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第24話 生物濃縮

新たな虫小屋は仮設の共同野営地を流用することになった。本式の虫小屋と違って人が寝るスペースくらいしかないので、トーコは空間拡張魔法で内部を広げ、土台石を切り出した後の岩を使って外に平らなスペースを確保する。そこに適当な石をくりぬいた竈をすえつけ、少し離れたところに手洗いも作る。

仮設とはいえ、ふた月は使用するわけで、本当は魔力を使わなくても運営できたほうがいい。生乾きの丸太を使って近くにもう一つ作るという案もあったのだが、そちらのほうが魔力も労力もかかるので、お手軽な方法になった。維持魔力については、採掘組と合流する時にトーコが補充する事になった。

餌となる草場が少し遠いが大量の虫を育てるわけではないので、安全と水が優先だ。


虫小屋の新居がひと段落したあと、ベアとトーコは千年樹の森へ採集に半月ほど入っていた。植物の生長著しい草原と違って、下草は繁茂しているものの、森はぐっと歩きやすい。

木に登って艶々した葉を採っていたトーコがふと下をのぞき込んだ。

「ベアさん見て見て。仔ジカがいる。可愛いね」

「そんなこと言ってられるのも今のうちだ。体重百キロを越えたら可愛いなんて言ってられん。親はどこだ。不用意に近づくと蹴られるぞ」

「奥にいるよ。あ、跳ねてる。あーあ、鼻がぶつかりあっちゃって」

跳ね回るオジロジカの仔を見て無邪気に喜ぶトーコとは対照的に、ベアは眉をひそめた。

「双子か。多いな」

「何が多いの?」

「シンリンヌマジカもだが、オジロジカも大抵仔は一頭だ。二頭もないわけじゃないが、珍しい」

「そうなの? 見るのはほとんど双子だから二頭が普通なんだと思ってた」

「コハクチュウといい、今年の魔物はよく殖えているな」

「問題なの?」

「分からん。こんなことは初めただ」

葉っぱ採りを再開しながらトーコは小首を傾げた。片手で手際よく摘めるベアと違って、こちらは鋏を使ってもたもたやっている。トーコ本人がはかどっていなくても、隣の木では彼女のハサミ型障壁魔法がいい仕事をしている。

「捕食動物が減ったとか? あんまりそんな感じはないけれど」

「チョウロウクロネコもヨツキバオオイノシシもダイコクチョウもクロオチョウも増えている」

トーコの探査範囲が広いのを割引いてもよく遭遇する、と感じる。ベアほど経験のないトーコはこんなものなのだろうと思っているようだが、日に幾度も遭遇する。

「じゃあ、順序が逆で、草食の魔物が増えて餌が増えたから? だとしたら、いずれ自然に元のバランスに戻ると思うけれど」

「そうならいいんだが……」

ベアは煮え切らない様子だ。

「草を食べつくしたら、自然に草食魔物が減って、肉食の魔物もいずれは……あれ、誰か植物の勢いも凄いとか言ってなかった?」

ベアははっとした。

「言っていた。虫小屋で聞いた」

「今年は魔の領域は豊作なのかな?」

「……トーコ、人の領域はどうだ」

「どうって?」

「この間、野菜を貰いに農家に行っていただろう。今年は豊作だとかそういう話を聞いたか?」

ベアが採集の手を止めたので、トーコも向き直り、首を振った。

「ううん。そういう話にはならなかった。五月の大雨で種が流れたり、芽が出たばかりの農作物に被害が出たって話は聞いたけれど」

「トーコ、アムル村へ飛べ。泊めてもらった農家でも、あの男の家でもいい」

トーコは目をぱちくりさせたが、素直にヨツキバオオイノシシに襲われた男の家の真上に転移した。家には誰もいなかった。ややあって一家の畑で家族総出で働いているのを見つけた。

挨拶をかわすなり、唐突にベアは男に訊ねた。

「今年の作柄はどうだ」

「夏のはじめの雨にやられた割に、まあまあだな。いきなりだな?」

「ちょっと知りたくてな。家畜がよく殖えたとか、植物の勢いが例年よりあるとか」

「雑草ならいつも通りの凄い勢いさ」

「雑草取りはお手伝いしまーす」

トーコが魔法で雑草を採り始めたので、一家は畑を明け渡して木陰で休憩に入った。

「家畜は?」

「そんなだったらいいんだがねえ。豚もいつも通り。子豚が二頭も死んだのは痛かった」

「子豚の死因は」

「一頭は生まれた時から小さかったから、まあ育つか育たないかは運だった。きょうだいに押し負ける奴は毎年いる。もう一頭は荷車の車輪に挟まれての事故だ。いったい何なんだ」

「俺にもよく分かっていないんだ。特に豊作ではないんだな」

「ああ。不作でないだけありがたいことさ。何か調べているのか? 力になれることがあるか」

ない、と言おうとしたところにトーコがパタパタとかけてきた。

「雑草取り終わった~。これ、落ちてたけど腐ってはなかった野菜。豚の餌にするんだよね? ベアさん、バッタまたいたよ」

ベアの目の前に飛んできた障壁魔法の中では十匹ほどのバッタが飛び跳ねている。ベアには見慣れた魔の領域の虫だ。

「トーコ、幼虫はいたか」

「幼虫?」

トーコは頭の中で小学校の理科の教科書をめくった。

「バッタはちょうちょと違って、芋虫から蛹にならないよね?」

「小さいバッタだと思えばいい」

「この畑にはいない」

トーコは即答した。ベアは目の前のバッタを眺めた。大きく発達した後ろ足で勢いよく飛ぶが、障壁にあたってひっくり返る。人の背を飛び越えるくらいの跳躍力があり、蜂やカナブンのようにとびはしないが、薄い羽根を広げれば飛距離もかなりのものだ。魔の領域に接するユナグールへ食料を供給するこの村は当然魔の領域に近い。物理的なことを言えば、この程度の距離なら移動は十分に可能だ。

「そのバッタがどうかしたのか。最近よく見るな」

「魔物だ」

「魔物ですって!」

おかみさんが慌てて物珍しげに障壁をつついている子どもたちを手元にひきよせた。

「心配しなくても、魔の領域の生き物ってだけで、別に害はない」

「そのバッタを集めたいのか?」

「別にバッタを集めているわけではないが……、そうだな集めさせてもらうか」

ベアに言われて、トーコは以前お世話になった農家を順番に訊ねてバッタを獲らせてもらった。ついでに雑草もとるというと、どこでも快く畑に入れてくれた。

一度やったことのある場所が多かったのと、今回はただ雑草を畑の隅に積み上げてバッタを獲るだけなのとで、一日で村中の畑や牧草地を巡り終わった。

「バッタがいっぱいで気持ち悪~い」

トーコはバッタの詰まった障壁魔法から目をそらした。

「明らかに増えているな。さすがに繁殖はしていないようだが」

「もしかしてバッタが大量発生する災害の心配をしている?」

「いいや。こんな湿地の多い土地で蝗害はないだろう」

ベアは今度はユナグールへ飛び、ギルドを訪ねた。ギルドは夕方の混雑している時間だった。バッタの詰まった障壁魔法を見る反応は様々だ。

「いやだ、気持ち悪いわ」

「そのバッタ、どうするんだ? ギルドで引き取ってもらえるのか?」

ベアの前に並んでいた男が振り向いて尋ねた。

「いや、人の領域に入り込んだのを獲ってきただけだ」

「そいつ、なにか害があるのか? 魔の領域でよく見るのとは違うのか?」

「今のところなにも」

相手はしらけた顔をした。逆に連れの女は興味を示した。

「駆除依頼があったの?」

「知り合いの村でたまたま見つけた。ここから五キロほど離れたアムル村だ」

「知っているわ。近いは近いけれど、魔物が入り込むにはちょっと遠くない?」

「俺も、そう思う」

「しかもそんなにたくさん? なんだかこの頃、魔物が増えすぎていない?」

「これは村中のを集めたからだが。魔物、多いと思うか?」

女は頷いた。

「ええ、みんな言っているわ。角ウサギも多いけれど、この頃じゃユナグール周辺の草原でも角ウサギを追ってかチョウロウクロネコが出没するって話だし」

去年のような騒ぎはごめんだわ、と女は顔をしかめた。このところ、魔の領域に入りっぱなしでユナグールに出てきていなかったベアはすっかり情報に置いていかれたらしい。森と草原を縄張りにするチョウロウクロネコだが、ユナグール近くに出たと聞けばすぐに狩られてしまうので、生息数はそんなに多くないはずだ。

「狩人のチームは喜んでいるけれど、こっちは勘弁してほしいわ」

ユナグールから日帰りの距離で活動するにしても、ギルド構成員ならチョウロウクロネコくらい追い払えるが、草深い場所で採集に気をとられているときに忍び寄られれば後れを取ることもある。

「怪我した人がいるの?」

トーコが心配そうに訊いた。

「みたいね。亡くなった人もいるみたいだし。この間なんか、ヨツキバオオイノシシが立て続けに出たらしいし、物騒でいやだわ」

先に気がつけば対処可能なチョウロウクロネコと違い、体重にものを言わせて突進してくるヨツキバオオイノシシは一度相対してしまうと、追い払うのに一苦労する。トーコも障壁魔法にもめげずにしつこく付きまとうヨツキバオオイノシシは苦手だ。迂回に失敗したときはやむなく一日分ほどの時間凍結魔法をかけて足止めするか、冬、食べられそうな個体だったらレンチンして回収したりする。

「ヨツキバオオイノシシがどうしたって?」

背後から声をかけられ、振り返ると見知った狩人がすぐ後ろに並んだところだった。

「イェーガー。戻ってきたところか。その顔からすると狩りは上々だったようだな」

「ああ。今年は獲物が多くて楽させてもらってる。近場でも結構見つかるしな。持ち込みが多すぎて値が下がりぎみだ」

「値下がりするほど持ち込まれているのか?」

「骨や牙は影響ないが、肉や内臓の値は下がっている。まあ数で補えるし、魔物の石を持った個体もいつもより多いんで、困りはしないが」

ギルドでもトップクラスの狩人チームのリーダーはさすがの自信だ。

「そんなに獲れるのか……」

「夜に狩りをしないで、昼に痕跡を探して追ったほうが効率いいくらいだ」

「やっぱり多いと思うか?」

「明らかにね。今年は仔が多く育っている。シンリンヌマジカも二頭連れをよく見るな」

「シンリンヌマジカならいいけど、チョウロウクロネコも三頭育ちあがってるのが多い気がするわ。今の時期、幼獣や、幼獣を連れた母ネコは狩らないのが普通だけど、今年に限っては今のうちに多少減らしたほうがいい気がするくらい。既に被害が出るほど増えているというのはまずいんじゃないかしら」

「被害?」

トーコはイェーガーのチームの女魔法使いに尋ねた。

「どこそこで人が襲われた、って話が持ち込まれるのはいつものことなの。人を襲うことを覚えた魔物は駆除しないわけにいかないし、私たちにとってはありがたい情報源なんだけど、今年は数が多いのよ」

「どのくらい多い?」

「いつもの二倍くらいか。ほとんど情報を貰って魔の領域に入っているありさまだ」

情報を元に狩りをすることもあるが、基本的に自分たちで狩場を選ぶのだが、今年は選択の余地がないほど人の領域に帰還するたびに情報がもたらされるという。狩人のトップチームには真っ先に話が行く。

「質問!」

トーコが元気に手を挙げた。

「チョウロウクロネコは基本的に二頭か、三頭の仔を産んで、大抵二頭くらいが育つんだよね」

「ああ」

「で、シンリンヌマジカは基本的に一頭の仔を産む。でも今年は二頭の仔を産むのが多い。あってる?」

「そうだ」

「つまり、異常に殖えているのはチョウロウクロネコじゃなくてシンリンヌマジカってことじゃない? チョウロウクロネコの仔が三頭なのは別に異常じゃないよね? 餌のシンリンヌマジカが増えたから結果的にチョウロウクロネコの狩りも成功しやすくなって、いつもなら育ちきれない三頭目も育ってるってだけで」

「そういう考え方もあるか。だが、三頭連れも多い気がするんだが」

「そうなの?」

「たまたま今年は幼獣をよく見るからかもしれんが、ほとんど三頭連れだ」

「うーん。去年、五頭も仔を連れたチョウロウクロネコがいたじゃない? ああいうのは?」

「見ない。仔と言ってももう親と大差ない季節だったし、本当に一頭のメスが産んだ仔とも限らん。もし、そうだったら、どうだというんだ?」

「わかんない。でもなーんか引っかかるんだよね」

ベアも内心で同意する。なんとなく引っかかる。それだけなのだが、落ち着かない。

腑に落ちない顔の師弟の視界を知った顔が横ぎった。

「あ、ユナグール大学の先生だ」

混雑した人越しにちらりと見ただけだが、以前、ハルトマンに紹介してもらった研究員だった。去ってゆく頭のてっぺんを視線で追いかけながら、トーコは頭の中でもやもやしたものを口にした。

「あのね、去年助けてもらった時のチョウロウクロネコは仮説だけど五頭の仔を持っていて、結晶石を呑み込んでいた。今年のチョウロウクロネコたちは、仔を三頭産んで、魔物の石を持っている確率も高い。これってどういうことだろう?」

一同は困惑して顔を見合わせた。

「結晶石なんかそうそう転がってないし、なんとも言えん。何が言いたいんだ、お嬢ちゃん」

「自分でもよく分からないからうまく言えない。ええと、結晶石は魔力を蓄えるよね。そして魔物の石は、魔物の魔力が凝ったものだって。魔力をたくさん持っている魔物は魔物の石ができやすいし、仔もたくさん産みやすいってことはある?」

「聞いたことないな。そもそも仔を連れた母ネコは狩らないし」

「ヨツキバオオイノシシは?」

「ヨツキバオオイノシシも魔物を石が出やすいが、チョウロウクロネコほどじゃない。それでも例年より出ているのは確かだが」

トーコははっとした。

「それだ!」

「「どれだ?」」

ベアとイェーガーが異口同音に訊き返した。

「生物濃縮!」

「セイ……なんだ?」

「生物濃縮。国語の授業でやったの! 毒物が食物連鎖の過程で濃縮されること」

「トーコ、分かる言葉で話せ」

「えっとね。森の広い範囲に毒がまかれたとする。すぐにはなんの影響もない程度の毒。だけど、毒が土にしみ込んで、やがて土から栄養を吸い上げる草に毒の成分が蓄積されたとする。毒が蓄積された草をたくさん食べた虫には草の何倍もの毒が蓄積する。そしてその虫を食べるカエルにはさらに多くの毒が蓄積される。カエルを食べる鳥はもっともっと多くの毒が蓄積される。そしてその鳥を捕食する大型の鳥にはもっともっともっと毒が蓄積され、とうとう毒は効力を発揮する。植物が吸い上げたちょっぴりの毒は食物連鎖を経て最後の大型の鳥を殺せるくらいに蓄積する」

ベアは俄かにトーコの話の展開についていきかねて困惑した。イェーガーもそのようだ。

「誰かが毒をまいたと言いたいのか?」

「違う。この場合、魔の領域で起きているのは、魔力の蓄積だと思う。冬からずっと不思議だったの。どうして魔の領域の生き物が魔の領域を離れて平気でいられるのか。だって、それまで魔物は境界を越えないって聞いていたもの。さっきの先生は、ユナグールも何万年も前には魔の領域だったって言っていた。つまり、魔物が魔の領域を離れても平気なくらい魔力を体に蓄えているのか、魔力が魔の領域から溢れているのか。としたら、魔の領域の魔力が増えたとは考えられない?」

「増える?」

「魔の領域の生き物は草も、虫も、獣もみんな魔力を持っている。気候は魔の領域と、アムル村でそんなに変わらないのに、魔の領域だけ異常に繁栄している。差は魔力だけ」

「待て。魔力が増えるなんてことあるのか。まして魔力が蓄積? するものなのか」

「わかんない。魔力の蓄積についてはあるんじゃないかなって思う。草よりも、草を食べる虫のほうが魔力が大きいのが普通だし、草食動物より、肉食動物が。小型の生き物より、大型の生き物のほうが魔力が多い。雑食のヨツキバオオイノシシよりも肉食のチョウロウクロネコのほうが魔力が多いのも事実。そして、魔物の石はチョウロウクロネコのほうが持っていることが多いんでしょ?」

ベアだけでなく、全員トーコの持論がとっぴすぎてどう相槌を打ったものやら分からないという顔をしていた。

「魔力が増えた原因は分からない。食物連鎖ということなら、去年、火竜がここで死んだのが関係あるかどうかも」

「竜!」

女魔法使いが指を鳴らした。

「それ、あるかも! わたしには虫や草の魔力を感知するような真似はできないけれど、卵だって凄まじい魔力の塊だったわよ。竜が死んで魔の領域に何か影響が出たのかも。畑に肥料をやったみたいに」

「肥料ね。なるほど」

生物濃縮の話はいまいち響かなかったが、女魔法使いの言葉はすんなり理解が伴ったようで、イェーガーが頷いている。

「わたしは去年の魔の領域を知らないから、火竜が来る前と後での違いを比べようがないけれど、秋になってサジンダケの季節が来たら、違いがわかるかもよ」

「なんでサジンダケ?」

「魔力の多いキノコだから。わあ、楽しみ!」

呑気なことを言うトーコにベアが冷や水を浴びせた。

「その節が正しいとして、火竜の残した魔力はどのくらい効力を持つんだ。まさかずっとこの状況が続くのか。そうなったら人の領域に魔物が流れ込むのが常態化することになるぞ」

「……そうかも。だって食物連鎖と一緒に魔力が循環しているなら総量は減らないんじゃない? せっせと魔の領域から持ち出して、ユナグールで遠いところへ売れば少しずつ魔力が減っていつか元通りになるかもしれないけれど」

「とんだ火竜の置き土産だなあ」

「待て、イェーガー。これは単なるトーコの仮説、いや、妄想、寝言だ。確かなことなんて何もないんだ。信じるな」

「あー、うん。証拠は何にもない。わたしの想像」

トーコも頭をかいた。

魔の領域のこともこの世界のことも、トーコにとっては未知のものだ。トーコの常識で計ることのできないものはどうしようもない。

バッタを渡されたベアの馴染みのギルド職員は顔をひきつらせた。報告は受け取ったが、バッタは引き取ってくれなかったので、ベアとトーコは放すために東門から草原へ出た。

「すっきりしないなあ」

「俺は明日、ユナグール大学へ行ってくる」

「パウア先生のところに行くの?」

「ああ」

「わたしも行く!」

「明日はヘーゲル医師のところに顔を出す日だろう。約束が詰まってるんじゃなかったか」

「あー」

トーコは眉を下げた。朝は孤児院に寄ってから国境警備隊の宿舎を訪ねて、ハルトマンと公都に飛んで買付けた品の保管&運搬。ヘーゲル家に戻って遅いお昼を一緒したら、午後はディルクの魔法の練習に付き合って、彼を家まで送りがてら自分の買い物などの雑用を済ませる予定だ。本当はバベッテに料理も習いたいし、友達にも会いに行きたいが時間がない。

「孤児院の友達には朝に会うんじゃないのか」

「ううん。そっちは男の子たちのお迎えなの。ハルトマンさんとこで角ウサギの捌き方を、忘れないうちにもう一回習うの。新しい院長さんは話が分かる、ってハルトマンさんが言ってたよ。冬星祭のときに、男の子たちが国境警備隊に入りたいって言って、じゃあ一度見に来るかってなったんだけど、前の院長さんの時は外出許可が出なくて」

「ほう、ハルトマンも面倒見がいいな」

「人が欲しいんじゃない? 募兵活動の一環みたいな?」

「なるほど。どちらにとっても悪くない話だな」

常に募兵に悩まされる軍と、何の後ろ盾も技能もなく一定年齢になったら世間に出ていかねばならない孤児と。健康でありさえすれば、一応の衣食住が保障される軍はそれなりに魅力だろう。ユナグールであれば、最低規定期間中に腕を磨いて金を貯めた後、ギルドへ転向することも可能だ。

適当なところでバッタを放したふたりは東門へ引き返した。その途中で建造中の外塔をトーコが見つけた。

「いつの間にかあんなところに増えてる。門から近いけれど意味あるのかな」

「先日の角ウサギの件があったからかもな。城壁の上からだけだと撤退の支援が届かない角度があっただろう」

「あれは障壁魔法があったからじゃない?」

「いずれにせよ、ないよりあったほうがいい。詳しいことならハルトマンが……」

詳しいんじゃないのか、と言いかけた語尾が消えた。足が止まる。

「どうしたの、ベアさん?」

「いや、ハルトマンの手伝いで公都に行くのは三回目だったか」

「うん」

「俺も公都に用がある。転移するとき一緒に移動しよう。転移先はハルトマンの兄の家か」

「今まではそうだったけれど、移動が大変だから、今回は最初から倉庫に行くよ。終わったら私だけユナグールに戻って、夕方お兄さんのお家に迎えに行く予定。皆から手紙を預かったりしているからその受け渡しがあるみたい」

「俺もその時に一緒に迎えに来てくれればいい」

翌日ベアは国境警備隊の宿舎前でトーコと合流した。率いてきた孤児院の男の子たちと一緒に、角ウサギの食べ方について、煮る派と焼く派に分かれて実にどうでもいい議論を熱く戦わせていた。男の子たちは、門のところで待っていた兵士に連れられて、城壁の一部を成す宿舎を珍しそうに見回している。

トーコが顔なじみの兵士とあいさつを交わして、慣れた様子で台所を四セット出し、角ウサギを積み上げているとハルトマンがやってきた。ベアを見ると片頬をあげて笑いかけた。

「あんたもやっていくか」

「遠慮する。ずいぶんな数をやるんだな」

中庭には、煉瓦に板を渡しただけの簡易テーブルが等間隔に並んでいる。捌いた肉や毛皮、ごみを入れる大樽も積みあがっている。

「大所帯だからな」

「ハルトマンさん、準備終わった」

「じゃあ、行くか。ベアも移動するのか?」

「ああ、一緒させてもらう」

「じゃ、飛びまーす」

トーコの転移で景色が変わる。兵舎の中庭は消え、青い空と眼下に広がる広い街並みは見慣れぬものだ。

倉庫上空からそれぞれ移動魔法を発動させ、地上に降り立つ。

「こっちは雨が降ったみたいだね。止んでて良かった」

濡れた地面を見てトーコが言った。

待っていた商人と顔を合わせてハルトマンは早速商談に入る。

「ベアさん、どこへ行くの? 場所がわかれば送ろうか?」

「時間がだいぶ早いから、まだいい」

「おい、トーコ、とっととやれ」

「手前のほうは水濡れがだいぶ多い。びしょびしょじゃない。一番奥の十一個は一部かびている。手前から五列目と六列目の半分くらいのは殻モミが十三パーセントもある。これ、選別からやり直ししないとしまえないよ。奥から四列目から八列目はまだまともだけど、あとは馬の餌行き」

トーコは浮かない顔ですらすらと告げた。ハルトマンが交渉を始め、ベアは呆れた。

「探査魔法か」

「うん。魔の領域での採集ほどじゃないけれど、アムル村の野菜とりと、ハルトマンさんの買い物に付き合って、魔力に頼らない見分けにもだいぶ慣れたよ」

交渉がまとまるとトーコは封筒を周囲に浮かべ、次々に穀物の詰まった麻袋を吸い込み始めた。例によってランク分けしているのだろうと予測し、ベアも探査魔法を起動し、トーコの作業を見守った。とても倉庫いっぱいの穀物をランク分けできるような腕はないが弟子が何をやっているかくらいは分かる。トーコはランク分けしつつ、状態に応じて干したり、その場で開封して空モミを出してしまいなおしたりしている。五分とかからず終了し、倉庫の中にはハルトマンが引き取りを拒否したものだけが残る。トーコは空モミを手持ちの袋に入れてその場に残した。

こんなことを次の倉庫でも繰り返し、トーコは昼過ぎに慌てて帰っていった。商人と次の商談をしていたハルトマンはやっと話が終わったらしく、ベアを振り向いた。

「馬車は向うの通りまで行かないと拾えない。話は歩きながらでいいか」

「ああ」

「トーコに聞かせたくない話か」

「あんたが聞かせたくないんじゃないかと思ったんだが」

ハルトマンは苦笑した。

「あいつの口はダダ漏れだからなあ。それで何を聞きたいんだ」

ベアは少し考えた。彼も軍人だ。直裁に尋ねても答えられることと答えられないことがあるだろう。

「このところ公都で穀物を買い付けているようだが、なにか理由でもあるのか」

「嫌なことを訊くな。トーコにはうちの口の軽い連中がばらしたみたいだから隠さず白状するが、ちと対処をあやまってな。ユナグールの穀物商にそっぽをむかれた」

「全員に?」

「ユナグールの穀物流通を取り仕切ってる四人のひとりを敵に回したら、全部が敵になった。普段は商売がたきでも、こういう時の結束は固いらしいな。仕方ないんで、兄に泣きついてこっちの商人を紹介してもらった。送料が浮いて正直助かった」

「公都のほうが物価が高いんじゃないか」

「そうでもない。こと穀物に関しては、帝国東部が今年は豊作らしくてほどほどの価格で流れてきている」

「量が多すぎやしないか」

「足りないくらいだ。馬も兵士も大食らいの大所帯だからな」

ベアは黙った。本当なのかけむに巻かれているのか分からない。仕方がないのでやっぱり直截的に聞くことにする。

「このところ、魔物が頻繁に人の領域に入り込んでいる。バッタのような小さいのから、大物まで。これは知っているか」

「もちろんだ。国境警備隊も駆除に人手をだしている。バッタは初耳だが、ギルドが対処しきれなかった手負いのヨツキバオオイノシシを数の利を活かして追い出し猟で仕留めたりな」

「魔の領域で何かが起こっていると思う。トーコは魔の領域全体で魔力が増えているのではないかと言っている」

「トーコが?」

ベアは聞いたばかりのトーコの説を披露した。ベア自身うまく理解できていない部分もあるので、説明は分かりやすいとは言えなかったが、それでもハルトマンはだいたいのところを了解したようだった。

「ほう、面白い説だ。特に魔力が蓄積されるというのは斬新だな」

「信じるのか」

「俺には検証のしようのない話だ。ユナグール大学の先生にでも訊いたほうがいいんじゃないか」

「話を持って行って聞いてもらえると思うか?」

「あんたが懇意にしいてる先生なら話くらい聞いてくれるんじゃないか。トーコがどうやって植物や昆虫まで魔力を感知しているのか知らんが、他にもそんな真似のできる魔法使いがいれば検証可能だろう。ただ、それだとサジンダケやミズクラゲとかいうキノコが他より多く魔力を蓄えているのは理屈に反するが」

「そういえば、そうだな……」

やっぱりトーコの思い付きは、思い付きの域を出ないようだった。ベアはため息をついた。

「火竜はやはり関係ないか」

「火竜がどうしたって?」

「ユナグール周辺の魔の領域で魔力が急に増えたのは、火竜が死んでその魔力が食物連鎖を通じて取り込まれたからじゃないかと」

「火竜の死骸は人の領域に運ばれて切り刻まれて散っている。火竜の血も肉も魔力があるとトーコが言っていたような気がする。裏を返せば、魔力が死骸にとどまるなら魔の領域の食物連鎖に組み込まれる余地はないぞ」

ベアは額を抑えた。昨日はついトーコにつられたが、どうも穴だらけの妄想だったようだ。

「俺の思い違いのようだ。手間をとらせて悪かったな」

ベアは乗っていくか、というハルトマンの誘いを断った。

結局魔の領域が活性化している理由は分からず、ふりだしに戻ってしまった。


用が終わってしまったので、ベアは町を歩いて時間をつぶし、夕方迎えに来たトーコと合流した。ハルトマンは昨夜の雨でぬれた穀物を商人に集めさせており、それらを再度トーコに回収させた。回収作業をが終わると、ベアとハルトマンもヘーゲル家の夕べに呼ばれ、待っていたヘーゲル医師と早くも酒を楽しみながら、早速ベアから聞いたトーコの仮説に容赦ない指摘をしてこてんぱてんに叩きのめしていた。

「あちゃあ。言われてみればそうだなあ」

「間抜けな奴だな。次はもっと練って持ってこい」

「ええーっ、ハルトマンさんの採点は厳しそうで嫌だ」

「あほ。お前の穴だらけの仮説を俺が指摘してやらなきゃ、誰が言ってやるか」

バベッテの手伝いをして台所と居間を行ったり来たりしているトーコは首をすくめた。

「だがまあ、今年は怪我人が多いのは確かだ。トーコも気を付けるんだぞ」

ヘーゲル医師がのんびりと言った。

「多いってどのくらいですか」

「五割増しくらいかな。近場での遭遇が多いようだ」

「相手の魔物はなんです?」

「多いのはチョウロウクロネコ、ヨツキバオオイノシシ、シンリンヌマジカ、アシナガミズオオカミ、オオミミヤマイヌ、ネグイ。たまにコウゲンオオカミ、カオリカワウソなんかも来るが」

「肉食の魔物は分かるけれど、シンリンヌマジカも?」

「季節によっては気性が荒いからな。うっかり近づくと危険だ。前に教えなかったか」

トーコは慌ててメモを引っ張り出す。

「あわわ。ほんとだ二回目にベアさんに魔の領域に連れて行ってもらった時だ。ヒルの印象が強すぎて記憶が……」

ベアは懐かしくなった。ヒルの魔力を探知してのけてベアを驚かせてから、一年にもならないのに、使える魔法も増え、よく使いこなしている。

「うちも今年は傷薬の類がよく出ているわ。ナガクサカズラなんかとっくに品切れよ。ベア、あなた持ってない?」

チーズ焼きをテーブルに置きながら言ったのはヘーゲル夫人だ。

「去年の角ウサギ掃討作戦時がちょうど時期だったから採ったものは殆ど使ってしまった。トーコ、まだ残ってるか?」

「え? あ、えーと、少しならあるよ」

チーズ焼きに目と心を奪われていたトーコが慌ててポーチを探査して報告する。ベアは渡された封筒を見た。何度も二本線で消されて書き足されている。最後の数字は最初の一割に満たない。次に採集できるまで三か月。いささか心もとない。

「ナガクサカズラってのは去年、角ウサギ掃討作戦終了後に貰った軟膏か」

「ユナグール近くの森を抜けた先の草原で採れるの。魔物からの受傷によく効くんだよ。すり潰しただけでも使えるし、採るのも簡単だから狩人の人たちも使うみたい」

「確かにあれはよく効いたな」

ハルトマンが興味を示したが、ヘーゲル夫人に値段を聞いて顔をしかめた。

「うちで常備できる価格じゃないな。トーコ、お前余ってないのか」

「あるわけないよ。わたしだって軟膏はこれしか持ってないもの」

トーコは手のひらサイズの膏薬入れを見せた。これだってヘーゲル夫人からの貰い物だ。時間凍結封筒に入れているので劣化はないが、これっぱかしではハルトマンには足りない。

「この間のは角ウサギに備えてギルドが自前のナガクサカズラの実を持ち込んで大量に作ってもらったんだよ。ギルドが使い終わって余ったのを国境警備隊に譲ってもらったの」

「まあ、ナガクサカズラはアニが必要な分くらいはあるだろう。明日、店に顔を出そう」

「助かるわ。他にも色々と必要なのよ」

「今年は薬草も豊作だし、俺たちは必要ないと思ったんだが?」

「春くらいは確かに手に入り易かったんだけれど、このところ薬の出が早くて。魔物がよく出るから採集の効率が良くないみたい。特に、草深いところや森の奥に行く人が少なくて、欲しい薬草がなかなか手に入らないの」

「あ、それで思い出した。先週、ロープのお店でばったりツムギグモの工房の人に会ったんだけど、ツムギグモの糸はもう持ってこないのかって聞かれた。ツムギグモの森まで行くチームが減っているって。どうも犠牲が出たみたい」

「少しあったな。それも明日持っていくか」

「もう一日滞在するなら、角ウサギをよこせ」

ベアとトーコは翌日も角ウサギを国境警備隊へ届けた後、アニに薬草類を巻き上げられに店に行き、そこで同業者たちと行き会った。

「どうした、その傷」

昨年の仕事納めの納会でベアをやっかんでいたギルド構成員だった。右そでが大きく裂け、まだ血の臭いも生々しい。トーコはびっくりして治癒魔法を使おうとしたが、男の傷はもう血が止まっていた。

「ヨアケソウを採りに行って、今朝がた森で襲われた。チョウロウクロネコだ。草の丈が高くなっている場所は気を付けたほうがいいぞ」

男は顔をしかめた。

「治癒魔法使いに直してもらったの?」

「ああ、止血だけしてもらって、先にこれを届けにな」

ヨアケソウは夏の朝、夜露の降りた暁のうちにとって、すぐに加工しなくてはならない。だから、昨夕のうちに入って魔の領域で夜を過ごし、採るだけ採って急いで戻ろうとしていてやられたのだと言う。もともとチョウロウクロネコは夜行性だが、草原の草が伸びすぎて潜みやすいせいか、今年はよく遭遇するという。ひとりだったら危なかっただろう。

「今日は町でゆっくり療養するさ」

依頼の薬草を引き渡して怪我をした男は戻っていった。仲間たちはこれからもう一度魔の領域に入ったという。仲間の怪我くらいでいちいち休んではいられない。

保存の効かないヨアケソウを急いで加工に回したアニもため息をついていた。

「怪我で採集を休む人が多くて。薬が売れるのは嬉しいけれど、仕入れは困るわ」

夜明け前に摘まなくてはならないヨアケソウはベアとトーコもあまり採取していない。どこかで摘んでおくこと、とトーコはメモした。ヨアケソウは摘んだら加工しても効果が急速に薄れていくため、基本的に依頼を受けてから採りに行く。加工の準備もあるので、ギルドを通さず直接店から受けることがほとんどだ。

「そんなに怪我が多いのか」

「多いわ」

アニは即答した。ヘーゲル夫人の実家は基本的に薬の加工をしており小売りはしていないが、このあたりの通りには小売業者も多いので、どんな薬が売れているかなどの情報はすぐに入ってくる。

「特に森から戻ってくるとき、東門近くの草原での被害が多いみたい」

「帰り道の門が見えた時が一番気が緩む瞬間だからな……」

トーコもバッタを放したときの東門の外を思い浮かべた。確かに人の背丈よりも草が伸びて視界が悪い。探査魔法のあるトーコは問題ないが、視力に頼るなら大変だろう。

ひとしきり嘆いたアニはその代わりと言わんばかりにがっつり薬草を巻き上げた。ベアもあまり強くは出られず、アニはほくほくしてふたりを送り出した。トーコはげっそりして店を出るベアの背中に向かって合掌した。


怪我で離脱する人が多い、という話はツムギグモの工房でも聞いた。どうも思った以上に深刻な状態らしい。

「草刈する?」

「草刈?」

「森と東門の最短距離だけ、草を刈って見通しよくするの。広い草原の全部は無理だけど、最低限の安全が保障できる。森のなかは視界が悪いってことはないみたいだし」

「そこまでしてやる義理はないが」

「でも、このまま怪我人が増えたらアニの薬草みたいにしわ寄せがくるよ?」

「そうだな……」

草原に道を切り開くのはトーコがいつもやっていることだ。

結局その足でギルドへ行き、了承を取り付けてからふたりは東門を出た。特に背の高い茅の類が視界を遮っている。トーコは早速いつもの障壁魔法のハサミを封筒から降り出してフル稼働させた。ひとつひとつは小さいハサミでも、数が集まればその仕事ぶりは壮観だ。幅二百メートルにわたって二人の前で少しずつ草が刈られ、頭上に投げあげてある封筒に吸い込まれていく。

刈る必要のない草は残してあるので根こそぎではないが、だいぶ視界がすっきりした。どうせまた生えてくるだろうが、暫くしのげるはずだ。

「確かにチョウロウクロネコがいるね」

「どこにいる」

「南に八百メートルくらい離れたところ。休んでいるみたい」

「狩れるか」

トーコは気が進まない顔をしたが、ややあって目の前にチョウロウクロネコの死骸が飛んできた。大きなオスだ。

草刈りを終えてギルドに戻り、首尾を報告した。

「これで少しは被害が減るといいんだけどねえ」

「今年は草の伸びが異常だな。昨年は角ウサギが大繁殖して草丈が短かったから余計にそう感じる」

ベアが旧知のギルド職員と話していると、薬草に詳しい女性職員が横から教えてくれた。

「今、狩人のチームを集めて、近場だけでも駆除するかって話になっているわ。その時はあなたたちにも声がかかると思う」

「救護要員か」

「ええ。もちろん駆除に回ってくれてもいいけれど、派手な魔法はやめてね。角ウサギの掃討作戦でいい採集場所が焼き払われたっておかんむりな人もいて、基本的に火炎系の魔法は禁止。火事になっても困るし」

「治療がんばります」

仕留めたばかりのチョウロウクロネコをギルドの競売にかける手続きをしていたトーコは、首を竦めて宣誓した。

「それから、あなたに国境警備隊から指名依頼が来ているわ」

「国境警備隊から?」

笑いをこらえる表情で女性職員は依頼書を差し出した。

「なんだ、ゲルニーク塩沼行きじゃない……あれ」

トーコは目をごしごしこすった。

「どうした」

「報酬が十タスって読める」

十タスなんて子どもの駄賃だ。ベアも用紙を覗き込んだ。

「十タスだな」

「ハ~ル~ト~マ~ン~さ~ん!」

こらえきれず、女性職員が笑い出した。

「それでも値上げしてもらったのよ。一タスじゃギルドの取り分の一割が出ないから。こら、依頼書をしわにしちゃだめよ」

「ハルトマンさん、全然なんにも言っていなかったよ! 言ったら逃げると思ったな!」

「……断るという手もあるが」

トーコはおののいた。

「ハルトマンさんは百年根に持つよ!」

「じゃあ、受けるんだな。日は……解禁日初日か。まあ今年は魔物が多いようだし、彼としても保険をかけておきたいんだろう」

「ううっ……もうゲルニーク塩沼なんか行かないって思ってたのになあ」

「一度引き受けたことは責任を持て」

「……はい」

がっくりとトーコはうなだれ、受領のサインをする。

「まあ、俺も同行するから……」

「あら、ダメよ」

慰めようとしたベアの発言を女性職員がきっぱり蹴った。

「ベアはギルドの護衛隊の引率があるでしょ。ちゃんとトーコが出てきたときに入るようにしてあげるから、今年もお願いね? 一度引き受けたことは責任を持ってくれるんでしょ?」

「……」

自分で自分の首を絞めたベアは沈黙し、トーコは思わず笑ってしまった。


 「ゲルニーク塩沼かあ。もうすぐ一年なんだね。あれって、わたしがギルドの後見制度を利用して三回目が終わったすぐあとだったもん」

まだ青い実をつけたアカメソウの茂みを見つけてトーコが言った。ギルドに入って一番最初に請けたのがこのアカメソウの実だった。

「まだふた月以上も先だが、そんなになるか」

時の経つのは早い。東門から森へと草原を横切りながら、ベアはこの十か月を振り返った。共に魔の領域に入るようになってから変わったことはありすぎて、しかし総じて良い変化だったと思う。

魔法もそのほかの事も危なっかしくて目の離せない弟子ではあるが、採集だけに限れば余裕のある活動ができた。その余裕で他のギルド構成員とも良いつながりができた。できることが増えただけ責任も増えたが、まだベアの対応可能な範疇だ。

そのあたり、トーコは理解が足りないが、痛い目にあって徐々に学習はしている。

「森は去年とそんなに変わらないね」

草刈の翌日、ユナグール周辺の様子をうかがいがてら、ベアとトーコは久々に東門から徒歩で魔の領域に入った。目的は歩いて一日ほどのところにあるツムギグモの森だが、久しぶりなので、道を忘れないように採集は控えてしっかり歩くことが今日の目的だ。道のあやふやなトーコが前を歩く。

「ベアさん、チョウロウクロネコがいる。仔を三頭連れているね。昼間だから茂みの中で休んでいるみたい」

歩いて二時間もしないうちに、トーコが言った。チョウロウクロネコたちを避けて迂回して一時間もすると、今度はトーコの探査魔法にネグイがひっかかった。こちらも仔連れだ。場所も悪く、あまり迂回ばかりもしていられないので、遭遇してしまったら仕方ないということでそのまま歩く。幸いネグイたちはこちらに気が付かず、別の方向へ逸れていった。

「やっぱり魔物多いね」

トーコは水場で火を熾しながら感想を述べた。魔法に頼らず火を熾すのは久々なので、悪戦苦闘している。

「森に勢いがあるのは果樹の草原の向こうの森も、千年樹の森も同じだが。こうなると、むこうの森の魔物が多いのは狩人が入りこんでいないからではなく、単に殖えているだけなのかもしれんな」

こちらも採ったばかりの角ウサギを捌きながら答える。夏場なので身が痩せている。午後もネグイとオオミミヤマイヌがトーコの探査魔法に引っかかり、ふたりは迂回した。オオミミヤマイヌはうまく避けたつもりだったが、鋭い嗅覚を活かして追いかけられたので、途中で待ち伏せして障壁魔法で一日ほど足止めすることにした。

角ウサギやフタオリスのような小動物も頻繁に見かけた。ツムギグモの森ではクモも増えていた。場所がないのか、巣を張るのにあまり適していないところへも無理に巣をかけている。ベアが見事に疑似餌を操る横で、トーコも真似をするがどうもうまくいかない。餌が豊富なせいか、ポイ捨てされる確率は昨年以上だ。

「うーん、ツムギグモに嫌われてる」

「焦って動かしすぎだ。もっとツムギグモの反応をよく見て合わせろ」

「去年も同じこと言われた気がする~」

苦戦するトーコを尻目にベアのほうは片端から疑似餌をかけてどんどん糸を回収している。途中からトーコは壊れた巣の撤去とツムギグモが持ち去った捕獲糸の回収、放棄された巣の回収に専念した。獲物の入った捕獲糸もたくさんあったのでそれも貰う。ただし、中にネグイのようなやっかいなのが入っているのは避けて、角ウサギやフタオリス、鳥のたぐいのようにあまり害のなさそうなのにしておく。

「うーん、巣糸はいっぱいとれていいんだけど、薬草はあんまりないねえ。夏のキノコはあるけれど、木の実もアケビもムカゴもまだだしなあ」

前回の記憶をたどり、トーコは残念そうだ。一応キイチゴの類や薬になるツタやコケは採集できているが、物足りない。

「ツムギグモの人口、じゃないクモ口密度は凄いけれど。他の場所ではこんなに見ないのに、なんでだろう」

「さあな。ツムギグモの天敵を人が狩ってしまったか、採りつくしてしまったのかもな」

「狩りつくされて今はこの辺にいないっていうと、ハクギンオオカミとか、オジロジカ? チョウロウクロネコがツムギグモを食べるなら、オオカミも食べるのかな」

「案外オジロジカかもしれんぞ。シンリンヌマジカに比べれば小さいとはいえ、ツムギグモの巣にひっかかるような獲物じゃない。オスの角は大きいし、ツムギグモの巣を破いて歩くことになるかもな」

「そっちのほうがありそう! ツムギグモって結構低い位置まで巣を張るから簡単に蹴破られそうだもん」

そんな話をしながら共同野営地を拠点に三日ほど採集したが、他の採集者とはすれ違わなかった。すぐにツムギグモの巣が見つかるので移動距離がさほどでないことを除いても、来ている人が少ないのかもしれない。

ベアは三つ目の疑似餌を持っていくツムギグモを見送り、トーコが示す次の巣へ足を向けた。

「この巣も豊作! 獲物が入ってるのが四つもあっ……たーい」

ツムギグモが隠れ家の下に獲物を吊るすのを待って回収していたトーコは、前をよく見ていなかったのでベアの背中に思い切り衝突してしまった。

「どうしたの?」

トーコはベアの顔を見上げ、その視線を辿った。大きな背負いかごが転がっている。

「トーコ、近くに大型の魔物はいるか」

「いない。ベアさん、あれ……」

「踏み荒らさないように気をつけろ」

トーコは思わずベアのローブの端を掴んだ。ベアが探査魔法を発動した。それを感知したが、トーコはとても追随できなかった。何があるのか知るのが怖い。

ベアはトーコの手を振りほどいて足を踏み入れ、少し離れたところに転がっている布の塊の上にかかがみこんだ。ややあってベアが時間凍結魔法で固定する範囲をトーコに指示した。トーコは言われるままに場所を固定して地面ごと惨劇の場を封筒に収めた。とても直視する勇気はなく、終始目をそらしたままだった。

すぐにギルドへ転移し、ギルド職員の指示でギルド裏手の競売場に持ち帰った封筒の中身を出す。

「今は時間凍結魔法をかけているからこれ以上は腐敗しない。ギルドの身分証はこれだ」

ベアの差し出した身分証を受け取り、ギルド職員は顔を曇らせた。

「遺体はひとりだけか? 女房が一緒だったはずなんだが」

「目視できる範囲にはなかった。あまり探さないで急いで戻ってきてしまった」

「これはオオミミヤマイヌかな」

「おそらくそうだ。槍先に血と毛がついている。ズボンのすそと首あたりが特に出血しているようだ。単独行動のオスではなく、大きくなった仔を連れたメスの可能性が高いな」

「腕のいいベテランだったのに、残念だ。ベア、今日はこれで引き上げか? それなら遺族へ伝言を頼みたいんだが」

「いや。俺たちは戻ってもうひとりを探す。怪我をして動けないだけかもしれん」

「日が暮れるまで一時間くらいしかないぞ。遺体の腐敗状況から言ってもあまり望みは……」

「彼らとは去年一緒にツムギグモの森に入って、世話になった。このままにするのは目覚めが悪い」

トーコは息を呑んだ。

「ベアさん! もしかして、あの人たちなの? 去年、一緒にツムギグモの森へ言った人たちなの? あの無口なほうのご主人なの?」

「他人のギルド証を持ち歩いていたんでなければな。遺族の確認が取れるまで確実なことは言えないが」

トーコは顔をこわばらせた。

遺体をこのまま遺族に見せるのか。魔物に食い散らかされ、虫が沸き、骨を噛み砕かれた無残な姿を。あまりに散らばって拾い集めることもできず、地面ごとえぐりとってきた生々しい現場を。

ベアはトーコを促して元の森にもどった。遺体のあった場所を中心に探査魔法で探す。日が暮れてからは巨鳥の脅威がないので、空からきっちり円を描くようにローラー作戦で探した。一晩かかってかなりの範囲を探したが、見つかったのは壊れた背負いかごと、乾いた血がこびりついた槍だけだった。

翌日、ギルドへ出勤してきた職員は入り口前の石段に座って待っていたベアとトーコから遺品を受け取った。

「半径十キロ圏内をくまなく探したが、それしか見つからなかった。誰の物かはわからんが、遺体から五百メートルしか離れていないところで見つかった」

さすがのトーコも障害物の多い森で魔力を持たない物品を探すのに魔力も心身も消耗して、ベアにもたれて眠りこんでいる。

「遺族の確認もとれた。一番上の子がしっかりしていてくれて助かった。旦那の母親のほうは取り乱してな。落ち着いて話ができるまで時間がかかった」

「そうか」

「この夫婦はきちんとしていたし、子どもの引き取り手も養育費もあるから後の仕事は楽だ。今日、もう一回役人を呼ばないとな。そのあとで時間凍結魔法を解除してくれ」

「わかった。今日は町にいる」

ベアとギルド職員は淡々と言葉を交わした。ギルドではよくあることで、完全な骨にならないうちに遺体が見つけられ、ギルド証とともに持ち帰られただけ彼は幸運だ。妻のほうの遺体は魔物が巣まで持って行ったのかもしれない。亡くなってから時間もたっているし、見つけるのは困難だろう。ただそちらも遺品があり、状況を総合的に見て、役人も死亡の判断を下すだろう。

遺族にとって一番厄介なのは、単なる行方不明だ。魔の領域から戻ってこないことからおそらく死んだのだろうと思われても、それだけで役人は死亡を認めてくれない。死亡が認められなければ、遺産は遺族に渡らず、残された家族が困ることになる。妻や子などはっきりした相続人がいてギルドの裁量で生活に困るようならばギルドに残った未受取金から少額ながら月々生活費をわたすなど柔軟に対応しているが、あとでトラブルになることもある。

二年間一度も依頼を請けないと自動的にギルドから除籍されるが、この時、ギルドへの預け金を本人が取りに来れない場合、二次受取人が申請されていれば、その相手に渡せる制度もある。

ベアとトーコはギルドの呼んだ役人が検分するのに立ち合い、遺体を棺に納めるのを手伝った。役人には見つけた時の状況などを形式的に聞かれた。遺体のない妻のほうの死亡を認めるかでしばらく揉め、結局そちらは可能性は高いものの認めないことになった。

「夫の死が確定しているから、遺族もすぐには生活に困らないだろうし、今回は妥当な結論だな」

書類に欠き込みながら、ギルド職員が言った。

「そういうのって、遺族の状況でかわったりするものなの?」

「ほんとはいけないんだろうけどね、役人だって鬼じゃないから、小さい子供が残されて身よりもないとなったら、可能性の高さを考慮するさ。救貧院に来られても困るだろうし。ギルド証があれば一番認めてもらいやすいんだけどねえ」

「ごめんなさい」

特徴ある形状で大きさもある背負いかごや、金属製のやはり特徴ある形の槍ならともかく、小さな板切れを自然界から探し出すのはトーコといえども難しい。一応、背負いかごと槍のあった周囲は丁寧に探したのだが。

ギルドに登録し、実際に魔の領域に入るようになってから、魔の領域はそれまで思っていたような恐ろしい魔物が跋扈する死と隣り合わせの世界ではないのだと思った。しかし今の魔の領域はそれに近い印象をトーコに投げかけた。

ツムギグモの糸とりを専門にしていた夫婦の遺体にも遺品にも果敢に応戦した痕跡があった。前に同行したときは杖代わりにしかしていなかったけれどやはりちゃんと使えたのだ。そうでなくては踏み入れることのできないのが魔の領域だ。

 千年樹の森のいつもの採集に戻ったトーコは対魔物用の探査魔法を丁寧に起動させた。消臭魔法、隠形魔法もしっかりかける。大型の肉食獣は大抵先に気が付くのでこのところ気が緩んでいたかもしれない。つい自分たちのもののように思っていた森や草原、湿地も決して人の領域の生物を受け入れているわけではない。

 そのことは改めて胸に刻んでおく必要があるのかもしれなかった。

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