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第27話 結晶樹の異変

翌日、ベアはトーコと合流して仮設の虫小屋へ飛んだ。

トーコをエサ取りの手伝いに追い出しておき、採掘組と虫小屋の親方だけに、ハルトマンから聞いてきた話を伝えた。魔力や歴史云々はぴんとこなかったようだが、魔の領域の生物が勢いを増しているのは日々目にしている。いずれ溢れるかもしれないという話についても、既に越境しているので特に驚きもしなかった。

「このところ、魔物との遭遇も頻繁だし、これがもっと酷くなるってだけだろう。荒唐無稽でも理由をつけてもらって落ち着いたよ。いや、腹がくくれたということかな。今のうちに採掘できるだけして、いつでも撤退できるようにする」

「合流予定は今まで通りで。撤退するなら、その時にユナグールまで送ろう」

「助かる。タイミングが合えばよろしく頼む」

「今、寝泊りしている場所は安全か」

「一応な」

「すると危険なのはここへの往復か。カタツムリみたいに障壁魔法の殻でも持っていくか?」

「そんなものを使う羽目になる前に撤退するさ」

採掘組は肩を竦めあった。虫小屋の親方がベアに声をかけた。

「ベア、ひょっとしたらうちも頼むかもしれん。虫もそんなに増やしていないし、こうなると女は先にユナグールに返したほうがいいかもしれんなあ」

「いっそ、全員でユナグール近くの草原に移動するのも手かもしれんぞ」

「最悪、それも考えておく」

親方は気の進まない顔で言った。コハクチュウの飼育には広い占有場所が必要なのだ。虫箱の設置だけでなく、餌の確保や、臭いのために。

ベアは情報交換を終えると彼らと別れ、トーコを連れて再び湿原に行った。目当てはシケツソウだ。先日大量に採取したのに、もう水面を覆い尽くしており、ベアは異常なほどの増殖力に内心で舌を巻いた。

「全部採ってしまって構わん」

トーコをけしかけてローラー作戦で大量のシケツソウを集める。翌日も水上を移動しながら湿地での採集を続けた。

「ベアさん、もっと東に行くの? もうすぐ千年樹の森を超えちゃうよ」

「この先にもシケツソウはあるか」

「あるけど、ヒバスのほうが多くなってくる。シケツソウなら採った後で水上を行けるけれど、ヒバスだとボードを浮かせないとダメだと思う」

「ヒバスか。まだ実があればそれも欲しいな。もう少し行ってみよう」

採集をトーコに任せ、ベアは残り少ない夏の採集期間をどう割り振るか悩んだ。外傷に効く薬の原料となる薬草を多く採っておくべきだろうが、シケツソウほど効率の良いものは少ない。もうすぐトーコの学校が始まることを考えると、あまりあちこちに行っている暇もない。そして、昨年の秋時点で採集した薬草類はもうほとんど使ってしまっていて、再度採集する必要がある。

「……トーコ、学校が始まってからもしばらく週末に採集できるか」

「えっ」

「学校の様子を見ながら、できるときだけでいい」

「ベアさんと合流するの?」

「ああ。悪いな」

「大丈夫! いつでも行ける!」

トーコが勢いよく振り返ったので、ベアは上体をそらせた。

「いや、学校が休みの時で、トーコの都合のつく時にだ。毎週とはいかんだろうが」

「平気! ディルクのところは週五日だって言ってたもん!」

ヘーゲル医師の長女ビアンカの亡夫の弟で、ヘーゲル医師の魔法の弟子であるディルクは十一歳だ。わからないことは現役学生に聞けばいいだろうと思ったら、ドンピシャ彼は初級学校ではなく準備学校に通っているという。そこで根掘り葉掘り聞いたのだが、学校は午後もあって平日は魔の領域に飛んだとしても二時間くらいしか活動できなそうだった。寮生も多く、学生は結構いろんなところから来ているという。

「ディルクの学校に女の子はいないみたいだけど、初級学校以外に女の子だけの学校もあるんだって。というか別が普通みたい」

「ほう、そうなのか」

「ディルクだって、休みの日はよくヘーゲル医師のとこに来ているんだから、わたしだって出来るよ!」

トーコは怒涛の勢いで言葉をつづけた。

「採集も新しい方法がうまくいけばもっと効率よくなるよ」

「新しい方法?」

トーコは一瞬がっかりした顔をしたが、すぐに立ち直った。

「昨日からやってるの。新しいって言っても、単に採集用の封筒を適当なところに配置しているだけなんだけどね。この間のギルドの駆除作戦の時に回収用封筒を狩人の人ごとに作ってそれぞれ回収したじゃない。そうしたら、移動魔法で運搬させる距離が短くなって全体で見ると思ったより魔力を消耗しなかったの。最初ちょっと混乱してもたついちゃったけれど、普段の採集なら、一番近い回収封筒に入れればいいだけだから、とっても楽だし簡単」

「そういえば、今日はこっちにあまり採集物が飛んでこないな」

「うん、いつもは真横から後ろに探査魔法を伸ばしているから歩いた後ろから採集物が飛んでくるけれど、シケツソウを取り除かないとボードが前に進めないから、今は斜め前二か所に封筒を置いてる。ここで集めてるのはシケツソウだけだけね。他のは通り過ぎた後にいつものやり方で採集してる」

「後ろには封筒をいくつくらい飛ばしているんだ」

「後ろ四か所に十枚ずつくらい。湿地だから十枚ですんでいるけれど、草原だともっと沢山必要になりそう。あまり大量に採れないのはここまで引き寄せてる」

「封筒を増やすのもいいが、採集用のポーチをつくったほうがいいかもな」

「採集用のポーチ?」

ベアはトーコの腰に付いたベルトポーチに視線を向けた。

「今日採ったものだけを一時的に入れておく容器だ。封筒がばらけたり濡れる心配がない」

トーコは目と口を丸くした。確かにそうだ。

「おお~っ! さすがベアさん! あったまいい!」

トーコはさっそくメモする。なんでこんな簡単なことを思いつかなかったんだろう。もっとしっかりしなきゃ。

取り敢えず、ポーチの代わりに使い古しの封筒を今封筒を飛ばしているところへ送る。封筒の中に入れ子にしてそれぞれ種類別に納めるようにする。

余った魔力を封筒づくりではなく、そのまま保管するようになって気がついたらあんなにたくさんあった封筒が減っていたのであまり詳細に分類できないけれど、これが巧くいくようなら採集用封筒も作っておくこと、とトーコはメモした。いつもの文房具屋さんに注文しているけれど、届くのはまだ先なのだ。

しかし、これはこれでいいやり方だった。一日の終わりにちゃんと採集物を封筒に空けてまとめないと翌日困るので、後回しにしがちな整理整頓を絶対に後日に持ち越さない。

「ベアさん、このやりかたすっごくいいよ。魔力の省力化もできて一石二鳥!」

夜、野営地で中身を移し替えた封筒に詳細を書き込みながら、トーコはご機嫌だ。

「トーコ、魔の領域だが、以前よりも魔力が増えていると思うか」

「え? 採集している植物の魔力はそんなに変わらないと思うけれど。大型の肉食魔物は魔力量には多少の個体差があるけれど、そういう意味?」

「いや、魔の領域全体での話だ」

「全体で? ごめん、そういう風に見たことないから分からない」

トーコはすまなそうに眉端を下げた。

「まあ、普通はそうだろうな」

魔の領域の魔力がこれからも増えていくのか、それとも下降に入ったのか、トーコなら分かるかもしれないと思いついたのだが、比較対象があいまい過ぎたようだ。いつもの年と違うか、と尋ねてもまだ入域して一年未満のトーコがわかるわけもないし。どうしたものか。

「ベアさん、動物は難しいと思うけれど、植物で試してみる? クロザクロとかナガクサカズラの実は植物にしては比較的魔力が多いから、同じように実が成ったら、去年のと比べてみようか? それともそれじゃ遅い?」

「なるほど、その手があったか」

クロザクロもナガクサカズラの実も去年トーコが採集したままのものがある。これからが採集時期だから、両方を比べることが出来る。

「でも、木全体で比較できるわけじゃないから。うーん、一番最初に採った木だったら、なんとなく覚えている気がするんだけど、あれってどこだったっけ?」

「覚えていないな」

「だよねえ。他に魔力の多い木っていうと……結晶樹?」

「結晶樹か」

「ただし、こっちは魔力の塊みたいな実を前回結構とっちゃったし、単純に比較しきれるか自信ないけれど」

「取り敢えず、行ってみるか」

ちょうど場所も近い。湿地の採集を切り上げたふたりは翌日、北にある千年樹の森へ入った。森の採集をしながら北上を続け、そして異変を目の当たりにした。

「森が枯れてる……」

トーコは枯死した木々を呆然と見渡した。

「毒か? トーコ、呼吸に気をつけろ。ここを離れる」

「待ってベアさん。違う。これ、千年樹の魔力の影響だと思う。ベアさんが言った通り、千年樹の魔力が強くなって、他の生物が生きられない範囲が広がっているんだと思う」

その場を離れようとしたベアを押しとどめ、トーコは緊張した顔を北へ向けた。

「ここ、前に千年樹の近くの岩場にそっくりな感じがする」

「だとしたら、異変があったのは夏以降だな」

ベアは枯れ木の枝を見上げて言った。枯れて縮んだ木の葉が枝に残っているが、その大きさはどう見ても春先の物ではない。立ち枯れた木は視界を埋めている。かなり広範囲が新たに千年樹の影響下になったようだ。

「千年樹の周囲の木のない範囲では磁石も方向感覚も狂う。絶対に俺の手を離すなよ」

ベアは手近の木にツムギグモの細いロープを結んだ。最悪でもロープを辿れば元の場所へ戻ってこれるように。いつもなら、多少方向感覚が狂っても範囲自体は狭いので、こんなことはしないが、ただでさえ魔法の使いにくい千年樹の傍で用心にこしたことはない。

途中でロープを繋ぎ足しながら、慎重に進む。ふたりの靴の裏で枯葉がはかない音を立てて砕ける。

「生き物が全然いないね」

「探査魔法は使えるのか」

「使えるけれど、雑音の酷いラジオみたい。えーと、つまり精度は低いって意味」

「無理はしなくていい」

トーコは青い顔をして息も苦しそうだ。ベアも重くのしかかる魔力を感じる。反射的に逃げたくなる本能を押さえつけて、歩き続ける。この感覚には覚えがある。そうだ、火竜の偵察をした時だ。絶対かなわない大きすぎる存在を前にして逃げようとする本能をねじ伏せて火竜を観察したあの感じ。

「このあたりからいつもの境界だな」

長く千年樹の支配下にあった場所にはどこからか吹き寄せられた落ち葉や小枝にまみれた岩場がある。土に返ることのないただの堆積物。

ベアはロープに目印の結び目を作り、両手がふさがったまま苦労して岩場を進んだ。普段ならよじ登る場所もトーコが不安定ながら移動魔法で自分たちを持ち上げ、なんとか進む。そしてあらわれた光景にベアもトーコも絶句した。

「何これ……」

ベアもしばらく茫然自失の態だった。二十年魔の領域に入っていて、これほどの異様な光景を見たことがない。

「これ、同じ樹だよね?」

「そのはずだ」

ベアは掠れた声でやっと答えた。千年樹の根元は無数のきらめく結晶が覆っていた。

「結晶樹の実って熟して落ちるのに十年かかるはずなのに」

魔物がいつもより多くの仔を産み、育ちあがっている。植物も魔物の異常な増殖に負けぬ勢いで育っている。同じことがまさか千年樹でも起こっていたのか。

トーコでなくても見間違えようなどない。もともと魔力の塊のような樹だ。樹と呼ばれていても、水と太陽と空気ではなく、魔力を糧に成長する結晶樹に光合成のための葉はなく、幹枝に色はない。土地の魔力を吸い上げ発散し、十分な魔力を蓄えた実を落とす。いわば一番魔の領域の魔力の変異の影響を受けやすい樹だ。

「前より樹が大きくなってる気がする。わたしがぶらさげた看板、あんな高くなかったはずだよ。でも、前に来てたったの八か月前だよ!?」

「気のせいじゃない。落ちた実はすべて回収してなるべく早く森を出る。長居しないほうがいい」

「分かった」

やるべきこと、すべきことを指示されたトーコは少し落ち着くことができた。不安定ながらも移動魔法で落ちた実を拾い集め、ロープを手繰って元の場所に戻る。枯死した森を抜け、いささか元気がないものの、緑の葉をつけた木々や下草の中に戻ってきたときには、どちらともなく大きく息をついてしまった。

「びっくりした。自然の力ってすごいね。想像以上のことがおこるんだもん」

「ああ、そうだな」

トーコほど純真ではないベアは言いようのない不安と敵意にも近い畏れを抱いた。危険だという理由のない思い。圧倒的な存在の前で自分の無力さ卑小さを見せつけられた思い。それらがないまぜになって身のうちで渦巻いている。

「ベアさん? どうしたの?」

「いや、急いでギルドへ行く」

ベアはトーコの手を引いて足早にその場を立ち去った。

湿地へ出て十分千年樹から離れてからベアとトーコはユナグールへ転移する前に空へ飛んだ。上空から森を俯瞰すると、一部がほぼ円形に茶色く枯れているのが分かる。以前来た時は冬だった。千年樹に近い部分はあの時すでに枯れていたのかもしれないと思うと背筋が寒くなった。この先どこまで森が枯れるか不明だが、早々に収まってくれないとまずいことになりそうだ。下手をすれば、<深い森>は壊滅する。


ユナグールのギルドは夕方のもっとも混雑した時間帯だった。ベアは列を無視して、馴染みの元狩人の職員の前に強引に割り込んだ。

「ギルド長はどこだ」

「出かけている。緊急事態か?」

押しのけられた男が文句を言おうとして、ベアの表情を見て口を閉ざした。

「緊急事態かどうか、自分の目で見ろ。トーコ、さっきの場所へ転移しろ」

「え、ちょっ……今!?」

言い終わらないうちに、景色が変わり、ギルド職員は仰天した。ひゅうひゅうと風がうなり、茜に染まった空が広がる。

「うわわわ!」

「落ちないから、大丈夫だよ」

「高すぎるよ! 降ろしてくれ!」

「ここからじゃないと見えない」

ベアは非情にもしがみつくギルド職員の視線を下へ向けさせた。

「森が枯れている。中心にあるのは結晶樹だ。もともと結晶樹のまわりに生物は棲息できないが、樹の勢いが増している。このまま広がったら、入域活動に影響が出る」

ギルド職員が息を呑んだ。

「……傍に寄れるかい」

「もう日が暮れるから、明日にしたほうがいい。結晶樹の近くでは魔法が不安定だ。離れたところに降りて歩くしかない。一応、枯れた木を数本掘ってきている。必要なら提供しよう。それから、これだ」

ギルド職員はベアの差し出した袋を覗き見て思わず声をあげた。

「結晶樹の実? うわ、凄い量だな」

「今年の初めに強制依頼があって結晶樹の実を採ってきたのを覚えているか」

「ああ、ギルド長からの奴だな」

対応したのは彼だから当然知っている。

「あの時、文字通り根こそぎ採ってきた。ギルド長の依頼でまだ樹になっているものも無理やりもいだ。だから向こう数年は結晶樹の実は採れないはずだったんだ」

「まさか、これ」

「そうだ。たった八ヶ月でこれだけの実が成って熟して落ちた。見てもらえれば分かると思うが、すべて最大級の大きさだ。結晶樹の実は通常、十年かけて熟し、十年かけて小さくなっていく。つまりこれらの実は落ちて間もない」

ギルド職員は額に手を当てた。

「参ったな。ギルド長の留守中に限って」

「それだ。ギルド長は何を知っている」

魔の領域に大魔周期が来て魔物が溢れ出すことか。

ギルド職員は目を見張り、そしてため息を落とした。

「直接ギルド長に聞いてくれ。魔の領域に異変があるのはあちこちからの話を合わせれば分かるが、具体的なことは俺もよくわかっていないんだ」

「わかった。ギルド長はどこへ行っているんだ」

「ノイラーデだ」

「ノイラーデ? どっかで聞いた名前だね」

「ルリチョウの騒動の時に最初に派遣される予定だった町だ」

「ああ、ルリチョウの進路が逸れて結局行かなかった町ね」

トーコはやっと思い出した。

「ノイラーデになんの用だ」

「他都市のギルドとの会合だ。いつもなら年一回、各都市持ち回りでやる。が、今回は急遽の臨時会合で持ち回りの順番を飛ばしている。開催理由までは知らない。予定では明後日に戻る」

「明後日か……」

トーコの転移魔法で近場まで行き、その後ボードと移動魔法で行ったとしても入れ違いになりそうだ。ここはおとなしく待つか。と、再度トーコがベアのローブを引っ張った。

「ノイラーデにギルドがあるの? ギルドって魔の領域と接する辺境にしかないと思ってた。公国のまんなかへんだよね?」

「言われてみれば……」

ふたりに見られてギルド職員は両手を顔の前で振った。

「そこまでは知らないよ。ノイラーデが中央だからじゃないのか? どこのギルドからも遠すぎない。それより早くギルドに戻らないと。今頃みんなてんてこ舞いで怒ってるだろうなあ」

「ああ、悪かったな」

ギルド職員を送るために、三人で再度ギルドへ転移した。

「じゃあ、わたしたちはこれで……え?」

がし、とギルド職員が手を振ったトーコの腕をつかむ。

「今の、別にこの忙しい時間でなくてもよかったよね。お詫びに手伝うよな」

「え、ええ~!」

ずるずる引きずられながらトーコはベアに助けを求めたが、肩をすくめて見送られてしまった。

「明日の朝、ギルドで」

「ベアさんの裏切り者~っ!」

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