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第34話 火傷治療

目の前の負傷者も気になるが、もっと大きな火災がこの先にある。

「ベアさん、あの火。かなり広いね」

「ああ」

火は一軒、二軒という単位ではなく一ブロック分に匹敵する広さで燃えている。匹敵する、と言ったのは過度な住宅密集地で広い道も広場も見当たらないからだった。

「ここは貧民街か」

トーコがいつものようにアナウンスをかけて水の膜で火災地域を覆うのを見守りながら、ベアは呟いた。狭い路地が無数に走り、その路地は家具や荷物、そして人間で埋まっていた。なけなしの家財を運び出そうとする者と、逃げようとする者の間で諍いもおこっている。誰も消火活動をするどころではない。

「ベアさん、怪我人と遺体を運び出す場所がない。上に場所を作るね」

黒煙は消え、白い水蒸気があがりつつある。トーコは火災があった場所の上空に巨大なやぐらのように障壁魔法を広げ、時間凍結魔法で固定した。何しろ範囲が広いので、遺体をなるべくあった場所からまっすぐ上にあげて同じ位置に安置する。炭化してしまって男か女かも分からない遺体ばかりなのだ。せめて居た場所が分からなくては、身元を確定させるのに苦労しそうだった。

うっかり遺体を間近で見てしまったトーコは吐きそうになった。なによりもその臭いが酷い。

「落ち着け、熱と煙が収まるまで障壁をかぶってろ」

ベアに肩を叩かれ、トーコは情けない思いで障壁を纏った。死者に対するひどい冒涜を犯している気がしたが、今は少しでも生き残った人を助けるのが先だ。トーコはゆっくりと息を吸って気持ちと胃を落ち着かせると、力を込めて探査魔法を放った。

「多い……」

じわりと背中に汗が浮かんだ。細い路地で折り重なるように倒れている遺体の数々。炎に追い上げられて屋根裏で一塊になって息絶えている人々。

ベアは黙ってトーコの肩に手を置き、眼下から集められて増えていく遺体を見ていた。まさか、これほどまでの被害とはベアも思わなかった。燃えやすい安普請の木造建物、火除け地のない密集建築、狭い路地、過密な人口。貧民街特有の条件が重なった結果だ。

これまでの火災現場では地域住民が協力して消火や救助をしていたのに、皆自分が逃げることだけで精いっぱいのようだ。

トーコはもう一つやぐらをつくってそこへ負傷者を収容し始めた。遺族には申し訳ないが、死者の対応は後だ。

「トーコ、下から上がってこれるようにしろ。怪我人の手当てを手伝わせる。俺の声を音声拡大魔法で大きくできるか」

「たぶん……あーあーただいまマイクのテスト中。よし。ベアさん、この輪に向かってしゃべって」

ベアはトーコから持ち手のついた輪を受け取った。ここを通った音が大きくなるようにしたようだ。ベアは火が消えたことを伝え、負傷者の手当てをする人手を募った。すると人々が我先にと階段を登ってくる。その様子は群がるというのがぴったりの勢いで、中には蹴落とされる人もいる。

ベアは予想外の反応にたじろいだ。

「押すな、落ちるぞ!」

トーコの作った螺旋階段はたちまちひとでいっぱいになり、先行く者を引き摺り下ろしてでも前に出ようとする。他の人の上に登って手すりから乗り越えてくる者もいる始末だ。

「トーコ! 階段から人が落ちる! 壁を作れ!」

ベアが言い終わるのと同時に螺旋階段を灰色の壁が完全に塞いだ。しかし四方八方から押し寄せる人波は引くどころではない。トーコが悲鳴をあげた。

「やめて! 押さないで! 倒れた人を踏んでる!」

しかし、その程度では収まらない。遺体と怪我人の収容を続けながら、トーコはベアの元に駆け寄った。

「ベアさん倒れた人が踏まれてる! 今、障壁魔法で防護して治癒魔法で治してるけど、このままじゃ二次被害が広がるよ!」

ベアは舌打ちした。

「螺旋階段を下から解除しろ。今乗っている人だけ引き揚げろ」

「わ、分かった」

トーコは螺旋階段を上に少しずつずり上げた。一番最初に登り始めた男が平らな足場部分に入れる位置まで上げて止める。塀やひとの上に這い上がり、飛び移ろうとする者もいるが、さすがに地面との間に四メートルの差が出来るとそれもなくなる。

駆け込んできた男は、きょろきょろと見渡して叫んだ。

「俺が一番だ! ここは俺んだ!」

「は?」

ベアもトーコも面食らってしまう。

しかしふたりの想定を超えた行動をとったのは彼だけでない。登ってきたある者はその場にへたり込んで動かず、ある者は焼跡を見下ろして嘆き悲しむ。一番まともなのは収容された人々の間を回ってはぐれた家族や知人を探すひとか。

酷いのになると、怪我人を収容するためにトーコがベット状に変形させた床部分の障壁魔法に登って所有宣言する者。途中で打ち切ったにも関わらず、五十人ほどのひとが上がってきている。それらの人々が勝手に走りまわって大混乱だ。

 ベアは声をはりあげた。とにかく手伝ってくれる人を選り出さねばならない。

 「誰かこの布を切って包帯を……」

 言い終わるより先に布地が奪われる。

 「俺のだ!」

 「わたしが先に掴んだのよ!」

 「ずるいぞ」

 たちまち激しいもみ合いになり、布が引き裂かれる。はじき出されたベアは慌てて布地を高いところへ移動魔法で強引に持ち上げた。最後までくらいついていた男が尻餅をつく。

 「トー……」

 トーコに彼らを隔離させようとしたベアは、貧民街の住民に詰め寄られているトーコを見つけた。

 「なんでこんなに来るのに時間がかかるんだよ! 魔法でちょちょいのちょいじゃねえか! 虫けらが焼けようが死のうが知ったこったねえってか!?」

 「どうせ、あたしらのことなんか後回しでいいって思ってんでしょ!」

 「こっちゃ、昨日からずーっと道っぱたで立んぼうなんだよ! 死にかけてんのに働けってか!?」

 「そ、そういうわけじゃ」

 トーコは怯えて後ずさった。ベアは慌てて割って入った。移動魔法で強引に彼らをトーコから隔てる。

 「全員、下がれ!」

 口汚い罵りがベアに浴びせられる。トーコは思わずベアのローブを握りしめた。自然災害級の魔法を操る魔物とはやり合えるが、これは違う種類の怖さだ。

 「べ、ベアさん」

 「遺体と怪我人の搬送は終わったか」

 「う、うん」

 「全員をいったん向う側に隔離しろ。一人ずつ俺が確認して手伝う気がある奴だけ中へ入れる。トーコはギルドに戻って救護の人手を集めてもらってくれ」

 「わかった」

 トーコはこれ以上の火傷の進行を防ぐために冷却していた水魔法を解除して頷いた。動揺していたので心配だったが無事に転移はできたようだ。それを確認してベアは一角に集められた貧民街の住民のひとりに向き直った。

 「ここへ何をしに来た。怪我人の手当てを手伝う気があるか」

 「何しやがる! こんなところに閉じ込めやがって! 出せ!」

 「手伝う気がないなら降りろ」

 ベアは男を問答無用で移動魔法で焼け跡に下ろした。次の男に目を向ける。

 「お前は何をしに来た」

 「畜生、魔法使いめ!」

 ベアは同様に移動魔法を行使した。

 結局残ったのは二十名弱だった。それもどの程度役に立つ気があるのか怪しい。先に降ろされた連中を見て、降りないためだけに手伝うと言ったのが、その嫌そうな口調から明らかなのもいる。

 余計な魔力と時間と労力を使ってしまったベアは努力して怒りを押さえつけた。

 そこへ人手を連れたトーコが転移で戻ってきた。その中に薬草に詳しい女性職員の姿を見つけてベアはほっとした。怪我人の手当てなのに、槍を背負った男たちばかりを連れて来たのは町の住民をけん制するためだろう。

 「とんでもないところに救護所を設置したわね。トーコからだいたい事情は聞いたわ。遺体はそのまま時間凍結魔法で保管しておいて。あとで役人にひき渡すけど、たぶん数日かかると思う。怪我人のほうはここで治療して……そのあとの事はすぐに決まりそうにないわ。しばらくこの場所を維持して頂戴」

 「承知した。火傷ではないただの負傷者は完治しているんだが、どこへおろしたものかわからないんで、これもまかせていいか。休ませてやれば特に治療は必要ない」

 火ではなく、避難する住民同士で押し合った結果、踏み潰されたり、将棋倒しがおこって負傷や死亡した者も相当数いるのだ。

 「いいわ。分かるようにしておいて頂戴。トーコが飛び込んできたときはびっくりしたわよ。わたしの顔を見るなり泣き出すし」

 「俺も貧民街を甘く見ていた。世話掛けたな」

 「家族や知人に付き添ってもらうのが一番いいんだけど、住人の助力が当てにできないのは痛いわね。シケツソウと包帯はあるって聞いたから、取り敢えず近くにいた人手を連れてきたの。わたしは一度戻って、救護要員をかき集めるわ。午後一番でトーコに迎えに来させて頂戴」

 「助かる」

 貧民街の女たちに作ってもらった包帯と、オオグルミの殻に小分けにしたすりつぶしたシケツソウを配って回っていたトーコは薬草に詳しいギルド職員を転移魔法で送り、帰りは魔力節約のためにボードを限界速度ですっとばして戻ってきた。

 午後に追加の人手を連れてくるまでに三人が亡くなった。決してぐずぐずしていたせいではないのだが、トーコは落ち込んだ。トーコの治癒魔法で治る程度の軽症者は上にあげるまでもなく、魔力を送り込んで遠隔治癒してしまったので、ここにいるのは治癒魔法ではどうにもならない重傷者だけなのだ。

 トーコの魔法が重度の火傷に通用しないというのはギルドでも誤算だったようで、トーコは魔法を理解してもらうことの難しさを痛感した。

 薬草に詳しい女性職員が集めてくれた人手を率いていたのはギルド構成員ではなく、ギルドと懇意にしている民間医だった。東区では火災よりもバッタの流入にパニックによる打撲や骨折などが多く、トーコの治癒魔法と交換でこちらに来てくれることになったのだ。適材適所。トーコはギルド職員の的確な判断と交渉能力を心から尊敬した。

 東区の診療所での治療はトーコをほっとさせた。ここでならトーコの魔法が通用し、役にたてる。医者の弟子たちも奮闘していたが、何しろ人数が多い。人手も物資も足りないが、町の人が添え木を作るために薪を割っているのを見て、安堵する。ちゃんと助け合う人もいる。

 トーコの治癒魔法だけではあぶない重傷者だけ診療所に残し、貧民街の上の救護所に舞い戻る。医者に診療所の様子を伝え、弟子たちから預かった伝言と物資を渡す。医者は鞄を漁って木製の膏薬入れを取り出してギルド構成員に渡す。

 「これを包帯に塗り拡げて広範囲の火傷にあてなさい。強い薬だからなるべく負傷していない皮膚には薬がつかないように。包帯に塗る時に使った手もなるべく早く洗い流しなさい」

 「それは何ですか」

 ベアが興味を示した。

 「火傷で死んだ硬い皮膚を柔らかくして除去する。包帯を変えながら何日か様子を見て、最後のほうは薬の塗り加減を調整しなきゃならんが、悪い皮膚がなくなれば人の体は勝手に再生を始めるんだよ。手持ちがこれしかないから全員には無理だろうが」

 「その薬はどこで手に入るんです?」

 「うちに出入りの薬屋からだよ。魔の領域の貴重な品々を使った膏薬で高価だし、そんなに在庫を置いているとは思えないが」

 薬の名前を聞いてトーコが小首を傾げた。

 「どっかで聞いたような。あっ、アニだ」

 近所のご主人の浮気がばれてご近所中に聞こえるような大声で一晩中喧嘩していたことがあった。心配してトーコがヘーゲル家の人たちに止めなくていいのかと聞いたら、アニに「いつものことだからほっといて平気よ。浮気なんて制火膏でも治らわないわよ」といなされたのだ。

 「なるほど、アニなら知っているかもな」

 自分のところで作っていなくても、同業者の情報は持っているはずだ。というわけで、ベアはトーコを連れてヘーゲル夫人の実家の店に行った。さぞかし店は薬の注文が殺到して忙しかろうと思ったら、薬の作成どころかなだれ込んだバッタに荒らされた店や工房の掃除のほうに大わらわだった。貴重な薬や原材料がダメになったとアニは渋い顔だ。

 「制火膏? 少しは在庫あると思うけれど、あまり出ない薬だから量はないわよ。<深い森>で採れない魔の領域の材料も使うから高価だし」

 そう言いながら、地下から埃をかぶった陶製の壺をふたつ取ってきてくれた。

 「これは去年の冬に作ったの。で、こっちはその前に作った残り。一年以上経つと効能も落ちるから、古いほうは半値でいいわよ」

 「助かる」

 「扱いに知識がいるから素人には使ってほしくないんだけど」

 「教えてくれた医師に渡すつもりだ。医師から家族か付添人に使い方を指示してもらう」

 「なら、いいわ。今、小分けにするからちょっとまって」

 見習いたちに手伝わせて小さな容器に手際よく詰めてくれる。その間にトーコは扱いの注意について職人から詳しい話を聞き、取扱説明書を作った。なくされると困るので、薄く削った板二枚両面にびっしりと焼き付けて容器にひもで結ぶ。

 「なにこれ?」

 紐がほどけないように蝋でくっつけているとアニが取扱い説明書をつまみ上げた。

 「薬の使い方とか注意点」

 「そうじゃなくて、一番表の」

 表の看板を真似たマークと屋号、薬の名前がでかでかと入っている。

 「傷が治りきる前に使い終わっちゃっても、これがあればどこの薬か分かるから、買い足しに便利かと思って」

 「えらい!」

 「でないとあまり出回ってない薬だからみんな困るでしょ」

 「うちのいい宣伝になってくれないかしら」

 さすがアニ。発想が逞しい。奥から出て来たヘーゲル夫人までが取扱説明書を見て感心したような顔をする。

 「それじゃあ、もうひとつ薬を持っておいき。これは制火膏を使い終わった後に使うんだよ。痛みや炎症を抑えて皮膚の再生を早くする。火傷痕もきれいに治りやすい」

 「ありがとう!」

 トーコはぱっと顔を輝かせた。いそいそとラベルづくりに取り掛かる。使う順番を間違えないように、制火膏には「①」と入れ、こちらは「②」とする。薬を抱えて大急ぎで貧民街の救護所へ戻り、得々として医者に渡す。ところが彼の反応は芳しくない。

 「薬は助かるが、彼らに渡すのはよしたほうがいい」

 トーコはびっくりした。

 「どうして?」

 「効果があるぶん、使い方を間違えれば危険な薬だ。彼らに扱えるかどうか」

 「でも、こうしてちゃんと説明書を作ったし」

 「彼らに文字が読めるとでも?」

 トーコははっとした。そうだ、忘れていたが読み書きができる者よりできない人のほうが多い国なのだ。ギルド構成員だって自分の名前くらいしか書けない人は多い。

 更に畳みかけるようにギルド構成員のひとりが言った。

 「言いたかないが、高価な薬だと知れたらそのまま質屋に持っていかれるぞ。使ってやるのはいいが、渡してしまうのはやめたほうがいい」

 「そんな、偏見じゃ」

 「事実さ。俺も貧民街の出だからな」

 そのギルド構成員は苦虫を噛み潰したような顔で言った。

 「今日食うものもないのに、死ぬかもしれない怪我人に高価な薬を使う馬鹿はいない」

 トーコはうなだれた。そんな人ばっかりじゃない、と言いたかったが、それは根拠のないたわごとだ。彼のように経験した者の言葉の重みにかなうわけない。トーコは泣きたくなってきた。

 「じゃあ、これ無駄?」

 「そんなことはないよ。今ここにいる彼らに対してはわたしが責任持って使おう。そうだな、こっちの古いのを貰おう。万が一誰かが誤った使い方をしても取り返しがきくかもしれないからね。新しいのはきちんと面倒を見てもらっている他の人に分けてあげなさい。火傷の怪我人がたくさんいるんだろう?」

 「医師、ありがとう」

 「できれば患者本人じゃなくて、その患者を診ている医者に渡しなさい。やめ時の見極めが難しいからね」

 トーコは医者に深く頭を下げた。

 ふたりが貧民街の火災にてこずっている間に他の火は消されたようなので、昨日の火災現場を回って患者を訪ね、そこで教えてもらった医者を訪ねる。トーコが診療所に集まっている軽症者を治癒魔法で治している間にベアが説明する。近隣の他の医者を教えてもらって訊ねて回るが、扱ったことのない医者も多く、意外に時間がかかる。どこの診療所も人があふれていて、トーコの治癒魔法がなければ話を聞いてもらう時間もとれなさそうなほどだ。

 酷い医者は昨日から一睡もしていないらしい。擦り傷程度の軽傷でも、魔物がかかわっているだけで不安がって受診する人もいるようだ。

 薬を配り終えたら、ギルドから貧民街上の救護所の交代要員を送り届け、救護所内に休憩場所を設置する。障壁魔法でやわらかくはないが寝台と椅子と机を作り、簡易トイレと水場、竈などを出す。お茶を竈に沸かし、夜食に作り置きのサンドイッチをてんこ盛りにしてきた。彼らは明日の朝、トーコが交代要員を連れてくるまでここを出られないのだ。一応、万が一に備えてなんとか移動魔法が使える程度の者を入れているが、連絡が取りにくくなるのは仕方ない。

 そして、トーコが救護所を離れている間にまたふたり亡くなった。トーコは遺体を時間凍結魔法をかけた遺体安置場に移した。手伝ってくれた貧民街の住民の一部が、手伝いの報酬をよこせとギルド構成員たちに詰め寄り、危うく武器をとる場面もあり、トーコの疲れた気分に拍車をかける。他にも制火膏が高価な薬と聞いて、こっそり自分の顔に塗りたくった女がいたりして、信じられないほどのトラブル続きだ。

 「あ、雨……」

 ぽつ、と頬に当たった水滴はあっという間に増えて、トーコは救護所に急いで屋根を張った。今日一日まともに天気など気にしてなかったので雨雲の存在にも気がつかなかった。トーコが寝る前に降り始めたからよかったものの、これが寝こけている間だったら、怪我人もギルド構成員も物資も水浸しになるところだった。トーコは疲れた手で、救護所には晴れていても屋根をつけること、とメモした。

 この雨がせめて昨夜降ってくれていれば、少しは火が早く消えたのに、ままならないものだ。今となっては、家を失ったひとへの追い討ちにしか見えない。

 暗くなってからベアを下宿まで送り、雨よけの障壁をまとったままとぼとぼヘーゲル家に歩いて帰ると、診療所はまだ明りがともっていた。ヘーゲル医師を手伝うために診療所のドアに手をかけると、入り口の石段に座り込んでいた女が立ち上がった。

 「ギルドの魔法使いの人ですか?」

 「そうだけど」

 「息子を助けてください。死にそうなんです。ここへ来れば助けてもらえるって聞いたんです」

 女が入口から漏れた明りの元でも痩せて顔色が悪いのが見て取れた。子どもが怪我をした心労のせいか、ひどくやつれて見える。

 「ちょっと待って」

 トーコはヘーゲル医師の診療所に顔をだした。治療費の高額な治癒魔法使いを頼るのは重傷者ばかりだ。床や廊下にまで寝かされている怪我人の間からヘーゲル医師が疲労の色の濃い顔をあげた。

 「おかえり、魔力はどうだ」

 「まだあるから手伝えるよ。どういう順番で診ればいいの?」

貧民街の救護所に上げるほどではない軽傷者は上空から勝手に治癒した。そのとき開放した予備魔力がだいぶ残っている。

 「片っ端から治せるのは治していい」

 トーコはヘーゲル医師の大雑把な指示に従って、探査魔法を稼働し、単純な怪我は魔力を送り込んで力任せに治癒した。次いで時間のかかる治療にとりかかる。ある程度終わってから、残った魔力で鎮痛や増血の魔法を追加サービスする。

 「ヘーゲル医師、だいたい終わった。帰ってもらっても大丈夫な人には付き添いの人に説明したよ」

 「よし。だが、この時間じゃ帰るのは無理だな。今日はもういいぞ」

 住居部分へつながる廊下も人が寝ているので、トーコはいったん診療所の入り口から出て外に回ることにした。その扉をあけると先ほどの女が立っていた。

 「中へどうぞ。お子さんはどこかわかる?」

 「息子……息子は家にいます。親切なひとが運んでくれて」

 「えっ」

 てっきり彼女の息子は診療所に運び込まれたのだと思い込んでいたトーコはびっくりし、ついで額に手をあてた。頭が働いていないようだ。

 「ごめん、ここにいるのかと思った。家はどこ?」

 「こっちです」

 言って女は言葉ではなく、小走りに歩き出した。案内するつもりらしい。

 トーコはヘーゲル医師に往診に行ってくると告げて女の後を追った。彼女はためらうことなく障壁で守られたご近所圏内を出て、トーコは再び障壁を張った。女の足はだんだん速くなり、雨で視界が悪いにもかかわらず、最後には走っていた。トーコも慌てて走るが、暗いし、細い路地を行くので、見失いそうになって探査魔法を起動した。

 女は細い路地の小さな家に入った。狭い階段を三階分登るとトーコは息切れで立ち止まってしまった。

 「ま、待って……」

 「ここです」

 女も息を弾ませながら、傾いたドアを開けた。

 「今、明りをつけますから。誰か火を貰って来て」

 女が中に向かって言うと、小さな影が滑り出てきて走り去った。

 招じ入れられたのは小さな屋根裏部屋だった。星明りと探査魔法で見えるだけだが、トーコが下宿している子ども部屋と大差ない広さに、わずかな家具とたくさんの人がいた。子どもたちはたったひとつしかないベットに固まって身を寄せ合っていたが、眠っていたわけではないらしく、女が戻ると駆け寄った。

 「お腹空いた」

 「後で。ベットに戻りなさい。医師、こっちです」

 「治癒魔法使いでも医者でもないから、せんせいはいらない」

 トーコはテーブルの上に寝かされた小さな人影に近寄った。酷い臭いのはずだが、鼻が麻痺してもうあまり感じない。探査魔法で分かるのは、子どもが背中から尻、右の太ももにかけての広範囲の火傷が水ぶくれが弾けて無残なありさまだということだけだ。皮膚が完全に爛れている。……トーコの手に負えない。

 「鎮痛と止血の魔法をかけたけれど、わたしの魔法じゃここまで深い火傷は治せないの」

 「そんな……」

 「ごめんなさい」

 魔法使いならきっと助けてくれると信じて待っていてくれたのに、期待を裏切られた母親の気持ちを思うと胸が痛い。

 「待って!」

 トーコが踵を返すと女が腕にすがった。細い指が鉤のように食い込んだ。

 「待って、今明りが来ますから、もっとちゃんと見てください」

 トーコは重い気持ちで足を止めた。明りが来ても何も変わらない。でもそのことで揉めるより待ったほうが楽だった。

 子どもが持って来た明りは細い紐をこよったようなものについていた。それをそのままテーブルに掲げたので、それで見ろ、ということだろう。

 「少し眩しいけれど我慢して」

 トーコは仕方なく明りの魔法を浮かべた。照らし出されたのは想像通りの姿だった。うつぶせに寝かされた少年の右半身は今日一日で見慣れていなければ嘔吐してしまっていただろうほどの酷い火傷だ。手当のために脱がせた服を半分だけ着ているのがなおさら痛々しい。火傷には所々に湿布のようなものが置かれている。

 「何を貼っているの?」

 「すりおろしたジャガイモです」

 「乾いている。これは剥がすね」

 もうカピカピになっている。そのまま剥がすと爛れた皮膚がおちそうなのでふやかさないとダメだろう。今更冷やす意味はないが、何も貼っていない部分の傷は脱水症状も起こしているようなのでトーコは水で火傷部分を覆った。ふやけるのを待つ間に、トーコはシケツソウをすり潰したものをオオグルミの殻に取り分けた。あまり出血はない、というより皮膚が乾いてしまっているので止血効果というよりは殺菌効果と熱を持った傷の痛みを和らげるためだ。

 「包帯に出来るものはない? シケツソウが落ちないように押さえておきたいの」

 女は視線をさまよわせ、他の子どもたちのいる寝台を見た。

 「シーツなら……」

 「じゃあ、これを切って。面積が広いから、半分に割くくらいでいいと思う」

 トーコは使い残しの麻布を渡した。女が鋏を借りてくるように子どものひとりに言いつけ、ナイフで布地に切れ目を入れて一気に引き裂いた。ジャガイモがふやけたのでトーコはそれを外して傷口に消毒魔法をかけ、シケツソウを移動魔法で塗り伸ばした。少年の体を移動魔法で持ち上げ、布を巻いていく。

 「シケツソウが乾ききる前に布をとりかえてあげて。乾いちゃったら、沸騰させて冷ましたお水をかけてふやかして外して。じゃあ、わたしはこれで」

 「ありがとうございます、ありがとうございます」

 女はトーコの手を取って何度を頭を下げた。

 「息子を助けてくださって感謝します」

 トーコは慌てて手を引き抜いた。

 「まって、息子さんが助かるかどうかは分からないの。わたしがしたのは今だけすこし楽にしたようになるだけの魔法なの。火傷はわたしには治せないの」

 女は不安そうな顔をした。

 「でも、呼吸もあんなに楽になって」

 「それは痛みを感じないような魔法をかけたからで、痛みが消えたわけじゃないの。時間が経てばまた痛みを感じるようになるの」

 「お金なら必ず払います。どうか、助けてください」

 「ごめん、わたしの魔法では治せないの」

 「でも、だって、治るって……」

 「そんなことを言った覚えはないよ。勝手に話を作らないで」

 ただでさえ疲れている。ヘマばかり、期待に応えられないばかりで、気持ちが荒れている。思わず強い口調になった。

 「だって、あなたはどんな怪我も一瞬で治すって。凄い魔法使いだって。怪我をしたのが嘘みたいだって」

 「それはわたしじゃない。誰、そんなこと言ったのは」

 そんな大嘘を吹聴している人間がいたとしたら問いただしてやる!

 「この子が……この子が言ったんです。あなたを呼んでって」

 トーコは女に怒りを覚えた。それを信じたのか。子どもが思わず口走ってしまったのは責められないが、正面から信じて他の医者も呼ばず、まともな手当てもせず、ずっと放置していたのだろうか。

 「この人、ちがうの?」

 入口て小さな声がした。母親が返しに行かせた鋏を両手で握りしめている子どもがいた。今のやり取りに気をとられてずっと聞いていたのか。いっぱいに見開かれた目を直視しかねて、トーコは顔をそむけた。

 「いいえ、この人よ。アケビとブドウをくれた人よ」

 「は?」

 出ていこうとしたトーコは足を止めた。アケビとブドウ? アケビもブドウも好きだし、おすそ分けもするけれど、彼女と面識があっただろうか。ひょっとしてギルドの人か?

 「えっと、どこかで会ったことある?」

 「いいえ、わたしは。息子がいつもあなたの仕事をしてるって」

 「わたしの仕事? って何?」

 まったく心当たりがない。アケビだのブドウだのと言われなければ人違いだと思うところだ。

 「ギルドのお使いの道案内をしてるって。ゴロツキなんか十人纏めて投げちゃうくらい凄いんだって」

 トーコは息を呑んだ。ひとつだけ心当たりがある。まだベアについて魔の領域へ入るのがおぼつかなかったころ、ギルドの使い走りをした。道が分からず、ひとり歩きもできないトーコを助けてくれた少年がいた。

 「伝言屋の……」

 「そう、そうです」

 女は安堵したように何度も頷いた。トーコはテーブルの少年を呆然と見やった。小柄で痩せていたけれど、元気いっぱいだった小生意気な少年が、声もあげられない様子で横たわっている。ただ息をするだけで体力を失っていくのがわかる。

 トーコは手のひらに爪が食い込むほど両手を握りしめた。自分で自分を思い切り殴ってやりたい気持だった。

 トーコの治癒魔法は役に立たない。そんなことはすぐに思い知らされた。でも、だったら、何故すぐに教えを請わなかった!? 目の前の対応に精一杯だったからか? 患者で手いっぱいの治癒魔法使いたちを煩わせたくなかったから?

違う。トーコが怠け者だったからだ。勝手に治癒魔法使いが火傷の対処を知らないと決めつけ、確認しようともしなかった。なぜなら聞いたことがなかったから。たった一年か二年ヘーゲル家にいただけなのに、なにを思い上がっていたんだろう。

 「わたしの魔法じゃ治せない。だから待ってて。師匠に聞いてくる」


 トーコは返事もまたず、窓から飛び出した。ヘーゲル家に一直線に戻り、やっと食卓についたばかりのヘーゲル医師の腕をひっぱった。

 「ヘーゲル医師! お願い! 火傷の治し方を教えて!」

 「火傷?」

 「治癒魔法が効かないくらい深い火傷なの。火傷したのは昨日のうちだと思う。ジャガイモをすりおろして火傷に当てていたみたいだけど、背中から太ももまでの広範囲だからとても全部は覆えなかったみたい。水ぶくれのあとが酷くなってる。今はそれを剥がしてシケツソウで覆ってる。まだ子どもなの。ディルクとおんなじくらいの歳」

 「わかったから、落ち着け」

 ヘーゲル医師はスープのスプーンを置いてトーコに向き直った。

 「魔法での治療は何をした」

 「鎮痛と消毒。治癒は軽いところは治ったけれど、大きい火傷は無理で」

 「組織が死んでいるんだろうな。焼肉に治癒魔法が効かないように、治癒は生きた相手、生きている部分じゃないと意味がない」

 トーコは頷いた。予想と一致する。

 「残念だが、治癒魔法使いにできる範疇を越えている」

 「でも、アニの薬が……」

 「アニの薬?」

 「うん、今日、使っているお医者さまがいて、アニに在庫を分けてもらったの。酷く損傷した皮膚を少しずつ取り除いて、再生を……」

 トーコは言葉を呑んだ。

 「ヘーゲル医師、死んだ細胞には治癒は効かない。だったら、死んだ細胞を取り除いて、露出した生きた細胞に治癒魔法をかけたらダメなの?」

 「死んだ細胞を取り除く?」

 聞き返し、ヘーゲル医師は顔をしかめた。

 「不可能ではないかもしれない。だが、とてもリスクが高い。死んだ細胞をどこまで切除すればいいのか……切除には患者に苦痛を与えるのが確実な方法しかない。下手な切除をすれば患者が死ぬ。切除が成功しても体力も消耗する。治癒にも体力を持っていかれるのにもつか」

 「死んだ部位を取り除くのは、探査魔法と転移魔法で一瞬で確実にできる。やる。あとは鎮痛魔法で」

 「大がかりな治癒だ。鎮痛魔法は再生を妨げる。治癒が遅れて出血が増えれば命取りだ」

 「先に止血魔法をかけたら」

 「再生した部分に血が流れるのが遅くなる。だが……これは使わないわけにはいかんだろう。鎮痛魔法はなしだ。止血魔法はなるべく最小限に抑えて使え。……それでも助かるかは分からない」

 トーコは頷いた。

 「うん」

 「心臓から遠い部位から少しずつ複数回に分けてやれ」

「わかった、ありがとう」

トーコは身をひるがえした。雨が支配する夜空をとって返しながら、手順を反芻する。絶対に失敗はできない。

伝言屋の家に戻ったトーコは女にこれからやることを説明した。女は半分理解したかどうかだが、魔法の講義をしている暇はない。こうしている間にも少年はどんどん消耗している。

「それでも助からないかもしれない。それでよければ、この方法を試す。どうする?」

女はこわばった顔でうなずいた。

「お願いします」

トーコは包帯とシケツソウを剥がして脇にどけた。全集中力を込めた探査魔法で少年の体を探る。それこそ細胞単位で残すべきところ、切り捨てるところを見極めていく。あらかじめ目いっぱいの魔力を送り込み、少年の体力を嵩増ししてから先に掛けていた各種魔法を強制的に解除して散らす。少年が苦しげな呻きを漏らした。

ここでゆらいじゃダメだ。やると決めたからにはおしまいまで走らなければならない。

トーコは竜の血を一粒少年の口に含ませた。竜の血の回復力も治癒魔法同様焼けた組織には効果がないのは確認済みなので、体力維持のための保険だ。

少年の呼吸と自分の呼吸を合わせ、ぴったり重なったタイミングで転移魔法を発動させる。太ももの肉がごっそりえぐれ、とたんにあがる血の臭いを鼻が捉えるより先に最大限の治癒魔法を発動させる。見る間にピンクの肉が萌芽し、再生を始める。それと比例して少年の体力が削れていく。ややっあって流れ落ちるように消えていた体力が新たに摂取した竜の血によって補われはじめる。太ももの肉が盛り上がり、皮膚でおおわれるのを確認して、竜の血の効果が切れないうちに、腕、腰、背中と同じ工程を繰り返していった。

最後の背中の中心部が、肉を纏い皮膚をかぶって止まった。残った竜の魔力が流れ出ていく。

先に治癒した場所と次に治癒した境に線のような痕が残ってしまったものの、少年の呼吸は正常の範囲に戻った。いつの間にかトーコも汗をかいていていた。こんな綱渡りのような荒治療は初めてだ。しかもまだ少年の状態は予断を許さない。

「火傷は治したけれど、体力を消耗しているから油断しないで。朝になっても目を覚まさないようなら、お医者さんを呼んで。治癒魔法使いでなくていい。いつまでもテーブルを占領しているわけにはいかないから、休める場所を作ろう。その布、もともとはシーツ用なの。三方を適当でいいから縫ってくれる? 中に入れるものは落ち葉しかないんだけど」

女が針仕事をしている間に、トーコは使い終わったシケツソウや切除した皮膚などのごみを片づけ、汚した床を洗った。枯葉を詰め込んで、口を閉じてもらったマットレスに移動魔法で少年を移し、ベアに貰ったワタリヌマガモの羽毛の布団をかける。テーブルの上を洗浄したトーコは女に増血用のお茶の葉を渡して薬草茶の作り方を教えた。

「オオグルミの殻に半分くらいのお湯をしっかりと沸騰させたら、火からおろして薬草を全部ちぎって入れて三分蒸らして」

「わかりました。薪は明日買いに行きます」

トーコは十一月だというのに火の気のない暖炉を見た。そばにあるはずの薪を入れる箱はない。

「まだ町が混乱しているから、無理に出歩かないほうがいいよ。薪は良かったらこれを使って。わたしの作った出来損ないので、煤が出ちゃうんだけど」

トーコは以前あく抜きしないで作って、慌ててバベッテから回収する羽目になった失敗作の薪をふた束暖炉前に置いて女の家を出た。狭い階段を降りながら、ずっしりと疲労がのしかかってくるのを感じた。階段を降りる膝が砕けそうになりながら、探査魔法で暗い道を歩きながら、トーコは後悔していた。

今日、トーコは手を抜いた。自分にできる全てを尽くしたとはとても言えない。その証拠にヘーゲル家で朝をのんびり過ごし、戻ってからもヘーゲル医師を手伝う余力があり、更にそのあとで少年のための治癒を行う余裕があった。ベアもヘーゲル医師もアニも少年の母親もヘレナもベストを尽くしているのに、トーコだけが学生としてもギルド構成員としても治癒魔法使いとしても半端だ。

とぼとぼとヘーゲル家に帰るともう真っ暗だった。居間にはバベッテが用意してくれた夕食とメッセージがあった。

「ちゃんと食べて、寝ること」

 疲れたのと魔力切れが近いのとで食事するのは億劫だったが、食べ始めたらがっつくようにして胃に収めていた。


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