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第23話 夏野菜

六月。大雨の影響は魔の領域でもあちこちに残っていた。

「あーあ、熟れて食べごろだった実がだいぶ落ちちゃってる」

トーコは水気の多い果実が多数落ちた地面を眺めてがっかりした。

「トオカモモ。種を割った仁が婦人病に効く」

「じゃあ、種だけ拾うね」

「葉は乾燥させて煮出したものが皮膚病に効く。布に浸して患部にあてたり、煮出し汁を入れたお湯に体を浸したりする」

虫小屋を後にしたベアとトーコはさらに北に向かって移動しながら採集を続けた。長雨直後は草木が水を吸いすぎているので採集しないほうがいいと言っていたベアだったが、そろそろいいだろうということで、トーコは魔法を全開にして採集に励んだ。

「ベアさん、この木は実が落ちていない」

「熟していなかったんだな。まだ少し青いが採っていいだろう」

「さっきのと違うけれど、葉っぱが似てる。これもモモの仲間?」

「イブシモモだ。トオカモモと同じように種の中の仁と葉を利用できるが、効能はずっと強い。自分で使おうとするなよ」

「うん、分かった。実は食べられる?」

「食える」

さっそくトーコが試食する。

「……びみょー」

「そうか?」

「モモってもっと甘いと思っていたんだけど、なんかどれもこれも甘くない」

「十分甘いと思うが」

「うーん。品種改良の問題なのかなあ。味はちゃんとモモなんだけど。ジャムにしてみようか」

「ジャムは冬にたくさん作ってなかったか?」

「結構食べたり人にあげちゃったりしてるし。それにいろんなのがあったほうが楽しいよ。お砂糖あんなにいっぱいどうしようかと思ったけれど、こうなるともっとお砂糖に振り分けても良かったかも。黒砂糖だけでもう二樽使っちゃった」

「あれだけユキカンのジャムを作ればな」

「お砂糖はお菓子屋さんと交換したりもできていいな。逆に全然減らないのがお酒と布なんだけど」

「急ぐことはない。一生かかって消費すればいい」

「ベアさんのスケールは大きいね。あ、そうだ。夏になったらシラー夫人の実家に遊びに行きたいの。七月頭の週なんだけど、行っていい?」

「ついでに例の竜の肉を食べた男の様子も見てきてくれ」

「ありがとう。お土産にトマト貰ってくるからね!」

ベアは怪訝な顔でイブシモモの葉を摘む手を止めた。

「なんでトマトなんだ?」

「シラー夫人の実家は農家で、夏の間は週三回、神殿前の広場の市にお店を出しているんだよ。でも七月の最初の週は神殿の神事で市がないんだって。だから野菜が欲しかったらおいでって! バベッテ姉さんとシラー夫人と一緒に行くの」

トーコは嬉しそうだ。

「なるほど。そんなにトマトばっかり持ってこなくていいぞ」

冬の保存食に作るよく煮たのならともかく、青っぽい匂いのする生トマトは好きでない。

「大丈夫! ナスもピーマンもトウモロコシも作ってるって話だよ」

「……まあ、あまりご迷惑にならんようにな」


ベアに予告したように、七月初めの週、トーコはバベッテとご近所のシラー夫人と一緒にユナグール郊外の農村へボードを走らせた。大きなお腹のシラー夫人にあまり負担がないように滑らかな操縦を心がける。以前通った冬の道と同じとは思えないのどかな田園風景を走り、シラー夫人の実家の農家に到着する。

旧交を温めたら早速畑に出る。

「わあ、畑がいっぱい! トマトが真っ赤!」

「そんなのが珍しいなんて町の子だねえ」

親父さんが笑った。バベッテが苦笑する。

「とんでもない。この子、いつも町どころか魔の領域に入りっぱなしなんですから」

「ああ、娘から聞いてるよ。色々珍しいものをいただいているようで」

「ほとんど食べ物ですけれどね」

「そういうことなら、今日は人の領域の食べ物をたんと持っておいき。五月の大雨の時にはどうなるかと思ったけれど、見ての通り、草取りが追いつかないほどさ。市もないから食べきれない」

「おじさま、迂闊にそんなこと言うとこの子が本気にしてみんなもいで行ってしまいますよ」

「え、だめなの?」

バベッテがこつんとトーコの頭に拳を置き、シラー夫人の父親のブリュン氏が声をあげて笑った。

「どうせ落ちて腐るくらいなら食べてもらったほうがいい、遠慮しないで持っていきなさい」

「どうやってもぐの? 全部赤くなったら採っていいの?」

「そうさな」

ブリュン氏が畑に入って一つを手に取る。ひっくり返してトーコに見せた。

「この辺まで赤くなっていたら採っていいよ」

「全部赤くなるまで待たなくていいの?」

「そこまで待ったら熟れすぎて皮がはじけてしまうよ。煮込むならいいが、ユナグールまで持って帰るならこのくらいの硬さがいいだろうね」

「あ、それは大丈夫。魔法の入れ物にいれて持って帰るから」

トーコも真似して畑に入り、実をひっくり返す。

「これは?」

「熟れすぎだね」

「じゃあ、これ全部採っていい?」

「もちろんだ」

トーコはいつものように探査魔法を起動し、ハサミ型の障壁魔法を無数に飛ばして切り離し、移動魔法で引き寄せた。

大量のトマトが空を飛んでくるのと見てブリュン氏もバベッテも口をあけた。

「採ったよー」

「……あなた、魔の領域でもいつもこんな風に採集しているの?」

「うん。人の領域の植物は魔力がないからまったく同じじゃないけれど、見た目的には同じだね」

「呆れた。どうりでいつもいっぱい持っているわけだわ」

「いやあ、魔法ってのは凄いな。一瞬でこれだけ採るとは」

「これ全部、完熟の。バベッテ姉さん、明日か明後日には完熟になりそうなのも採る?」

「ご迷惑だから、やめなさい」

「いや、そんなにうちでも食べられないし、今は保存食を作る季節でもないから、遠慮なく採りなさい」

「でも」

「このまま置いておいても腐らせるだけだ。落ちた実は病気の元だから、拾って歩くのも大変なんだ」

「じゃ、今落ちている実も拾ってどこかによけておく? 雑草もとっちゃおうか?」

「ほう、そんなことできるのかね」

「落ちた実を拾うのは簡単。雑草のほうは……トマト以外を全部抜けばいいんだよね?」

「いや、間にハーブや唐辛子を飢えているところがある」

「抜いちゃいけないのだけ教えてくれる?」

畑の掃除も一瞬で終わり、ブリュン氏は大喜びだ。

「こりゃいい! よし、次はナスがそっちに……」

昼過ぎまでに大量の野菜と雑草をとって一行は意気揚々と家に戻った。

ブリュン氏が家族に一瞬で雑草が畑の脇に山になった有様を身振り手振りを交えて話す。ちょうど収穫期のジャガイモも全て掘り起こしてイモはサイズ別に納屋に納め、不要部分は雑草とともに堆肥置き場行きだ。きれいになった畑に灰を撒いて土ごと障壁魔法のふるいにかければ次の種まきの準備完了だ。何より土の中にいる害虫害獣も一掃できてブリュン氏は大喜びだ。

「いやあ、たまげたね。魔法ってのがこんな便利だとは思いもよらなかったよ」

「毎日鍛錬してるもん」

トーコは胸を張った。実際日々の採集のたまものだ。

「それより、このトマトスープ美味しい! なんかいい香りがするけれど、ハーブ?」

「ハーブと、ほんのちょっぴり炒った木の実が入っているの。これが最後の木の実だから、秋になるまでお預けの味よ」

「魔の領域ので良ければ、木の実、色々あるよ」

木の実を見てもらって、食べたことのあるバベッテが選んだいくつかを譲る。お礼にトマトスープのレシピを教えてもらった。

「午後は野菜を洗って加工? 干すんだっけ?」

確かバベッテがそんなことを言っていた。

「ええ、そうしたらトーコに手間かけることもないしね。完熟しているのは煮てしまいましょう。それで冬まで預かっていて頂戴」

「分かった。シラー夫人のも冬まで預かっておく?」

「あら、わたしもお願いしていいの?」

「もちろんだよ」

「ありがとう。とっても助かるわ。トーコちゃんは時間を止めておく魔法が使えるのよ」

シラー夫人は両親に説明した。父親が身を乗り出した。

「今採った夏の野菜を冬の市場に持っていけるってことかね?」

「理論上可能だけど、実際的じゃない。時間凍結魔法って高価だし、半年も維持しようと思ったら魔力がそれだけ必要になるから、とんでもない値段になっちゃう。魔法を解除するのはかけた魔法使いにしかできないし。だから出回ってないでしょ?」

「なるほどねえ。うまくいかないもんだ」

「でもまあ、これは商売上の話。わたし個人が、わたし自身の楽しみのためにどんな魔法にどれだけ魔力を使おうが関係ないし、夏に採った野菜をご近所のシラーさんにおすそしても別に問題はない」

姿勢を直したブリュン氏がもう一度身を乗り出した。

「ほう!」

「一番の問題は、私が基本的に魔の領域にいて、ほとんど人の領域にいないってこと。残念ながら、おじさんが欲しいときに、私の予定を変更して戻ってあげるってわけにはいかないの。魔の領域ではチームの行動だし、採集予定は天候にも左右されるから」

「ううむ……」

「私がお役に立てるとすれば、今できすぎたお野菜を保管しておいて、冬になったらどこかのタイミングで持って来るくらいなの。ごめんね」

「いやいや、よくわかったよ」


昼食後は表に出て野菜の加工だ。真っ先に手を付けたのは干しトマトだ。洗ってへたを取って半分にカットしたり、大きいものは輪切りにして塩を振って障壁魔法の上に並べておくだけ。障壁魔法は太陽の熱を吸収しやすいように黒にした。それを適当な野原に並べたら、お次はトマトソースだ。

洗ってへたをとるところまでは同じ。トーコは皮は湯むきするのかと思ったら、しないと言う。適当な大きさにカットして障壁魔法で作った大鍋に入れてタマネギと一緒に放り込んだ火竜の熱で煮込む。本当はマッシャーで潰すというので、そこはフープロ魔法で代用だ。あとは煮詰まるまで放っておくことにして、他の野菜で酢漬けや油漬けをせっせと作る。

面白がって見物していたシラー夫人の両親や家族がアドバイスともチャチャともつかぬ野次を飛ばし、賑やかに作業は進む。実際にやっているのはトーコなのだがみんなでワイワイというのは好きなので楽しい。

夕方までに作業は完了し、トーコは出来上がった作品にラベルを付けて持ち主ごとの封筒に入れた。

「あらあ、一週間ぶんの仕事が終わっちゃったわね」

シラー夫人の母親が感心すると、その夫が言った。

「なあに、また二、三日もすれば次のが熟れるさ」

バベッテは夕食の支度を手伝い、トーコは牛の餌やりを手伝った。重い餌箱も浮遊魔法と移動魔法で楽々である。古い敷き藁や牛の糞も堆肥置き場にさようなら、だ。

「うーん、労働の後のごはんは美味しい!」

瓶に入りきらなかった半端のトマトソースを使った新ジャガとソラマメのチーズ焼きを頬張りながらトーコはご満悦だ。

「やることなくなっちゃったから明日はベアさんのところに戻ろうかな」

「たまにはゆっくり散歩でもして骨休めしたら? トーコはいつも忙しそうなんだから」

「でも、魔の領域での採集も忙しい時期だし、一週間もベアさんひとりに押し付けちゃうことになるし」

「そういうことなら、トーコの好きにするといいわ」

「うん。じゃあ明日は……」

ばたん、と大きな音を立ててドアが開いた

「おーい! 明日もトマトとりだぞ!」

「はい?」

きこしめしていい顔色になったシラー夫人の父親がおなじ顔色の男二人と肩を組んで立っていた。

「明日はこいつの、明後日はこっちのやつの。雑草もゴミも野菜もみーんなもってっていいぞ! わはは」

トーコはバベッテとシラー夫人と彼女の母親の顔を見た。

「……わたし、雑草係だと思われてる?」

女たちが呆れと苦笑半分ずつの顔をした。

「しらふにかえっても、いいって言ったらいいんじゃない?」

「いそいそと出て行ったと思ったら、お父さんたら、酒場で面白おかしく話したようね」

  「ごめんなさいねえ、トーコちゃん。うちの人が勝手に」

  「……がんばります」


「おうい、連れてきたぞ!」

「おはよーございまーす!」

シラー夫人の父親に連れられて翌朝トーコは村の農家を訪ねた。

「やあやあやあ! 待っていたよ!」

酒の席でノリで言ってしまっただけかと思いきや、抱きつかれかねないほどの大歓迎を受けた。早速案内された畑は昨日のよりもだいぶ小さいのに雑草ががんばっている。

「年寄ふたりだとなかなか手が回らなくてねえ」

トーコは納得した。シラー夫人の実家は大きな農家で、夏の間は家族以外に男性三人女性一人を雇っている。だからここより広くても、世話が行き届いていたのだ。

「このところ急に暑くなって野菜の育成がよくてね、ここの畑の雑草はそんなにとってないんだ」

訊けば、収穫した野菜の一部はシラー夫人の母親に預けてユナグールの市場で売っているという。持っていける量には限りがあるので、必要量が確保できる場合は予備の畑はおざなりになりがちだ。かといって天候の都合上、育成が遅くて足りないことも考慮してある程度作らざるをえないらしい。

そして市がお休みの間は当然収穫の必要もないので放置だ。

「そんなわけだから、欲しかったらここの野菜は欲しいだけ持って行っていいよ」

「わーい」

トーコはシラー氏の実家と同じように、採ってはいけないものを教えてもらってから、一気に雑草を引いた。落ちた実などのごみも一緒に排除する。畑の持ち主が感嘆の声をあげた。

「ねえ、黄色くなってる葉っぱもとったほうがいいの?」

手入れが行き届いていないからか、枯れた葉がしなびてぶら下がっているのが目につく。

「とれるかい? なら頼むよ」

「じゃあ、半分以上黄色くなってる葉っぱはとっちゃうね。で、トマトは今日すでに熟れて皮が裂けているのと、明日・明後日に熟れそうなのは貰っていい? ナスも今日・明日がちょうど食べごろなのを貰うね。大きくなりすぎちゃってるのはどうする? このままにして種を取る? ゴミにする? 別にしておく?」

条件を確認してからこれまた一気に収穫する。封筒に詳細を記載してポーチにしまう。

「雑草やごみは最後にまとめて堆肥置き場だね」

「よし、次は向うの畑だ」

持ち主はきれいになった畑に嬉しそうだ。トーコも新鮮な野菜が手に入って嬉しい。シラー夫人の実家で作っているのと違う品種も結構ある。食べ比べが楽しみだ。

輪作だから畑は放牧地や休耕地を挟んであちこちに散らばっている。魔物を警戒する必要もないのでピクニック気分で移動しながら美味しい野菜の食べ方や、いい牧草の育て方を教えてもらう。プロの話は奥が深くて面白い。

小さな農家なので掃除と収穫はすぐに終わった。バベッテにはお昼までには戻ると言ってある。

「お昼までまだ時間があるから、ヨツキバオオイノシシに襲われた人の様子を見に行っていい?」

「彼なら元気だよ。ひょっとして、治した魔法使いってお嬢ちゃんかい」

「わたしがって言うより、たまたまいい薬をもっていたからなんだけど」

「な、ちっこいのにたいした魔法使いだろ」

なぜかシラー夫人の父親が自慢そうに言ってトーコの肩をばんばん叩いた。堆肥置き場のところで別れようと思ったのだけど、案内してくれるとのことだったので、お言葉に甘えた。ボードで移動すると、子どもみたいにはしゃぐのでおかしくなってしまった。

ヨツキバオオイノシシに襲われた男は元気そうだった。もうすっかり良いということで、ベアを安心させてあげられそうだ。そしてなぜかここでも畑掃除をすることになる。野菜を貰って、そのうえお昼までごちそうになってしまう。小さい子たちはどちらもびっくりするくらい背が伸びていて、でも相変わらず仲良しだ。


ブリュン氏を家まで送ってやっとトーコは魔の領域に飛んだ。ベアと別れた地点へ転移し、探査魔法でその足取りを探る。近くの果樹に絞って探査し、ごく最近人が採った痕跡を探し出す。その方向に探査魔法を延ばし、ベアが採集しそうなものを探す。果たして採集された形跡を見つけて、移動し、そこから再び探査魔法をくり出すことを繰り返し、ややあってベアを見つけた。

「ベアさーん」

上空からぶんぶん手を振ると、採集のためにかがみこんでいたベアが気が付いて顔をあげた。

「どうしたんだ。随分早いじゃないか」

「ただいま! でも夕方の餌やりの時間にはむこうに戻るけれど」

トーコは着地して持っていたお皿を持ち上げて見せた。

「ヨツキバオオイノシシに襲われたひとは元気だったよ。お昼ごちそうになっちゃった。で、これはベアさんに。もうお昼食べちゃった?」

「まだだ。いただこう」

トーコが話したくてうずうずしているのを見てとり、ベアは聞き役に回ることにした。早速トーコは椅子とテーブルを出してお茶を沸かし始める。その周囲ではすでに魔法が起動され採集が始まっている。

ヨツキバオオイノシシに襲われた男の家では日常が回復し、トーコは美味しかったお昼ご飯のレシピももらったらしい。若い青豆とベーコンの卵炒めは確かに美味しかった。

ベアが食後のお茶をゆっくりすすっている間にトーコはいつもの採集スタイルに着替えた。七月の果樹の草原は薬草もたくさんだが、美味しいものもたくさんだ。時間があまりないので、いつもならただ美味しいだけの果物も樹にとどまって採集するが、今日は歩きながら取れる分だけ採る。

ベアも大量に生えているものなどの採集はトーコに任せ、自分は目につきにくい希少な薬草を探すのに注力する。

「ベアさん、その先、トゲイチゴがはびこってる。左に迂回する? この辺、トゲイチゴがいっぱいあるね。実は美味しいんだけど、歩きにくい」

「まったくだな」

うっかり足を踏み込むと細いとげが服に引っかかって外すのに難儀する。過去何度も服を破られた経験のあるベアは弟子のナビゲートに乗って難所を迂回することにした。

草丈が高く視界が悪いが、イネ科の草はコハクチュウの餌になると聞いてからは進行方向にあるものはトーコが大鎌型の障壁魔法ではなく、小さいハサミ型障壁魔法でちまちま刈っている。うっかり大事な薬草を刈ってしまわないようにだが、虫小屋を出てくるとき、炒って食べると美味しい、と貰ったコハクチュウの蛹を要らないと言えなかった彼女はそのうち飼い始めるつもりかもしれない。ベアにしてみれば、なんでシッチエビは大喜びで食べるのに虫がダメなのかまるで理解できないが。

「ベアさん、その先のタマゴスモモの樹に虫がいっぱいいる。飛んでいるから蟻じゃないけれど、これはなんだろう?」

「タマゴスモモはよく熟れているか?」

「熟れ過ぎて落ちてるのがほとんど。さすがにもう終わりかな」

タマゴスモモはトーコのポーチにもたっぷりと収まっている。濃い赤紫の果肉はとても甘くて美味しい。傷みやすい果物なので過熟ですぐ落下する。落ちた果実にはよく虫が集まっている。蝶なら可愛いが蟻の大群で近づけなかったことがあった。

「オオミツバチかな。行ってみよう。障壁をしっかり張っておけ」

「う、うん。蜂って刺すの?」

トーコは早くもへっぴり腰だ。

「巣を荒らされたりすればな。普段はよほどのことをしなければ大丈夫だ」

「ミツバチってことは、蜂蜜が採れる?」

「巣が見つかればな」

「てことは、やっぱり刺されにいくのか~」

トーコは情けない顔をしたが、蜂蜜の誘惑が勝ったらしくおとなしくついてくる。

タマゴスモモの下は真っ黒だった。大量の蜂が絨毯のように木の下を埋め尽くしている。

「採集は中断。大声を出したり、動いたりして蜂を刺激するなよ。たかられるとめんどうだ」

トーコはこくこく頷いた。

ベアは少し離れたところから蜂の動きを眺め、ややあって歩き出した。トーコもそっと木から離れた。ベアは空を飛ぶ蜂の一匹を追いかけているようだ。途中から蜂の速度に追いつくためにボードにのって草の上を滑らせる。十五分ほど飛んだ蜂は巨石の隙間に入っていった。岩の隙間にはぶんぶんと音を立てて出入りする蜂が何匹もいる。トーコは小声で訊ねた。

「蜂って石の中に住むの?」

よくテレビで民家の屋根裏に蜂が巣を作ったニュースは見たことあったけれど、石とは意外だ。

「雨の当たらないところに巣を作る。アカミツバチは木の下に球形の巣を作ることが多いが、オオミツバチは木のうろや洞窟に作る。巣が大きいから広い場所が好きだな」

ベアがよく採集しているのは崖中の洞窟に作っている。これもよく見れば蜂が出入りしているのは岩の割れ目ではなく、大きな石と石の間を巣材で塞いだものだ。

「ほんとだ、中、広いね」

探査魔法で探ると、ヨツキバオオイノシシに襲われた男の家で見た鶏小屋くらいある。ベアなら背をかがめないとダメだが、トーコなら頭をぶつけない高さだ。

ベアはトーコに見ているように言って、鉈で入り口を塞ぐ巣材を壊しにかかった。あっという間に中から蜂が出てきてあたりを真っ黒に埋め尽くす。ものすごい数だ。障壁を張っていても、その表面にたかって前が見えないほどだ。トーコは新たに障壁魔法を作ってその中に怒っている蜂を閉じ込めはじめた。ざっくり掬っては障壁の中に入れていくが、どんどん出てくるのできりがない。

「トーコ、そのまま蜂をどかせておいてくれ」

「うん」

トーコはポーチから一掴みの木屑を取り出した。それを火竜の魔力と一緒に巣の最奥に送り込んで燻す。しばらくすると煙に追われるようにして蜂が出てきた。それを軒並み捕獲用障壁魔法に吸い込み、ある程度入ったら、残った蜂を移動魔法で一匹ずつ捕獲する。

「ベアさん、中にいたのは全部捕まえた」

「外から戻ってきた蜂が近寄らないように障壁を張っておいてくれ」

「はーい。中に入るの?」

入り口を覆っていた壁がなくなると、中がよく見えるようになった。

「運が良かったな。この巣はほとんど限界まで広がっている。大きい群だし、蜂蜜もあるだろう」

「え、蜂蜜のない巣もあるの?」

「もちろんだ。蜂蜜は幼虫が巣立った後の巣に蓄えられる。巣が新しければまだ密を蓄える場所も集める成虫の数も少ないからな。これは去年から使っていそうな巣だ。この場所は覚えておけ」

「そしたら、来年も蜂蜜を採りにこれる?」

「秋前に採りに来てもいい。全部取ると群が冬を越えられないから半分くらいだが」

「そっかオオミツバチは自分たちの冬越しのために蜂蜜を作ってるんだもんね。タマゴスモモの落ちたのを見つけたら拾っとこ」

罪悪感にかられたトーコが殊勝なことを言う。

「トーコ、巣を外すから下を支えていてくれ」

ベアは膝をつき、垂れ下がっている巣を鉈でザクザク下から上へ切り上げ、少しずつ切り出していく。巣は思ったより重く、トーコはあわてて移動魔法で支えた。

「その巣はまだ作ったばかりだから中に何も入っていないだろう。蜜蝋として使える。今は草の上においておいていい」

「ベアさん、これ、卵?」

次に受け取った巣板の六角形の部屋の中に、米粒のように白いものがひとつづつ入っている。

「そうだ。こっちが孵ったばかりの幼虫」

卵入りの部分の上を切り取っていたベアが鉈で示したのを見てトーコはうっとつまった。

「これ、採るの?」

たしか以前、蛹と幼虫がいい値段で売れると言っていた気がする。

「いや、これは小さい。これもその辺に置いておけば、後でオオミツバチが回収する」

ベアは巣を切りとり続け、目指す部分に到達した。

「うわー、コハクチュウといいオオミツバチの幼虫といい、丸々と……」

ベアと場所を入れ替わって中を見せてもらったトーコは顔をひきつらせた。

「これを持って帰るの?」

「ああ、なるべく傷つける幼虫を減らすために、まっすぐ上に切り上げる。やってみるか?」

「転移魔法じゃだめ?」

逃げ腰の弟子がここまでのベアの労力を無にするようなことを言う。

「……まあ、いいか」

「採るのは幼虫だけ? 巣ごと?」

「巣ごとがいい。この、両隣のも一緒に採れるか?」

「うん。はい、できた」

岩の外にきれいな形の巣板が三枚並んだ。ベアが中身を確認して時間凍結封筒にしまわせる。続いて蛹の段も同様に。

「やっと蜂蜜だ!」

花粉の段を外して、トーコが嬉しそうに言った。

「ミツバチが蓋をしたのだけ採り出せ」

「蓋してないのはだめなの?」

「ただの花の蜜で、まだ蜂蜜になっていない。へたに混ぜると発酵する」

「花の蜜と蜂蜜って別なんだ? 初めて知った。はい、採ったよ」

「そのままぶら下げておけ」

ベアはオオグルミの殻をトーコに持たせ、鉈を当てて巣の蓋を切った。とろりとした黄金色の蜜が流れ出る、と思いきや溢れたのは鮮やかな真紅の蜜だった。トーコが歓声をあげた。

「真っ赤だ! オオミツバチの蜂蜜って赤いの!?」

「これはフチカケバラの蜜だからだ」

「凄い! きれい! フチカケバラってあのかわいらしい感じの薔薇だよね? 秋に実を採るっていう」

「そうだ。花粉の色が混じって赤くなるらしい。ここで密の色が変わっている。こっちは普通の蜂蜜色だな」

「待って待って、じゃ、この密は別に集めておこう」

トーコは探査魔法フル稼働でフチカケバラの蜂蜜が蓄えられている場所を見分けて、ふたを外して移動魔法で一滴残らず採集して瓶に収めた。巣材などが混じっているが濾すのはあとだ。二つに分けた蜂蜜をポーチにしまい、巣は巣で別に保管する。

泥棒たちは十分離れてから障壁魔法を解除した。

 夕方の早い時間、家畜の世話の手伝いがあるから、と採れたての蜂蜜をかかえ、にこにこしてトーコは転移していった。そのまま、しばらく姿を見せなかったので、楽しくやっているのだろうと思っていたら、四日目の午後、昼をだいぶ回った時間によろよろとトーコが現れた。

「や、やっと来れた。二時間、二時間だけ抜けてきた」

「どうした、何か用か」

ベアは地上に降り立ったトーコを怪訝に見やった。

「熟れ過ぎたタマゴスモモを確保しておこうと思ったんだけど、なかなか抜けられなくて」

「何から抜けられないんだ?」

周囲から採集物が集まってきている。特別な用があっての事ではなさそうなので、ベアは再び歩き出した。そのあとを追いかけながらトーコは訴えた。

「知らないうちに、また畑の雑草取りをすることになってた」

「役に立ててよかったな」

「村中の」

「……。自分で始めたことの責任は自分でとれ」

「ううっ。お野菜は嬉しいけれど、他の事をする時間が全然ない」

「野菜?」

「掃除した畑の野菜。今、市がお休みだから、そのままにしておくと腐ったり、株の栄養を奪っちゃうから収穫しなきゃいけないんだけど、豚さんが食べるにも限界があるから。急に暑くなって野菜が育っちゃってるんだってさ」

「嫌なら断れ」

「喜んでくれるし、感謝されると断りにくくて……。善意で話を広めてくれたみたいだし」

「報酬をもらった以上はちゃんとやれ」

「……ごもっとも」

ベアはしゅんとする弟子を見下ろした。

「収穫も草取りもお手の物だろう。なにが問題なんだ」

「畑での作業は手間じゃない。でも畑があちこちにあって移動にばかり時間がかかるのと、あと……ご年配のひとの話が終わらない」

トーコは口にしてから後ろめたそうな顔をした。ベアは笑いそうになって慌てて表情を取り繕った。

「それから、トマトソースと酢漬けばかり作る羽目になる」

「なんでだ」

「なぜか、行った先々でトマトソースとピクルスを作るものと思われてる。ハーブとか用意してくれているし、こっちのおうちでは作ったのに、お宅のレシピはいりませんとは言えなくて……。トマトソースのレシピが十、ピクルスのレシピが三十四になった」

トーコの悲壮な顔がおかしくてベアはこらえきれずに噴き出した。

「もー笑い事じゃないよ! ベアさん!」

「良かったじゃないか、秘伝のレシピが集まって」

「今、毎日お昼ご飯を二回食べてるんだから! 太っちゃう」

更に各家の自慢料理までふるまってもらっているらしい。料理自体は美味しいけれど、おかげでおやつを食べる余地がないと嘆くトーコ。

「別腹もお昼ご飯でいっぱいなんだもん」

なんにせよ、歓迎されているならベアとしては安心だ。

「トマトとかトウモロコシはともかく、ピーマンこんなにいっぱいどうしよ……。あ、そうだ村の畑に結構虫が入り込んでいたよ」

「畑に虫くらいいるだろう」

「魔の領域の虫だよ。村の人は今まで見たことのない虫だって言ってたけど、草原の細長い葉っぱのところによくいる黒くてちっちゃいバッタとか、緑の大きいバッタとか」

ベアは笑いを収めて眉をひそめた。近くの草むらに足を踏み込み、飛び出た虫を一匹捕まえる。

「これか?」

「うん。トウモロコシの葉っぱを食べて困るっているから、一応駆除しておいた」

「トウモロコシ……イネ科だな。人の領域の草でも食べるのか」

「なんじゃない? 肉食の魔物だって、人を襲ったりするんだから。ベアさん、難しい顔してどうしたの?」

「黒くて小さいのはオオアゴバッタのオスで、緑の大きいのはメスだ。まさか、人の領域で殖えていないだろうな」

「人の領域で殖えないんじゃなかったっけ?」

「そのはずだが。数はどの程度だ」

「三十メートル四方の畑一枚で五匹くらいかな。そこまでの数じゃないと思ったけど……魔の領域から移動したとしたら、多いかも?」

トーコの言葉尻が自身なさそうにちいさくなった。魔の領域の草原では、一歩歩くたびに草むらから飛び出すほどたくさんいる。でも人の領域にはそもそも入らない生き物がこれほどたくさんいていいものか。やっとトーコはベアの懸念を理解した。

冬に駆除したヨツキバオオイノシシらと一緒だ。

「トーコ、駆除したバッタはどうした」

「農家のひとが鶏にあげちゃった。喜んで食べてた」

「次から確保しておけ。一応ギルドへ報告しておこう」

人の領域に戻ったトーコは急いでトウモロコシ畑だけ先に草取りさせてもらった。バッタを探している、というと村の子どもたちがあっちの草原でも見た、こっちの雑木林にいたと教えてくれた。行ってみると確かにいる。角ウサギの調査のように何かを起点にして調べるのではなく、大雑把に四角く囲って単純計算で面積を割り出すことにする。

殆どが体が大きく脚力のあるメスだった。

大急ぎで頼まれた雑草取りを済ませがてら、トーコは村中の畑を回った。

「村の西側にはほとんどいなかったけれど、東側には結構いた。村の東にかなり広い茅の原っぱがあるんだけど、ここが一番多い。畑にもここから入り込んだんじゃないのかな。卵はなかったけれど、見たことないからうまく見つけられなかっただけかも。他にも魔力を持つ昆虫や動物がいないか探したけれど、今のところ、このバッタだけ」

二日後、トーコから報告を受けてベアは両腕を組んだ。騒ぐほどのことではない気がする。しかし冬にヨツキバオオイノシシが三頭も出たばかりの村に、また魔物が入り込んでいるというのが、靴の中に入りこんだ小石のように気になるのだ。

トーコが見せたバッタはご丁寧に捕獲地ごとに分けられていたが、いつも見ているのとそんなに変わらない。

「俺では分からんな。トーコ、虫小屋へ転移しろ」

「そっか、あの人たちならバッタにも詳しいかもね」

「彼らのコハクチュウもイネ科の草を餌にしている。商売敵の事は意外と知っているかもしれん」

「さすが、ベアさん! あったまいい!」

トーコは手を叩いてすぐに転移した。そして転移するなり悲鳴をあげた。ベアも慌てて障壁魔法を展開した。虫小屋の上空へ出たふたりが見たものは、あたりを埋め尽くさんばかりの大きな蝶の群だった。突然現れた彼らにあたって鱗粉を振りまく。

「ベアさん、小屋が白い」

怯えてベアのローブを掴んだトーコが下を指した。飛び交う蝶が視界を遮るので見づらいが、虫小屋は輝くばかりに白かった。

「中に人はいるか」

「うん、半分いる。他のひとはこの近くにはいないみたい」

ふたりは地上に降りて、ドアを叩こうとしてためらった。小屋を白く覆っているものがドアにも付着しており、それはぶよぶよしたなにかだった。結局声だけで訪問を告げる。

「ベアとトーコ? 良かった、今開けるから、コハクチョウが入る前に急いで入って!」

「入り口は障壁で防護する。慌てなくて大丈夫だ」

ベアは怯えたトーコが役に立たないので、障壁で扉の周りから蝶を排除した。中に入ったふたりを虫小屋の人たちが取り囲んだ。

「来てくれてよかった。助かった」

「小屋を囲んでいるのはコハクチュウの成虫か?」

「ああ、捨てた蛹が孵ったらしく、気が付いたがこのありさまだ。こんなこと俺も十年やってて初めてだ。小屋の外壁を見たか」

「白いものがついていた。キノコかなにかか」

「コハクチュウの卵だ」

「卵!? あの気持ち悪いのが?」

トーコは思わず叫んだ。

「この時期のコハクチュウの卵はやわらかい卵塊なんだ。大抵ごつごつした皮の木に産む。俺たちは木の皮を採ってきてそこに卵を産ませるわけだが、このあたりには木があまりないから、木でできた小屋に産み付けたらしい。虫箱も同様だよ」

「そこに置いてあるコハクチュウは?」

「今年は諦めた。最悪、こいつらだけ育てて、越冬卵を産んだら撤退する。他の場所はどんな具合だ」

「分からん。聞きたいことがあって訊ねたらこのありさまでびっくりしている」

「ということは、ここを出て場所を移したほうがいいな。皆、用意しろ。ベア、悪いが」

「手伝おう。ここにいない連中は先に撤退したのか」

「いや、コハクチュウと俺たちの餌の調達に出ている。徒歩一日圏内の草は丸坊主にされて餌集めも難儀なんだ。さすがに女は出せん」

「分かった。トーコ、食事の用意をしたら、周囲の様子を見がてら外に出た連中を探しに行く」


親方の言った通り、小屋の周囲は丸裸だった。コハクチュウの大群が草の消えた地面を歩いているので、トーコは問答無用で飛んだ。これを踏むのは嫌だ。ベアも咎めなかった。

「イネ科の草は殆どないね。食べつくされちゃったみたい」

暫く行くと成虫の数は減り、苦しい道のりを越えてイネ科の草にたどり着けたコハクチュウだけが餌をむさぼっていた。今の季節、どこへ行っても人の背丈以上に成長した茅などが幅を利かせているのに、ここだけは草丈が膝くらいまでしかない。鱗粉を振りまくコハクチョウが減ったもののそれでもかなりの数だ。トーコは成虫のいない隙を狙って何度か障壁魔法を解除して新鮮な空気を取り込んだが、下には絶対降りなかった。丸々と太った芋虫を踏み潰すのは嫌だ。

コハクチュウの天国、トーコの地獄は延々数キロ続いている。

「コハクチュウを育てる必要なさそう」

人の歩いた痕跡を探すベアの脇からトーコが言った。その指先に小さな密玉が草原から集まってあっという間にバケツ一杯分くらいになる。

やがて水を汲みに行っていた二人組を見つけ、彼らを虫小屋へ送ってから狩りにいった三人組を探す。こちらは水場と違ってどこへ向かったか大体の方向しか分からないので、見つけ出すのにだいぶ手間取った。夜になってから彼らが野営する焚火を見つけてやっと合流できた。

虫小屋の人たちが荷物をまとめ、小屋の始末をつけている間、トーコは地面に落ちた密玉を集め、ベアは後から遅れて魔の領域に入り、間もなく到着するはずの追加要員に連絡をつけるために、親方と一緒に途中でよく立ち寄る野営地や水場に立て看板のメッセージを置いて回った。

取り敢えず、新しく作ったばかりの仮設共同野営地に移動し、そこを拠点に残り期間を過ごす場所を探すという。壁と屋根のある安全な場所を放棄するのだから、生半可な決断ではない。

「いつもは殖やすのに苦労するのに、今年はいやによく卵を産むと思ったら、こんなことになるとはなあ」

親方はコハクチュウの飼育箱代わりにしていた木箱から木の皮を取り出してため息をついた。

「卵?」

「ああ、いつもは、この半分くらいしか産まない。嫌な感じだなこれは」

「ほんと。コハクチュウは急に子孫を殖やすことに必死になっているみたいだよね。大きな災害がこなけりゃいいけど」

トーコは親方がため息をつきながら卵のついた板を積み重ねるのを痛ましい気持ちで見ていた。せっかくの卵だがこれ以上殖えても養えないし、放置してまた増殖しても困るので、焼却処分するのだ。臭いが不快なので、外でやる。

「そういえば、ベア、聞きたいことがあるとか言っていたが」

「忘れていた」

ベアは人の領域に出たオオアゴバッタについて説明した。

「コハクチュウの密玉の臭いを魔物は嫌う。オオアゴバッタも例外じゃない。だからあまりこの辺にはいないんだ。まさか、コハクチュウが他でも大増殖したせいでオオアゴバッタが人の領域に追いやられたなんてことはないよな」

「あんたに分からんもんが、俺に分かるかけがない。だが、このところ魔の領域はなんだか落ち着かないな」

「それは感じる」

言ったのは、長年魔の領域に入り、虫小屋でも親方の片腕的存在のベテランだった。元狩人で食糧調達力を女性陣が絶賛していた。

「草の伸びが早い。まるでコハクチュウに食べつくされまいとするかのようだ。魔物との遭遇も多かった」

「他の虫小屋はどうしているだろう」

誰かが心配そうに呟いた。

「親方、俺は近くギルドへオオアゴバッタの件を報告しに行く。あんたも来ないか」

「ギルドへ? ギルドへ報告して何があるんだ」

長期にわたって魔の領域に滞在する彼らはギルドで情報収集するという習慣がない。

 「ギルドには情報が集まる。魔の領域に異変があるなら、早いうちに知りたい」

 ベアは親方とギルド長を訪ねたが、他都市のギルドとの会合で不在とのことだった。

肩透かしをくらったふたりはやむなく報告だけして、翌日の集合を確認して別れた。親方が移動のためやそのほかに必要な物資をついでに調達したいとのことだったのだ。

ベアも人の領域に戻るのは久々なのでついでに雑用を片づけることにした。

トーコは孤児院と国境警備隊へ寄って、採れたて野菜を差し入れした。孤児院では授業中で友達に会えなかったけれど、国境警備隊の厨房ではハルトマンとばったり出くわし、大量のピーマンはお断りされ、トマトソースとピクルスを巻き上げられた。

「なるほど、市が休みの畑か。盲点だったな。来年はうちの連中を連れていくか」

冗談に聞こえない口調で言い、これ以上取り上げられないうちに退散しようとするトーコの首根っこを掴んだ。

「お前、雑穀いるか?」

「雑穀? ソバとか、アワとか?」

「そういうのもあるが、ほとんど大麦だな。欲しけりゃやるが、取りに来い。ついでにうちのも運べ」

「行く行く!」

バベッテが作ってくれた縁起物の雑穀入りの粥は美味しかった。

「どこに行けばいいの?」

「まずは兄貴の家だ」

「はい?」

公都の次兄の家に転移したハルトマンは兄嫁に顔だけ見せて外へ出た。次兄のいる軍の施設に寄ってから、馬車をつかまえ、自分もよく知らないらしい住所を紙片を見ながら告げた。

「どこいくの?」

「仲介している商人だ」

突然の訪問にも関わらず、商人は揉み手せんばかりだった。品を引き取りに来たと言うと、そのまま郊外の倉庫街へ案内してくれ、ハルトマンは一つを開けさせて中身を確認した。そして合意に達したらしい。

「今ある分だけ先に引き取る。運べ」

「凄い量だねえ」

トーコは封筒を出して雑穀の入った麻袋を吸い込み始めた。見えない糸に連なっているかのように、次々と吸い込まれていく様子をあっけにとられて見ていた商人の前で、ぴたりと流れが止まった。

「ハルトマンさん、これも一緒にしていいの? 湿ってるから別にしとく?」

ハルトマンはその場で中身を確認し、顔をしかめた。

「このくらいは仕方ないか。トーコ、別にしておいてくれ」

トーコはもう一枚封筒を取り出し、そちらへ水をかぶったらしいのを入れた。が、

「待て、トーコ、どれだけそっちに入れる気だ」

「でも、こっから後ろ、ほとんど濡れてるよ?」

ハルトマンはもう一度中身を確認し、商人を振り返った。

「少々難がございますが、大量に安くということでしたので。これ以上の掘り出し物はございませんよ」

言いながら、ハルトマンの手に素早く革の小袋をおしつけた。ハルトマンは重さを確かめるように腕を上下させ、商人の書類をめくった。

「この価格ではひきとれんな」

「カビちゃってるのは、どんな価格でも引き取れないってば。この辺のはまだ乾かせば何とかなるけれど、一番奥のは食べられないもん」

「ほう?」

ハルトマンは険のある目を商人に向けた。商人はにこやかにハルトマンの手にもうひとつ革袋を追加した。

「その分はこちらで補填を……」

「カビているのは引き取らん」

「他はこちらでいかがでしょうか?」

ぼーっと見ていたトーコはやっと気が付いた。

「ハルトマンさんっ、そ、それ!」

「なんだ、素っ頓狂な声を出して」

「わわわ賄賂とか言うやつじゃないよね!」

「袖の下とも言うな」

「ハルトマンさんっ!」

「お前は少し黙ってろ」

拳をちらつかれてトーコは黙ったものの、その分目で訴えてやる。もっともそんなものはハルトマンには通用しない。しれっとして値引き交渉をしている。

「ぼさっとしないで来い」

「ええ~」

次の倉庫の小麦も酷かった。

「これ、粉にひいてあるけど、去年のじゃない? 油が回ってる気がする。あっちのは虫が沸いてるから、絶対だめ!」

トーコは商人の扱っている品が信用できないので、探査魔法全開で小姑のようにチェックした。だけど、ハルトマンは値下げ交渉はしてもほとんどを買ってしまう。

「こんなの買っちゃだめだったら!」

「仕方ない、今回はこの値で引き取るが、次は……」

「分かっておりますとも」

「ハルトマンさん! ダメだって言ってるのに!」

買い付けが終わるころにはトーコは精神的にぐったり疲れ果ててしまった。

「何ふてくされてんだ。別にお前が食うわけじゃないだろう」

「国境警備隊のみんなが食べるんじゃない。それなのに。家畜の餌じゃないんだよ!」

帰りの馬車の中でハルトマンは笑い声をたてた。

「軍の飯は家畜の餌以下ってのがお決まりだからな。お前がぎゃんぎゃん喚いてくれたおかげで、いやあ交渉が捗った。次も来い」

「やだよ、こんなことの片棒担ぐの」

「何言ってるんだ。うちの予算で買えるものなんて知れている。量の確保が優先に決まってるだろう。えり好みしている余地はない。ああ、そうだ、水をかぶってるのは後でちゃんと乾燥させとけよ」

「次は依頼する人を選んだほうがいいと思う」

「そうしたらまた最初からやり直しじゃないか。これで向うも、俺が買う買わないの基準がわかっただろ。ごまかしがかないのも分かったはずだしな」

「ハルトマンさんも探査魔法覚えなよ。便利だよ」

「お前にやらせりゃすむ話なのに?」

「その発想、おかしいから!」

「お前の取り分だがな」

「いらない。みんなにハルトマンさんの共犯だなんて思われたら困る!」

ハルトマンは唇の端だけで笑った。いまさらな事をいうのがおかしい。

「俺は泊まっていくが、お前はどうする」

「バベッテ姉さんのところに戻らなきゃ。ああ、今日の分の農作業が終わらない……。ハルトマンさんはいつユナグールに戻るの?」

「明日中に戻れれば大丈夫だ」

「じゃ、明日の午後に。それからユナグールでベアさんと親方と合流して夕方虫小屋まで送って、家畜のお世話にぎりぎり間に合うかな……」

「ベアが戻ってきているのか。虫小屋ってなんだ?」

 トーコは虫小屋について説明した。ハルトマンが興味深そうなので、ついでにコハクチュウの大発生とオオアゴバッタの越境についてもおしゃべりしてからアムル村に戻り、陽のあるうちに大急ぎで頼まれていた畑の収穫と掃除をすませる。

 翌日は滞在最終日なので、村の畑の掃除が終わったら、ハルトマンとベアたちの送迎をし、再び村に戻って市に持っていく野菜を採ったり、卵を集めたり、ご近所から預かる野菜を受け取りに行く。ユナグールの市には村からもう一軒店を出しているうちがあるので、そちらへバターやチーズを持っていき、翌朝はまだ暗いうちから一緒に荷馬車を連ねてユナグールへ戻ってきた。

市の設営を手伝ってからヘーゲル家に帰ると、ハルトマンからの伝言が待っていた。内容は単刀直入。「角ウサギを取りに来い」とだけ。

昨日、ハルトマンを公都からユナグールに送ったときに角ウサギをよこせと言うのであげた。トーコとしては角ウサギを処分できるだけでも嬉しいが、おすそ分けがもらえるならなお嬉しい。いそいそと指定された国境警備隊の宿舎の中庭に行くと、樽が並んでいた。

「これ、預かっておいてくださいと」

すっかり顔見知りになった厨房の兵士が言った。

「へ? 預かるってこの樽の肉を?」

「ええ、つまみ食いは許す、との伝言です。取り敢えず、今ある分だけ持って行ってください」

「……ハルトマンさん、わたしを倉庫だと思ってる?」

昨日ハルトマンに要求された量はいつもよりだいぶ多かったが、どうやら最初からトーコを保管庫にするつもりだったようだ。兵士に文句を言ったところでしょうがないので預かるが、中庭ではまだ角ウサギを捌いている兵士がいる。

「それで、もうこれだけもらっておけと」

「ええっ、大丈夫なの? 大変じゃない? だってこれ使わないってことは、今日の分のごはんは別で作ってるんでしょ?」

「大変は大変ですが、手すきの班が雑用を手伝ってくれているので。これで肉が食えるならみんな文句言いません。毛皮も役に立ちますし」

ハルトマンには角には商品価値がないが肉と毛皮は取れそうなのを欲しいということで、今回はそういうのを渡している。

「毛皮、役に立ったの?」

「夜番用の外套の裏打ちになりました。城壁の上は吹きさらしなんで暖かくていいですね、あれ」

「なるほど賢い使い方だなあ」

全員に行きわたる数を集めるのは無理でも、交代で使えるようにすればいいのか。

「ひょっとして、急に角ウサギを捌き始めたのはお肉じゃなくて、毛皮のほうが目的?」

「何も聞いていませんが、それなら増々みんなのやる気も出るというものです。今からなら冬に間に合うでしょうし」

兵士は楽しそうに笑った。部下をこき使ったり、あこぎな取引をしたりと、ハルトマンの強引な食糧調達は色々問題があるが、それでもついていく人がいるというのはある意味すごいのか。思わずそう漏らすと、兵士は大まじめに言った。

「俺もそうですが、食うために兵士になったような連中ですからね、ちゃんと食わしてくれる人にはついていきますよ」

「こんだけ、こき使われても?」

「俺にとっては食わしてくれるのがいい上官です」

「それ、ハルトマンさんじゃなくても同じだと思うけれど。上官が誰でも予算は同じじゃない。食費に回すお金を厚くしたら、他が薄くなってるだけってことじゃ」

「ハルトマン隊長が赴任されてから外注していた修繕工事が回ってきたり、城壁外の作業や訓練が増えて忙しいのは確かですけれど、何もすることがなくて、腹が減るよりいいですよ。今年は穀物価格が安いって喜んでましたけれど、御用商人の契約まで破棄するとは思わなかったです」

「御用商人って何?」

「軍に物資を納入する商人です。向こう数年分の納入を入札で決めるんですが、指定条件などあってなきがごとしで、量は少ない、質は悪い」

「え、それっていいわけ?」

「さあ? 俺は学がないんで分からないですけれど、前からその商人とは揉めていたみたいです。おかげでしばらくパン屋に麦と雑穀の納入がなくて、イモとマメばっかりでしたよ」

「買えなかったの? 安いってことは豊富にあったんじゃないの?」

「隊長は町の穀物商たち全員を敵にまわしたみたいですね」

トーコは納得した。だから、はるばる公都まで買い付けに行く羽目になっていたのか。しかも、そこまでして手に入れた品の質はいいとは言えない。

と、そこへハルトマンがやってきた。

「よしよし、ちゃんと来たな」

はた目には傍若無人のハルトマンだが、意外な苦労を垣間見てしまったところなので、文句を言う気になれなかった。

「トーコ、次に戻ってくるのはヘーゲル医師のとこへ昼飯を食いに行くときか」

「うん。でも別に朝からでもいいの。夕方までには帰るけれど。そのときも角ウサギいる?」

「お前にしちゃ、気が利くじゃないか。朝に置いて行って、帰りに取りにこれるか?」

「うん、いいよ。あと、前々から言ってくれれば、公都への送り迎えくらいもできると思う。確約まではできないけれど」

「どうした、熱でもあるのか」

「そんなわけないでしょ!」

ハルトマンはやっぱり傍若無人のハルトマンだった。結局最後はわあわあ言い合っていつも通り兵士に笑われながらの撤退になった。


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