第31話 ゲルニーク塩沼三度
翌朝、下宿先の靴屋に迎えに行くと、無精ひげの浮いた寝不足の顔でベアが出てきた。
「トカゲはユナグール大学の研究員たちを招聘してギルドで調べることになった。飛竜の一種だろうということだが、数十年前の飛竜がどんな生き物だったか確認するところからだから時間がかかる。誰もが、去年の飛ぶトカゲが飛竜だと思い込んでいたからな」
「飛竜にいろんな種類がいるだけかもしれないしね」
「向うは問題なかったか」
「うん。夜は静かだったよ。でも、今日帰るひとたちが心配」
「そこまで面倒みきれん」
ベアは顔をしかめた。ギルドからは残る二隊にもトーコを連れて参加できないか打診されたがさすがに断った。一回八日。三回もつきあったらほぼ一か月だ。さすがに勘弁してほしい。
「トーコ、塩はどのくらい採った」
「十メートルサイズの立方体容器に十個ぶん。もっといる?」
「重量で言うと……」
「千二百トンが十個で一万二千トン。トロッコで一隊が持って帰る量ってどのくらいだろう?」
そんなのを訊かれてもベアも答えられない。
「今年の塩の採掘は中止になると思う?」
「よほどの犠牲が出ればともかく、簡単には中止にはならんだろう」
トーコは嫌な顔をした。
「犠牲が出てからじゃ遅いじゃない。鳥くらいならいいけれど、あのトカゲが二匹も三匹も出たら、ちょっと辛いよ」
そうはいってもベアの報告を受けてギルドが護衛を辞退したり、塩の採掘の中止を申し入れる可能性は低い。利権がからんでいるし、重大な被害が出ているならともかく、やっかいなのはすべてトーコが排除してしまっている。魔法使いひとりで対応できるなら問題ないと思われるのは当然だ。各護衛隊に魔法使いを増員するのが関の山か。
ベアは顎を撫でながら考えこんだ。
「トーコ、護衛しながら塩を採取できるか。出来る限り大量にだ」
「今よりもっと? どのくらい?」
「出来る限りだ」
「だったら、塩の粒をかき集めて乾かすのじゃなくて、もっと大雑把に大きなブロックで切り出しちゃう? 去年そんな話を聞いたの。それなら、転移魔法で一気に大量にできるよ」
「沼底はどこまで塩なんだ?」
「前に探査魔法で見てみたけど、ずーっとだったよ。十メートル二十メートルくらいは余裕」
ゲルニーク塩沼に戻ったベアは、トーコを連れて採掘場から離れた。ボードを飛ばすこと三十分。昼の休憩時間に入り、鉱夫が塩沼から引き揚げた時刻を見計らう。
「いいだろう。やれ」
「よいしょっとー」
トーコの間抜けな掛け声とともに、眼下の塩沼が深くえぐれた。陥没した空間に塩水が一気に流れ込み、盛大なしぶきをあげた。
「これだけあると、さすがに重いなあ」
トーコは総重量数十万トンの塩ブロックを素早く封筒に収めた。いざという時に他の魔法使いでも取り出せるよう、一辺一メートルの小さなブロックに割ってある。それでも結構重いはずだ。トーコは腕まくりをした。
「よーし、もいっちょ」
予想よりもトーコの移動魔法で支えられる重量があったので、ベアは五回目で終了を告げた。トーコは物足りなそうな顔をしたが、採掘場のほうが心配だ。転移魔法でさっさと戻り、何事もなかったことを確認する。設置していた障壁魔法はしばらくこのままにすることにした。
砂漠側にも警戒が必要になったので、トーコの配置は沼上ではなく、積み込み場との中間地点にある司令部になった。ちっとも進まない宿題を抱えてうんうん唸っているトーコを脇に、護衛と鉱夫の取りまとめ役たちは今後の方針を話し合った。
「ギルドに依頼を出してもらえれば塩の採掘は魔法でもやれる。充分な戦力を整えて、短期で採掘を切り上げることを提案できないか」
「採掘から完全に撤退されるのは困る」
主張したのは鉱夫たちだ。彼らにとっては飯の種だ。ここで塩を採り、持ち帰ったものを売り物になるように加工するのが仕事だ。塩の町クレムでは、ゲルニーク塩沼の他に人の領域の塩鉱からも採掘しているが、精製の手間が圧倒的に違う。出来上がった塩の量は塩鉱産と塩沼産が半々だが、塩沼からの採掘はたった一か月ということからもその効率の高さが知れる。
「言いたくはないが、このままだと人死にがでるぞ」
「もとより承知で皆来ている。ひとりの死人も出ない年なんてないんだ。魔物が増えたとしても、今年は通路があるだけましだ」
「通路だけでは万全じゃない。上からかっさらわれることはないだろうが、大群にたかられたら危険なことにかわりはない。今年はすでに十八羽の群が現れている」
「その程度で塩商人の御大たちが手を引くとは思わんね。ギルドに依頼をかける金より、俺たちの命のほうが軽い。そして俺たちの後釜を狙ってる食うや食わずの連中なんざ、いくらでもいるんだ」
そこまで言われてベアも沈黙した。鉱夫たちからの塩商人への進言は望めそうになかった。
「ベアさん、沼側から鳥が三羽来る。ダイコクチョウだと思う」
トーコがペンを置いて立ち上がった。
「行ってくるね」
ベアは気をつけろ、とだけ言った。ダイコクチョウなら<深い森>で馴染みの巨鳥だ。普段、群れたりしないがトーコなら大丈夫だろう。
ところが、三十分以上たっても、トーコが戻らない。
「遅いな……」
「気になるなら見てきたらどうだ。あんた、それ言うのさっきから三回目だぜ。丁度いいからこっちも休憩にしよう」
「悪いな」
トーコならば、ダイコクチョウごときに遅れはとるまいと思いつつ、未熟なので何かあったのではと心配になる。仲間の気遣いを受け入れてベアは沼地へ向かった。途中すれ違う護衛係に聞いても、飛んでいくのは見たが戻ってきていないという返事ばかりだった。とうとう塩を掻きあげている塩沼まで来てしまった。
「うちの魔法使いが沼のほうへ行かなかったか?」
「通ったけど、だいぶ前じゃないか?」
「まだ戻らないんでな」
「今、戻ったみたいだぞ」
鉱夫のひとりが東の空を指した。目を凝らすと、小さな点のような影がぽっちりと浮かんでいる。みるみる近づいてきた影はベアのところへ一直線に向かってきた。
「ただいま、ベアさん。あー、まいった!」
「どうした。何があった」
首を振っているトーコにベアは問いかけた。
「怪我はないな」
「怪我はしなかったけど、えらい目にあった。ベアさん、見てこれ」
トーコはポーチから狩ったばかりの魔物を取り出した。
「なんだこれは」
ベアも周囲の人々も空に浮かんだ巨大な魔物に目を見張った。ダイコクチョウではない。そもそも鳥ですらない。
「去年出た飛ぶトカゲ。わたしたちがてっきり飛竜だと思ったやつ。ダイコクチョウを捕まえに行ったら、ダイコクチョウはこれに追いかけられて逃げて来たところだったみたい。あ、ダイコクチョウはダイコクチョウでちゃんと捕まえたよ」
対処方法は分かっているので、去年と同じく鬼ごっこしてもよかったのだが、せっかくなので昨日思いついた方法を試すことにした。つまり、二重障壁を纏ってわざと魔物の口の中に飛び込んでみたのだ。
目の前の獲物を横取りされた飛竜は狙い通り障壁魔法にかぶりつき、そして予想外の事が起こった。魔物の牙が障壁を滑ったのだ。トーコは障壁ごと勢いよくはじきだされて崖に衝突した。外側の障壁魔法がどんなに回転しても内側の障壁魔法に直接の影響はないものの、一瞬何がおこったのか分からず、びっくりしている間に飛竜が二度三度と飛びかかってくる。そしてそのたびにトーコは飛竜の口からはじきだされる。
彼女が目をシロクロさせているようすが目に浮かぶようだ。
「とりあえずいったん離れてもらおうと思って、嫌がらせに魔力を送り込んだら、これがはじかれなかったの。で、レンチンの魔法で終わった。去年のあの苦労はなんだったんだろー」
トーコは遠い目をした。
「魔法が普通に通じたから、これやっぱり竜じゃないかもね」
そうか、としかベアには言いようがない。トーコなりに危険を冒し、頑張ったはずなのに、何故こうも間抜けに感じるのだろう。そう思ったのはベアだけでないらしく、話を聞いていた護衛仲間の一人が噴き出すとあとは連鎖反応で爆笑の嵐だった。
しかし笑っていられたのも長い間ではなかった。トーコにとっては簡単な相手でも、質量だけでもやっかいな相手だ。そして硬い鱗と硬い皮膚。試しに時間凍結魔法を解除して槍でついてみたが、鱗の下に穂先を滑り込ませでもしないと簡単に傷つきそうになかった。
ベアはトーコを連れて再度ユナグールのギルドへ行き、昨年と同種のトカゲも前日のトカゲと合わせて検証してもらうことにした。ユナグール大学のパウア研究員は欣喜雀躍していたが、ギルドの職員は頭を抱えてしまった。こんなものが連日出るとあっては、ギルド構成員たちが護衛依頼を拒否しかねない。身の丈にあわない依頼を請けるギルド構成員などいない。死んだらそれまでで、だれも補償などしてくれないのだ。
国境警備隊の隊長も苦い顔だった。彼らはギルド構成員と違って任務とあらば拒絶することなど考えられないが、装備や設備の面で厳しいのは事実だ。
ギルド職員に話すだけ話して、ベアはトーコを連れてゲルニーク塩沼へもどった。
「おつかいご苦労さん」
「まったくだ、一日に二回も往復する羽目になるとは思わなかった。その様子だとこちらは魔物は出なかったようだな」
「そう立て続けに来られちゃ困る。今、鉱夫が引き上げにはいったところだ。野営地なら頭の上に屋根があるからな、気分だけでもだいぶ違う」
「根本的な解決にはならんが、こうなったらあの障壁は置いていくか……」
「そうしてくれれば恩に着る」
鉱夫にも頭を下げられ、ベアはやむなく承諾した。気が進まないが、見捨てるのも気分が悪い。
「これ以上の魔物は勘弁してもらいたいな。もう腹いっぱいだ」
「採掘期間はまだ始まったばかりだ」
「俺たちが護衛についている間だけでいい」
しかし虫のよいギルド構成員の願いは届かなかった。夕食を終え、日が暮れても交代の組が到着しない。
「伝令も来ないというのは異常だ」
「まさか全滅なんてことには」
「昨日の道中であった魔物なら、簡単に全滅させられる。それより、撤退になった可能性は?」
「それならありがたいが……。入り口付近で襲われて壊滅なら、ここまで伝令が来ないのも分かるが」
「朝になっても連絡がないようなら、人をやるか?」
「今から俺が見てくる。魔鳥の来ない夜のうちなら、護衛を離れても大丈夫だな」
「嬢ちゃんを連れていくのか」
「ああ。治癒魔法が使える」
「正直、彼女に持ち場を離れてほしくないが、そうも言ってられんか。わかった、こちらは引き受ける」
取り纏め役たちは素早く決断し、トーコは寝入りばなを起こされることになった。話を聞いて、さすがに眠気も醒めたトーコはレールに沿って二人乗りの障壁魔法を飛ばした。仄かな星明かりしかなく、どの程度の速度なのか不明だが、近くの景色があっという間に後方に飛び去ってゆく。
「ベアさん、人がふたり走ってくる」
数分後、トーコが言った。
「伝令だろう」
ベアはトーコに指示して少し手前に着地させた。明りの魔法を足元に浮かべてトーコは人影に駆け寄った。
「こんばんは! 遅いから見に来たんだよ。何かあったの?」
「魔鳥に襲われた」
ふたり組は兵士だった。トーコは彼らにお茶を淹れ、ベアが話を聞きだした。休憩所を出て間もなく、魔鳥の群に襲われ、二羽は仕留めたものの、数人が攫われた。追いかけるすべなどないので、攫われた人間のことは諦めて倒れたトロッコをレールに戻し、怪我人の手当てして再出発した。ところが、再びの襲撃を受けたという。そのうち、透明なトンネルに行き当り、そのまま安全圏を進んできたが、魔鳥がまとわりつき、トンネルも途切れたたため、やむなくそこで魔鳥が去るのを待ったという。
「一羽入り込んできたのを倒せたので、それに邪魔されて他の鳥は入ってこれない状況だ」
夜になり、魔鳥の動きが鈍ったので、彼らは魔鳥の死骸を乗り越えて、伝令に出たということだった。今頃は警備隊が反撃に出ているはずだと言う。
「状況はわかった。このまま伝令に行ってくれ。俺たちは掩護に行く。トーコ」
「うん。まだ十キロ以上あるから、お兄さんたち、これに乗って」
トーコは即席で座席付トロッコもどきを作ってレールに乗せた。
「魔法で押すね。途中で勢いがなくなると思うから、悪いけれど、そこから先は歩いて」
伝令兵たちを見送り、トーコは自分たちのボードも飛ばした。兵士たちの顔がこわばっていたのはきっと気のせいだ。
「いた」
先に捉えたのは魔物の魔力。呟くのと同時に減速する。人と争っているのを確認して、レンチン魔法を発動させる。二羽の魔鳥がばったりと倒れる。
停まりきらない障壁魔法から飛び降り、トーコは怪我人の元に駆け寄った。探査魔法で確認できた重傷者は八名、そのうち二名は障壁の中で横たわっている。外の六名の怪我はまだ新しい。探査魔法に引っかかった重傷者全員、問答無用で止血と消毒にかかる。砂漠なので傷口に砂が入り込んでいる人が多く、これは洗い流してから出ないと治療できない。
トーコは魔法の明りを打ち上げた。
「怪我してる人はこっちに来て! 重傷者は動かさないでそのままで!」
「倒れた鳥の下敷きになった奴がいるぞ! 手伝え!」
トーコは封筒を出して、死んだ魔鳥を収めた。ベアが声をはりあげた。
「伝令を受けて掩護に来た。魔物は全部倒したようだな。掩護は遅れたが、治癒ができる。この隊の責任者は?」
「わたしだ。治癒魔法は助かる」
「魔鳥にまとわりつかれたとか」
「その通りだ。兵士がふたり、鉱夫が五人犠牲になった。他に嘴で腹をえぐられた兵士が二名」
険しい表情で言った将校がふと自分の腕を見下ろした。血で茶色くなった止血帯がまかれていた。それを撫で、驚いた顔をする。
「痛みが消えた。まさか傷も見ないで治癒したのか」
「彼女の特技だと思ってくれればいい。治療を終えたら出発できそうか? 重傷者はこちらで運ぼう」
「大丈夫だ。こちらも早く毛布と天幕が欲しいところだ」
そこへトーコが駆けて来た。
「ベアさん、重傷の人たちの治療終わった。さっき怪我したばかりの人のうち、四人は大丈夫だと思う。でも、残るふたりと昼のうちにやられた人ふたりが危険な状態。竜の血を使っていい?」
竜の血、の部分はこっそりとベアの耳に告げる。
「ああ。増血の薬湯を作ろう。火だけ置いて行ってくれ」
トーコが薪に火をつけて地面に転がしたので、ベアは竈と鍋を出し、薬湯を作り始めた。過去の経験から、竜の血を使う時には必要になるのがわかっている。
怪我人と疲れ果てた人々を守りながらゲルニーク塩沼に着いた時にはとっくに日付が変わっていた。
結局、砂漠に出たのは十羽のダイコクチョウの群だった。炊き出しに、重傷者の世話にと駆けずり回ったトーコは明け方近くになってようやく毛布にくるまることができた。そして、二時間で起こされる。起こしてくれと言ったのはトーコ自身なので、あくびを連発しながら恋しい毛布に別れを告げる。
「魔物来た?」
「今のところ大丈夫みたいだ。なんかあったら起こしてやるから心配すんな」
トーコを起こしてくれたギルド構成員に訊くと、肩を叩かれる。重傷者の体温維持用湯たんぽのお湯を取り換える。湯たんぽにする革の水袋はギルド構成員たちの私物をかき集めた。今度大きな革の袋をどこかで手に入れたい。薬湯をそれぞれの胃に送り込んだらもう一度寝る。そして起きたら昼だった。イマイチ寝足りない気分で司令部に行くと、ベアや他の取りまとめ役が難しい顔で机を囲んでいた。
「どうしたの?」
「昨日の魔鳥の群、その前のトカゲ、それからハルトマンが復路で遭遇した魔鳥。全部すれ違い地点のやや沼側に集中している」
「言われてみればそうだね。気流の関係?」
「理由は分からんが、今年の難所だ。怪我人はどうだ」
「例の薬で三人はもちなおしたけれど、ひとりがまだ危険な状態なの。この人だけ湯たんぽじゃなくて、魔法で体温を維持しているんだけど、どうしても血が足りない。増血の魔法の効果はでてきているんだけど、追いつかないの。脱水症状を起こしかけていたから水分を補給したけど、これ以上血を薄めたらまずいと思うの。せめて意識が戻ってくれたらいいんだけど」
「衛生兵はなんて言ってる」
トーコはベアと、それからトーコの言葉を待っている昨夜到着した護衛隊の将校の顔を見た。今死地をさまよっているのは彼の部下だ。トーコは視線を地面に落とした。
「……これ以上できることはないって」
「俺もそう思う。トーコは最善を尽くした。このうえは神様の領域だ」
「ひとつ、いいか」
将校が口を開いた。
「昨日、一昨日と君たちは飛竜を狩ったと聞いた。横紙破りなのは承知の上の頼みだ。その血を分けてもらえないだろうか。強い魔物の血は薬になると聞いている」
トーコは困ってベアを見上げた。ベアは頷き、将校に向き直った。
「昨夜の怪我人のうちの二名、それから彼を含む昼の重傷者二名には既に竜の血を飲ませた。それも昨日、一昨日狩った竜かトカゲかも分からん代物じゃなく、昨年ユナグールに現れた正真正銘の火竜の血だ。時間凍結魔法で火竜の死後間もない状態を保った鮮度のよい」
将校は目を瞠り、そして肩を落とした。
「竜の血は怪我は癒すが、足りない血までは補ってくれない。乱暴な言い方をすれば、今、あんたの部下が危険な状態にあるのは血が足りないと言う一点だけなんだ。内臓の損傷も癒えている」
「足りない血を補うために、増血魔法をかけているけれど、これは本人が持っている血を作り出す能力を高めるもので、すぐに血が増えたりはしないの。それに体力も消耗するから、定期的にわたしの魔力を送り込んで体力と体温を魔法で維持してる状態。血が足りないと全身に空気や栄養が行きわたらないから、増血効果のあるお茶を飲ませて、というか意識がなくて飲み込めないから、転移魔法で一口分ずつ胃に送り込んでいるんだけど、これで血の全体量を嵩増ししてるの。その分血が薄まるから、やり過ぎないように少しずつ様子をみながらやってる」
トーコはなるべく詳しく説明した。彼には聞く権利がある。
「命を取り留めても、長く意識が戻らないし、血の足りない状態がずっと続くとあとで障害が残る可能性もあるの」
「そうか」
眉間にしわを寄せてむっつりと黙り込んだ将校を置いて、ベアとトーコは司令部を出た。
「ベアさん、クレムからゲルニーク塩沼までトンネル状の障壁を建てる? 塩採りが中止になったとしても、すぐに撤退にならないんじゃない?」
「障壁はいらない。そんなことをしたら、クレムの塩商人たちが採塩隊を撤退させるわけない」
「でも、また人が死んだら嫌だよ」
「障壁も万能じゃない。どんな魔物が来るかも分からんのに、迂闊なことをすればかえって被害を大きくする。障壁は確かに外部からの衝撃には強いが、火や風の魔法を投げ込まれればどうなるか分かるな。かといって空気穴もなしじゃ、自滅する。お前がずっとつききりというわけにはいかないんだ」
トーコはしゅんとした。自分のやることに責任を持て、とはベアからしょっちゅう叱られていることだ。思い付きでやってその結果、思いがけないことになるのもいつものことだ。あれだけ皆で念入りに検討して試作品まで作った塩運搬用の通路だって問題がたくさん出てきている。人の命がかかわることならなおさら作って放置というわけにはいかない。
ベアはため息をついた。
「……トロッコレールの近くに避難用の障壁をいくつか設置する。使うも使わないも皆の自由だ」
「ベアさん、ありがとう!」
しおたれていたトーコはたちまち復活し、大急ぎで模型を作り始めた。
掛け金式の出入り口のあるものや、二層式など思いつくままに作った模型をベアはすべて却下した。
「シンプルなのにしろ。余計な手を加えるな」
「せっかく思いついたのに。そんなに複雑じゃないよ。使用説明書もつけるし」
「魔物に追われて慌てふためいた人間でも迷うことなく逃げ込めなきゃ意味がない」
「うっ」
「やり直し」
「はあーい……」
夕食後までかかってやっとベアの及第点が出た。明日、帰る道々設置していくことになる。設置場所は、ベアが仲間や鉱夫の取りまとめ役たちと相談して被害の集中しているすれ違い地点近くを中心に設置することにした。
「約五キロごとに設置かあ。ないよりましって程度だね」
「これ以上魔力を無駄にするな。怪我人も運ぶんだぞ。またどんな魔物が出てくるかわからん」
ベアは冷静に釘を刺した。
「うん、わかった」
トーコは必要な数だけ障壁を作って、時間凍結魔法を施した封筒へしまった。あとは設置するだけだ。距離は厳密でなくていいと言われたけれど、トーコは長さ十メートルの棒を十本つなげたものを十セット作った。全部で一キロ分。これをレールに沿って置いて距離を測るつもりだ。アナログだけど、自分の距離感覚に自信がないのでこれが一番確実だ。ついでに塩の運搬通路の距離も測って現在地を壁に刻む。
怪我人いる天幕と司令部を往復しているとベアに呼ばれた。運搬通路のスタート地点近くに、対魔物用の弩を置く場所を増やしたいという国境警備隊からの要望だそうだ。
「通路脇の二か所に弩を置けるように、ここを刳りぬいてほしいそうだ」
渡された図面を脳裏で立体に起こすのに少々手間取ったが、少し離れた場所で試しに岩を削って合格を貰ったので、すぐに作れた。
「今ある弩を動かすの?」
「ああ、早めに脅して去らせるのがいいんだが、今回は数が多いそうだから、たかられた時の用心にな」
実際に兵士が中に入って弩に矢をつがえる動作に不具合ないか確かめているのを眺めながら、将校が頷いた。
「思ったより矢の消耗が早い。さっき到着した隊が追加を持って来たんだが、このペースだとすぐになくなる」
据え置き式の弩は威力は高いが、射程範囲が狭い。もともとここでの弩は魔物を仕留めるためでなく追い払うためにあるので、追い払うのに失敗して陸地に上がられると次が打てなくなってしまう。それを少しでも減らすために場所を動かしたらしい。数の脅威を目の当たりにしたからこその思い切った決断だろう。何しろ、欲しいと思ったらお店に行けばいい町とは違うのだ。あるものをやりくりして工夫しなければならない。
トーコは兵士が背後からも出入りできるように階段をつけたり、矢を地面にばらまかないで済むように岩壁の一部に矢を置く棚を刳りぬいたりの修正をしながら、ベアたちの話し合いを聞くともなく、聞いていた。明日からベアたちと入れ替わりに警備に入る他都市のギルドの人も真剣だ。
「魔法使いの配置を考え直さないとな。そっちはどうしてる」
「うちでは魔法使いは通常の警戒には組み込まないで別待機させている。戦力になる魔法使いがひとりしかいないうえに、こいつ一人で怪我人を診たり、通路を掘削したり、他の雑用も片づけているからやむを得ずだ。あまり参考にならんと思う」
「嬢ちゃん、見た目に寄らず優秀じゃねえか。ところでさっきから気になってるんだが、通路に掘ってあるこれはなんだ」
ギルドの男が目で示した先には、『いよいよスタート! 先は長いぞがんばれ!』の文字。ベアは痛いところを突かれた顔をした。
「来る途中でも見たな」
「それは……見なかったことにしてくれ」
『もう半分終わったあなたは楽天家。まだ半分しか終わっていないあなたは悲観家です』
『残り百メートル 慌てず走らず最後までしっかり!』
『ゴールです! お疲れ様でした!』
現在地が分かるようにする、と言ってトーコがコミカルな字体で通路に刻んだ文句の数々だ。数字を刻むだけにしちゃ時間かかっていると思ったら何をやっているのやら。本人は時間がないから今回は絵は諦めたと言っていたが、どんな構想なんだか考えるだに頭が痛い
「ベアさーん」
師匠の頭痛の種になっているとも知らず、能天気な弟子が飛んできた。しかしその表情は能天気から程遠い。むしろ泣きそうだ。
「どうした」
「例の重傷のひと、悪くなってる。どうしよう」
ベアはその場にいた国境警備隊の将校と共にトーコの障壁に同乗して天幕へ移動した。兵士は顔色が酷く悪いことを除けば一見静かに眠っているように見える。
「体温をもう殆ど魔法だけで維持している状態なの。呼吸も心臓の鼓動も弱くなるばかりで」
トーコは小さな声でベアに言ってうつむいた。ベアは黙ってトーコの背を叩き、司令部へ戻らせた。
兵士は夜明けを見ることなく、同輩に見守られて息を引き取った。
依頼最終日。トーコは避難用障壁を建てるために距離を測りながら、隊の最後尾に着いた。軽傷者を含む怪我人を乗せた障壁魔法を支えながらなので、自分もボードに乗って移動しつつ作業をする。往路と違って魔物が出ることもなく、クレムが見えた時は心底ほっとした。
道中の避難用障壁と塩沼の運搬通路についての説明書きを宿舎の壁に貼りだしている間に鉱夫たちが怪我した兵士のための宿と看病してくれる婦人を見つけてくれた。兵士たちはここで仲間が明日戻ってくるのを待つことになる。
鉱夫のほうはそれぞれの家まで送り届け、雇い主である塩商人は特に面倒を見てくれないというので、薬草を渡して煎じ薬の作り方を教える。薬草は素人が使うので半分気休めみたいなものだが、快方に向かっているし、無理さえしなければ大丈夫だろう。トーコとしてはちゃんと医者に診てもらってほしいところだが、週雇いの鉱夫には経済的な負担が大きい。
最後の怪我人を送り届けると、ベアはトーコを連れてギルドへ飛んだ。馴染みの職員に被害状況を報告し、ギルドでは護衛に魔法使いのいる狩人チームに追加で強制依頼をかけるにとどまることを訊いた。
「今年の状況は厳しい。何度も言わせるな。必要量の塩は確保した。いつでも出せる」
「分かってるが俺の判断じゃどうしようもない。そちらから塩商人が動くように危険度をアピールしてくれよ。こちらから撤退を言い出すのは難しい」
「もう十人近い死人が出ているんだぞ」
「うちの死人じゃないからね。被害がでた国境警備隊から言ってもらうのが一番いいんだが」
ギルド職員も困り顔だ。ベアは顎を撫でた。
「わかった。昨日置いていったトカゲ二匹、少し借りるぞ。明日の午前中までには返す」
「どうするんだい」
「ハルトマンを見習うとしよう。トーコ、明日も大丈夫か」
「うん」
ベアはその足で競売場へ移動し、二匹のトカゲを回収した。そしてクレムの宿舎に戻るとその前庭にこの四日間で狩った魔物を全部出させた。数ではハルトマンに負けるが、迫力では負けていない。一緒に護衛に入っていたギルド構成員たちも、これから入る国境警備隊も見慣れぬ魔物に興味津々だ。そして次第に町の人も怖いもの見たさで集まってくる。ベアはトーコに明りの魔法をあげさせて、全身がはっきり見えるように展示した。時間凍結魔法がかかっているので、持ち去られる心配はない。
そして翌早朝、塩商人が警備隊用の宿舎を訪ねて来た。ベアは何食わぬ顔で、その実待ってましたとばかりに食堂の一角に訪問者を招き入れた。
まずは聞かれるままに魔物の出た状況や、魔物について答える。
「魔法が通じない相手をどうやって倒したんだね」
「昨年と同じだ。魔法による高速移動でつかず離れず魔物を注意をひきつつ追いかけさせて、最後は幻惑魔法で目測を誤らせて地面に激突させた。何度か噛みつかれたが、なんとか倒せた。死骸ですら、槍もまともに通らない硬さだ、高速移動と高精度・広範囲の幻惑魔法の使える魔法使いがいたのは僥倖だった」
「国境警備隊では相手が難しそうか」
「相手が下に降りてきて、魔法を使わないでくれれば勝機もあるかもしれん。俺たちは彼女が魔物の気をひいて隊から遠くまで引き離したから助かったが、接近戦距離に入る前に魔法を食らったら、簡単に全滅する。竜巻と言っていい威力だ。あれだけの威力の風魔法を使える魔法使いなど滅多にいるものじゃない。少なくともユナグールではひとりだけだ」
言わずと知れたイェーガーのチームの女魔法使いだ。塩商人たちは難しい表情で顔を見合わせた。
「一隊全滅……」
「今言ったユナグールの魔法使いは護衛に入っているか?」
塩商人のギルド長が言った。
「女性だから、入っていない」
「女魔法使いがこの魔物たちを仕留めたと聞いているが。それに、たしかこの前の国境警備隊も」
「どっちも同じ魔法使いだ。ギルドの魔法使いだが、国境警備隊の将校が個人的に雇っていたんだ。今年の魔の領域が厳しいのは予測できていたから、彼も最大限の安全策をとったんだろう」
言外にこれくらい想定の範囲だと告げる。塩商人たちの一部に動揺が走る。彼らは明らかにたまにはこんなこともある、あたった奴は運がなかった程度にしか思っていなかった。
「その魔法使いをゲルニーク塩沼からの採塩期間雇うというのはどうだろう」
塩商人のひとりが仲間に提案した。ベアは誰かが答える前に却下した。
「断る。命がいくつあっても足りん」
「なんであんたが」
「彼女は俺の弟子で、俺がチームのリーダーだ。更にいうなら、俺たちへの依頼は安くないぞ」
「将校が雇えるのなら……彼の倍出そう」
ベアは失笑してしまった。ハルトマンの依頼は子どものお小遣い程度だとはまさか彼らも思っていまい。
「金の問題じゃない。彼は兄弟子だ。そうでもなければ、こんな危険な依頼はまず請けない。魔物たちがレールに沿って楽な獲物が来ているのに気がつけば、いずれクレムまでたどり着かないとも限らん。今年のゲルニーク塩沼は諦めるのが一番いい。塩は他からも来るんだろう」
塩商人のギルド長は浮かない顔をした。
北部にある塩鉱山は豊かな埋蔵量を誇っているが、帝国が採掘技術を提供する代わりに、バルク公国は毎年一定数量の上納輸出を行っている。帝国自身も人の領域最大級の塩鉱山を南部砂漠地帯に持っているが、自前の塩鉱山を持たない属国すべてに行きわたるだけの塩を確保するのは容易でない上に、輸送コストの問題もある。そこで、輸出増の要請が帝国から近年頻繁にあると言う。
「北部の塩鉱山の埋蔵量は潤沢でも年間採掘量には主に技術的な点からほぼ限界なんだ。これ以上の増産は難しい。人口は増えているのに、ゲルニーク塩沼のある東部への割り当ては年々減っている。帝国への輸出が増えた分、我々に回ってこないんだ」
「まるで、自分たちが被害者のような言い分だな」
ゲルニーク塩沼から採れる塩は加工に手間がかからない。国営鉱山から買うよりずっと儲かるとは誰でも知っている話だ。割り当てが減るなら幸いとせっせと魔の領域に人を送り込んだのは塩商人たちのほうだろうに。
公平を期すために言うなら、バルク公国としては数少ない外貨獲得手段として塩を輸出し、増えた人口を養うための穀物を輸入したい。両国の利害が一致したのだろう。
「だとしても、一年かそこらでで在庫が底をつくわけではないだろう」
「無茶を言うな。上限統制をかけない限り、一年ももたない。ゲルニーク塩沼の塩を入れるために、今の時期は倉庫を殆ど空にしているんだ」
「あとはギルドに採塩を依頼するんだな。採掘隊を守りながら魔物を撃退するのは無理でも、魔物の目をごまかし、逃げながらなら必要なだけの塩を採ってこれる」
ベアはさりげなく売り込んだが、塩商人たちの反応は芳しくない。彼らが帰ったあと、トーコが心配そうな顔でベアのところへ来た。
「今日入るひとたちが出発するみたいだけど、中止にならなかったの?」
「ああ」
「危ないのに。<深い森>と違って隠れる場所もないのに、どうするんだろう」
「そこまでは俺たちが考えることじゃない。一応避難所もあるし」
「うまく避難所に逃げ込める距離ならいいけれど、避難所と避難所の真ん中で襲われたらとても逃げられないよ」
「塩商人たちもこの後で話し合うだろう。ギルドに依頼が来ればいいんだが。依頼が来たら連絡をくれ。トーコはこれから学校だな」
彼女はここで別れて先にユナグールへ帰る。そのはずだが、何故かトーコは立ち止った。
「学校……」
「どうした?」
トーコはぎくしゃくと首をベアに向けた。
「宿題、ぜんっぜん、やってない!」
二回目のゲルニーク塩沼行きはトーコの悲痛な叫びで締めくくられた。




