第25話 駆除
「一ケ月で随分ちがうねえ。この前来た時には湿地中、虫が凄かったのに、今日は遠くまでよく見えるよ」
炎天下の水上には日差しを遮るものがない。蓮の葉を頭にのせてトーコは嬉しそうに景色を眺めた。
「七月の初め、暑くなりはじめたころが一番出るからな」
こともなげに言ったベアは虫に大騒ぎするトーコに耐えかねて、最低限の最終しかできなかった全開を思い出した。
「この間採ったヒバスの実は美味しかったなあ」
「一応薬だ。食いすぎるなよ。前に採った時よりも効能が強くなっている」
「え、まだ食べられるの?」
「むしろ、今の時期のを採るのが普通だ。若い実は日持ちしない」
水面にボードを出してヒバスの群生地に到着すると、ベアは水面から高く突き出した花托をナイフで切り取った。
「なんか、茶色く皺くちゃになってる」
「振って音がするくらいでちょうどいい」
「べ、ベアさん、これ割れないんだけど」
渡された花托を両手で握りしめてトーコは訴えた。若い緑の花托は簡単に割れて美味しい白い実をくれたというのに。芯のところは苦いが、周囲の白い部分はそのまま生で食べられるほど美味しい。いくら力を入れても割れないので、手が真っ赤だ。
「そうじゃない」
ベアはトーコから花托を取り上げて手のひらに強く打ち付けるようにした。すると黒い実が外れてベアの手に転がった。中には頑固に出てこないのもあるが、指で簡単に採れた。
「割るんじゃないの!? びっくり!」
「ハスの花托は硬い。これを素手で割ろうするトーコに俺は今びっくりしている」
「は、はは……えーと、茶色くなってるのを獲ればいいのね?」
「まだ緑が残っていてもかまわない。花托ごととって干しておけばそのうち種も外れるようになる。ヒバスの実はすぐに落ちるから、少し早目に採って置いておくくらいの気持ちでないと、採り損なう」
「種も黒っぽくなったね。硬そう」
「硬いぞ。炒れば取り出しやすくなるが、クルミ割りの小さいのがあったほうがいい。だがこの硬い殻のおかげで何年でも保存が効く」
「まだ青い茎は食べられる?」
春先の若い茎は食べられた。味は可もなく不可もなくだが、食感がよいので食べられるなら追加で採りたい。
「食えるだろうが、繊維が硬くなって食べるには向かないかもな。試してみろ」
そして試した結果、トーコもベアの向かない、に同意した。繊維があるのは教えてもらっていたので、対策として細かく刻んだのだがこれがいけなかった。口の中に細く短い繊維がいっぱい残ってしまってどうしようもない。結局吐き出した。まるで、筋を取り忘れたセロリかふきだ。
「長く切るべきだった。そうしたら、もっと楽に筋だけ吐き出せたのに」
「別に無理に食わんでも。いざとなったら食えることだけ覚えておけばいい」
「こんな体験、忘れそうにないよ……」
「何事も経験だな」
レンコン部分は食べられないこともないが、こちらはまだ細い。もともとトーコが知っているレンコンほど太くはならないようだが、根を掘るのは意外に大変なので少しだけにしておく。
収穫はむしろシケツソウだ。昨年は時期を逸してしまったが、話だけは聞いていたので水面を覆い尽くすほど繁茂している水草をがっつり集めた。薬として加工するというよりも、その場ですぐ使うものなので売れないし、干したとしても日持ちしないが、<深い森>で活動するギルド構成員なら誰もが知っているほど止血効果が高い。生の葉を揉んで傷に当てるだけの簡単な利用法で絶大な効果がある。
近くあるユナグール周辺の魔物の駆除時に使うかもしれないので、すぐに使えるよう、採った端から水で洗って乾かし、いくつかの籠にわけて収納する。
「ヌマガモも多いな」
「そう? 前もこんな感じじゃなかった?」
「ワタリヌマガモが渡ってきたあとなら分かるんだが」
「あ、そっか、わたしが知ってるのって、ワタリヌマガモが来た後の光景だ。もしかしてヌマガモも大繁殖してる?」
「そうかもしれん」
「卵、もっと貰っちゃっても良かったかー」
「冬になったら好きなだけ獲れ」
いかにトーコが魔法を駆使して大量にヌマガモを捕獲したところで全体数からみればたかがしれている。
「どうせ大発生するなら、コハクチュウより美味しいヌマガモのほうがいいなあ」
呑気なことを言いながら、トーコはメモをとった。
「食べられるお肉と言えば、最近モリガエルのお肉が安いってバベッテ姉さんが言ってた」
「森林湿地で大繁殖しているらしいな。草原まで出てくると聞いた」
モリガエルは鶏肉のささみのような淡白な肉質で、トーコはあまり狩り意欲を刺激されないのだが、皮革製品は耐久性と撥水性に優れ、ギルド構成員でひとつも持っていない人はいないくらい有用な魔物だ。主に虫や小動物を食べる。
「モリガエルを虫小屋に放したら、殖えすぎたコハクチュウを食べてくれないかな」
「やめておけ。モリガエルが殖えるだけだ。もしくはさっさとチョウロウクロネコかヨツキバオオイノシシの餌食になるか」
「だめかあ」
トーコは肩を落とした。虫小屋のひとたちは採掘組とベアたちと一緒に完成させたばかりの共同野営地でコハクチュウを育てている。虫箱作りからの再出発で、自分たちの食糧調達だけでなく、以前にくらべてぐっと少ないはずのコハクチュウの餌の確保にも苦労している。
広大な魔の領域であっても集中的にコハクチュウを育てるのに適した場所を何世代にもわたって探し、改良し、維持しつづけてきたのだ。簡単に場所を変えて元通りとはいかない。
「そういえば、シンリンヌマジカのほうも殖えて怪我人が出ているようだな」
「シンリンヌマジカのお肉は美味しかったな」
モリガエルや角ウサギほど流通量がなく、安価でもないので食べた経験は少ないが、去年のギルドの納会で誰かが差し入れた串焼きはいい味だった。
「冬になったらそっちも獲りに行くか」
「わーい。でも、今日はお魚ね」
トーコは湿地から水揚げしたヒシクイを苦労して捌いた。食べられる部分は半分くらいしか残らなかったが、トマトスープに入れて美味しくいただいた。
「砂地の湿地で獲れる貝があればもっといいんだけど、砂を吐かせないといけないから、すぐ食べられないんだよね。シッチエビも。こっちは明日のお楽しみ」
エビも貝もそんなに好きではないベアは賢くも黙っていた。そういえば、去年は魚にやたら気勢をあげていたのを思い出す。
「ベアさん、アシナガミズオオカミがいる。六頭」
「どこだ」
「西に千メートル」
ベアは眉をひそめた。十分な距離はあるが、またもや数が多い。この季節なら仔は巣立ち寸前だろう。距離が千メートルならトーコの探査魔法の範囲に入ったばかり。つまりは近づいていることになる。
「北のほうに逸れていった」
「北に? そっちは草原だろう」
アシナガミズオオカミが生息する森林湿地帯は東のほうだ。
「あー、わかった。あとからもう一グループが追いかけてくる。縄張り争いに負けて逃げてくるところみたい」
「やっぱり殖えすぎるのは問題だな。チョウロウクロネコが森から草原に、モリガエルが森林湿地帯から草原に、アシナガミズオオカミが森林湿地帯から草原湿地帯に。警戒するのも楽じゃない」
トーコも表情をあらためた。
「早くもとの状態に戻ってほしいね」
湿地の中深くへ入り込んだので、その日は水深の浅いところへ障壁魔法で土台を作り、出張査定所を置いて野営した。空からくる巨鳥を除けば肉食の大型魔物に襲われる心配がないので、トーコは翌日安心してベアを残して週一回のユナグールへ飛んだ。夕方の遅い時間に戻るなり、
「シラー夫人のお父さんが来週、野菜採りとおイモ掘りにおいでって」
「また村中の畑を掘り返すのか?」
「ううん。今度はシラー夫人の送りを兼ねて一泊二日。日帰りでも大丈夫なくらい。だからベアさんも一緒に行かない? あの男の人とバッタを見がてら」
「シラー夫人は実家に戻るのか」
「うん。ご主人が商用で町を空けるんだって。一週間くらいだから本当は誰かに来てもらえればいいんだろうけれど、市もあるし、畑や家畜のお世話がまだ忙しいから、シラー夫人が行くことになったの。赤ちゃんが生まれたばかりで家の中にひとりなのは心配だからそうしなさい、ってご主人が」
「そうだな、バッタは気になる。バッタだけでなく、色々な生き物が普段の生息域を越境しているわけだが。バッタ以外にも入り込んでいないかも確認したい」
「そうだよね。ギルドの駆除がいつになるのか早く決まってほしい。それが終わらないと動くに動けないよ。まだ調整中だけど、明後日の会合で決まるみたい。ベアさんにも出てくれって。思ったより動くのに時間かかったね」
イモ掘りより、それを先に報告すべきではなかろうか。ベアは思ったが、トーコの優先順位などそんなものだ。
「狩人のチームを集めるとなると、連絡を回すのに時間がかかるからな」
シケツソウを採集しつつ湿地にとどまり、ベアとトーコは指定された日時にギルドへ転移した。
「待っていたよ」
顔なじみのギルド職員がふたりに上の集会室へ行くように指示した。顔を出すとかなりの人数が集まっている。作戦は単純だった。ギルド構成員を二手に分け、町の左右にから城壁沿いに勢子で魔物を追い立てる。東門近くのトーコが草を刈った見通しの良い場所で待ち構えた狩人たちが飛び出してきた魔物を狩る。人数がいればいるほど安全なので、勢子には普段あまり活動していない引退者へも強制依頼をだしてとにかく数をそろえる。ギルドは勢子に持たせる鳴り物の用意にも時間がかかっていたようだ。
魔法使いたちは勢子の動きにあわせて森と草原の境あたりの上空に待機して、森へ逃げ込む魔物の駆除だ。目的はあくまでチョウロウクロネコ、ヨツキバオオイノシシ、ネグイ、アシナガミズオオカミなどの肉食の大型獣である。他は森に逃げ込むまま見逃す。
ベアとトーコには空間拡張容器の作成が依頼された。血の臭いで新たな魔物を呼び寄せては意味がないので、仕留めたら、死骸は即回収し、角ウサギ掃討作戦のときのように、草原中から魔物が集まってきたりしないようにする。ベアは有効期限一週間の条件で請け負った。
「国境警備隊にも協力を依頼している」
顔を出したのはハルトマンだ。国境警備隊は戦力を出すわけではないが、対象区域の城壁上部の通路と二か所の壁外塔の使用を許可するとこのとだった。ただし城壁内部への立ち入りは基本的に禁止で、必要な場合のみ兵士同行で認められる。
使い道としては魔法使いによる怪我人の救護回収および待機場所になりそうだ。
全体への説明が終わると、狩人チームのリーダーたちは人の割り振りを相談し、魔法使いたちも魔法使いたちで人員配置を相談する。全員が一日空を飛んでいるわけにもいかないので、交代の時間決めや不測の事態が起こったとき一度に広範囲をカバーできる大火力魔法の使い手の温存、ぶっちゃけキースリング青年の移動魔法を誰が面倒みてやるかなどだ。
トーコは取り合えず中央で待機。最初は怪我人などそんなに出ないはずなので、終盤、中央に魔物たちが追い込まれてからが忙しくなる予定だ。
「トーコ、念のため、ルリチョウの時の障壁を作っておけ。魔物が集まってくるようなことがあれば撤退の道を確保できるように」
「うん、わかった」
渡された麻袋にせっせと空間拡張魔法をかけているトーコにささやいていると、ギルド職員とハルトマンがやってきた。
「ベア、ちょっといいか。簡易的なものだが、壁外塔の中に救護所を設置する。また、例の瓶詰の水を頼めるか? 」
「……まあ、いいか。ただし壁外塔の中だけだ」
「いいいとも。それから薬草の手持ちがあれば」
「そうくると思った。シケツソウは提供する。あとは応相談だな」
「終わったら下の窓口に来てくれ。出し惜しみはなしだぞ。それから、彼から提案だそうだ」
ベアはハルトマンを見た。
「壁外塔だが、緊急避難用、見張り用で、さほどの人数を収容できるわけじゃない。城壁を背にして戦うならともかく、草原の中を戦場にする拠点としてはないよりまし程度のものだ。使うなら、トーコに拡張させたほうがいい」
「なるほど、それで国境警備隊はその拡張された施設を今後使うつもりか」
「残念ながら維持費をかける価値はない。町の防衛を担う国境警備隊としては、あそこを拠点にするようなら終わりだ。完全に孤立しているし、戦略拠点にはなりえない」
「まあ、そうかもしれんな」
「だからそれなりの設備でしかないが、あいつも芸達者だから前もって手をかければましになるかもしれないぞ」
「具体的には?」
「それは俺が考えることじゃない。壁外塔から城壁まで撤退用の通路をかけるなり、好きにやればいい。国境警備隊はただ壁外塔の使用を認めるだけで、使い道まで口出しするつもりはない。ただ、かなり大きな石を使って建造されているから、頑丈は頑丈なんだが、その分見た目より収容力がない。話を聞いているとどうもそのあたりを理解していないようなんでな」
「壁外塔への立ち入りはいつから可能だ?」
「前日の午後から許可している」
「一番にトーコを行かせたほうがよさそうだな……」
「それから」
ハルトマンはさりげなく周囲の注意が向いていないのを確認して声をひそめた。
「トーコの配置は中央だったな。持ち場を変えるときは南側を優先にしろ」
「なぜだ」
「北側の一番遠いところは俺の部隊がいる。中央と南は担当じゃない。トーコに城壁に掛けられる大きさの梯子を障壁魔法で作らせろ。俺がもらう。ただしこれは個人的に俺が妹弟子から貰ったもので、いつ何に使うかは俺の勝手だ」
ベアはハルトマンの真剣な顔を見返し、彼の言葉の内容を五秒ほどかけて咀嚼した。
「この作戦が失敗すると思うか」
彼は草原中から魔物が集まってきて撤退できなくなる可能性を示唆している。そして、国境警備隊内部では今回のギルドの作戦に賛同も協力も望まない勢力があることを。
ハルトマン個人と彼の配下はトーコ、そしてベアとは友好的な関係にあるが、もともと何かと張り合うことの多い両組織である。個人的な好意ではどうにもならない問題のほうが多い。
「分からん。魔物のことはギルドのほうが詳しいだろうし、魔物が集まってくる危険くらい承知だろう」
「この作戦に反対なのか」
ハルトマンは一段と声を低めた。
「正直なことを言うとやってほしくない。ギルドの掃討員が全滅するくらいならいいが、町へ侵入されるのが一番問題だ。一度流入しだしたら、とめどないぞ。今回城壁を使わせることになったのも、あんたたちを助けるためというより、ギルドの動きを把握しておきたいのが本音だ」
「それを俺に言っていいのか」
「ギルドも承知の上さ。とにかく、角ウサギ掃討作戦の時と比べても、今回は備えが薄いうえに、救護体制もお粗末だ。さらに撤退が難しい陣形。万が一の時には城壁の外に残った連中を見捨ててでも国境警備隊は城壁の防御を固める」
ベアにはハルトマンの危惧は過大に思えたが、進んで魔の領域に入らない国境警備隊や町議会では、わざわざ獅子の髭を引っ張りに行くような真似をしなくても、という声が多いようだ。ギルドにとっては入域できないのは死活問題だが、そのために町全体を危険にさらすのはどうか、という意見が大勢。……とはヘーゲル医師の三女アニの夫で町役人のオットーからハルトマン経由で聞いた話だ。
ベアは作戦までの間にトーコにできる限りの準備をさせた。東門前の草刈区域を広げて視界と活動域の確保。障壁魔法の大量作成。薬草もあまりうるさいことを言わずにギルドの要求数を引き渡す。
トーコはベアとハルトマンの会話は聞いていなかったものの、感じるものがあったようで、消毒用の薬草を漬け込んだアッカ酒を使いやすいように樽から小瓶に小分けしたり、木綿布を切って包帯を作ったりと黙々と自分の準備をした。
「本当に狭いな」
作戦前日の午後、トーコを連れて壁外塔に入ったベアは聞いていたにも関わらず思わず、そう漏らしてしまった。同行していたギルド職員はもっと驚いていた。
「たしかかにこれじゃ寝台を並べられないね」
以前、トーコが修復工事を手伝った壁外塔よりも小さい。内部はがらんとしており、屋上へ通じる階段があるだけだ。トーコは空間拡張魔法をかけて、ギルドから預かってきた結晶石を取り付けると、同じく預かってきた簡易ベットや資材をポーチから出して設営した。水場や手洗い所もついでに作る。
「塔の周囲に柵とか作らなくていいのかなあ。近くまで魔物が殺到してきたら、後の人が入れないんじゃない?」
トーコは心配そうだ。ギルド職員は勢子にさほど危険はないと考えているようだったが、ベアは念のため、魔物の侵入に備えた中二階、魔鳥対策の屋根を屋上に追加設置させた。
ふたつの壁外塔は町の城壁から二百メートルほど離れている。試しに壁外塔屋上と城壁を結ぶ通路を作ってみたが高低差があるのでこの通路を使って撤退するのは大変そうだ。
「城壁からここへくるぶんには滑り台であっという間なんだけど、今回は逆なんだよねえ」
「階段にすればいいんじゃないか」
「それだと、怪我人の搬送や物資を台車で運ぶのが大変にならない? 両方作るかあ」
日没ぎりぎりまで準備に奔走し、きちんと睡眠をとるようベアに言いつけられてトーコは夕方にヘーゲル家へ戻った。作戦のうわさは町にも広がっていて、ヘーゲル医師やバベッテははっきりとは言わなかったが、ギルドの作戦はあまり評判がよくないようだ。ヘーゲル医師やご近所の治癒魔法使いたちは東門に一番近いヘーゲル家に朝から自主的に集まるそうだ。
「取り越し苦労になりゃいいんだがな。トーコも気をつけろよ」
「ベアさんと一緒だから大丈夫だよ」
「攻撃的な魔法が使えないベアじゃなあ。でもまあ、なるべくベアにくっついていろ」
トーコひとりであたふたするよりはベアでもいないよりまし、と顔に書いてヘーゲル医師は危なくなったら逃げてくること、絶対火竜の時のように、ひとりで対処しないこと、としつこく念を押した。
みんなに心配された作戦だったが、勢子に追われた魔物は肉食の魔物も、小型草食の魔物も逃げ出し、森の境で待ち構えていた魔法使いたちに次々に討ち取られ、東門前の開けた場所では接近されるより先に弓でどんどん倒されていった。
ヨツキバオオイノシシが勢子に逆襲に転じて混乱するような場面はあったが、おおむね予定通りだった。
中央で待機していたトーコの治癒魔法の出番は殆どなく倒れた魔物の回収くらいしかやることがなかった。
中央まで追い込まれた魔物の密度があがってからはレンチン魔法で多少駆除を援護したものの、ほとんどは森へと逃げたようだった。
駆除した魔物はギルド前の広場に並べられた。チョウロウクロネコやヨツキバオオイノシシがずらりと並ぶ光景は圧巻だ。今回に限っては、メスも仔も関係なく狩られているので数が多い。仔と言ってももう親と変わらない体格なので、なおさら壮観だ。
意外に厄介だったのが、駆除予定にはないシンリンヌマジカだ。肉食ではないので食べるために人を襲うことはないが、身の危険を感じれば湾曲した大きな角と静止状態から二メートルの垂直跳躍も可能な脚力で反撃することもある。体重百キロにもなる大型の魔物だけに、向かってこられたら距離のあるうちに弓で倒さないと酷い目にあう。治癒担当のトーコも若いオスの群が狩人に向かって突っ込んできたときはさすがに手を出した。
自分が回収した魔物を引き渡していると、広場の一角に人が集まっている。
「何かあったのかな?」
「さあ」
ふたりでそちらを見ていると、ベアの古なじみのギルド職員が手招きした。
「ベア、こいつを知ってるか?」
ギルド職員が示した魔物の死骸を見てベアは首を振った。
「知らん。巨大な蝙蝠か? 見たこともないし、聞いたこともない」
トーコは首を伸ばしてベアの視線の先にあるものを見た。蝙蝠のように薄い皮膜の羽と黒い毛におおわれた体躯。ニホンザルくらいの大きさだ。半分開いた口から見える牙は鋭く、両手の爪も鎌のように硬く鋭い。
「ベアさんも知らないなんて。コウモリってことは夜行性なのかな」
「魔の領域は広い。俺の知らないものなんていくらでもある」
そういいつつ、ベアは晴れない顔だ。
「ギルドで知っている者がいないなら、ユナグール大学のパウア先生のところへ持ち込んでみてはどうだ。<深い森>以外の魔物のことも知っているようだ」
言いだしっぺのベアがパウア研究員に知らせることになり、彼は大喜びで飛んできた。
「これはコウモリじゃなくてサルだね。ひょっとしてコウモリザルかな。僕も文献でしか知らない。解剖してみたいなあ。でも貴重な個体だからはく製にして保存するのが優先かな。内臓だけはなんとか調べたいけれど、これまだここに置いておかなければならないのかな。できれば消化前の胃腸を早く取り出したいんだけど、競売はいつだい?」
彼の大好きなチョウロウクロネコ、ヨツキバオオイノシシがたくさんいるだけでも意気があがる。未見の魔物を嬉々として検分するパウア研究員に、ギルドの猛者たちもこころなしか引き気味だ。
コウモリザルは速やかにその場でパウア研究員に進呈された。
作戦は成功したが、死傷者がゼロというわけにはいかない。ヨツキバオオイノシシの逆襲を受けた勢子のふたりが死亡した。ひとりは即死だったが、もうひとりは翌朝息を引き取った。トーコが知ったのは亡くなった後だった。
「竜の血があったのに……」
しょんぼりするトーコをベアは慰めなかった。
「それも含めてそいつには運がなかった」
中央にトーコが配されたように、死者の出た南側の勢子にはキースリング青年がついていた。しかし、彼とて数百メートルもの長さに渡って展開する勢子の列すべてを同時に視界に収めるわけにはいかないし、半分引退していようが、ギルドに属する者なら魔物に相対するだけの力が要求される。
彼は運がなかったのだ。たまたまヨツキバオオイノシシの反撃の場にいて、運ばれたのがたまたま南側の城壁だった。せめてキースリング青年が近くにいたら、せめて運ばれたのがハルトマン配下のいる北側の城壁だったら。
――せめてトーコの担当する中央に配されていたら。
トーコの視野は広い。日々の採集で鍛えた探査魔法は草を刈られて見通しのよくなった中央部に展開するギルド構成員だけでなく、さらに広範囲の魔物の動きをとらえている。不測の事態に備えて魔力を温存していたが、負傷すれば即座に探査魔法用の魔力を治癒に転用して被害を最小限に食い止め、必要なら防護する。的確に魔物を排除してひとりで複数の魔物の相手をする状況を作らせなかった。弓の使い手たちにも決して一定以上の距離の接近を許さなかった。全員の配置と装備を把握するまでしばらく時間がかかったが、そのあとはひやりとする場面はひとつもなかった。ベアも無理な指示はしていないというのもあるが、トーコは緊張はしていてもパニックにはならなかったし、まずまずの対応だった。
トーコは死骸も移動魔法で呼び寄せて回収するのではなく、軽い封筒のほうを飛び回らせて逐次回収していった。誰が倒した獲物か、あとで争う必要もない。派手な音も光もないが十分以上に自分の役目を果たしたと自負していい。
「この世で起こっていることすべてに責任を取れる人間なんかいない。後悔するなら次に生かせ」
「うん。……ありがとう」
トーコは頷いたが、落ち込んだ気分を立て直すのにはしばしの時間を要した。




