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第33話 襲来

カレルがため息をつき、ふたりが歩き出した時だった。遠くで鐘の音が鳴った。この頃ではすっかり聞き慣れた警告の響き。次の教室へ小走りに歩きながら、トーコは反射的に探査魔法を放った。学校から周囲一キロの距離に反応はない。また鳥かな、と呑気に構えていたトーコが教室に入ると近くで鐘が鳴った。どうやらこちら側へ接近中のようだ。東に向かって長く探査魔法を放ったトーコの足が止まった。慌てて東側の窓に駆け寄り、魔物が見えるかも、と空を探していた生徒を押しのけて窓から身を乗り出す。

「いてえ、なにするんだよ!」

「窓を閉めろよ。鐘の音がうるさいじゃないか」

生徒から抗議があがってもトーコは東の空を見つめたまま振り返らなかった。

「まずいかも……」

「なにが?」

カレルが訊ねるのとトーコが勢いよく窓を閉めるのが同時だった。トーコは急いで学校中に探査魔法を走らせた。

「誰か廊下の窓を閉めて! 隣の教室と、一階東側の廊下一か所、西側の廊下二か所が開いてる! 三階の北から二番目の教室も!」

トーコは叫んだ。が、生徒たちはぽかんとしてトーコを見るばかりだ。

「トーコ、大丈夫か?」

カレルに言われて、トーコは続く言葉を呑み込んだ。ここはギルドじゃないし、国境警備隊でもない。いきなりそんなことを言われても戸惑うだけだ。トーコは問答無用で野次馬している生徒たちを移動魔法で教室の中に押し込み、強制的に窓を閉める。隣の教室で悲鳴があがり、閉じ込められた! と誰かが騒ぐのが聞こえた。開けろ、窓を割れ! という声が聞こえ、トーコは焦った。まずい。

トーコは慌ててもう一度窓を開け、音声拡大魔法を起動した。

「こちらはユナグール魔の領域への入域管理ギルドです。現在、東から魔物の群が侵入中。校内すべての窓を閉めて、教師の指示があるまで教室で待機してください。繰り返します……」

言いながら、ギルドの名前を使ったのはまずかったかなと思う。ついルリチョウの時の言葉が出てきてしまったが、これは完全なトーコの独断専行である。

窓を閉めて一息つくと、肩を強く掴まれた。カレルがこわばった顔でトーコを見ていた。

「今の、なに」

「とにかく窓を閉めるように皆に伝えなきゃって」

「違う。今の大きな声。まさか、魔法道具?」

「え? ただの音声拡大魔法だよ」

ざわり、と教室がざわめいた。

「トーコ、君、魔法使いか」

「うん」

「先生たちはこのことを知っている?」

「もちろん。どうしたの?」

「……いや、納得した。魔法使いなら君みたいな人でもギルド構成員になれそうだ」

トーコは顔をひきつらせた。

「級長、さりげに酷いことを言うよね」

「君は何をそんなに慌てているの。今まで町に侵入した魔物と何が違うの」

「無視かい」

「群、って言ったよね」

「侵入したのはオオアゴバッタっていう虫の魔物。それがたくさん入ってきてる。跳躍力はあっても飛べる虫じゃないのに、どうやってこんなに侵入したのかは分からないけれど」

「その魔物は窓を閉めたくらいで防げるのか」

「たぶん。人の領域のバッタとあまり変わらない。夏ぐらいからあちこちに侵入していたけど、誰も問題にしなかったくらいだし。ただ、今侵入しているのは数が多い。数十万、数百万の単位だと思う。ユナグールの町がバッタに埋め尽くされるのも時間の問題」

教室がしんとした。

「君はどうしてそれを知った? 君の話が本当だと証明できる?」

「魔法で。あと十分待てば事実が分かるよ」

と、そこへシェール教師が駆け込んできた。

「みんな席に着きなさい。トーコ、今の大声は君だね」

「はい、先生」

「校長室に行きなさい」

「ごめんなさい、その時間はなさそう。魔物のことは今彼らに説明したので、聞いてください。今日は早退します」

言うなりトーコの周囲が黒い箱になった。黒い障壁魔法の中で大急ぎで着替える。スカートでは色々と行動に支障がある。更衣室代わりの障壁を解除して出てきたトーコを見て皆が唖然とする。構わず窓を開けて移動魔法で乗り越える。ポーチから呼び出したサーフボードに飛び乗り、教室の中に向かって早口に伝える。

「窓を閉めて。人を襲うような魔物じゃないから、とにかく建物から出ないように」

それだけ言い残してトーコは東に向かってボードを飛ばした。町に放った探査魔法の情報では、突然の魔物の流入に既にあちこちでパニックが起こっている。小さいし肉食ではないとはいえ、人の領域のバッタにたかられたらトーコだって悲鳴をあげる。それが魔の領域からの襲来となれば、なまじ知識がないだけに恐怖だろう。

バッタは東門を乗り越え、なだれ落ちるように侵入している。飛べないのにどうやって高さ十二メートルの壁を乗り越えたのかと思ったら、脚力と数にものを言わせて互いに仲間を踏み台にして乗り越えたようだ。

「うう、気持ち悪い」

城壁で蠢くバッタの群をうっかり詳細に感知してしまい気持ち悪くなる。大きな通りではバッタに驚いた馬が暴走して怪我人も出ているようだ。だが、治療よりもまずはこの流入を何とかしないと。

町の上を最短距離で突っ切りながら、手始めに通りすがりにヘーゲル家を含むご近所さんを覆う巨大な球形障壁を設置し、採集用の球形障壁をばらまく。通りに面して何か所かに出入り口を作って外からの避難者が入れるようにする。ヘーゲル医師たちの安否が気になるが、我慢して城壁を目指す。

「障壁のストックがあって良かった」

空間拡張と時間凍結を施した障壁魔法を城壁に重ねるようにして立てていく。ルリチョウのときとは異なり、今回は高さ五十メートルで充分そうだ。東門を中心に左右に伸ばせるだけ伸ばして時間凍結魔法で固定。そこからは城壁に沿って南へボードを飛ばし障壁を延長する。が、

「キリないよ!」

城壁の終わりまで来てもオオアゴバッタの群はまだ続いている。遮るもののない草原を覆い尽くす魔物はどの方向に探査魔法を伸ばしても途切れが見えない。町を防護するだけならここらで終わりにするが、たかがバッタ。されどバッタ。これだけの大群が侵入したらユナグールと違って備えのない町や村はあっという間に呑み込まれてしまう。人の領域でもイネ科の植物を旺盛に食べていたこれらのバッタが食事を開始したらどうなるのか。穀物の収穫は終わっているはずだが、蝗害、という言葉が脳裏にちらついた。

「このままじゃストックも足りなくなる。いったんここまでにして先にユナグールだ」

余計なことを考えていたので決断が遅くなった。転移魔法で慌てて東門に戻るとトーコの障壁のない北側から大量のオオアゴバッタが流入し続けていた。障壁を追加作成することも考えて、結晶石の予備魔力を補充しながら限界速度で障壁を増築する。そして、こちらも町を越えてもまだオオアゴバッタが入り込んでいる。<深い森>のどこにこれだけの数がいたのだろうと驚くほどだ。

とうとう障壁のストックが尽きた。魔の領域にいるベアのところへ転移して、無事かどうか確認したいし、どうしたらいいか指示が欲しい。ベアならバッタの群に襲われても、むやみに動いたりせず、きっと障壁のなかでじっと収まるのを待っているはずだ。だけど、今はベアを探す時間的な余裕がない。

仕方ないので、次善の策だ。トーコはギルド上空に転移した。下を見ると広場はバッタに埋もれているが、魔法使いの誰かが障壁でギルドを守っているようだ。その障壁もバッタに覆いつくされている。ヘーゲル家周辺のバッタはあらかた回収できたので、呼び戻した採集玉をギルド周辺にまき直して、トーコは広場を含む広範囲に障壁魔法を張り直した。ちゃんと出入り口も作る。

障壁にたかっていたバッタが採集玉に吸い込まれ、やがて中の様子が目視で見えた。トーコが上空から手を振ると障壁が解除されたので、降りることができた。

「よかった、トーコ。町の様子は?」

薬草に詳しい女性職員が駆け寄ってきた。

「城壁沿いにオオアゴバッタ回収用の障壁魔法を建てたんだけど、設置の遅かった北側からものすごい量のオオアゴバッタが入り込んでる。町から五キロくらい離れたところまで障壁を張ったんだけど、南も北も終わりが見えない」

「国境警備隊の様子は?」

「分からない」

「参ったわ、鐘もならせないし、ギルド構成員もここまで辿りつけない」

そういえばいつの間にか鐘の音が絶えている。オオアゴバッタにたかられて鐘をつけないようだ。

「わたし、何をすればいい? 北と南にもっと障壁を継ぎ足す? それとも町の中のバッタを駆除したほうがいい?」

「ベアはなんて?」

「ベアさんは魔の領域なの。わたしだけ学校があるからユナグールにいたの」

「そういえば、そんなこと言ってたわね」

職員たちは短く相談した。

「トーコはまず、ここと同じように国境警備隊の本部機能を確保。場所は分かるわね?」

「うん、大丈夫」

「それが終わったら、人の領域へのこれ以上の侵入を防いで。ベアがいないんだから無理しちゃだめよ。一時間に一回は必ずここへ戻ってきて連絡を入れること。いいわね」

トーコは神妙に頷いて再び空の住人となった。

オオアゴバッタの流入は止まっているはずなのに、城壁近くの国境警備隊の本部もオオアゴバッタでどこが入り口かも分からない有り様だ。こちらも巨大障壁魔法で覆って中のオオアゴバッタを駆除していると、中からハルトマンが飛び出してきた。そのまま首根っこを掴まれて中に引きずられていく。

「は、放してよ、町の外にも障壁を延長しに行かなきゃ」

「五分遅れたところで大差ない。それより報告だ」

バタバタと兵士が走り回る廊下を猫の仔のようにぶら下げられて会議室まで連行される。軍服にいっぱい飾りをつけた軍人たちを前に報告もといハルトマンの尋問を受ける。ギルドにしたのと同じ説明を繰り返す。

「国境警備隊本部周辺のお掃除と拠点確保が終わったら、町の外に伸ばした障壁の増設。もう行っていい?」

「待て、その前に東門前でバッタを駆除しろ。出来るだけ派手な魔法で切り刻め」

「東門まで来たバッタはそのまま城壁に沿って建てた障壁の中に落ちるから駆除する意味ないよ」

「あほ。そうじゃない。せっかく罠を張ったんだ、角ウサギの掃討作戦の時のようにバッタをここへ集められないか」

トーコは瞬きした。

「ユナグール前で角ウサギを狩ってその臭いで角ウサギがよそに出ていかないように誘導したやつ? あ、だから切り刻めって」

「バッタでも効果があるのか分からんし、すでに移動している群の進路を変えられるか分からんが、何もしないよりましだ」

「わかった、やってみる」

ハルトマンはあわただしく作戦許可をとると、ゲルニーク塩沼でトーコに同行させた部下をふたりを伴って東門の前に出た。森との間にある草原を見下ろしてげんなりする。地面の見える場所がない。

「よし、やれ。派手にやれ」

「って言っても……」

火竜の炎を使ったら高温で灰になって血の臭いなどしなさそうだし、同じ理由で氷漬けにしたり、水で押し流すのも没。

「イェーガーさんとこのお姉さんの風かなあ」

でも彼女の魔法を肉眼で見たことはあっても、ちゃんと探査魔法でじっくり見ていない。いつも使っているフープロ魔法をアレンジするか、と考え、ふと思いついた。トカゲが使った竜巻の魔法。吹き飛ばされている間中探査魔法で確認したし、そのあとも発動を邪魔するためにトカゲが魔力を構築するのを観察していた。

「よし、やってみよう」

幸い背後は障壁で守られているのだからそこまで気にしなくていいはずだ。地上ぎりぎりくらいで放てばいけるのではなかろうか。

そう思って下を探査魔法で探ったトーコは慌てた。

「わわっ、人がいる!」

ハルトマンが舌打ちした。

「誰だ。ギルドの連中か?」

「たぶんそう。キノコを採りに来た人たちだと思う」

言いながら、地面にうずくまっている人を掘り出してトーコたちを覆う障壁の中へ避難させる。無駄なあがきをせず、外套で身を覆うようにしてじっと地面に伏せていたようだ。見知らぬギルド構成員はやや青い顔をしていたが元気そうだった。

「参った参った。ありがとう、助かったよ。上から見ると、こりゃとんでもないな」

「他にも人がいる?」

「サジンダケの出張査定所をこの先に立てているからそれなりにいるだろうよ」

トーコは浮遊魔法をかけた四人乗りボードを残して取り残された人を探しにいった。魔法を打ちこむ予定の場所を中心に探査魔法を走らせ、出張査定所を預かっていたギルド構成員を含めた数人とサジンダケを回収してハルトマンに預ける。念のため、彼らから十メートルほど離れ、トカゲを探っていた時の感覚を思い起こす。身の内で魔力を練り上げ……。

「うわーっとととと!」

縦ではなく、長く地を這う蛇のように噴出する竜巻は概ね狙った位置に打ち出せたたが、うっかり地面に触れようものなら跳ね上がって暴れること暴れること。長さ十数メートルの短い竜巻なのに、威力は抜群で巻き込まれた地面は岩まで砕け、オオアゴバッタはもはや原型をとどめていない。

「う……この魔法、使った後の片付けのほうが大変なんじゃ……」

そういえば去年の角ウサギの簗漁の時もミンチになっていたのだった。その時の細切れ角ウサギはあちこちに埋めたものの、まだトーコのポーチに残っている。

北と南に一本ずつ竜巻を放ってトーコはハルトマンのところへ戻った。

「こんなかんじになった」

「見せんでいい。捨てろ」

せっかく証拠物件をひと樽分ほど持って来てあげたのにハルトマンはすげない。

「去年の角ウサギの切り刻んだのでも撒いておく?」

ハルトマンは顔をしかめた。

「お前、そんなものをまだ持ってたのか? もう一年近くになるぞ」

「処分するのも大変なの! やってもやっても終わらないんだから!」

「角ウサギはいい。取り敢えずこれで様子を見る。俺は戻るが、こいつが暴走せんようにしっかり見張っとけよ」

後半は部下に向かっての言葉である。暴走ってなによ、暴走って、と頬を膨らませるトーコの抗議など知ったことではない。

失礼しちゃう、とぷりぷりしながらトーコは四人乗りボードを虫除けの障壁魔法で覆って移動し始めた。オオアゴバッタで視界が悪いので高度をあげる。

「た、高すぎませんか!?」

「でも、低いとバッタがぶつかってくるよ」

「万が一落ちた時のことを考えるとですね……」

「ひょっとしてふたりとも高いところは苦手?」

訊ねるとそろって強い否定が返ってきた。いいえ、大丈夫です! 問題ありません!

ならいっか。

南の障壁の切れたところまできたので、封筒の中で障壁を作り溜めてから一気に広げ、固定する。一度にできるのはせいぜい一キロくらいだ。これを繰り返すうちに、やがて湿原に出た。水面には無数のバッタの死骸が浮いていたが、このあたりまで来ると東側の魔の領域にも大湿地が広がっているので、人の領域まで到達するバッタは減った。ギルドに中間報告を入れた後、北の切れ目にとって返し、こちらも増設する。

「ねえ。これどこまでやればいいの?」

「どこまでやれるんですか?」

トーコは首にさげた魔力のビーズを撫でた。これ一つでゼロから障壁魔法を作って、内部を拡張して、時間凍結して、並べて固定して……だいたい五キロくらいだろうか。同時に障壁魔法を作って拡張してからまとめて時間凍結をかけたりしてかなり効率的に運用できるようになったとはいえ、効率化はほぼ限界だ。それにビーズ状にして保管してある魔力は一日の余った分なので当然内容量にばらつきがある。

「二日分の予備魔力でもう十キロくらいは」

「じゃあもう五キロやってそこでまた考えましょう」

有難いことに更に五キロ建てるとだいぶバッタもまばらになった。流入幅が打ち止めになったのか、群を抜けたのかは分からないがトーコも兵士も胸をなでおろした。国境警備隊本部上に高速移動で戻ると、遅い、とハルトマンに怒られた。

兵士たちは槍や剣ではなく、麻袋を持って走り回っていた。これを振り回して飛び跳ねるバッタを捕獲しては踏みつけて潰しているらしい。恰好よくはないが、有効な方法だ。

「しょうがないじゃない、遠くまでやったんだもん!」

トーコはむくれたが、ハルトマンは容赦ない。

「入り込んだバッタの駆除は後回しだ。お前は先に負傷者を見ろ。ギルドには話を通してある」

「ベアさんの様子を見に行きたいんだけど。魔の領域でひとりなの」

ハルトマンは顔をしかめた。

「十分だけやる。行ってこい」

「少ないよ! ベアさんが朝からどこに移動したかもわからないのに!」

「三十分」

「一時間!」

「ダメだ。町のあちこちで火災が発生して、消火もままならない」

トーコはぎょっとした。

「火事? なんで?」

「ちょうど昼飯の用意をする時間だったからな、火を使っていた家は多い。そこにバッタが飛び込んで、燃えたまま移動して火災が広がっている」

トーコはサジンダケの胞子にけぶる町を振り返った。あちこちから黒い煙が上がっているのにやっと気が付いた。

「わ、わたし火傷の治療なんかしたことないよ!」

トーコは狼狽した。ヘーゲル医師のところに来る患者の多くは魔の領域で受傷したギルド構成員で、次いでに馬車にはねられたり、高所から落下したような単純な事故の患者や刃傷沙汰の負傷者だ。外科的な治癒魔法はトーコも慣れているが、それ以外は素人以下の知識しかない。

「火傷って冷やすんだっけ?」

トーコは乏しい記憶を引っ張り出した。

「軽い火傷なら水で冷やせばいいんじゃないか。だが、冷やしすぎると体温が下がりすぎてまずいだろうし。焼け爛れているようだと皮膚がはがれる」

「ひーっ!」

スプラッタな光景を想像してトーコは震え上がった。考えるだけでも痛い。そんなのの治療なんでどうしたらいいのやら皆目見当がつかない。

「べ、ベアさん! ベアさんに聞いて来る! ベアさんならきっといい薬を知ってるもん!」

「あ、おい!」

ハルトマンが止める間もなくトーコの姿は掻き消えてしまった。

朝、ベアと別れた共同野営地周辺もオオアゴバッタが飛び跳ねていた。ただ、ユナグール周辺ほどの密度ではない。ベアは共同野営地の中にいた。

「良かった、すぐ見つかって」

「今日は遅かったな。待っていたんだ。オオアゴバッタの群が西へ向かって……」

「うん、ユナグールにも来たよ」

早口にベアが言うのをトーコは遮り、現状を説明した。

「もうユナグールに到達しているのか。風に乗って移動したにしても早すぎる。ここへバッタの群が来たのはお前たちが転移してすぐのことだ。そんなに距離がなかったから、俺はすぐに協同野営地へ戻ったんだが」

ベアが不審がるのも無理はない。人間なら歩いて一週間以上の距離をバッタは四時間ほどで移動した計算になる。

「いや、ユナグール近くの草原からも移動が始まっていたなら距離は関係ないのか?」

「ベアさん、考えるのは後にして。それより火事がたくさんなの! どうしよう!」

ベアは眉をあげた。

「俺に訊いてどうする。ヘーゲル医師の領分だろうが。落ち着け」

足踏みしていたトーコは命じられて深呼吸した。

「火傷なんて診たことないよ。どうしよう」

「人間誰しも初めてはあるものだ。治療ができなくても消火と救助はできるだろう。うまく火傷を治療している治癒魔法使いがいたらその場で教えてもらえ」

「わ、わかった」

「火傷ならミズクラゲだが、量がない。他は……重度の火傷に効くとなると、加工が必要なものばかりだな。俺たちだけで考えていても仕方がない。とにかく消火と救助だ。ユナグールへ戻るぞ」

トーコはほっとした。トーコなら指図されるままにできもしない治療をしようとして右往左往して終わっていたかもしれない。ベアはさすがに冷静で、自分たちに何ができるかきちんと見定めている。

ユナグールに転移し、待ち構えていたハルトマンにベアが消火を優先的に引き受ける旨を伝えるとハルトマンもあっさり承諾した。というか、さっきのトーコを見て無理だと思い直したのだろう。

一度ギルドに立ち寄って、帰還と消火活動への参加を連絡し、ベアはトーコを連れて上空から火災現場を探しにかかった。東門に近い東区はギルドと国境警備隊に任せて、彼らの手の回らなそうな西側へボードを飛ばす。

「このあたりから手をつけよう。一番近い火災はどこだ」

「あそこ」

すかさずトーコが指をさし、火炎と黒煙を吹きあげている広場と通りに面した店の前にふたりは高度を下げた。一軒は完全に焼け落ちようとしていて、周辺の店にも火が回っている。

「中に人はいるか」

「六人いる。他に亡くなっている人がふたり」

「上の窓から見えているのは俺がやる。トーコは残りを避難させたら消火しろ」

「うん」

トーコは内部に取り残された人たちを障壁魔法で包みながら、広場に集まっている人々に向かって音声拡大魔法を起動させた。

「こちらはユナグール魔の領域への入域管理ギルドです。危ないから下がってください。負傷者を寝かせる場所を空けてください」

移動魔法で逃げ遅れたひとたちと、亡くなったひとの遺体を運び出し、広場に横たえる。ベアも火と煙に炙られる窓辺に近づき、ひとりひとり抱えて降ろした。ベアがふたり目を抱えて窓を離れるのと同時に水の膜が火災域を覆った。それは縮むように小さくなり、後にはしゅうしゅうと水蒸気をあげる焼け跡が残った。

こんな時だが、それを視界の隅で見てベアは感心した。力技も多いトーコだが、上から魔力量にものを言わせて大量の水をぶっかけるのではなく、最小の魔力で無駄なく迅速な消火だった。そのトーコは運び出した負傷者のうち、ふたりを水の中に漬け込んでいた。こちらは正しく力技で、駆け寄ろうとした家族か知人が驚いたように見ている。

「火傷が深いの! このまましばらく冷やして、火傷が冷えたら体が冷えきる前に引き上げて着替えさせて。そっちのふたりはたぶん煙を吸って意識がない。喉の火傷は軽かったから治癒魔法で治療できたけれど、お医者さまに診てもらって。水に漬けたふたりには、鎮痛と治癒の魔法をかけてる。鎮痛魔法は一時間くらいで切れるから、そのつもりで」

音声拡大魔法をフル活用で飛び交うバッタにもめげずに集まっていた人々に指示を飛ばし、トーコはメモ帳に使った治癒魔法を書きなぐって医者に渡してもらうように手近の人に押し付けると、ベアが助けたふたりのもとに駆け寄った。どちらも顔は煤だらけで、煙にやられた涙のあとが頬に縞模様を作っている。髪は縮れ、あちこちに火傷を負っている。

「トーコ、障壁魔法に水を溜めろ。彼らが入れるくらいの大きさだ。一時間保てばいい」

トーコは急いで水風呂モドキを作って置いた。

「入って傷を冷やせ。そのほうが手っ取り早い。寒くなったら出て乾いた服に着替えろ。火傷痕が暫く痛むだろうが、痛み止めの魔法は傷の治りを遅くする。我慢してこれを塗れ。皮膚がはがれるようなら無理に包帯は外すな」

ベアが近くの人に膏薬を渡してトーコに、次だ、と声をかけた。

「待って!」

悲鳴のような女の声が上がり、ベアのローブがぐいと引かれた。

「お願いうちの人を助けて! 飛び降りたの!」

ベアが応えるより先にトーコが駆けだした。火事に気をとられて気が付かなかったが、男がひとり横たわっていた。添え木が足と腕に添えられている。炎に追われて三階の屋根裏から飛び降りたとのことだった。下では居合わせた人々が屋台の天幕を持って待ち構えていたのだが、狙ったところからずれて着地したと周りの人々が口々に説明する。トーコが猛烈な勢いでメモを書付け、引きちぎって女に渡したので助かる見込みはあるはずだ。

「内出血で溜まった血を抜いて、治癒はしたけれど、これを渡して必ずお医者さんに診てもらって」

女はありがとう、と泣いたが、トーコはごめんと小さく謝ってその場を離れた。トーコのやったことは万全とは程遠い応急処置レベルの事でしかない。トーコにとって慣れた治療だからこそ、充分な魔力と時間さえあれば完治させられるのが、申し訳ない。

「次に行くぞ」

ベアに声をかけられトーコはボードに飛び乗った。

「今死にかけている人間が他にもいる。魔力の配分に気をつけろ」

骨折の内出血の排出に転移魔法を使ったことを言っているのだと分かった。

「ごめんなさい……」

「分かればいい。次はどこだ」

火災を見つけ次第片端から消して回り、救助作業は深夜にまで及んだ。それでも、まだくすぶっている火があちこちに見える。トーコはまだやれると言い張ったが、魔力はあっても気力が限界なのを見てとったベアが一喝してヘーゲル家に連れ戻った。さしものトーコも食欲なくベットに倒れ込み、起きて鏡を見たら、びっくりするくらい真っ黒な自分がいた。朝から煤で汚れた自分とシーツを洗濯する羽目になって食堂に降りていくと、バベッテが家の中を片づけていた。

「バベッテ姉さん、おはよう」

「おはよう。よく眠れた?」

「うん。今日は学校はお休みする。ヘーゲル医師は?」

台所へ移動するバベッテにくっついて歩きながらトーコは訊ねた。ヘーゲル医師の診療所も昨日は大忙しだったはずだ。怪我人だけでなく、バッタから避難してきた町の人たちで、ご近所の家々はパンク状態だった。ヘーゲル家でも怪我人やその付添人を廊下にまで泊めていて昨夜はトーコもバベッテのベットに入れてもらった。

「まだ寝ているわ。昨日は一度昼寝して魔力を回復させて夕方に診て、また寝て夜中に診療していたから」

きつい話だ。普通の医者と違って、治癒魔法使いは魔力が切れたら治療が続けられない。自らを酷使する職業なのだ。

「バベッテ姉さんもほとんど寝てないでしょ」

「こういう時はしょうがないわよ。女の人たちは手伝ってくれるし。ああ、でも食料庫が空なの。今日の市は開くかしら」

「町の混乱が収まるまであまり出歩かないほうがいいと思う。わたしに補充できないもので必要なのがあったら言って。あとで買ってくるよ」

台所では見知らぬひとたちが立ったまま食事をしていた。場所がないのだ。トーコは山になった洗い物を片づけ、バベッテが温めてくれたスープを食べて一緒に食材を補充する。いつものように多種を少量ずつではなく、お昼と今夜のメニューに必要な食材をどさっと出す。

「タマネギ、ニンジン、ナガムカゴ、それに夏に作ったトマトソースも入れましょ。少し酸味のあるもののほうが元気が出るから」

「綺麗に棚が空っぽになったね。掃除するのが楽で助かるけど、これ全部一日で料理したの? 大変だったね」

「シラー夫人の家に避難してきたひとたちにも分けたのよ。そのことでお願いなんだけど、ご近所さんにも食材を分けてあげてくれない? みんな足りなくて困っているだろうと思うの」

「もちろん。もとはと言えばわたしが勝手に障壁をたてたからだし。ごめんね、ここまで人が殺到するとは思わなかった」

「トーコが謝ることじゃないわ。あの大混乱のなかでよく助けに来てくれたもの。この地区が無事だったから、治癒魔法使いの医師たちもまともに治療できて、たくさんの人が助かったんだから。最初は何が起こったのが分からなくて、この世の終わりかと思ったわよ。慌てて家じゅうの窓を閉めたけれど、あっという間に窓が真っ暗になって本当に怖かった」

ありがとう、と言ったバベッテの顔は青ざめて、声は震えていた。それに気が付いてトーコは後悔した。

どんなに慌てていて急いでいても、障壁を張ってバッタを排除しただけで済まさず、ちゃんとバベッテの顔を見ればよかった。探査魔法が使えて、空から状況を見ていたトーコと違って、バベッテには何が起こったのか分からなかっただろう。分からないことは怖い。準備学校でしたように、ちゃんと何が起こっているのか知らせるべきだった。

ご近所の様子をバベッテから聞いてトーコは平身低頭した。どの家もひとであふれていて、怪我人やお年寄り、女性、子どもを優先に受け入れていたので、狭い地区は道端が非常にむさくるしい状況になっていた。大急ぎで水場と簡易トイレを設置したものの、無計画な避難所設置は地域住民に負担を強いるということが良く分かった。

シラー夫人の台所に食材を補充して通りに出ると、昨日、障壁をたてるのに付き合ってくれた国境警備隊の兵士が現れた。

「東門を通れるようにしてください。ギルドの帰還者が立ち往生してます」

「あっ!」

トーコは青ざめた。町の中への侵入を防ぐことばかり考えて、東門部分も障壁魔法でふさいでしまっていた。バッタの襲撃に耐えてやっとの思いで東門に辿りついたら入れない、なんて。

ご近所には後日お詫びに伺うとして、今日明日に必要な食材をバベッテに預けたトーコは大慌てで兵士を障壁魔法に乗せて東門に急行した。

「城壁上から声をかけようにも障壁でうまく届かないようで」

「そりゃ、そーだ。いつからそのひとたち待ってたんだろう。まさか一晩中!?」

「我々も気が付いたのは、明け方くらいからバッタが減ってきて障壁越しにやっと景色が見えるようになってからで」

「うわーっ!」

トーコが東門のことなどすっかり忘れて布団で爆睡しているあいだ、彼らはずっとバッタの襲撃に耐えていたわけだ。東門まではひとっとびだ。障壁を越えてひとを探すと十名ほどのギルド構成員が東門前に集まっていた。

「ごめんなさい! ほんっと、ごめんなさい!」

トーコは平謝りした。締め出されたギルド構成員たちは疲れた顔で、トーコが障壁を撤去した草地を踏んで東門をくぐった。トーコは念のため障壁魔法の中を確認したが、間違って落ちたひとはいないようだ。

バッタはまだ草原を跳ね回っているが、昨日のような巨大な群ではない。あらかた通り過ぎてしまったようだ。

「町の中はどうなってるんだ。こんなものを建てたってことは城壁を越えて侵入したのか」

彼らを移動魔法でギルドへ送り届ける途中でひとりが訊ねた。

「うん。仲間を踏み台にして城壁を乗り越えて来た。朝の感じだと東区の混乱はだいぶ収まったみたいだけど、竈の火に飛び込んだバッタが跳ね回ってあちこちで火災が起こってる。わたしはさっきの障壁を建てるのにほとんど町にいなかったんだけど、最初のパニックは酷かったって。馬車が暴走したり、逃げようとして押されて大怪我した人もたくさんいるみたい」

「じゃあ、ギルドへ戻ったら町中のバッタの駆除が待ってるな」

誰かがうんざりしたように言う。

「それよりも人の領域に入り込んだバッタの駆除依頼が来ると思う。バッタが侵入してすぐに町の城壁に沿って障壁魔法は建てたけれど、町の外に建てるのはそれよりもずっと時間がかかったから、その分だけたくさん入り込んでる」

「いったいどれほど大きい群だったんだ」

「分からないけれど、私の障壁が三十キロくらいだから幅はそれくらい、長さは……ユナグールを通り過ぎるまで二十時間くらいだから計算すればそこから割り出されるかも」

「三十キロ……」

全員がげんなりした。

「ねえ、火事ってどこであった? うちは大丈夫かしら」

籠を背負った女が心配そうに言った。

「わたしのチームの消火と救助受け持ちは西区だったから、東区の状況は分からない。でも火事の被害は西ほど多かったから」

「それでも心配だから、依頼を押し付けられる前に一度家に戻るわ」

眼下の街並みを不安げに見るギルド構成員たちも言葉少なだ。

ギルド前の広場は避難してきた人々であふれていた。道を歩けるほどにはバッタは減っていたが、それでも常に視界を飛び交うし、ぶつかってくる。なまじ外出できるようになったのでひとが集まってしまったみたいだ。ギルド構成員にとっては毒もない、人も食わない、草食性のただの虫だが、魔物というだけで恐ろしいと感じる人は少なくない。

「帰還報告どころじゃなさそうだな……」

地面に降りて最初にトーコに問いかけた男が呟いた。それでも彼らが魔の領域から戻ってきたことが知れると、外の様子を知りたがってギルド構成員たちが群がった。

トーコはギルド職員に彼らを締め出してしまったことと、バッタの流入は収束していることを伝えた。

「障壁の中に入った虫は溢れてないか」

「東門近くのしか見ていないけど、大丈夫そう。障壁の撤去は後回しにして先に怪我人の治療をしたほうがいいかな」

「先に北区の消火と救助に行ってくれ。北区の西側が手が足りていない」

「わかった、ベアさんに伝えるね」

ボードに飛び乗ったトーコはほどなくギルドに向かって歩いて来るベアを見つけた。ベアを乗せて町の上空を移動しながら、ギルド構成員たちを締め出してしまったことを報告する。ベアのところにも苦情が行きそうだったから、言わないわけにはいかない。

当然ながら、みんなすっごく怒ってた。……そりゃ怒る。トーコだったら大激怒だ。今回はバッタだったから耐えればよかったが、これが角ウサギだったらみんな死んでいる。

「俺もそこまでは気が回らなかった。やってしまったものは仕方ない。次は気をつけろ」

「うん」

空間を囲む障壁魔法を固定するときには出入り口を作ることと換気孔をあけることが習慣づいているトーコだが、ただ隔てるだけの障壁でも出入り口を塞ぐなら、障壁にも出入り口が必要だった。忘れないようにメモする。

「ベアさん、向うの火事が先?」

遠くから見つけた黒い煙に向かっていたトーコは、その先にも火災を見つけてベアに訊ねた。手前のほうが規模が小さい。

「いや、順にやっていこう」

「わかった」

民家三軒を巻き込む火災を消火し、中から遺体を運び出し、近所の家に運び込まれていた重傷者を診る。医者の手が足りていないようで、素人手当しかされていなかった。トーコにしても大したことはできない。せいぜいが鎮痛や消毒程度である。小さな子どもが声が枯れるほど泣いているのが辛い。鎮痛魔法をかけてやっと眠ったけれど、持続効果は長くない。軽傷ならともかく、火で傷口の組織が死ぬと治癒魔法や竜の血では回復が見込めない。

「火傷の傷は痛むからなあ」

周囲の大人たちも痛々しそうだ。

「トーコ、火傷の薬は何を持っている?」

ベアに聞かれてトーコは慌てて採集帳を繰ろうとした。

「いや、薬草じゃなくて薬だ。ヘーゲル夫人とアニに何かもらってなかったか」

すっかり忘れていたけれど、そういえばギルドに登録したときに色々持たされていた。トーコはポーチの中に探査魔法を走らせた。

「これ」

手に平にすっぽり収まる小さな金属容器を差し出す。真新しい軟膏だ。蓋を開けてベアは臭いを嗅いだ。

「カンムリジソか」

魔の領域に生える常緑低木樹で、独特の強い匂いをしている。強い殺菌効果があり、火傷痕にも効く。配合されているものの中でベアに分かるのはそれくらいだが、トーコに持たせるくらいだから扱いの難しいものではないはずだ。ベアはそれを子どもを抱えている母親に渡した。

「傷口が脱水しないよう、しばらくはさっき渡したシケツソウを使え。血が止まって傷の熱が収まったら、これを。傷口に直接触れば痛いから、包帯のほうに薄く塗って傷を覆うようにするといい。傷が化膿するのを防いで、火傷の治りに効く」

母親が頷いて小さな膏薬入れをしっかりと握りしめるのを見て心が痛んだ。あれっぽっちの薬では一番酷い背中の傷だけにあてても二、三回ぶんしかない。

「次へ行くぞ」

ベアは未練がましく後を振り返るトーコに声をかけて移動した。トーコも気持ちを切り替えるべく深呼吸して視線を前に転じた。

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