第30話 竜再び
妹弟子を部下に押し付けたハルトマンは、予定通り翌日の夕方にクレムに戻った。宿には明日から入域するギルドの一団が到着しており、ハルトマンは隅の席にベアを見つけ、鉱夫たちを守る障壁と岩場をくりぬいた通路を作るためにトーコを残らせたことを伝える。障壁にはいい顔をしなかったベアも、通路には興味を示した。
「よく考えたな」
「俺が出るときはまだ完成しなかったから、後でどうだったか教えてくれ。うちの工兵を置いてきているから設計上は問題ないはずだ。問題は魔物だな」
「多いのか」
「予想はしていたが、多い。最大で十八羽の群だ」
「十八羽? 異常な数だ」
「通路を思いつかなければ、護衛を増やすことを進言するところだ。まあ、通路があってもそんな数で一斉に襲われたら守り切れない。鉱夫たちにも槍を持たせるか、通路に備え付けて、護衛が駆けつけるまで自分で応戦してもらうのがいいんだが」
ベアは想像してみて顔をしかめた。これから入る身には重要な情報だが、今から準備できることは少ない。
「鳥は遠くからでも見つけやすいが間合いが遠い。武器を持った人間を避ける知恵くらいあるし、先に仕留めるのは骨だな」
「それをトーコがやってたぞ。どうやってるんだ。何の攻撃もしていないように見えるのに、勝手に鳥が落ちていく」
「何にも? ああ、あれか」
ベア自身はすっかり慣れていたので逆にハルトマンの驚きようが新鮮だ。
「種を教えろ」
「ギルドに依頼を出せ。ただし高いぞ」
ハルトマンは舌打ちした。
「トーコがいるなら、十八羽が百羽になったところで問題ない。問題はこの後だな」
心配するでもなくベアが呟き、ハルトマンは内心舌を巻いた。
「復路に一羽出た。トーコに借りた障壁もあったし、仕留められてよかった。次の護衛につくうちの連中にもらってもいいか。ひと月ほどなら保つと聞いている」
「障壁?」
「でかい棒を三本束ねたようなのだ。トーコはサンキャクとか言っていた。鳥が来たら、これを適当にまいてその下に入るんだ。ただの棒だが、上からまっすぐ滑空してくる鳥に対してなら嫌がらせ程度にはなる。どんな地形でも安定して置ける。回収には移動魔法の使える魔法使いが必要だが、使えさえすれば重量もないし、ディルク程度でもなんとか扱えそうだ。最悪使い捨てでもいい」
ベアはハルトマンの差し出した封筒に時間凍結魔法がかかっていないのを確認して、追認した。トーコも次から次へよく思いつくものだ。
そのトーコがハルトマンの部下たちと転移してきたのは間もなくの事だった。
「ベアさん、お久しぶり! ハルトマンさん、うまくいったよ!」
宿舎に飛び込んできたトーコは嬉しそうに報告した。ハルトマンはトーコの頭越しに、部下からもう少し実のある報告を聞いた。
今日の午後に近くの崖で試掘してみて、微修正を経て、本番用を作成。実際に使用したのは日が落ちるまでの二時間ほどだが、概ね好評だった。移動距離は長くなったが、足元が安定しているので採塩量に問題はなさそう。
図面を受け取り、部下たちを解散させたハルトマンのところへ兵士が来客を告げる。
「さてと、トーコ、狩った鳥を持ってついて来い。全部あるな?」
「ギルドの人たちが狩ったの以外はある。どこ行くの?」
「塩商人のところだ。事後承諾をとっておかないとな。ベア、あんたも来るだろ?」
ベアは気の進まない顔をした。
「行くしかないだろうな」
ハルトマンを訪ねて、というより、呼びつけられたらしく、待っていたのは、数名の塩商人らしい男たちだった。いずれも裕福そうな身なりだ。前庭につくなり、ハルトマンがトーコに指示した。
「出せ」
「ここに? 邪魔じゃない?」
「構わん」
重ねて言われ、トーコは封筒から魔鳥を呼び出し、空に浮かべた。前庭にいた人々が慌てて避けても平置きではスペースが足りない。
「重ねていい?」
「崩さないようにやれよ」
ピラミッドのように積み上げられた魔物の山にどよめきが起こる。これから入域するギルド構成員たちだけでなく、道行く人も足を止めて指さしている。
「これは国境警備隊が撃ち落としたぶんだけだが、初日、二日目にこれだけの襲撃があった」
そう前置いて、通路掘削について説明する。塩商人たちは非難はしなかったが、歓迎しているようでもない。どちらかというと、渋い顔だ。
「なんで?」
塩商人たちが帰ったあと、トーコはハルトマンに尋ねた。
「世の中にただというものはない」
トーコが理解の追いつかない顔をしたので、ベアは補足した。
「勝手に作って後からその代金を請求される。緊急避難的とは言え、いいことじゃないな」
「えっ、別に依頼にしろとか言ってないよ。そんなの後出しじゃない」
「言わなくても、これだけの大工事、国境警備隊と向うのギルドに寄付くらいしないわけにはいかないだろう」
「皆で協力して皆が楽で安全になって良かったね、じゃだめなの?」
大人って面倒くさい、とトーコはぼやいた。
「それをこちらから申し出るのはいいが、塩商人にも面子がある。彼らには特に恩恵があるわけでもないから、なおさら複雑だな」
「ハルトマンさん、もしかして大勢が見ている前で人目をひくようなパフォーマンスしたのって……」
「ここで怒ったら、彼ら自身の評判を下げるだけだな。鉱夫全員を敵に回すのも賢くない」
しれっとのたまうハルトマンにトーコはあきれ、ベアは感心した。復路の警護を勝手に割いたのも問題のはずだが、それもうやむやにしてしまうつもりだ。
「トーコ、明日すれ違う時にギルドの責任者に首尾を説明してやれ」
「わかった。この鳥はどうすればいい?」
「ユナグールのギルドに競売依頼を出して、利益はむこうのギルドと等分。これだけの数を一度には無理だろうが二、三回に分ければ処分できるだろう。お前は明日からベアにくっついてもう一回入るんだろ?」
「うん」
「あとで競売日と数を教えるから、ギルドの競売場に持ち込んでおけ。ちゃんとできるか?」
「できるよ! それくらいいつもやってるもん!」
懐疑的なまなざしにトーコは抗議した。
その後ろでベアはため息をつく。いいように雑用を押し付けられて……。もしトーコに知恵が働くなら、掘削作業は十タスでハルトマンに個人的に雇われているだけで臨時報酬にあずかれない今日ではなく、ベアとともに入る明日以降にしていただろう。
だがそのために二日分の鉱夫たちの安全を軽視するのは彼女の性格ではないし、そんな教育をした覚えもない。まあ、ハルトマンに対して報酬の上乗せ交渉くらいはしてもいい気がするが。
と思ったら、学校の宿題とやらを見てもらっていた。家庭教師が追加報酬の模様だ。手厳しく採点されたトーコは机に額をめり込ませる勢いで沈んでいたが、一晩寝れば復活する。翌朝にはけろりとした顔でハルトマンを送り出し、食堂の片隅で宿題を直したり、トロッコに固定された樽に水を補給するのに忙しい。
「ベアさん、おはよう!」
「おはよう。朝が早いな」
どちらかというと朝はお寝坊のトーコなのに。
「だってわたしの場所ってお日さまが顔にあたるんだもん。それに、ぐずぐずしてると皆が起きて着替えだすし」
護衛は宿舎二階と三階の大部屋で全員雑魚寝だ。個室はない。たったひとりの女としてはあまり居心地よくなかっただろう。昨年も来ていたのでうっかりしていたが、もうちょっと考えてやればよかった。
「悪かったな」
「え、何が? それより聞いてよ、ベアさん! ハルトマンさんたら酷いんだよ! まだ明けきってもないのに、邪魔だから出てけって! 何もひとのお腹踏んづけなくてもいいじゃない!?」
「……」
憤然とするトーコにベアは沈黙した。たぶん、声をかけたり、揺すったくらいじゃ起きなくて、ハルトマンは最終手段に出たのだろう。穏当な手段で起きないなら起きるように切り替えるのにためらいを覚える彼ではなさそうだから、最終手段の出番は早そうだ。
しかし、年頃の娘がそれでいいのか。
師匠の心配をよそにトーコは元気いっぱいで出発した。ハルトマンと入った時のようにレール整備のお手伝いする必要はないので、ベアにくっついてトロッコと鉱夫の列からつかず離れずの距離を歩く。元気いっぱいではあるが、一定速度で勢いをつけて押すトロッコにはついていけないので、本人はがんばって歩いているつもりでも徐々に後方に下がっていく。途中いろんな人にひやかしとも声援ともつかぬ声をかけられながら、最後尾までずり落ちたら移動魔法で一気にベアのいる先頭へ戻ってくる。ベアに列の状況報告や他の人たちからの伝言という名のおしゃべりをしながら、また下がっていくの繰り返しだ。
「トロッコに乗せてもらったらどうだ」
ベアはすれ違い用の休憩場所でばてぎみのトーコを見下ろした。
「ちょ、ちょっと最近机に座ってばかりで運動不足だったかも」
「あとは日頃から魔法に頼り過ぎだな」
「うっ。頑張って歩きます」
「頑張らなくていい。疲れたら移動魔法を使うなり、トロッコに乗るなりしろ。もう少しペースを落とせ。いざという時息切れで動けないでは困る。それよりちゃんと警戒しろ」
「ごもっとも……」
ギルド構成員にスポ根はないのだった。
昼休憩をとる間にゲルニーク塩沼から戻ってくる一隊がやってきた。トーコにとっては二日間一緒に活動した仲なので、あいさつがてら顔を出した。取りまとめ役たちを探して、ハルトマンの伝言を伝え、通路の様子を聞く。
「へえ、ぼっちゃん軍人さんにしちゃ、やるじゃないか」
「通路はいい具合だよ。いつもの年より足がずっと軽い」
水樽の水を入れ替えながらおしゃべりしている間に、ベアたちの列が動き始めて、トーコは慌てて戻った。
「酷いよベアさん、置いていっちゃうんだもん」
「すぐに出ると言っただろうが。黙って歩かないと息切れするぞ」
忠告されるまでもなくトーコはずるずると遅れだした。他の人と足並みをそろえられないトーコはもちろん列に入れず、その外側を歩く。早くも最後尾まで落ちた時、トーコの探査魔法に魔物の気配がひっかかった。ボードに乗ってトーコはベアのいる先頭へ舞い戻る。
「ベアさん、南から魔物が来る。このまま進むとぶつかりそうだよ」
ベアはトーコの指さす方向に探査魔法を放ったが何も感知できない。
「どんな魔物だ」
「大きくて、空を飛んでいる。でも鳥じゃない。形状はトカゲに羽が生えたような感じ」
「……竜か?」
まさかと思いつつ尋ねるとトーコは首をかしげる。
「火竜とは全然違う。もっと圧倒的だったもの。むしろ飛竜に近い感じかなあ。でも、去年の飛竜とは形が違うし」
「一体か?」
「うん」
「対処できそうか」
トーコは不安そうな顔になった。
「分かんない。取り敢えず、皆を守る障壁を張るね」
トーコはポーチから呼び出した障壁魔法のパネルを三つに分け、トロッコのレールを中心に左右と上部を塞ぐように置くと、一気にスライドさせてトンネル状にした。
「ベアさん、全部塞いじゃう? 空気穴兼ねてところどころ外に出られるように隙間作っとく?」
全部防げば安全かもしれないが、いざという時出られない。しかし穴があればもし相手が火炎などの攻撃手段を持っていた場合、被害を蒙る可能性がある。
「魔法を使いそうな魔物か?」
「分からないけれど、魔力はかなりある。火竜に比べたら全然だけど、飛竜より多いような」
ベアは一瞬考えたがここは安全策を採ることにした。
「隙間は作らなくていい。前後だけあけておけ」
「うん。わかった。さっきすれ違った帰還する人たちは大丈夫かな」
トーコが心配そうな目を西に向けた。ベアは南の空を見やり、黒い点を見つけた。魔物だ。帰還組はまだ休憩中か、すれ違い地点を出発したばかりでそんなに遠く離れていないだろう。魔物がどちらを先に見つけて襲うか不確定だ。
「向うにも警告と障壁を。障壁はまだ張れるか?」
「作り置きしたのがあるから、クレムからゲルニーク塩沼まで全部覆っても平気」
ベアは二名いる補佐役の片方を振り返った。
「悪いが、向うの取りまとめ役に状況の説明をしてくれ」
「はいよ」
「トーコは障壁を建てたら、そのままトカゲの対処」
「取り敢えず、去年の飛竜と同じようにやってみるね」
その言葉通り、補佐役をまだ休憩中だった帰還組のところへ送り届け、問答無用で障壁を建てるとすぐさま南へ転じる。なるべく列から遠いところで迎撃したいが、南からの風に乗ったトカゲは滑空し、逆にトーコは緩い向かい風だ。移動魔法を推進力にしているので空気抵抗を減らすために流線型の障壁魔法ですっぽり覆っているが、トカゲのほうが早い。
トカゲはベアたちのほうに向かって進路をとっており、結果としてトーコは往復することになってしまった。魔力を送り込んでレンチンしようとしたが、すぐに魔力を散らされる。
「ダメか。こら、こっち来ちゃだめだったら!」
トーコはトカゲの前に巨大な障壁魔法を張った。すかさず時間凍結魔法をかけて地中深く固定する。これにぶつかって、驚いて逃げてくれればよし。と、思ったのだが。トカゲは障壁の手前でするっと上昇した。
「えっ、避けちゃうの!?」
トーコは目を丸くした。
「あ、こら、そっち行ったらダメなんだって!」
トカゲは薄い皮膜のある羽をはばたかせまっすぐ北へ行こうとする。トーコは慌ててトカゲを追いかけてやっと前に回り込んだ。
魔力から渦巻く水を生成し、勢いよくたたきつける。が、
「避けられた! 当たらない~!」
それどころか、やっとトーコが視界に入ったようで、はっきりと体の向きを変えた。そのまま滑空してくる。
「うわわっ」
トーコは慌てて逃げ出した。トカゲは暫く追いかけたが、引き離されると鼻先をベアたち一行のほうへ向けて、そちらへ方向転換する。トーコは慌ててトカゲの前に飛び出した。まずい、どこか遠くへ誘導しないと。こっちの攻撃は当たらないが、相手よりは早く動ける。トーコはトカゲの前をうろちょろして水をひっかけた。直撃は避けられるのでせいぜいが濡らす程度だ。トカゲがトーコに向かって鋭い歯がのこぎりのように並んだ口を開けて飛びかかる。ぎりぎりのところで躱して逃げにかかる。と、背後で魔力が膨れ上がった。
「え?」
振り返ると大きく羽根を広げたトカゲが勢いよく羽ばたき、同時に覚えのある感覚が襲ってくる。
「魔法!?」
慌てて二重の球形障壁魔法で防御するが、空中でのことなので、いとも簡単に突風の直撃を受けて吹き飛ばされる。
「トーコ!」
トンネル型障壁の中からそれを見ていたベアは思わず声をあげた。トーコの曖昧な情報で火竜ほど手ごわい相手ではないと決めつけてしまったが、あれはユナグールのギルドでトップを張る魔法使いたちの大魔法クラスの威力だ。かなりの距離があるのに、わずかな時間をおいて砂塵が激しく障壁を叩く。しばしの間、視界が遮られる。
ベアの全身から血の気がひいた、その時。背中に何かが落ちて来た。大きくて重いものだ。不意打ちを食らってベアはつんのめり、そのまま押しつぶされる。
「なっ!」
振り払おうとしたベアの背中でもぞもぞ起き上がったのはトーコだった。
「嬢ちゃん、無事だったか!」
誰かがそう叫んで駆け寄り、ベアは慌てて首をひねって背中を見た。頭を押さえているトーコがいた。取り敢えず無事な姿を見て安堵する。仲間がトーコを引き起こしてくれたので、ベアも起き上がることができた。トーコは立ち上がろうとしてすぐまたへたりこんだ。安堵の息を呑み込み、ベアはトーコの前にかがみこんだ。
「怪我は」
「うー、景色がぐるぐるするぅ~」
「「は?」」
周囲の人々の声が重なった。
「ふらふらする。気持ち悪い~」
障壁ごと吹き飛ばされて、直接のダメージはないが目を回したようだ。周囲が一斉に安堵と呆れ交じりの息を吐く。しばらく頭を振っていたトーコだが一息ついて立ち上がった。
「あーびっくりした。どこまで飛ばされるかと思った」
びっくりしたのはこっちだ、と周囲が口々に言う。
「あー、こっち来ちゃう」
誰かの差し出した水をありがたく飲んでいたトーコは残念そうに言った。トーコの視線を追うと、舞い戻って来たトカゲが大きな口を開けて突進してきたところだった。その牙は障壁に阻まれて届かないが、見ていて気持ちの良いものではない。
「トーコ、この障壁はどのくらいもつ」
「一ケ月。風通しが悪いから、このままずっと置いておくのはどうかと思うけれど」
「どのみちこのまま追いかけられて今採塩している人たちのところへ連れていくわけにはいかない」
「だよね。しょうがない。今年も鬼ごっこかあ」
トーコは気の進まない顔をした。
「何をするつもりだ」
「つかず離れずの距離でどこか遠くへ誘導して、まくの。塩沼で合流でいい?」
「ダメだ。危ない」
「すばしこいし、こっちの攻撃はなかなか当たらないけど、スピードはわたしのほうが出る。魔法の範囲と効果時間も大体わかったから、次は気持ち悪くなるまで我慢しないで逃げちゃう」
「我慢?」
ベアは聞き捨てならない単語を耳にした気がした。
「うん。どういう魔法なのか知りたかったから、探査魔法で探ってたの。そしたら、二重にしたうちの外側の障壁魔法がぐるぐるまわっちゃって、それ見てたら気持ち悪くなった」
「……もしかして、気持ち悪くなったのは、体が回転してじゃなくて、本当に目が回っただけなのか」
「え、そう言ったじゃない」
トーコはきょとんとして黙り込んだ皆を見回した。心なしか視線が冷たい、ような気がする。ベアが咳払いした。
「とにかく、あのトカゲをどうにかする方が先だな。他所へ誘導できるか」
「たぶんできる。この辺に崖とかない? 去年の飛竜は崖に幻惑魔法をかぶせて突っ込んでもらったんだよね」
尋ねられた鉱夫たちは、そろって首を振った。
「塩沼まで行けばともかく、このあたりは平坦だ」
「だよね。地平線見えてるもん。取り敢えず、なるべく遠くに連れていくから、ベアさんたちは先に進んで。わたしは適当なところで塩沼に直接転移するから、そこで合流しよう」
「分かった。帰還組にも今のうちに進むよう伝令を出そう」
ベアは渋い顔だが他に方法がない。トーコに相手の魔法がひとつだと思うな、無理をしない、体力と魔力と集中力に余力があるうちに逃げろとしつこくしつこく念を押した。
トーコは空になった器を返し、障壁の向こうのトカゲに向かって水流を飛ばした。横合いから突然現れた水の勢いに押され、トカゲが障壁から離れる。
「おー、やっと当たった! 水の量は少なくても、勢いがあれば当たるね」
「本当に大丈夫か」
ベア以外から不安がる声があがるが、トーコは意に介さない。
「じゃ、これならどうだ。下手な矢も数撃ちゃあたる大作戦! えい!」
ベアも含め全員がトーコに白い目を向けた。その作戦名に不安を感じないのは本人だけである。
トカゲにあたって砕けた水が、障壁の前にいくつもの小さな渦を巻いて集まり、樽サイズの氷塊になった。その数、数十。一斉にトカゲに向かって飛び、さらにトカゲを押しやる。トカゲが障壁から十分離れたところでトーコは転移魔法で障壁の外へ出た。水と氷で注意を引きながら追いかけて来たトカゲと鬼ごっこ開始だ。
あまり距離を開けすぎると追いかけてこなくなるので、十分トロッコレールから引き離すためにも速度はコントロールする。探査魔法で周囲の地形と後方のトカゲの動きを探りながら上下左右に逃げる。
去年ハルトマンと一緒に飛竜とした鬼ごっこは崖に遮られた水面上での二次元戦だったが、今回は完全な三次元の空中戦だ。逃げる方向の選択肢が増えたのは助かる。方向を見失うのが怖いのでほぼ真北に向かって逃げることにする。トカゲが魔力を練る気配がしたらとにかく動いて狙われないようにするか、氷の礫を背後に投げるかだ。水を呼び出してから凍らせるのでは間に合わないので最初から氷の状態で魔力を変換する。最初はうまくできなくて、自分もトカゲも通り過ぎてからやっとできたりもしたが、段々慣れてきて大きな氷塊を背後に作れるようになった。移動魔法で投げなくても相手が勝手にぶつかるので楽だが、かえって怒らせてしまった気もする。
大きな図体のわりに小さなトーコの急な方向転換や急加速にも器用についてくる。それどころか、少し距離をあければトーコの動きを読んで、カーブを描いて逃げる相手に対し、より小さい角度で急に距離をつめて来たり、近づけば急加速と首の動きで電撃のように鋭く迫る不意打ちをしたりと、まったく気が抜けない。
何度かひやりとした後、トーコも探査魔法で翼を動かす羽の付け根の筋肉や、勢いよく突き出すために一度頭を引く首の筋肉を見張って対抗する。
それにしても崖がない。起伏が乏しく植物も稀な寒々しい大地がどこまでも続いている。一度時間凍結魔法で強化した障壁魔法をポーチの中から背後に出してみたものの、移動魔法で充分に支えるだけの魔力を送り込むより相手が激突する方が早い。結果、障壁は弾き飛ばされてしまう。やはり地面かどこかに固定しないとダメだ。
「しつこいなあ」
昨年の飛竜といい、飽きずに獲物を追いかける。エネルギー効率が悪い。もう三十分も逃げている。
「なんか天然のぶつけられるとこがあればいいんだけど。わっ」
トカゲの羽が吹き飛ばした砂や小石を避けて浮いたところを下から急角度で狙われトーコは慌てて前へ逃げた。今度は上から急降下してくるのは分かっているので、慣性の法則に逆らって逆方向に移動魔法のベクトルを向け、さらに左へ大きく避ける。砂埃が舞う。トカゲの顔はトーコの投げた氷塊や地面にぶつけた際にできた細かな傷でいっぱいだが、気にしていない。目の前のごはんで頭がいっぱいのようだ。
「ん? 崖じゃなくて地面でいけないかな」
トーコは上に逃げるときは大きく、下に逃げるときは小さく動き、徐々に追いかけっこの高度を上げていった。酸欠防止に時間凍結魔法をかけていないただの空間拡張封筒をおいて、全身を二重の完全障壁に包んでいるので、外の音や気温の影響はないのに汗をかいている。そのうち半分くらいは冷や汗で、たまにトカゲの歯や羽が障壁に当たるとどきっとする。
時間をかけて高度を稼いだトーコは一気に地上へ向けて加速した。トカゲはすぐにそのあとを追い、トーコに釣られるように速度をあげた。地表ぎりぎりまで我慢したトーコは自分の幻影を残して真上に転移した。トカゲは幻影を追いかけて力強く羽ばたくと幻に向かって勢いよく首を突き出してくわえこんだ。その瞬間、轟音が響き、はるか上空から慣性のままに落下し続けていたトーコの視界を砂塵が埋める。
「うわあ、まだ生きてるのか」
幻惑魔法によって実際よりも遠くに見えていた地面にたいして回避行動をとらなかったトカゲは激突してもあっさり首を折ってお陀仏とはならなかった。しかしフラフラしていたので、トーコは容易に魔力を送り込んでレンチンすることができた。少しずつ逆ベクトルの移動魔法で落下速度を削りながら地上に降り立ったトーコはおそるおそるトカゲを覗き込んだ。とがった鼻はひしゃげ、血だらけだ。尾だけがまだ生きているように痙攣しているのがおっかないので、そそくさと時間凍結魔法をかけて更に時間凍結魔法を施した封筒へ収納した。
一度ゲルニーク塩沼へ転移したトーコはそこから大急ぎでレールを逆に辿ってベアを探した。あんな魔物が一頭ならいいが、他にもいたら困る。トカゲと遭遇した地点から出来る限り遠くまで障壁を張りはしたが、全長何十キロもあるうちのほんの数キロにすぎない。探査魔法でベアの魔力をとらえた時は心底ほっとした。
「ベアさん! よかった、無事で」
ベアも胸をなでおろした。
「それは俺のセリフなんだが。トカゲはどうした」
トーコはボードに乗ったままベアに並んだ。ポーチをポンとたたく。
「ここにある」
「どうやった。無茶はしていないだろうな」
「どんなに北に行っても崖がなかったから、地面にぶつかってもらった。幻惑魔法ってすごいお役立ち!」
詳しく説明させ、ベアは眉間にしわを刻んだ。
「危ない真似を。食われたらどうするつもりだったんだ」
「齧られたって平気だよ。例の障壁を二重にしてたから。自分だけ転移魔法で逃げたっていいし……あ」
「どうした」
トーコはきまり悪そうにベアを見上げた。
「いっそ齧られたほうが良かったかも。絶対潰れない障壁だもん。で、喉の奥に火竜の火でも転移させて爆発させちゃえば簡単だったかも」
「……」
「もしくは氷で喉を塞いで窒息させるとか。そのほうが皮に傷がつかないで高く引き取ってもらえたかも。うん、火よりグロテスクじゃなさそう。次はこれで行くよ」
ベアは息を吐いた。
「こんなことが何度もあったらたまらん」
「でも、去年も出たし、今年も出たよ。年にほんの数日しか入らないのに連続で会ったんだから、意外とこのへんに多くいるんじゃないの?」
ベアは黙り込んだ。トーコと違い、ベアは二十年でこれが初めての遭遇だ。昨年の話を聞いた時も、何十年かに一度はそんなこともあるか、と思っただけだが、トーコの言う通り、近いうちにまた出現する可能性はあるのかもしれない。これもハルトマンの言うところの大魔周期の影響か。
「あまり危ない真似をするな」
結局ベアはありきたりの注意にとどめた。トーコは素直に頷いた。
「ねえ、ベアさん。ギルドは魔法使いがいるからいいけれど、国境警備隊はどうするのかな。いくや弓や槍があっても、あの巨体で体当たりされたら困ると思うんだけど」
「魔法使いがいても大出力の魔法で遠距離から先制できなければ、厳しいだろう。あの突風の魔法を食らったら一隊全滅だ」
あれを防御するにはトーコやギルドのトップクラスの魔法使いたちが必要だ。しかも一回しのげばいいと言うものではない。ユナグールのギルドからは毎年三隊を出している。ベアにはトーコがついて来るつもりだったので、数少ない魔法使いは残り二隊に譲っていたが、キースリング青年はメンバーではなかった。狩人トップのイェーガーのチームの女魔法使いは女性なので声がかかっていないはずだ。
「今年の採塩は厳しくなりそうだな……」
「中止、ってわけにはいかないの?」
「人間、塩がなくては生きていけないからな」
「わたし、ハルトマンさんに言われて結構塩採ったよ。魔物が増えて塩を採りに来れなくなるかもしれないって言ってた」
「今年だけですむ問題でもない。一回採塩をやめれば道具が傷む。最悪レールの敷設からやり直しだ」
「確かに毎年入っていても、レール使えるようにするのって結構手間がかかるみたいだけど……」
ゴミや障害物はトーコがどけたが、さびを落として塩害を防ぐための油をひいたり、それをデッキブラシもどきで塗り伸ばしたりと大変そうだった。
いずれにしてもこの場で一介のギルド構成員でしかないベアがどうこう言っても始まらない。
「向うに着いたら、一度ギルドへ報告を入れるか……ギルドから働きかけてもらえるかは分からんが、護衛の数を増やすなりしないと危ないな。今から手配がつけばよし。つかなくても心構えができるだけましか。トーコ、着いたら野営地の上に障壁を」
「わかった。雨が降らないんだから上はぺったんこでいいよね。出入り口は個室トイレのドアみたいな簡単な掛け金式にして、出入りできるようにするのはどうだろう」
トーコがブツブツ言いながらアイディアをメモする。
ベアは視線を南の空へ投げた。魔物は南からの風に乗ってやってくる。そしてクレムの南にあるのはユナグールだ。山脈に遮られてユナグール近くの<深い森>からゲルニーク塩沼に行けるものなのか寡聞にして知らないが、陸続きなのは間違いない。現に、ゲルニーク塩沼に飛来する巨鳥の中には<深い森>でもおなじみの種がいる。先ほどのやっかいなトカゲと<深い森>で遭遇しないとは決めつけられない。
「トーコ、背嚢を持っているか?」
「去年、ベアさんと一緒に行った傷の店主さんのとこで買ったの? ここにあるよ」
トーコはベルトポーチに手を乗せた。
「水袋もあるな」
「うん」
「一日分の水と食料、火種、最低限の医薬品を背負うようにする。魔法は禁止」
トーコはたじろいだ。
「それって、時間凍結魔法や空間拡張魔法を使っちゃダメってこと? 結構かさばるし、重くなるよね?」
なんでもかんでも小さなベルトポーチに押し込んでしまえるので、トーコはいつも手ぶらだ。わざわざ動きにくいことをする理由が思い浮かばない。
「そうだ。例えばさっきのトカゲに吹き飛ばされたとする。怪我して動けず、俺たちもどこへ行ったか分からない。そんな時にもしも親切な誰かが助けてくれようとしても、ポーチはお前以外開けられないし、お前がどこの誰かも分からない。ギルド証もポーチの中だろう。うっかりポーチをなくしたら自分で探し出す以外手元に戻ってこないぞ」
「荷物を分けるのは、いざという時、わたし以外の人に使ってもらうため?」
「ポーチを紛失してもなんとかしのげるようにしておくためにも」
徐々にトーコはベアの言いたいことを呑み込んだ。
「魔法を使わないってのは、わたしが意志疎通できない状況でも、他のひとが問題なく使えるように? 最悪死んでもギルド証がポーチの中で見つからないってことがないように?」
「そんなところだ」
「時間凍結魔法は危ないだろうけど、空間拡張魔法なら使ってもいいような」
「ダメだ。お前を見捨てて盗んでくれと言っているようなものだぞ」
「考えすぎじゃ……」
「世の中善人ばかりじゃない。悪人でなくてもわざわざ相手の胆力を試すような真似をするな。結晶石ももちろん禁止だ」
トーコは水袋に中身を詰め、魔の領域で行き会うギルド構成員たちを真似して背嚢の外にぶら下げてみた。全然使ってない火道具、ヘーゲル夫人の実家謹製の傷薬や塗り薬。食糧は日持ちのする干し肉やドライフルーツ。寒さしのぎや包帯になりそうな布。一年前に教えてもらったことを思い出しながら荷物を作る。
「お、重いかも……」
「詰めすぎだ。なんでそんなに瓶物を入れるんだ」
「薬は必要かなって」
「最低限と言っただろう。竜の薬だけ後で小分けにして一回分ずつくらい入れておけばいい。魔法を使っていいのはここだけだな」
竜の生血さすがに時間凍結魔法を使わないと保持できない。トーコもポーチの他に空間拡張の指輪を持っているのだからどちらかが残っていれば取り敢えずなんとかなるはずである。
無事でさえあれば最悪、転移魔法でヘーゲル家に飛べる。だからここでトーコに本当に必要なのは物資よりも心構えだ。
「荷の重心が左に傾ている」
背嚢を背負ったとたんよろめいたトーコにベアは言った。トーコは荷物を自分の乗っている障壁の上にあけると座り込んで再び詰め直し始めた。はたからはただ空に座り込んでいるように見えるので、ものすごく変だ。ベアのみならず、ギルド構成員たちまでもが面白そうな顔で口を出す。みんなにダメ出しされながら、やっとのことで荷造りを終えたころには、ゲルニーク塩沼は目の前だった。
「あれはなんだ?」
ハルトマンとトーコから聞かされていた通路を見に行ったベアは、塩沼の中に奇妙な物体を見つけた。白い塩沼に細長い物体がでんと横たわっている。
「通路を作る時にくりぬいた岩。どこにおこうかと思ってたら、ハルトマンさんが、あそこにおけって。塩沼の上で作業している人が一番通路から遠くて逃げ遅れるから、いざとなったら岩に身を寄せて隠れるくらいできるだろうって」
それはわかるが、奇妙な光景だ。トーコが嬉しそうにあちこち指さしながら説明するのを、鉱夫の取りまとめ役や、ギルドの補佐役たちが熱心に聞いていた。安全性が高まるのは歓迎だ。鉱夫たちにとっては、塩の運搬が確実に楽になった。だが、問題もないわけでない。
「登りはじめの部分、塩が滑り止めの溝に結構溜まるなあ。箒で定期的に掃くか、溝をもっと深く掘るかしないと危ない?」
「いくら深くしても変わらないんじゃねえか。かえって塩が溜まって危ないかもな」
「塩で足が滑るのは今までと同じだし、足場が安定しているだけ歩きやすくなったんだから、いいんじゃないか」
「うーん、使った人たちの意見も聞きたいな」
夕食の時間に鉱夫たちの間を回って気になったこと、前のほうが良かったことを訊いて回る。一番多く指摘されたのが、やはり距離が長くなったこと。次点で周囲が見えず、狭い通路が圧迫感があって、いい気分がしないこと。
「あとどのくらい登れば終わるのか分からないのもしんどいな」
「途中で塩をおろして休憩を入れる場所が欲しい」
「通路が狭いから、前にとろいのがいても追い越しづらくてイライラする」
今、塩を運搬している鉱夫たちは通路の作成にかかわってない。そのぶん、遠慮ない意見が訊けた。
「お前ら、文句ばっか言うんじゃねえ。楽になっただろ」
トーコが断りをいれた鉱夫の取りまとめ役が呆れたように言った。
「ううん、こういう率直な意見が訊きたかったの。通路の狭さについては安全との兼ね合いだからすぐには難しいかもしれないけど、現在地が分かるように、表示をつけることはできるよ。あと途中の休憩所は全然思い浮かばなかったけど、九十九折の折り返し部分に作ることは可能だと思う。広くすると上から狙われやすいから、避難所にはならないけれど、具合の悪い人や怪我人が出た時の救護所もかねていくつか作るのはどうかな」
「そこで勝手にサボるやつが出てくるぞ」
「距離が長くなったのは事実だし、休憩を組み込むのは無理? そのぶん、上の休憩時間を少し削るとか。距離を伸ばしたから心配だったんだけど、塩の運搬効率は落ちてないって聞いたから」
「それならいいかもな。一日で見ると、塩のひとりあたりの運搬回数は今までより、二回くらい増えているんだ。短い休憩を増やすくらいはできる。魔物がでなけりゃだが」
トーコのいない二日の間にも魔鳥は姿を見せていた。数は少ないし追い払えていたが、連日なので司令部で情報を交換した取り纏め役たちは難しい顔をしていた。おまけに、往路で出た強力な魔法を使うトカゲの魔物。
件のトカゲは夕食前にベアと共にトーコがユナグールのギルドへ送り届けた。事情が事情なので、ギルドに隣接する競売場に出して時間凍結魔法で保護している。
長く護衛の任を離れるわけにはいかないので、トーコはすぐに塩沼にとんぼ返りし、翌朝ベアを迎えに行くことになっている。今頃、第二弾、第三弾の護衛を送りこむにあたっての対策を考えていることだろう。




