第21話 結晶石(2)
「ベアさん、ひとがいる。二百メートル斜め右手。ひとり。魔法使いじゃない。倒れているのか寝そべっているのか分からないけれど」
広大な森と草原と湿地を縄張りにしているベアとトーコだが、ひとと行き会うことは滅多にない。ベアは少し考え、そちらに足を向けた。すれ違うだけなら無視してもよかったのだが、助けがいるようなら余力のある範囲で助け合うのもギルド構成員同士の暗黙の了解事項だ。
「それってひととして普通じゃない?」
「ここは魔の領域だ。ひとりの怪我人のために全員が足止めを食うことは下手をすれば全滅を意味する。出血があるならなおさら魔物を引き付ける。怪我をしても移動できればそこまでじゃないが、動けなくなれば置いていく。どんなに腕利きの狩人でも、魔法使いでもキリなく集まってくる魔物を相手にし続ければいつか倒れる」
トーコは承服しかねる顔だが、それが魔の領域に入り込む人間が長い時間かけて培った生き延びるための知恵だ。
「怪我はあるみたいだけれど、動けなくなるほど大きな怪我じゃない。あ、でもちょっと辛そう」
「病気か?」
「分からない。ベアさん、あれなんだろう?」
トーコは前方の木を指さした。
「角ウサギだな」
クロザクロの巨木の枝から腹を裂かれた角ウサギがつるされている。猟奇的な光景にトーコ及び腰になる。
「……誰かが血抜きしているわけじゃないよね?」
「違うな。近くに魔物は」
「半径二百メートル以内に大型の肉食魔物はいない。小型のは、今探すからちょっと待って……」
「集まってきていないならそれでいい。この角ウサギは死んであまり間がないな。ひとがいるのは風上か」
角ウサギから顔をそむけていたトーコはあわてて歩き出したベアのあとを追いかけた。既に逃げ腰でベアのローブを両手でしっかり掴んでいる。
「あれ、ここなんだけれど」
トーコは巨岩の根元を見つめた。
「どのあたりだ」
あのへん、とトーコは手で示した。
「そこで止まって待て。いいと言うまで近づくな」
「う、うん。ベアさん、気を付けて」
トーコは岩から十メートルほど離れたところで、言いつけ通り足を止めた。ベアは構わず歩いていき、岩の根元に不自然に一部だけ生い茂る草のところへ近づいた。近づくにつれ、草は生い茂っているのではなく、枝の支えから下がっているのだと分かった。ギルド構成員が野営の時に夜露をしのぐためによく作る草壁だ。
「誰かいるか」
返事はない。ベアはもう一度声をあげた。そっとナイフを抜いて草壁に手をかける。トーコはハラハラしながらその様子を見ていたが、ややあってベアが手招きした。駆け寄ると、ベアは草壁を取り除けて屈みこんでいる。
「トーコ、怪我人だ。これはチョウロウクロネコの爪にやられたな。傷口が化膿して発熱している。治せるか」
「えーとえーと。こういう時は化膿したところを先に消毒して解毒してから治癒、だったかな」
トーコは猛烈な勢いでメモを繰った。その間にベアは薬草を漬けたアッカ酒を出して清潔な木綿に滴るほどふりかけた。包帯を解いた傷口は膿んで嫌な臭いを放っている。すり潰した薬草をあてているけれ傷口の熱で乾いてしまっている。
まずトーコが膿を洗い流して消毒し、ベアは傷口に薬草酒に浸した布を当てた。怪我をした男がうめき声を漏らした。声をかけたが反応はあいまいだった。ベアは小袋に瓶詰の氷をあけて布にくるんで、男の額と首筋に置いた。かなり発熱している。
「ベアさん、傷は塞いだ。一応消毒、炎症止め、解毒、解熱魔法はかけたけれど、なんだかあまりよくなってないみたい」
「今夜はここで野営だ。彼の仲間が戻ってくるまで待つしかないな」
「チームのひとがいるの?」
「ああ。臭いの強い草で草壁を作ったのは仲間だろう。怪我人をうまく隠してあった。途中で見た角ウサギをつるしたのも仲間だ。万が一魔物に血の臭いを嗅ぎつけられても、そちらに気をそらせるようにだろう」
「そういう意味があったんだ」
ベアは感心しているトーコにワタリヌマガモ出張査定所を出させて怪我人を運び込んだ。草原にあって目立つことこの上ないが、寄ってきた魔物はトーコに片端から撃退させるしかない。
トーコは枯葉マットレスを出して怪我人の寝床を作っている。遠くからでも分かるように、査定所の周囲にぐるりと松明を立て、バベッテが持たせてくれた角ウサギのシチューで夕食を簡単に済ませる。怪我人に対してできることはほとんどないので、今度ユナグールに戻った時にギルドへ持ち込む薬草類を確認、ごみを取り除いてきれいにそろえている間に夜になり、朝になった。
「起こしてくれてよかったんだぞ」
「眠くならなかったから。深夜の作業ってなんであんなに捗るんだろう?」
夢中になっちゃった、とトーコは欠伸した。試験前の一夜漬けじゃないけれど、久々の夜更かしの割には平気だった。目から余計な情報が入ってこないせいか、探査魔法がすごく冴えていた気がする。
それでもベアに言われて一眠りし、探査魔法にひっかかったひとの気配で目を覚ました。
「ベアさん、誰か来るみたい」
目をこすりながら寝ぼけ声で言うと、ベアは頷いた。
「ああ、見えている」
とまどっているようだが、それでも近寄ってくる。トーコは無邪気に両手を振ってベアの隣でぴょんぴょん飛び跳ねた。やがてやってきたのはひげをたくわえた壮年の男だった。彼は落ち着いた表情でベアとトーコを見上げた。
「連れが世話になったようだな」
「勝手に移させてもらった。そこに階段があるから気を付けてくれ。トーコ、見えるようにならないか」
「できるよ」
遅まきながらトーコは障壁魔法に幻惑魔法を重ねて時間凍結魔法で再固定した。可視化された階段を男が上ってきて、横たわる怪我人をのぞき込んだ。ベアが状況を説明しているので、トーコはお茶を淹れた。
ベアが推察したように、チョウロウクロネコに襲われ、撃退したものの負った手傷が悪化して動けなくなったということだった。傷を洗うのにも飲用にも水が足りなくなり、やむなく遠い水場まで一日かけて水を汲んで戻ってきたという。
そういえば草原は水場が少ないんだったっけ、とトーコは思い出した。水は自前調達が基本なので忘れがちだが、それでもトーコもベアに教えられた水場をいくつか知っている。数が少ないので主に転移魔法の基点としてしか利用していない。
「転移魔法がある。ユナグールまで戻るなら送ろう。医者を連れてきたほうがいいならそうする」
「もう少しこのまま様子をみたい」
「分かった。この場所は好きに使え」
トーコは手を挙げて発言を求めた。
「熱が下がっているように見えるけれど、これ、魔法で下げているだけで具合がよくなってるわけじゃないの」
「分かった。ありがとう」
「トーコ、解熱の魔法はどのくらいもつんだ」
「症状によっても違うし、下げすぎると逆に危ないから控えめにしてる。この感じだと、二、三時間じゃないかなあ」
ベアは頷き、髭の男に向かって言った。
「あんたたちは薬草の採集か?」
「いや、そういうわけじゃない」
「解熱用の薬草の使い方はわかるか」
「多少は」
男は薬草の名を挙げたが、ベアは他にいくつかの薬効植物を出して刻み始めた。
「先に根と樹皮を煮出してから葉を入れて蒸らせ。これでこの小鍋の半分くらいの量だ。解熱と滋養強壮、それから少し眠くなるはずだ。目を覚ましたら飲ませてやれ。臭いがひどいから少し離れたところでやるんだな。トーコ、竈をもうひとつ外に出しておけ。それから魔物が入ってこれないように障壁を。ついでに雨避けもだ」
「雨降るの?」
トーコは青い空を見上げた。
「南東に灰色の雲がある。降るかどうかわからんが、念のためだ」
出張所には屋根があるが空からの視界を遮るためで、雨は防げない。トーコは半径十メートル周囲をぐるりと障壁で囲み、根本だけわかるように色を付けた。風が入るように空間をあけて、大きな屋根をかぶせる。こちらも一部だけ色を付けて輪郭が分かるようにした。
「人が出入りできる隙間を東西南北に作ったけれど、板かなにかで塞いでおく?」
「大物が入ってこれなければそれでいい。じゃあ、俺たちは行くが、他に入用なものはあるか?」
「え、怪我人置いていっちゃうの?」
トーコはびっくりしたが、ベアは淡々としたものだ。
「これ以上できることはない。昼には一度戻ってくる」
「大丈夫だ、ありがとう」
トーコは慌てて作り置きのサンドイッチとスープ、病人用の果汁と氷を用意し、流しの使い方を説明してから、ベアとともに転移した。
転移先は予定を変更して草原湿地だった。
「採集物は基本的にこの間と同じだ。その他にツノビシの実を探す」
「前に水鳥の査定のときにベアさんが採ってきた四角形のやつ?」
「そうだ。まだ水底に沈んでいるはずだ。食べられる部分は少ないだろうが、数を採れば必要な量になるだろう」
水上を障壁魔法で走りながら早速トーコは採集にかかった。
ベアの言う通りいいのは残っていない。水底に半分埋もれたようなのも多い。ベアはトーコが集めた菱の実を割って芽が出たり色が変わっているところを避けて白い部分だけナイフで削る。使える部分の見極めに自信がないので、トーコは採集と殻を外すのに専念した。
代わりに大量だったのがヌマガモの卵だ。産卵期まっただ中とあってどの巣も卵を抱えている。中には抱卵に入っている巣もある。
「春だねえ」
日差しも心なしか柔らかく、風も厳しい冷たさがない。
太陽が中天に差し掛かったので、出張査定所へ戻ると、髭の男が冴えない表情で出迎えた。怪我人はよくなるどころか、熱が高く、苦しそうだ。
「目は覚ましたか」
「いや」
髭の男は暗い顔で首を振った。
「ベアさん、やっぱりお医者さんを呼んできたほうが……。怪我が原因じゃなくて病気かもしれないじゃない」
「病気か……トーコ、薬湯を直接胃の中へ転移させられるか」
「ヨツキバオオイノシシに襲われた人の時みたいに? できるよ」
ベアが作ったツノビシの薬湯を人肌に冷ましてからトーコは男の胃にコップ半分ほど入れた。
「一度にたくさん入れても、吐くかもしれんし、今はこれだけだ。控えめに解熱魔法をかけろ」
「かけたよ」
ベアは心配そうにのぞき込んでいるひげの男を振り返った。
「怪我人は俺が看ているから、あんたは飯を食え」
置いていったサンドイッチもスープも手つかずだ。あまり食欲なさそうなので、トーコはお茶に公都で手に入れた砂糖菓子を添えて出した。疲れているときは甘いものだ。心配していたら、体だけでなく、心だって疲れる。
ベアとトーコは自分たちも作り置きのサンドイッチで簡便に昼食を済ませると、再び転移した。ベアが転移先に指定したのは採集場ではなかった。
「ヨツキバオオイノシシに食われた男の村へ飛べるか」
「た、食べられてないから!」
なんてことを。縁起でもない。
「分かった、訂正する。腹の肉とはらわたの一部を食われた男」
「うっ、そ、それも……」
くだらないやり取りの末にトーコはリクエストの場所へ転移した。ヌマガモの卵を手土産に訪ねると主人は農作業中だったが、小さい子たちが畑まで案内してくれた。案内してもらってよかった。ベアもトーコも無残な傷口は覚えていても、元気な顔の頑健そうな男があの怪我人だと言われても分からなかった。
「魔法使いのおじさんとお姉ちゃんだよ!」
「卵もらったの!」
子どもたちがトーコの手を放して父親に駆け寄った。一緒に働いていた若者が帽子をとってぺこりと頭を下げた。
「父さん、イノシシの魔物に襲われたときに助けれくれた人たち」
「その節はどうも」
「仕事だ。礼には及ばない」
「今日はなんの用で。またなにか出たのかい」
「いや、あんたの顔を見に来ただけだ。俺たちが何を飲ませたかは知っているな」
「竜の血とか……ユナグール大学の先生が色々聞きに来たんで」
「騒がせて悪かったな。竜の血なんて簡単に手にはいるもんじゃないし、実際に使った例も滅多にないんで俺たちが話した。俺たちも使うのは初めてだから、その後どうかと思ってな」
「おかげでもうすっかりよくなったよ。体力を取り戻すのにちっとかかったくらいで」
「あれだけの大怪我だったんだ。無理はしないことだ。あのあと気分が悪くなったり、体に不調があったりはしないか」
「うーん、そりゃ普段どおりってわけにはいかないが、それが竜の血のせいかって言われると……あの、高価な薬だって聞いたんだが」
「そうだ。自分たちで仕留めた分け前だから気にしなくていい。ヨツキバオオイノシシに襲われたのは運が悪かったが、そのあとはいろんな意味で運が良かったんだ。いい息子を持ってよかったな」
父親の隣で神妙な顔をしている彼が機転を利かせて助けを求めに走ったから間に合ったのだ。
「立ち話もなんなんで」
「いや、あんたの無事が確認できたらいいんだ。忙しい時期に煩わせて悪かったな」
ベアは手をあげて男の家に戻り始めた。トーコは子どもたちと手をつないで後を追いかけながら、ベアに訊ねた。
「ベアさん、竜の血を使うの?」
「肉のほうをな」
「病気に効くっていう? あのひと病気なの?」
「たぶん敗血症を起こしている」
「ハイケツショウ?」
トーコは首をかしげた。
「傷口から疫病が入ったかもしれない」
「あ、なるほど。病気なら竜の肉が効果あるかもしれないものね」
薬草には詳しいベアも竜の肉を使った経験がないので、まず近い前例を確認しに来たのか。
「竜のお肉おいしい?」
男の子が聞きつけて期待に満ちたまなざしでトーコを見上げた。
「薬だから美味しくないと思うよ。角ウサギとワタリヌマガモは美味しかった?」
「お母さんのウサギの魔物のシチュー美味しかった!」
「鳥の魔物で丸焼きを作ってくれたの!」
子どもたちが嬉しそうに報告した。
「お母さんはお料理が上手なんだ」
「「うん!」」
「じゃ、どっちももう一回作ってもらわなきゃね」
子どもたちに角ウサギとワタリヌマガモを渡して家の前で別れると、ふたりは魔の領域へ戻った。ベアがひげの男に説明して、トーコが竜の肉を直接怪我人の胃に送り込む。
「肉はタンパク質だから、直接胃に入れても消化できると思うんだけど……」
「なんだそれは」
「炭水化物……穀物とか芋とかを消化するのは唾液だけど、タンパク質、つまり肉とか大豆とかを消化するのは胃液って学校で習った」
「ほう」
無事に竜の肉を転移させてトーコはため息を落とした。
「もっと学校の勉強をちゃんとやっとくんだった。こんなこと一体何の役に立つんだろうって思ってたけれど、実際に今役に立ってるもんなあ」
後悔先に立たずとはこのことだ。
探査魔法で怪我人の具合を看ながらメモを整理していたが、十分もしないうちに変化が現れた。竜の魔力がゆっくり広がり、怪我人の体を温めるように押し包む。トーコの探査魔法では竜の魔力がゆっくりとしかし確実に宿主を助けその敵を排除しているのが確認できた。十五分ほどで現象は収束し、余った魔力が流れるように抜けていった。
「ベアさん、終わったみたい」
ひげの男が仲間の額に手を当て、熱が下がったようだ、という。
「熱の原因がなくなったからね。あ、起きた」
ひげの男が安堵したように全身で息を吐き、ぼんやりとした視線をさまよわせる仲間に話しかけた。
怪我も癒え、感染症も快癒し、体力も戻った男だったが、この数日動かなかったために衰えた筋力までは戻っていなかった。
草原のどこを歩いてもベアとトーコは構わないので、さらに東に向かうという彼らとともにふたりも草原を歩いた。怪我人の速度に合わせて移動速度はゆっくり、休息も頻繁にとったのでベアたちはベアたちで自分の採集をした。一緒に行動するというより、お互い視界の範囲にいる、という程度のゆるい距離感はトーコには不思議だが、どちらの負担にもならないのはいいことだ。いざとなればお互い手も貸すし、野営地も共同で作る。
トーコは怪我人が気になって仕方がなく、なんだかんだと口実を設けては彼らのところに顔をだした。
ベアは彼らに忠告してやった。
「休憩の邪魔なら邪魔だとはっきり言わないと通じないぞ」
「いや、助かっているよ。それより全部やらせてしまっているようで悪いんだが」
「魔の領域でひとと行き会うことなんか滅多にないから、構ってもらえる相手が増えて浮かれているんだ。ほっといていい。うるさいときは適当な用事を言いつけて追い払うといい」
ひげの男と仲間は苦笑して、別れた後の野営がきつくなりそうだ、と冗談を言った。
「ご飯できたよ~!」
トーコが跳ねるようにして寄ってきたので、男三人は口をつぐんで丸太のイスに座った。テーブルにはポトフもどきが皿代わりのオオグルミの殻に盛られ、鍋には発芽押し麦の雑炊が湯気を立てている。そして。
「これはなんだ?」
トーコの視線が泳いだ。
「か、かきたまご……?」
「オムレツに失敗したな」
「焦げてはないから! 卵は栄養があって体にいいんだよ!」
事あるごとにしつこくオムレツに挑戦し続けているトーコだが、なかなかうまくいかない。オムレツはちっともできないが、失敗作を生かす腕だけは上達した。
「塩と胡椒ははいっているけれど、よかったらこれかけて食べてね」
バベッテに教えてもらいながら作ったブラウンソースだ。本当はオムレツにかけて食べるはずが、未だそこまで到達せず。ケチャップでも食べたいので、この夏は絶対市場でトマトを買おう。
「まあ確かに体にはいい。別れるときに少し持って行ってもらえるように茹でておけ」
「うん」
「いや、そこまでは悪いから」
「昨日いっぱい採ってきたから大丈夫! ちゃんといいかんじに茹でられるようになったから任せて! 全部固ゆでにする? 早めに食べるのは半熟にしておく?」
「ああ、うん、任せるよ」
ペラペラとしゃべり続けるトーコの声をBGMに魔の領域の夜は更けていった。
彼らとは二日間行動を共にし、そこで別れた。
ベアとトーコは再び採集に励み、さらにひと月半ほども入りっぱなしだった。そしてある日週間チェックのためにギルドへ行くと、竜の肉で敗血症を癒したギルド構成員がいた。もうすっかり元気になって、自力でユナグールまで戻っていたらしい。職員に聞いて、トーコが来るのを待っていたという。
彼らも往復含め約二ヶ月魔の領域に滞在していた計算で、やはりギルドではトップクラスの力量を持っている人たちなのだろう。
「わあ、お久しぶり!」
「魔の領域では世話になったな」
「どういたしまして。こういうのはお互いさまだってベアさんも言ってたよ」
「そのベアさんは今日はいないのか」
「うん、今頃ハコネグサと格闘してる。私だけちょっとお使いと買い物に戻っただけなの。あと三時間くらいで戻るから伝言があれば伝えるけれど。ベアさんに用なら、たぶんあとひと月くらいは出てこないと思う」
「そうか、じゃあこれを渡してくれればいい」
男は手のひらサイズの小袋を渡した。
「ギルド職員の言う通り、君は本当に自由にギルドと魔の領域を行き来できるんだな」
「うん。おじさんは今度はいつ魔の領域に入るの?」
「持ち帰った品の加工やらが終わったらまたすぐに入るさ。ギルドからもせっつかれているし、今年は何とか四回入りたいと思ってる」
「じゃあ、また中でも会えたらいいね」
「君たちはいつもどのあたりで活動しているんだ?」
「果樹のいっぱいある草原と、その先の森。あとは浅い湿地かな」
「随分深くまで行くんだな。さすが転移魔法を使えると違うな」
「ベアさんは転移魔法なんかなくたって、一人で行っちゃうけど、わたしは魔法がないとついていけない」
「彼によろしく伝えておいてくれ」
トーコはちゃんとお使いを果たした。包みからベアの手のひらに転がり出てきたのはクルミサイズの結晶だった。濁りの少ない澄んだ石は一見水晶のようだった。
「結晶石?」
トーコはびっくりした。何故結晶石なんだろう。
「ベアさんにって言っていたから、この間のお礼なんだろうけれど、高価なんじゃない? だってこれいい石だよね?」
帝国商人の扱っていた一級品にも勝るとも劣らない品だと思う。そして結晶石は宝石並に高い。
「なるほど。彼らはこれを採りに魔の領域に入っているのか」
「あ、前に言っていた結晶石の採掘をする人?」
「推測だが。彼らは自分たちがどこへ行くのかはっきりしたことを言わなかっただろう。秘密の採掘場があるんだろうな」
深くは訊ねないのが暗黙のルールなのでベアも気にしなかったが、ギルドの依頼、というのが気になる。ベア自身ついこの間ギルドの依頼で結晶樹の実を採りに入ったばかりだ。似た性質のふたつの依頼に意味があるのかないのか。
「ベアさん、どうしたの? 黙っちゃって」
「なんでもない。俺たちもそろそろ一度ユナグールへ戻るか。新芽の持ち込みもひと段落したころだろう」
「出遅れちゃったけどいいの?」
「今年はいいんだ」
よく意味が分からない。トーコは首をかしげたが、ベアは説明しなかった。
ギルドへ行くと、歓迎されているのか叱られているのか判別しがたい言葉で馴染みのギルド職員が出迎えた。
「まったく、ちっとも顔を見せやしないんだから」
「今、見せたろう」
それにどうしても足りないというものはトーコに持っていかせたのだから、文句を言われる筋合いはない。トーコを通して把握していた相場からしても、今年は全体的に芽吹きがよく、ひとりふたりさぼっても依頼は問題なく回っているはずだ。
掲示板から応えられる依頼をトーコに片端からとってこさせ、ベアが確認して最終的に請ける請けないを決める。計量作業をトーコにさせている間に掲示板を再度ベアが確認してトーコが見逃した依頼を探し、結果として掲示板はだいぶすっきりとした。
「いつもこのくらいやってくれればいいんだけどなあ」
「他の連中の商売を邪魔する気はない。今年は春が早いようだ。新芽もよく出ていたし、質のいい採集ができたと思うが、他はどうだ」
計量を待ちがてらユナグールを離れていた間の情報を仕入れる。朝から天気が悪いのでギルドは開店休業だ。
「ああ、依頼も多いし、なんとか昨年秋の角ウサギの損害を取り戻したいところだ」
「火竜で賄いきれなかったのか」
「火竜の代価が入ってくるのはもう少し先だ」
「……そういえばそうだったな」
ベア自身も魔法の代価が高額なので一部を為替で受け取っている。これまでの人生で無縁の代物だったのでつい忘れがちだが、こちらも現金化は先の話である。どうやって現金化するのか、トーコへの宿題にしておこう。
「そういえば、南区の肉屋の話、断ったんだって? いい話だと思うけれど」
「ギルドにとってはな」
面倒な手続き抜きで定期的に手数料が入ってくるのだからこんなうまい話はない。
「あんたにとってもだろ。角ウサギの処分に困ってたんじゃなかったっけか」
元狩人のギルド職員は自分が角ウサギをトーコに押し付けたことを棚に上げてしれっと言う。
「いちいち南区まで毎週届けに行くのが面倒くさい」
「向うがよくあきらめたね。南区のお金持ち相手に羽振りがいいらしいのに」
「簡単だ。往復の転移魔法、角ウサギを保管する時間凍結魔法、運搬する移動魔法の料金を重ねた」
「……そりゃ引きさがるわ。魔法まで買わないといけないとは思ってなかったろうだろうからね」
「どのみち、もう角ウサギは獲れるだろう。そういえば、人の領域に迷い出た魔物はその後もあったのか」
「小物がいくつかあったけれど、今はもう魔の領域に戻ったのか平穏なものだよ」
「ルリチョウは」
「あの一団だけみたいだね。新たな群が侵入したという話は聞かない」
「それはなによりだ」
一時的な例外ならそれでいいのだ。
ギルドを出たあとはユナグール大学の研究室を訪ねて旧交を温める。いつでも必要なものはヘーゲル家にことづけてくれるよう頼んだのだが、音沙汰なしだったので遠慮しているのかと思ったら、ユナグール大学とギルドの共同研究という形になったらしい。一定額までの魔の領域の産物はギルドが提供してくれる。春からこっち寝る間もないほど忙しいとのことで、結構なことだ。
「ギルド長もやるな」
「ギルドとしても軽くてかさばらず、日持ちする高額取引品を増やしたいようだったよ。なるべく採集に手間がかからず大量に採取できるものを優先的に研究することになった。古い文献では薬効の確証が得られなかったものも、今は技術も情報もずっと進歩しているからね」
他の研究室から移ってきた学生も増えて、ゼッケ研究員は生き生きしていた。竜の肉を使ってみたというと熱心にベアから聞き取りして感動して叫んだ。
「やっぱり竜は薬の素材としても最高峰だ! 生血と生肉、その両方の実例を聞けるなんてぼくは幸運だ! 骨は一回試したことがあるんだけど、桁違いの効能だな」
「そういえば骨って今思えばいい値段だったよね。血と肉ですっかり感覚が麻痺していたけれど、随分高価だった」
骨は血や肉、内臓と違って何年でも保存できるので、財産価値も高い。ギルドもすべては売らず、一部を現物保管していたはずだ。
「あたりまえだよ。骨粉ひと匙いくらすると思ってるんだい」
「覚えてない。一番高かったのって心臓だっけ」
時間凍結魔法を売らされた帝国商人が競り落としていたが、白熱した競りだった。
ベアが熱心に話し込む内容の半分も理解できなかったけれど、気がついたら夕方だった。あわててヘーゲル家に戻るとびっくりされた。トーコが人の領域に戻ってきているとは思わなかったのだ。
「しばらくユナグールにいるよ。明日と明後日は薬草をお店に持ち込むの。あと、バベッテ姉さんが買い物に行くときにまたついて行っていい?」
「いいわよ。せっかくだから今のうちに夏服を仕立てたらいいわ」
「え、もう?」
「だってあなた次にいつ戻ってくるか分からないじゃない。今から採寸してもらわなきゃ、暑くなってからじゃ間に合わないわよ」
幸いいい生地もあるんだし、という。
二日かけて薬種商めぐりをした翌日、バベッテとシラー夫人の買い物にくっついていって、生地屋で手持ちにない布地を買って、あらかじめ話をつけておいた仕立て屋に行く。魔の領域で着るものについてはあっさり決まったが、ユナグールで普段着るドレスについては、バルク流ファッションに疎いトーコに代わってバベッテとシラー夫人と仕立て屋で喧々諤々だ。
「あ、このデザインは?」
「それは古くておばさんぽいわよ、やめなさい」
そうなのか。ヘーゲル夫人の持ってる服に似てるなーと思ったのだが。
「トーコ、あなた公都に行ったときに向うのファッションを見たでしょう? 何かないの?」
「ええっ、そんな何か月も前の覚えてないよ~」
「せっかくの機会だったのにもったいない」
シラー夫人にまでダメ出しされてしまった。
トーコだっておしゃれは好きだし、可愛い小物を見ると欲しくなるけれど、微妙なデザインの変遷までは守備範囲外だ。自分で選んだ青い小花模様の生地とそれに合わせるクリーム色の生地を眺めながら肩を落とす。出来上がりのイメージなどというものは持っていないので気に入った柄と色を合わせただけだが、これだって既製服しか買ったことにないトーコには冒険なのだ。
陽にあたって色あせるから自分の思っているより気持ち濃い目の色にするのがコツだとか、一着分の生地の長さの単位だとかでメモはぎっしり埋まったけれど、今三人が話しているのは文字にしようと思っても出来なさそうだった。
すったもんだの末になんとか二着の街着とたくさんのシャツや肌着を頼んで引き上げる途中でトーコはとうとうフライパンを買った。オムレツがうまくできないのはやっぱりフライパンじゃないといけないのではなかろうか、との結論である。決してトーコの腕じゃないと思いたい。これまたバベッテとシラー夫人の助言のもとの買い物なので、大丈夫、なはず。
「いやいや、そうじゃなくて!」
バベッテの買い物についてきたのにはちゃんと理由がある。買い物したかったのも事実だが、来月バベッテの誕生日なので、プレゼントのリサーチをしたかったのだ。また長く魔の領域に入るのは分かっているので、探す時間のことも考えると早めに何にするかくらいは決めておきたい。
とりあえず、色あせしやすいのや洗濯やアイロンに余計な手間がかかるのはダメ、と。
前にあげたハンカチは大丈夫だったと思うけれど、服飾系はやめておいたほうがよさそうだ。
結局ヒントを見つけられないまま家に帰りついてしまった。
「バベッテ姉さん、なんか欲しいものある?」
「そうねえ、イトゼリとワタリヌマガモのもも肉を頂戴。お昼はそれをキノコと炒めましょ。あとは……」
質問するタイミングを間違ったようだ。
「買ってきた食料品をしまうから、それも一緒によこして頂戴」
台所に隣接した食糧庫からバベッテが手を伸ばしたので、トーコはポーチから今日の買い物を順番に出して手渡した。バベッテは買い置きの食材をあっちに動かし、こっちに動かしして隙間を作って買ってきたものを押し込んでいる。
「トーコのおかげで春先だってのに、うちの食糧庫はいっぱいねえ」
「すぐに使わないものは一回あずかろうか?」
トーコは首を伸ばしてバベッテの頭越しに中を覗き込んだ。真ん中に一畳くらいの通路があって、左右に天井までの棚がある。下のほうは重い樽や大きな陶器の容器が、上のほうには軽い乾物や普段使わない食器や調理器具がしまわれている。町とはいえ、冬の数か月分の食糧を保管しておくのでそれなりに大きい。トーコが魔の領域から採ってきた品もあふれている。
一度魔の領域に入ったら次は一週間後なので、ついあれもこれもと置いていってしまうのだが、使いにくそうだ。
種類を減らしたほうがいいのか、ひとつひとつの量を減らしたほうがいいのか。種類についてはまだ増えるだろう。でも、使いたいと思い立った時に使えたほうがいいだろうし。
トーコが考え込んでいると、
「どうしたの、つっ立って。狭いんだから、出てちょうだい」
「狭い……」
「狭いがどうしたの?」
トーコは慌てて首を振った。
「ううん、なんでもない」
「お昼ご飯の支度をする前にオムレツ作るのみてあげる」
「わーい」
バベッテの作ったオムレツはふわふわで美味しく、しかしながらトーコがやると炒り卵とかき卵の中間物になってしまう。でも、さすがにフライパンは鍋より使いやすい。よし、頑張ろう。
「そりゃ、いくらなんでも鍋よりはねえ。できなくはないでしょうけれど、トーコには難しいと思うわ」
「上手にオムレツが作れるようになったら、今度はケチャップをつくるんだ」
「ケチャップってなに?」
「えーと、トマトを煮詰めたソース? 夏になったらトマトを買うの。冬でもトマトがあったら、スープのバリエーションも広がるし」
一回、バベッテが夏の終わりに作っておいたトマトを煮詰めた瓶詰をスープに入れたらおいしかった。トマトなんて一年中あると思ったら大間違いだった。
「トマトなら、いつもシラー夫人のお母さまのところでいいのが手に入るわよ」
シラー夫人の実家はユナグールにほど近い農家で、夏の数か月、村の野菜を集めて市に売りに来ている。鮮度がいいのでいつもにぎわっているのだ。往復は同じ村の酪農品を扱っている夫婦と一緒ではあるけれど、女性ひとりで切り盛りしているのだから凄い。
たまに、シラー夫人の弟のお嫁さんが手伝いに来ることもあるけれど、男性陣は農作業があり、お嫁さんが家事を引き受けているので基本的にシラー夫人のお母さんだけだ。
「トマトを買うなら私の分もお願い。夏の盛りの一番美味しくて安いときに買っておけたら嬉しいわね。秋の終わりにトマトソースにもすれば冬じゅう使えるし。あと干しトマトなんかも作っておきたいわね」
「任せて! そういうのは大得意」
「じゃ、シラー夫人のお母さまに相談しておくわ」
「早く夏にならないかなあ」
トーコは冬の間にバベッテがトマトソースで作ってくれた料理を思い出してお腹が空いてきてしまった。
バベッテの誕生日プレゼントはやっぱり台所周りの品がいいだろうか。主婦であるというのもあるが、バベッテは料理が好きだし、さらに言うなら美味しい料理を食べてもらうのが好きだ。その恩恵にあずかっているトーコとしては日頃の感謝の気持ちも込めて贈りたいのだけれど、いい案が思い浮かばない。
トーコが挫折したマヨネーズもバベッテが助けてくれて、何回かの挑戦の末に大手食品メーカーのとはちょっと違う味付けながらも完成させてくれたし、気に入ってもくれたようだ。作るのにかなり労力がかかるので、ハンドミキサーのようなものがあれば迷わず贈るのだが。
いざとなったらバベッテと仲良しのシラー夫人にリサーチ協力を依頼するか。
トーコが悩んでいるころ、ベアは伝を使って結晶石採りの男の家を訪ねた。情報を交換したいというと、近くの酒場へ案内された。半端な時刻だったので客の入りはまばらだ。男は勝手知ったるというふうで、奥の人目に付きにくい席を迷いなく選んだ。
「先日は過分な礼をありがとう。たしかに受け取った」
「ああ」
「うっかり弟子の前で開けてしまったんであいつも中身を見たが、口止めはした」
男は黙ってうなずく。これは彼らにとって重大な秘密で、下手な人間に知られたら命を狙われかねないほどのものだ。それを半ば明かすような真似をしたのは命を助けてもらったからだ。だが、今は警戒している。おそらくベアがもっと譲ってほしいと言い出すのではないかと思っているのだ。だからベアは話を早くするためにも早々に手持ちのカードを切った。
「ここからが本題だが、実は俺たちもギルドから依頼を受けた。結晶樹の実を採ってこいという依頼だ」
男は軽く目を見張り、考え込む表情になった。
「……もしかして、できるだけ早くと言われたか?」
「ああ。それで年が明けてすぐに採りに行った。角ウサギ騒動で消費した分の補充にしては様子がおかしいと思って気になっていたんだが、トーコの話を聞いて、あんたたちもギルドの依頼で、もしかして例年よりかなり早く入域したのじゃないかと」
「悪いが少しここで待っててくれ」
男はベアの話を遮ると、そのまま店から出て行ってしまった。ベアはそのまま待ったが、一向に戻ってこない。一時間が経ち、二時間が経ち、いい加減待ちくたびれたころ、髭の仲間を伴って戻ってきた。
「待たせたな。こいつが家にいなかったせいであちこち探した」
「俺のせいか?」
「そうだ。まあいい、俺はガウス」
文句を言い合いながらもふたりは席に着いた。ベアが訊ねた男が初めて名乗り、ここでやっとベアもちゃんと名乗った。人の領域と違い、魔の領域では名乗りあうのが常識ではないのだ。彼らもおそらく意図的に互いの名を呼ばなかったと思う。
ベアは先ほどと同じ話をもう一度繰り返した。髭の男は眉間にしわを寄せて盃を肘で脇に追いやった。
「俺たちがギルド長から依頼を受けたのも納会の時だ。ギルドは何をやろうとしているんだ?」
「わからんが、ギルドが結晶石と結晶樹の実の確保に入っているのは確かなようだな」
「嫌な話だ。結晶石が値上がりするのは戦争の時と決まっている。結晶樹だってそうだろう。ギルド構成員も動員されるような大きな戦争が近いのか?」
髭の男の言葉にガウスが顔をしかめる。
「もしくは魔物がらみか」
ふたりは顔を見合わせてからベアを見やった。
「魔物?」
「このところ、人の領域に入り込む魔物が増えている。時期的なものにしても件数が多すぎる」
「そんなに多いのか?」
「俺たちが請けただけで三件。どれもトップクラスの狩人のチームか攻撃的な魔法が得意な魔法使いでもなければ対応できない大物ぞろいだ。さらにルリチョウという北のほうの魔の領域に棲息している鳥の群が数百万羽単位の群で公国を南の越冬地から縦断した」
「そんな事件があったのか?」
彼らは初耳だったようだ。遠くの町の情報はなかなか伝わってこないのが現状だ。ベアにしても自分がかかわった案件しか知らない。
「俺たちに回ってきただけでこれだけある。狩人たちとはあまり交流がないんで分からんが、全体数はもっとあるだろう。それから、うちのトーコが居候しているのが治癒魔法使いの医師のところなんだが、魔物からの受傷で来るギルド構成員が増えているそうだ」
「ああ、それならギルドも警告している。今年は冬を越した魔物が多いようだ」
「魔物の侵入……まるで魔の領域と人の領域の境が揺らいでいるようだな」
「ユナグール大学の先生が言うには境は何万年という単位で動いているらしいが、まず植物相から変わり始めるらしい。今のところ目立った変化はなくて、単に個体レベルで越境しているだけだろうって見解だ」
髭の男が慎重な口調で言った。
「よくわからないが何かが起きつつあるということか?」
「ああ。たぶん、ギルド長ならもっとはっきり分かっているんだろうが、聞いたからと言って教えてくれるような御仁じゃないしな。うっかり教えてもらっても後が怖い」
「「同感だ」」
ふたりが同時に言い、三人は苦笑をこぼしあった。しかしそれもすぐに消える。
「実はもうひとつ気になることがある。昨年の火竜騒動を覚えているか?」
「ああ。そういえば、俺が食ったのはその火竜の肉か?」
「そうだ。あの後公都に持って行って解体して競売にかけたんだが、まだすべてを売り切っていないんだ。残りは半年ほど時間をあけて競売すると聞いていたんだが、中止になったと聞いている」
「中止? 延期ではなく?」
ベアは頷いた。肝心の品を保管しているのはベアたちだから間違いない。
「魔力源だけじゃなく薬まで確保しようとしているとしたら、なんだか物騒な話になりそうだな」
「ああ。ひょっとしてギルドは魔物の侵入がもっと起こると考えているのかもしれん。確かにルリチョウのようなことがあれば、魔力がいくらあっても足りん。俺たちも手持ちの予備魔力をだいぶ使ったしな。同じように駆り出された他の魔法使いたちもキリがないと言っていた」
「狩人のほうの情報が欲しいところだな。あんた、狩人に知り合いは?」
「皆無じゃないが、たいして親しくない。……そういえば、ルリチョウ騒動の時にイェーガーを訪ねたが、そういうそぶりはなかったな」
「なんだ、トップクラスの狩人の知り合いがいるじゃないか」
「彼のところの魔法使いに用があっただけだ。まあ、良くないことが起こるなら準備と心構えだけはさせてほしいものだ」
「そうだな」
彼らは頷きあった。
「あんたたちは次はいつ魔の領域に入るんだ? 俺たちはもう四、五日したらまた入る。タイミングが合うようならその時一緒に転移するか? あんたが倒れていたところくらいまでは送れる」
「本当か!?」
「ああ、たいした手間じゃない。東門を出て、どこか森で合流すればいい。間に合わなければ、どのみちトーコが週に一度ユナグールへ戻るときにでも送らせよう」
「それは助かる」
「この際だ、ギルドの情報がはっきりするまでは協力しよう。別れた後も途中、どこかで合流できないか? 水と食料、その他必要な物資を融通する。それから結晶石をひとつ貸してくれ」
「結晶石? 何に使うんだ?」
「空間拡張容器の維持だ。うまく合流できれば魔力は随時補充する。希望の容器があればそれも一緒にあずかろう。大きさの希望はあるか?」
「いや、特には。いいのか、そこまでしてもらって。というか言っていいのか」
「トーコを見ていればわかるだろう」
「あー、まあ」
「下心もしっかりあるから、気にしなくていい」
髭の男が腕を組んだ。
「先に下心について聞いたほうがいいか」
「簡単だ。しばらく結晶石を市場に流さず温存しておいてほしい。特に質よりも魔力保有量の多い石を。角ウサギの件で分かると思うだろうが、高出力の大魔法の威力は破格だが、魔力消費が激しくて息切れするのも早い。もっと魔力を保存しておける方法があるといいんだが」
トーコは自分で自分の魔力を保管する方法があるからいいが、イェーガーのところの女魔法使いやキースリング青年にこそ魔力をたくわえておいてほしい。
「なるほど。全部というわけにはいかないが、心がけておこう」
決めるべきことを打ち合わせしたあと、ベアは男の家に寄って結晶石を受け取り、ヘーゲル家に行った。トーコにはただ結晶石の礼に空間拡張容器を渡すことにしたとだけ告げる。トーコははりきった。
「容器はどうしよう? 大きさは?」
「任せると言っていた。あまり深くしても手が届かないから、適当な大きさにしておけ。吸い込みの魔法もなしだ」
「移動魔法が使えないから、ギルドで貸し出しているのと同じ感じだね。間口の大きさだけは決めておいてほしかったんだけど……」
「彼らとは魔の領域でたびたび顔を合わせることになる。不具合があるなら、その時に直せばいい」
「え、そうなの?」
「ああ。ついでに水や食料も融通することにした。魔力の補充もな」
「じゃ、お弁当二倍用意しとかなきゃ」
トーコは嬉しそうに言って、その場で麻袋に空間拡張魔法をかけ、借りた結晶石を取り付けた。ベアが空間拡張容器を持ってさっさと帰ってしまったあと、トーコはしばらくそのまま佇んでいた。
「空間拡張と結晶石……」
ややあって両手をぽん叩くと、トーコはギルドに貸出用空間拡張容器を導入するときにお世話になった結晶石屋を訪ねた。その後も指輪を加工してもらったり、魔の領域の産物をおすそ分けしたりして、すっかり仲良しだ。結晶石の産地の違いとか、ちょっと変わった用途とか教えてもらえる豆知識も楽しい。
用途を説明して一緒に選んでもらった結晶石を買って勇んで戻り、ヘーゲル医師に協力を仰ぐ。
「空間拡張魔法で食糧庫の拡張? 別にかまわんが」
ヘーゲル医師はぴんと来ない顔だったが、承諾してくれたので、今度はヘーゲル夫人の帰りを待って彼女にも了承を取り付ける。こちらはさすがに理解が早く、今すぐやってもいいわよ、というふうである。
ただ拡張するだけじゃ芸がない。あまり広くしても入り口からの光が入りにくくて暗いだろうし、バランスが大事だ。トーコは図面を引いては消し、引いては消しを繰り返した。
一番入り口に近いところに水汲み場を置いて、水とお湯と氷をいつでも使えるようにしよう。ユナグールの上水設備は貧弱で、各家ではなく、地区の共同井戸に暗渠で引かれた水が流れ込む仕組みで、水が枯れるのかどこかで詰まっているのか知らないが、たまに水が汲めなかったりする。水汲みはバベッテではなく、いつも家事を手伝いに来てくれているおばさんの仕事だが、重労働なので、トーコが水を出してあげるといつも喜んでくれる。
水汲み場に並びながらのおしゃべりは楽しいけれど、真冬や真夏に何度も往復するのは大変だ。瓶詰めだと分かりにくいから、コックのついた小さい樽をどこかで手に入れられないだろうか。
台所で使う薪もすぐに取れるようにしたい。家の裏手には乾燥も兼ねて壁面いっぱいに一年中買い置いてある薪は、一本が重いのでこれを運び込むのがやっぱり重労働だ。
一口に薪と言っても、焚き付け用の小枝、大きな薪に火を移すまで保たせる火つきの良い針葉樹、長時間燃え続ける広葉樹の大きな薪と、用途に応じてバベッテは色々使い分けている。これをあまり場所をとらず取り出しやすくしたい。もちろん、出し入れも楽になるようにしたい。
棚は出来るだけたくさん。採集している食材も多くなってきたし、新しいのと古いのとが混ざらないようにしたい。
それから保冷庫。冷蔵庫までは無理だけれど、氷をたくさん詰めておけば肉などを数日分入れられるようにできないだろうか。今は寒いからいいけれど、夏になったら、置いていきづらい。
氷が溶けた水は時間凍結魔法をかけた廃水入れに流れるようにして定期的にトーコが中身を捨てて……とアイデアを詰め込めるだけ詰め込んで、はたと気づく。ちょっと空間拡張魔法を使いすぎだろうか。あまり空間拡張魔法を増やすと維持魔力もそれだけ余計にかかることになる。それに、今はいいが、万が一魔の領域でトーコが死んだりしたら、誰がメンテナンスできるんだろう。
「危ない危ない。またベアさんに、先走りすぎって言われちゃう」
魔法に頼らなくてもメンテナンスできるようにせねば。せめて無用の長物になり下がるくらいにして、危なくないようにするほうが優先だ。水、お湯、氷はなんとか設置したいけれど、以前作った瓶詰を再利用して、それをカートリッジあつかいでできるようにしよう。簡単に取り外しできれば、捨てるのも簡単だ。保冷庫のほうも、物理的に屋外へ直接廃水できないか、ヘーゲル医師に相談してみよう。
「よし、これで食糧庫自体の維持魔力だけになる」
それについては一か月ほどもつ結晶石を取り付けて、月に一度トーコが魔力を補充する。トーコにできなければ、ヘーゲル医師が補充できる。ヘーゲル医師もダメなら、ハルトマンなりディルクなりに頼めばいい。
そういえばディルクは移動魔法はできるようになったのだろうか。




