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第22話 虫小屋と五月の大雨

短い春はあっという間に過ぎ去り、日差しは強く、緑もその色を深くした。

魔の領域に戻ったベアは、気を付けてトーコの採集を見守った。いつもふたりが歩いた後から採集物が追いかけてきてトーコのポーチに収まるのだが、背後の事なので視界に入っていなかった。改めて見ると、異様な光景だ。

「トーコ、採集の範囲が広くなったか?」

「え? 先週とほとんど同じだと思うけれど」

「どのくらいの範囲で採集している?」

「半径千三百五十メートル。正確には左右千三百五十メートルに探査魔法を飛ばして引っかかったのを歩いている間に採集できる分だけ採ってる」

ベアが思っていたよりもはるかに広い。弟子の成長の速度を把握していなかったとはお粗末な話だ。ベアもヘーゲル医師の事を言えない。師匠がダメなら、弟子は弟子で勝手に成長するようだ。

「でもこれ以上広げてもあんまり採集効率よくないから、やっぱり千メートルくらいが限度かも。遠いところから移動させると当然近場よりは魔力を消費するし」

「十分だ」

「じゃあ、基本的に千メートルで。あ、ベアさん、見たことのない花がある、あれは何?」

「ラッパ草。ただの雑草だ」

「ピンクで可愛い! もらってもいい?」

「構わんが、使い道なんぞないぞ」

「飾るだけだから、いいの~」

嬉しそうに鋏を取り出して切りにかかった。ベアも足を止めて丈の高くなり始めた草むらを探す。新しい薬草を見つけたので、トーコを呼ぶ。

「ウズマキソウ。丸ごと乾燥させて体を温める効能のある薬草と一緒に使うと効果を高める。小さいから花のあるときに探す」

「可愛い!」

茎にらせん状に小花がついている。メモを取るトーコに教えながら、ベアは流れ落ちる汗をぬぐう。五月の暖かな風と日差しは初夏のものだ。

再び歩き出しながら、トーコはベアの袖を引いた。

「十メートル先にフキヤムシ」

「まだ卵を産む季節じゃないから警戒しないでいい。探査魔法の優先順位を下げていいぞ」

「でも、近寄りたくない~。あと、チスイムシとカブレムシも嫌!」

「暑くなったら、もっと増える。特に湿地に」

「湿地に行く?」

「当然」

トーコは情けない顔になった。大型の魔物は平気だが、小型の羽虫の群や、うっかり触るとかぶれたりする小虫からきゃあきゃあ言って逃げ回る弟子にベアはいちいちとりあわない。

虫除けの香草を練りこんだ虫除け香を腰にぶらさげた香炉で炊いていても寄ってくる虫はなくなりはしない。

「トーコ、向うにあるのが何かわかるか?」

「他の草の上にかぶさってるの? イシウリに似てるけど、違うよね」

「アマウリだ。味は良くないが、水気の多い甘みのある実が成る。水場の少ない草原では貴重な水分補給源だ」

イシウリより小ぶりな楕円形の実は、ヒョウタンのようにつるりとした皮を持っている。黄色と黄緑の斑の皮をベアが鉈で割ってくれた。イシウリのように硬くはないようだ。

「甘いキュウリって感じだね。品種改良したらメロンに進化できるかも?」

「夏の間中、次々に実をつける。このくらいの大きさになっているのは全部採って構わん」

「入域者にとって有難いウリだね。これも種を蒔いておこうっと」

文字通り根こそぎを樹を採ったあと、埋め戻した場所にフタオリスよろしく味の良い樹のクルミやらを蒔いていたトーコはすっかり果樹拡張に嵌っている。どれだけ芽吹くかは不明だが、害もないのでベアは好きにやらせている。

「まあ、アマウリならクルミとちがって俺たちも恩恵にあずかるかもな」

「植物が子孫繁栄のために一生懸命作った種を実ごと貰っちゃうからね。他の人はちゃんとこのへんに種は置いていくんだろうけれど、わたしは人の領域まで持ち帰っちゃうから。そのぶん種は蒔いてあげないと、いずれ減っていったら困るもん」

「種を採るなら、皮が黒くなって水分が飛んで軽くなってからだな」

「共同野営地の近くに蒔きたいな。あ、ベアさん、あの石はどうかな」

トーコは前方に転がってる岩を示した。ベアが近寄って確認する。

「いいだろう。これなら十分な大きさが採れるな」

「よいしょ、と」

トーコの掛け声と同時に岩の内部から刳り出された長方形の石がふたりの目の前に浮かぶ。念のため巻き尺をあてて大きさを確認する。

「これでいくつ採った?」

「七個。共同野営地の土台にするにはあと五個? 石なんていくらでもあると思ったのに、意外に必要な大きさが採れるのがないね~」

「柱の太さをもう少し細くすればよかったな」

「どのみち、高さは必要だもの。床の高さ一メートルで足りるかな。この草、まだ伸びるんでしょう?」

「人の背丈より高くなるなんてざらだ。下手したら、共同野営地が草に埋もれるな」

「草原のど真ん中に作るなら、ある程度の高さがないと遠くから見つけられないよね。定期的に草刈ってわけにもいかないし」

「使わない丸太を地面に並べれば草は抑えられるだろう。みんなが場所を覚えるまでの応急処置だが」

「そうすると今度は火を使いにくくなるよね。この中身をくりぬいた石を割って、平らな部分を上にして地面に埋め込んだらどうかな。全部ってわけにはいかないけれど、火を使う部分だけ」

「なるほど、いい案だ」

「しまった、今までのもとっとけばよかった!」

なんでもかんでもとっておくトーコだが、たまにはこういうこともある。集めるものリストに書き加え、石材をポーチにしまって歩き出す。共同野営地はギルド構成員にとって大事な命綱だが、あれこれ考えるのは秘密基地を作っているみたいでちょっと楽しい。

ベアとトーコが材料集めにうつつを抜かす間も、トーコの魔法は勤勉に採集を続けている。

「ベアさん、ハタソウの蕾はもういいのはあまりないみたい。ほとんど花が咲きだしちゃってる」

「じゃあ午後からは採らなくていい」

「右前方に三十メートルくらいにツムギグモがいる。巣糸が採れるかな」

「この春に孵ったのだな。行ってみよう」

ツムギグモから捕獲糸を疑似餌三つ分採って、代わりに角ウサギをあげる。ことあるごとに減らしにかかっている角ウサギだがなかなか減らない。

寄り道しながらゆっくり歩いていたので、目的地に着いたのは日暮れだった。

「遅かったな」

採掘組がいつもの場所で野営していた。

「こんばんは! 空間拡張容器の具合はどう?」

「とてもいいよ」

トーコはにっこりした。修正をかけた彼らの空間拡張容器は容量も使い勝手も格段に向上している。そして、彼らの容器改良を参考に、バベッテ誕生日祝いに使い勝手良くて魔力消費の少ない食糧庫をプレゼントできたので大満足だ。

「珍しいな。今日は歩いてきたのか?」

「このあたりの採集もしたかったんでな。合流に間に合わなければ飛ぶつもりだったが」

「つくづく便利だな」

出張査定所を設置し、野営場所を移す。トーコが炊事係を買ってでたので、男たちは、否、男の子たちは図面と模型を引っ張り出して二週間ぶりの遊びに没頭しはじめた。明りがあると虫が集まってくるのでほどほどに切り上げたが、翌日、共同野営地の候補地へ一緒に移動しながらもずっと討論していた。トーコはそのあとをついていきながら、せっせと採集に励む。

以前、採掘組の髭の男が怪我をした仲間のために一日かけて往復した水場は小さな泉だった。岩の間から湧く清水が細い流れを作っていた。手がしびれるほど冷たい水は、水が貴重な草原にあって水晶のように透き通っている。

衛生面を考えると、共同野営地は下流の離れた場所がいいだろう、というわけで、翌日は近くを歩いて小屋を建てるのによさそうな場所を探す。ベアと採掘組が見当をつけた場所にトーコは土台になる石を置いて、その上に丸太を積んだ。下草の排除兼地盤・土台の強度確認のためだ。

もともとそんなに丈の高い草は生えていない場所だったので床の高さは心配しなくてよさそうだ。

トーコはそのままユナグールへ転移し、夕方ヘーゲル家から戻った。

「ただいま! ベアさん、ディルクが移動魔法を成功させたよ~! って、何やってるの?」

トーコは目を見張った。午前中にトーコが置いた土台の上の木材が建物の形に組まれている。

「おかえり。どんな感じになるかと思ってな」

「この木材、どうせ使わないんだろう?」

「終わったら、すぐ元に戻す」

トーコは視線を木材に固定したまま口々に言う男たちを見やった。

「……やってみたくて、我慢できなかったのね」

彼らはトーコの声など聞こえていないようだ。真剣な表情で浮遊魔法と移動魔法で材木を支えているベアの顔を見ているうちに、トーコはお腹の底から笑いがこみあげてきてしまった。

「そんなに気になるなら、まだ生木だけど練習を兼ねて一回作ってみる?」

三人が一斉に振り向いた。

「足りない土台は障壁魔法で一時的に代用して、あとでいい岩が見つかったら入れ替えればいいんじゃない?」

「男の子たち」に否やがあるはずなかった。


皮をはいだ丸太を重ねてだいたいの長さをそろえたら、それに合わせて土台の位置を決めていく。

「最初だから、あまりぎりぎりにしないほうがいいよね?」

「乾燥したら縮むしな」

高さ一メートルの土台の石がちゃんと水平になるように設置したら、丸太の形に合わせてくぼみを作り、上に重ねていく予定の丸太をがっちり押さえてもらう。材木屋で教えてもらったように丸太の三方向を削って重ねてみる。両端に欠き込みを作る。

「おうい、お嬢ちゃん、これじゃこっちのと組めないぞ」

「ありゃ?」

設計図を上に向け、下に向け、頭左に傾けたり右に傾けたりとトーコも苦戦中だ。

「しまった、逆だった~。えーとえーと、これと同じのが上にきて、こういう形の空間に入るように削るんだから……えーと?」

「トーコ、どうせなら丸太の断面同士もただ平らにするんじゃなくて、噛み合わせを作れないか」

「わーん、いっぺんに言わないで~!」

丸太を重ねればできるだろうと思っていたら、大間違いだった。

「これはひょっとしてあれか、釘を一本も使わず造るという……! だ、大工さん、日本の大工さんに来てほしい! 製材したほうが組み立て楽だったんじゃ……」

宮大工の技能など持っていないトーコがいっぱいいっぱいになっている間に、ベアたちはどの丸太をどこに使うか検討中だ。何しろ種類も太さもバラバラなのでうまくやらないと大きな隙間ができてしまう。

昼までにできたのは二段目の途中までという体たらくだ。

「午前中いっぱいかかって、八本しか削れなかった……」

正確には八本プラス、失敗してダメにしたのが四本ばかりである。おかしい。こんなはずじゃなかった。『大草原の小さな家』ではあんな簡単に樹を伐って即丸太小屋を作っていたではないか。ローラ・インガルスのとうさんは凄い。サンドイッチにかぶりついたまましょんぼりしているトーコを尻目にベアと採掘組は必要な丸太の太さと長さ、数量を計算している。

「縦用の長い丸太が足りないな」

「太すぎるのは周囲を削って太さを合わせたらどうだ」

「もったいなくないか?」

「屋根を支える大黒柱にするにもそんなに数いらないだろう」

「太いのは板にして床に使ったほうがいい」

「今あるのでできるところまでやって、二週間後までに丸太は集めておこう。このペースだと、今回は明日と明後日でいったん切り上げだな。合流場所はどうする。いつものところにするか? それともここにするか?」

「ここにしよう。俺たちも移動ルートを確認しておきたい」

「水場の近くは魔物も来るが、できかけでも、こいつがあればまあ大丈夫だろう」

「二週間くらいなら魔法で丸太を積み上げて固定しておける。永続とはいかんが、次の合流までは保つはずだ」

「それは助かる」

「それより、建材が縮んで来たら、隙間は漆喰で埋めればいいんだろうか」

「噛み合わせも手を入れないといけないだろうから、それはもっと先でいいんじゃないか。魔物が入ってこれなければいいんだし」

「だが、雨が吹き込むのは勘弁してほしいところだ」

「屋根が乗るのはだいぶ先だな」

それでも丸三日かけて半分くらい壁が組みあがる。まだ床を張っていないので、地面が丸見えだが、そこはトーコが障壁を張って簡易屋根もつける。

朝食を摂って採掘組と別れた後、ベアは採集場所を森に移した。目的はもちろん丸太の確保だ。

「そろそろ虫小屋が開く頃だな。そちらへ寄っていこう」

五日ほど森での採集と材木集めに注力した後でベアが言った。

「虫小屋? 前に言っていた臭い虫のところ?」

トーコが怖気づいた顔をする。

「コハクチュウだ。まあ、行くときはなるべく風上から行くといい」

「わ、わたし、もうちょっとシズクビワの実とベニレイシの実を採っていきたいな~」

「もう十分採っただろう」

逃げ腰のトーコに構わずベアは歩き出した。共同野営地を建てる場所の条件に虫小屋への近さも考慮に入っている。草原を北へ向かって三日歩くと、開けた草原に奇妙な臭いが混じり始めた。

「ベアさん、この臭いって」

「コハクチュウの糞だな」

「うう……近寄りたくない」

なんというか、堆肥のような臭いがする。

「雨が降っていなくてよかったな。雨上がりの暑い日など……」

「わあっ! 言わなくていい! 想像しちゃうから!」

トーコは採集を断念してベアの後についていった。何を目印に歩いているのか分からないが、ベアの足取りに迷いはない。風向きによっては臭いは強くなったり弱くなったりする。が、間もなく奇妙なものが目に入った。

「ベアさん、あれ何?」

「虫箱だ」

「あれが?」

草原に、木製の四角い箱がある。近づくにつれ、それが高さ二メートルの立方体であることが分かる。それがいくつも点在しているのだ。

色々聞きたかったが、臭いが強くなってさしものトーコも口を開けない。虫を飼うひとが集団で生活しているのかと思いきや、立方体は板を張った檻だった。通りすがりに覗くと、草をさした水差しが見えた。

「虫のエサかな?」

「イネ科の草ならなんでも食うそうだ。詳しいことは虫飼いたちに訊け。向うに見えるのが、虫飼いたちの住んでいる小屋だ」

小屋と言っても、かなりの大きさだ。雑なつくりだ。魔物はコハクチュウの糞の臭いを嫌って近寄らず、夏の間しか住まないからこれでいいのかもしれない。

「誰もいないね」

「そうか」

ベアはそれでも一応戸を叩き、掛け金を外した。

「勝手に入っていいの?」

「いないんだから仕方なかろう。彼らも慣れている。誰かが戻ってくるまで待たせてもらえばいい」

トーコは興味深く中を見渡した。床はなく、地面がむき出しで、天井も屋根がそのまま見えている。縄梯子があって、一部がロフトになっているようだ。年季の入った長テーブルとその左右にあわせて十人は座れそうなベンチが備え付けられている。住居というよりも、大きな納屋の体裁だ。

扉のすぐ内側には素焼きのかめがあり、空のひとつには短めの槍が数本立てかけてあった。もう一つには水がたたえられている。

屋内は広く、半分は作業スペースらしかった。

「ベアさん、四百メートルくらい北にひとがいるみたい」

「じゃあ挨拶に行くか」

ベアはトーコを連れて入ってきた入り口と反対側に回った。トーコの探査した方向へ歩いていくと、虫箱のひとつで作業している人影が見えた。

「ラギー、久しぶりだ。親父さんは元気か」

「やあベア、秋以来だな。親方は草を採りに行っている。そろそろ戻ってくるはずだ」

ラギーと呼ばれた三十前後の男にベアはトーコを引き合わせた。

「へえ、あんたが弟子をね」

「こんにちは! トーコです」

「よろしく。握手をと言いたいところだけど、今手が汚れていてね」

「何をしているの?」

「虫箱の掃除だよ。枯れた草を取り除いて、糞を集めている」

「見ていてもいい?」

「いいけれど、面白くもなんともないよ。ここは終わった。話があるなら移動しながらでもいいかい」

糞の臭いは鼻が麻痺してしまった今でも強く感じるほどだ。でも、そこまで嫌な臭いではない。

ラギーは手押し車に道具を乗せて次の虫箱へ押していく。十メートルほど離れた虫箱の手前に手押し車を停めると、網を張った扉を大きく開けた。地面から三十センチほどの高さに床板が貼ってあり、水差しが二つ紐で柱から吊るされている。ラギーは片方の水差しにささった枯れた草を外して虫箱の外に捨てた。葉を食べられ、すっかり短くなっている。虫箱の周囲ではそうやって捨てられた草が小山を作っていた。

空の水差しを戻すと床の上を刷毛状の箒で掃き始めた。黒くて丸い糞がコロコロと転がって、床の端にあいた穴から落とされる。下で糞を受けたバケツを回収して扉を閉める。

手際のよい、流れるような動作だ。邪魔にならないように後ろのほうで見ていたトーコは思わず訊ねた。

「虫ってどこにいるの?」

「水気のあるほうの葉にたくさんいたよ。これままだ二回目の脱皮前だから、小さくて目を凝らさないと見えない。見たいなら、次の箱がいいよ」

「そっちのほうが大きいの?」

見れば分かる、と次の箱に移動したラギーは手を草の間に差し入れた。

「これは三回目の脱皮を終わったコハクチュウ」

ひょい、と目の前に差し出された虫を見てトーコは悲鳴をあげた。尻餅をつきそうになった弟子の首根っこをベアがあきれた顔で掴む。

「そんなにびっくりしてもらえると、見せがいがあるなあ」

ラギーは手の甲にコハクチュウを乗せたまま笑った。

「そ、その大きさは想定外!」

さっきの箱では外から覗いただけでは分からないくらいだったのに、優に十センチはある巨大芋虫が出てくるとは思わなかった。淡いクリーム色の体色に黒い縞模様が両端についている。

「丸々と太ってて、どっちが頭かもわかんない」

「黒い輪が二つあるほうが頭。三つのほうが尻」

「なんだか、さっきのから急に大きくなったけれど……」

「成長の早い虫なんだ。一日食べる餌の量も半端じゃないけれどね」

コハクチュウを葉の上に戻し、掃除を始めながらラギーは答えた。

「どのくらい食べるの?」

「この量を十匹が半日で食べつくす」

「凄い。細長い草だもの、この水差し、結構入るよね?」

丈の高い草は天井に届いて箱中に広がっている。糞の量が凄いわけだ。

「コハクチュウに興味あるならいつでもうちにおいで。今はまだそんなに殖えていないけれど、これからの季節、人手はいくらあっても足りないんだ」

「何人くらいでやってるの?」

「今年は八人。十人いれば、全部の虫箱にコハクチュウを入れられるんだけどね」

「どうしてこんなにたくさん虫箱があるの? 一か所に集めたほうが世話が楽じゃない?」

「狭い範囲にたくさんのコハクチュウを入れると、体色が悪くなって密玉の分泌も悪くなる。あまり過密にすると逃げてしまうんだ」

「逃げる? そういえば、この虫小屋、奥の壁はぴったり塞いであるのに、横の壁はスカスカだね。ここから逃げちゃうの?」

「コハクチュウはじめじめしたところも嫌いだけど、乾燥したところも苦手なんだ。だから南側の壁は日除けだね。他はなるべく風通しを良くするためにわざと粗く作っているんだ。鳥が入ってこなければいいくらいの作りだよ」

「もしかして、気難しい虫なの?」

「むしろ軟弱なのさ。ちゃんと世話をすればコハクチュウも応えてくれる。こういう風にね」

ラギーは一匹のコハクチュウを見せた。

「背中になんかついてる」

「俺たちは密玉と呼んでいる」

「密? 甘いの?」

ラギーは面白がる顔をした。

「それどころか凄く不味いらしい。大型の肉食魔物でさえ悶絶するくらいにね。だから魔物はここへは寄ってこないんだ」

「へえ~」

感心してトーコはうん? と動きを停めた。さっきから一言も口を挟まないベアを振り向く。彼は素知らぬ顔でそっぽを向いた。

「ベアさん! もしかしてだました!? 魔物はコハクチュウの糞の臭いが嫌いだって!」

「嘘ではない。まあ、多少トーコが誤解したかもしれないが」

「わざとでしょ!?」

事の次第を聞いて、ラギーも笑った。

「彼がそんなお茶目な性格だとは知らなかった」

「お茶目……」

今度はベアが顔をしかめ、トーコが噴出した。

「まあ、あながち嘘じゃないよ。きっと糞にも魔物が嫌うコハクチュウの臭いがするんだろうね。乾いていればそこまでひどい臭いじゃないよ」

「ねえ、魔物がコハクチュウの密玉の臭いを嫌うなら、その密玉を持ち歩けば安全じゃないの?」

「分泌してすぐならともかく、乾いたら臭いはしないし、食べられたとしても簡単に吐き出されちゃうだろうね。僕らは草狩りや水を汲みに行くときには処分するコハクチュウを虫かごに入れて持ち歩くけど、三週間で蛹になってしまうような成長の早い虫だから、常に密玉を十分に出すコハクチュウを飼い続けるのは移動する人には難しいと思うよ」

「処分? この密玉を集めているのに処分するの?」

「世話に手間がかかるから、卵から孵った全部は育てられない。密の出の悪い個体は処分するよ」

「人にお世話されて安泰かと思いきや、虫の世界もシビアなんだ」

「そのかわり、密の出のいい個体は大事にする。ほとんどのコハクチュウは蛹になったら虫箱から出して世話しないが、いいコハクチュウは蛹から孵った後も安全な虫箱に保護してその卵はまた人が育てるんだ」

「人が虫を利用しているのか、虫が人を利用しているのか……コハクチュウって戦略家だね」

「君、面白いこと言うね。まあ、ベアに見切りをつけたらいつでもおいで。女性もいるから、心配ないよ。むしろ、うちのかみさんのほうが俺よりよっぽどコハクチュウに詳しいから。そうだ、もうひとつ面白いこと教えてあげようか。虫小屋では女性の力が圧倒的に強いんだよ。だって、ここにいるコハクチュウは全部メスだ」

「メスのほうが密を出すの?」

「いいや。冬を越した卵から孵るのは全部メスなんだ」

「えっ! それでどうやって殖えるの? あ、クマノミみたいに力の強いメスがオスになるとか?」

「クマノミって昆虫はそうなのかい?」

「魚だよ。群で一番強いメスがオスになるの。そのオスが死んだら次に強いメスがリーダーになってオスになる」

「へえ。面白いね。でも違う。コハクチュウは全部メスだ。よく密を出すメスが産んだコハクチュウは同じようによく密を出すけれど、密の出の悪いコハクチュウの卵からは同じく、悪いコハクチュウしか生まれない」

「クローンなのかな? ああ、だから余計に、密をたくさん出す個体を保護して出さない個体を排除しないといけないのね」

「理解が早いね。ねえ君、うちにおいでよ。コハクチュウにオスが産まれるのは夏の終わり、秋口だけだよ。そして、オスと交配したメスの産んだ硬い殻の卵は冬を乗り越えることが出来るんだ」

「オスはどうやって生まれるの?」

「季節になると自然に発生するよ。いい密を出すメスから生まれたオスの蛹は他所の虫小屋と交換したりもするね。あまりやりすぎると奇形が出るから、なるべく遠いところへメスの蛹を持って行って、捕獲したオスと一緒にさせたりもする。蛹が孵ればオスのほうでメスの臭いを嗅ぎつけて寄ってくるけれど、このなるべく遠いところってのが大変でね。他の虫小屋から近いところじゃ意味ないし」

元来話好きな性格らしく、ラギーはトーコがあれこれ聞いても面倒くさがらずに教えてくれた。その間も手は休めず、ベアとトーコが手伝うとかえって邪魔になりそうなくらいだ。

最後に糞に混じって落ちている密玉をふるいにかけて選別するところまで見せてもらった。トーコはこういうのは秘密なのかと思っていたが、

「秘密にするほどの事なんてないよ。それより気がむいたら手伝ってくれたほうが嬉しい」

とのことだった。

現に、虫小屋に泊めてもらったら翌日は手伝うのが暗黙のルールらしい。草原で数少ない人の立ち寄る場所なので情報交換できる貴重な場所でもある。本当ならコハクチュウの飼育についてではなく、情報収集をすべきだったのか、とやっとトーコは気がついた。

小屋に戻ると二十歳前の若い女性が夕食の準備をしていた。彼女は今年から参加したばかりで、まだ先輩たちについて指示された作業をしながら勉強中とのことだった。トーコとは年が近い同士話が弾み、女性同士のささやかな情報交換に励んだ。

暗くなる前に他のメンバーもそれぞれの仕事から戻り、ベアとトーコを入れて総勢十人。トーコも初めての大人数となった。

大きいと思った長テーブルはあっという間に埋まり、賑やかな夕食になる。全員を紹介してもらい、その時明日の作業も割り当てられる。基本的にすべての業務が全員に等しく回されるが、中には担当が決まっている特殊なものもある。

「水の魔法が使える。明日は遠慮なくこき使ってやってくれ」

「それは嬉しいな。明日の水汲み当番はラッキーだったね」

水は歩いて一時間半くらいのところに掘った井戸から汲んでくるという。そのほかに雨の時に屋根から天水を集める甕もある。水当番にあたっていた人は、午前中を水汲みの代わりに別の仕事をするという。やることはいくらでもあるのだ。

水の補充など一瞬で済むので、ベアとトーコは他に食事づくりと薪づくりを担当することになった。さすがに素人に虫の世話はできない。

翌朝、寝返りを打とうとしてトーコはそのままバランスを崩して転がり落ちた。慣れないハンモックで背中が痛い。

「あいたた……」

「何をやってるんだ?」

「は、ハンモックって寝相のいい人じゃないと寝れない……」

朝食前の仕事に皆はとっくに出かけている。

「起きたなら、これを炒めてくれ」

見ると、昨夜の長テーブルにベアが用意したらしい肉や野菜が皮をむかれて小さく刻まれている。すっかり出遅れてしまった。トーコは大急ぎで大鍋にクルミ油を落として自前の火で肉と根菜を炒め、水を足して煮はじめた。鍋が熱くなったら鉄の竈からどかして障壁魔法で保温。空いた火の上にフライパンを出す。

「オムレツも作るのか?」

「人数いるからいっぱい練習できそうだと思って。まだ時間あるし、いいでしょう、ベアさん?」

「そこまで害はないし、まあ、いいか」

「べ、ベアさん! 酷い! 今のは傷ついた! ちょっとはわたしだって進歩してる!」

「そうか?」

数々のトーコの練習作品の後始末をしてきた身として、率直な意見だと言ってもらいたい。

トーコがオムレツにかかりきりになってしまったので、ベアはパンを切り、トーコができあがったオムレツを保管している時間凍結棚に置いた。なんとか十人分のオムレツもどきを作り終えたトーコが、ジャムやバター、チーズをテーブルに並べていると、朝のひと仕事を終えた皆が戻ってきた。

昨日採って夜露にあてた草を人海戦術で虫箱に入れてきたのだと言う。

「三回目の脱皮を終えたコハクチュウは餌を大量に食べるの。一日二回餌をあげないといけないのよ」

「昨日の午後、新しいのは入れないで古いのだけ捨てていたけれど……」

「そうよ。朝、新しいのを入れておけば午後にはコハクチュウが新しい餌に移っているから、掃除の時に古いのを捨てるの。そうしたら、次に餌を補充するときはどんどん入れていけばいいだけだから。草は重いから、手早くやらないとね」

「イネ科の葉を食べるんだっけ?」

「ええ。これは毎日三人がかりで採りに行くの」

「そういや、去年ベアには餌採りを手伝ってもらったんだっけか」

ベアは肩をすくめた。

「たいして役に立たなかったがな」

一人が大鎌で餌の草を刈り、残る二人で背負子に積む。ずっしりと重い草束を担いで数キロを戻る。餌採りはなかなかの重労働なのだ。浮遊魔法を手に入れた今なら草運びくらいできるが。

「おしゃべりはいいから、早く手を洗ってこい」

「わあ、おいしそうな朝ご飯」

出入り口そばの釘に朝露に濡れた森ガエルの外套をかけていた新米女性が嬉しそうな歓声をあげた。料理人の腕はともかく、朝食の食材は好評だった。

「まさかパンと卵料理が出てくるとは思わなかったわ!」

「このジャムはユキカン? 黒砂糖と合うわね」

ちゃんと褒めてくれたのは女性陣で、男たちは黙々と食べてはお代りしている。

「なあ、このパンとチーズ、余ったら昼飯に貰っていっていいか?」

「構わんが。トーコ、他に挟むもの残ってないか」

「この間作ったときの残りは全部食べちゃった。作り置きのサンドイッチならあるけれど。チーズとワタリヌマガモと角ウサギのパテとベニマスの燻製。どれがいい?」

「あ、いいな、いいな」

「お前、今日は遠出じゃないだろう。チーズとベニマスの燻製のが欲しい」

トーコはポーチから油紙に包んだサンドイッチを呼び出した。

「あとはゆで卵と、塩……は紙に包めばいっか。他にお弁当が必要な人はいる?」

もうひとり希望者がいたので、トーコは一式を布に包んで渡した。

「ゆで卵、羨ましいなあ」

「戻ってくる人には、ベアさんが美味しいお昼を作ってくれるから~」

「そこは俺にふるところじゃないだろう」

「できない約束はしちゃいけない」

笑いがあがる。

朝食を摂るとそれぞれの仕事にみんな散っていく。ベアとトーコは昼食と夕食用の鍋を作って障壁魔法にくるんで保温調理を任せると、小屋の外に出た。南側の地面に薪用の丸太を輪切りにしたものがいくつも転がっていたので、小さく割って、小屋の壁に接した薪置き場に積み上げる。ついでにトーコが共同野営地を作る時に失敗した丸太を輪切りにしてその辺に転がしておく。

「このあとどうしよう?」

既に水がめの掃除と補給も朝ご飯前に終わっている。薪割りもトーコの転移魔法で一瞬にして完了なので、割り当ての仕事はすべて終わった。

「採集がてら南へ。昼はみんな勝手に戻って勝手に食べるそうだから、小屋を空けても構わんだろう」

「うん、お鍋の障壁魔法は二時間で解けるようにしてるから大丈夫。南ってことは、草採りに行った人たちが行ったほうだね」

「うまく合流できれば草を運ぶ。できなかったら、採集だけして昼に戻ろう」

虫小屋のひとたちが草を刈っているからか、草原は歩きやすい。虫小屋から十分離れたところで採集していると、一時間ほどして探査魔法に草採りしているひとたちがうまく引っかかった。

「あれ、よくここが分かったね」

大鎌を振る手を止めて、ラギーが笑った。

「向うで採集をしていた。こちらはもう終わりか?」

「ああ、午前の分はこれでしまいだ」

トーコは背負子に乗せられた草の山を見て目を丸くしている。

「すごい量だね。これ、持ち上がるの?」

「でないと帰れないからなあ。お嬢ちゃんがやるならもう少し小さく作らないとな」

試しにしょわせてもらったが、案の定起き上がることすらできない。

「びくともしない」

「最初に立ち上がる時にはコツがあるんだ」

ベアがラギーに提案した。

「まだ時間があるなら、午後の分も刈ってしまおう。まとめて魔法で運べばいい」

「それは嬉しいが、水気の抜けた草は食わないんだ」

「問題ない。鮮度はそのままにしておける。使う時に言ってくれれば新鮮なままひきわたそう」

「そんなことができるのか?」

「ああ」

大鎌で草を刈るラギーを真似て、トーコも大鎌の形の障壁魔法で草を刈る。使い慣れない大鎌型の障壁魔法だけではラギーの速度には到底かなわないが、ハサミ型の障壁魔法も併用して、ふたりで午後と翌朝の分まであっという間に刈りあげる。つる草が巻き付いていたり、他の草が混じっていてもお構いなしだ。

「食べられない草は食べないだけだから、別に取り除かなくていいよ。間違って毒草を食べるのは人間くらいのものさ」

全部まとめてポーチに入れて虫小屋へ戻りながら、毎日餌の草を刈る場所を西から東へ円を描くように移動させていることや、コハクチュウの密玉を分泌する頭だけちぎり避けて食べる天敵の小鳥、同じく天敵の寄生蜂の話など、色々教えてもらう。

彼らのほうは逆にベアの計画している共同野営地について知りたがった。彼らには必要ないかと思いきや、そんなこともないという。

「その水場は知っている。いつももっと南に小屋を構えてるチームと蛹を交換するのに近くを通る。安全な野営地で休めるに越したことはない。俺たちだって、新しいコハクチュウを捕ったり、食用の狩りにそれなりに移動しているんだぜ」

「草が不作の時は遠くまで餌を採りにいかにゃならんしな。夏の一番忙しい時期でなけりゃ、共同野営地を作る時は手伝うよ」

「虫小屋から共同野営地を経由してみんな動くだろうし、みんなの使う移動ルートにうちの虫小屋が入れば、こっちにもメリットはある」

主に情報や手伝い、そしてユナグールへの伝言に。

「ユナグールへ伝言を出すの?」

「俺たちは春先から虫小屋に入っているが、夏に追加でもう二、三人が来る」

忙しいからというのもあるが、食糧や必要物資の追加持ち込みの役割も重要だ。持ってくるものは決まっているが、急に必要になるものもある。

「例えば春先に来て見て思ったより雪害がひどくて壊れた虫箱が多かったとする。追加の資材がいるし、道具が壊れればそれの替えもいる。鍋の底が抜けた時は、後から来たやつと伝言を持って行ってくれた人に本当に感謝したよ」

「うわあ、お鍋が使えないのって辛い!」

食糧は焼いて調理できるが、主に飲み水確保の面でスープの類は必要なのだ。これだけの人数、フライパンや小鍋で代用するのは大変だったろう。

「俺たちは明日の朝ここを出るが、伝言があるなら、トーコが近々ユナグールへ行くから届けさせよう」

「明後日だよ!」

トーコがぴょんと飛び跳ねた。ベアが頷いて付け加えた。

「明後日にはユナグールへ届けられる」

ラギーは口笛を吹いた。

「それは今までで最速だね。あとで親方に伝えておくよ」

午後は餌やりを手伝わせてもらったり、小屋の屋根の修理を見物したりして過ごした。採取した密玉は小屋の屋根裏にある干場で一か月ほどかけてしっかり乾燥させる。移動魔法の使える魔法使いがいるうちに、というわけで修理するラギーをトーコが屋根に持ち上げ、必要な釘やら板やらを手渡す。

屋根の修理を終えて地上に降り立つと、ラギーたちがいずれ薪にと検討をつけていた倒木を回収しに行っていたベアが西の空を眺めていた。

「一雨きそうだ」

「今日泊めてもらえてよかったね。明日にはあがってるといいなあ」

トーコは呑気に言ったが、夜半から降り出した雨は豪雨となって虫小屋を襲った。

突然の轟音に、さしものトーコも飛び起きた。

「凄い土砂降り……」

と、バタバタと虫小屋の人たちが寝床から起きだし、外へ飛び出していったようだ。親方が雨音に負けじと声を張り上げて、皆に受け持ちを指示する。

「誰か人数分の明りを作れ! 女は防水布をおろせ! ラギーは俺と北の四齢虫だ」

「みんな、何を慌ててるの?」

トーコは隣で寝ていた若い女性に訊ねた。普通の声では届かないので、怒鳴る風になる。彼女も身支度をしている。

「虫箱に雨避けの覆いをかけにいくの。多少の雨なら平気だけど、こんなに雨風に吹き込まれたら、コハクチュウが葉から落ちちゃうわ。水が溜まったところに落ちたらそのまま溺れかねないの」

「トーコ、起きているか」

仕切りのカーテンの向こうからベアが声をかけたので、トーコも靴に足を突っ込んでローブを抱えて出ていった。

「凄い音で目がさめちゃった」

「それはよかった。コハクチュウを濡らしたくないそうだ。雨避けの障壁を張れるか?」

「ちょっと待って」

トーコが天井を見上げて数秒。激しい雨音がやんだ。

「――小屋から半径千三百メートルに障壁を張った。高さは五メートル。樹のあるところだけ障壁は避けているよ。虫小屋は一応全部収まったと思うけれど、端のほうは結構ぎりぎり。風向きによっては吹き込んでくるかも」

ベアは手短に親方に状況を伝えた。

「トーコ、この障壁は固定していい。親方、俺たちは端のほうを見てくる」

「助かるが、無理しなくていい。一番密を出す四齢虫は小屋の近くだ。遠いところの小屋は卵や、孵化したばかりの若い虫だ」

「大丈夫だ。吹き込むようなら障壁を増設するだけだ」

「じゃあラギー、お前防水布を持って一緒に行け」

角灯に明りの魔法をかけていたトーコはそれを聞いてふたり用のボードを出した。虫箱が多いので幅のある四人用はやめておいたほうがいいだろう。ベアが浮遊魔法をかけたので、トーコは自分のボードに飛び乗った。障害物を探査魔法で探知して、安全な進みやすい場所に明りの魔法を並べて道を示す。

「あーやっぱり吹き込んでいる」

一番遠くの虫箱を探知してトーコは呟いた。

「ベアさん、やっぱりダメだった。吹き込まないように端っこに壁状の障壁をたててくるね」

「気を付けて行けよ」

トーコがボードを飛ばして行ってしまった原っぱでラギーは虫箱を開けて、掃除用の穴の栓を外して床部分に溜まった水を排出し始めた。床に落ちた密玉を採るために、底部が水も漏れないしっかりした作りなのがこういう時は仇になる。

ベアは懐中ライトをでラギーの手元を照らした。明りの魔法を反射率の高い幻惑魔法をかけた障壁魔法で覆った懐中電灯もどきだ。これならポーチの外から中を照らせるんじゃないかというわけでトーコが作った。時間凍結魔法の覆いを外せばいつでも使えるので明りの魔法の使えないベアにも便利だ。

「落ちたのはだめだな」

目を凝らしていたラギーは呟いて、次の虫箱へ移動した。ここも同じようだった。

「手伝えることはあるか」

「そのまま照らしていてくれ。今できることはないな。明日雨が止んだらもう一度徹底的に掃除して、あとはお天道様のご機嫌次第だ。いつまでも箱が湿ったままだと病気になりやすい。夏の夕立ならすぐに乾くんだがなあ」

「箱本体を乾かすだけなら、こっちでやろう。餌の葉とコハクチュウ自体には素人は手を出さないでおいたほうがいいだろうな」

ベアは障壁の周囲を一周して戻ってきたトーコに、虫箱を片端から乾燥させるよう指示した。

「死んだ虫はどうする? どこかに集めておく?」

「死んだ虫に限らず、落ちた虫は処分する。病気を持ち込むかもしれないから」

「分かった。じゃあ、まとめて床ごと掃除しちゃうね」

ラギーの前で試しにひとつやって合格をもらってから、他の虫箱を、小屋へ移動しながら順番に片づける。

「終わった」

「速いなあ」

「明日、明るくなったら確認してね」

「ああ。ありがとう」

小屋へ戻るとあきれた顔の親方が出迎えた。

「ベア、あんたの仕業か?」

「雨避けと虫小屋の掃除と乾燥はそうだ。それ以外なら違う」

「ありがとうよ」

背中を強くたたかれたベアはよろめいた。

「不思議な光景だわ」

若い女性が上を見上げていった。障壁にはじかれた水が溜まっているせいで、魔法の明りに照らされた障壁がくっきり見える。

「静かだな」

「障壁魔法だからな。音も風も通さない」

「……ん? 障壁魔法って敵の攻撃から身を守るものだよな? これいつまで保つんだ?」

「少なくともこの雨がやむまでは保たせると約束する」

「そんなことして魔力大丈夫か?」

「問題ない」

「あーっ!!」

突然トーコが叫んだ。

「しまった! 雨風が入らないようにしなきゃ、って慌ててやっちゃったから、出入り口を作るの忘れた! 魔法を解除しないと外に出られない」

「……それはまあ、明日でいいか?」

ベアが訊ねると親方が面白そうな顔をした。

「逆を言えば魔物の侵入もないってことだよな?」

「それは保障する。竜が来ても大丈夫だ。どのみちこんな夜は魔物だっておとなしくしているだろうがな」

「もう一つの問題は、コハクチュウの糞の臭いがこもることだけだか」

その場の全員が顔を見合わせて苦笑した。


雨は朝になってもやまず、勢いも衰えなかった。ベアは雨が上がるまで虫小屋にとどまることにした。虫小屋の人々も雨の中不必要な遠出をする必要もないので、障壁はしばらくこのままにとなった。むしむしするが、虫のためには人間が我慢するのがここの流儀だ。虫のためにも本当はもう少し風通しを良くしたほうがいいのだが、雨足が強いので換気口を作るのをやめたのだ。

トーコはラギーを連れて昨日の草刈場まで転移し、当面の餌を刈って戻ってきた。

「ちゃんと刈れたか?」

「ばっちり! 三日くらい籠城できる!」

「その前に晴れてほしいものだ。ここにいてもすることもないし、トーコ、ユナグールへ行ってきていいぞ。俺はこのままここで待っている」

「ユナグールにもさっきの魔法で転移するのかい」

ラギーが訊ねた。

誰も遠出をしないので、昼食には全員そろっている。これは珍しいらしい。

「うん。昨日親方から預かった手紙も届けるよ」

「ついでにお使いを頼んでもいいかい」

「なあに?」

「鉈の柄が壊れそうなんだ。親方のおかみさんに渡して修理を頼んでくれ。そうしたら後発組が来るときに修理して持ってきてもらえるな」

「任せて! 今回は時間あるし、他にお使いがあれば言って」

「じゃあ、釘を少し買ってきてくれ。虫箱を新調しようとしていた分を屋根を直すのに使ったから足りない」

「板も足りん」

「塩も買い足しておきたいわ」

トーコは必死でメモを取る。釘の大きさは? どこで売ってるの? 板はどこでいつも買ってる? 素材は何でもいいの? 親方のお家ってどこ?

「はいはーい! トーコちゃんが混乱しています。ここはわたしも一緒に行ってあげようと思いまーす!」

「そんなわけあるか、新米。イーライ、ここはお前が行け」

今年初めて参加した若い女性はがっかりしたが、指名された若者は喜んだ。聞けば、身重の奥さんと二歳の子どもをユナグールに置いて参加しているらしい。粋な計らいだ。さすが十人近い人間を魔の領域で率いるだけの事はある。

がっかりした若い女性はがし、とトーコの手を両手で握りしめた。

「せめてこれだけお願い! 羽木通のシュトルム夫人のお店で木の葉型のアーモンド菓子とカリッとしたほうの干しブドウパンを買ってきて! あとあればアップルパイも」

「って、お店の人にそのまま伝えれば分かるの?」

「ええ、ばっちりよ!」

「おまえなあ」

周囲の男性陣が呆れた声を出す。

「お菓子って……子どもの使いじゃないんだから」

「だって甘いもの食べたい! ずっと我慢してきたけれど、ジャムを食べたらもうだめ! 我慢できない」

「甘いものなら、ちょっと前までシズクビワとかいっぱいあったよね」

種が大きくて実食べられる果肉は少ないが、甘くておいしい。葉も薬になるので、ずいぶん採ったものだ。他にもベニレイシ、アマウリなど魔の領域に自生する甘味は多い。

「六月になったら、イチジク、スモモ、アンズ、サクランボ、ベリーが成るって、ベアさんが言っていたよ」

トーコも楽しみに青い実が熟すのを待っている。

「そうじゃなくて、こうガツンと甘いものが欲しいときがあるの! 果物も好きだけどせめて砂糖漬けとか!」

「ああ、なるほど。それはちょっと分かる」

そういう時はジャムをこってり塗り付けたパンをおやつにしたりする。彼女に地図を描いてもらって、トーコはユナグールへ飛んだ。指名を受けたイーライに親方の家まで案内してもらい、おかみさんに伝言と品物を無事に届ける。おかみさんはびっくりしたけれど、翌日の夕方、ふたりの集合場所に家を使わせてくれることになった。

イーライといくつかのお使いを一緒に済ませて、早く家族のところへ行きたくてそわそわしている彼と別れた後はご指名の菓子屋に行く。雨でけぶって視界が悪いのでうっかり、一本ずれた通りに入ってしまったけれど、甘い匂いにつられて自動補正できた。

天気が悪いので通りも店の中も閑散としていた。

トーコがメモを読むとすぐに該当のお菓子を包んでくれた。

「なんだかあの子みたいな注文ね」

「それって、もしかして」

虫小屋の彼女のことかと思ったら、やっぱりそうだった。

「最近ちっとも顔を見ないと 思ったら、そんなとこに行っていたの」

「うん、秋までは出てこないと思う」

「だけど、危ないんじゃないの? そそっかしいところのある子だけど、大丈夫かしら」

「ベテランの人たちと一緒だし、そんなに魔物が来ないところでちゃんとした建物で寝泊りしてるから。おばさんのお菓子に禁断症状が出ているみたいだけど、それ以外は大丈夫そうだよ」

シュトルム夫人は笑ってお菓子をおまけしてくれた。トーコも公都で帝国商人から手に入れた上等すぎて普段使いにしづらい小麦粉と砂糖とお菓子を交換してもらった。

戦利品をポーチに収めてトーコは雨合羽代わりに障壁魔法を纏って歩き出した。少々の雨なら森ガエルのローブとブーツでしのげるが、さすがに今日の雨風は無理だ。ギルドへ寄ってからヘーゲル家のある通りの起点となる広場へたどり着いたトーコは唖然とした。

「うわ、道が川になってる」

ユナグールは魔の森の領域の淵にある。防衛の都合上、小高い場所を選んで建造されており、それは当然、町の中心部から外、魔の領域に向かってなだらかな坂になっているということであり、東門へ流れていく水が、東門に近いヘーゲル家のほうへ向かって落ちているということだ。

流れる水は膝まである。トーコは慌ててボードに乗って川と化した道を東門へ向かって下った。通りに面したヘーゲル家も、入り口の小さな階段が川に洗われている。これは浸水していそうだ。

探査魔法によると家の中にはヘーゲル医師とバベッテ、それからご近所のシラー夫人が二階にいるようだ。ドアを開けると水が吹き込む。慌てて障壁魔法を展開したけれど、水はとっくに床を濡らしていた。

「ただいまあ! ヘーゲル医師、バベッテ姉さん、大丈夫?」

階段の上からバベッテが駆け下りてきた。

「良かったわ! トーコは無事ね」

「うん。魔の領域の草原のところにいたから大丈夫。どうせ雨で採集できないからって一日早く戻ってきたんだけど、ユナグールがこんなことになっててびっくり。家の中にまで水が来てるなんて」

「あとで地下室を一緒に見てくれる? どうなっているやら今から頭が痛いわ」

「うん。乾かすのは得意だから任せて。ヘーゲル夫人は?」

「店に行ったわ。ちゃんと着けているならいいのだけど」

バベッテが心配そうに言った。身重のシラー夫人は朝のうちにご主人が送ってきたのだという。こんな日は妊婦ひとりでいるより、信頼できるご近所さんと一緒のほうが安心だ。

部屋の中も湿気でじっとりしている。湿って肌寒く、シラー夫人にはいい環境じゃなさそうだ。窓枠から雨がしみ込んでいる。トーコは部屋の水気を排除した。

「取り敢えず、これ以上水が入ってこないようにするね」

とにかく水の流れを止めないことには、いくら乾燥させても焼け石に水だ。再び外に出たトーコは空を見上げた。虫小屋でやったように障壁で傘を作るだけじゃだめだ。町は広いのだから、傘の切れ目に被害が集中することになる。となれば、逆でやるしかない。

トーコは目いっぱい障壁魔法を上空に広げた。ただし、虫小屋とは逆に、中央に向かって漏斗のように傾斜させ、中央部に雨水を集める。大量の水はそのまま空間拡張魔法を施した中央部に溜め、大丈夫そうなのを確認してから、トーコは障壁魔法を固定した。

これで空からの流れは止まった。お次は地上を流れてくる水だ。

トーコは障壁魔法を煉瓦敷きの道に沿って這わせた。それをルリチョウの時と同じように空間拡張して水を飲みこませる。人が足を踏み入れると危ないので、格子状の蓋をしておく。これで一気にヘーゲル家へ流れ込んでくる水は減った。あとはヘーゲル家の外壁を障壁でガードしてどこからか流れてくる水を煉瓦敷きの道へ誘導する。家の中を乾かしたら、応急処置完了だ。

「ヘーゲル医師」

トーコは窓から覗いているヘーゲル医師の前に飛び上った。

「今日一日くらいはこれで保つと思う。お店のほうを見てくるね」

「気を付けるんだぞ」

「うん」

トーコはボードに飛び乗ってヘーゲル夫人の実家の店を目指した。その途中、雨を透かして見た地上はかなり水が溜まっている。トーコが最初に行った親方の家が高台だったので、気が付かなかっただけで、どうやらなかなかの災害になっていたようだ。中には大人の太ももくらいまで水が溜まっていそうな地区もある。

ユナグールの家は基本的に地下室があるので、見た目以上に悲惨なことになっていそうだ。

そして、トーコの予想通りヘーゲル夫人の実家の店では地下に貯蔵していた薬や材料を二階や屋根裏に上げるのに大忙しだった。さすがにアニは来ていなかったが、体の弱い当主に変わってヘーゲル夫人が店員や職人を指揮して立ち働いている。

トーコを見つけるときらりと目を光らせた。

「おや、ちょうどいいところに。地下の物を全部上にあげとくれ。それから地下室の水をどかせられるかい」

「先にこれ以上水が入ってこないようにしてくるね」

ヘーゲル夫人が休憩を言い渡している間にトーコはヘーゲル家と同じように周囲の処置を施した。そこからは言われたとおりに物を運んで乾かしての繰り返しだ。一階部分はたいした被害はないが、地下の貯蔵品の一部に被害がでたようだ。言われたことだけやってしまうとあとはあまりトーコには手を出せない分野になる。

邪魔にならない店の裏で炊き出しを準備しながら時々頼まれる乾かし仕事をしていると、人が集まってきた。

「なんだろうね?」

「なんだろうねって。トーコのあれを見に来たんじゃないのかい」

ヘーゲル夫人が呆れた口調で言った。ペン先で示したのは巨大漏斗の注ぎ口兼支柱だ。店が中心なので、当然店の敷地に立っている。

「そっか。雨も落ちてこないから人が出歩き始めたのか。物見高いなー」

「そうじゃなくて、びっくりしているんでしょうよ」

「もしかして、怪しげな物体が! とか思われていたりするのかな」

「十中八九ね。まあ、聞かれたらうちの誰かがただの傘だと答えるから、トーコは早く炊き出しを作っておしまい。他の娘のところは高台だから水没はしていないだろうけれど、アニのところが心配だから見てきておくれ」

手抜きして肉も野菜も魔法便りに一口大に切り刻んだのを炒めはじめながらトーコは頷いた。アニが店に来ていないなんてよほど動けない状況にあるのだろう。そうでなければ泳いででも来ていそうだ。

空間拡張した小鍋に火を入れ、湧いたところで障壁魔法で覆って調剤用の炉の上に置く。

「これ、一時間したら鍋が外れるようになるから、そうしたら食べて。お椀とスプーンは使い捨てだから、使い終わったら燃やしちゃっていいよ。後で鍋だけとりにくるね」

そう言い置いて今度はアニの家に行く。町のだいぶ中央よりの小奇麗な町は見事に冠水していた。家具や荷物を二階に動かしていたアニはトーコを見るなり叫んだ。

「ちょうど良かったわ! 店まで連れて行ってちょうだい! 道路が水浸しで渡れなかったのよ!」

「……言うと思った。ヘーゲル夫人が今日は来なくていいから、ちゃんと主婦として家の事をしなさいってさ」

アニはむくれたが、店の在庫の移動と乾燥はトーコが手伝ったと聞いて少し安心したようだ。本日三度目の雨対策を施してトーコはヘーゲル家に戻った。念のため、漏斗や煉瓦の道においた障壁に溜まった雨水を抜いておく。これ以上激しくならなければなんとかなりそうだ。雨はまだやみそうにない。

戻るとバベッテとシラー夫人が美味しい昼食を用意してくれていた。ねっとりほくほくと煮えたむかごに舌鼓を打っているとけたたましい蹄の音が聞こえた。

「急患かな」

トーコは意地汚く、もうひとすくい、角ウサギのチーズ焼きを口に入れて立ち上がった。が、あげかけた体が途中で停まる。

「あ、この魔力は……」

「あのあほはどこだ!? あ、ヘーゲル医師、お騒がせして申し訳ございません」

「うわっ」

トーコの頭上でガツンと音がした。見上げると、拳を振りぬいた格好のハルトマンと目があった。トーコの障壁に防御されるのを承知の上で、ゲンコツに障壁魔法を纏って殴ったらしい。不穏な気配を察したトーコが逃げるよりも、ハルトマンがヘッドロックをかますほうが早い。

「町中に変なキノコもどきを建てたのはお前か。お前だよな」

「キノコ? あれは傘……うぐっ、く、ぐるじい……」

「お前だな!?」

トーコは慌てて首を上下に振った。もう一度、ガツン、と音がした。

「あほか、お前! 突然不気味なキノコが生えたって町中大騒ぎになっとるわ!」

あらまあ、とバベッテとシラー夫人が顔を見合わせた。

「まあ、わけを知らん連中から見たら、そうかもな」

ヘーゲル医師も認めた。ヘーゲル家にもご近所が庭に立った巨大傘について聞きに来た人たちがいる。トーコの傘、の一言で説明が済んでしまったので、何とも思っていなかったが、それは日頃からご近所づきあいがあってトーコのことを知っている相手だからであり、何も知らなければ不気味に違いない。ただでさえユナグールは魔の領域に接しており、恩恵とともにたびたび災厄もこうむってきた。警戒して当然だ。

「ほんと、ろくなことしないな! ベアはどこだ?」

「ベアさん? 魔の領域にいるよ。どうせ雨で移動できないから、いつもより一日早く戻ってきたの」

ハルトマンは舌打ちした。

「肝心な時にいないな。はた迷惑な弟子を野放しにして……」

「そこまで言う!?」

「当然だ! このくそ忙しい時に面倒を起こしやがって! おかげでこっちはてんてこ舞いだ」

「な、なんでハルトマンさんがてんてこ舞いなの」

「市民からの通報を受けて処理するだけでどんだけ人手がかかると思ってるんだ! 俺の部下はお前の苦情処理係じゃないんだぞ!」

「ごめんなさい!」

やっとハルトマンが腕を外してくれたので、トーコは呼吸困難から解放された。

「よし。じゃあ、行くぞ」

「へ? 行くってどこへ?」

「市民には魔法使いが国境警備隊の防災活動に協力しているだけだから心配無用と言ってある」

「ありがとう?」

これ以上のお叱りは免れたらしい。お小言をもらわなくていいなら、出かける必要はないんじゃないの? ハルトマンの言葉の意味をよく分かっていないトーコは首を傾げた。ハルトマンは呑み込みの悪い妹弟子の襟首を掴んで半ば吊り下げるように椅子から引きずり立たせた。

「お前の『防災活動に協力』は傘三本か?」

「え……」

トーコは固まった。

「まさか、町中にやれとか言わないよね……?」

「やれ!」

「ひえーっ!」

「まさか、やれないとか言わないよな?」

ブーメランが返ってきた。ハ、ハルトマンさんの顔が怖い! 笑顔なのにまるで般若のようだ。

「や、やります! やらせてください!」


円形の傘を建てて回るのは効率が悪いので、以前ルリチョウから都市を防護するのに使った障壁を流用することにした。あの時は地面に垂直に立てて使用したものを、単に平行に空へ並べ直すだけだ。中に入ってるルリチョウがびしょ濡れになってしまうが、ゼロから作ってる間にも豪雨は降り続けている。あとで水だけ出すなりすれば大丈夫だろう。

まずは東区だけに展開して時間凍結魔法で固定する。次に町のお得意さん、保養客のいる南区。ここで手持ちの障壁が尽きた。必要な数量は大体わかったので、ポーチの中で作ってから一気にスライドさせて北区上空へ広げ、固定する。冠水している大通りにもヘーゲル家の周囲に施したのと同じ障壁を仕掛けていく。

「最後は西区だね」

ふたり乗り用のボードで移動しながら、トーコは魔力補充用の結晶石を片手にポーチを覗き込む。風圧の影響を受けないポーチ内で数百枚の障壁魔法を作っているのだが、さすがに魔力切れが近い。

しかしハルトマンは非情だ。

「勝手に最後にするな。町が終わったら、そのまま西側の川だ」

「川? 塩を採りに行ったときに船で遡った川?」

「そうだ。決壊しそうだ」

「町に傘をさすよりそっちが先だったんじゃない?」

ハルトマンはトーコの視線がポーチの中なのをいいことに肩をすくめた。彼としてはあといくつ同じものを作れるか確認して、町の要所だけ対処させるつもりでいたのだ。まさか、町の上空全面を覆う暴挙に出るとは思っていなかった。必要な障壁の半分を以前に作ってあったというのも大きい。トーコとて消耗はしているが、まだ限界じゃないなら、当然できることはやらせる。

西区上空にも障壁を広げて固定したトーコはそのまま城壁を飛び越えて町の西側に出た。

「そのまま川に沿って北へ……あれだ」

茶色く濁った川は以前見た姿とは似ても似つかない荒れ狂う姿をさらしていた。地響きのような音を立てて濁流が駆け下る。川の両岸に土嚢を積み上げている兵士たちがいる。土嚢からしみ出した水が広大な水たまりを作っている。

「うわ、これは、傘さしてもだめだよね。直接川の中にさっきの障壁を沈めて水嵩を減らすしかないんじゃ」

「それが一番確実だな。問題はどの程度水が入るかだが」

「うーん、それはやって見なくちゃ分からない。取り敢えず、どのくらいの時間で交換が必要か一回やってみるね」

「溢れた時の勢いを考えると、あまり土嚢を積んでいる近くでやるな」

トーコはハルトマンが指示した場所に川幅に合わせて作った障壁を建てていった。川の半ばまで沈めて固定する。一番上流のがあふれたら、二番目のが水を飲む。それもあふれたら三番目のが。

「取り敢えずはこれで様子見だな。下に降りるぞ」

十枚ほど敷かせてハルトマンは土嚢を積んでいる兵士たちを指揮している将校のところへ着地させた。

町の様子と合わせてハルトマンが報告している横で、トーコが余った障壁を上空へ浮かべ、雨を遮った。おかげで怒鳴りあわなくても話ができる。トーコの障壁魔法がどの程度川の増水に対して有効か、また保つか不明ながら、取り敢えず早朝から働きっぱなしだった兵士を休ませられる、ということになったようだ。

「トーコ、まだこの障壁余ってるか?」

「うん。皆が休憩できるようにすればいいのね? お茶くらい沸かそうか」

「ああ。人手は出す」

「大きな鍋があれば炊き出しもできるんだけど、持って来てるわけないもんね」

「だが、確かに腹は減っているだろうし、とりにいかせるか……」

「お湯で煮るだけなら障壁魔法の中でできるけれど、それでもいい?」

「この際贅沢は言わん」

トーコは大鍋型障壁魔法を二十個作ってまとめて時間凍結魔法をかけた。半分に水と戻しておいた豆を入れて火竜の炎を沈め、少しずつ熱を放出させる。ナガムカゴの皮を剥いて片端から投入。豆とムカゴに火が通るのを待つ間に休憩所の設営だ。

みんなびしょ濡れなので、滑らないよう微妙な凹凸を床面につけた巨大ウッドデッキもどきを障壁魔法で五つつくり、こちらもまとめて時間凍結魔法をかける。次いで、ベンチとテーブルを数百。これもまとめて時間凍結魔法で固定し、ウッドデッキの上に配置する。

「真ん中のデッキが調理、配膳用ね」

「おい、なんだこの色!」

「えへ、可愛いでしょ」

「んなわけあるか!」

トーコの作ったデッキとイスとベンチは目もくらむような青、緑、オレンジ、ピンクのビビットカラーだ。

「許せるのは白だけだな」

「配膳スペースは清潔感がなくちゃ。あ、しまった。みんなびしょ濡れだよね。床に傾斜をつければよかった。あと濡れた服をかける場所も」

「それは次の機会でいい」

ハルトマンは鮮やかすぎる色彩にめまいを覚えているようだが、さすがに作り直せとは言わなかった。色はともかく、即席の休憩所としては乾いているだけましだ。

「みんな泥まみれだもん、手を洗う場所が必要だよね」

トーコは採塩時のタンクを大人数用に改良して手を洗えるようにした。ついでに少し離れたところに仮設トイレもどきを作る。水洗トイレとはいかないが、廃物は時間凍結魔法の中にさようならなので、臭ったりはしないし、衛生的なはずだ。使用方法を記載した立て看板をたててこちらは完了。

「次から次へと変なものをよく思いつくな、お前」

「わたしの国にあったのを真似しただけ。さすがに機能までそっくり真似するのは無理だけど、取り敢えず使えるはず」

「魔力、大丈夫か」

「平気。結晶石の予備魔力は全部使っちゃったから、さっき魔力珠をひとつ解放しちゃった」

「魔力珠?」

「使い捨ての結晶石みたいなもの? いつも寝る前に、余った魔力で作ってるんだけど、結晶石よりたくさん魔力が補充できちゃうから、むしろ使わないともったいない」

答えるトーコは目の前に並んだ鍋が沸騰してきたので、角ウサギを放り込んだ。捌いている時間はないので解体してあるものから、部位問わず放り込む。骨のついた部位が多いので、短い時間でうまく出汁が出てくれることを祈る。鍋が再び沸騰してきたらキノコを投入。

「なかなかうまくできそうじゃないか」

「あとは青いもの茹でて最後にトッピングするだけ」

「待て! お前その器に山盛りの塩はなんだ!」

「え、最後に入れるんでしょ?」

「塩は俺が入れる! お前は触るな!」

「胡椒は?」

「それもだ! 俺たちを乾き死にさせる気か!?」

ハルトマンに香辛料を取り上げられたトーコはおとなしくお茶の準備に回った。デッキへの登り口で配れるようにそれぞれのデッキに鍋を設置して回る。ベアに教えてもらった体を温めるレシピで作ったお茶だが、味が薄くてぱっとしないので、各人で調整できるように、ユキカンのジャムと砂糖も置いておこう。

「ごった煮スープのほうはオオグルミの殻があるからいいけれど、お茶には大きすぎるなあ。お玉もたくさんいるし、スプーンはもっと沢山」

全部障壁魔法で作ることにする。ハルトマンに怒られたので、色は無難な白だ。障壁魔法自体つるっとしているので、陶器みたいになるかと思いきや、なんだかガラスっぽい。今日のような天気では寒々しい。

「まいっか」

時間凍結魔法はスプーン一本にかけても、一万本にかけても消費する魔力に大した違いはないので、食器類も大量に作って必要な場所に積み上げた。最後に茶葉を引き上げて中央の配膳デッキに戻る。

「ハルトマンさん、スープ以外の準備は終わった」

「こっちはもう少しだな。トーコ、燻製を作ったときの白ワイン、まだあるか。あれを先に入れておくべきだったな」

白ワインを足したスープの味を見ながらハルトマンが言った。

「引き上げに間に合いそうだな」

「前にハルトマンさんたちが捌いてくれた角ウサギがあって助かったよ~」

「あれか。こういう恩恵があるなら、またやるか」

「ほんと!? パテ! レバーのパテ作って!」

トーコは飛び上ってハルトマンの袖をつかんだ。

「しばらくは無理だぞ。この大雨の後始末が落ち着いてからだ」

「やったあ!」

トーコが捕らぬ狸の皮算用に浮かれている間に、兵士たちが引き上げてきた。トーコの音声拡張魔法を使ってハルトマンが休憩を指示する。おかげで新システムにも混乱なくみんな手を洗ってお茶を受け取り、空いた席に着く。

「はー、さすがの統率だね」

トーコは感心した。ギルド構成員だったらこうはいかない。ハルトマンが先に自分の部下を呼んでお茶やスープ煮の配膳準備をしているのでトーコは見ているだけだ。段取りって大事だ。

「トーコ、熱いお茶もいいが、飲み水も出せ」

「あ、うっかりしてた。今、設置してくる。コップはお茶用のマグカップを使ってもらうことでいいかな。余分に作っておいて良かった」

四か所のお茶配布場所を回って戻ったトーコはハルトマンに提案した。

「みんな濡れて風邪ひきそう」

「そんなやわな奴はおらん」

「でも、体に良くないよ。みんなの服を乾かしてもいい?」

「さっき、俺に問答無用でやったみたいにか」

「ハルトマンさんがびしょびしょだと、わたしまで濡れるんだもん!」

トーコはずぶ濡れのまま遠慮なくヘッドロックをかましてくれた兄弟子を恨みがましく見た。

「いきなりやるなよ。俺が通達してからだ」

ハルトマンのアナウンス後、全員の服を乾かす。最初のころのように乾かしすぎて服をバリバリにしてしまうようなへまはしない。兵士の服はみんな同じ素材なので楽だ。

「この音声拡張魔法、便利だな」

全員が無事に休憩所に収まり、食事がいきわたったのを確認したハルトマンは、おかわりは各自勝手にやるようアナウンスしてから配膳係りの兵士たちと一緒に席に着いた。半分は昼を食べたトーコもちゃっかり混ざる。

「簡単な構成の魔法だから、ハルトマンさんも覚えたら?」

「あとでな」

「椅子とテーブルは足りたけれど、隣との間がちょっと狭かったね」

「お前、自分が使う感覚で配置しただろ」

「あ、そうかも。椅子とテーブルの高さはみんなに合わせたつもりだったんだけど」

今度やる時はもっと余裕を持って配置しないと、とメモしておく。

「なんか、このテーブル使いにくいなあ。腕を置きにくいというか、体重をかけにくいというか」

「天板がぺらいからじゃないのか」

「厚みがあったほうがいいのかな? これも改善だなあ。スプーンもぺらすぎてイマイチ」

「お玉はよくできてましたよ」

トーコが頭をかいていると、配膳係の兵士が気を使ってくれた。

「お玉は前にもつくったことあるから。ちゃんと握りやすい太さにしたの。みんなでやるなら、鍋の真ん中にお玉かけを作ればよかったね。これも要検討、と」

「そんなに厳しくしなくても、ちゃんと使えていますよ」

「ありがとう。でもせっかくならみんなが気持ちよく使えるにこしたことはないもの。皆も使い勝手とか、気になる点があったら教えて?」

「遠慮なく、忌憚ない意見を教えてやれ。でないといつまでたっても進歩がない」

「なんか、ハルトマンさんの言いようだと、わたしがおバカに聞こえるんだけど!」

「違うのか」

「違うもん! 進歩してるもん!」

「さっき、鍋に器いっぱいの塩をぶちこもうとしてたのだどこのどいつだ」

「ぜ、全部入れようとしたわけじゃないもん!」

皆の視線が白い、というより憐憫を帯びているのは気のせいか。

「塩加減もできん奴が器から直接なんて、ありえんわ。匙でやれ。いったい何のためにこんなに出来損ないのスプーンを作ったんだ」

「うう……っ」

塩のためじゃないのは確かだが言葉を重ねれば重ねるだけやり込められそうなので、トーコはしぶしぶ口を閉じた。

「トーコが自分で自分の魔法の出来に納得してないんだから、まあ好きなだけ皆に訊いて回ればいい。お前らも暇な時だけでいいから手伝ってやれ。それより、川のほうは大丈夫か」

「忘れてた!」

ハルトマンが拳を振り上げたので、トーコは慌てて隣の兵士の背中に回り込んだ。勝手に盾にされた兵士はオオグルミの殻の器を抱えたまま、ハルトマンのゲンコツを前に凍りついている。

「忘れてただと?」

「だ、大丈夫! 一個目の障壁がもうすぐいっぱいになりそうだけど、ちゃんと次があるから!」

「お前、完全にここに何しに来たのか忘れていただろう!」

「ちょびっとだけ……」

「嘘つけ!」

ハルトマンは舌打ちして懐中時計を取り出した。

「余裕をもって、一時間で一枚張り替えだな」

「うん、わかった」

「二十四枚張って、明日の昼頃に一度様子を見にこよう。障壁だけ張ったら今日は帰っていいぞ」

「あー、それ危ないかも」

トーコは兵士の背中から首をだした。ハルトマンが怪訝そうな顔になる。

「障壁の入り口に倒木やなんかが引っかかってる。水は入るんだけど、このまま放置したら、ビーバーのダムみたいになって川がせき止められちゃわないかな」

「なんとかならんか」

「方法としては、川底まで障壁をつけて縦にする。これなら引っかかることは少ないと思うけれど、川が干上がっちゃう」

「時々見回って人力でどけるしかないか」

「生身の人でやるのは危なくない? 水の勢いが結構あるよ」

「長い棒かなにかでつついて中に押し込むにしても、川岸からだとそんなに届かないか……いや、川の上にこのデッキみたいのを渡せないか? それで、障壁の枠にひっかかった倒木を引き上げるなり、中に押し込むなりしたらどうだ」

「いいかも!」

ハルトマンが許可をとってきて、交代で障壁魔法を見回り、障害物に対処することになった。どうしてもまずそうなら、東区のヘーゲル家まで伝令が走る。

ハルトマンは工兵を集めてどういう風に見回り用の橋を架けるか相談する。下が見やすいように床は透明のまま、作業は夜間におよぶので、手すりは見やすいビビットカラー。ハルトマンには散々けなされたベンチの色だが、見易さ、分かりやすさでは軍配があがる。

「手すりの太さはこのくらいとして、松明を置けるようにできますか?」

「欄干に穴をあければできると思う。角度とかある?」

「外に向かって突き出せるように」

「だったら、いっそ明りの魔法で橋そのものを光らせちゃうって手もあるよ」

「いや、上が明るいと水の中が見えにくいので」

「じゃあ、川の中にも明りの魔法を沈めちゃう? あとは巨大懐中電灯を設置するとか?」

トーコはベアに作った懐中電灯もどきを見せた。単純なつくりだけれど、指向性の明りなので、川の中を橋の上から任意の場所を照らすことはできる。動かしやすいように車輪を下に付けたらどうか、重くないなら逆に風にあおられないように重石を作ったほうがいいのでは……みんなで頭を寄せ合って色々試作しているとあっという間に陽が落ちてくる。

直近当番以外の兵士は引上げ、トーコは不要な椅子とテーブルを片づけてここに寝泊りする兵士たちのためのスペースを作った。煮炊きの面倒までは見れないので、竈と薪を調理用デッキに出しておいた。

「トーコ、このテーブルとベンチ、軽すぎるぞ。風で飛ばされそうだ」

「あちゃー。デッキに固定しちゃっていい? 仮眠は他のデッキでとってもらうとして」

「仕方ないな」

同じく軽い障壁魔法の食器も太い薪の端っこを失敬した板で箱を作ってその中に収める。

「これは使い終わったら捨てておいて。三か月くらいで勝手に魔力が切れてなくなるから」

「三か月は長いな。回収しておくから、今度ユナグールに戻ったときに自分で解除しろ」

「うん、分かった」

雨はさらに二日降り続き、トーコは異常増水が収まるまで川に通うこととなった。


雨が上がった翌週、川辺の障壁魔法を撤去しにユナグールへもどったトーコは立ち合いのハルトマンから小さな包みを渡された。

「うちの連中から、この間の炊き出しの礼だと」

こっちがトーコのへまの始末をして回っているんだから、逆じゃないか? というハルトマンの声は無視してトーコは包みを開けた。出てきたのは金属製のスプーンが一本。

「なんだ、官給品じゃないか」

覗き込んだハルトマンが怪訝そうに言った。

「みんなが使ってるやつってこと?」

「まあそうだな」

「おそろい!? やったあ! ありがとう!!」

トーコは感激してピカピカのスプーンを握りしめた。

「今度スプーン作る時はこれを参考にするね!」

「ああ、そのためにくれたんだろうが……」

お礼という名の使いにくいスプーンの改善要望をここまで素直に喜ばれるとは兵士たちも思ってなかったに違いない。それだけは確かだった。

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