第32話 ヘレナ(1)
「あれ、トーコ、久しぶり。随分長いお休みだったね」
「どうしたんだ、暗い顔して。病気でもしてたのか」
一時間目が終わって二時間目。第五学年の授業に合流したトーコを見て、自宅通学生のエンケとヴォルフが訊ねた。
「遠出するのにお休みさせてもらってたんだけど、シェール先生とシュミット先生から貰っていた宿題が半分も終わってなくて」
「それで怒られてしょんぼりしてるのか」
「ううん、宿題が終わらなかったこと自体はそこまで怒られなかった。でも怒られるよりあきれられるほうがきつい」
少年たちは顔を見合わせてなんだ、という顔をした。
「怒られなくでよかったじゃん。剣術の先生なんかおっかないんだぞ」
「ヴォルフがいつも勝手なことやるからだよ。僕そんなに怒られたことないよ」
「二人は同じ道場に通ってるの?」
「違うよ。午後の運動の授業」
トーコは目をぱちくりさせた。
「へえ剣術なんかもあるんだ。ん? ヴォルフはボートとか言ってなかったっけ?」
少年たちが呆れた顔をする。
「それは自由選択のだろ。ほんとに何も知らないんだな」
「基本の剣、槍、弓は全員やるんだよ。でないといざってとき困るでしょ」
「いざっていうのは、町に魔物が入って来た時?」
エンケとヴォルフはますますあきれて懇切丁寧に説明してくれた。
一種の軍事訓練であり、ちゃんと授業に出ていれば卒業後、戦時徴兵の際には一兵卒ではなく下士官になれるとのことだった。
戦争という言葉が遠い国で育ったトーコは思わず顔を引きつらせた。彼らが人を殺すなんて想像できない。マスコミ越しのニュースではなく、年端もいかない少年たちが当然のように口にする言葉の端々にそれがいつ起こっても不思議ではないことを感じた。
「俺たちの授業はどうでもいいんだよ。それが、終わってない宿題?」
「うん。このまま出来るところまで、やってくるようにって。今日と明日の午後は時間あるから学校に残ってやるつもり。どこかいい場所ない?」
場所を訊ねたのは教室は各学年ごとではなく、教師ごとに割り振られており、生徒は勝手に入れないからだ。図書室などというのもないので、始業前ならともかく他の時間にいる場所がない。
「だったら、うちの妹についてけば? あいつ、いつも俺たちの運動が終わるまでどこかの教室にいさせてもらってるぜ。大抵はシュミット先生とかだけど」
「う……わたし、なんだか嫌われてるみたいで」
「そんなことないよ。ちょっととっつき悪いとこもあるけど、仲良くしてあげてよ」
と、兄でもないエンケ少年がとりなす。兄のほうはもっと容赦ない。
「十歳児相手になにびくついてるんだよ。お前歳いくつだよ」
「十五です……」
ちょっと情けないかも、と思ったら少年たちがびっくりしたようにトーコを見た。エンケとヴォルフだけでなく、周囲の少年たちもぴたりとおしゃべりを止めてトーコを見ている。
「え、なに?」
「十五!? 卒業年齢じゃん! なんでいるの?」
「それを聞くか~。歳は一番上でも、成績は一番下だからに決まってるじゃない」
それでみんなが納得するのもなんか悲しい。
課業後、大急ぎで第三学年が授業を受けていた教室に行ってみたけれど、ヴォルフの妹ヘレナの姿はなかった。シュミット教師の教室に行くと、果たして彼女ははいた。
「先生はいらっしゃらないわよ。どこかは知らない」
そっけなく言われ、トーコはすごすごと撤退した。もしシュミット教師がいれば、一緒にいさせてもらうようお願いするのだが。仕方ないので、シェール教師を訪ね、その教室の隅っこにいさせてもらうことにした。
「宿題はそんなに慌てなくても逃げていかないよ。それより、時間があるなら、先に作文をやろうか」
「文法もまだなのに!」
「そんなことを言っていたら、いつまでたっても先へ進めない。このノートになんでもいいから一ページ書いてごらん」
「なんでも? なんでもって……?」
「なんでもはなんでもだよ。学校で分からないことでも、日記でも」
トーコは散々頭をひねった挙句、結局最近の学校内での出来事を一時間かけて単語を調べながら簡単に書いた。
「できたら声に出して読んでごらん」
「『わたしは九月から準備学校に通っています。十五歳だけどバルク語の読み書きや基礎的な知識がないので、第三学年と第五学年で授業を受けて、難しい授業の時間はシェール先生のところで見てもらっています。第五学年の自宅通学生のクラスメイトには仲良くしてもらっています。でも、わたしの年齢を知ってクラス中がびっくりしていました。第三学年には、学校で唯一の女子生徒がいます。お友達になりたいけれど、嫌われているみたいで、話しかけるのが難しいです』」
作文を直してもらっていると、廊下が少しにぎやかになった。運動の時間が終わったらしい。寮生はそのまま寮へ帰ってしまうので、戻ってきたのは自宅通学生たちだろう。
「もう帰りなさい。今ならだれか一緒に帰る人がいるだろう」
「帰るのはひとりで大丈夫だから、もうちょっとやってもいい? ……ですか?」
「いいけれど、ヘレナも帰るんじゃないかな」
トーコは飛び上がった。
「シェール先生、ありがとう! 帰ります!」
トーコはシュミット教師の教室へ急いだ。入り口で待っていると、狙い通り、荷物をとってきたエンケたちがヴォルフの妹を迎えに来た。
「わたしも一緒に帰っていい?」
「いいけれど、方角が違うんじゃねえの?」
「途中まででいいから、お願い」
「もちろん、人数多いほうがいいよ。一緒に帰るのって初めてだね」
ヴォルフがシュミット教師の教室の入り口を叩いた。
「失礼します。なんだ、お前だけか。帰るぞ」
教師がいないと分かるなりぞんざいな口調に戻ってヴォルフは廊下を入口に向かって引き返し始めた。ちゃんと帰る支度をして待っていたらしく、妹のヘレナはすぐに出てきた。トーコを見て顔をしかめたのには胸がぐさりと来た。すぐに兄を追いかけて、その後ろにつく。エンケ少年がヘレナを追い抜いてヴォルフに並んだので、トーコは男の子たちのうしろでヘレナに並んだ。
男の子たちが運動の授業でやっているボールゲームの紅白戦の話に熱中してしまったので、トーコはヘレナに話しかけた。
「いつもこの時間までシュミット先生の教室でヴォルフたちを待ってるの?」
「だいたい、そう」
いかにも仕方なく、といったふうに答えるヘレナ。
「待ってる間は何してるの? 宿題? 勉強?」
「そう」
「学校から帰ると友達と遊ぶには遅くなっちゃうよね。大変だね」
「別に」
トーコは笑顔を張り付けたまま固まった。会話が続かない。勇気を振り絞って単刀直入に切り出してみた。
「えっと、お友達になりたいんだけど、仲良くして?」
「わたしは、なりたくない」
ぐさ。
「ヴォルフ、ヴォルフ、妹さんが冷たい」
トーコは前を行くヘレナの兄の上着を引っ張った。ヴォルフはめんどくさそうに振り返った。
「だから、可愛げないって言っただろ。ほっときゃいーじゃんか」
「でもお友達になりたいの」
「なんで? 他に友達いないの?」
「同じ学校に女の子の友達が欲しいの! 移動時間におしゃべりしたりしたいの!」
「えー、別にいいじゃん」
エンケ少年も不思議そうな顔をしている。
「でも、トーコって放課後はお家の手伝いがあるっていつも急いで帰るでしょ? 別に無理に友達作らなくてもいいんじゃない?」
「ヘレナとお友達になりたいの! 一緒に作戦考えてよ~」
「本人のいる前で作戦とか言われても」
エンケ少年は頭をかいてヘレナを振り返った。
「こういうわけだから、仲良くしてあげたら? 学校で友達が出来たっていえばおばさんとおじさんも安心するんじゃない」
おお、ナイス後押し。トーコはエンケに拍手を送った。
「嫌。頭が悪いくせに宿題もまともにやってこない人なんかと友達になりたくない」
ぐさ、ぐさ!
なんか、って言われた。トーコが悪いと言えば悪いのだけど。
「今日もあんな簡単な問題ができなくて。わたしだったら、恥ずかしくて学校に顔出せない」
ぐさ、ぐさ、ぐさ!
撃沈したトーコを少年たちが憐れむように見ていた。
お友達大作戦が失敗したトーコはヴォルフたちと通りで別れ、クレムへ転移した。亡くなった兵士の遺体を時間凍結魔法で保護しているのだが、このままだと遺体は保存できても血まみれの服を着替えさせることもできないので、解除予定時刻を相談するのだ。ゲルニーク塩沼で別れた時にはそこまで決められなかったので、彼らが塩沼から帰還する夕方にかけ直すことになっている。
クレムの護衛用宿舎の上に転移したトーコは、降りようとしてざわついているのに気が付いた。何かあったのだろうか。不吉な予感は的中し、降り立つと同時に国境警備隊の兵士が駆け寄ってきた。誰かが来たぞ、と叫んでいる。
「来てくれ、怪我人だ」
トーコは兵士に腕を引っ張られながら探査魔法を起動した。宿舎一階の食堂の一部に人が寝かされている。四人。うち、ふたりはすでに亡くなっている。残るふたりもまずい状態だ。鉱夫は左足の太ももの肉を割かれる大怪我。兵士は腕と肩の負傷。
「どいてくれ! 治癒魔法使いだ!」
「何にやられたの!?」
「鳥だ。かぎづめに腿をやられた鉱夫は出血が酷い。兵士は嘴から喉は守ったが腕と肩の骨が折れている」
冷静な声で説明してくれたのは塩沼で一緒だった国境警備隊の将校だ。今回襲われたのは彼の部隊ではなく、今朝トーコたちと入れ違いに入った隊で、入って半分もいかずに襲われたと言う。攫われた人は諦め、重傷者を避難所へ残して先へ進み、すれ違い地点で帰還部隊に回収を依頼したそうだ。
「襲われたのは今日の午前中? 医者には診せた?」
「そうだ。医者は呼んだ。足は傷を洗って薬を塗って包帯で圧迫して止血している。兵士の腕も同様にして添え木で固定している。肩のほうは骨が砕けているそうだ」
「どんな薬を使ったか教えて。できればその医師を呼んで」
トーコは付き添っていた仲間に医者の処方を訊くと、治癒魔法で兵士の治療をしつつ、竜の血を鉱夫の口に押し込んだ。大量の出血をして、息が苦しそうだ。ある程度治癒がすすんだ段階で鎮痛魔法をかけると息が少し和らいだ。
「誰かお椀と水差しを借りてきて。あとボウルも」
トーコは熱湯の塊を作ってベアに教えてもらった通りに薬草をちぎり入れた。障壁魔法で覆って蒸らす。出来上がったものを網状に変形させた障壁魔法で濾して受け取った大きなお椀に移す。医者がどんな処方をしたのか分からない状況で飲ませるのは怖いので、時間凍結魔法をかけて保存する。トーコには薬剤の知識などないのだ。
医者を呼んでもらっている間に、骨折を治した兵士のための追加処置をする。解熱効果のあるお茶を淹れながら、ポーチから麻布をひと巻取り出して鋏と一緒に手近の人に押し付ける。
「これ切って、氷を包んで怪我にあてて」
言いながら粒状の氷をボウルに盛る。そして、腫れ上がった患部から内出血で溜まった血を抜き、オオグルミの殻に捨てる。骨折から来る発熱でひどく汗をかいている。服と体を乾かし、解熱の魔法をかける。骨折が治りきったのを確認して鎮痛魔法も追加でかける。
「亡くなったのは国境警備隊の人?」
「ここにいるのはそうだ。鉱夫もひとり死んだが、そちらは家族に引き渡した。攫われた鉱夫ふたりは望み薄だ。遺体を保存できるか」
「うん。取り敢えず、今朝入ったひとたちが戻ってくる日の翌日までもつようにした。他に怪我したひとがいたら呼んで。小さいのでもいいから」
「助かる」
鳥の一羽を射落としたが、暴れて大勢が怪我をしたという。軽傷者はそのまま塩沼に向かったが、足の骨折など、行軍が辛い怪我人は重傷者の世話係兼務で戻ってきている。彼らを治すうちに医者が到着した。彼の処方とトーコの手持ちの薬草を見てもらい、互いに阻害しない組み合わせでいくつか選んでもらう。
どちらも意識はあるので、薬湯を飲ませてもらうようにお願いする。トーコが助けられなかった兵士ほどは血を失っていないようで、このぶんなら無事に回復しそうだ。彼らの世話をするために一緒に戻ってきたという仲間に当分の間必要な薬草を渡して使い方を覚えてもらう。
「医師、ありがとう。おかげで助かった~」
「治癒魔法のおかげだろう」
医者はそっけなく言った。彼はもともと治癒魔法使いにいい感情をもっていないし、今回も夕方治癒魔法使いが来るまでのつなぎ扱いされて不愉快だった。
「治癒魔法が使えるのと治療できるのは別だもん。複雑なことはわたしの知識じゃ無理」
「薬草も随分持っていたもんだね」
トーコは笑った。
「そりゃ、<深い森>で薬草をとるのが本業だもの。でもわたしは詳しくないし、薬に加工したりできるわけじゃないから、お茶程度でしか使ったことないの。医師が使い方を知っててくれてほんとに助かった!」
医師も笑って機嫌を直し、お礼に貰った薬草を抱えて帰っていった。
犠牲者を二階に運び上げ、それからやっと一緒に塩沼で護衛した国境警備隊の怪我人が収容されている宿屋へ行く。新たな怪我人もそこで受け入れてもらえるというので、トーコが運んだ。
「うちの奴は明日一緒にクレムを発つ」
「あまり無理に移動させたくないんだけどなあ」
トーコは渋い顔をしたが、あとから病み上がりひとりで戻るより周囲に世話をしてくれる仲間がいたほうが安全だからと言われては仕方がない。
「最近は街道にまで魔物が出るからな」
「人の領域に入り込んでいるの?」
「やっかいなのがフタワグマでな。春先に村がいくつも襲われて、今も人や家畜を襲うことを覚えたクマがうろうろしているんだ。人間なんか魔物に比べれば簡単な獲物だからすっかり味をしめている」
「ユナグールでも大型の肉食の魔物が人の領域に入り込んで大変だったよ。でも最近はあまり聞かないから、もう魔の領域に戻ったんだと思ってた。バッタが入り込んだり、魔の領域で特定の虫が大繁殖したりはしてるけれど」
「今年はどこも大変だな。いったい魔物たちはどうしてしまったんだろうな」
トーコも全く同感だった。
「遅い!」
ヘーゲル家に戻るとハルトマンが待っていた。
「いったいどうしたの? 今日はうちに帰ってくるんだと思っていたのに、遅いから心配したわよ。ご飯食べるでしょ」
バベッテが心配そうに言った。
「お腹ぺこぺこ! 学校が終わった後にクレムに寄ったら、また怪我人が出ていて遅くなっちゃった」
「怪我ってまたどこかに魔物が出たの?」
「魔の領域で魔物に襲われたってだけ。人の領域じゃないから安心して」
危ないことしないのよ、と言い置いてバベッテは台所へ姿を消した。他の皆はとっくに夕食を終えて、食後のお茶とお酒をのんびり楽しんでいるところだったのだ。
「クレムってのは学校帰りに寄るところなのか」
ハルトマンがあきれたようにいい、トーコは事情を説明した。聞くうちに、ヘーゲル医師と夫人、ハルトマンの表情が険しくなる。
「飛竜に、大魔法を使うトカゲ。魔鳥の群だけでもこれだけの被害が出ているのにとんでもないな。採塩を続けるなら去年の角ウサギ掃討作戦なみの対応が必要になるぞ」
「ベアさんがハルトマンさんの真似して塩商人さんたちに圧力かけてた。こんなに毎回死者が出るなんてもう無理だと思うけど、色々難しいみたい。ハルトマンさんにもベアさんにも言われて塩はたくさん確保したから採塩依頼さえあればいつでも出せるんだけど」
「難しいだろうな」
「なんで?」
「政治上の問題さ。どこの地域も塩の割り当てを巡って貢献度を競っているからな、ユナグールにばかりいい顔されちゃたまらんだろう。採塩を少数精鋭に頼るとしても、おそらく各国境警備隊、ギルドから人員を出した合同チームでというあたりが落としどころか」
そういえばそんな話を去年ハルトマンがしていた。途中で寝て怒られたっけ。
「なんでもいいから早く中止にしてくれないかな。怪我は治せるけど、亡くなった人は帰ってこないこないんだよ。今朝入ったひとたちがちゃんと塩沼にたどり着けたかも心配だし。怪我に塩があたるとすごく痛いらしいし」
「トーコおまえ、ゲルニーク塩沼まで出張治療に行くつもりか?」
「行ってあげたいけど、ひとりじゃ入れないし、ベアさんはいい顔しないと思う。それに私程度の治癒魔法じゃ応急処置しかできないし」
やめとけ、とヘーゲル医師も言う。
「期間中ずっとできるならともかく、中途半端に手を出すのはかえって迷惑になる。お前が皆を助けたい気持ちは分かるが、それでかえって中止の決断が遅くなることもある」
「まあ、トーコがいなけりゃ今頃は飛竜に襲われてそもそも人が採塩場に近寄れない状況になって問答無用で中止になったかもな。道中もさっさと一隊全滅したら、さすがにそこで採塩も途切れるし」
「酷い! 冗談でもやめてよ」
「だが、そのくらいでなきゃ、採塩は中止にならないと思うぞ。ユナグールのギルドの隊が全滅を免れたおかげで、後続のどこかが壊滅的被害にあうまで続くだろ」
トーコは息を呑んだ。
「そんな顔するこたない。お前は自分の役目を果たしただけだ」
ヘーゲル医師がとりなしてくれたが、せっかくのバベッテの料理が味気なくなってしまった。
「トーコ、明日は学校に行く前にギルドの競売へ魔鳥を持ち込むぞ。寝坊するなよ」
言いながら、酒盃を干してハルトマンは立ち上がった。
「あれ、ハルトマンさん、もう帰るの?」
「なんだ、ゆっくりしていけばいいのに」
せっかくの酒の相手がいなくなってヘーゲル医師も残念そうだ。
「そのつもりだったんですが、今の話を報告しないといけないので。うちからの護衛の二隊目が明後日には出るんです。ヘーゲル医師、またの機会に」
ハルトマンはあわただしく帰っていき、翌朝約束の時間より早くトーコを叩き起こしにきた。どうせトーコは寝坊するだろうと見越しての事だったが、頭から水をぶっかけられたトーコはたまったものではない。
「酷いよ! 寒いよ! あんまりだ!」
「起きないお前が悪い」
「その前に声をかけるくらいしたっていいじゃない!」
「それで起きないのは過去に実証済みなのに、なんで無駄な手順を踏む必要がある」
濡れた寝具と部屋を乾かして居間に降りて来たトーコは、ちゃっかり朝食を馳走になっているハルトマンに猛抗議したが、もちろん相手は痛痒を感じない。お茶のお代りまでしている。
「いいからトーコも早く食べちゃいなさい」
ハルトマンとトーコのやり取りには慣れっこのバベッテが割って入り、トーコはバベッテの手にある卵に気をとられた。
「何作るの?」
「今日はキノコオムレツ。作ってる間にスープを自分でよそって」
「わーい!」
ハルトマンから受けた仕打ちのことなど忘れてオムレツを堪能していると、早くしろとせかされる。
ギルドの朝は早い。陽が昇ると同時に魔の領域に入る日帰りのひとたちが入域申請を出すのに対応するためだが、今回は話を通してあったらしく、すぐに競売場のカギを開けてもらえた。
ギルドを訪問したのはハルトマンとトーコの他に、国境警備隊の将校がふたり。ゲルニーク塩沼の護衛隊の第二陣、第三陣を率いるそうで、トーコが空間拡張を施した競売場に横たわる二頭の巨大な魔物に険しい顔をした。
今日は競売がある日なので、トーコはそれらの魔物をポーチに回収し、ハルトマンたちが出品する鳥を出す。
「何羽出すの?」
「全部だ」
「あれ、分けなくていいの?」
「今年は巨鳥の持ち込みが多そうだ。値下がりする前に処分する」
というわけで、トーコは巨鳥を山盛りにした。事前に空間拡張していなければ、ギルドの競売場がいっぱいになってしまう数だ。ギルド職員も感嘆の息を漏らした。
「数は聞いていたけれど、実際に見ると圧巻だね。積み上げないで、横に並べて」
そこまでやったらトーコはお役御免だ。ハルトマンに追い払われるまでもなく、急いで学校に行く。最初の授業の教室に寮生と一緒に入っていくと、エンケが手を振った。
「どうしたの? 今日は珍しくぎりぎりだね」
「朝、他で用事を済ませてからきたの。途中走ったら喉乾いた」
腰にぶら下げたままのベルトポーチからお茶を取り出してトーコは一息つこうとした。
「それ、何?」
ヴォルフがベルトポーチに目を止めて訊ねた。
「ベルトポーチ。っと学校では使用禁止だった」
トーコはベルトポーチを外してポケットに突っ込んだ。
「こんな朝早くに寄るってことは市場?」
「ううん。ギルド」
「ギルド? ギルドってあのギルドじゃないよね?」
「魔の領域への入域管理ギルドだよ」
「あんなところに何の用?」
ヴォルフが怪訝そうな顔をする。あんなところ、とトーコはちょっとびっくりした。
「だってあまりいい雰囲気の人が出入りしていないし、トーコも近寄らないほうがいいよ」
エンケ少年にまで忠告されてトーコは困ってしまった。
「えっと、ふたりにとってギルドってどんなイメージなの?」
「言葉は悪いけれど、ゴロツキとか、故郷で食い詰めたようなのが一攫千金狙いでユナグールに来るんだよ。もともとこの町の人間じゃないからよく揉め事を起こすし、トーコも絡まれたりしないように気をつけろよ」
「そんなイメージなの!?」
「昼間から酒場で酒を過ごしたり、あまり関わらないほうがいいよ」
トーコは慌てた。そんな風に見られるとは心外だ。
「町の人たちの依頼を請けて、町の役に立ってるでしょ? 去年の秋にも町を角ウサギから護ったし」
「でも依頼でトラブルになったりもするって聞くよ。依頼に出した以外の金を要求されたり、商隊の護衛についていたのに、賊が出たら雇い主を置いて逃げたって話も」
「そ、そんな! ほとんどの人は危険な魔の領域でまじめに活動しているよ!」
「やけにかばうね。誰かギルドに知り合いでもいるの?」
「だってわたしもギルドの一員だよ!」
ふたりの少年は目をぱちくりさせた。
「トーコがギルドの人間!? うっそだあ!」
ヴォルフ少年がでかい声でいい、遠慮なく笑う。
「事務の手伝い、とか?」
心優しいエンケ少年にしても信じられなそうだ。
「違うよ。ちゃんと構成員として登録してるよ」
「だって、昨日階段でこけたの見たぞ。どう見たってとろいトーコが? だったら俺でもなれるぜ」
「僕もトーコは荒事に向いてないと思う」
トーコはがっくりと肩を落とした。散々な評価である。そこで教師が来たので話は切り上げになったが、次の教室へ移動する途中で、級長に声をかけられた。
「剣か槍か弓は得意?」
「えっ、触ったこともないよ」
「そうか、残念」
さして残念でもなさそうに彼は言った。
「どうしたの突然」
「いや、本当にギルド構成員なら、実戦経験があるのかと思って。そうなら教えてもらおうと」
「ごめんね。薬草を摘んだり、木の実を拾ったりする採集専門で、狩人の人たちみたいに魔物を探して狩ったりしないの」
「でも魔の領域に入れば魔物に襲われるでしょ」
「なるべく魔物に見つからないようにして、やり過ごすから。いつも連れて行ってもらってる人がベテランなの」
「長く休んでいたのは、もしかして魔の領域で怪我でもした?」
「わたしは大丈夫だった。でも亡くなった人も大怪我したひともいる」
「あ、ほんとに魔の領域に入っているんだ」
級長がびっくりする。意味が分からず見返すと肩を竦めた。
「いや、本当にギルドに登録しているとは思わなかった。ギルド構成員のイメージじゃないというか」
トーコは半眼になった。
「とろそう、って言いたいのね?」
「ありていに言えば、そう」
悪びれるでもなく肯定され、トーコはがっくりした。
「でも、どうしてわざわざ危険な魔の領域に行くの? 人が死ぬのに」
「他にわたしにできる仕事がなさそうだったんだもの」
「お金のため?」
「うん。おかげでこうして学校に通えるし、助かった」
「もしかして学費を自分で払ってる?」
「うん」
「だからシェール先生が親切なんだね」
カレルが納得した顔をする。
「ギルドって本当に儲かるんだ?」
近くにいた別の少年が興味を示したように口を挟んだ。
「人それぞれかな。私の場合はベアさん、えーと、いつも連れて行ってくれる師匠が薬草採りの名人で、その恩恵にあずかってるだけ。危ないところにも行かないし」
「それでも人が死ぬんだろ。充分危険だと思うけれど」
「去年も同じところに行ったんだけど、その時は頭数がいればいいだけの比較的安全な依頼だったの。でも今年は魔物が凄く多くて」
「最近、そういうのよく聞くね。鐘もよく鳴ってるし」
鐘、というのは町のあちこちに設けられた鐘楼のことだ。頑丈な壁に守られたユナグールだが、空からの襲来は防げない。魔物が町に侵入すればこの鐘が鳴らされ、人々は建物の陰に入るのだ。よほどの大通りや広場にぽつんとのこっていない限り、大きな魔鳥が狩りをできるスペース自体あまりないので、町のひとはさほど脅威に感じていない。
「他の人の話じゃ確かに魔物は増えてるみたい。それに、人の領域への侵入も増えてるって。駆除するギルドと国境警備隊も大変だよ。ユナグールだけじゃなくて、南の魔の領域からは渡り鳥が北の魔の領域まで人の領域を横断して大騒ぎだったし、北の魔の領域でも、クマの魔物が村を襲ってるって」
「その鳥の話知ってる。俺のいとこの町が襲われたんだ。空も町も魔物で埋め尽くされて、家の中までめちゃくちゃだったって。地下室に逃げて命は助かったけれど、逃げ遅れて死んだ人がたくさんいるって。人より酷いのが馬で、体中穴だらけであちこちで死んでいたってさ」
魔の領域に接するユナグールは大丈夫なのか、慌てた両親から手紙が来たそうだ。
「おふくろは今すぐ家に帰ってこいって言っているみたいだけど、さすがに親父がとめたみたい。ユナグールは大丈夫だって書いてやったけど」
少年はうっとおしそうだ。
「ユナグールは魔物への備えが厚いから。魔物に慣れているギルドも国境警備隊もいるし、壁の外には民家はないし、鐘楼もあるし。去年の火竜騒動の時だって、ちゃんと町議会と国境警備隊とギルドで合同対策本部をたててるし」
「場慣れはするよな。火竜の時はちょっと楽しかった」
「えっ、楽しかった!?」
思い返してもそんな感想は欠片もない。少年たちは頷きあっている。
「西区のよその学校の教室で服着たまま寝たもんな」
「そうそ、靴をすぐ下に置いてね」
「って、お前ら全然布団になんか入ってないくせに」
「三階の窓からだったらもっとよく見えたのになあ」
ちょっとした非日常だった模様だ。
「火竜がよく見えるほど近づいたら危ないってば」
トーコはあきれた。
「だけど見てみたいじゃないか。家より大きいってホントかな」
「普通の家よりは大きいよ」
「見たの!?」
男の子たちが一斉に身を乗り出した。
「うん。正確な大きさが知りたいならユナグール大学のパウア先生が計測していたから聞いてみたら?」
竜が見たい、なんてやっぱり男の子だなあ。そんなことを思っていると、誰かがどん、とすれ違いざまぶつかった。トーコの障壁が自動的に展開され、相手は尻餅をついてひっくり返った。小さな悲鳴があがり、教科書やノートが散らばる。
「あ、ごめん。大丈夫?」
散らばったノートを拾おうと屈んだトーコはぎょっとした。尻餅をついていたのはヴォルフの妹で、トーコとおなじ自宅通学生のヘレナだった。それはいいのだが、両目を真赤にして泣いている。
「どうしたの?」
トーコはびっくりして訊ねたが、奪い取るようにしてノートをひったっくって走り去ってしまう。後にはぽかんとしたトーコが取り残された。




