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第28話 学校

トーコの悲鳴を背中にギルドを後にしたベアは、ユナグールのねぐらへ戻った。家主夫婦はベアが唐突に帰ってきたことにいまさら驚きはしない。ただこの日は一通の伝言を渡してくれた。トーコの学校の件を頼んだ学生だった。

「昨日も来ていたぞ」

「そうそ、学校が始まるまで日がないのに! って頭を抱えていたわよ」

ベアは少し考えてユナグール大学へ向かった。着いたころには陽は落ち切っていたが、件の学生はまだパウア研究員の研究室にいた。

「連絡のこと、悪かったな」

「よかった、来てくれて。もう学校始まっちゃいますよ。手続きが間に合わないかと思いました。明日にでもトーコちゃんを連れて行ったらいいと思いますよ」

「事前に行くのか? 学校が始まる前に?」

「もちろんですよ。面談があるんです」

「面談?」

学生は大丈夫かな、という顔になった。

「ええっと。念のため僕も行きますんで、明日の朝十時にここに来てください。トーコちゃんも」

「俺が行くのか? 保護者じゃなくて?」

「えっ、ベアさんが保護者なんじゃないんですか」

「違う。俺はただの師匠で、ヘーゲル医師が法律上の保護者だ。彼に来てもらったほうがいいのか?」

予想していなかった学生があやふやな顔になる。

「たぶん」

「では伝えておく。急患が入らなければ、まあ大丈夫だろう」

「念のため確認ですけれど、保護者と師匠、どっちが学費を出すんですか」

「本人だ」

「そのお金を管理しているのはどっちなんです?」

「本人だ」

「うーん、この場合、どっちが学校の言うところの保護者なんだろ? 取り敢えず三人とも来てください」

というわけで、ヘーゲル医師とベアとトーコは首を揃えてユナグール大学へ集まった。急な面談にトーコよりもバベッテが慌てた。

「なんでバベッテが慌てるんだ?」

「学校に着ていく服がないって」

「あるじゃないか」

ベアはトーコを見下ろした。今日は見慣れたローブもブーツも身に着けず、涼しげな麻のワンピースだ。

「よくわかんないけれど、バベッテ的にはこれがギリギリみたい。ベルトもポーチもつけちゃだめって。しょうがないからポーチごとポケットに入れてる」

「よく入ったな」

「入らないから、空間拡張してる」

そうこうするうちに、パウア研究員の学生が来て三人の格好を心配そうに見た後で、学校まで引率してくれた。

「案外うちから距離があるなあ。トーコ、通えるか」

「トーコにはたいした距離じゃないですよ」

「見えてきました。あそこです」

学生が指差して教えてくれた。

「あれが学校なの? 大きなお屋敷見たいに見えるね」

「昔はそうだったみたいです。ほとんど寮生ですけど、町の家から通ってる子もいます。女の子は僕が通ってた時には、兄さんと一緒に来ている子がふたりくらいいました」

「少ない!」

「そんなもんだよ。どっちも町から通ってる子だったから、寮は男の子ばっかりだった」

「へえ。仲良くなれるといいなあ」

面談してくれたのは厳めしい顔つきの校長先生だった。通り一遍の質問をしてから、トーコだけ別室で他の教師から試験を受けた。試験と言っても試験問題が配られて、というのではなく、教師が黒板に書いた問題を解いてその場で答え合わせだ。難しいことを訊かれたわけではなく、どの学年に振り分けるかの目安にするみたいだった。

さすがに同い年の子たちと同じ授業にはついていけないので、下の学年に入れられる。教科によっては更に下の学年に割り振られてしまうものもある。

「地理、歴史は第三学年からだね」

「国語は? 国語も自信がないんだけど」

「そのくらい読み書きができるなら、第五学年のクラスを受けたほうがいい。日常生活には困っていないようだけれど、この先他の科目の授業についていけなくなるから」

「そ、そっか」

「もし難しいようなら、授業が終わったあとにでも先生たちに聞きに行くといい」

「うん、わかった。ありがとう」

教師にっこり笑ってすばやく黒板に書きつけた。

「『うん』『わかった』『ありがとう』は友人や親しい人、目下の相手に使う。教師や目上の相手には『はい』『わかりました』『ありがとうございます』を使う。学校ではこちらを使うことが多くなるはずだから覚えておきなさい」

トーコは大急ぎでメモをした。


「「試験、どうだった」」

校長室に戻ると、ヘーゲル医師とベアが同時に尋ねた。

「わかんないけど、先生は親切でいい人だった」

トーコはあてにならないと見て、ふたりはトーコを連れて戻ってきた教師に視線を向けた。

「心配な部分もありますが、まあ大丈夫でしょう」

授業は週五日。八時から十三時まで。昼食は寮生は寮に戻って食べるけれど、通学生は家に帰ってもお弁当を持って来てもよし。午後は運動の授業があるが、これには女子は参加していない。

どうやら今いる女の子はひとりだけで、兄弟が通っているのでおまけで授業だけ出させてもらっているという立場らしい。トーコは本当に特別に入れてもらえたみたいだ。

「課業後は大学のほうに来てもいいよ。共同研究の件もあるし、この間ベアさんが言っていたことの検証実験もしたいから」

「勝手に行っていいのかな」

パウア研究員はいい人だけど、彼とお友達なのはハルトマンだ。

「大丈夫。うちの先生はいつだって大歓迎さ。もっとも、せっかく来てくれても不在ということはあるかもしれないけれど。今度アムル村へ行くんだ」

「もしかして、オオアゴバッタのこと調べてくれるの?」

トーコは声を弾ませた。

「うん。その前に出たヨツキバオオイノシシの件もあるし、人と魔の領域の境界が変わる前兆かもしれない。そうでなくても、どういうふうにして境界がかわるのか、発掘調査では分からない手がかりが得られるかもしれないからね。うちの研究室が留守でも、ゼッケ先生のところにでも顔を出せばいいんじゃない。あそこは最近研究室にいることが多いから」

「うん、考えてみる。ベアさんみたいにゼッケ先生と薬草について三時間熱く語り合うのは無理だけど」

ヘーゲル医師と教師が笑い、ベアは咳払いをした。厳めしい校長先生も少し表情を和らげた。

「共同研究とは頼もしいね」

「共同研究っていうと大げさだけど、ただ話を聞かれたり、ベアさんが魔物を融通しているだけなの」

「それでも簡単にできる経験じゃない。行くべきだ」

「これから秋の採集物が増えてくるから、研究室にお邪魔するのは、冬になってからでもいい? 去年の秋に採集した薬草類はもう殆どないの。秋のうちは採るだけ採って、冬になってから研究室に持ち込んだほうが効率いいと思う。夏から秋にかけては持ち込まれる薬草も多くて、ゼッケ先生も忙しいんじゃないかな」

「採集? それは魔の領域でかね」

「もちろん単独ではありません。わたしが同行します」

ベアはすばやく口を挟んだ。校長先生はベアを見た。

「失礼だが、魔の領域に子どもを連れて入るのは危険なのではないのかね」

「魔の領域は無条件に安全な場所ではありません。ですが、彼女も数か月の滞在ならば経験済みです。求めて魔物を狩るわけではありませんし、安全には十分注意しています」

「彼もこの道二十年のベテランだ。まずいようなら魔法で戻ってくるのは簡単だし、大丈夫でしょう」

ヘーゲル医師も後押しする。彼にしてみればヘーゲル家に住んでいるのか、魔の領域に住んでいるのかという有様なのに今更、という気分だ。校長先生は少し考え込んだ。

「おふたりがそうおっしゃるなら認めましょう」

トーコよりもベアがほっとした。日に数時間でもトーコがいれば秋の薬草の確保も捗る。魔物の活動が活発になり、魔の領域深くまで入る採集者が減っている。魔物に襲われたことによる離脱者だけでない。ベテランたちはいつも通り入り続ける者が多いが、危なっかしい者やそろそろ深いところへも挑戦しようという境界ラインのギルド構成員たちが用心深くなっている。

トーコの採集能力をあてにしないと、通常の流通量の確保も難しいと思っていたところなので、助かる。ただしこの日はトーコは学校の準備があるとかでバベッテにがっちり予定を抑えられていたため、再入域は翌日からになった。そして朝待ち合わせの時刻にギルドに現れたトーコは妙にへばっていた。

「どうした。体調が悪いなら」

「違うの。学校の準備が大変だったの。制服もないし、指定で用意するものもないから油断してた」

「油断?」

「教科書を自分で買うの知らなかったの。前は新学年に学校に行ったら自動的に全員に配られたから、てっきりそうなんだと。おかげで本屋さんを何件も探す羽目になった。それから服。夏前にも採寸したのに、どうしてもう一回しなきゃいけないのか、わけわかんない」

東門までの道々ぼやきっぱなしだったトーコも、門を出るとしゃっきりした。いつもの魔物避けの魔法一式をかけて草原を見渡す。

「草、だいぶ伸びてきてるねえ。また刈ったほうがいいのかな」

「暑いのもそろそろ終わりだ。これ以上は大丈夫だろう」

東門から前回採集を中断した湿地に飛び、再びシケツソウを集める。そのあとは草原に場所を移し、薬草を中心に採集する。さしものトーコも美味しいだけのものは後回しだ。

「ベアさん、こんなの作ってみた」

「板?」

明日から学校が始まるという、入域最終日、トーコがベアに渡したのはA四サイズ二枚の板を蝶番でとじ合わせたものだった。反対側に留め金がついている。

「こっちの模様のある板が上ね。開けてみて」

「封筒?」

中はベアがたぶんそうだろうと思った通り、空間拡張が施されていた。深さは封筒が立てて入るだけで、トーコにしては随分控えめだ。内部を四つに切るように仕切りが十字についている。トーコは横から手を伸ばして、真ん中の仕切り棒を押した。奇妙な凹凸のある仕切りを軽く指で押しただけで前後に動き、封筒が二列にぎっしりつまっている部分が現れた。

「結晶石を採りに行く連中に作ったあれか」

「うん。あれを封筒用にしてみた。最初に蓋を開けた部分以外だけ時間凍結がかかっているよ。左右には五つ、前後には十動く。で、これが見出板。これを差し込んで封筒を仕切るの。でっぱったところに文字を入れれば封筒をいちいち見なくても分かるように」

「見出板以外の内部は障壁魔法か」

「うん。これは試作だから三か月くらいしか時間凍結魔法をかけてない。仕切りの位置とか、動かせる数とか、色とか相談したくて」

「色?」

「うん。今見ているのがどのブロックか分かるように。左右は五つだからいいけれど、前後が多いから。勿論この数は変えられるよ。あまり大きくすると取り出すのにたくさん移動させなきゃいけないからふたつ目を作ったほうがいいと思う。それから、未使用の空の封筒と見出板をどこに置くか。この中に置いてもいいけれど、すぐ取り出せるように蓋のほうに置場を作るのも手だと思う。だけど、蓋の裏側はメモなんかを張るのに使ってもいいし」

どうやらトーコの脳裏では様々な思い付きが渦巻いているらしい。

ベアは自分の自家消費用とトーコに預ける持ち込み用の品を選り分けながら延々とアイディアを披露し続けるトーコの声に耳を傾けていたが、本当に際限がないので、明日があるから寝ろと言いつけてやっと黙らせた。


登校初日、ベアに行ってきますを言って、ヘーゲル家の子供部屋に転移したトーコは、バベッテと仕立て屋が大急ぎで用意してくれた通学服に袖を通した。と、階段を上がってくる軽い足音がしてバベッテが顔をのぞかせた。

「ほんっとに、ギリギリまで戻ってこないんだから!」

「え、まだ時間大丈夫でしょ?」

「朝ご飯早く食べちゃいなさい」

「食べてきたから大丈夫」

魔の領域では陽のあるうちが活動時間だ。朝ご飯を食べ、ひと仕事してきたあとである。

「じゃあ、お茶を淹れてあげる。持ってくものは大丈夫?」

「たぶん……」

トーコは昔バベッテが使っていたという鞄を覗き込んだ。初日なので、教科書やら、筆記用具やらで重い。ポーチに入れてしまえば楽なのだけど、ベアとヘーゲル医師からは学校ではなるべく魔法を使わないようにと釘を刺されている。

「あ、そのまま立ってて」

バベッテは持ってきたブラシをトーコの髪に軽くあてるとリボンを結んでくれた。

食堂に降りていくと、ヘーゲル夫人はもう終わって食後のお茶を飲み干したところだった。逆にヘーゲル医師はまだゆっくりしている。ふたりともバベッテと同じようなことを言った。

「いくらなんでも昨日の夜には戻ってくると思っていたよ」

「朝に戻るなら夜のうちに戻っても同じじゃないの?」

ううん、とトーコは首をふった。

「夜だってひとりよりふたりのほうが安全だもの。それに寝る前に魔力を使い切って魔力量をあげる修行もしているし。魔力切れの間はベアさんに見ててもらってるし、辞め時とかまだ自分で判断できないもの」

「そういや、そんなこと言っていたな。魔力まだ増えてるか?」

「うん、増えてる。やりすぎもよくないってベアさんが言うから、一晩にやる回数は一人でやってたときほど多くないけど、毎日やってる」

「まあ、ベアが指導してるんなら大丈夫だろうが、そうすると、学校が始まっても夜は向うか」

「うん」

「夜の魔の領域は危ないんじゃない?」

バベッテは心配そうだ。

「ちゃんと対策してるから大丈夫。もともとベアさんはひとりでも大丈夫だけど、わたしだってやってるもん」

「天候の悪い時だってあるでしょう」

「雨の日はお手軽に障壁魔法を張っちゃう。バベッテ姉さん、どうしたの、今更?」

珍しくバベッテがむくれているようなので、トーコは首をかしげた。笑いながら答えてくれたのはヘーゲル夫人だ。

「トーコが前のように、うちに戻ってくると思っていたのよ」

「だって、そう思うでしょう? あーあ、つまんない。アニもハルトマンさんもトーコもいなくなっちゃって、料理に張り合いがないったら」

嘆きながら渡してもらったお弁当をありがたく押し頂いてトーコは学校へ向かった。ヘーゲル家はユナグールの町の東区でもかなり東だが、学校は東区の北よりにある。徒歩三十分ほどの道のりで、メモした簡易地図を見ながら学校を目指す。通りの数を数えながら進み、道を間違えもせず、見覚えのある学校の屋根を見つけることができた。

普通の家の普通の扉のような入り口を通り、トーコは立ち止った。さて、どこへ行けばいいのだろう。目の前の通路にはなんの掲示も案内人もなく、がらんとしている。日と時間を間違えたのかと思ったら、背後の入り口が再び開いた。賑やかな一団が駆け込んできてトーコにぶつかった。自動的に障壁魔法が展開される速度ではなかったので、トーコはたたらをふんだ。

「わっ」

ぶつかったほうも驚いている。これ幸いとトーコは在校生に質問した。

「おはよう。新入生はどこへ行けばいいか知ってる?」

「えっ、新入生?」

「外国人!」

「女!?」

ディルクと同じ年頃くらいの少年たちが驚く。

「うん。今日からなの」

「えっと、上級生……?」

「科目によって第五学年生だったり第三学年生だったりなんだけど」

少年たちは困ったように顔を見合わせた。

「じゃ、先生たちがいるのはどこ?」

職員室で聞こうと思って尋ねると、少年たちの視線が一斉に上にあがった。どこかほっとしたように声をあげる。

「スコヴァ先輩、この人、新入生なんだそうですけど」

「どこに行ったらいいのか分からないって」

階段を降りてきたのはトーコにぶつかった子たちより年長の少年たちだった。中のひとりが集団を抜けてトーコの前に立った。

「そこから入ったの?」

「うん。ここが入口じゃないの?」

前に来た時はここから入ったのだ。

「そこは寮生用の通用口。たぶん、向うの入り口に級長がいるんだと思うけれど」

スコヴァは下級生たちに行っていい、と言うと、先に立って元来た階段を上り出した。

「キューチョーって何?」

「学年を取りまとめている生徒だよ」

トーコがついていくと、二階を移動して再び階段を降りた。今度の階段は通用口近くのよりも大きく、広かった。そして、降りた先の玄関広間は新入生と思しき小さい子どもと在校生らしき年長の生徒が数人いた。中のひとりに向かって手をあげる。

「カレル」

「おはよう、スコヴァ。彼女は?」

「今日からの新入生だって。間違って通用口のほうから入って来たから連れてきた」

「ありがとう。あとは引き受けるよ」

「案内してくれてありがとう」

スコヴァは再び階段を上っていった。さっきの仲間を追いかけるのだろう。何回も上り下りさせてちょっとかわいそうなことをした。

「ぼくはカレル。第五学年の級長をしている」

「わたしはトーコ」

「姓?」

「姓は鈴木。でもここの人には発音しにくいみたいだから、トーコでいいよ」

「わかった。トーコ、君のことはシュミット先生から聞いている。基本的にぼくと同じ第五学年だから、分からないことはぼくか、もうひとりの級長に聞いて」

「級長ってふたりいるの?」

「第四学年以上には各学年ふたりいる」

「第三学年以下は?」

「級長はいない。代わりに週当番がいる。級長は第三学年までの成績や素行や、いろんなことを総合的に見て先生方が指名するんだ。君のロッカーはここ。君の最初の授業はシェール先生だから、使わないのは全部いれておくといいよ。外套は今通り過ぎた廊下に掛ける」

ロッカーには名前も番号もない。トーコは端からの数を数えてメモした。

「シェール先生の教室はここ」

教室は想像していたよりも小さかった。ふたり掛けの長椅子と机が横三列、縦に三、四列に並んでいるだけだ。最大でも二十人しか座れない。

教室には他にふたりの生徒がいた。どちらもトーコとそんなに歳が違わないように見える。カレルはトーコを従えておしゃべりを楽しんでいる様子の彼らの前に立った。

「おはよう」

「おはよう、級長。今日は早いね」

椅子に座った小太りの少年が言った。その前の机に座った活発そうな少年ともども珍しそうにトーコを見た。

「おはよう。どうしたんだ、寮生はまだ来ない時間だろ」

「新入生の案内だよ。彼女はトーコ。今日からぼくらのクラスだ。ただ、課目によっては下級生のクラスに出る。トーコ、座っているのがエンケ、行儀の悪いのがヴォルフ。ヴォルフ、机から降りろ」

ヴォルフ少年は肩をすくめて机から滑り降りた。

「ヴォルフだ。女の子って珍しいよな。第三学年かどっかにひとりいたと思ったけれど」

「からかうのやめなよ、ヴォルフ。初めまして、トーコ。ぼくはエンケ。もうひとりの女の子はヴォルフの妹だよ」

「彼らも君と同じ自宅通学生だ。それじゃあ、ぼくは他の新入生の案内があるからこれで」

「ありがとう」

級長が出ていくと、ヴォルフはさっそく机に座った。

「トーコってどこの国の人? 俺、前は南区に住んでいたから外国人は見慣れているけど、君みたいな人ってあんまり見たことないな」

「日本って国。学校で習う地図には出てないみたい」

「凄く遠い辺境から来たの?」

「ヴォルフ、失礼だから。ごめんね、こいつ聞きたがり屋なんだ」

エンケが友人の代わりに謝った。

「ううん、平気。自宅から通ってる子ってほんとに少ないんだね」

「ユナグールの東区に住んでいるのでなければ、みんな寮だね。トーコはどこに住んでいるの?」

「東門のほう。東門とギルドの間あたり」

「エンケとぼくはどっちかというと南区よりなんだ。帰りは一緒になれないね」

「どのみち、男の子は授業のあとに運動があるんでしょ?」

ヴォルフが軽く肩を竦めた。

「妹は運動が終わるまで学校で待ってるけどな」

「仲いいんだね」

なにげなく言うと、ヴォルフは性懲りもなく尻を乗せた机から転げ落ちない勢いでのけぞった。

「そんなわけないだろ! きょうだいの中で一番相性が悪いんだ。頭はいいけど、何考えてるのか分からないし、言うことがほんっとに頭にくるんだ。あーあ、あいつさえいなきゃ、他の皆みたいに寄り道できるのに」

お兄ちゃんも大変なようだ。

三人でおしゃべりしていると廊下が騒がしくなった。寮生たちが登校してきたようだ。トーコはエンケの隣に席を確保した。どっと生徒が入ってきて、あっという間に席が埋まる。ヴォルフはエンケの机から降りて仲の良い学校友達のほうへ行った。家が近いのと、学校の友達は別みたいで、エンケの隣にいるトーコを見て当ての外れた顔をして後ろの席へ行く子がいた。座席は指定ではないが、なんとなく座る場所が決まっているらしい。

最初の授業に現れたのはトーコの試験をしてくれた若い教師だった。簡単にみんなにトーコを紹介して、新学期だというのに普通に授業に入る。トーコは真新しい教科書をパタパタとめくった。


「教科書は先に読んでおかないとだめだった。いきなり途中から始まってびっくりしちゃったよ~」

「帰って勉強しなくていいのか?」

合流するなりしゃべりだすトーコにベアは訊ねた。最初からついていけないというのはさすがにまずいのでは。

「んー。とりあえず様子見」

「いいのか、そんな呑気なことで」

「だってシェール先生がそう言ったもん。次の授業がわたしが受けないのだから、そこで前の授業の何が分からなかったのか確認しようって」

「ずいぶん親切なんだな」

「うん。最初は授業についていくのが大変だと思うから、シェール先生と単語帳を作ったの」

「単語帳?」

「よく授業に出てくるフレーズとかから覚えてるの」

「そこからなのか……。学校、難しいんじゃないか。ついていけるのか」

安直に学校に行きたいなら行けばいいと思って手配したのだが、ハルトマンの話や実際の学校を見てどうも選択を誤ったような気がするベアである。心配するベアと対照的にトーコはけろりとしている。

「まだ、一日行っただけだもの。分かんないよ。でも、先生も友達も親切だよ」

「友達ができたのか」

ベアは少しほっとした。

「うん、同じ学年の町から通ってる子たち。隣の席で色々聞けるから助かる。そのうちのひとりの妹さんも通ってて、いくつかの授業がわたしと同じなんだけど、その子にはまだ話しかけられてない。なんかね、こう……わたしに話しかけるな!オーラがでてるの」

トーコが怪しげな手つきをする。なんだそれは。

「とっても頭がいいんだって! 女の子って他にその子しかいないから仲良くなりたいんだけどな」

「女の子はふたりだけなのか。少ないな」

どうやらハルトマンの予測どおりのようだ。

「夏休み前にはもうひとりいたけど、お兄さんが卒業したのを期にやめたって。ひとりで通学できないって不便だよね」

「トーコも学校への行き帰りには気をつけろ。トラブルになりそうだったら、ヘーゲル家に転移しろ」

学校に行く服装だとトーコは魔法使いにもギルド構成員にも見えない。

「うん、わかった。あ、ベアさん、クサブドウがもう熟してる気がする。これ、どう?」

「ああ、先週より色づきがいいな。採っていいぞ」

「やった」

「それからこれがモモワレギク。花が咲く直前の蕾を乾燥させて保存する。胃や消化器官が荒れた時なんかに使う他に、煮出した汁を荒れたりかぶれたりした皮膚に当てる。この先にたくさんあるようだな。花の時期が長くて次々に咲かせる」

「白い花の絨毯みたい。可愛い花だね。これすこし摘んでもいい?」

「観賞用か?」

「うん。いい香り~」

「採るのはいいが、扱いには気をつけろ。一番効能が高いのは蕾だが、昔は茎や葉ごと干して使った。小さい子どものいる家には持ち込むな」

「うん。茎や葉っぱも本当なら使えるの?」

「むろんだ。俺が新米だった頃は湯に浸けて皮膚病の患者が沐浴に使っていた。茎や葉ごと刈るよりも蕾だけ摘んだほうが長い期間採集できて嵩張らないうえにいい値がつくから、最近じゃほとんど持ち込まないんじゃないか。ちゃんと干さないとかびるし、嵩があれば干す場所も確保しなければならない」

「モクヨク、って何?」

「風呂だと思えばいい」

「お風呂かあ。ゆず湯とかしょうぶ湯みたいなのかな。冬にやりたいなあ。肩までゆっくり浸かって……」

トーコが妄想に浸っている間にベアはずんずん歩いて行ってしまう。トーコのおしゃべりに付き合っていたら明日になってしまう。慌てて後を追いかけるトーコの探査魔法に魔物がひっかかった。

「ベアさん、千メートル右前方にネグイがいる。四匹。このままだとぶつかりそう」

「ここで止まってやり過ごす。相変わらず数が多いな」

追いついたトーコはベアの顔を見上げた。ふたりとももう慣れっこだが、気になったので聞いてみる。

「親子ならふつうじゃないの? 四匹くらい産んで半分くらいが育つんでしょ?」

「もう親離れしている季節だ。きょうだいだな。草原に出てくるなんて珍しいが」

「木の根をよく掘ってるもんね」

「子育て中でなければそんなに警戒する必要もないが、今年は予想外の事が多いから用心にこしたことはない」

トーコは頷いて、魔物に気が付かれないための各種魔法をかけ直した。ネグイに気が付かれないように採集用の魔法も収縮させる。ベアが草の中に腰を下ろしたので、トーコも真似して座り込む。

「ネグイもあまり増えると困るな」

ポーチから手入れする道具を出しながらベアが呟く。

「木の根をだめにするから?」

ネグイ自身は肉食なので名前に反して木の根は食べないが、木の根に寄生して樹液を吸う幼虫が好物でこれを探して地面を掘り返す。爪が鋭いのでついでに木の根を痛めるのだ。少々なら可愛いものだが、周囲をぐるりと掘り返されて枯れた木を見たことがある。

「ああ。冬毛になったら少し狩るか……」

美しい冬毛と鋭い爪には需要がある。ヨツキバオオイノシシと違って肉がおいしいとも聞かないのでトーコは興味なかったのだが、ベアは懸念があるようだ。

「ネグイって虫とかネズミとかを食べるんだよね。あんまりネグイを減らすと今度は、餌だった魔物が増えない?」

「なにも根こそぎ駆除しようというんじゃない」

「うーん、木のほうを保護できればいいんだけど、根っこって難しいなあ。幹だったら、障壁魔法で覆っちゃえばいいんだけど」

「障壁魔法と言えば、カタツムリの殻を作っておくか……」

「カタツムリの殻ってカタツムリじゃなくても作れるの?」

「今のは比喩だ。このところ魔物が増えているからな、障壁魔法に時間凍結魔法をかけた寝場所を作っておいて、そこで寝るようにしたほうがいいかもしれん。トーコも夜中に何度も探査魔法に起こされたくないだろう」

「雨の日にいつも作ってるようなの?」

「別に作業するわけじゃないから、人ふたり横になれれば十分だ。封筒から出してどこででも使えるような小さいのがいい」

トーコは障壁魔法を展開し、ベアの隣に建てた。ベアの背丈に合わせて縮め、横倒しにする。上部を切り離してみる。

「棺桶みたいだな……」

「あはは、わたしも今同じこと思った! 雨の日に水が入ってくるから上に蓋するのはなしだね。やっぱり横から出入りできないと。地面からの高さをつくるよりも入り口を少しあげたほうがいいのかな。外からヨツキバオオイノシシなんかに体当たりされないようになるべく低くしたいよね」

「いまのでいいんじゃないか」

「え、これ?」

障壁魔法を粘土のようにこねくり回していたトーコは障壁の動きを止めた。遊び半分に作った犬小屋が目の高さに浮いている。

「地面からの高さもあるし、軒も長くて雨が吹き込まなそうだ。安定もいい」

トーコはまじまじと犬小屋を見た。言われてみればベアの言う通りだ。

「中は拡張すればいいんだもんね。置場が平らじゃないと使いにくいけど」

「草原で使う分にはいいだろう」

「中身はこのくらい?」

「もっと小さくていい」

「雨の日のために、濡れたローブと靴を脱ぐ場所は欲しいよね。空気穴は一応四方向に作っておいて、開け閉めできるようにしとこう」

「手を入れるのはそこまででいいぞ」

採掘組の空間拡張容器やベアの封筒入れのように、凝り出したら止まらないトーコなので、ベアは打ち切りを言い渡した。残った時間、ポーチの中で加工作業しているうちにネグイは去った。

 その晩はさっそく小屋の中で寝てみる。二畳ほどの小さな空間だが、多少床ががたつくくらいで充分な代物だ。ただしトーコはベアと違って出来栄えに納得できない様子で、カイゼンテンとやらを手帳にひっきりなしにメモしていた。

「透明の障壁魔法の中で寝ると、お日さまが早いね。目がさめちゃった」

学校に遅刻しないようにヘーゲル医師に借りた懐中時計で時刻を確認し、トーコはごそごそと起き出した。探査魔法で魔物がいないのを確認してから魔物の目と鼻をごまかす魔法一式かけて外へ出る。

たっぷりの朝露に濡れた草が朝日でキラキラしている。暦の上では秋になったが、夜はまだ暑く、寝汗をかいていたので水魔法の簡易風呂に入ってさっぱりした。

「真夏に使うなら、もうちょっと風通しよく作らないとダメだなあ。壁じゃなくて網戸状にしてみようか」

思いついたことをメモしたら、草の一部を刈って竈を出す。朝食の鍋を火にかける間に、ちょっと考えてテーブルとイスも出す。

「おはよう。何をやっているんだ」

「ベアさん、おはよう! 宿題してるの。ここから、ここまで読んできなさいってシェール先生が」

「……そういうことは昨日のうちに済ませておくもんじゃないのか」

「そんなにページ数ないから大丈夫。それに秋のうちは忙しいって言ってあるし」

トーコの手元に目をやり、怪訝そうな顔をした。

「なんの科目だ。その先生は国語を見てくれているんじゃないのか」

「地理。他の教科の教科書を教材にして教えてくれているの。授業についていけないと困るから。地理は今日は二時間目」

「先生も大変だな」

顔を洗って身支度したベアは鍋の中を覗いて、せっかく机が出ているのでパンを切った。ついでに昼食用にサンドイッチでも作るか、と材料を出していると、ふと妙なものが目に入った。教科書の隣に並べたトーコのノートに文字が浮かび上がろうとしていた。

キリナン王国。アユラ半島の南半分と周辺海域の島々を領土とする。国土の大半が高山であり、周辺を海に囲まれているため、農業は未発達。起伏の多い国土は山岳によって分断されている。

焦げたような茶色の文字が濃度を増し、定着したのを確認するとトーコはペンを取り上げて短い文章の下にせっせ と文字を書き入れはじめた。アユラ半島ってどこ? アユラ半島の北半分はどこの国? その国との関係は? 周辺海域の島々ってどこにいくつくらいあるの?  光る結晶石が漂着するカンクス海岸はどこ? 島の規模は? 農業が盛んでないなら、林業・漁業の状況は? 国土の広さはバルク公国と比べてどのくらい?  人口はどのくらい? 政治体制は? 主な都市は? その規模は? 歴史は? 住んでいる民族と主な言語は? どんな家に住んでいるのか? どんな服を着 ているのか? どんな料理を食べているのか?

たちまち無数の疑問符で紙幅が尽きる。よくもそれだけ疑問が浮かぶものだと、ベアは呆れるやら感心するやら。ページをめくってトーコが嬉しそうな声をあげた。

「やった、成功!」

「何が成功なんだ?」

「これ!」

トーコがめくって見せた次のページは真っ白だ。

「何もないように見えるが」

「そーなの! やっとできたの! ギルドの掲示板を毎回板に文字を焦がして写してるでしょ? 毎回たくさん板を使うから、これを紙にできないかなって思ったんだけど、どうもやりすぎて文字部分が焦げ落ちちゃうの。やっとうまくできた!」

「ほう」

相変わらず労力を払うに値しない部分に手をかけているが、精度の高いことをやっている。コントロールの訓練としては充分だ。

「ある程度厚みがないと裏側に書き物するのは無理だけど、これくらいなら何とかなる。今はまだ調整を慎重にやらないとできないから時間かかるけど、もうちょっと上達すれば、ギルドの掲示板を写すのにも板削らないで済みそう~」

「それはいいが時間は大丈夫か?」

「大丈夫くない!」

へんてこなバルク語で叫び、トーコは慌てて教科書を写すだけ写して、ベアが整えてくれた朝食の席についた。遅刻はしないが、ぐずぐずしているとベアの活動が遅れる。魔の領域からヘーゲル家に転移し、バベッテに髪がぼさぼさ! と叱られながらブラシを使う。リボンのオプションは登校初日だけかと思ったら、今日もだった。トーコが自分でやるとどうしてもリボンがさかさまになってしまい、結局バベッテにやってもらい、嘆かれる。

「自分のリボンを結べない十五歳の女の子なんて、トーコが初めてだわ。五歳ならともかく」

「今までリボンなんてしないかったもん。これだってすぐ頭から落ちちゃうし。せめて輪ゴムが欲しい……」

「トーコの髪はまっすぐだから滑るのよねえ」

「昨日のリボンもなくしちゃうし」

「一日でなくしたの!?」

「だっていつの間にかなかったんだもん! 探したけど心当たり多すぎて……。あ、だってはダメなんだった。今のなし」

「ダメ?」

「ベアさんがだって禁止!って」

バベッテは笑った。

「意外と厳しいのね。あら、もう行くの? お茶のお代りは?」

「宿題終わってないから早めに行ってやらなきゃ。行ってきます!」

ヘーゲル家を早めに出て学校へ行ったトーコだが、入り口は閉まっていた。門は移動魔法で飛び越えたものの、建物の中に入れない。そこまで特別に早起きして行ったつもりはなかったので、トーコは立ち往生してしまった。でも考えてみれば、ここの生徒は寮生で、当然寮の時間規則に従って動いているし、寮は目と鼻の先だ。運動部の朝練があるわけでもないので、早くに開ける理由はないのだった。

しょうがないので、玄関前の階段に座って宿題をやっていると、暫くして門の開く音がした。

「おや、随分早いね。忘れ物?」

「シェール先生! 宿題が終わってないから学校の机でやらせてもらおうと思ったの」

「じゃあ、先に鍵を開けてあげるから、先生の教室に行っていなさい。どこまでなら終わったの?」

トーコはノートを渡した。歩きながらページをめくったシェール教師はなんとも言えない顔になった。

「地理の授業の予習としてはこれでいいけれど、先生の授業の予習としては不合格だ」

「えっ! 分からなところを書き出すんじゃないの?」

シェール教師は苦笑ぎみにトーコを見た。

「なるほど、ちゃんと言わなかった先生も悪かった。明日は、写した文章をすべて文法に分解してごらん」

「昨日やった主語とか述語とかのこと?」

「そうだ。君の文章は大体あっているけれど、文法や綴りに間違いが散見される。間違ってはないけれど、もっとスマートな書き方がいくつもあるものも。せっかくだから、今日はこの辺も一緒に直していこう。正確に伝えるために、書かれたことを正確に知るために、文法はとても大事なんだよ」

「うん。じゃなくて、はい」

学校と魔の領域の往復は危なっかしいながらもまずまずの滑り出しだった。シェール先生は親切だったし、他の先生たちもトーコにはわかりやすい比喩や優しい言葉を使ってくれる。ただ、自宅通学生以外のクラスメイトたちからはなんとなく煙たがられているようだった。学年を問わず、トーコが通ると話が不自然に途切れたり、じゃれあっていた男の子たちがさっと座を解いたりする。まるで口うるさい教師が通りかかったのと同じだ。トーコとしてはちょっとへこむ。

しかしそれも、第三学年での授業よりはましだ。ほんのふたつ歳が違うだけなのに、髪は引っ張る、紙飛行機は飛んでくる、聞こえよがしに「女が学校に来るな」と言う。相手は子ども、相手は子ども、と自分に言い聞かせて我慢する。

第三学年にはトーコと同じ自宅通学生のヴォルフの妹がいるのだが、こちらは仲良くなるどころか、挨拶すらスルーされるありさまだ。初回の授業は登校初日三時限目にあったのだが、教室の一番前に陣取っていた彼女は一心不乱に教科書を読んでおり、トーコが自己紹介すると、さも迷惑そうに眼をあげた。

「はじめまして、よろしく。それで、なに?」

「挨拶したかっただけなの。邪魔してごめんね」

それきり視線を教科書に戻されてしまったので、トーコはすごすごと後ろの席へ戻った。ヴォルフの妹の席のとなりは空いていたが、一番年長のトーコが前に座ったら後ろの子が黒板を見るのに困るはずなので、隣の席になって仲良くなる作戦は使えない。

次の授業も第三学年だったので、移動を一緒に、と思ったらトーコが片づけ始めた時にはもう席にいない。場所が分からないので、他の子について教室を移動したときにはやはり同じ位置で教科書を開いている。全身から「わたしに話しかけるな」オーラが漂っていたので、トーコは話しかけるのをあきらめた。トーコみたいに予習を今やっているなら、邪魔しちゃ悪い。

「え、そんなわけないよ。予習も復習もぼくらが運動している間に終わらせてるし、第一学年の時から成績は一番だもん」

第五学年の授業に戻ってきてトーコが首尾を報告すると、エンケ少年があっさり言った。

「学年で一番? すごいね。わたし、第五学年どころか、全学年でたぶんビリなのに」

「できるのはオベンキョだけさ」

トーコは感心したが、兄のヴォルフは苦々しげだ。

「女が勉強できたって何にもなりゃしないのに」

「え、そう? わたし、学校で習ったこと、結構、毎日の生活で役に立ってるけど」

「女の子は学問で身を立てるってわけにはいかないから。トーコはどうして準備学校に通おうと思ったの? ヴォルフの妹みたいに勉強が好きってわけじゃないよね」

「まさか! 学校に行かなくなってから、学校で習ったことがちゃんと役立ってるって実感して、もっとちゃんと学校の勉強をやっとけばよかったなあ、って後悔したから。皆みたいに上の学校に行って専門的な学問を修めるのが目的じゃなくて、もっと広く浅く、一般的なレベルでの知識を身に着けるのが当面の目標かな」

エンケが不思議そうに目を瞬いた。

「そういう目的で準備学校に来る子って珍しいと思うけれど。なんで、うちの学校なの?」

「ベアさん、えっと、わたしの師匠の知り合いのユナグール大学の先生のとこの学生さんが母校に口をきいてくれたの」

「要するに、ただの卒業生の知り合いかよ」

ヴォルフの口調は呆れていた。

「うん」

「前の学校って町の初級学校?」

「そんなとこ。数学なんかはまだいいんだけど、地理と歴史が最初から全部やり直しだよ~。文法もわたしの国の言葉とまるで違うし。何が大変って、先生の言っていることを理解するのが大変!」

ふたりが笑ったところで次の授業の先生が来たので話はおしまいになった。

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