第21話 結晶石(1)
五ヶ月も空いてしまって本当に申し訳ございません!
待っていてくださった方、メッセージくださった方々にお詫びとお礼申し上げます。
散々人に聞いて回ったあげく、自分たちで検証するしかないのが判明したので、ベアとトーコは早速実験にとりかかった。といっても、時間凍結魔法をかけた障壁から百羽ずつルリチョウを出して、別の時間凍結魔法の障壁に移しただけだ。
「あまり時間をかけていられないからな。一時間、二時間、三時間、四時間、五時間、一日、三日、一週間でまずは様子を見る」
逃げないように、時間凍結魔法の障壁を囲うように大型の障壁魔法を固定したら、あとは待つだけである。
その間にギルドから借りてきた予備の秤でトーコは採集物を計り分けた。冬の間の採集物は少ないとはいえ、それなりの量が溜まっている。
せっせと計量するトーコの脇で、ベアは採集物の一部を使って自前の薬酒を作る。やり方はいたって簡単で、洗って乾かした採集物を少量の砂糖と一緒に帝国の高純度アルコール、アッカ酒に漬けるだけだ。
「種でも実でも葉っぱでも、何でも漬けられるんだね」
ベアはキノコまで漬け込んでいる。
「煎じて飲んでもいいが、アルコールに漬けないと効能がないものもある」
「水溶性じゃない成分とかかな」
「すい……なんだ?」
「水溶性。水に溶けやすい性質。逆に水には溶けないけれど、油には溶けやすい成分とかアルコールには溶けやすい成分とかがあるってお母さんが言ってた。だから生野菜は油と一緒にとりなさい、ってよく言われたもん」
残念ながら、ここの野菜は野性味が強いというか、アクやエグミがトーコの知っている野菜よりも強いので、生では食べにくいし、ハーブなどを除き、生野菜を食べる習慣もあまりない。
計量をほぼ自動化させたトーコはメモをとりながら、ラベルづくりを手伝った。紙だと濡れてインクが落ちそうな気がしたので、かまぼこ板サイズにカットした板に文字の形に表面を削って焦がす。材料と分量、漬け込み日。
「ベアさん、こんなのどう? 穴をあけて紐を通して結びつけるの」
ベアが用意している容器はひとかかえもある陶製の壺だ。首にひもを巻けばいい。
「いいな。裏には引上げ日を入れるか」
「引上げ日ってなに?」
「果実などは果肉が崩れるからある程度抽出したら、取り出して捨てる。その日付だ」
「へえ、ずっと入れておくんじゃないんだね。どのくらいで出すの?」
「柔らかい果実は一週間から一か月程度。硬い種だと一年くらい漬ける」
「結構違うんだ」
「採集物に余裕があるからやってみようと思っただけで、俺もそんなに経験があるわけじゃない。適当だ」
アルコールがあればなんとかなるだろう程度のものだから、細かく聞かれると困る。
「だからアッカ酒をいっぱいもらったんだね」
トーコもベアに問答無用で桁を足されてたくさん持っている。容器の消毒に使うくらいでちっとも減らなかったが、ここにきてやっと使い道ができそうだ。トーコもベアに教えてもらいながら、喉に効くヤブカリンや消毒薬にもなるイブシジゾを試しに漬けてみた。何年も寝かせたものは美味しいらしいので楽しみにしておく。
「滋養強壮に、カゲソウもいいぞ」
「あのまずい薬草の根っこ? 美味しくなる?」
「ならんが、効能が高い。この間のヨツキバオオイノシシに襲われた男も助かっただろう」
「それで思い出した。今日はここから動かないよね。だったら、血を採っておかない?」
「血? なんの血だ」
「ベアさんの血。角ウサギ掃討作戦の時も、ヨツキバオオイノシシの時も、怪我自体は魔法で治せたけれど、血が足りなくて苦労したでしょ。あの時、輸血、えーと他の人から血をもらって怪我人に足すことができたらなって思ったの。でも、血をもらう相手は誰でもいいわけじゃなくて、血の型が合わなきゃダメなのね。どうやってその型を調べたらいいのか分からないから他の人の血を移すのは無理でも、自分の血を採っておいていざという時にそれを体に戻すの」
「そんなことが可能なのか?」
「わたしの国では普通だったよ。健康な人から血をもらって保管しておいて、怪我人や手術、えーと生きている人間の体に刃物を入れて悪い部分を取り除く医療ね、その時に出血で失った血を補ったり。ただ、他人の血と一緒に病気ももらっちゃったり、問題がないわけじゃない。でも、自分の血と時間凍結魔法があればここはクリアできる」
トーコは雪の上に図を描きながら説明した。
「なるべく清潔な環境で血を採るのも入れるのもやる必要があるから、保存する瓶も採血する管も消毒して、血自体も極力空気に触れないようにするの。取り敢えず、わたしやってみるね」
「おいおい、大丈夫か」
話が突飛すぎてベアは話の展開速度についていけない。
「たぶん。でも、この間のようなことがあったら、できるできないじゃなくて、やらなきゃ」
トーコは真剣だ。
「ベアさんがやるかどうかはベアさんの判断だけど、いざという時この採った血を戻すのはベアさんにお願いするから見ててね」
「俺か!?」
「そうだよ。だって輸血してもらわなきゃならない状況になったら、自分でできるわけないもん。保管もお願い」
「それは俺じゃなくても」
「だってこのポーチ、わたしにしか開けられないもの。それ以前に、輸血の概念がベアさん以外のこの国の人にないでしょ」
「俺だって今知ったんだが」
「今からやることの逆をやってもらえばいいんだから、大丈夫! えーと採血は健康診断の時といっしょでいいのかな」
ベアは不安になって口をはさんだ。
「トーコ、お前自分でやったことは」
「ない。本当はちゃんとお医者さんにやってもらうのだと思う」
「と、思う? まさか、全部聞きかじりじゃ」
「うん。年齢制限があったからやったことない。他にも体重制限や、一度に採っていい量とか色々細かく決まってるんだよ」
「その細かく決まってる中身については」
「覚えてない」
「そこが大事だろう!」
ベアが大きな声を出したので、トーコはびっくりした。
「でも、これからも魔の領域でいるなら、いざという時の準備は必要だと思うよ。予想外のことが結構あるみたいだし。そんなにたくさんは採らないよ」
「分かった。俺が先にやる」
トーコはぽかんと口を開けた。
「なんで? 針の太さの調節とかしてないから、まずは自分で試したいんだけど。それに、ベアさんはこういうの初めてでしょ?」
「俺が先にやる」
ベアが強い口調で繰り返したので、トーコは引きさがった。
「いいけれど……管を刺すとき痛いから、動かないでね」
ベアの腕の付け根にひもを巻き付けて圧迫してから、アッカ酒で消毒した腕の静脈に障壁魔法で作った細い管を差しこむ。遮光瓶の中に勢いよく管から飛び出た血が溜まっていく。半分くらいのところで管を抜いて、管に残った血を移動魔法で遮光瓶へ押し出したらすぐに二重にした時間凍結封筒に保存する。
「そんな少しでいいのか」
トーコが治癒した腕に袖を降ろしながらベアが拍子抜けした顔で訊ねた。採った量は試験管三本分といったところか。
「無理する必要ないもの。初めてだし、いいんじゃない? もっと慣れてきて大丈夫そうだったら、量を増やしてもいいけれど」
「トーコ、適当に言っているだろう」
「うん」
悪びれることなく頷いたトーコは同じようにして自分の採血も済ませた。
時間凍結封筒に、アッカ酒を詰めた小瓶と清潔な布地、輸血用に新しく作って高温消毒した障壁魔法の管を一緒に入れる。
「緊急用輸血セットのできあがり。後でラベルもつけるけれど、茶色の瓶がベアさんの。青い瓶がわたしのって覚えておいてね。両方を一緒に持つことはないから間違えないとは思うけど、念のため。あ、あと瓶も管も一回使ったら必ず処分して。使い回し厳禁」
「どこにしまったか分からなくなりそうだな……」
ポーチに封筒を収めてベアは呟いた。似たような封筒や瓶でいっぱいなので、欲しいものを取り出すのに時間がかかるようになっている。一応、自分なりに分けて紐でくくったりしてはいるのだが。
ルリチョウの実験のほうは、翌朝、時間凍結魔法は前日にトーコが魔法をかけたのとほぼ同時刻に解けた。
「今のところ、魔物がいてもいなくても時間凍結魔法の解ける時間にあまり関係ないみたい。でも、このくらいだと、誤差のうちかも」
「残りの結果を待つことだな。今日のうちに湿地に卵でも採りに行くか」
「やったあ!」
トーコは手を叩いて湿地へ転移した。
「ヌマガモは一日一個の卵を産む。一度に十羽前後の雛をかえすが、卵を全部生み終わるまで暖め始めないから、今、親が暖めていない巣に入っている卵は採ってかまわん。抱卵前なら、盗られた分の卵を産み足す習性がある。これを利用して同じ巣を巡回して長期にわたって卵を集める連中もいる」
「天然卵工場みたい。わ、あるある」
枯れた水草やアシの類で作られた巣を覗き込んでトーコは歓声をあげた。灰色の卵が五つ転がっている。故郷のスーパーのパック卵くらいの大きさの卵だ。
「雪解けで湿地帯が広がるから、今ぐらいだと、まだ巣を作り始めていないのも多い。卵も毎日は産まなかったりする」
「この卵はもらって大丈夫?」
「全部採ると巣を放棄することもあるから、ひとつは残しておく。こんなところまで卵を採りに来る者もいないだろうから、それだけ守れば好きに採っていい」
「お母さん鳥がかわいそうだし、もらうのはひとつの巣から三つまでにしておく」
トーコは卵用の探査魔法を広げると、緩やかにボードを水上に滑らせた。まだ水草の繁茂していない湿地はボードを動かしやすい。ベアの指示で巣を作っていそうな冬枯れた葦の草むらの近くをゆっくり走る。時折草むらから卵が飛び出してきて、トーコのポーチに吸い込まれていく。
「前にワタリヌマガモの猟に来たときも思ったけれど、広い湿地だねえ。どこまで続いているの?」
「知らん。行った者はない」
「え、そうなの!?」
「そんな遠くまで行く用もない」
「行ってみたくない?」
「似たような森と草原と湿地が続いているだけだと思うが。まあ、お前ならいつか行けるかもな」
転移魔法で一気に移動できるので、果樹の草原もその先の森も、更にその先の千年樹の森までも縄張りにしているベアとトーコだが、それだけでも相当に広いので、先に行く機会はあまりない。
お昼は早速、卵料理だ。
「オムレツとか、自分で作れたらいいんだけどなあ。やっぱりフライパンがいるかなあ」
「鍋でできるだろう」
「え、できるの?」
「試しにやってみたらどうだ」
トーコには目から鱗の発想だった。厚手の鋳物鍋なので温まるのに時間がかかるが、先日燻製作りに戻ったときに火魔法使いに教えてもらった火魔法がある。くるみ油を注いで火にかける。
「ベアさん、もう卵入れていい?」
「まだ鍋があったまってないだろう」
しばし待って、
「ベアさん、もういい?」
「まだだ」
そんなやり取りを四回くらい繰り返してからやっとベアの許可がでてトーコは溶いた卵を入れていたオオグルミの殻を鍋の上でひっくり返した。
「うわわわっ」
流れ込んだ卵が油の上でぱちぱち言いながらあっという間に固まっていく。障壁魔法で作った即席へらで必死にかき混ぜる。
「お、お皿、お皿~」
慌てて卵を溶いていたオオグルミの殻に鍋の中身を空ける。
「なんだか炒り卵みたいになっちゃったよう。鍋に焦げついちゃった」
「それより、今、塩を入れたか?」
「……忘れた。お砂糖も、胡椒も」
火に気をとられていて、調味料など何ひとつ入れていない。結局、オムレツというよりオムレツの破片に塩と胡椒を振って食べた。こげた部分をスプーンではじき出しながら、トーコは唸った。
「今度、ちゃんとバベッテ姉さんに教えてもらおう」
「今度と言わず、今行って来い。バベッテのほうでも新鮮な卵が欲しいだろう。俺はここで休憩しているから」
「いいの!? ありがとうベアさん!」
ヘーゲル家に転移し、採ったばかりのヌマガモの卵を適当なボウルにあけていると、買い物から帰ってきたバベッテがびっくりした。
「あら、どうしたの。いつもは行ったら一週間は音沙汰ナシの子が」
「オムレツの作り方教えて~! 自分でやったら大失敗だった」
「まあ、卵が沢山」
「ヌマガモの卵だよ」
ベアの言うとおり、バベッテは大喜びだった。
「卵が沢山あるなら、ある程度の量でやったほうが失敗しないわよ。バターや油はたっぷり目でね。でないとこげるから」
「ふんふん」
トーコはメモを取った。
「キノコとかチーズを入れても美味しいけれど、まずは何も入っていないので練習してからのほうがいいわね」
「キノコ……チーズ……美味しそう! 早くできるようにならなきゃ」
バベッテのお手本を見てトーコのかき混ぜ方がのんびりしすぎていたのが最大の敗因なのは理解した。
「ヌマガモの卵は市場でも見たけれど、やっぱり今の季節だと高いのよねえ。病人に食べさせるのでもなければちょっと手が出ないわ。南区のお金持ちが買っていくみたいだけれど」
卵を陶器の鉢に移しながらバベッテが言った。仲良しのシラー夫人にもおすそ分けするというので、トーコはあいたボウルに卵を追加した。
「雪の残る森を抜けて湿地まで行って採って来る、となると、そうなっちゃうだろうね。往復するだけで二日だもん」
「卵は嬉しいわ。最初はギルドなんてやっていけるか心配だったけれど、たいしたものね」
「ベアさんがいるもの。今日採った卵を早く届けてやれって言ってくれたのもベアさん。今の時期の湿地はそこまで危険じゃないから、がんばって一年分の卵を採るつもり。期待しててね!」
「嬉しいけれど、無理はしないようにね。ベアさんの言うことちゃんと聞くのよ」
「うん。じゃ、戻るね!」
「行ってらっしゃい」
湿地近くでは雪解けが始まっていたが、まだ採集できるものはなかったので、当座の卵を採ったらルリチョウの実験場所に戻り、作業をする。
「春になったら忙しくなる。今のうちに片づけておける作業はやっておけ」
「何が採れるようになるの?」
「新芽はシモノハ、マダラギク、アワギク、ヤブレギク、オオヨモギ、ハイイロヅタ、オニヅタ、クサアザミ、キイロナ……」
「わわわ、待って待って、メモ!」
「草原の草でめぼしいのはこんなところだな」
「草原だけ、草だけでこんなに!?」
「新芽は時期を逃すとすぐに大きくなって採れなくなるから、飯を食う間もなくなるぞ」
「じゃ、お弁当を作っておこうっと。と、その前に。ベアさん、死んだルリチョウどうしよう。別の生態系のものを埋めるのはまずい?」
「ルリチョウは引き取ってもらえるんじゃないか? 帽子の羽根飾りになるとかユナグール大学の先生が言っていただろう」
「そういえば言っていたね。ギルドに依頼が出なかったら、公都か扱ってるギルドに持っていく?」
「生息地近くの北のほうのギルドで扱っていると思う。この間ブルゼまで行ったんだから、そこから移動できればそんなに遠くないんじゃないか」
「他のギルドがどこにあるのか、ユナグールのギルドで今度訊いてみるね」
「どうせ今は値が下がっているだろう。急ぐことはない」
「うん、分かった」
「それより、トーコ、毎晩作っている魔力の塊だが、網か何かに入れておけないか」
「網?」
「魔力を取り込むには直接触れていないとダメだろうが、いざという時慌てて取り落としたら危ないだろう」
ルリチョウの襲来にあわくってお手玉したことを言っているのだ。確かにおっちょこちょいのトーコには保険が必要だ。
「分かった、なんかいい網がないか探してみる。さてと、お弁当の中身は何にしようかなあ。卵は必須でしょ。マヨネーズってお酢と油と卵だよね。科学部が文化祭でやってたのは味がイマイチだったんだよねえ」
トーコは記憶を掘り返しながら、ポーチから台所を出した。風魔法でスパッとやるとパンが薄く切れる。サンドイッチ用にとりあえずパンをカットしながら、バベッテのレシピをめくる。自分で味の調整ができないトーコにとって心強い味方だ。
今日は時間があるので、切ればいいだけの燻製やチーズは次の機会にとっておくことにして、火を使うものから作ることにする。塩と酒で下味をつけておいたワタリヌマガモの胸肉はまとめて蒸し焼きに。もも肉はバベッテ特製のツキリンゴの甘辛いタレに漬け込んで障壁魔法で覆ったら、しばらく置く。ベニマスは調子に乗ってほとんど冷燻にしてしまったので今回はパス。
次のシーズンにはベニマスのフライのサンドイッチを目標に、もうちょっと獲っておきたい。
野菜を切っていると、ベアが覗きに来て、見事に切り幅の違うタマネギを怖いものでも見る目つきで見た。
「うーん、タマネギってけっこう何にでも使うから、思ったより消費が速いなあ。葉物野菜も残り少ないし、今年は夏のうちにちゃんと買っておこう」
「葉っぱが食いたいなら、さっき言った新芽の類は大抵そのまま食べられるぞ」
「え、そうなの?」
「生ではさすがに食べにくいのが多いが、塩漬けにしたり、軽く茹でれば薬効もあまり失わずに食べられる」
「薬ってことは、たくさん食べるとダメなのかな」
「ものによってはな。新芽の薬効は大抵穏やかだからそんなに心配しないでいい」
「葉っぱが大きくなると薬効も強くなる?」
「そうだ。ただ、大きくなりすぎると今度は硬くて食えなくなる」
「煎じるのはダメなの?」
「煮ると思うような効果が得られないから新芽を利用する」
「ふうん。薬効成分が熱に弱かったり、水に溶けにくかったりするのかな」
そうかもな、とベアは相槌を打った。時々変なところで理屈っぽくなるトーコだ。ベアは経験則でどうすればいいか、ダメかを知っているだけで、何故そうするのがいいのか、いけないのかまでは考えない。しかしトーコは気になるようで、メモ帳をクエスチョンマークだらけにしている。
「何をやっているんだ」
「マヨネーズを作ってる。ええと、ソースの一種?」
「……激しいソースだな」
「一生懸命混ぜないと分離しちゃうのー」
「何を垂らしているんだ?」
「油。ちょこっとずつやらないとこれまた分離するの。学校の文化祭では十人くらいでボウルと泡だて器でかき混ぜリレーしたんだけど、魔法で何とかできないかなーって」
分量があやふやなので探査魔法全開でマヨネーズの出来具合を見張る。慎重に頑張ったおかげで見た目だけはそれっぽいものはできたが、やっぱり味がイマイチだ。
「酸っぱい。お酢入れすぎかも。ほとんど油だなあって思ったことは覚えているんだけど。塩を入れてみるとか、香辛料を入れてみるとか? うーん、ケチャップやしょうゆやカレー粉があれば混ぜてみるんだけど」
塩や胡椒を足してみたものの味がぼやけてしまう。散々こねくり回したあげく、いったん保留にする。バベッテに相談しよう。
大体の材料がそろったところでベアもサンドイッチづくりに参戦した。余った野菜は刻んでスープにするとのことなので、遠慮なくまともな薄さの野菜を好きな具材と一緒に挟み込んで、油紙に包んでいく。移動しながらでも片手で食べられるサンドイッチはなにかと便利だ。サンドイッチに入れるにはぶ厚すぎる肉きれや野菜の端っこを摘まんでそれがお昼ご飯代わりになってしまった。ヌマガモの卵は、タマゴサンドの夢が破れたので、ただの茹で卵として保管する。
「これはこれで充分旨いが」
「ゆで卵として食べるなら半熟にしたかったなあ」
マヨネーズもどきをつけてみたけれど、いまいちなことに変わりはなく、塩だけのほうがおいしい。なんと言うか見た目は乳化してるっぽいのに、油ぎっているというか。
「またやればいい。十日もすれば、湿地にも本格的に入るから、卵もついでに採れる」
「実験につき合わせちゃってごめんね」
「どのみち今の時期は大した採集物のない作業期だ。今年はアカヒもたっぷり採れたことだし、雪解けの間は野営もしにくくなるから、ルリチョウの実験が終わったら春に備えて一度ユナグールへ引き上げる。一週間ほど休みをやるから、ゆっくりするといい。そのあとはユナグールへ戻るまとまった時間はないからヘーゲル医師にも言っておけ」
ベアの助言に従って冬じゅう使った森ガエルのブーツを修繕に出したり、ナイフを研ぎにだしたり、孤児院の友達を誘ってバベッテに卵料理を習ったり、お肉屋さんやパン屋さんで食材を仕入れたりするうちにあっという間に一週間経った。
「見て、ベアさん! これ、わたしの魔力! ビーズみたいで可愛いでしょ?」
久々に会うなり、トーコはツムギグモの糸を編んだ細い紐に連ねた自分の魔力をベアに見せた。
紐を通す穴をあけた形の障壁魔法に圧縮した魔力を収めているらしい。
「首にひっかけとけば落とさないし、使い終わったビーズは自動的に消えるから次のビーズが重力に従って一番下に落ちてくるし、いいと思わない?」
「考えたな」
「もう作っちゃったのは仕方ないけれど、新しく作る分は、こうしておくつもり。ある程度の長さになったら紐を変えて二本目を作ろうと思うんだけど、どうかな」
「いいんじゃないか」
師匠の合格をとりつけてトーコは嬉しそうに笑い、まだビーズのついていない部分のほうが長い紐をしまった。
「今日はどこに行くの?」
「北のほうはまだ雪が深いだろう。南の湿地に先に行く」
千年樹の森の南端に転移したふたりは、雪が消え、踏むと水が出てくる地面を歩いた。ベアも来たことがない場所なので、慎重に歩を進める。
「ヒタシソウ。葉を煎じて止瀉薬として使う」
「シシャヤクってなに?」
「下痢止めだ」
ベアは水浸しの地面に張り付くようにして葉を四方八方に伸ばしているロゼット型の葉を摘んだ。
「背が低くて、周囲の草が伸び始めると勢いに負けるが、いち早く葉を出す。まわりが背の高い草に覆われるころには花穂をつけて初夏にはもう種を作る。この種は咳止めのいい薬になる」
ヒタシソウはまだ葉を伸ばし始めたばかりのようで小さい株が多い。ある程度大きいものを選んで鋏で摘んでいく。足元も手も冷たくて、たまらずトーコは手足を薄い障壁魔法で覆って冷気を遮断した。それでもずっとかがんでいるので、一時間もすると足が痺れてくる。そうしたら場所を移動して別の薬草を探す。
水辺には寒さにもめげず春の気配をかぎつけた草が意外なほど淡い緑を作っていた。枯れたアシの下からも芽を出している植物がいる。
「アシカゲソウ。これも止瀉作用があるが、ヒタシソウより穏やかだ。今の季節なら茎ごととって軽く茹でてそのまま食べられる」
「あ、簡単に採れる」
明るい黄緑色の茎を這うように延ばし、そこに卵型の葉がまばらについているアシカゲソウは茎をひっぱるとずるずる手繰り寄せることが出来る。
「採るのは楽だけれど、普通に食べられるくらいだから、やっぱり効能面ではヒタシソウより劣る?」
「今はな。花がつきはじめると効能も高くなる。花のついた茎を干したものを薬屋で扱っている」
「花が付く前に採っちゃって良かったの?」
「雑草なみに生えているから問題ない。青い野菜が欲しかったんだろう」
トーコは瞬きした。そういえば、サンドイッチを作っているときにそんなことを言った。
「ありがとう、ベアさん!」
「寒さに耐えて他の植物に先んじて芽を出す植物は獣避けに大抵苦みがある。それがいい薬効にもなるらしいが、水辺のは苦みもやわらかいのが多くて、食えるのも多い」
それを聞いて食いしん坊のトーコが張り切らないわけがない。そして採ったら試食である。
「アシカゲソウはシャクシャクして美味しいね。イトゼリも歯ごたえがあって結構おいしい。ちょっとオカヒジキっぽくて、お醤油が欲しくなるなあ。ミズヨモギは癖のある臭いだね」
「肉の臭み消しに使える」
「なるほど! いいこと聞いた」
「煎じて飲めば胃痛や腹痛を和らげるし、すりつぶして傷にあてれれば血を止めて治りを早くする」
「止血と言えば、シケツソウは?」
昨年の角ウサギ掃討作戦の時に、湿地で採れるシケツソウをやはりすり潰して傷口に当てていた。
「ミズヨモギは春で、シケツソウは夏の終わりから初秋に採る。どっちもいい薬だ。殺菌効果が高いから、傷みやすい肉を包んだり、荒れた皮膚や火傷にも使える。患部を冷やす効果もある」
「食べてよし、使ってよし。使い道の多い薬草だね」
「薬屋には生か干したものを持ち込む。採るのは簡単だから、すり潰したものを作っておいてもいいな」
トーコは雨の日にやることリストに早速書き加えた。薬の類はいくらあっても困らないということは、角ウサギの大繁殖でもルリチョウの侵入でもよーく分かったので、一週間ほど水深のほとんどない湿地を歩き回り、しっかり採る。時期がずれるとすぐに大きくなりすぎて採れなくなるので、整理や加工は後回しにして、ベアの予告した通り終日採集に励む。
草原、森も同じようにして歩き回り、トーコは採集とメモを取るのに大忙しだ。そして気が付けば雪が消えて、緑の大地が広がっていた。
「次にヘーゲル医師のところに顔を出すのはいつだ?」
「明日だよ」
長く魔の領域に入っていると日付の感覚がなくなるのだが、トーコが週に一回お昼ご飯を食べにヘーゲル医師の家に戻るのと、日々の封筒に採集日を書き入れているので、ベアひとりで魔の領域に入っていた時よりははっきりしている。
「ついでに木綿糸をひと巻買ってきてくれ」
「色は白? 太さはどれでも同じなの?」
「白だ。太さはシャツにボタンを付ける太さとでも言えばわかるはずだ」
トーコは買い物メモに書き足した。
「あとは石鹸とインク。今回はこれだけかな」
トーコがちょくちょくユナグールに戻ってお使いするので、ベアは居ようと思えばいつまででも魔の領域に居座っていられる。
「ああ、頼む」
「ベアさんもたまにはユナグールに戻らなくていいの? バベッテ姉さんもベアさんも一緒にお昼を食べればいいのにっていつも言ってるよ」
「気持ちだけいただく。気にせず行ってこい」
「ギルドに顔を出すたびにベアさんはいつ戻ってくるんだってみんなに訊かれるんだけど」
大事なお知らせが出ていないか、どんな依頼が出ているか、ギルドで確認してベアに報告するのも、トーコの役目だ。
「だから避けたい。また強制依頼が降ってきたらたまらん」
トーコはくすくす笑った。
「考えようによっては、忙しくなる前に今年分の強制依頼を済ませちゃえるかもよ」
「毎年上限いっぱい受ける奴なんかいない」
本当に必要だったら、トーコに伝言を届けさせるだろう、というわけで、翌日、トーコはお気楽にユナグールへ飛んだ。待ち構えていたバベッテに採集の成果を披露して食糧庫に食材を補充したら、先にお使いを済ませるべく町に出る。
道の端にはまだ雪が積まれているが、家の中に引きこもっているしかない真冬に比べ、出歩く人の姿が増えた。
懇意の肉屋に角ウサギとワタリヌマガモを卸し、バベッテに教えてもらったお店で買い物を済ませ、ギルドへ足を向けると、広場で市をやっていた。時期的なこともあって新鮮な食品など望むべくもないと思っていたら、ヌマガモの卵や食べられる新芽がけっこう出ている。さすがギルドおひざ元だが、買う側に回ってみるとちょっと高い。春野菜が出てくるのはまだ先とのことだった。人の領域の山菜などもあったので、ちょっとずつ買ってみる。食べ方を聞いてみると、茹でるか油で揚げて、とのことなので魔の領域も人の領域も変わらないらしい。
「素揚げも天ぷらもいいよねえ」
バベッテにせがんで搾りたてのクルミ油でからりと揚げてもらったのは美味しかった。トーコも挑戦してみたいところだが、採集が忙しいのでしばらくお預けだ。いずれワタリヌマガモで唐揚げも作りたい。そのためにもマヨネーズを完成させたいところだけど、採集が忙しくてちょっと放っているので、いい配合にたどり着くのはいつのことやら。
古物を扱っているお店の前で三分ほどフライパンの誘惑と戦ってからやっとトーコはギルドに入った。
ギルドの掲示板からこのところ採集しているものを中心に、価格や依頼経過日をメモする。森や草原、森林湿地帯で採れるものは比較的すぐに引き取りがあるようだが、草原湿地まで行かないといけないものはなかなか埋まらないようだ。
冬を経て肉質や毛皮の質が落ちているからか、出ている依頼はほとんど採集系だ。角ウサギやヌマガモもあるけれど、秋に比べて規定重量も価格も低めになっている。
「今日も熱心だねえ」
声をかけられ、振り返ると、ベアが懇意にしている元狩人のギルド職員が立っていた。知らない人と一緒だ。
「こんにちは」
「その熱心さで持ち込みもしてくれるといいんだけど」
「採ってはいるんだけど、まだ持ち込める状態じゃないから」
トーコは首をすくめた。掲示板を見てこいとは言われているが、持ち込みはするなとも言われている。今は採集するだけして、採集物のチェックなどには全く手をつけていないということもあるが、たぶん他の採集者に遠慮しているのだろう。それで揉めたような事を言っていたし。
「状態って?」
「よく似た毒草が混じってないかの確認とか、掃除したり、洗ったり干したりとか」
「そんなの依頼主がやることだよ。依頼書にもそこまでやれなんて書いてないだろう。それより早く必要な量が欲しいんだ」
「ベアさんに伝えておくね」
「草原湿地の産物が全般に不足だから、この辺を優先にね。頼むよ」
「はあい」
トーコはギルド職員の伝言をメモした。
「それじゃ、またね」
「待った待った、本題はこれから」
「へ?」
ギルド職員は隣にいる男を紹介した。
「南区の肉屋の同業者組合の組合長の息子さん。去年の冬前にワタリヌマガモやヌマガモを南区の肉屋が共同で大量に依頼しただろう。彼が取り仕切っていたんだよ」
「ああ、あの樽詰めの。最後足りなくて獲りに行ったんだっけ」
トーコは草原湿地帯に飛来する水鳥を対象とした出張査定所とその後の竜騒ぎを思い出した。竜が出現したために、皆狩りどころではなくなって、不足分を補うためにベアとトーコで一日狩りをした。
「そう、それ。で、彼から話があるそうだから、ベアに伝えてほしいんだ」
「なあに?」
ギルド職員の後ろから男が進み出た。
「東区の店に冬の間中、角ウサギやワタリヌマガモを卸していたと聞いた。うちも取引をしたい。君にとっても悪い話じゃないと思うがどうだ」
「えーと、誤解があるみたい。卸しているといっても定期的にじゃなくて、私のほうで用があった時、ついでに、ってかんじで、アテにされるのは困るんだけど。それに角や毛皮が傷ついて売れないのだし」
「用? 買い物?」
「買い物とか、手持ちの角ウサギを捌いてもらいたい時とか」
年代わりのときと冬星祭は特別大量だったけれど、あとはこちらから訊ねて行って、欲しいといわれたら売る、というレベルだ。いつもヘーゲル家に肉を融通してもらっているので、ユナグールに戻ったらなるべく顔を出すようにはしているけれど。
期待されているのは分かるし、いつも世話になっている相手に喜んでもらえるのも嬉しい。最近では定期的にヘーゲル家に戻っているのでたしかに定期入荷しているように見えるかもしれないけれど、約束があるわけではない。忙しい時期なのに長く採集をさぼるわけにはいかないのだ。
「毎週のように入荷していると聞いている。なんなら、夏から秋にかけても取引を継続してもいい」
一応ベアさんに伝えるけれど期待しないで、と言ってトーコは具体的な条件を聞いた。ヘーゲル家に戻ると昼食の準備がすっかり出来上がっていた。
「トーコ、遅い!」
「あれ、ディルク。来ていたんだ」
トーコの代わりにお皿を出していたヘーゲル家の長女の嫁ぎ先の末息子が唇を尖らせた。今日はヘーゲル医師に魔法を習いに来ていたらしい。
「トーコ、診療所に声をかけてきて」
「はあい」
廊下を挟んた診療所に顔を出すとヘーゲル医師はご近所の治癒魔法使いと世間話に興じていた。
「このところ続くな……」
「ヘーゲル医師、お昼ご飯だよ」
「おや、トーコちゃん、ずいぶんご無沙汰じゃないか」
「わあ、お久しぶり!」
ギルドに入った当初、頼み込んで治癒魔法を使わせてもらいに行っていたご近所の治癒魔法使いだ。彼に教えて貰った水魔法はいつでもどこでも大活躍している。
「最近ちっとも顔を出してくれないから、みんな寂しがってるよ。冬の間も魔の領域に入ってたんだって?」
「うん。今日もお昼ご飯食べたら、戻るの」
「気をつけるんだよ。春先の飢えた魔物は凶暴だからね。今日もひとりヨツキバオオイノシシに襲われたギルド構成員が来たよ」
「その人、助かった?」
彼の気楽な口調から大丈夫だったのだろうと思ったが、シラー夫人の実家の村に出た人食いヨツキバオオイノシシを思い出すと確認せずにはいられなかった。
「自分で歩いてこれるくらいだから、大した怪我じゃないけれど、ヨツキバオオイノシシは仕留めそこなったと言っていたから、森に入るときには注意しなさい」
「うん。ありがとう。ユナグールそばの森ならあまり行かないから心配しないで」
ご近所の治癒魔法使いを見送ってヘーゲル医師とトーコは食卓についた。
ふと思いついてトーコはディルクに訊ねた。
「ディルクは移動魔法を使える?」
「いっただっきまーす! ううん。今日も自分の魔力を感じる練習。なんで?」
「いや、ディルクが使えたら便利だなと思って」
ディルクはパンにバターを塗る手を止めずに訊き返した。
「俺になんか頼もうとしてる?」
「ちょっと聞いてみただけ」
本当はもし彼に移動魔法が使えたら、角ウサギの入った時間凍結封筒を預けて肉屋へ渡してあげられないかと思ったのだ。角ウサギを手放すのはやぶさかではないが、問題はトーコにそれをする時間がない。ディルクが引き渡してくれればいいな、と虫のいいことを考えたのだが、都合よくはいかない。
「ところで、自分の魔力を感じる練習ってなに? どういうの?」
「なにって、自分の魔力を感じる練習」
「……えーと。ヘーゲル医師」
「魔法の才能があっても、魔法として発動させるには魔力を自分で自由に操れなければならないだろう? そのためにはまず自分の魔力を認知できなければ話にならない。そのための練習だよ」
「魔力を認知できなかったら、自分が魔法使いかどうか分からないんじゃない?」
「無意識の魔力の発露があるから、大抵は周囲が気がつくよ」
トーコが腑に落ちない顔をしているので、ヘーゲル医師は付け加えた。
「トーコはいきなり魔法を使ってびっくりさせられたけれどね」
「わたしはその練習しなくていいの?」
今までそんな指導をヘーゲル医師からしてもらったことがない。
「既に実践的な魔法を使ってるんだから必要ないよ」
「ん? もしかしてディルクはまだ魔法を使えないの?」
「魔法が使えるようになるまでには長い道のりがあるんだ!」
ディルクが憤然と言った。
「ふうん、そうなんだ」
「そうなんだよ」
ヘーゲル医師が諭した。単にトーコがその段階を勝手にすっとばして、いきなり見よう見まねで魔法を使って周囲をびっくりさてしまっただけだ。
「だが、まあ、ディルクもそろそろ実践的な魔法を試してもいいころだ。あとでトーコに移動魔法を見せてもらえ。初心者がやるには一番周囲に被害のない魔法だが、俺は使えないからな。ディルクも一年以上、地味な修練をよくがんばった」
「やった!」
「見せるって、こういうふうでいいの?」
ディルクの目の前でスプーンが浮き上がる。
「もっと小さくて軽いものからだな。最初は豆でやれ」
食後、ディルクはトーコの皿洗いを見学した後で豆に挑戦したけれど、ピクリとも持ち上がらない。
「なんで動かないんだよ~」
「なんでだろうね? 探査魔法で見てもいい?」
「何を見るの?」
「ディルクを。いい?」
「いいけど、なんで見るのに断るの?」
「なんとなく、無断で見るのは失礼な気がして」
必要なときは失礼も何もないが、むやみに使うと覗き魔みたいだ。ディルクがもう一度挑戦する。
「うーん、魔力の送り込みにムラがあるからかも。そんな力まないでいいよ。魔力量は充分あるんだからさ」
「ほう、わかるのか」
豆をはさんでにらめっこしているふたりを眺めていたヘーゲル医師が口を挟んだ。
「うん。ハルトマンさんと同じくらい。鍛えればこれからまだあがるし、ハルトマンさんを抜くのは時間の問題じゃない?」
ディルクは頑張ったけれど、豆は結局動かなかった。
「ベアさんはどうやって初めて魔法を使えるようになった?」
「唐突にどうした」
移動魔法でオニヅタの赤い新芽を摘んでいたトーコは、ディルクのことを説明した。
「なんでうまく移動魔法ができないんだろう? 発動するしない以前に魔力がうまく送り込めていないんだよね」
「最初はそんなもんじゃないか。自分の中にある魔力を意識するところから始めて、それを思うように動かせるようになるにはそれなりに修練が必要だ」
「それが普通なの?」
「そうだ」
「うーん、魔力の送り込みにムラがあるのはわかるんだけど、どこで躓いているのかがわかんないんだよね……」
「そうだろうな」
魔法だけならトーコは天才と言えるだろう。かなり直観的なアレンジをするし、彼女曰くの魔力の組み立てを考えるのに労力を使うことはあっても、魔力を構成して魔法を発動させるのに苦労しているのは見たことがない。そのはるか以前の段階で四苦八苦しているディルクに的確なアドバイスができるとは思えない。
だが、これは魔法を便利な手段としてしか見ていないトーコにとっても、魔法と向き合ういい機会だ。
「次にディルクが来るのはいつなんだ?」
「別に決まっていないみたい。ディルクが来れるときに来て、ヘーゲル医師の手が空いていたら見てもらう、みたいな」
ディルクもまだひとりで出歩けないので、誰かが連れてきてくれるようなついでがあるときにとなる。ヘーゲル医師だって約束していも急患が入ればそれまでなので長くやっているわりに進みは遅い。両親も本人も魔法使いを職業とするつもりがないらしいのでそんなものだ。
「なるほど。じゃあ、今度ユナグールに戻るときにでもまた見てやるといい。そういつも急いで戻らなくても大丈夫だ」
「ありがとう、ベアさん。あと、ギルド仲介のお肉屋さんからベアさんに伝言」
トーコは肉屋からの依頼を伝えた。
「却下。話にならん」
「って、伝えればいいのね」
たぶんそうだろうと思っていたので、トーコはあっさりと返答をメモした。基本的にお人好しなベアだが、行動を縛られるのは嫌いだ。
「理由を聞かないのか」
「だって余計な言い訳したら、火竜の売却の時みたいに、結局、うん、て言わされそうなんだもの」
「学習したな」
「第一、毎週配達なんて、面倒くさそう。せめて角ウサギを月一回千匹単位で引き取ってくれるとか、切り刻まれちゃったのを全部処分してくれるとかならやってもいいかって気分になるんだけどなあ」
「そういうことだな」
「どういうこと?」
トーコはきょとんとした。
「俺たちは断りたい。なぜなら、余計な労力をかけるだけの魅力がない。金銭的にもそれ以外の意味でも」
トーコはベアの言うことを吟味してみた。
「それは、ちょっぴりの角ウサギを届けに行くより、ここで採取していたほうが楽だし、角ウサギよりよっぽど高く売れる採集ができるし、やりがいがあるってこと?」
「魔法を忘れてるぞ」
「魔法?」
ベアは呆れた。公都で商人たちにいいようにしてやられたのは覚えていても、魔法の金銭的価値についてはすっぽ抜けたままのようだ。
「昨年秋からの時間凍結魔法、魔の領域から往復するための転移魔法。最低でもこれだけ必要だ。先方はそこまで考えてないだろう」
「魔法を値段換算したら角ウサギの価格じゃなくなっちゃうね」
「だからそんな商売誰もやってないんだ。どっちも得をしない取引なんか成立しない」
トーコは納得した。トーコとバベッテ行きつけの肉屋の間には日頃の付き合いがあるし、お互いの都合のつくときだけ融通しあっている、取引というよりも助け合いの意味合いが強いからどっちも満足している。
「この間、インメルさんに時間凍結魔法の相場も聞いておけばよかったなあ」
「また会う機会もあるだろう。その時に訊けばいい」
「うん、そうだね」
そのほかのギルドからの要望を伝えたり、買い物を渡したりしているうちに目的地についた。ふたりはただおしゃべりしていたわけでなく、トーコの探査魔法と障壁魔法と移動魔法で採集もしつつ野営地に向かって移動していたのだ。日当たりのよい草原ではほとんど雪が消えかかっているのでそりは使えず、新しい採集物を探しながらなので、徒歩である。
日に日にあたたかくなり、視界が薄い黄緑から濃い緑にかわりつつある。冬の間あまり見なかった小鳥たちが活発に鳴きかわし、静かだった世界に多彩な音が戻ってきた。
そんな中でトーコの探査魔法に何かがひっかかった。




