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第19話 討伐

 「春だーっ!」

 「まだ早い」

 おたけびをあげるトーコにベアは冷静に返した。

 「ええっ? だって、アカヒの樹皮は春に花が咲く直前に採るんでしょ? だったらもう春なんじゃないの?」

 今日は日ざしも暖かなので余計そう思える。ベアの肩越しに作業を覗き込んでいたトーコはばたばたと両手を振り回した。樹皮をはがすためにアカヒの根元にかがみこんでいるベアは慎重に幹に鉈をあてている。

 「これだけ雪が深いのに、よく春だなんて言えるな」

 「木が水を吸い上げ始めたって、ベアさんも言ったじゃない」

 「それよりちゃんと見ておけ」

 「うん」

 「一度に剥がせるのは幅五十センチくらい。木が枯れるから八十センチ以上はやるな。鉈を入れるのも、樹皮だけ、深く傷つけると枯れるから気をつけろ。慎重すぎるくらいでちょうどいい。一度採ったら、同じ場所からは翌年は採らない。十センチくらい間をあけて別の場所からはがすこと。一番いいのは下から順番にはがしていく事だ。だいたい皆同じようにやるから、間違いがない。ここまで樹皮を採りに来るのはあまりいないと思うが」

 ベアとトーコがいるのは、結晶樹の実を採りにきた森だ。トーコは勝手に千年樹の森と呼んでいる。結晶樹の近くは魔力の淀みがあって魔法が安定しないので、三つ子のホムラギのところへ転移し、そこから移動だ。雪が深くてもボードに乗って走れば移動自体は困難ではない。

 魔の領域に入るのは、年が明けて二度目だ。冬星祭の後、ひと月ほどは果樹の草原を主な採集場にしていたふたりだが、今日から拠点を千年樹の森に移している。どこにどんな木があるのか、どんな地形かを下見がてらだったのだが、ベアには嬉しい樹木も多く、トーコに指示してまわりの木を排除して陽があたるようにしたり、木から栄養を奪う寄生蔦を引きおろしたりと、中々忙しい。

 ベアはいつもと変わらず、無愛想で、疲れた顔だが、これでも生き生きしてい方なのだ。年明けあたりからなにやら鬱屈したものを抱えていたベアが復活してくれただけで、たったひとりのチームメイトとしてはほっとする。

 ベアが慎重に地面と垂直に鉈を入れたアカヒの樹皮は、水平方向に簡単に割け、注意深くむくと、最後はきれいにはがれた。採集した樹皮は丸めてシズクマメの蔓で縛り、封筒に収める。

 「近くに他にアカヒがあるか?」

 「六十メートル北に一本。百メートル東にも一本。北にはミツノキもある。これも樹皮をはがすんだよね?」

 「夏、木が生長の季節になったらな」

 「今採るのは、アカヒのほかに何がある?」

 「ないな。アカヒだけ例外だと覚えておけばいい。北から行くか。今日は森のふちを北へ向かって移動しよう。ある程度行ったら、中に少し入って南へ戻ってくる」

 ボードの機動力を活かしたローラー作戦だ。漏れなく全ての木を回るために、トーコが提案したのだ。最初は効率悪いような気もしたが、ベアとトーコの冬場の採集速度は並みではないので、果樹の草原も一ヶ月かけて、これでくまなく探し回った。相手は自然の成り物なので、時期がずれれば採集できないものもあるが、かなりの成果があった。少なくともトーコには木から木へさまようよりは、全体の地図が頭の中に描きやすくなったのが助かる。

 「いつになったら春なの?」

 ボードで次の場所へ移動しながらトーコは訊ねた。

 「アカヒの花が咲いたら春かもな。あれは雪の中でも咲くような花だが、まあ、景色に花の色が増えるだけで気分はだいぶ違うぞ」

 「へえ」

 日本人の梅や福寿草、ふきのとうみたいなものだろうか。

 「だが、雪が解け始めたら、この雪遊びもおしまいだな」

 「滑りにくくなる?」

 「おそらくな。ま、それ以前に雪解け水が上から落ちてきて、森の中を行くなら雨合羽が必要になる」

 「それは考えなかった!」

 「上から落ちてこなくても、解け始めた雪は重いし、すぐに服が濡れる」

 「服が濡れたらダメなんだよね」

 気化熱で体温を奪われるだけでなく、しもやけや凍傷の原因にもなるので、濡れたらこまめに乾かすというのは、この数ヶ月でベアからも、ヘーゲル夫妻からも叩き込まれている。

 「そうだ。服が濡れるようになったら冬の採集は終わりだな。一度ユナグールへ戻ってゆっくり休んだら、今度は草原湿地帯にでも行くか」

 「ワタリヌマガモ?」

 「ワタリヌマガモはそろそろ繁殖地に向かって飛び立つ頃だ。早い群れは飛び発っているだろう」

 「あ、そか。渡り鳥だからいなくなっちゃうのか。ワタリヌマシギもいなくなる?」

 「ああ。残ったヌマガモとヌマシギが繁殖期を迎える。卵でも採りに行くか」

 トーコは手を打った。卵も嬉しいが、覚えてくれていたのも嬉しい。

 「わーい、卵! 酢漬け卵も美味しいけれど、卵焼きやゆで卵が食べたいよ。何よりゆで卵の燻製が作りたい!」

 ベアの許可が出たので、冬星祭のあと、東門のすぐ外でハルトマンと燻製を作ったのだ。手持ちのまだ捌いていなかったベニマスはすべて冷燻になってハルトマンと山分けした。思いのほかうまくいったので、調子に乗って、角ウサギやワタリヌマガモも燻製にした。

 最初、ハルトマンとトーコの熱の入れようにあきれていたベアだが、試作品を食べてころりと宗旨替えをした。

 燻製は酒好きのヘーゲル医師にも好評で、次はあれを燻製にしてみろ、これはどうだとトーコをけしかけてバベッテにたしなめられていた。ベニマスの卵の塩漬けもいい酒肴になり、以来、トーコの魔の領域入りに寛容になったのは、ベアには内緒だ。

 ヘーゲル医師とバベッテの苦言もあってヘーゲル家には週一で顔を出している。冬の暮らしはのんびりしている。時間があるので、バベッテに料理、というより料理以前の野菜の切り方だとかを教えてもらえるのだ。

 そんな中でトーコが魔物の話を拾ってきた。

 「イノシシ退治?」

 「正確には、ヨツキバオオイノシシ退治。バベッテ姉さんが仲良くしてるシラー夫人の実家は農家なの。夏の間は市に野菜を売りに来ているんだけど、お父さんが襲われて大怪我したんだって」

 「ギルドに討伐依頼は出したのか」

 「まだ出してないって言っていた。でも、人の領域に入り込んだ魔物の駆除はギルドの役目なんでしょ?」

 「建前はな」

 「建前? 本音は?」

 「正式に依頼を出せば無下にはできない。ギルドとしても狩人に強制依頼を出すことになるから、通常の活動を休む狩人はその間稼げないし、ギルドもその分の手数料が消える。せめて日当分くらいは負担してもらわないと。何でもほいほい請けていたらギルドの運営が破たんする」

 「う……」

 世の中って厳しい。トーコは肩を落とした。

 「正式に州や国から要請があれば違うだろうが」

 「そっか、ただの依頼じゃだめなのか。ギルドに相談してみたら、って言っちゃった。魔物が人の領域に入ってくるなんて滅多にないことじゃないの?」

 「新芽が芽吹く直前の、今が一年で一番飢える時だ。餌を求めて領域を超えたんだろう」

 「ふうん。家族でお引越ししちゃったのか。困るなあ」

 ベアは危なっかしい手つきでイモの皮をむいているトーコを見下ろした。手の中のイモよりも落ちた皮の総量のほうが多いようなのはきっと気のせいだ。

 「どういう意味だ? ヨツキバオオイノシシは一頭じゃないのか」

 「一頭だと思っていたら、もう一頭いて追いかけられたって。納屋を壊されて、中の種イモを食べられたって言ってたよ」

 「秋に親離れしたきょうだいかもな。もしも依頼があったら、他に請け手がいなければだが、請けるとギルドに伝えていいぞ」

 「ほんと!? ありがとう、ベアさん!」

 「ナイフを振り回すな」

 「シラー夫人のお父さんとお母さんとは冬星祭でおしゃべりしたんだ。おイモのこととか、野菜のこととか教えてもらったよ。大怪我したって聞いて心配だったの。お見舞いに行けるといいなあ」

 聞いちゃいない。

 「人の領域は魔物にとって居心地がいい場所じゃない。雪が解けたら、勝手に魔の領域に戻ると思うがな」

 昼時の何気ない会話だったのに、数日後、ギルドから戻ったトーコは爆弾を持ち帰った。

 「アムル村近郊のヨツキバオオイノシシ二頭、州境の山に棲みついたダイコクチョウ、街道沿いのチョウロウクロネコ。なんだこれは」

 「これも一緒に請けてって。全部近い場所だって受付のおじさんが言っていたよ」

 「どこが近場だ。街道といっても、出たのは隣の州じゃないか」

 憮然としつつも、得心がいかない。

 「これ、全部本当に依頼か? ガセじゃないのか」

 「がせってなに?」

 「偽の情報や、見間違いが混じっていないか」

 「一応ギルドに依頼を出してるんだから、お金を無駄にする理由が分からないよ。今回は依頼人に会って話を聞かなきゃいけないから、連絡先も聞いているけれど、村の人がお金を出し合ってそんなことするかな。街道のは途中の町三つの合同依頼だし。いたずらには大げさだと思う」

 「だとしたら、この数は尋常じゃない。秋に豊作だったせいで冬を越した個体数が多いだけだろうが、普通だったら、チョウロウクロネコが人の領域に出たなんて、それだけで大騒ぎになる」

 「だから大騒ぎになってるみたい」

 「軍は動かないのか? 少なくとも街道の安全は連中にも無関係じゃないだろう」

 そこまではトーコも知らないので、ともかく雪の中、出かけるしかない。シラー夫人が案内を買って出てくれたので、町の西端まで乗合馬車で行き、そこでボードに乗り換える。

 乗り慣れないシラー夫人のためにそりというかスノーモービルというか、座って風をあまり受けずに乗れるように改造したボードで街道の脇を走りながら、灰色の空を見上げる。今にも小雪がちらつきそうだ。

 シラー夫人の指示で、途中で街道を外れ、雪原をひた走ること一時間。大きく屋根が張り出した農家に到着した。

 「速いわねえ!」

 「雪のおかげだよ」

 「でも、吹雪に備えて、鈴か何かをつけたほうがいいわよ。視界が悪いときにほかのそりと行き会ってぶつかったら困るでしょ」

 「なるほど、鈴ね」

 普段、滅多に人に会わない魔の領域で乗っているので、その発想はなかった。トーコはしっかりメモした。

 シラー夫人の両親と弟夫婦と子どもたちは突然の訪問に驚いたが、ギルドから派遣されてきたベアとトーコを歓迎してくれた。トーコは冬星祭でシラー夫人の両親と面識があるので、なおのことだ。

 「トーコ、近くに魔物は」

 シラー夫人の父親が魔物に追われて納屋の屋根から飛び降りた時に折った足を診ていたトーコは顔をあげた。

 「半径千メートル以内にはいない。人の領域って魔力のあるものが少ないから、ゲルニーク塩沼なみに魔物を探しやすいね」

 「それじゃあ、ヨツキバオオイノシシを見た場所へ案内してくれ。まずは納屋から見せてもらおう」

 シラー夫人の弟が納屋に案内してくれた。ヨツキバオオイノシシに壊されたらしい扉に応急処置の板が打ち付けてある。ベアはヨツキバオオイノシシのつけた傷を念入りに調べた。

 「下から牙があたった痕だ。大きさからいっても人の領域の野生のイノシシじゃない」

 「うちだけじゃなくて、隣の家もおとといやられたよ。見に行くかい」

 「見せてもらおう」

 隣家と言ってもかなりの距離がある。途中で、村長と村役場に顔を出したとはいえ、スノーモービル形態の障壁に乗って移動しなくては、それだけで半日終わりそうな場所だ。

 案内役のシラー夫人の弟が隣人に引き合わせ、納屋を見せてもらう。

 「納屋にいた雌豚もやられたんだ。助けに行きたかったんだが」

 「行かないで正解だ。相手は雑食の大型獣だ。人だって食う。にしても、これは人の家には食料があると学習したな」

 早々に駆除しないとまずいだろう。種イモと種豚をやられた農家にとっては死活問題だが、本当の人死にが出る前に手を打つ必要がある。

 「今のところ、人は襲ってないな」

 シラー夫人の弟とお隣さんは顔を見合わせて首を振った。

 「ただ、冬の間は頻繁に行き来できるわけじゃないから、他までは」

 「なるほど。トーコ」

 「近くにはいないよ」

 こういう時、本職の狩人ならば追跡するのだろうが、二日前の跡をベアにどこまで追えるかわからない。トーコなどはなから探査魔法頼みだ。

 「親父さんが襲われた場所は後回しにして、こっちを追う。あんたはどうする。家に戻るなら先に送るが」

 シラー夫人の弟もついてくるというので、三人でスノーモービル型ボードに乗り込む。

 重量のあるヨツキバオオイノシシは雪の上にしっかりと痕跡を残しているので、追いかけるのはそこまで難しくない。ただ、時間が経っているので、途切れている可能性はある。

 跡を追って雪原を走り、森の中に入る。もともとヨツキバオオイノシシは森が好きだ。木を避けながら地形を読んでヨツキバオオイノシシの痕跡を見失わないようにボードを走らせるのは結構大変だ。

 「跡は一頭だけだな」

 「もう一頭は一緒じゃないのかな。どこ行っちゃったんだろうね」

 休憩のためにボードをとめ、鍋を出しながらトーコも首をかしげる。レンチンした長むかごの皮をむき、玉ねぎ、ニンジン、角ウサギの肉と一緒に小さく刻んで鍋に入れる。軽く炒めてから水を投入し、煮あがったら最後に酢漬け卵を落として出来上がりだ。

 「うちまで追ってきたのも一頭だけだし、ひょっとして親父が慌てて見間違えたのかも」

ベアと一緒にヨツキバオオイノシシの跡を調べていたシラー夫人の弟が振り返って答えた。その目が宙に浮く鍋にくぎ付けになる。

「空飛ぶ鍋って不思議だね」

「雪の上で火を焚くより楽だよ? ベアさーん、ごはんにしよ」

三人ともオオグルミの丼を抱えてしばし無言で熱い汁ものをすする。料理人の腕がいまいちでも、暖かいのが何よりのごちそうだ。

一休みしてまたボードを走らせる。森の中に獣道はいくつもあるが、ヨツキバオオイノシシの体幅は大きいので、見失うことはない。しかし、なかなか見つからない。

「これ以上深く入ると日のあるうちに森から抜けられなくなる」

 シラー夫人の弟が警告した。

「俺たちは野営するが、あんたは戻るならトーコに送らせよう」

「ここで野宿? 真冬だぞ」

「慣れている。問題ない」

「準備もちゃんとしてるから心配しなくても大丈夫だよ。っと、いた」

ボードの一段高くなった後部座席から見下ろしていたトーコが静かに減速させた。

「この先か?」

「ううん、右手に七百メートル」

「先にそっちを仕留める。あとでここへ戻ってこれるように覚えておけ」

「わかった」

トーコはボードの右側に荷重をかけ、緩やかに木々を避けてターンをした。

「あとちょっとだよ」

「仕留めるのは、目視で確認してからだ」

「うん、わかった。あれだね」

ベアの目にも雪の上を半ば埋もれながら進むヨツキバオオイノシシの茶色い毛皮が見えた。大きなオスだ。顔には傷が、牙は片方が半分欠けていて貫録十分だ。

「少し離れて回れ。ボードの移動は止めるな」

「うん」

ボードは緩やかに弧を描いてヨツキバオオイノシシの周りに半円を描く。ヨツキバオオイノシシが甲高い警戒音を発した。

「いいぞ。倒して回収しろ」

ベアの言葉と同時にヨツキバオオイノシシの警戒音が途切れた。横倒しになる直前にトーコのポーチに吸い込まれた。

「このままさっきの道に戻る。念のためそちらも追いかけるぞ」

追いかけて正解だった。こちらも三十分ほど先で、ちょうど反対側から来るところに行き会った。同じようにベアが確認して、トーコが回収する。

「依頼の二頭完了だね」

時間も遅いので転移魔法でシラー夫人の実家に戻る。遅いので皆が心配していた。庭先にヨツキバオオイノシシを二体並べて検分してもらう。みんなその大きさに感嘆するばかりだ。

「お父さん、こんなのに追いかけられてよく無事だったわねえ」

トーコは遠くから安全確実に仕留めることができるが、これに追いかけらたらたまらないと思う。

「逃げ込んだのがイモのあった納屋で命拾いしたようなもんだよ。そっちに気を取られてくれたからなあ」

しみじみとシラー夫人の父親が言い、ほっとした空気が流れた。

「今日は泊まっていくだろう?」

「そうさせてもらうと助かる」

「寒かったけれど、一日で終わってよかった。明日は街道沿い?」

「いや、明日もここだ」

トーコはびっくりした。

「どうして?」

「このヨツキバオオイノシシは牙が折れている。最近折れたものじゃない。そしてもう一頭は若いメスだったろう。メスの牙で納屋にあの傷はつかない。へたするともう一頭いる可能性がある」

全員がいっせいに倒れたヨツキバオオイノシシを見やった。メスにも牙はあるがオスほど大きくない。若いのでなおのこと牙も小さい。

「ベアさん、わたし、魔物は人の領域に入らないって聞いていたんだけど。例外が多すぎない?」

「前にも言ったが、秋の豊作のツケかもな、としか言いようがない」

そしてベアの言う通り、三頭目のヨツキバオオイノシシが出たと翌朝村人が飛び込んできた。遅まきながら現物を見せて村長と村役場に二頭駆除を報告していたおりだった。

春からの農作業に備えて畑の柵を直していたところ、ヨツキバオオイノシシが森から現れて、突進してきたという。距離があったので散り散りに逃げた。彼は森の木によじ登り、父親と弟が家に向かって走ったが、ヨツキバオオイノシシがそのあとを追いかけていったそうだ。

「トーコ!」

「乗って!」

トーコは問答無用で助けを求めに来た若者を移動魔法でボードに積み込み、彼が走ってきたほうへ飛ばした。

「家はどこだ。指示しろ」

若者は座席でひっくり返ったまま仰天していたが、ベアが胸倉をつかんで引き起こした。

「俺たちはギルドから派遣された魔法使いだ。こいつは治癒魔法の名手だ。家はどこだ。急げば間に合うかもしれん」

若者がかろうじて手で方向を示し、トーコはスピードをあげ、対魔物と人間の二種類の探査魔法を展開した。

嫌な感じだ。いつものベアなら自分たちの能力をひけらかしたり、誇張したりしない。

シラー夫人の父親を追いかけたヨツキバオオイノシシは人の建物の中にまで入り込んだ。そして、彼と家族が会ったヨツキバオオイノシシは人間の姿を見て追いかけた。

どうか、どうか、ベアの示唆が当たっていませんように。

「トーコ、状況によっては目視確認を待たずに仕留めろ。間違うなよ」

「大丈夫。……いた」

人と魔物の距離がごく近い。不吉な近さだ。ヨツキバオオイノシシの魔力を感知すると同時に魔力を送り込んで脳の一部を焼き切る。結果が返るのを待たずに人のほうに魔力を送り込み、止血と体温を維持する。治癒にかかれるほどの体力がない。虫の息というのだろうか。大量の魔力を送り込んだ治癒魔法でも間に合わない。でも。

トーコは腰のポーチを手で押さえた。

「ベアさん、先に行く」

「気をつけろ」

「うん」

トーコはボードを走らせる魔力を断ち切ってコントロールをベアに任せると、自分はポーチからひとり乗り用のボードを呼び出し、飛び乗った。流線型の障壁魔法を纏って空を走る。魔力は消耗するが、摩擦抵抗が少ないのでスピードは出る。

目指す民家があっという間に視界に入り、大きくなる。ボードのスピードは緩めず、タイミングを見計らって飛び降りる。移動魔法で着地し、飛び去ったボードの障壁を解除する。半壊した扉からヨツキバオオイノシシの巨体を封筒の中にどかして中へ入る。血と、それだけではない凄惨な臭気。トーコは血だまりを飛び越えて倒れた男の頭のそばに膝をついた。ポーチから呼び出した瓶をひっつかみ、竜の血を一粒、ふり出してそのまま男の口の中に押し込む。

男の目は開いていたが焦点が定まっていない。かすかに上下する胸に合わせて臭気が広がる。呼吸が弱いので、男の顔の周りの空気の酸素濃度を上げる。

「しっかり!」

男の腹からこぼれた臓物を見ないようにトーコは男の視線の先に顔を寄せた。

「わたしの顔が見える!?」

氷が溶けた。トーコは移動魔法で強引に男のどにわずかな液体を押し込んだ。探査魔法で探る間もなく、火竜の血が効果を発する。不思議だ。まだ栄養を吸収する小腸に達していないのに、どうやって人の体に竜の魔力が吸収されているんだろうか。触っただけで効果を発するのだろうか。

みるみるうちに、傷が癒えていく。トーコの治癒魔法は圧倒的な魔力に押しつぶされるように飲み込まれた。しかし、癒しきれないうちに、溢れる魔力の流れが止まりそうになる。足りない。トーコは慌ててもう一つを溶かして男の喉に押し込んだ。

引きずり出された臓物が癒えると同時に自然の力に引っ張られてあるべき場所へ戻っていく。ありえない復元力だ。実際に目の当たりにしたことのあるトーコでさえ信じられない、まさに奇跡のような力。

あともうひと押しのところで竜の血の効果が切れかけ、三つ目を追加する。膨大な魔力が瀕死の重傷を癒しきる。しかし、状況は予断を許さない。傷は癒えても、足りない血は簡単に戻らない。余った魔力がそれ以上働くことなく流れ出るのを確認して、トーコは即座に増血魔法をかけた。体力はだいぶ戻っているので、躊躇しない。食いちぎられた臓器さえ元通りになるのに、足りない血は補ってくれないとは全くメカニズムが不明だ。

そこへ雪を踏む音がして、若者が駆け込んできた。

「親父!」

「動かさないで!」

トーコは倒れた男に縋り付こうとした若者を慌てて制した。

「ヨツキバオオイノシシは」

後から入ってきたベアが訊ねた。その冷静な声音にトーコは心の底から安堵した。

「封筒に入れた。どうしよう、ベアさん。血が足りないの」

「この血はその男のものか」

「たぶん、そう」

ベアは内心で顔をしかめた。この出血で助かるかどうかは運だろう。

「治癒の状況は」

「竜の血を三つ使ったから傷は治っているし、肉や臓器も元通りだけど、危険な状況。体力はだいぶ戻ったから、今それを使ってぎりぎりまで増血しようとしてる」

ベアは頷いて、若者に火を熾して鍋に湯を沸かすように命じた。

「あんた!」

甲高い悲鳴がして、二階に通じる梯子から女が転がるように降りてきた。おそらく、避難していた家人がひとの声が聞こえたので覗きに来たのだろう。トーコはもう一度押しとどめることになった。

「血が足りなくて、体温が維持できないの。今は魔法で温めているけれど、それでも危ないの」

二階に隠れていた若者の弟妹たちと老婆も降りてきた。

「この人が休める場所を作ってくれる?」

若者が納屋から干し草を取ってきて暖炉の近くに寝床を作った。トーコはシーツはなくても、シーツ用の布はあったのを思い出して、以前帝国商人から手に入れた木箱を取り出した。農家のおかみさんに手伝ってもらって麻布を切り取る。縫っている暇はないので、干し草を覆って端を結び合わせただけの簡易なものだ。

移動魔法でそっと運び、寝かせると、家族が心配そうに囲んだ。

ベアが家人に薬湯の作り方を教えて、床を洗うトーコのそばに立って壊れたドアを見やった。

「派手に壊されたな」

「寒いから今は障壁魔法でふさいでいる。どのみち、あの人の意識が戻るまでは体温と酸素濃度を維持しなきゃならないからここを動けないんだけど」

「俺は村長と村役場にこの件を知らせに行く。ついでに医者を呼んで、男手を借りてくるからボードを貸せ」

「ひとりで乗れる?」

「なんとかなるだろう。今頃、大騒ぎだろうから、知らせんわけにもいかん。それにたぶん、捜索の必要がある」

「何を探すの? まさか他にもヨツキバオオイノシシがいるなんて言わないよね」

「他に襲われた家があるはずだ。随分しつこくドアを壊そうとした跡があるだろう。ドアは壊れるもので、中には食料があることを学習している可能性がある」

どこで学習したのか。怖くてトーコは聞けなかった。このヨツキバオオイノシシは人を襲うことに慣れている。人食い魔物の入った封筒を持って雪上を滑り去るベアを見送って、トーコはめちゃくちゃになった家の中を見回した。取り敢えず、バリケードを作るために倒されていたらしいテーブルを起こし、椅子も戻す。

床に散った花瓶の破片はまとめて紙に包み、鉈は洗って子どもたちの手の届かない棚の上に置いた。

思いついて、ずっと使っていなかった革水筒にお湯を詰めて、男の脇に挟ませる。

「それは?」

さじで薬湯を飲ませようとしていたおかみさんが不安そうに訊ねた。

「ただのお湯。太い血管があるところに置いて体を温めるの。他にこういうのがあったら、反対側もやれるんだけど」

老婆が探しに立った。

「薬湯、飲んでくれている?」

「それが、ダメで」

「貸して」

器の中身は殆ど冷めている。トーコは人肌に温め直し、探査魔法で探った。一口分を移動魔法で男の口からのどに流そうとするが、気管が開いてしまってうまくいかない。点滴とか、輸血とか、そんなことは今望めない以上、トーコはトーコにできることをやるしかない。少量を慎重に胃の中に直接転移させる。様子を見ながら、少しずつ四回。それでやっとコップ半分くらいだ。

「今、胃の中に直接薬湯を入れた。時間をおいてまたやってみる」

老婆が探してきた革袋にお湯を入れて、これも男の脇に入れる。

「布団もっとかけたほうがいいでしょうか」

おかみさんが心配そうに訊いた。

「体温の維持は魔法でやっているけど、あった方がいいと思う」

問題は布団と毛布が重いことだ。革袋を入れるために持ち上げた上掛けと毛布の重いこと。病人にはちょっと辛いんじゃなかろうか。迷ってから、トーコはポーチからワタリヌマガモの羽毛の上掛けを出した。

「これ貸してあげる。でも、大事なものだから帰るときに返してね」

みみっちく念押ししてから男の掛布団を取り換える。

「あの、手を握ってやってもいいですかね」

「いいと思う。わたし医者じゃないから、そんな丁寧に話す必要ないよ」

「主人は助かるでしょうか」

おかみさんは変わらず丁寧な口調で、すがるようにトーコを見上げた。トーコは正直に答えるしかなかった。医者ではないが、彼女の夫を診た以上は説明する義務がある。

「分からない。今はとても呼吸が浅くて、血液が足りない状況なの。水分はさっき飲んでもらったけれど、全然足りない状況。人間の血は骨の中で作られるんだけど、その機能を強化する魔法を使っているのね。だけど、効果が現れるのに時間がかかるの。だからあまり水分を入れすぎても血が薄まって十分に機能しない危険がある」

ああ困った。トーコの見立て能力じゃヘーゲル医師のようにうまく安心させてあげることも、心の準備をさせることもできない。

「今は、その足りない機能を補うために、魔法で体温の維持や呼吸を補助し続けている状態。ご主人が自力で十分な呼吸をしたり、体温を維持できない状況が長く続くと厳しい。魔法だけじゃ限界があるの。ご主人自身の回復力にかかっているの。だから、手を握って、励ましてあげて」

おかみさんは真剣な顔でうなづくと、上掛けの下に手をさし入れた。

彼らから離れ、トーコは息を吐いた。状況は厳しい。男が回復しても、後遺症が残らないとは言い切れない。

「何やってるの?」

暖炉と鍋を借りて勝手に昼食を作っていると、小さい女の子がトーコのローブを引っ張った。

「お母さんとお婆ちゃんが今、お父さんのお世話で忙しいからね、代わりにお昼を作っている。嫌いなものとか食べられないものある?」

「おかゆ、きらい」

「おかゆは胃に優しくていいんだけどな」

寒い日にはおいしそうだ。今度バベッテに教えてもらおう。

「炭水化物はおイモかむかごかパンか」

「パンがいい」

「ぼくも!」

いつの間にかもうひとりの子が女の子の反対側からトーコにくっついてテーブルの上を背伸びして見る。

「しー。小さい声でね。了解。パンを切るのは最後ね。先にスープを作ろう」

角ウサギの肉やイシウリなど魔の領域の食材を珍しがる子どもたちにあれこれ話して気を引く。この子たちは魔物に追われて怖い思いをしたのだ。そんなことは忘れるに限る。なるべく楽しいこと、面白いことを考えたほうがいい。父親があんなことになって不安でないわけないのだから。

「いい匂い」

 十分熱くなった鍋で肉の表面を焼き付けていると、トーコにくっついていた子どもたちが鼻をうごめかせた。続いて三人のお腹が鳴る。くすくす笑いあって、小さく切って中まで火を通した肉のかけらをひとつづつ味見する。つまみ食いが一番美味しいのは世界共通の真理だ。

 鍋を煮ている間に小さい子たちに手伝ってもらってテーブルにスプーンや皿を並べ、ジャムやバターを出す。小さい子の食事の世話までは自信ないので、おかみさんと老婆に声をかける。

 「お昼ができたから交代で食べて。たくさんあるから、おかわりしてね」

負傷した父親に代わって家畜の世話をしにいっていた若者も薪を抱えて戻ってきたので、彼にも食卓に着いてもらう。トーコはその間に革袋のお湯を温めなおし、薬湯を男の胃に転移させた。増血魔法の効果はやっと現れてきた。男の残存体力を見ながら随時魔法を追加しているが、今のところ体力に余裕はある。これ以上やれることがないのが残念なほどだ。

ヘーゲル医師に力を貸してもらいたいところだが、魔法を切らすわけにはいかないので、彼を呼びに今ここを離れることはできない。

男の意識が戻らないのは眠っているのか昏倒しているのか判断できないので、今しばらくは待つしかない。全員の食事が終わるとすることがなくなってしまった。

おかみさんと老婆は再び男の浅い呼吸に耳を傾け、若者は壊れた柵の修理に行った。トーコが小さい子たちに手伝ってもらって、シズクマメを鞘から外していると、鈴の音がして家の前で止まった。ベアの言っていた人手が来たのだった。ベアはそのまま医者を迎えに行ったという。

村人たちは若者を手伝ってヨツキバオオイノシシに壊された家の周りを囲う柵を直しにかかった。家の扉も壊れたままだが、こちらはトーコが障壁魔法で覆っているので、外を優先してもらう。力任せになぎ倒されているので、倒れた主杭をもう一度地面にさし直して、小枝を編むようにして面を作っていく。材料はそのまま再利用できるが、地面が凍っているので、大変そうだ。

ベアの魔力を探知したので、退屈している小さい子たちを連れてトーコは表に出た。

「どうだ」

ベアはボードから降りる医者に手を貸しながら訊ねた。トーコはベアと医者に向かって状況を説明した。医者は一家と顔見知りらしかった。トーコが預かった外套を壁の釘に掛けている間に、食い破られたままの衣服とその下の治癒した体を調べ、脈をとった。

「医師、どうなんでしょう」

女が不安な面持ちで訊ねた。

「脈がとても弱い。助からないかもしれない」

トーコにはとても言えなかったことを医者ははっきりと家族に告げた。さすがにトーコとは経験値とプロ意識が違う。

「医師、意識がないから自分で薬湯が飲めないの。胃にコップ半分くらいの量を四回に分けて直接転移させているんだけど、これは続けて平気?」

「転移? 魔法で直接胃の中に入れているのかね」

「うん、そう」

「胃を傷つけないようにできるなら、大丈夫だろう」

「薬湯だけじゃなくておかゆとかはどうかな」

「意識が戻らないうちはやめなさい」

「じゃあ、砂糖水や蜂蜜ならどうかな。薬湯と一緒にするとか」

「塩分も採らせたほうがいい」

「量はどのくらい?」

「スープの濃さで」

トーコは矢継ぎ早に医者に質問し、メモを取った。暖かくして安静にするようにと言い置いて、医者は病人の傍を立った。

「医師、お昼時だったでしょ、スープを食べて体を温めていかない? ベアさんもまだでしょ」

まだ質問したそうなトーコが誘った。ベアも乗った。

「またこれから吹きさらしの中を移動ですから、そうしてください。何を作ったんだ?」

「角ウサギとイシウリのスープ。ずっと温めているからイシウリは柔らかくなりすぎているかもなんだけど」

「角ウサギとは珍しい。お言葉に甘えようかね」

トーコはスープをよそう間に子どもたちに頼んでジャムを小鉢に出してもらった。医者に敬意を表してさっきの食べかけではない新しいバターとチーズを出してナイフを添える。ベアが焼きたてのパンを切る。

「魔物の肉も旨いものだね。このジャムは食べたことがないな」

「マーマレードはユキカンと黒砂糖だよ。ユキカンはギルドへの依頼にもほとんど出ないから珍しいかも。でも角ウサギは普通じゃない?」

トーコは首を傾げた。角ウサギの肉なんて庶民に手の届く価格で流通している。

「トーコはユナグールの東区しか知らないからな」

「他では違うの?」

「構成員総勢で狩りにかかったとしても、捕獲数なんてたかが知れている。ギルド膝元の東区では安価に出回っているが、金持ちの保養地の西区では薬膳扱いでいい値段がする」

「ひとつの町なのに!?」

「ユナグールも広いからな」

知らなかった。ひとつの町だからと侮っていた。流通って深い……。トーコが衝撃を受けている横で、ベアが塩加減がいまいち、とスープの味付けに裁定をくだした。

「トーコ、暇なら外の手伝いの連中にもなにか暖かいものを用意しろ。俺はこれから医師を送ってくる」

「うん、わかった。気をつけていってらっしゃい」

「お前も気をつけろ。三頭もヨツキバオオイノシシがいたんだ。まだいても驚かん」

「三頭で打ち止めになってほしい」

「当然だ。<深い森>でだって、簡単には遭遇しないのに、これ以上は勘弁してもらいたいところだ」

「魔物が人の領域に侵入するのは大事だが、三頭のヨツキバオオイノシシは一緒に行動していたものがはぐれたのかね?」

「違うと思います。母子は集団で行動しますが、それも初冬まで。まして今回捕獲したのは五歳のオスと昨年生まれた若いオス。このオス同士が一緒に行動することはないんです。これまでに村に魔物が現れたことは?」

「ここも魔の領域に近い。まれに魔鳥なんかが迷い込んできて家畜を襲うことはあるが、こんな風に被害が連続するなんて滅多にない」

「魔物を引き寄せるようなものが村にあったりは」

「ベアさん、どうして? 今年は越冬した魔物が多いから迷い出たんだじゃないの?」

「だとしても数が異常だ」

ベアは繰り返し強調した。この国に来てやっと一年のトーコには事の重大さがいまひとつ飲み込めていないようだが、これは異常な事態だ。

「異常なのは分かるけれど。だから、他に二つも魔物駆除を掛け持ちしなきゃならないんでしょ」

「他にも魔物が出ているのかね」

トーコは自分たちが請けている依頼を説明した。それだけで広い範囲に魔物が迷い出していることが分かる。

「君たちはここでの依頼は完了なのか? あとどれくらい彼の面倒を見られる?」

「二日くらいは残りますが、それ以上はお約束しかねます。残る依頼の魔物も人を襲っているので、早めに駆除しないと、彼のような犠牲がでます」

「やむをえんだろうな……」

医者は難しい顔だ。トーコも目を覚ますまでついていてあげたいが、ずっとというわけにはいかない。あんな状況から生還したのは奇跡だが、見えないところに障害が残っていないとは言い切れないのだ。自力で呼吸しているのだから、植物状態ではないと思うのだが。

ベアが医者を送りに家を出た時には、表にご近所の男手がかなり集まっていた。トーコは小さい子たちに雪の下に埋もれている庭の構成を聞いて、花壇を避けて湿地で使った出張査定所を設置した。子どもたちが面白がってよじ登るのを探査魔法で見張りながら、竈や鍋を取り出す。小さい子が火に近寄らないように障壁を張ったりして、けっこう気を遣う。

さて、何を作ろうか。トーコはポーチをのぞき込んだ。暖かいものがいいに決まっているが、人数がいるのでいつもの鋳物鍋では追いつかない。鍋では暖かいお茶を沸かすことにしよう。すると残る選択肢はギルドの納会でやったバーベキューか。よし。

「たれに漬け込んだ角ウサギもまだある。これを串に刺して、と。タマネギもっと買っておけばよかったな。キノコは焼きに向いてるのはやっぱサジンダケとタイラダケかな。イシウリも薄くスライスしたら焼けないかな。むかごはやっぱりクリムカゴのほうだよね。あとはえーと、あ、納会で教えてもらった焼きツキリンゴ!」

ぶつぶつ呟くトーコのポーチから食材が飛び出して風魔法で切り分けられ、肉と野菜が交互にオオハリグリのイガの串にささっていくのを小さい子たちが歓声をあげて眺めた。

 医者を送ったベアが戻ってきたときにはバーベキューの準備はすっかり出来上がっていた。柵は大方修理が終わっていたので、ベアは若者に声をかけ、作業を終わりにさせた。

 「あんなことのあった後だ。片づけはいいから、暗くなり始める前に帰ってもらえ」

 串焼きを火に並べ、トーコは暖かいお茶を配った。片手で手づかみで食べられる串焼きはこういうとき便利だ。

 「どでかいイノシシだったって?」

 「人を食う魔物が出るなんてなあ。しかも一頭じゃないんだろ?」

 村人がベアに訊ねた。

 「三頭だ。全部が人を襲ったかは分からんが、この冬は迷い出る魔物が多いようだ。三頭退治したからと言って、他にもいないとは言い切れないから、気を付けてくれ。ヨツキバオオイノシシだったら、気が付かれる前なら高いとこへ逃げるといい。上には注意を払わないから。だが、見つかったら、細い木なら体当たりで折られるから少々遠くても、太い木のほうが安全だ」

 「家畜もあっちこっちでやられて、たまらんね」

 「こんなにたくさん魔物が出てくるなんて聞いたことがない」

 「昨年の秋が豊作だった影響かもしれん。雪が解ければ勝手に魔の領域に戻っていくだろうが、それまでは用心したほうがいい。ところで、最近行き来のない人間はいないか? あのイノシシは知らないところで人を襲っている気がしてならないんだが」

 村人たちは顔を見合わせて口々にご近所を上げていく。

 「あとは、水車小屋の池の先の偏屈婆さんくらいか。元々誰とも付き合いなんかないしな」

 「明日、その人たちの家を訪ねたい。誰か案内してくれないか」

 「いいとも」

 「普段はどのくらい魔物は出るんだ? 魔の領域から距離はそんなにないだろう」

 「そうさなあ。夏に、向うに見えてる山に、羊や山羊を預けるんだが、一昨年、大きな鳥の魔物が来てさらわれたって、羊飼いが言ってたな」

 その口ぶりから、あまり脅威は感じていないようだ。ベアは偶然三頭のヨツキバオオイノシシが同じ村に入り込んだことにまだこだわっているようだった。

 家の主の容体が不安定なので、みんな自然と低い声で話す。

 「あ、目を覚ましたみたい」

 トーコが農家を振り返った。そのまま、走っていくトーコを子どもたちが追いかける。杭を打つ音が結構うるさいので、軽く消音効果のある障壁を入り口に張っていたのだが、それを通り抜けると、おかみさんとお婆さんが男に呼びかけているのが聞こえた。

 「目を覚ましたんだね。良かった」

 目を覚ました男は頭を動かし、トーコを見た。視線が定まりにくいのか、目をすがめていたが、トーコはほっとした。

 あとから入ってきたベアが男の上にかがみこんだ。

 「俺たちはギルドから派遣されてきた。あんたを襲ったヨツキバオオイノシシは駆除した。ヨツキバオオイノシシに襲われたのは覚えているか?」

 男は答えようとし、掠れた声が漏れただけだったので、首を縦に振ってみせた。

 「無理にしゃべらなくていい。俺の指を目で追えるか」

 ベアは男の顔の前でゆっくりと指を振り、男の視線がそれを追いかけるのを確認した。意識がはっきりしているのはよい兆候だ。

 「寒いか? 水薬は飲めるか? 粥は食べられるか?」

 男はすべての質問に頷いた。その視線が不安そうに何かを探すようにさまよった。

 「家族は全員無事だ。あんたの息子が早く知らせてくれたから、助かったんだ。息子は今、村のひとたちと柵を直している」

 男は安堵したように息を吐いた。

 「粥と薬の用意ができるまで、そのまま少し眠るといい」

 男は素直に目を閉じた。おかみさんとお婆さんが粥と薬の用意に立ったので、ベアは若者を呼んで、弟妹達の子守と父親の見守りを命じた。心配そうに入り口からのぞき込んでいた村人たちに取り敢えず意識が戻ったことを伝え、今日はお開きとする。

 「トーコ、台所はまだ出しておいていい。オオグルミの器をひとつくれ」

 ベアは角ウサギを三羽出すと、その場で腹にナイフを入れた。目当てのものだけ取り出してオオグルミの殻に入れた。

 「食べられるようなら、これを食わせてやれ」

 「あ、レバー。そっか、そうだよね。さすがベアさん」

 貧血の時にはレバーとホウレンソウだ。すっかり忘れていた。

 「それも魔物かい」

 ベアは明日案内してくれるという男と、同じ方面に帰る者をふたり、送ると言って残らせていた。彼らは角の生えたウサギを珍しそうに見ている。

 「角ウサギという魔物だ」

 「それって、去年の秋になんだか大騒ぎしていた魔物じゃないか?」

 ひとりが言えば、そういえば、と他の者も頷く。

 「そうだ」

 「えらく、ちっこい魔物もいたもんだなあ」

 巨大なイノシシの後のなので余計にそう見えるだろう。

 「小さいが、大発生して集団になると狂暴になって手におえない。草食性の魔物だから、一羽、二羽で見かけたら捕まえて食ってしまっていい」

 「食えるのか、それ」

「食べ方は普通のウサギと同じだ。ユナグールでは普通に肉屋で売っている。良ければ持っていくか」

「いいのかい、魔物の肉ってのは高価な薬じゃなかったけか」

「一部の大型肉食獣はな。これくらいはユナグールの東区では庶民の食べ物だ」

「ほう、魔物にも色々あるんだな」

 魔の領域と縁のない人間には魔物なんてその程度の認識だ。彼らは肝臓を抜かれた角ウサギを一羽ずつ貰った。

 「トーコ、ここは片づけていいぞ。俺は彼らを送ってくる。周囲に気をつけておけ」

 「わかった。ベアさんも気をつけて」

まるで魔の領域にいるかのように慎重なベアを見て、トーコもその晩は人の領域にいるにも関わらず、探査魔法と家を覆う障壁魔法を稼働させることにした。

 目覚めた男は見る見るうちに良くなっていった。貧血気味なのは仕方がないが、食欲もあって、よく眠れるようなのでもう心配はいらなそうだった。念のため一日様子を見て、魔法なしで大丈夫なことを確認して、ベアとトーコは村を後にした。

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