第20話 青い鳥の襲来(2)
街道脇の雪原を新しい障壁ボードが走る。トーコにとってはサーフボードの進化系なのでボードと呼んでいるが、実際にはスノーモービルもどきな奴だ。空気抵抗を減らすため、左右ではなく前後に乗っている。個人用のスノーボードもどきのほうが体重移動で微妙なコントロールが効くのだが、長時間の移動には座っていられるこっちのほうが都合がいい。
雪の季節とあって人は少ない。街道を見失わないように、うっかりおかしなところを踏み抜かないように、探査魔法で行く手を探りながら、早朝にユナグールから転移した塩の町クレムを出てからもう六時間も飛ばしている。途中に通った町の名前を確認し、雪に埋もれた標識を掘り出して確認しながらの行程だ。
「ベアさん、そろそろ起きて。次の町が見えたよ」
トーコに声をかけられて、うとうとしていたベアは頭をあげた。のびをして、こわばった体をほぐす。風も当たらず、トーコの操縦も危なげないのでついうたた寝てしまったが、熟睡するには座席が狭くて硬すぎる。
ベアはポケットから地図を出した。一度標識を見落として途中の村で方向修正した以外は順調な道のりだ。雪がまだ解けきっていないのが幸いした。
「次の町を超えたら、最初にあたる街道を北へ。あとはしばらく北上だ。町で休憩しよう。魔力は大丈夫か」
「大丈夫。雪が凍りぎみだから、振動はひどいけれど、スピードは楽に出るもの」
たしかに振動はあるが、馬車ほどではない。しかしトーコは納得いかないようでぶつぶつ言っている。
「障壁魔法と時間凍結魔法の組み合わせって硬いものはうまくできるんだけど、バネとかクッションとかは難しいんだよねえ」
望みの高いことだ。ベアとしては人いきれで中は暖かいし、雪をかき分ける必要もなくこの速度で移動できるなら文句ない。
小さな町の入り口でボードを降りて門衛の詰め所で道を確認する。ギルドの身分証があるので、こういう時は役人に物を尋ねやすくて助かる。ついでに旨い飯屋を聞いて休憩をとる。
物珍しさ全開できょろきょろしているトーコは迷子にならないようにベアのローブをつかんだ。ユナグールよりかなり小さい町だけれど、どの家も薄いクリーム色の石材と赤茶の屋根で統一されているせいで、まるでテーマパークのようだ。本当は逆なんだろうが、トーコにはそう見える。
小さな町の目抜き通りに教えてもらった店はあった。混雑しているのはいい店の証だ。店主と女将のほかに従業員がふたりもいるのは繁盛店だからだろう。ふたり分の食事を頼んであいた席に座る。
「見ない顔だね。どこから来たんだい?」
相席の男が訊ねた。
「ユナグールのギルドから来た。魔鳥の大群が現れて、この先の町を通るらしい」
「魔物の大群だって!?」
ちょうどスープを持ってきた女将がぎょっとして叫んだ。隣の席の男が訊ねた。
「ユナグールのギルドって、魔の領域に入る冒険者のギルドかい?」
「うん」
冒険者のギルド。なんだかRPGっぽいなあ、と思いながらトーコは暖かい椀を冷えた両手で包んだ。まあ、ユナグールでも「魔の領域への入域管理ギルド」なんて長い名前、誰も覚えちゃいないけれど。ユナグールじゃただギルドで通じるから、別の土地に来たんだなあと思う。
「あんたたち、ひょっとして魔法使いかい?」
「そうだ。この町の西側を通るらしい。群が行ってしまうまで、そちらの街道はいかないほうがいい」
「魔物が出たなんて聞いていないぞ。軍はなにをやってるんだ」
話を聞きつけてひとが集まってくる。その反応を見て、どうやら彼らは何も知らないようだとベアは見当をつけた。行政も通過する町に連絡するだけで手いっぱいということだろう。
「この町は進路から外れているからだろう。ひとを襲うような魔物じゃなし」
「魔物なのにひとを襲わないのかい?」
こういう誤解をしている者は多い。人の領域に迷い出た魔物がひとに害を成すと口に上りやすいからだが、そのせいで、魔の領域を恐ろしい場所だと勘違いしている人は意外といる。
「今回の魔鳥は小さいし、人を襲うような習性もない。ただ、大群なんで、もしも行き当ったら、石壁の後ろに隠れてやり過ごすしかない。渡り鳥だから一度行ってしまえば戻ってくることもない」
少なくとも、次に渡りをするまでは。口々に町のひとたちが質問し、ベアはできる限り答えた。魔物相手に絶対はない。用心しておくに越したことはないし、簡単な対処法を知っているだけでも違うものだ。
休息後は、再び雪上をひた走った。無事に標識を見つけて北上し、夕刻前に比較的大きな町に入った。ルリチョウの群が掠める位置にあるので、軍が駐留していた。そのせいで宿は取れなかったが、代わりに情報が貰えた。
「ルリチョウの進路が変わった?」
「そうだ、先ほど届いた伝令によると、少しずつ東に寄り始めているらしい。この町も最初は掠めるかもしれない程度だったんだが、今やど真ん中だ」
次にルリチョウの群が当たる町への伝達事項をしたためる将校が顔もあげず答えた。
「おかげで慌てて今準備しているところだ。応援の部隊が来るかどうかもわからない。来ても間に合うか微妙な距離なんで、次の町へ人員をまわしているかもしれない」
もうひとりの将校が教えてくれた。この先にもっと大きな交易都市があるそうだ。ベアとトーコが向かっていた町は完全にルリチョウの進路を外れたので、ふたりも行先変更をすることにした。当然、伝令を回してはいるが、今出発すれば、おそらくベアとトーコが途中で追い抜くだろうというわけで、目的の交易都市とそこまでの途中の町や村への伝令を頼まれた。
「ここでお手伝いしなくていいの? 穴掘りくらいならできるよ?」
「ありがとう。だが、応戦の必要はないと伝達されている」
「小さい町だが一応城壁があるから、窓を板で塞いで、あとは行ってしまうまで隠れているだけだ。むしろ、城壁のない村や、城壁を超えて町が拡大している都市のほうが対処が難しいだろう。というわけで、急いで伝えてくれ」
この件については軍に従うようにギルドから指示されているので、ベアに拒否権はない。軍令書の入った金属の筒を何本も抱えて陽のあるうちに少しでも距離を稼ぐべく、すぐに町を出る。町にいてもどのみち宿はないのだが、人の領域でも野宿になりそうだった。
「ベアさん、このまま街道沿いに行けばいいの?」
「次の標識まではな。そこで折れて村を探す。道が細くて分かりづらいようだが」
「地形探査で探すしかないね」
「そうだな。トーコ、眠くはないか」
「実を言うとちょっと眠い」
「操作を代わろう。暗くなったら交代してもらうから、それまで寝ておけ」
目視で道が確認できるうちはベアでも行けるが、夜道になったら完全に探査魔法頼みになる。トーコはうなづいてもうひとつボードを作成した。前座席部分を完全に平らにしてある。風を切りやすいようにスノーモービルの鼻部分を突き出しているので、全体の大きさはあまり変わらない。乗り換えると枯葉マットレスを敷いてトーコはさっそく丸くなった。
「じゃ、お先に。おやすみなさい」
あくびをひとつして、トーコは眠りに入った。魔の領域の野営に慣れないうちは疲れ果てて泥のように眠るか、なかなか寝付けず寝返りばかりうっていたのに、今や高速移動中の障壁魔法の中で熟睡だ。自分も居眠りしていたことを棚に上げて順応力の高さにベアは感心するやらあきれるやらだ。
新しく書き込みを入れた地図を頼りに最初の村を探して無事に伝令を果たし、二つ目の村についたあたりで視界が限界になった。
「起きられるか?」
「大丈夫」
顔を洗って眠気を飛ばしたトーコはベアと座席を交代した。
「眠くなったら無理せず停めて休め」
「二時間寝たらすっきりしたから平気。大丈夫じゃないのは地図と道かも」
「分からなくなったら早めに起こせ」
「うん」
無理をしない、ダメそうなら早めに申告する、ひとりでなんとかしようとしない、というのは日頃からベアに言われていることだ。トーコもそういう遠慮はしない。見栄を張ったところで底は知れているのだし、トーコにできるのは道を間違ったとき、近くの村から再出発できるように、リスタート地点を覚えておくことくらいだ。おっちょこちょいで抜けているのは自分で分かっているので、あとはリカバリーに労力を割くしかない。
大きな街道に出るまではドキドキしたけれど、街道さえ見つければあとは道なりなので迷わない。街道沿いの小さな町の門衛に伝令筒を渡し、最小限の説明だけして詳細は後から来るはずの伝令に聞いてもらうことにする。
先を急ぐと言えばすんなり解放してもらえた。ギルドの身分証と軍令書の組み合わせは、トーコが思った以上の威力があるらしい。トーコのような子どもで外国人でもちゃんと話を聞いてもらえるのだから。
この町に入る前に伝令を追い越したらしく、俄かにあわただしくなった詰め所を出て、次の町へ向かう。
小腹がすいたので、夜食代わりにバベッテの作り置いてくれたサンドイッチを齧りながら、ささやかな幸せに浸る。白カビチーズとベニマスの冷燻、シャキシャキした寒ネギ、ハーブの組み合わせが絶妙だ。バベッテは着実に魔の領域の食材を使いこなしつつあり、トーコも採集しがいがある。
「ベアさん、目的地に着いたと思うんだけど」
交易都市ブルゼの所在は簡単に分かった。街道はよく整備され、人の往来も多いようだった。なにしろ到着したのが深夜なので、推測しかできないが、大きさだけならユナグールと同規模だろう。違うのは、ユナグールの町が絶対に城壁を超えないのに対して、町が外へ外へと広がっていることだ。おかげでトーコはどこへまず行ったらいいのか分からなくて、ベアを起こした。
熟睡していたベアは眠気を払うのにしばしの時間を要した。
「とりあえず、街道沿いにまっすぐ城壁へ向かおう。どこかに必ず入市門か税関があるはずだから、そこで聞く」
「あ、そっか」
城壁に囲まれているような大きな町では大抵持ち込まれる農作物や商品に税金がかけられる。町の大事な収入源だ。必ず、市に行く前に通るようになっているはずである。
それだけでなく、町に犯罪者や不審者が入り込まないように見張る役目の入市門もあるはずだ。トーコだってユナグールの東門を出入りするときにギルドの身分証を見せている。必ずしも身分証がなくてはいけないわけではないが、状況によっては入れてもらえない。大抵は身なりなどで判断される。魔の領域からやってきたトーコは当然そんなもの持っていなかった。入れてもらえたのは入ろうとした門の特殊性と、ベアの信用力によるものだろう。
ベアの読み通り、町をかなり入ったところに城壁があり、街道を塞ぐように門がある。夜間なので当然閉門されているが、非常時用の小さい通用門があるので、そこを叩く。
「軍の依頼でユナグールの魔の領域への入域管理ギルドから派遣されてきた。軍令書を預かっている」
門番の兵士は身分証と軍の依頼書、ギルド長の応答書、軍令書の入った伝令筒を確認して中へ入れてくれた。
「ルリチョウという渡り鳥の魔物の群がバルク公国の南の越冬地から、北の繁殖地に移動している。普段なら人の領域を避けて移動するはずが、なぜか入りこんで、進路の町や村で被害が出ているそうだ。当初まっすぐ北へ向かっていたルリチョウが進路を東寄りに変えたと聞いている。俺たちは当初ノイラーデへ派遣されるところだったんだが、軍の指示でこちらへ派遣先が変更になった。道中の町や村には連絡済みだ。以後はこちらの駐留軍の指示に従う」
兵士に起こされ、分厚い軍令書を読んでいた将校が頷いて、部下に非常召集の指示を飛ばす。
「状況は理解した。どの程度の被害がでているんだ?」
「俺も聞いた話だけで詳しくは知らない。だが、駆除するより、行ってしまうまでやり過ごすほうがいいらしい。人を襲うようなことはないが、一羽一羽はハト程度の大きさでも、大群に体当たりされたら怪我をするし、建物にも被害が出ているという話だ。ルリチョウ自身、障害物を避けられないほど密集して飛来するらしい」
「あとでまた話を聞くことになる。それまで休むといい」
将校の好意をありがたく受け、ベアとトーコは仮眠室を借りて一時間半ほど眠った。ベアだけ起こされて、会議室へ案内される。既に中では会議が始まっており、隣室で待機がてらベアは話に耳を立てた。はっきりとは聞き取れないが、雰囲気くらいはつかめる。城壁外の住民の避難で意見が割れているようだ。彼らの任務は城壁に囲まれた町の治安維持と防衛であり、どこまで町の外の住民の避難に労力を割くか。
彼ら自身も前代未聞の状況に即断せねばならず、大変だ。結局、城壁外については早朝に警告の伝令を回し、街中の避難所になりうる公共施設の防護に人を割くことにしたようだ。
ベアが呼ばれたのは一番最後だった。キースリング青年から得た情報を伝え、魔物についての質問に答える。ただ、<深い森>に棲息していないルリチョウの生態には詳しくないので、あくまで一般論にとどまる。
「君は戦力としてどの程度あてにしていいんだね」
「攻撃的な魔法は得意ではない。障壁魔法と治癒魔法で役に立てるはずだ」
「障壁魔法で魔物が町に入ってこれないようにできるか」
「町が大きすぎる」
ベアは道中トーコと相談した障壁について説明した。真っ向からの迎撃が無意味なのはわかっているので、正面から来る力を受け流す方向で対応することにしている。角ウサギ掃討作戦時の撤退支援の障壁をもっと広範囲に展開するつもりだ。
「進路が町にぶつかった場合、魔物がなるべく町の上空を通過するように障壁を町に対して斜めに張る。距離は千メートル、高さ百メートル。ひとまずこれで様子を見て、必要なら距離、高さともに延長。一度設置した障壁は魔物の襲来中は移動できないが、低い位置を飛ぶルリチョウの侵入はある程度防げるはずだ。その前にもできれば町にあたる進路を妨害する努力はするが、大魔法の連撃もものともしなかったというだから、期待できないと思う」
「治癒魔法はもうひとりの魔法使いが?」
「基本的に、今回魔法を行使するのは俺の弟子だ。障壁を維持しながらでも百メートルくらいなら遠隔治癒できるが、怪我人を移動させるのはルリチョウの群が去ったあとのほうがいいだろう。ルリチョウが通過中は障壁の維持を、通り過ぎたら治癒をと考えている」
「了承した。何人くらい治癒できる?」
「重傷者はすべて対応する」
「ほう。それは頼もしいな」
トーコは封筒に自分の魔力を凝縮したものを貯めている。短期決戦なこともあり、魔力の残量を気にする必要はない。
あとは細かい打ち合わせになった。ルリチョウの進路はあくまで予測なので、その場その場での対応を迫られることになるだろう。
「移動速度からして、ルリチョウの群がブルゼを通過するのは明後日あたりだ」
「まだ来ないねえ」
一日ゆっくり休養をとったトーコは手びさしを作って南へ延びる街道の先に目を凝らした。早朝から待機してもう昼だ。
「夜は移動しないということだし、そんなに早くは来ないだろう」
ふたりがいるのは街道脇に停めたボードのなかである。南から来るのだけは確実なので、町の外に出て空を眺めている。
「でも、町の外っていっても、どこまでが外で中かわからないね」
城壁の外に広がる町に明確な境界線はない。畑があったり、酒場があったり、大きなお屋敷があったり。
「警告もどこまで届いているのか分からんな」
ベアの視線を追うと、雪遊びに興じている若い男女のグループがある。ここはデートスポットだったらしい。酒場は窓もドアも全開でにぎやかに営業中だ。
「ルリチョウの群が通過するまであんまり時間的な余裕ないと思っていたんだけど……」
「ないに決まっている」
「あのお店、窓を破られなければいいけれど」
「大丈夫だろう」
なまじ障壁に近いので安全なはずだ。だが、それはそれとして、どうにも危機感が薄い。そばにいる伝令係の兵士に聞いても知っているはずもなく、ベアとトーコはすっきりしない気分のまま、南を見つめ続けた。
「ねえ、どうやって何もないところに座っているの?」
突然子供の声がして、ベアとトーコは振り向いた。十歳くらいの男の子たちが好奇心いっぱいに見ていた。障壁魔法は透明なので、何もないところに浮いているように見えるのだろう。トーコはボードを降りた。
「魔法だよ。それより、今日はおうちの中にいたほうがいいよ」
「魔法!?」
「ほら、魔法使いだって言ったろ!」
「空が飛べる?」
子どもたちが一斉にしゃべりだす。そこへ子どもたちの親らしき女が数人、慌てて飛んできた。兵士の一団と関係のありそうな人間と関わり合いになりたくない、と態度が言っている。
「こらっ、邪魔しないの」
「奥さん、大丈夫だ。だが、今日は子どもたちを家の中に入れていたほうがいい。騒ぎが収まるまで、外に出さないように」
女たちは顔を見合わせた。
「何かあるんですか?」
「えっ、聞いてないの?」
トーコがびっくりすると、彼女らは異口同音に訊ねた。
「「「何を?」」」
ベアが簡単に説明し、女たちは慌てて子どもたちを集めて帰って行った。
「ねえ、ベアさん。これってまずいんじゃないの」
「まずいな」
情報が行き届いていないようだ。この状況で突然のルリチョウの来襲にパニックが起こったら、たとえトーコの障壁で町への侵入をあらかた阻めても、自滅して怪我人が出かねない。
「わたしたちから教えたらダメなの? 声の届く範囲の人だけでも」
「いいか?」
ベアは同行の兵士に訊ねたが、彼も判断がつかなそうだ。
「では、俺たちが勝手にやったということにしておいてくれ。特に情報統制などは敷かれていないだろう」
分かった、という返事だったので、早速トーコはメモを片手に地面を蹴って舞い上がった。ややあって、上空からトーコの声が降ってきた。
「あーあーあー。ただいまマイクのテスト中。あーあーあー。ただいまマイクのテスト中」
べらぼうな音量と内容の呑気さにベアは体を傾がせ、兵士たちは唖然とした。町の人々がざわめいて空を指さす。
音声拡張魔法の効きを確認したトーコは咳払いを一つした。
「ブルゼの皆さん、こんにちは。こちらはユナグール魔の領域への入域管理ギルドです。本日から明日以降にかけて、ブルゼをルリチョウの大群が南から北へ通過することが予測されています」
これだけじゃ、だからなに? となりそうだ。
「ルリチョウはハトくらいの大きさの青い鳥の魔物です。人を襲ったりするような狂暴な魔物ではありませんが、早い速度で飛ぶルリチョウのくちばしとぶつかって怪我をしたり、建物に被害が出ています。窓ガラスは板戸で覆うようにして、ルリチョウが町を通過している間は石の建物の中に避難してください。馬などの動物も建物に入れてあげるか、大きな石の建物の北側に避難させてください。ルリチョウが来ても慌てず、落ち着いて、避難してください。繰り返します。こちらはユナグールの……」
トーコはピンポンパンポーンの効果音が欲しいなと思いながら、雪の上に降り立った。
「うまいものだな」
「ご町内の防災放送のアレンジだけど。むこうのほうにも案内してくるね」
「十分聞こえたんじゃないか」
「ベアさんは真下にいたからね。真北に向かって音声を飛ばしていたから、多分、別方向の人にはあんまり聞こえていないはずなの。そのぶん遠くには届くんだけど」
「あまり遠くへ行くなよ」
「うん、わかった」
トーコは左右二か所で同様の案内をした。町の南側だけにしか届いていないが、あまり持ち場を離れるわけにもいかないので仕方ない。
軽く昼食を摂って、何回かに分けてまた防災放送をかける。
「なんだか天気も悪くなってきて、本当に台風みたいだなあ」
「違う」
トーコが見ている空を見やったベアは目をすがめた。トーコはベアを見上げた。
「違うって、何が?」
「黒雲じゃない。ルリチョウの群だ」
トーコはぽかんと口を開けて、慌てて視線を南に戻した。
「え? ええええっ!?」
兵士が望遠鏡を覗いて慌てて後方へ伝令を送る。
南の空が灰色だ。探査魔法が届く距離ではないので目で見るしかないのだが、どうみても鳥の群に見えない。トーコは思わずベアのローブを両手で握りしめた。
「べ、ベアさん、あれが群だとしたら、もの凄く大きい群なんじゃないかと思うんだけど……」
少なくともトーコが想像していた鳥の群とは規模が台風とにわか雨ほどにも違う。だって、この距離であの大きさってことは幅と高さだけでも何キロもあるんじゃないの?
「でかいな」
ベアは顎を撫でながら呟いた。
「あわわ……っ、しょ、障壁、障壁作らなきゃ! 用意してあるのじゃ絶対足りない!」
トーコは泡を食って障壁を作り始めた。ルリチョウ対策として、一辺五十メートルの正方形の障壁に時間凍結魔法をかけたものを百枚ほど用意していた。これを時間凍結魔法でパッチワークのように張り合わせ、地面に固定して使うつもりだったのだが、あの規模のルリチョウの群が都市を直撃した場合、幅も高さもカバーしきれない。
「トーコ、あと二百枚作ったら、障壁の設置にかかる。群はまだ遠い。落ち着いてやれ」
慌てるあまり、ポーチから呼び出した自分の魔力をお手玉してしまっているトーコの肩を叩き、ベアは伝令の兵士を振り返った。
「ここを起点に、幅三千メートル、高さ百メートルの障壁を築く。この街道部分だけ最後に塞ぐが、他は誰も出入りできないから、心得ておいてくれ」
当初予定の千メートルでは足りない。
兵士のひとりが伝令に走り、ベアは防災放送に乗せる内容をメモした。
「ベアさん、二百枚できた」
十五分ほどでトーコが言った。原っぱに巨大な立方体が出現している。正確には、薄い障壁魔法を重ねたものだ。幻惑魔法をかけて視認できるようにしているので、黒い箱があるように見える。
まずは二枚を上下に並べて設置角度を決める。なるべくルリチョウの群を上空に逃がすように鋭角にしたかったのだが、その余裕はないどころか、縦に三枚欲しいくらいだ。
「取り敢えず、距離を延ばせるだけ伸ばして、可能なら高さをあげよう」
「うん、わかった」
トーコが頷くと同時に、障壁が動き出す。重なった障壁を四つに分ける。上下に合わせてから左右に滑るようにスライドして瞬く間に百枚分の配置が完了。
「いいぞ、固定しろ」
トーコはしっかりと時間凍結魔法をかけた。
「固定したよ。西と東、どっちからやる?」
「西だ。だがその前に、さっきの音声拡張魔法で住民を避難させろ」
「うん。障壁にもびっくりしているかもしれないもんね」
トーコは障壁に飛び上り、ルリチョウの接近をアナウンスした。西へ百枚ぶん障壁を伸ばしてまたアナウンス。東も同様に。
「このまま東に障壁を増設するぞ」
ベアの想定よりもトーコの障壁の作成と展開、固定作業が速いので、ボードで空中を移動しながら障壁を立てていき、ある程度の距離になったらまとめて固定する。その方法で東側は町の端まで障壁の設置ができた。戻りながら、上にもう一段足す。魔法連射速度と魔力量にものを言わせた力技だ。
「魔力の在庫があって良かった……」
東側の障壁の増設だけですでに一日分の魔力を消費している。ひたすら魔法を行使して魔力を吸い上げる、を繰り返す。トーコは町の西側にも同様に障壁を張りながら、ちゃんと毎晩あまった魔力を貯めておいたことに感謝した。魔力貯金って大事だ。そして助言をくれたベアにも感謝だ。
くず結晶石に魔力を分けてから、余った魔力を一気に体外に放出して凝縮すると、魔力切れで失神するけれど、先に取り分けておいた結晶石に触れておけばすぐに魔力が戻ってきて失神から回復、対フキヤムシ用の障壁魔法も再稼働できる。さすがに即時回復とはいかないが、その間はベアが見ていてくれる。
目的は魔力の保管ではなく、入域中も限界まで魔力を使い切って魔力量を鍛えるためにこのやり方を考えてくれたのだが、副産物が役に立った。
「西側はこのあたりが限界だな」
トーコと同じくひとり用のボードに乗って作業を確認していたベアが、南の空を見やって呟いた。まだ都市の端まで行っていないし、高さも足りないが、時間的にここらで精いっぱいだ。
障壁設置作業に専念していたトーコはベアの視線を追って息を呑んだ。黒い雲のようだったルリチョウの群が、いつの間にか鮮やかな青い集団に変わっていた。
「ぜ、全然高さが足りない……」
障壁近くの防護はできるが、都市全体を覆う障壁を作れない以上、ただの壁だ。壁から遠くなればなるほど魔鳥の侵入が避けられない。
「障壁はここまでだ。音声拡張魔法で案内しろ」
呆然としていたトーコはベアにメモを渡されて慌ててアナウンスに入った。ベアの冷静な声を思い出して、落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせる。
「こちらはユナグール魔の領域への入域管理ギルドです。数分後にルリチョウの群がブルゼに到達します。安全な場所へ、至急避難してください。繰り返します……」
ボードを飛ばして中央部に戻りながら同じアナウンスを繰り返す。街道に向けて開けていた部分に最後の障壁を立てて固定する。みるみるうちに近づいてくる青い魔鳥の群。
「町のど真ん中を通るな。トーコ、群の進路を変えるぞ」
トーコはポーチから火竜の炎を三つ取り出した。黒い珠を移動魔法であらかじめ見当をつけていた場所へ高速移動させる。
「準備できたよ、ベアさん」
「よし、ぶっ放せ」
ベアの合図でトーコは火竜の炎を解放した。轟音とともに三本の火柱が地上数十メートルの高さに吹き上がる。竜巻のごとく屹立する火炎に一瞬魔鳥の群がばらける。このまま竜巻を避けて都市への進路を変えてくれればと思ったのだが、密集した鳥たちはわずかに広がっただけで突き進む。
トーコは顔をこわばらせてベアのローブをつかんだ。
「ベアさん、あの鳥おかしいよ! 自分から火に入っていくなんて! 十分な距離をあけてあったのに!」
ベアもまさかそのまま突っ込んでくるとは思わなかった。そして奇怪なことに気が付き、背筋が寒くなった。実際に鳥の群を目の当たりにするまでベアも気が付かなかったが、なぜルリチョウはこんな低い場所を飛んでいるのだ? ふつう、渡りに限らず、長距離を飛ぶ鳥はもっと上空の気流を利用するはずだ。だが、今接近しつつあるルリチョウは羽ばたいている。まるで、群れ全体が狂気に侵されてるかのようだ。
故意にルリチョウを攻撃するつもりのなかったトーコは何千羽もの鳥たちが炎に飲まれていくのを感知してショックを受けていた。避けると思っていたのに。
ベアは思考を振り払った。今は考えても仕方ない。常識の通用しない相手が真っ向から障壁にぶつかってくるのだ。動揺しているトーコを立て直すのが先だ。
火竜の炎はまだ天を焦がす勢いで屹立している。竜の力に畏怖を覚えるより先に、これほどの業火を抑え込むことのできるトーコにあきれてしまうほどだ。
「トーコ、俺の声を拡張できるか」
「で、できると思う」
「ここの警備隊に状況を伝える。城壁まで声を届かせられるか」
ベアはトーコの肩をつかんで都市のほうへ体の向きを変えさせた。
「わかった」
ベアは障壁の淵ぎりぎりまでトーコを連れて飛び、内側に向かって声を飛ばした。
「ユナグール魔の領域への入域管理ギルドよりブルゼ警備隊へ連絡。数千羽駆除もルリチョウは進路を変更せず。ブルゼ全域に侵入する見込み。繰り返す。ルリチョウは進路を変更せず。ブルゼ全域に侵入する見込み。以上」
トーコ流に端的に告げてベアはトーコとともに地上へ降り立った。最後に塞いだ街道上の障壁は幻惑魔法をかけず、透明なままなので、前がよく見える。火竜の炎は細って消え、ふたたび空を青い鳥が埋め尽くしていた。
「来るぞ」
最初に来たのは高い空を飛ぶルリチョウの一群だった。それは見る間に増えて、濃度を増し、豪雨が地を叩く勢いで障壁に激突した。凄まじい衝撃音の嵐が鼓膜を震わせた。トーコは思わず悲鳴をあげた。群は障壁を避けてわずかに上空へあがったが、上も詰まっているので避けきれない鳥が激突しているのだ。
障壁最上段の三段目はかなり急斜角をつけていたのだが、そこから障壁に接触したルリチョウがばたばたと落ちてくる。動かないものもいるが、地に落ちてなお羽根をばたつかせている個体もいる。
「トーコ、障壁を張れ!」
ベアは度肝を抜かれてしがみつくトーコに指示した。障壁自体は音も熱も伝えないが、それでも開いた上部からふってくる凄まじい羽音と衝突音に声を張り上げなくてはまともに話もできない。トーコは慌てて、自分たちと兵士たちを包む障壁を張り、それでやっとまともに話ができる状況になった。兵士たちは驚く馬を宥めるのに必死だ。
「話に聞く以上だな」
背後の障壁を振り返り、ベアは顔をしかめた。障壁にはすでにルリチョウが、風に吹き寄せられる木の葉のように折り重なっている。時間凍結魔法で固定しているからいいが、これを自力で支えていたら、魔力がいくらあっても足りない。なるほど、キースリング青年がわざわざ真冬に入域してまでトーコを探そうとしたわけだ。
「ベアさん、もう一回障壁を建て替えたい。今度は火竜の時にやったみたいに、空間拡張して時間凍結をかける」
怯えてベアにへばりついているくせにトーコが難儀なことを言い出した。
「このままじゃ、すぐに溢れてきちゃう」
「すでに溢れているしな……」
障壁上部に激突したルリチョウがあとからぶつかる仲間にはじかれて落ちてきている。ハトサイズとはいえ、高さ百メートルから落下してくるので、くちばしにあたったりすれば怪我をする。
「分かった。西側の増設はあとだ。無理のない範囲でやれ。内部の空間の下は深く掘れ。でないとあっという間に溢れるぞ」
「うん、わかった」
トーコはすぐにポーチから乳白色の魔力の塊を取り出して両手にひとつづつ握りこんだ。角度をつけるのは無意味だと分かったので、一気に高さ百メートル、幅二百メートルの巨大障壁を作って内部に奥行と深さのある空間を拡張し、今ある障壁の内側に立てていく。
作戦を思いついた時には一辺五十メートルが精一杯だったが、巨大障壁の連なりを見て、うまくイメージできるようになったからか比較的楽にできた。障壁が大きければ、同じ範囲をカバーするのに必要な空間拡張魔法に消費する魔力が少なくて済むので、できる限り大きい障壁が望ましい。
「まずは、真ん中の最初に建てたところから入れ替えるね」
今ある障壁の後ろから上へスライドさせる。飛び出た空間拡張障壁にルリチョウが次々に吸い込まれていく。はた目には何もない場所でルリチョウの姿が消えたように見えることだろう。それを既存の障壁を超えたら、今度はゆっくり前に滑らせるようにして降ろす。障壁にはりついていたルリチョウの死骸の山が拡張された空間に落ち込んで消える。新しい障壁をその場に固定してからトーコは古い障壁を接着している時間凍結魔法を解いた。一辺五十メートルに戻った障壁はあとで西側に再設置するかもしれないので、そのまま時間凍結封筒にしまう。
東側は先に二列固定してから、上部の三段目を固定してしまったので、時間凍結魔法を解除する手順がやや複雑になるということで、先に西側の障壁を張り替えていく。角度をつけたりといった小細工の必要がないので、どんどん作業はできるが魔力の消耗は激しい。冬の間ため込んでいた魔力がひとつ、またひとつとなくなってゆく。西側にもなんとか延長して都市の西端まで行ったとき、ベアは訊ねた。
「トーコ、ここまでどのくらい魔力を使っている」
「二十日分くらい」
「使いすぎだ。時間凍結期間はどのくらいだ。一年もやる必要はないぞ」
「六ヶ月。生きたまま魔物を入れたことがないから、念のためだけど」
ベアはあごを撫でた。六ヶ月ならたいしたことない。年単位で時間凍結魔法を使うトーコには短い。それにしては消耗が速いようだが。
「中の空間はどのくらいだ」
「奥に一キロ、下に一キロ」
消耗の理由はそれか。ルリチョウの群の勢いと規模にビビったな。だが、まだ群の最後尾が見えないうちにうかつに縮めさせるのも怖いか。
「このあと怪我人の治療もあるんだ、最低でも十日分は残しておけ」
障壁の設置の間に合わなかった町の西側のみならず、通達が行き届かず、おそらく町の北側では多数の怪我人が出ている可能性がある。聞いてはいても、実際にどの程度のものか分からなければ対処を誤ることもある。
「うん、分かった」
「じゃあ、東側へ行くか」
この東側がやっかいだった。後から建て増ししてしまったので、障壁同士を連結している時間凍結魔法の解除が複雑なのだ。時間がないので、既存の障壁の内側に建ててから、古い障壁を解除することにした。接地面を後退させることになるが致し方ない。
一時間ほどかけて壁をすべて張り替えた。さすがに疲労困憊してへたりこんでしまったトーコをふたり用のボードに乗せてベアは中央部に戻った。疲れたのと魔力を回復させるために寝ているトーコに兵士たちがあきれた視線を向ける。
「これで障壁自体はしばらく保つ。低空を飛ぶルリチョウはあらかた捕獲できるはすだ。あとは通り過ぎるまですることはない」
「それを上に報告したいんだが」
ベアは眠りこけているトーコを見やった。気は進まないが仕方ない。トーコに何かあったら障壁の維持だけでなく、撤去もできなくなると脅かして、護衛を任せる。
伝令の兵士をふたり乗りのボードに乗せて、低空を城門まで飛ぶ。ブルゼの城壁はユナグールの十二メートルの城壁よりも低い。門が閉められているので、その低い城壁を飛び越えて内側の広場に降り立つ。
上空をルリチョウの群が厚く覆っているせいで雨の日のように暗いが、高さ百メートルの巨大障壁に遮られてルリチョウは低い位置にはあまりいない。ただし、城壁を飛び越えるときに見えた範囲では、思ったとおり、障壁から遠い町の北側にはルリチョウが高度を下げているのが見えた。しかし、このありさまでは、ルリチョウの群れはここまでにも相当被害を出しているはずだ。障害物を避けたり、高度を維持できないのは、渡りのルートが狂っていることと関係あるのだろうか。
二時間ほどでルリチョウの群れはブルゼ上空を通過した。
ルリチョウの群を上空へ誘導するのが失敗し、捕獲に切り替えたため町へ侵入したルリチョウは少なかった。障壁の設置が間に合わなかった町の西側が一番被害が大きかった。搬送するように事前告知してあった広場や公共施設に集まった怪我人は想定より少ないが、それでも死傷者は出ている。
巨大障壁の出現とトーコのアナウンスを聞いていてさえ、どう避難していいか分からず、うろうろしている間に襲撃された人が少なからずいて、災害避難の難しさをベアとトーコは痛感した。障壁を設置しながらではあれが精一杯だった。市民の避難誘導まで手が回らないし、そもそもギルドの職分ではない。アナウンスだけでもブルゼから苦情を言われても仕方ないし、実際かえって混乱を招かなかったとも限らないのだ。
ユナグールならまだしも、初めての町でいきなりでは連携もなにもあったものではない。
ルリチョウの去った午後を怪我人の治癒に走り回ったベアとトーコは、翌日になってやっと後回しにしていた障壁の撤去にかかった。
「ベアさん、中にはいっちゃったルリチョウなんだけれど」
「どこかで時間凍結魔法を解いて、中に火魔法をぶち込むしかないな」
「それより、どこか魔の領域で放してあげたいんだけど。だいぶ北のほうまで来ているし、ダメかな」
ベアの渋い顔を見てトーコは言いつのった。
「鳥だって悪気があったわけじゃなし、むしろ鳥の被害だって相当なものだと思う。こんなに数を減らしちゃって、生態系にも影響するよ」
「次の渡りでルートを魔の領域に戻すとは限らん。今回の原因がはっきりするまではダメだ」
「ルートが戻ったのが確認できたら、その時は放してあげていい?」
「生きた魔物を時間凍結しておけるのか?」
「ええと……どうなんだろう?」
トーコは首を傾げた。
「イェーガーさんとこのお姉さんは生き物は長く時間凍結魔法をかけていられないって言っていたけれど、これって、魔物自体に時間凍結魔法をかけているわけじゃないよね? この場合は?」
「俺に聞かれてもな。イェーガーのチームは冬は入域しないようだから、ユナグールに戻ったら時間凍結魔法の使える彼に聞いてみるか。それまでルリチョウは時間凍結魔法の封筒に重ね入れして厳重に保管するしかないな。時々確認しろ」
「うん、わかった」
トーコは安堵して障壁の撤去にかかった。
ところが頼みの綱のイェーガーのチームの老魔法使いは不在だった。
「冬はいつもユナグールにいないわよ。寒いの嫌いなんですって」
ユナグールに帰還したふたりがギルドに聞いてイェーガーの家を訪ねると、応対に出た女魔法使いがあっさりと言った。故郷へ戻っているとのことだが、それがどこかは州までしか彼女もイェーガーも知らなかった。
「まあ、もうすぐ戻ってくるだろうから、それから訪ねてもいいか」
ベアが気を取り直して言うと、イェーガーが苦笑交じりに忠告した。
「それも手だが、他に時間凍結魔法の使い手はいないのか? 彼はお嬢ちゃんのことが面白くないようだ。すんなり相談に乗ってくれるかな」
「ユナグールにはいないんじゃない? だから、彼も大きな顔をしていたわけだし。でも他にいなけりゃしょうがないわよ」
「わたし、嫌われてるの?」
トーコはびっくりして聞き返した。女魔法使いは肩を竦め、イェーガーは苦笑を深くした。
「ただ、怖いんだと思うよ」
「え、なんで? わたし、そんな怖い顔してる?」
トーコはショックを受けた。嫌われているのを否定してもらえないのもショックだが。
「違うわよ。魔法使いとして、あなたと依頼の取り合いになる可能性があると思っているってこと」
トーコは目をぱちくりさせた。
「角ウサギの死骸を保管したかったの? あ、それとも火竜の運搬? どっちも喜んで代わってもらったのに」
「具体的にどうこうじゃないんだよ」
トーコの理解が追いつかないので、イェーガーは噛み砕いて説明した。
「これまでなら、時間凍結魔法が必要な依頼は真っ先に彼に来た。しかし、今後は二番手に甘んじることになるのが面白くないのさ」
「え、わたしは人の依頼の横取りをするつもりは……」
トーコはたじろいだ。
「そのつもりはなくても、当然のことなんだよ。ギルド構成員であってもなくても、同じ魔法の使い手がふたりいれば競合がおきる。どのみち、彼も君もユナグールにいないことが多いんだから、そう心配することはない。それに彼も常々引退を口にしているし、引退したら故郷に戻るだろうし、町にとっては後を引き継ぐ魔法使いがいることはいいことさ」
「そ、そうなの?」
トーコは目を白黒させてベアを見上げた。ベアは顔をしかめて顎をなでている。
「問題は後継者候補には彼ほどの知識も経験も錬度もないことだな」
「なる気もないから!」
慌ててトーコはベアのローブをひっぱった。
「そんなのあてにされても困る!」
「なおさら他を当たったほうがよさそうね。あなた、わたしよりも長いんだから知り合いの知り合いの、そのまた知り合いにでも聞いて探せないの?」
「あ、時間凍結魔法を使える人は知ってる。公都の協会に三人登録されていたよ。でも、どっちもイェーガーさんところの人ほどには使えない感じなんだけど……」
「どっちも、ってことは三人のうちふたりはあったことがあるの? 残るひとりをあたってみたら?」
「ないけれど、依頼の内容からなんとなく?」
「残るひとりは会ったことはあるが、気軽に訊ねられるような相手じゃない。大公お抱えの次席魔法使いだ」
女魔法使いが納得した顔をした。
「インメルって人? たしか彼とは兄妹弟子じゃなかったかしら。自慢してたもの。同じ師についていたなら、同じ魔法が使える可能性はあるわよね」
「あ、やっぱりそうなんだ。時間凍結魔法の使える知り合いがユナグールにいるって言ってたからそうかなって。でも、なんていうか、ちょっとあの人苦手……」
「そうも言っていられないだろう。取り敢えず、訊ねるだけ訊ねてみて、首尾よく話を聞いてもらえればよし、ダメならルリチョウを諦めるか」
「諦めたくない!」
「諦めるか、もしくは自分で実験してみるんだな」
「実験? 何羽が出してみて、どの程度時間凍結魔法が通用するかやってみるってこと? それは倫理的には問題なし? 人にやるのは倫理的にダメだって」
「鳥だから、大丈夫だ」
本当かなあと思いつつ、イェーガーのところを辞して公都ブラグールへ転移する。正確にはハルトマンの次兄の屋敷の真上だ。
門前に降り立って、はたと気づく。
「どこにいけばインメルさんに会えるのかな?」
「自宅のほうに訊ねるべきだろうな」
インメルの屋敷がどこかは知らなかったが、呼び止めた辻馬車が知っていたので問題なく辿りつけた。さらに好都合なことに主人は在宅だった。
「わたくしを訪ねるまでに随分時間がかかったのね」
書き物机から顔をあげて、インメルは言った。案内されたのは書斎だった。
「え、そなの?」
トーコとしては、ほんの数分顔を合わせただけの人を訪ねるなんて図々しいかと思っていたのだけど、何か用事があったっけ? 記憶を探るが何か月も前の事、全然思い出せない。
「少し聞きたいことがあってお訪ねした」
「どなた?」
ベアのほうはすっかり忘れられていたようだ。
「ユナグールのギルドのベアという。弟子に助言をいただきたくて、伺った」
「彼女の師匠なのね。なにかしら」
「あのね、時間凍結魔法って生き物の時間は長く凍結しておけないって聞いてるんだけど、魔物もだよね?」
「ええ、力の強い魔物ほど足止めできる時間は短くなるわ」
「それは何となくわかっていたんだけど、空間に時間凍結魔法をかけた場合はどうなるの? 同じ? 力の弱い魔物がたくさんいる場合はどうなる? 力の強い弱いって魔力のことでいいのかな?」
「空間?」
インメルが聞き返した。
ベアはトーコの頭に手を置いて黙らせると、言葉を選んで慎重に説明した。他の魔法使い、特に大公に仕えるような高位の魔法使いに手の内を晒すのは気が進まなかったが、だんまりというわけにもいかない。
「ルリチョウの侵入の件は知っていると思うが、町への侵入を阻止するために、時間凍結魔法を施した空間に捕獲した。数千羽か、数万羽か、数十万羽。それをルリチョウの渡りが正常に戻った後に魔の領域へ放鳥したい」
ペンをおいたインメルは吸い取り紙をあてると席を立ち、手振りでふたりに椅子をすすめた。
「面白い試みね。結論からいうと、ルリチョウ単体に時間凍結魔法をかけるのも、周りの空間ごとかけるのも同じことよ。時間凍結の範囲が広がるだけ、後者のほうが早く効果が切れるけれど」
「認識の違いがあるようだ。ルリチョウを周囲の空間ごと時間凍結魔法をかけたのではなく、時間凍結魔法をかけた空間にルリチョウがあとから入った場合、どうなるか知りたい」
「それは、時間凍結魔法をかけた箱にルリチョウを後から入れる、という意味かしら」
「そうだ」
「それは不可能ね」
「「は?」」
ベアとトーコはそろって間抜けな声をあげてしまった。
「不可能ってなんで?」
「どういう意味だ。現に俺たちは時間凍結魔法をかけた空間に物を出し入れしている」
「だとしたら、それは時間凍結魔法ではないわ。時間凍結魔法は文字通りそこにあるものをあるがままに停めおく魔法。何かが入ったら時間凍結とは言えない」
「言葉遊びはいい。仮に偽時間凍結魔法と呼ぶとして、先ほど言った状況でこの魔法の効力はどのくらい保つ」
「その魔法を知らないので、なんとも言えないわね。見せてもらえれば話は別だけれど」
ベアはお茶を飲み干した。
「トーコ、このカップ内の空間に時間凍結魔法をかけてみろ」
「えっと、いつも通りでいいんだよね」
「そうだ」
「できたよ。はい」
ベアはカップをインメルの前に置き、トーコのカップからお茶をスプーンですくって一滴落とした。水滴はカップの淵のラインを通り過ぎると同時に固まって、滴型のお茶がカップの底に転がった。
インメルは黙って自分のお茶を飲み干し、時間凍結魔法をかけた。そして、その上にたらされたお茶の滴は、淵のラインで跳ね返って飛び散った。
「え、ええええ!? なんで!?」
インメルの魔法を見逃すまいと、探査魔法でしっかり見ていたトーコは唖然とした。別段変わりない時間凍結魔法だった。
「あなたの魔法とわたしの魔法は別の魔法のようね。その魔法も興味深いわ。ぜひ教えを乞いたいわ」
「トーコはあなたの兄弟子ケンプフェルの魔法を見て覚えた。あなたが彼と同じ魔法を使うなら、それもおかしい」
「それ以前に、今のはまったく同じ魔法だったよ」
トーコは断言した。
「魔力構成の基本が全く同じだもの」
だから余計にびっくりしている。
「同じ魔法なのに、どうして同じ結果にならないんだろう」
「魔力構成というのは、どういう意味?」
インメルが訊ねた。今までになく鋭い視線が向けられたが、カップに気を取られていたトーコは上の空で答えた。
「魔力を組み立てて魔法にするときの構成が同じってこと。なんでだろう?」
インメルは何かを考えるように指で膝を叩き、おもむろにティースプーンを二本とりあげた。人差し指の上に垂直に立てる。
「このスプーンをよく見てて」
トーコはまた彼女が魔法を使っているらしいので、探査魔法を起動した。と、インメルの指から二本のスプーンが落下した。
「今、わたしが何の魔法を使ったかわかる?」
「右手のスプーンは時間凍結魔法が解除されて自然落下しただけ、左は移動魔法で移動した」
インメルは微笑んだ。トーコは初めて彼女が人間らしい表情を浮かべるのを見た気がした。
「本当に見分けているのね。これが時間凍結魔法をかけるところだったら魔力量で推察している可能性もあったのだけど、解除はね」
「えーと?」
今の実験の意味がよくわからないトーコは首を傾げた。
「ふたつの魔法は同じものである可能性が高いことに納得したわ」
「あ、まだそこで止まってたの」
「検証は慎重にすべきだ。トーコも見習え」
「うん。ところで、ひとつ思いついたんだけど、インメルさんは空間への時間凍結魔法をどういう時に使おうと思って覚えた?」
「留守を守るためかしら。勝手にものを動かされたりしないようにね」
「だからじゃないかな。たぶん、インメルさんは元素、ええと空気ごと時間凍結魔法をかけているんだと思う。だからあとからものを入れようと思っても固定されている空気が邪魔して入れられないんだよ」
トーコはお茶が半分残っている自分のカップに時間凍結魔法をかけた。いつものやり方ではなく、カップのなかにある空気も対象に含める。ティースプーンは凍結された空気にあたって硬い音を立てた。トーコはカップをひっくり返して見せた。
「これがインメルさんがやった空気ごと固定しちゃう方法。中の液体は固定していないけれど、固定した空気で塞いでいるから落ちてこないね。液体内部では動いしてるのが見える?」
インメルはカップを傾けて、茶葉の屑が動くのを認めた。
「で、空気も元素単位でひっくるめて時間凍結すると、こうなる」
トーコは返してもらったカップの魔法をいったん解除して、もう一度かけ直した。
液体のお茶は固まっているが、カップを傾けると、まるごと滑る。淵から出た部分は液体に戻ってこぼれた。
「ね、どっちも同じ魔法だけど、かけている対象が違っただけ。たぶん、わたしはものを出し入れする事を前提に時間凍結魔法を使ったから、無意識にこういう形になったんだと思う」
あーすっきりした。
インメルはまじまじとカップを見つめていた。そして突然、肩を震わせ、低い声で笑い出した。笑いの発作はだんだん大きくなり、しまいには背もたれに頭ののけぞらせてしまった。
「えーと、大丈夫?」
「大丈夫よ。自分が古い考えに凝り固まった老人になりかけているのに気がついただけ。まさか時間凍結魔法の概念を丸ごとひっくり返されるとは思わなかったわ」
「それはお互い様だけど。わたしもこういう使い方は思いつかなかったもの」
「こいつのは完全に独学の自己流だ。大げさにとらないでくれ」
ベアが慎重な口ぶりで言った。
「だからこそ、既成概念にとらわれない魔法の使い方ができるのね」
「単に、時間凍結魔法を使える人が少ないからじゃない? そのうち誰かが気付いたと思うけれど」
「そうね。いずれにせよ、あなたの質問に対する答えをわたくしは持っていないわ。あなたがこれから確かめるしかないわね」
「そりゃ、そうだよね……」
こういう魔法の使い方自体していなかったのだから、知るわけがない。それでもいくつかの助言をくれた。
「今日は久々に楽しかったわ。またいつでもいらっしゃい」
「こちらこそ、ありがとう」
「世話になった」
インメルに見送られてベアとトーコはユナグールへ戻った。
結局振り出しに戻ってしまった。




