来るわけない。もっと深刻な話だと思うね」

 ベアは集まった顔を見渡した。見ただけではそこまでのお偉いさんなのかどうか見分けはつかないが、いい予感がしないのは確かだ。

 やがて、薬草に詳しい女性職員が集まった人々を会議室に呼びいれた。中にはギルド長のほかに町長、国境警備隊長が揃っていた。適当な席に着いたベアはユナグール大学のパウア研究員がいるのに気がついた。

 「国境警備隊、町議会、ギルドの皆さん、お忙しい中お時間を割いていただいてありがとうございます。さて、本日お集まりいただいたのは、現在、魔の領域で起こっている事象について検討いただくためです」

 パウア研究員は今年の初めにあったルリチョウの国土縦断に言及し、そのほかの主な魔物の侵入例をあげた。ベアが知っている以上の侵入事件が相当数ある。

 「既に人の領域と魔の領域の境は大分揺らいでいると言えます。まだ魔の領域の植物が芽吹いたり、魔物が繁殖した事例は見つかっていませんが、魔物がかなり自由に入れる状況です。そして、先日のサジンダケの異常な胞子の放出とあわせ、大魔周期が来ていると考えられます」

 大魔周期。

 ベアは既に耳に馴染んだ言葉に眉間にしわを寄せて、ぴんときていない様子の周囲を伺った。ハルトマンによれば、国の歴史とも密接にかかわってきた大魔周期。それが来る、と今まで慎重に明言を避けていたパウア研究員が言ったのだ。この意味は大きい。

 話の途中だったが、ベアは手をあげた。パウア研究員が手で促したので立ち上がる。

 「ギルドのベアだ。過去の大魔周期では当時の人口の三割が犠牲になったと聞く」

 ざわり、と室内がゆれた。

 「だが、その際には魔物の流入は一気に始まったとも聞く。今回とは違うのではないか」

 「たしかに、その違いはあります。だが、わたしが注目したのはサジンダケの胞子です。かつて一気に魔物が流入したときもサジンダケが大量の胞子を飛ばした。これは文献だけでなく、地層調査からも事実だと判明しています。そして、今年の胞子量は過去最大級だ。地層を形成するに充分なものであることと認めます」

 ベアは頷いて席に着いた。

 「我々が手に入れられる大魔周期についての情報は、今から六百年前のものがほとんどです。そして、そこでは例外なく魔物の流入は一気に始まったと彼が指摘したとおりのことが書かれています。考えられる事としてはふたつあります。第一は今回の魔物の流入は始まっており、前回より規模が小さいため、我々がそうと認識できなかったというもの。もうひとつは、前回より規模が大きく、一気に山津波が起きる前に水が漏れるように、これから魔物の流入が始まるということ」

 しん、と冷たい空気が室内におちた。

 「できれば前者であってほしいところですが、残念ながら後者の可能性が高いと個人的に考えます。根拠は竜です。昨年ユナグールに現れた火竜は人の領域近くの火山でもない場所に営巣し、卵を産みました。幸い火竜はみなさんの尽力で侵入前にしとめられ、卵も撤去されましたが、さもなくばわが国に甚大な被害をもたらしていたことでしょう」

 これにはあちこちでうなづくものがある。ギルドも国境警備隊もあの時は命がけで戦ったのだ。角ウサギよりももっと勝ち目の薄い戦いだった。

 「そして、つい先月、クレム近くの魔の領域<ゲルニーク高山地帯>にも竜と思われる魔物が現れました」

 これには再び室内がざわついた。二匹目の竜とはさすがに誰も予想していなかった。

 「我々ユナグール大学、バルカーク大学、ブラグール大学の合同調査の結果、風竜の幼生と断定、大公にも報告済みです。幸い成体ほどの脅威ではなく、ギルドで駆除済みですが、火竜と風竜が立て続けに人の領域近くで営巣し、風竜のほうは仔が孵っています。風竜の卵の産卵数についてはわかっていませんが、最低でも風竜の成体一頭が人の領域のすぐ傍にいる可能性が高い。これらを踏まえて、魔の領域への備えを強化する必要があると考えます」

 そのあとは様々な質問が飛び、パウア研究員はほとんどの質問に、分からない、予測できない、~と思われるを多用して答えていた。

 質問のいくつかはベアにお鉢が回ってきた。

「竜を倒せるか」

「それはギルドの彼に。昨年の火竜を押しとどめ、とどめを刺したのも、風竜の幼生を狩ったのも彼の弟子です」

あまり大声で吹聴してほしくないベアは渋い顔で立ち上がった。どうやらこのために呼ばれたらしいと気が付いたのでなおさらだ。

「火竜は縄張りを得られず辺境へ押し出されてきたうえ、産卵直後で弱っていた。風竜の幼生は大学の先生方が気が付かれなければ少々手ごわい飛竜程度。このくらいなら一度に複数で来られない限り、時間はかかるがうちの弟子が対処できる。だが、力の充実した成体の竜が現れた時、どこまで対抗できるか全くの未知数だ」

「飛竜程度、と言うが飛竜が侵入する可能性のほうが高い。それの対処は可能、という意味でいいか」

確認したのは国境警備隊の将校だ。ベアは厳しい表情の人々を見渡した。ここは少し安心させるところだろうか。

「昨年、今年とゲルニーク塩沼に現れた飛竜ならば、十や二十来ても問題ない。こちらの魔法の射程距離にさえ入れば五分で片付く」

正確には一秒で片がつく。トーコにとっては魔力がはじかれない以上、飛竜も角ウサギと同じでしかない。

「だが、竜には魔法が通用しない。正確に言うならば、魔法で作った水や氷をぶつけて攻撃することはできるが、直接竜を凍らせたりするような真似はこちらの魔力をはじかれるので不可能だ。城壁まで来られたら、大威力の魔法を重ねた力押しで押し返すしかない。生物の少ないゲルニーク高山地帯ではうまくおとりを追いかけて隊列を離れてくれたから全員助かったが、ユナグールではそうはいかないだろう。正直、幼生でさえ、味方を守りながらでは厳しい」

パウア研究員がどうやって風竜の幼生を倒したか、具体的な方法を説明すると、全員が苦い顔で押し黙った。やはり簡単に竜を倒す方法などない。近くにいるはずの風竜が現れた時、幼生と同じ手は使えない可能性が高いことを思うと暗澹たる気分になる。

前線での即時治癒についてや魔物を呑み込む障壁魔法にも質問が飛び、ベアは慎重に答えた。期待されているのは分かるのだが、どんなに魔法の才能があってもまだ十五の子どもだ。気力も体力も歳相応でしかない。ことに体力はギルド構成員の標準からすればだいぶ劣るのは致し方ない。

質疑が出尽くしたあたりで、ベアはおもむろに手を挙げた。

「魔物の流入が始まったとして、それを公都へ伝達する手段はあるのか? 魔物が到達するより先に使者をつかせるなら、転移魔法を使ったほうが確実と思うが」

「最速なのは確かだが」

「今回のバッタのようにどうしても最初は撃ち漏らしが出る。これを迅速に処理しないと、後に響くんじゃないのか」

「そちらは主に国境警備隊で対処する」

国境警備隊長が答え、ベアは着席した。

ハルトマンはできれば要人に最前線を直に見せて迅速に軍を動かしたいと思っていたようだが、ベアではこの辺が精一杯だ。

質疑も出尽くしたところで解散となり、ベアは席を立った。そのままトーコの様子を見に行くつもりが、ギルド長に呼び止められる。

「ベア、付き合ってくれ」

彼はこれからギルドの競売場に安置されている風竜の幼生へ案内するところだった。解説役はパウア研究員だ。ベアは一番後ろから、幼生を見る人々を観察した。国境警備隊は表情は険しいが、怯えてはいない。対する町会議員はこういったことに慣れていないだけに、顔がこわばっている。

「この竜の幼生からはどのくらいの薬が作れるのだ?」

「程度にもよりますが、怪我をしてすぐなら、竜の血の一滴で快癒します」

ベアは咳払いした。

「なんだね、ベア」

「竜の血には凄まじい治癒力があるが、万能ではない。流れた血は補えないし、火傷で死んだ組織からは再生できない。これは先日の火災で実証済みだ」

「魔物に腸を食われても回復したと聞いているが?」

「たしかに怪我を負ってすぐなら、治る見込みは高い。それには竜の血を三つと治癒魔法と併用し、体温の維持と呼吸の補助を魔法に頼り、意識がなく、自力で薬湯を飲めなかったので、複数回に分けて直接胃に転移させた。ここまでしてやっと生還したんだ。なにより、その幼生には成竜ほどの力がない。昨年の火竜の血ほどに使える可能性は低い」

「なるほど、それについては近いうちに試してみるべきだろうな」

「むしろ、今ギルドと国境警備隊が持っている火竜の血の有効活用を考えるべきだと思う。今、預かっている血はすべて瓶に入っているがこのままでは使いづらいし、時間凍結魔法を解いたらその時点から劣化が始まる」

ベアはトーコが氷飴にしてある手持ちの竜の血を見せた。

「すぐに無駄なく使える状態にすべきだ。これは自家消費用だから、出してすぐ使うことを念頭に、氷はかなり薄くしている。そのあたりは要望があれば調整可能だが、どうする?」

「ギルドの分はまずはひと瓶、頼もう。薬を保管する容器もほしい」

「容器は売れないが、貸す分には構わない」

「四つに分けてくれ」

「いいだろう。今日明日中に届ける」


 いくつか雑用を片づけてヘーゲル夫人の実家の店に戻ると、トーコはまだ工房にいた。年配の職人とおしゃべりしつつ、せっせとメモをとっている。その前には蒸留器が二基。ひとつは銅でできていて、もうひとつは双子のようにそっくり同じ障壁魔法だ。

 「あ、ベアさん! 見て、これわたしが蒸留したやつ!」

 と見せられても、ただの小瓶にしか見えない。

「うまくいったのか?」

「ばっちり! 職人さんがつきっきりで見てくれてるもん。蒸留って面白い! ガンガン蒸気で蒸せばいいってもんじゃなくて、こう、やわらかーく蒸気があがるように温度を維持してちょうどいい時間でやるんだよ」

「中が見えるのはいいな。これならうちの見習いどもでもやれそうだって話してたとこだ。譲ってほしいが……」

「障壁魔法だから、下から火をあてても水は水蒸気にならないし、水を流しても冷却できないし、ちょっと無理だね、って結論に達したとこ」

そうだろうな、とベアは頷いた。熱を通さない障壁魔法製蒸留器は完全に見かけ倒しで、熱するのも冷やすのも完全にトーコの魔法頼みだろう。

「それで、これ貰った!」

「なんだ?」

「精油を採った後に残った水。一週間くらい寝かせたら、蜂蜜を垂らして化粧水になるって! あとお風呂に入れてもいいって。火傷に効くってほどじゃないけど、日焼けくらいならいい効果があるっていうから、でき上がったら伝言屋の子にもお裾分けするの」

伝言屋の少年は今朝お見舞いに行ったときはまだ眠っていたけれど、あれから何回か目を覚ましてお粥も食べたということなので、トーコは胸をなでおろした。あとはヘーゲル医師が言うように、ちゃんと栄養あるものを食べて、ゆっくり休むのが何よりの薬だ。

「それは良かったな。これは二回目の蒸留か?」

「うん、さっきので大体要領がわかったから、今度はもっとちゃんと出来るはず! あと三十分くらいかかるんだけど」

「その間は暇か?」

「暇ってほどじゃないけど、制火膏用の使用説明書を作るみたいな単純作業くらいなら出来るよ」

そう言って、木製の使用説明書を見せる。

「あとこういうのも作ってみた」

「小物入れ?」

手のひらにのるほどの小さな円筒形の木製容器だ。蓋はただ持ち上げるだけのものだと思ったが開かない。

「ちょっと回してから真上にあげて」

言われたとおりにやると少し硬いが開いた。よく見ると蓋と容器に溝が掘ってあって簡単には外れないようになっている。

蓋の上にはおなじみの薬種商の看板と制火膏の名前。側面には使用説明書の内容と同じ文言が焼き付いている。制火膏用の膏薬入れらしい。

「これが出来上がったら、分けてくれるっていうから、わたしたちの分はこれに入れてもらおうと思って。中の容量は同じだよ。使ったのはアオカエデの倒木」

「制火膏専用の膏薬入れか」

こんなものを作る程度には暇らしい。ベアはギルドから預かってきた竜の血を氷飴にするように渡した。

「これくらいの量なら、蒸留中にできるよ」

「なら、蒸留が終わるまで待たせてもらおう。そのあとでギルドへ届ける。ヘーゲル夫人はいるか?」

「さっき出かけて……あ、戻ってきたみたい」

障壁魔法で覆った空間と小瓶を魔法で消毒していたトーコが通用口に首を伸ばした。ヘーゲル夫人が肩先にしずくをつけたまま見習いに届け物を言いつけていた。

「ヘーゲル夫人、ちょっといいか。あまり人に聞かれたくない話なんだが」

「なら、奥の部屋へ」

ヘーゲル夫人はベアが今まであがったことのない店の奥へ案内した。貴重な薬品類の保管や作成のため、寒かったり暑かったりする工房とは違い、暖かな火の気配がする。

「姉さん、お帰り。そちらは?」

「いつも薬草を持って来てくれるギルドのベアさん」

「ああ、トーコちゃんの師匠の」

ベアは丸く着ぶくれている痩身の男を見下ろした。ヘーゲル夫人を姉さんと呼ぶということは、彼が店主のブリュックなのだろう。表に出てくることがほとんどないので、ベアも会うのは初めてだ。

「初めまして、ギルドのベアです」

「店主のブリュックだ。いつも姉や姪たちが世話になっているようで」

「こちらこそ、いい取引をさせてもらっている」

部屋の三方を囲む棚は無数の書籍や紙で埋まっている。残る壁も薬効植物の標本や絵図が占めている。店主の座っている机も崩れ落ちる寸前までものが積みあがって、ベアはユナグール大学の薬草研究者ゼッケ研究員の研究室を思い起こした。ヘーゲル夫人がベアに店主の正面の席を譲ったので、話は彼にしろということなのだろう。彼女がお茶を淹れに立ったので、ベアは彼女が席に着くまでの挨拶代りに、そう感想を述べた。ブリュックは面白そうに笑った。

「そんな大したものじゃない。半分は趣味のようなものだし。でも、ゼッケ先生のことは知っているよつい先日手に入れた、彼の論文だ」

そう言って一束の紙を机の上に積み上げた書類から器用に抜き出してベアに渡してくれた。もう論文を書いているのか、と思ったら、見慣れた名前が目に入った。

「シケツソウ?」

「ギルド構成員には有名な薬草みたいだね」

「そうだが、依頼で見ることはまずない。自分たちで使いはするが」

「去年の角ウサギの大規模駆除作戦の時にギルドでは大量に用意して使っていたらしいね。そのままでは日持ちしないとか」

「取ってすぐにすり潰して使うからな。夏の終わりに湿地に行けばいくらでも取れるが、肉厚で加工には向いていない」

「止血効果の高さには定評があるらしいから、これを何とか保存して一年中使えるようにできないかということだね。研究はまだ走り出したばかりで、乾燥、蒸留、油、アルコールと色々試しているけれど、これといった成果はないようだ。それでも目の付け所は面白いと思うよ」

そこへヘーゲル夫人が戻ってきて、それぞれの前に茶器を置いた。

「それで、わたしになにか話かな」

手振りでお茶を勧め、自分もひとくち含んでからブリュックは訊ねた。

「ついさっき、ギルドに町長、国境警備隊長、ギルド長と幹部連中が集められてユナグール大学の先生から説明があった。単刀直入に言うと、近く魔の領域から魔物があふれてくる可能性が高い。ついては、今のうちに可能な限りの薬を確保したいので、協力してもらえないか」

ヘーゲル夫人は首をかしげた。

「もう、溢れているような気がするけれど。この間のバッタのような騒ぎがまた起きるということかしら?」

「バッタがひと群通り過ぎるくらいは物の数に入らない。建国史にある大魔周期が再び来ているとパウア研究員は考えている。ギルドも国境警備隊もその可能性が高いと認めた」

「ふうん。ベアさん、君はここへギルドの使いとして来ているのかな」

「いや、個人的な依頼だ」

「でも、その席に呼ばれたということはベアさんはギルドの幹部なんだよね」

「残念ながら、竜の解説要員として呼ばれただけだ」

「竜! 昨年の火竜の競売に参加できなかったのが残念だよ。ユナグールでやってくれればいいのに。薬屋としてはぜひ扱ってみたい素材だったのに」

心から無念そうな顔をし、よし分かった、と言う。

「薬の件は君個人からの注文と言う形で受け付けよう。作ったものをすべて買い取ることが条件だ。ただし、通常の稼業に障りのない程度で」

「助かる。こちらで出せる材料は渡そう」

「具体的にどんな薬が欲しいんだい。制火膏?」

「制火膏も欲しい。他にも、魔物からの受傷を前提に、扱いが難しくても効果の高いものを大量に。必要になりそうなものはすべて」

「大きく出たね。予算は?」

「予算……そうだな、一万八千クラン」

とっさに口を突いて出たのは、昨年火竜の運搬に公都ブラグールに行ったとき帝国商人にトーコの魔法を売った金額だ。

「ほう、薬が無駄になるかもしれないのに大きく出たね」

「絶対に必要だと分かってからでは遅い。それに無駄にはならない。今、必要なくても、こちらで持っておく分には劣化しない。そうだな、今回必要ないことがはっきりすれば、売ってくれた値で買い戻してくれてもいい。そちらが希望すればだが」

「ふむ……。ちなみに、その一万八千クランはすぐ貨幣で支払えるのかな?」

「銀行まで往復する時間があれば」

ギルドを通していない売買、しかも為替なので換金に手間と手数料がかかった。トーコがヘーゲル家の長女ビアンカの嫁ぎ先の取引先の銀行にベアのと自分のとふたりぶんの口座を作ったのはだいぶ前だ。馴染みがないのと使い方がよく分からないので、そのままにしていた。一度トーコが「入金されたって~」と教えてくれたが、魔の領域にいた時だったのですっかり忘れていた。扱いつけない大金など忘れておくに限ると思っていたのも確かだが、本気で今の今まで忘れていた。その銀行が倒産していなければいいが。

「ではこうしよう。材料は旬の季節と同じ価格で買い、支払いはギルド経由で。薬はいつもの値で引き取ってもらう。他の材料の事を考えるとそれが一番トラブルがない。どうしても他から調達しなくてはならない材料が高騰していたら、その時は別途相談でどうだろう」

「助かる」

「さらに提案なんだが、一万八千クランと言えばかなりの金額だ。うちだけでは手が回らない。同じ条件で受ける先がないか、薬種商のギルドに図ろうと思うがどうだ」

ベアは頷いた。願ってもない話だ。

「ついでにもう一つ。先日うちの古い制火膏を半値で持って行ったね」

「ああ、あれは助かった。礼を言う」

「うちだけでなく、あまり出ない秘伝の薬というのはどこの薬種商も結構あるはずなんだ。その古い在庫を半値で引き取るのはどうだ。薬種商としては多少効能が落ちても捨てるのが惜しい薬が使ってもらえて金になるなら乗ってくると思うんだが」

「こちらとしてはありがたいが、半値で手を挙げる薬種商がいるか」

「別に強制じゃない。半値くらいじゃないと、おかしなものを売りつけられても困るだろう。それから、大魔周期についてはひとに話しても構わないのかな」

「口止めはされていない」

「それじゃ、姉さん、連絡を回して今夜の会合の手配をよろしく頼む」

「分かったわ」

ヘーゲル夫人は頷いて部屋を出ていった。ベアは影の薄い店主を見る目を新たにした。表ではヘーゲル夫人やアニが差配していても、この店の主人は彼なのだ。

「明日の朝、また立ち寄ってくれ」

ベアは待っていたトーコと一緒に店を辞し、南区にあるという銀行まで歩きながら、大魔周期について話した。バルク人ならだれでも知っている大魔周期の英雄譚も知らないトーコだが、ハルトマンに聞いた話も織り交ぜて事態の深刻さを悟った。

 「ルリチョウやバッタの群が入り込んだようなのが日常になるってこと?」

 「そうかもな。誰も確かなことは分からないんだ」

 「だったら、最大限の準備をするしかないよね。無駄になるかもしれないから他の人に強制はできないけれど」

 「なんだ、あまり驚かないんだな」

 怯えてパニックになるかもしれないと思っていたベアは拍子抜けだ。

 「驚いてるよ。びっくりだよ。でも、ベアさんがずっと魔物の越境や魔の領域の活性化に神経を尖らせていた理由がわかって、もやもやしてたのが腑に落ちた。とにかく魔物があふれてきて、それが収まったら元通りになるんだよね?」

 ベアは虚を突かれた。

 「元通り……。そうだな、そうかもしれん」

 魔物があふれてくる、ということにばかり気をとられてそのあとのことなど考えもしなかったが、確かにトーコの言う通りだ。魔物は永遠に流入するわけではない。

 「問題は、どのくらいの間持ちこたえればいいのかだよね。障壁魔法に入ったバッタやルリチョウは一つにまとめてあるからすぐ再利用できるけれど、連日あんなふうに来られたらすぐにいっぱいになっちゃう。張り替える時間と魔力のことを考えると、ずっと立てっぱなしにしておける大きさで新たに作って魔の領域との境界に早めに立てておいたほうがいいよね。作ってすぐに立てれば、時間凍結魔法も節約できるし。しばらくは学校が終わったら採集に行って、寝る前に戻ってきてユナグールの城壁の延長上に障壁を建てるってことでいいかな。早くしないとナガクサカズラの採集期が終わっちゃう」

 「そうだな。俺も午前中は町にいる」

 ブリュックとの取引について説明すると、トーコは尊敬のまなざしでベアを見上げた。

 「さすが、ベアさん! 手回しいい! そうだよね。薬は絶対に必要になるもんね。薬草類は全部あとでベアさんに渡すね。制火膏みたいに扱いに注意が必要なら、わたしたち用に作ったみたいな説明書付の容器も作るよ」

 角ウサギ掃討作戦の時だって、加療所は戦場だった。別添の使用説明書なんかすぐに紛失するだろう。

 「水、氷、お湯は前に作ったのがまだある。瓶の数は充分だと思うから、使い終わったのを途中で回収して再利用できるように、わたしたちの手持ちだけ中身を大量に作っておいて、事がおこったら小分けに移し替えるだけにしとこう」

 「それがいいな。他にすり潰したシケツソウも同じようにして配ろう」

 「じゃ、あとでいつもの問屋さんに行かなくちゃ。シケツソウ、いっぱい採っておいて良かったあ」

 相槌を打ちながら、ベアは熱に浮かされたようにしゃべり続けるトーコを横目で見た。怯えてはいないがやはり平静ではない。落ち着けというほうが無理だろう。逆にベアのほうはソワソワするトーコを見たおかげで返って落ち着くことが出来た。

そうして初めて自分が焦っていたことに気が付く。いくら保存しておけるからと言って一万八千クラン分もの薬は法外だった。今更取り消すわけにはいかないが、我に帰れば何事もなかった場合に抱える在庫に少々顔が引きつる思いだ。いざとなったら帝国商人に伝のあるザカリアスに売りつけるか。

 少々どころではなく顔を引きつらせた銀行員から金を受け取り、ナガクサカズラを採りに入った魔の領域はいつも通りの静けさでベアもトーコもほっとした。

 「昨日の雨でまたサジンダケが出ていたらどうしようかと思ったけれど、大丈夫みたいだね」

 「そういえば、ギルドの買取が中断になったから、ザカリアスがサジンダケを欲しがっているそうだ」

 「明日、ザカリアスさんのとこに持っていくよ。色々準備するものもあるから資金は必要だし」

 銀行に行ったついでに、トーコも今後の資金に少し引き出しておこうかと思ったのだが、ベアが一万八千クラン分の貨幣を引き渡すのにもいい顔をされなかったので、やめたのだ。銀行というものを信用していないベアは更に不信を募らせたようだが、トーコとしては為替の換金や口座の開設で世話になったので、今回は引き出し方がわかっただけで満足しておくことにする。

 ボードに乗ってナガクサの群生地を移動しながら、トーコは採集玉を増産してばらまいた。採集玉の作成に魔力はかかるが、採集物を移動させる距離は短くなるので、その分の移動魔法にかかる魔力となによりも時間が節約できる。実の多いフタゴザクロだって、遠くから一個一個もいで運ぶよりも、採集玉十個で回収にかかれば一本に五分しかかからない。限られた時間で最大限の収量を目指してトーコはせっせと励んだ。

 同時に、ボードに乗って移動しているので、ベアに選んでもらった適当な倒木で薬入れを作成する。障壁魔法で試作して、木材を無駄なく使うためにも入れ子式に配置した容器を転移魔法で一気に切り出す。水薬はさすがに瓶じゃないとダメだろうが、膏薬や丸薬はこれらに入れてもらえればいい。取り敢えず、明日ベアに持って行ってもらって、大きさなどの要望を聞いてもらうつもりだ。

 久々の採集は捗った。薬草だけでなく、居合わせた肉食の魔物も狩った。チョウロウクロネコ一頭とクロオチョウ三羽はその場で血抜きして、その血は血凝り薬に加工してもらうことにした。竜の血のような劇的な治癒力はないようだが、貧血などに効くらしいので、竜の血を使用する際にぜひとも欲しいところである。

 陽が落ちた後、ユナグールへ戻ったベアはヘーゲル家に帰るトーコに同行した。ヘーゲル医師に事情を説明するためと、トーコの修行のためだ。魔の領域での野営を当分やめることにしたので、就寝前の魔力量をあげるための修行が滞る。成長期であるトーコの魔力保有量はまだ限界ではないので、無理のない範囲で伸ばしておこうということである。

 やってることはたいして難しくないが、それなりの負担がかかる。事故があるとまずいので、ヘーゲル医師に見守りを任せたいのだが、やったことがないというのでその指南である。

 「そうはいっても、どう見守ればいいんだか」

 「疲れているようならやめさせる。簡単でしょうが」

 「いや、意識がないんだぞ。怖いだろうが。起きなかったらどうするんだ」

 魔法使いにとって魔力切れは限界を意味すると同時に一種の防御反応でもある。魔力残量がないのに無理して使い続け、死に至るケースはまれに聞く。走りすぎた人間が力尽きるのに似ている。本当の限界値まで魔力を失うことの危険性もトーコにはよく言い聞かせているし、ベアの見ていないところで無理なやり方をしないように釘もさしている。

 「その辺の加減はトーコも分かっているから大丈夫です。すぐに魔力が戻るように保険もかけているので、意識を失うといっても一分にも満たない時間です」

 「ヘーゲル医師、いつもやってるから、平気だよ」

 「いつもは何回くらいやってるんだ?」

 「数やっても十回くらいだよ」

 「十回!?」

 「十回もやる時は、間に休憩をいれるよ。さすがに疲れるもん」

 「一回でもしんどいってのに」

 そういうヘーゲル医師はどうやらこの修行が嫌いらしい。体はきついし、楽でも楽しくもないので理解できるが、人の命を預かる職業としてはどうなんだ、とベアは思う。治癒魔法使いでもないトーコだが、ギルド内では治療担当として期待されている。治療が力押しになりがちなだけに魔力量の多寡が助けられる人数、治療の質に直結するトーコのほうがよっぽど積極的に修行している。

 結局ベアがつきあってやれないときは、ヘーゲル医師が五回を上限に見るということで話は落ち着いた。

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