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第5話 兄弟子ハルトマン登場

 翌日はギルド通いは自主的にお休みにした。他にしたいことがあったのだ。初任給、とはちょっと違うが初めてお金を稼いだら、お世話になっているヘーゲル家の人たちにお礼をすると決めていた。取らぬタヌキの皮算用にならずに済んだのは幸いだった。

 初報酬は罰金を差引いてもトーコには大金だった。アカメクサグモは角ウサギやアカメソウの実よりかなり良い引き取り価格だったのが大きいだろう。一週間分の稼ぎと思うと、あまり自慢にならないけれど。

 プレゼントは女性陣にはやっぱりハンカチとかだろうか。実用品だし、いくつあっても困らないし、嵩張らない。だけど、ヘーゲル医師には何を贈ればいいんだろう。色々頭をひねったが、ちっとも案が出てこない。父の日っていつもどうしていたっけ。靴下とかゴルフボールとかあげた記憶はあるけれど、母の日とくらべてインパクトが薄いせいかイマイチ応用できそうなものを思い出せない。

 「ううーん」

 シラー夫人と市場に行くバベッテについていって色々見てみようと思ったのだが、朝からあちこちに急患が入って走り回っているうちに出かけられてしまった。一段落したので、お茶を入れてヘーゲル医師とまったりしていると、蹄鉄が石畳を叩く音がして診療所の前で馬のいななきが聞こえた。

 「今日は忙しいな」

 ヘーゲル医師はお茶を飲み干して立ち上がった。トーコはとっくに駆け出していた。先触れならいいが、怪我人を馬なんかで運ばれたら傷に響く。ここから先はせめて移動魔法で運んだほうが患者への負担が少ない。特に下ろす時が大変なのだ。診療所の扉が大きく開き、国境警備隊の軍服を着た青年が飛び込んできた。トーコにぶつかりそうになって停まる。

 「ヘーゲル医師はいるか」

 トーコには聞きなれた声が頭上から降ってきた。一ヶ月前までこの家の居候仲間だったハルトマンだった。

 「うん、いる」

 勝手知ったる元居候先。診療所と住居をつなぐドアを引きあけ廊下の奥に姿を見せた師匠に向って、

 「壁外塔修復中に石材をあげる滑車が壊れました。足場も壊れて、負傷者多数。塔の中で生き埋めになった連中が複数。他の医師がたにはこれから声をかけます」

 「とりあえずトーコを連れて先に行け。他の連中にはこっちで声をかけて、すぐに追いつく」

 「よろしくお願いします」

 早口でやり取りするふたりの会話を充分に聞き取れなかったトーコはハルトマンに襟首を掴まれ診療所から引きずられてやっと、自分が先に行くことになったのだと理解したが、一瞬の浮遊感のあと、馬の背に着陸して事態の深刻さを悟った。

 「お、降り……」

 「歯をくいしばっとかないと舌をかむぞ」

 言うなり馬が走り出す。機械じゃあるまいしなんだこのロケットスタートは。

 舌をかんで死ぬのはいやなので、トーコは心の中だけで悲鳴をあげて死に物狂いでハルトマンにしがみついた。周りを見る余裕などないので、ひづめの音だけで門を出て草原にはいったのを知る。現場はどれだけ遠いんだ! もう腕が限界なんですけど! そして急停止。トーコが慣性の法則に逆らえずにいる間に首根っこをつかまれて下ろされる。

 「こら、さぼるな」

 さぼっているんじゃなくて、へたってるの! 声も出ないトーコの襟首を掴んでハルトマンはずかずかと歩く。ヘーゲル医師はきっとこれを予測していたに違いない。トーコは恨めしく思った。まあ、トーコが残ったところで、どんな治療が発生して誰と誰を連れて行けばいいのかなんて判断はできないのだけど。

 「何人掘り出した」

 「まだひとりだけです」

 まだ体が揺れている気がするが、嗅ぎ慣れた血の臭いとうめき声にさっと意識が冴えた。

 ハルトマンの手を振り払って横たえられた人影の元へ急ぐ。単なる事故だから、毒などの心配はいらない。苦しそうだが、事故発生からそう時間が経っていないらしく、体力は充分ありそうだ。鍛えているかんじからすると、人夫ではなく兵士だ。

 トーコは土まみれの傷口を水で洗い、消毒すると、鎮痛や止血を省略していきなり治癒にかかった。大量の魔力を送り込んで、強引に一気にやる。洗練とは程遠い力技だが、送り込む魔力が足りないと当人の体力を消耗させるので、急ぐ時は多いくらいの魔力を送り込んであまったら散らすのが一番いい。

 ベアに言われて意識して適量を心がけるようになってからはだいぶ散らす魔力の量は減った。それでも見立てが苦手なのでギリギリの魔力を送るなんてことは怖くて出来ない。気がつかない場所に骨折があったら、内出血があったら。下手すると怪我は治っても体力尽きて命にかかわりかねないのが治癒魔法の難しさだ。

 見る間に傷がふさがり、ねじれた足が伸びる。患者の呼吸が楽になったのを確認して顔をあげるともう次の人が運ばれてきた。運んでいるのはハルトマンの移動魔法だ。ハルトマンも一応治癒魔法が使えるが、ひとりで救助作業と両方はできない。トーコの真後ろに下ろされたので、次はこっちを担当しろ、という意味だろう。すぐ拳骨が振ってくる難儀な兄弟子だが、そういう判断は間違わない。こちらも一目で重傷と分かるので力業だ。ここでトーコが魔力を使い切ってもヘーゲル医師がすぐに来てくれるはずだから迷わない。

 その次はなかなか来なかったので、命にかかわるほどでないにせよ、骨折や強打で横になっている人たちを治していく。十数人全てを終えてもハルトマンが戻ってこない。人が騒いでいるほうに行くと、壊れて横倒しになった重機が見えた。

 「ハルトマンさんはどこ?」

 何人かに聞いてやっと堀の縁から下を覗き込んでいるハルトマンを見つけた。崩れた石材と木材の下に人がいるらしい。ハルトマンはただ覗き込んでいるわけでなく、てこの原理で石材を持ち上げようとしている兵士たちがてこの先を突っ込めるように、石材を持ち上げて隙間を維持しているらしかった。トーコはハルトマンの袖を引っ張った。

 「向うの治療は全部終わった。手伝う。あの石を持ち上げてどかせばいいの?」

 「よし、まだやるなよ」

 ハルトマンは石をどかそうとしていた兵士たちをいったん下がらせる。

 「いいぞ」

 トーコは石材を持ち上げた。個人宅ではなく、防衛設備に使うものだから、ひとつひとつの石が巨大だ。

 「この石どうしたらいい?」

 「どっかその辺においとけ。指示するから順番にどかせ。全体が崩れそうになったらとまれ」

 「わかった」

 それからはハルトマンがあっちの石をどけろ、そこの木材を引き抜けというのにしたがってひたすら移動魔法を行使する。ところが、ハルトマンの声が止まる。どうしたのかと見ると難しい顔で考え込んでいる。どうやらジェンガに詰んでしまったらしい。トーコはハラハラして下とハルトマンを見比べた。ややあってハルトマンは下の兵士に指示を出した。

 「そこの石材が動かないよう、中から吊れ。下からもつっかえ棒を入れろ」

 すぐに兵士が走っていく。ハルトマンは崩れた一角を指差した。 

 「そこで作業していた奴いるか?」

 「いなかったと思いますが……」

 「よし。じゃあ、向こう側へ流すぞ」

 「えええええ! いるいるいるってば! ダメ! ひとりいるよ!」

 トーコは慌ててハルトマンの袖を掴んだ。誰だ無責任なこと言った奴。そして安易に信じるなよ! ハルトマンが真顔でトーコを見た。

 「いるのか」

 「いるよ!」

 「どうやって分かった」

 「探査魔法」

 なるほど、と呟き、ハルトマンは息を吸った。

 「アホかお前は!」

 トーコの鼓膜がびりびり震えた。

 「俺が苦労しているのが見えんのか! 分かっているならとっとと言え! ほんと碌なことせん……ってーな!」

 トーコが反射的に目をつぶって首をすくめるのと、ハルトマンがこぶしを振り回すのが同時だった。

 「お前何した!」

 「あ、フキヤムシ用の障壁、張りっぱなし……」

 「ほんと碌なことせんな!」

 言うなりトーコの首根っこを捕まえた。

 「わ、落ちる落ちる」

 「俺が持っているのに落ちるかあほ。それより他にどこに人がいる」

 「えーと、こことあそこと、そっちはふたり、その間に三人。ここの人は浅いからあとちょっとで掘りだせると思うんだけど」

 ハルトマンは暫く下を睨んでいたが、やがてゆっくりと言った。

 「先に浅い奴を掘り出す。引きずり出せるだけの隙間を俺が作るから、トーコが引き出せ。どのあたりから上を持ち上げればいい?」

 「あの斜めに刺さってる角材とこっちの石材の角をつないだライン」

 「よし、多少周りの土砂ごともっていってもかまわんから、急いで引きずり出せよ」

 「うん」

 「せーの」

 ハルトマンのかけ声に押されるようにして、大量の土砂がわずかに持ち上がる。トーコは中で倒れている人を障壁魔法で固くコーティングし、力づくでひっぱりだした。そのまま手元に引き寄せる。息がある。トーコはほっとした。骨折や裂傷なら治せるが、即死だったり、窒息していたらトーコの手に余る。

 幸いなことに時間はかかったものの、全員無事に救出され、駆けつけたヘーゲル医師たちベテラン治癒魔法使いの手にゆだねられた。怪我が治ったといっても、血液や体力を失っているので、すぐに元通りになるわけではない。担架で運ばれる彼らを見るともなく見ていると、ハルトマンが尋ねた。

 「おい、さっきのはなんだ」

 「さっきの?」

 「障壁魔法だ。お前の反応速度じゃなかったぞ。どうやった」

 さりげなく酷い言い様だ。トーコは対フキヤムシ障壁魔法について得々と語った。今のところ魔の領域でよりも、町中でしか役立ってないが、常々トーコの頭を木魚かなにかと勘違いしているハルトマンにはいい気味だ。

 「ほう、便利だな。ということは突然上から石や木材が降ってきても怪我しないで済むというわけだな」

 「あ、そういう使い方もあるね。埋もれちゃっても少しなら窒息しないですみそう」

 「で、それを練習のために町中でも常にお前は張っていると」

 「そう。だいぶうまくなったんだよ」

 そうか、とハルトマンは呟き、おもむろにトーコの背後に回った。両手の拳骨を頭頂部ではなく、左右のこめかみに押し当てる。強く挟んでぐりんと首をまわさせる。

 「い、いでででで!」

 「あほかお前! 道路のど真ん中に建築資材を積み上げやがって! 荷車が通れんだろが!」

 「ええーっ! どこでもいいって言ったくせに! 痛い痛い!」

 「その辺に積んどけって言ったんだ! 空き地なんかいくらでもあるのに、わざわざ道路を塞ぐお前の魂胆が知りたいわ!」

 「ごめんなさい! 何も考えてませんでした!」

 トーコは白旗をあげた。やっとのことでハルトマンから距離をとり、痛むこめかみを押さえた。

 「酷い、あんまりだ」

 「酷いのはお前のおつむだ。俺に喧嘩で勝とうなんざ十年早い。今日は残りの資材を上に上げたら帰っていいぞ」

 「今日は?」

 嫌ーな予感がする。

 「どうせ暇だろ、お前。明日は誰か迎えにやらすから、寝坊するなよ」

 「きょ、拒否権を……」

 「下を片付ける頃には日が落ちる。それとも暗くなってからも城壁の外に居たいか?」

 「嫌です」

 「じゃ、道路に積んじまったのを動かすのは明日だな」

 ハルトマンは交渉成立とばかりにトーコに散乱した資材の片づけをトーコに指示しはじめた。トーコに拒否権は最初からなかった。


 「……話が違う」

 余裕がなかったとはいえ、みんなの邪魔になるところに建築資材をどかしてしまったのはトーコのミスだ。だからそれを別の場所に置き直すことに否やはない。種類別、サイズ別に並べたっていい。だけど、これはちょっと違うんじゃないか。

 「おい、右が下がっているぞ、しっかり平行に持て。よしそのまま維持、角材を垂直にあててぴったり挟め。あほ、それじゃない、兵士が足を乗せているやつだ。二本あるだろ、少し間隔をあけて……」

 「難しいよう。少しってどのくらい? このくらい?」

 「開けすぎだ。端に置いて少しずつ手前に動かせ。ストップと言ったらそこで止めろ。ストップ! 行き過ぎだ、二センチ戻せ」

 「ひーっ!」

 「よし、石を下ろしていいぞ。しかしお前、もうちょっと建築の勉強をしろよ。指示しにくくてかなわん」

 「それ、わたしの希望進路じゃないから」

 「なんでだ。便利だぞ」

 「便利なのはハルトマンさんでしょ!」

 「そうだな、もう少しまともに城砦建設できるようになったら使ってやらんこともない。補修箇所はいくらでもあるから、食いっぱぐれないぞ」

 「いや、だからそれわたしの進路じゃないってば」

 トーコは今日も陣取っていた空堀の上で身をおこした。かなりの深さがあり、立っていると怖いので座って首だけ伸ばしていたのだ。

 負傷して戦列を離れた兵士と壊れた重機の代わりにトーコをさんざんこき使っているハルトマンは、壊れた基部を直すために城砦の仕組みや内部構造ををかなり詳しく教えてくれた。これって軍事機密じゃないのか。いいのか簡単に一般人に教えて。そういって逃げようとしたしたら、対魔物の城砦だから問題なしと言われた。本当に問題ないのか怪しいと思うのだが、ハルトマンはトーコの首根っこをがっちりと押さえてここに据えてしまった。

 「それにしても暑いな。水飲んどけよ」

 朝夕は涼しくなってきていたが、日中はまだまだ暑い。特に今日みたいな雲の少ない晴天だと、さえぎるもののない草原に日差しが容赦なく降り注ぐ。モリガエルのフードつきのローブを持ってくればよかった。熱中症はごめんなので、トーコは一口大の水塊を口に放り込んだ。

 「俺にもよこせ」

 サッカーボール大の水塊をハルトマンの前に作ってやる。勝手に掬って飲め。そう思っていたら、

 「おい、下の連中のぶんが足りないぞ」

 「こんくらい?」

 作業場近くに風呂桶いっぱいぶんくらいの水塊を作ったら、水を飲むついでに頭をつっこんで涼んでいるいる輩がいる。こら、皆の飲み水なのになんてことするんだ。トーコはげんなりしてもうひとつ水塊を作った。水浴びしたい人は向うでやってください。兵士がハルトマンのところにかけてきて、なにか告げていった。

 「トーコ、次の石を載せて固定させたら、昼飯にするぞ」

 「うん。お腹空いた」

 午前の作業を終えると、日よけを張った天幕で食事がもらえた。クマだって丸ごと煮れそうな大鍋に、具だくさんのスープが煮えていて、勝手にすくって食べろということらしい。みんな丼に山盛りにしている。いくら食べ盛り育ち盛りでも彼らにはかなわないのでトーコは山盛りにしようとするハルトマンからお玉を奪い取って自分でよそった。それと固パン。

 「なんか、ニンジンが繋がっているんだけど」

 「新人の野戦料理訓練込みだからな」

 バリッボリッとスープとは思えない音をたてて食べているハルトマンは平然としたものだ。

 「固パンはスープにつっこんでふやかしておかないと歯が欠けるぞ」

 「もうパンって呼ぶのやめたらどうかな。凶器だよね」

 トーコは繋がったニンジンをバリバリ噛み砕いた。中まで火が通っていない。もっと小さく切ればいいのに。新人くんにはもうちょっとがんばってもらいたい。

 「今日のはだいぶましだな。昨日より進歩した」

 「昨日はどうだったの?」

 生煮えじゃなくて生だったのだろうか。

 「肉が生臭かった。今日の血抜きはまともだ」

 「もしかして、そこらへんで狩ってきた角ウサギをそのまま入れてるの? どうりでお肉がなんだか変だと思った」

 新鮮なお肉イコール熟成されていないお肉である。トーコもバベッテの買物にくっついていくようになって知ったことだが。スーパーのパック肉しか知らなかったので、衝撃だった。

 「野戦料理なんてそんなもんだぞ。あんまり不味いと軍の士気にかかわるけどな、肉がなくても仕方ないで済むが、塩が切れるのが一番悲惨だな」

 「へえ。そういえば乾燥豆とかは持っていかないの?」

 ベアが乾燥豆を魔の領域での食料として持ち込んでいる話を思い出した。

 「もちろん、持って行く。調理がちと手間だが、日持ちするし取扱いが楽だ」

 「ベアさんは調理が楽だって言っていたけど。水と一緒に持ち歩けばすぐ煮えるって」

 「ベア? ああ、ヘーゲルの奥さんの知り合いのギルド構成員だっけか。薬草取りの名人の。彼はひとりで入るんだろ。何十人分もの豆をふやかすのは大変なんだ。もどすのに半日かかる。訓練なら確実に調理時間を設けるけど、実戦じゃ携行食だけで下手したら何日もしのぐんだから、豆が腐る」

 「そっか」

 「そういえば、昨日ヘーゲル医師がお前がいる日でよかったとか言っていたけれど、最近出歩いているのか?」

 「ギルドに通ってる。まずは掲示板の依頼を読めるようにならなきゃって。受付の人も皆親切だよ」

 「ギルドに入るとか言っていたの本気だったのか」

 「失礼な! 見習いだけどもうギルドに登録したんだから。ベアさんに連れて行ってもらって、近場の日帰りだけど二回も入ったんだから」

 「マジか。お前みたいなとろいのが良く生きて帰ってこれたな」

 「そんなに危ない所にいくわけじゃないけれど、ハルトマンさんはわたしをなんだと思ってるの?」

 これでも一応魔法使いなんですけど。ちょっとは有利なんですけど。

 「すぐパニックを起こす迷惑娘」

 う。反論できない。

 「な、慣れれば平気だもん」

 「慣れるまでが迷惑だ。怪我人見るたんびに悲鳴をあげているようじゃ慣れる前に死ぬだろ」

 「いつの話よ。ベアさん直伝対フキヤムシ障壁魔法があるもん」

 「あれは便利だな。だけど、すぐ俺に破られただろ。魔法は魔法使いの生命線だ。普通自分の魔法についてペラペラしゃべったりするもんじゃない」

 「ええ? でも治癒魔法使いの医師たちも、ベアさんも教えてくれるよ?」

 「治癒魔法使いはちょっと特殊だ。ある程度どんな魔法が使えるのか分からないと依頼できないしな。それでも簡単に人に教えたりしない自分だけの特別の魔法があるもんだ。ベアが対フキヤムシの障壁魔法をお前に教えてくれたのはよっぽどのことなんだぞ」

 「そうなの?」

 「よっぽどお前が死にそうにあぶなっかしかったってことだ」

 「酷い!」

 「冗談はさておき」

 「冗談に聞こえなかった……」

 「半分以上本気だ。その魔法、多分ベアのオリジナルだろ。聞いたことがない」

 「そりゃ、フキヤムシなんて一部の魔の領域にしかいないもの」

 あほ、とハルトマンはでかい手をトーコの頭に置いた。そのまま指に力を入れると痛いのなんの。

 「魔物だけじゃなくて、対人でも有効だろ。自分に対して使えるだけでもいい性能だが、他人に対して使えたら要人警護で飯が食えそうだな」

 「タイジン?」

 「人に対しても使える。例えば誰かがお前を殺そうとしている」

 「ええっ!」

 「例えだから立つな。魔法使いを殺そうと思ったら正面から行くのは具の骨頂。気づかれないうちに刺すか、死角からそっと矢を射込むか、毒を仕込むかだが、前ふたつはその障壁魔法で防げるな。後者はお前自分で解毒できるだろ。なかなか無敵じゃないか。だが、ベアが自分で解毒できないとすると、暗殺者は最初から毒で殺しにかかれるわけだ」

 「軍人さんの発想って物騒。ベアさんはそんなのと無縁だと思うけどなー」

 「どうだか。ベアはいい腕なんだろ。そのつもりがなくたって人の恨みを買っていないとは限らない。むしろ面白くない奴がいて当然だろ」

 「そうかなあ」

 懐疑的なトーコにハルトマンがわざとらしいため息をつく。

 「あのな、ユナグールの治安維持も俺たちのお仕事なんだよ。ただでさえ気性の荒い流れ者がうろうろしているこの町でそんな話は日常茶飯事だぞ。街中でさえ人殺しにまで発展するんだ。魔の領域でもめたら、どうなるか分かるだろ?」

 トーコはきょとんとした。

 「どうなるの?」

 「実力行使。魔の領域で消息を絶っても魔物にやられたらしい、で終わりだ。魔の領域の出来事は俺たちの管轄外」

 トーコは嫌な顔をして黙り込んだ。

 「俺も聞いた話しか知らないが、日帰りで行けないような魔の領域の深いところまで入るような連中より、競合の起き易い近場で半端に稼いでいる奴らのほうが危険だ。お前も気をつけろよ」

 「あの、さ。さっきの魔法使いを刺すっていうのだけど、近くからゆっくり刺されたら危ないかな」

 「致命傷を与えるほど深く刺すには勢いがいるんだ。対フキヤムシの障壁魔法があれば問題ない。相手を壁か地面に押し付ければ別だが、そんなの移動魔法なりでふっとばしゃ済む話だろ。というように、護身用の魔法についてほいほいしゃべるな。教えたベアだって魔法を破られるんだ。ベアにならったってのは聞かなかったことにしてやる」

 「う、うん。ありがとう」

 魔法ってそんなにしゃべっちゃいけないものなのかな。どのへんで線引きすればいいんだろう。だって、ヘーゲル家のひとたちに今日はこんな魔法を習った、あんな魔法を習ったって結構しゃべってしまっている。ヘーゲル医師はしゃべっちゃダメなんて言わないし、ベアから口止めされたこともない。ハルトマンさんが神経質なだけじゃないかなー。

 「そういえばさっき、ベアについて魔の領域に入ったって言っていたけれど、お前もう十五歳だったか?」

 「見習い制度があって規定年齢に達していなくても、一年以上の経験者となら入っていいの」

 「へえ、そういうものがあるのか。トーコはベアとチームを組むのか?」

 「ううん、新人には三回まで誰かが一緒に入ってくれる後見制度があって、ベアさんはそれなの」

 「三回ということはあと一回か。いつ行くんだ」

 「分からない。ベアさんが魔の領域から戻ってこないことには、どこに行くのかも聞けないし。一週間以内には戻るって言っていたけれど」

 そうだよ、予定くらい教えてよ。でないと困るじゃない。面白くない気分が復活してトーコは唇を尖らせた。

 「てことはお前はそれまで暇なのか」

 「暇じゃないよ。ちょっとでも勉強しておきたいし。昨日だって今日だって本当は用事があったんだから」

 そうそうこき使われてたまるか。ついでに買物のことを思い出したので聞いてみる。

 「誰かがプレゼントくれるって言ったら、ハルトマンさんだったら、何が欲しい?」

 「金、女、地位」

 「……。ハルトマンさんに聞いたわたしが馬鹿だった。わたしがあげられる範囲のもので!」

 「誰にあげるんだ? ベアか?」

 「ベアさんにもお礼したいけど、今回はヘーゲル医師。女性陣には色々思いつくんだけど、男の人ってさっぱり分からない」

 「なんでもいいんじゃないか?」

 「頼りにならないなあ」

 「そうは言ってもな。おーい、お前、トーコがなんかくれるっていったら、何が欲しい?」

 食べ終わった器を回収していた兵士が、突然ハルトマンに話しかけられて面食らった顔をした。

 「くれるんだったら、何でも嬉しいですよ」

 「だとよ」

 「模範解答だけど、それじゃ解決にならない……」

 トーコはがっくり肩を落とした。やっぱりハルトマンに相談してはいけなかった。無難に消えものがいいのかな。でも男の人にお菓子というのもなあ。お酒とか?

 そんなことを考えながら固パンをつついていると、ハルトマンが丼を置いて立ち上がった。他の人たちも立ち上がっている。固パンを噛み切るのに集中していたトーコが気がついたときにはハルトマンの前に、立派な肩章のついた軍人が立っていた。どうやらお偉いさんらしい。トーコにはなんにも関係ないけれど。あともうちょっとで噛み切れそうなんだけど。

 お偉いさんは事故を聞きつけてお見舞い兼視察に来たらしい。そのわりに態度と言葉がとげとげしている。どうやらこの補修工事はハルトマンが押し通して、それを快く思っていないらしかった。ハルトマンさんも強引だからなあ。固くて難儀するけれど、塩味のスープを吸ったパンはかみしめると悪くない味だ。

 「それで、その子は? 民間人に見えるが」

 「昨日の事故の負傷者を治癒した魔法使いです。彼らの傷の経過を見にきたついでに、また事故が起こった場合に備えていてもらっているだけです」

 「そんな予算の申請は出ていなかったと思うが」

 「妹弟子なので大丈夫です。本人の訓練でもありますから」

 ハルトマンはにこやかに断言した。トーコの労働報酬はこの昼食らしい。そのかわり、道路を封鎖しちゃったのは黙っていてくれるみたいだ。口のなかにはまだパンが居座っていたので、会釈だけで挨拶した。

 「妹弟子? ああ、君が役務をほうって民間医のところで半年も油を売っていた時のか」

 トーコはあれ? と思った。ハルトマンは魔の領域での受傷について学ぶため、正式に国境警備隊から派遣されてきたのじゃなかったのか? ハルトマンが彼らを案内して工事現場を見に行ってしまったので、トーコは洗いものを手伝いながらハルトマンが戻ってくるのを待つことにした。

 「今の人誰? 偉い人?」

 皿洗いの兵士に聞いてみる。

 「国境警備隊隊長ですよ」

 「じゃ、ここで一番偉い人?」

 「そうです。ところで、あの昨日はありがとうございました」

 「どういたしまして。昨日怪我した人?」

 「いえ、俺は大丈夫でした。先輩が助けてもらってました。すごいですね、あんな大怪我を一瞬で治すなんて。足の腱がやられていたんで、もう退役しかないと思っていましたよ」

 「手当てが早かったからだよ。魔法は凄いけど、すぐに呼んでもらえたから治せたんだよ」

 たまにいる。治癒魔法使いにかかることを躊躇して、何日もたってから尋ねてくる人が。そのたびにもっと早く来てくれていればと思う。治癒魔法が高価なので躊躇してしまうのだろうけど。それでもギルド構成員にはギルドと提携している治癒魔法使いにかかれば補助が出るだけましだ。

 「いきなり治癒魔法使いを呼んでくるって、ハルトマン隊長が飛び出して行った時はびっくりしましたけどね。いつも予算予算て言っている人が、そんな高価な治療を兵士に使って上にどう認めさせるんだろうって」

 それで現場をほっぽってハルトマンが呼びに来たのか。師匠のところなら多少の融通はきくから。今は少しでも魔法の練習をしたいので、こちらから頼み込んであちこちで無料で治癒魔法を使わせてもらっているトーコだが、そうでなくても絶対無料奉仕扱いだったに違いない。

 「あ、戻ってきましたよ」

 偉い人をお見送りしてきたハルトマンは明らかに機嫌が悪かった。中断していた食事を終えて現場に戻る途中、トーコ相手にぶちまけた。

 「出すもんも出さずに言いたい放題言いやがって。こっちは古い道具を修理しながら使っているんだ。文句あるならせめて人手よこせ! 役務規程知らんのか。だいたい、ガタがきているのを長年放置したツケを今俺がはらってやってるんじゃないか。兵站を舐めやがって。戦闘兵だけで軍隊が成り立つと思うなよ!」

 ひとしきり悪態をつくと、トーコを見やった。

 「お前、びびりのくせに変なところで度胸あるな」

 「ドキョー?」

 「お偉いさんの前で黙ってすわったままだったろ」

 「だって知らない人だもの。それに口の中がパンでいっぱいでしゃべれなかったんだもん」

 ハルトマンは片頬だけで笑った。

 「それより、ハルトマンさんって正式にヘーゲル医師のところに派遣されて来ていたんじゃないの?」

 「正式?」

 「さっきの人は認めていないかんじだったから」

 「ああ、国境警備隊長は前線組からのたたきあげだから、書類組への理解が薄いんだ」

 ハルトマンのような後方支援職種を通称書類組、国境警備隊の大多数を占める戦闘職種を前線組と言う。両者は仲が悪い。書類組といいつつ、工兵のようにデスクワークよりも体を動かすことも多い。補給のための兵站線を防衛するために戦闘訓練だってつんでいる。だから外からは書類組とか前線組とかよく分からないが、そうらしい。

 「よく分かってないから仕方ないんだけど、俺にしてみりゃ、人間相手じゃなくて魔物相手に何をどんだけ備蓄すればいいのかまるで計算が立ちゃしない。どうしても特殊な薬が必要になる場合もあるし、季節で必要になる特殊物資もある。せめてノウハウが蓄積されていればいいんだけど、ここも辺境流刑地だからなあ。やる気ない奴が多いわ」

 「ああ、サセンって奴」

 「おまっ、言ってはならんことを!」

 「で、やる気がない人の変わりにハルトマンさんが補修工事をやってるの? 衛生部隊とも補給部隊とも関係ないよね」

 たしかハルトマンはそのふたつの兼務だったはずだ。国境警備隊では両部門を独立させるほど大きくないとか言っていた。

 「まったく関係ないわけじゃないが。ここだって貴重な狩りの拠点だ。なにしろ予算ないからなー。肉が食いたければ自分で角ウサギを狩ってこいってことだ」

 「訓練にもなるんでしょ」

 「なるが、角ウサギの相手ばっかりじゃな」

 「モリガエルは?」

 角ウサギと並んでユナグールの食肉市場に流通している。

 「湿地帯のほうまでいくと上がいろいろうるさい。角ウサギはまだ外塔への往復にたまたま出て狩りましたってな言い訳がきくんだが、ギルドの手前、湿地帯入りまでは認めてくれんだろうな」

 軍人さんも大変なようである。トーコはギルドの一員として聞こえないふりをして話を元に戻した。

 「で、どうしてハルトマンさんが工兵部隊を指揮しているの? 本来の担当の人がよく文句言わないね」

 「まー、ここだけの話、流すために流されてきた人だから配属と本人の資質が合ってないんだよな。ついでに学ぶ気もない、と。適性外の部署に押し込まれたのは気の毒だが、せめてメンテナンスくらいしっかりやっとけば、昨日の事故だってあんなに酷くはならない。言いたかないが、石材が落ちたくらいで基部が崩れるってどんな手抜きだよ。支えの木部が腐ってたぞ」

 周囲に人がいないので、ハルトマンも言いたい放題である。

 「でもよくハルトマンさんに任せてくれたね」

 「そこはまあ、勉強させて下さいって下手に出てだな」

 「え、ハルトマンさんに下手に出るなんて技能あるの?」

 「お前は俺をなんだと思っているんだ?」

 後方支援職将校のくせに前線兵士よりも喧嘩っぱやい暴力兄弟子だと思っていますが? 口に出して言ったわけでもないのに、こめかみぐりぐりの刑をくらった。


 重機がわりにハルトマンにこき使われはしたものの、移動魔法で重いものや重量に偏りがあるものを持ち上げるいい練習にはなった。最初は勢いよくあげすぎたり、置き場所にぴたりと置くのに苦労したりしたけれど、午後からはだいぶ作業がはかどり、ハルトマンに叱咤を喰らう回数も減った。足場を組む木材が昨日の事故で折何本もれてしまっていたので、重い石材を運べる魔法は喜んでもらえたので良しとする。夕方までがんばったおかげで、翌日からは晴れてお役ごめんとなった。

 ヘーゲル医師には結局お酒にした。ヘーゲル夫人とアニに相談して健康によいという薬酒にしたら微妙な表情をしたものの、一応喜んでくれたからトーコは満足だった。

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