第3話 ギルド構成員見習い始めました
自他共に認めるお寝坊のトーコがその日は誰に起こされるまでもなく目が覚め、ベアが来たときには準備万端整っていた。
「お弁当持った?」
「持った」
「薬も持った? 忘れ物はない?」
「大丈夫。ない」
「本当に大丈夫か?」
「……あんまり大丈夫じゃないかも。緊張でお腹いたくなってきた……。ベアさん、今日はよろしくお願いします」
「ああ」
短く返答をするとベアはヘーゲル家の四女、夫人、ヘーゲル医師に見送られて歩き出した。魔の領域に入る前には必ず魔の領域への入域管理ギルド、通称ギルドに届けを出す。ヘーゲル医師の自宅兼診療所はギルドよりも東門に近いので、ベアにとっては少し後戻りすることになる。
早朝のギルドは夕方ほどではないが、混んでいる。ベアは前日話をしておいたギルド職員を見つけ、普段は用のないカウンターへ回った。すぐに職員が来て、所定の用紙を広げる。
「登録するのは彼女だ」
「昨日言ってたヘーゲル医師のとこの子だね。名前は?」
「トーコです」
「誕生日と年齢を」
「三月三日、十四歳です」
「十五歳になるまでは単独での入域は認められない。入るときは必ず一年以上の経験者と。いいね」
「はい」
ギルド職員は必要事項を事務的に尋ねて用紙に書き込んでいった。
「後見人はヘーゲル医師、ギルド内の後見役はベア、君でいいんだね」
「そうだ」
ベアはうなずいた。トーコから質問が飛ぶかと思ったが、今日はいやに静かだ。今から緊張していたんじゃ実際に入域する頃にはくたびれてるんじゃないか。
「後見役制度は三回まで利用できる。期間は特別な事情がない限り登録後三ヶ月間。後見役への報酬は一日十クランの固定、これはギルドから支払われる。魔の領域への入域には都度届出が必要。魔の領域から持ち出したものの売買についてはギルドが取り仕切る。違反は罰則対象。状況によってはギルドから除籍されるので注意のこと。何か質問は?」
「コーケーニンとコーケンヤクって何?」
ギルド職員はじろりとベアを見た。朝の忙しい時間に来るならそのくらい説明しとけ、と目が言っている。
「後見人は法律上の保護者。後見役はギルド内での、まあなんというか……教え役のようなものだ」
「後見役は必要とあらば手を貸し、初心者が危険に自力で対応できるように助ける。今君が質問したようなことも彼が教える」
トーコがベアを見上げたのでやむなくうなずく。危険な魔の領域だが、新規の入域希望者は多い。しかしいくら腕に覚えがあっても予備知識もなしにいきなり飛び込めるほど甘い場所ではない。危険だが稼げる、という知識だけでユナグールに来る者も後を絶たないので、彼らにギルド独特の仕組みやしきたりについて教え、入域するときの最低限の知識やギルド構成員同士の暗黙の了解事項などを教えるのが目的の制度だ。ぶっちゃけ、ギルド加入は歓迎だがトラブルはごめん、そしてギルド職員の人手不足の付けがまわされているわけだ。
どんな依頼でも三回こなせばはれて正構成員になり後見役はお役ごめんだが、この後見役は自分で探せなければギルドのほうで手空きの構成員に声をかけることになる。ギルド構成員にはギルドに対する義務もある。そのひとつが年三回までのギルドからの強制依頼だ。ギルドから依頼を出されるというわけだ。よくあるのが、この初心者への後見役だ。ギルド構成員に伝がある者のほうが少数派なので、当然頻出する。ベアも昔はよく請けた。最近は遠出することが多くてめったに回って来ないが。
「特技、技能はなにがある?」
「特技? 魔法とか?」
「ああ君、魔法使いなの。だったら何の魔法が得意なのかでいいよ。依頼に対して適正な実力があるか図るときの参考にするだけだから」
「得意な魔法……」
トーコは悩んだ。まだ習ったばっかりで、得意といえるほど得意な魔法なんて。移動の魔法なんて誰でも使えるみたいだし。特殊っぽいのはベアに教えてもらった消臭魔法とかだけど、こちらもまだ覚えたてで通用するかどうかもわからない。
「治癒魔法でいいんじゃないか」
ベアが助け舟を出したが、トーコは却下した。
「とても実用レベルじゃないから、それを書かれるのは困る」
あとは水の魔法。これはちょっと自信ある。大気中の水分から水を生成するのはベアに言われてだいぶ練習したし、水分子を振動させてお茶を淹れるのにいい温度、お風呂にいい温度にするのもかなりやった。でもやっぱり一番苦労したのは生成水量、水温調整、水流操作の一連の流れを時間差少なくスムーズに行う魔法だろう。特に二方向からの水流操作かつ、周囲に飛び散らないような勢いやタイミングの微調整に苦労した。お皿との接地面にあわせて上手に水塊を変形させないと汚水が飛び散って大惨事になりかねない。一応水の幕を周囲に張って被害は抑えるようにしているけれど、熟知しているヘーゲル家の食器ならまだしも、慣れていないよそのお家の食器だとまったく気が抜けない。
「お皿を洗う魔法」
「は?」
胸を張って答えたトーコに、ギルド職員もベアも目をしばたいた。ギルド職員の目がとがめるようにベアに向けられる。ベアは咳払いした。
「トーコ、それは具体的にどういう魔法なんだ」
「水を出してお皿を洗うの」
ギルド職員がつまらなそうに口を挟んだ。
「で、それは何に使えるんだ」
「お皿を洗うのに」
「お皿だけ?」
「カップやお鍋も洗える」
「……そ」
会話がかみ合っていない。ベアは仕方なく双方に助け舟をだした。
「水の生成と水流操作、と書いてくれ」
「お湯のほうが脂汚れは落ちるよ」
トーコの発言は無視された。
書類が整うとギルド職員が木板に必要事項を転載し、焼印を押したギルドの身分証を発行してくれる。焼印の一部ごと右端を割って、割った先はギルドに保管される。いざというとき、この木目をあわせて間違いなく本物であることを証明する割り印になっている。医者や城壁の手入れをする工夫などいくつかの例外があるが、これがなければ基本的に東門を抜けることはできない。ギルド構成員の身分を詐称するすることのメリットをベアは思いつかないが、遺体の判別に便利なのは確かだ。特に遺体のあらかたが魔物の胃袋に収まってしまっているときは。
「依頼の請負時には依頼書に添えて提出。チームを組んでいるときはリーダーだけでいい。そうでなければ人数分必ず必要になるからね。再発行には時間と手数料がかかる。その間、報酬も引き出せなくなるからなくさないように気をつけて。逆にこれを渡せば預けている金額の一割を上限に他人に報酬を引き出してきてもらうことが可能だから、紛失・盗難は迅速に届け出ないと悲惨だよ」
トーコは渡されたギルド証を感慨を持って眺めた。これはトーコという人間が存在していることを、公的に証明してくれるものだ。ここにトーコという人間が正式に社会的に認知されたのだ。自分は間違いなくここにいる。そのことを世界が認めてくれたような気がした。
手続きが済んだらあとは実地訓練だ。
ベアはトーコを連れて壁に大きな面積を占める掲示板のところへ行った。ギルドに依頼が入ると、紙に転載されて掲出される。魔物、植物、鉱物……さまざまな魔の領域に産する資源を求める依頼に混じって、高所作業や護衛など、魔の領域で活動できるギルド構成員の技能を当てにした依頼もある。いつまでも引き受け手がないのか、常に募集中なのか茶色く紙が変色しているものもある。新しい依頼は随時張り出される。
「さて、トーコ。どの依頼を選ぶ」
トーコは背筋を伸ばした。とりあえず目についた依頼書を読み上げる。話すほうはだいぶ出来るようになったが、読み書きはおぼつかない。
「ツム……ギグモの巣糸。一キロ六クラン。ほう……ほう……」
「抱卵糸」
「抱卵糸は卵ごと一個五十クランにて引取り。抱卵糸って何?」
「ツムギグモが卵を包む糸だ。細くて丈夫だから、工業用だけでなく、芸術品素材として高値で取引される。卵は珍味らしいな」
蜘蛛の卵を食べるの? あんまり食べたくないな。
「これは採集だよね。難しい?」
「主のいなくなった巣を採るだけなら難しくないと思うが、場所が遠い。トーコにはまだ無理だな」
あれこれベアに聞き、散々時間をかけてトーコはウズラソウという薬草の採取を選んだ。ベアがそれに加えてアカメソウの実の採集と角ウサギの依頼を提出する。一度にふたつ以上の依頼を請けていいとは知らなかったトーコは早速メモった。
東門を出ればもうそこが魔の領域だ。
ユナグールの東に接する魔の領域を通称<深い森>という。その名の通り町の城壁から草原を挟んで見渡す限りの森が広がる。遠目にはどこまでもひとつらなりに続いているように見えるが、湿地もあれば高山地も草原もある。今では相当数の人間が入り込んでいる場所も、ユナグールの町がただの城砦だったころには無限に続く森のように見えたに違いない。
苦労の末に先達が蓄えた知識のおかげで今では二千人規模の人間が<深い森>に出入りしている。しかし初心者、特にトーコのようにろくな防護手段を持たない素人が入るには危険なのでまずは町に近い森外縁部の草原を選んだのは分をわきまえた良い判断だ。
なまじ腕に覚えがあると、高価な大型獣を狙っていきなり森に入り、危険な小昆虫に痛い目にあわされたりする。ギルドが後見制度まで用意して新規参入者を求めているのは、それだけの数の離脱者が毎年出ているからだ。ある程度稼いで引退する幸せな者もいるが、最悪この世から引退する者も少なくない。ギルドに入って五年もすればベテラン扱いなのだ。
「門を出る前に聞いておきたいことはあるか」
「ウズラソウってどんなの?」
「葉がウズラの卵そっくりの形と模様だ。親指の爪くらいの大きさで一本の茎に交互についている。岩陰や葉陰に育つ。細くて小さいから見つけづらい。花の咲く今の季節に探すのが一番いい。白い釣鐘型の花が二、三輪つく。一度に全部咲くのではなく、順に育って長く花をつける。だから花季を逃す心配はあまりない。薬効があるのは根だが、株が若いと小さくて使い物にならない。見つけたからといってむやみに引き抜くな。まずは俺に声をかけろ」
トーコはメモをとりながら、頷いた。
「ヤッコーってなに?」
「薬としての効用。効用はわかるか?」
「うん、アニがいつも言ってる」
「そうだな、生薬についてならヘーゲル夫人とアニに訊くのが一番いいだろう。ウズラソウは解毒効果が高い。特にクモ型の魔物の毒に効く」
「アカメソウは?」
やっと少しいつもの調子に戻ってきたようだ。
「草原に生える潅木だ」
「草じゃないんだ?」
「違う。赤ん坊の手のひらほどの葉の上に赤い実をつける。とるのは簡単で、今が旬だから依頼も多い」
「何に使うの?」
「酒につけて果実酒にもするが、乾燥させたのがでまわっているな。角ウサギの料理に使うくらいで、そのまま食べるのが一番楽でうまい」
「薬にはならない?」
「薬というほどの効果は知らないな。単に珍しい果物ってとこだろう。美味いから魔物も寄ってくる。ほとんど草食の魔物だから、よほど近くにこられなければ幻惑魔法と消臭魔法でごまかしがきく。ただしアカメグサグモには気をつけろ」
「クモ?」
「この時期、アカメソウの実を食べに来る魔鳥や小型の魔物を狙って潅木の中に潜んでいる」
「噛まれると痛い?」
「牙に即効性の麻痺毒がある。アカメクサグモの麻痺毒は熱にも強くて、変性しにくい。長期間保存できて外科医療用の需要が高いから見つけたら捕まえておくように」
「そのクモって大きかったりする?」
「いや、小さい。ネコくらいの大きさだ」
「大きいよ、それ!」
「ツムギグモなんか人間より大きい。それに比べたらかわいいものだ」
「比較対象が間違ってると思う……」
情けない顔をしたトーコがメモ帳をしまったのでベアは門の外に出た。少し曇っているが、雨にはならなそうだ。日当たりのいい開けた場所で作業するにはこれくらいでちょうど良い天候。
暫く城壁に沿って歩き、適当なところで草原にはいりこむ。アカメソウは草原のどこにでも生えているが、それでも味のよい木が密集しているところや、魔物に襲われにくい場所などは人気だ。早朝から出ている連中には出遅れているので、少し遠くまで行ったほうがいい。さっそくトーコに幻惑魔法と消臭魔法を使わせ、草原を横切りにかかる。消臭魔法の効果ははたからみているだけでは分からないが、幻惑魔法はなかなかうまくできたようだ。既にそこにいるとお互い分かっているので、見失うようなことはない。
「べ、ベアさん」
いくらもいかないうちに、トーコがベアの服を引っ張った。視線を追うと、茶色いものが動いている。
「角ウサギだ。大声出さなければ、そんなにこそこそしゃべらなくてもいい。」
ベアが言うのと同時に茶色い塊が頭をあげた。顔の向きをかえるたびに短い一角があっちこっちを向く。
「あ、ほんとだ。びっくりした、ただの角ウサギか。あれは獲らなくていいの?」
「荷物になる。帰りでいいだろう」
角ウサギなんて森にも草原にもいくらでもいる。ユナグールでモリガエルと並んで庶民の食卓によく登る食肉だ。だがここはひとつ釘をさしておかねばなるまい。
「ただの、なんて言っていると痛い目を見るぞ。草食だが臆病で強暴だ。角に突かれる奴はめったにいないが、うかつに捕まえようとすれば、指くらいは簡単に食いちぎっていく。肢も強靭で下手なところを蹴られると骨にひびだって入る。春に生まれた仔が巣立って二度目の繁殖期の仔もそろそろ親元を離れる頃だ。数が増えれば、角ウサギも怖い」
「人を襲うの?」
「色々な条件が重なって大繁殖すると、凶暴化して手に負えなくなる。人どころか、いつもは角ウサギを狩るヨツキバオオイノシシやチョウロウクロネコだって逃げ出すくらいだ。草原中の草を食べつくして、人の領域にあふれ出ると、ギルドや国境警備隊だけじゃなくて軍まで出る騒ぎになる。まあ、そんなのは十数年に一度のことだが」
「ベアさんは経験ある?」
「入域して二年目の年にあった。狩人も魔法使いも総動員だった。引退者だって引っ張り出されるんだぞ。俺がやっていたのは怪我人の搬送くらいのものだが、あれほどの魔法が飛び交うなんて後にも先にもないな。日のあるうちは押し寄せてくる角ウサギとひたすら戦って、夜になったら角ウサギは森に、人間は町に帰って、翌日また繰り返すんだ。信じられないような角ウサギの大群でな、死骸をほうっておくと腐って臭うし、肉食性の魔物や夜行性の魔物が漁りにきて、それを追い払うのも大変なんだ」
「角ウサギのお肉は食べなかったの?」
「町中の人間が腹いっぱい食った。それでも食べきれないし処理しきれないほどだ。怪我人も死人もたくさん出て、まるで戦争だった。あの時ほど、ユナグールの城壁が頼もしかったことはないな」
話しているうちに目的地についた。ベアはさっと探査魔法で探ったが、特に大型の魔物はいない。
「熟した実はさわっただけで簡単に落ちる」
「あ、ホントだ」
アカメソウの実は緑色のつやつやした葉の上に中央の太い葉脈を挟んで二粒の実がなる。トーコが採ろうとした実はぽろっと取れて転がっていった。ベアはひとつつまんで口に入れた。
「まあまあだな」
「ちょっと酸っぱいけど、甘ーい!」
真似してアカメソウの実を食べたトーコは目を輝かせた。この町では砂糖はなかなか高価なので、甘味といえば保存食を兼ねたジャム以外では果物くらいで、あまりお菓子を目にすることはない。まったくないわけではないが、トーコにはちょっと寂しい。
「つまみ食いは程ほどにしておけ。太陽に背を向けて自分の影のなかで取るようにすると目が疲れない」
「なるほど。ありがとう、ベアさん」
そこからはトーコも口をつぐんで採集に精をだした。ところが、一時間ほどしてベアはなにかが顔に当るのを感じた。顔を上げるがなにもない。気のせいかと視線を手元に戻すと今度はもっと強く額に当る。探査魔法を起動し……トーコがいた。こわばった顔で足元をしきりに指で示す。直接の視界では死角になって見えないが探査魔法で探ると角ウサギがいた。硬直するトーコを尻目にひたすら地面に落ちたアカメソウの実を食べている。捕まえればいいのに、トーコは半べそだ。さっき、脅しすぎたか。
取り合えず離れるよう手振りで伝えると、両手に実を持ったまま、そろそろと後ずさりする。一歩二歩……枯葉が音を立てる。角ウサギが跳ね、トーコが悲鳴をあげた。逃げるかと思われた角ウサギは悲鳴を聞くと、百八十度回転して大きな後ろ足でだん、と地面を蹴った。頭を低くしている。
ベアはため息をこらえた。初心者向けの入門編の魔物なのに。角ウサギに威嚇されて逃げるギルド構成員。頭が痛い。ばたばたと逃げてくるトーコは後回しにして、ベアはナイフを抜くと、飛びかかろうとしている角ウサギを移動魔法で強引に引き寄せた。首の後ろを一突きで角ウサギはおとなしくなった。
トーコがそろそろと戻ってきて、おっかなびっくり覗き込む。そうやってびくびくしているから、相手に各下だと舐められるのだ。言いたいことは山ほどあるが、順番にだ。
「こ、怖かったー。ベアさん、ありがとう」
「うん。トーコ、最初に角ウサギに気がついたのは?」
「足を踏まれたの。下を見たら、いた」
踏まれるまで気がつかなかったのか! 魔物の接近に気がつけないのは致命的だ。魔物への対応を説教しようとしたのに、もっとレベルの低いところから始めなくてはならないらしい。
ベアは開きかけた口をとじてトーコのいた潅木へ目をやった。ずいぶんと実が落ちている。角ウサギは強靭な後ろ足を持つが、長時間立ち上がるのは得意ではない。アカメソウの実も熟して落下したものを食べることがほとんどだ。たぶん、トーコが下手なのでぽろぽろと実を落とし、落ちた実に角ウサギが釣られて寄ってきたものらしい。
画期的な狩りの方法だ。
「トーコ、魔物の接近を許すということは死ぬということだ。それでも魔の領域に入りたいなら絶対にやってはいけないことがいくつかある。今は魔物に近寄られてしまったが、相手より先に気がついた。そうしたら、なるべく気がつかれないようにその場を離れるか、相手が気がつくより先に倒してしまうことだ。どうやったら気がつかれずに離れることが出来たと思う?」
「ええと、移動移魔法を自分に使って、音を立てないようにして離れる、とか?」
「そうだ、魔力に敏感な魔物には逆に使ってはいけないが、その場合でもできることはある」
「行ってしまうまで、じっとして動かないこと?」
ベアはほっとした。さすがにそのくらいは覚えているか。
「そうだ。それでもなにかの拍子に気がつかれてしまったら、どうするか」
「遠くに小石なんかを投げて、そっちに魔物の注意をむける」
「完全に見つかっていなければな。見つかっても慌てない、怯えない。少なくともそれを相手に悟らせてはダメだ。こちらが堂々としていれば、向うも警戒する。肉食の獣でなければそれで去っていく可能性が高い。むやみに目を合わせるのも良くないが、視線が合ってしまったら不用意に目をそらせたり、背を向けるとそのとたんに襲い掛かってくると思え」
さっきの自分の醜態を思い出してトーコはうなだれた。やっちゃいけないことのオンパレードだ。
「トーコ、障壁魔法は使えるか」
「障壁魔法? ちょびっとだけ教えてもらったけど。その時はわたしには使いこなせそうにないって」
「それでも障壁魔法は魔法使いにとっての盾だ。適正が低くてもいざというとき必要になる。弱い障壁魔法だって使い方次第だ」
障壁魔法は入域するにあたって、鎧や盾という重装備から開放してくれる、魔法使いに恩恵の多い魔法だ。トーコのように体力のない者には大きなアドバンテージになる。
「フキヤムシを知っているか」
「ううん、知らない」
「産卵期になるとメスが吹き矢のように一直線に飛び、獲物に突き刺さる。見た目はナナフシに似ているが、鏃のような返しのついた頭を獲物の肉につきたてて、体を引きちぎられても頭は刺さって残る。刺されてすぐに傷を開いて親虫の頭ごと取り出さないと、やがて放卵してその卵が獲物の体内で孵化する。最初は体液から養分を摂取して、やがて肉を食らいだす」
トーコはぞっとした。気色悪いうえにホラーなみの怖さだ。宿主はやがて死に至るが、寒い冬なので死骸は簡単には腐らず、その間に幼虫は宿主の体を食べ続けて、共食いもしながら成長する。骨と皮だけが残った安全な宿主の中でさなぎになり、春、暖かくなった頃に、宿主の成れの果てから外へ出てくる。
「前に診療所に運ばれてきたことがあるかも。すごく痛そうだった。何人もで押さえつけて切開したの。気持ち悪い虫が出てきた」
トーコがヘーゲル医師に預けられて間もなくのことだ。細かい事情を理解できるほど言葉ができなくて、大の男が七転八倒して苦しむ様に怯えているしかなかった。
単純な外傷を治すくらいの治癒魔法はできるようになっていたので、虫を探して開かれた傷を言われるままに治していった。三つ目でやっと捕まえ、取り出されたのは、青虫ほどの小さな虫だった。彼はあのあとどうなったのだろう。
「鎧をつけていても、全てを覆うわけにはいかないからな。頭を取り出しても卵が残っていたんだろう。肉を食いだすまでは宿主にあまり自覚症状がでないから、あとから原因に思い当たることができただけたいしたものだ。さて、骨と皮だけになりたくなければいい障壁魔法の使い方があるが、覚えるかね?」
トーコは涙目で教えを請うた。
そうは言っても、初心者にいきなり対フキヤムシ用の応用編は無理なのでまずは単純な障壁からだ。魔力で作った障壁は目に見えないが、ベアが張ってくれた障壁に水をかけたら彼を覆うように綺麗な球形をしているのがわかった。
ひょっとしてこれは雨降りの時に使えるのでは? 以前教えてもらったというか、見せてもらったいびつで格好悪いものとは比べ物にならないほど、美しく、使い勝手が良さそうだ。
ベアのアドバイスにしたがってやってみると、すんなりうまくいった。風に揺れてはいるが、一応は成功だ。教え方が上手だとこんなにも違うのか。トーコが感動していると、ベアがおもむろに手をあげて、ノックするように叩いた。手が当るとその瞬間、シャボン玉のように儚く消えた。
「外からの衝撃が強ければ、障壁も破られる。込める魔力の量を多くして、障壁を厚くすることからだ。だが、弱い障壁にも使い道がないわけじゃない。これはこれで覚えておくといい」
「うん、判った」
トーコは張り切ったものの、言うは易し、行うは難し。障壁を張ると周囲の草や地面は避けて展開される。しかし張ったまま動くというのがなかなか難しい。障壁が外部のものを退けてしまうので、アカメソウをとろうとすると、実が遠くへ逃げていってしまうのだ。いっそアカメソウごと覆うか、でもアカメグサグモが怖いし……。ベアに訊くと、慣れれば自分を中心に障壁を固定して一定以上の圧力下のものは素通りさせることができるらしい。エアカーテンのイメージでやってみたがそれだとなんだか頼りない。現に、時々ベアが投げてよこす実があっさり貫通してしまった。そして障壁に気をとられていると、アカメソウの実を摘む手がおろそかになりがちだ。そんなこんなで四苦八苦しながらも、昼ごろにはだいぶましな障壁が展開できるようになった。少なくともアカメソウの実で破られるようなことはない。ずっと実を摘んでいたせいで、肩や腕も疲れた。午後もこの調子なら、明日は筋肉痛かも。
ベアが草を避けて、露出させた地面の上に小さく火を熾す。薪ではなく、乾燥させた木の皮のようなのを割いて使っていた。年季の入った小さな鍋にトーコが水を生成すると石で組んだ即席の炉でお茶を沸かし、バベッテの持たせてくれたお弁当を食べる。もっさりとして身の詰んだパンに角ウサギのパテがあう。こんなに美味しいのにああも強暴とは。お茶も魔法で沸かしたお湯よりもなんだか口当たりが柔らかい気がする。魔の領域らしからぬのんびりとした昼食を楽しんでいるとベアが訊ねた。
「ウズラソウは見つかったか」
トーコはカップを持ち上げた手を止めた。ベアを見上げる。
「……忘れてた」
そういえば、そもそもはウズラソウを取りに来たのだった。すっかりアカメソウの実を取採りにきたみたいになっていた。
「アカメソウの下にもよく生えている。摘みながら探すと効率がいい」
「だから一緒にこの依頼を受けたの?」
ベアが黙って点頭した。トーコは尊敬のまなざしを向けた。さすがはこのあたりの植生を知悉しているだけのことはある。そして、ギルドの依頼も奥が深い。
「ねえ、ベアさん、障壁魔法を張るとアカメソウの実がとりにくくない?」
「強い障壁だとな」
「でも弱い障壁だと魔物に襲われても防げないよね」
「強い障壁を常に張り続ける必要はない。魔力も消耗する。必要な時に必要な強度の障壁があればいいんだ」
「練習ってこと?」
「普段はごく弱い障壁を張っている。触っても素通りしてしまうような脆弱なものだ。これを破られるのを前提に、破られたときの勢いや質量が一定以上の時に反射的に強い障壁を体の間近に展開する」
トーコは急いでメモをとった。触っても素通り、の下にラインを引く。イメージはなんとなくわかった。触ったら壊れるシャボン玉ではなく、それこそエアカーテンのように、魔力を流動性のある薄い障壁のように展開すればいけそうな気がする。さすがベアさん、わかりやすい。
「魔の領域には擬態して獲物を待ち伏せたり、音もなく忍び寄るのに長けた魔物もいる。不意をつかれれば、どんなに強い兵士でも魔法使いでも危険だ。考えるより先に、居眠りしていても反射的に使えるようにしておかなければ意味がない。最初の障壁を破られたのを意識してから対処しようとしても遅すぎる。防御のための障壁は強すぎるくらいでちょうどいい」
結果で言うと大成功だった。魔力の粒子の流動性のある壁、のイメージがうまくはまって障壁を張ったまま動くのが楽になった。アカメソウの実もとりやすい。
ベアが投げてよこすアカメソウの実がエアカーテンならぬ魔力カーテンを抜けたら強い障壁を張るのも最初は反射の速度にはほど遠くて何度もつぶてを食らってしまったが、ベアが根気よく練習に付き合ってくれたので、だいぶうまくなった。
街中でも練習できる魔法だから来週までにちゃんとやっておこう。ヘーゲル家の次女コリーナのところのイタズラ坊主にパチンコ襲撃の許可を与えて練習に付き合ってもらうのがいいかもしれない。
勝手な計画を立てているとベアに呼ばれた。振り返ると目の前に茶と緑の巨大なクモがいた。
「きゃーっ!」
数時間前の教えを記憶のかなたにすっとばしてトーコは思い切り悲鳴をあげ、飛び退ろうとしてしりもちをついた。ベアが器用に片眉をあげる。我に返ったトーコは今更ながらに両手で口をおさえ、赤面した。また無様をさらしてしまった。でもこれは反則だと思う。
「これがアカメクサグモ? なんだか変な色だね」
引っ張りおこしてもらいながら訊ねると、移動魔法で宙吊りにしていたアカメクサグモがくるりと回転した。足の動きが気持ち悪い。
「保護色だ。アカメソウの実がなる季節には義眼が赤くなり、頭部周辺も緑色になる」
ベアはアカメクサグモをアカメソウに沈めた。こうするとアカメソウにまぎれてしまって確かにわかり難い。うっかり手をつっこんでしまいそうだ。でも、ひとが採っていた木にアカメクサグモを置かないで欲しい。あの木の実はもう取る気がしない。
「ベアさんはよく気がついたね。どうやって見分けたの?」
「採集のときに、実ではなく、葉を見るようにしていればうっかり手を突っ込むことはない。あとは、角ウサギを狙って低いところにいるから、人間が上からとるぶんにはあまり心配ない。一応、探査魔法で確認しているが」
「探査魔法?」
「探して調べる魔法だ。例えばこの潅木の中に魔物が潜んでいないかどうか。大型の魔物は多かれ少なかれ魔力を持っているから比較的簡単だ。習熟すれば沼地の深さがどれくらいか、とかそこにいる魔物が死んでいるのか生きているのかとか、色々わかるようになる。直接目で見るのとは違う感覚だが……言葉にするのが難しいな」
「便利だね」
「危険な魔物が潜んでいる場所を通る時などは使えると心強い」
トーコは新しい魔法をメモした。魔力で探査するということは魔法使い用の特殊レーダーみたいなものだろうか。形状しかわからないレーダーよりも使い道はありそうだが。ひょっとして魔力カーテンで通り抜けたものを感知するのに近い感じなのかもしれない。運動神経に自信のないトーコにとって危険を察知できるありがたい魔法だ。ぜひとも習得に励むべきだろう。
ベアはアカメクサグモを手元に引き寄せると頭胸部と腹部の間をナイフで突いた。アカメクサグモは動かなくなった。さっきの角ウサギといい、採集をメインに活動するにしても、こういうのができるようにならないとだめなんだろうなあ。鶏も角ウサギも食べるけれど、生き物を殺すのって覚悟がいる。
「クモの毒は頭胸部で分泌される。牙にも溜まっているが、なるべく頭胸部を傷つけないように、神経の集まっている腹部との境あたりを狙うといい。依頼は牙で出ていることがほとんどだが、牙だけより丸ごと持っていくほうが、楽だし取り違えもない。どうしても荷物になるときは牙だけ抜いてもいいが、技術がいる」
「動いている相手に一突きは難しそう……」
「仕留めそこなうと暴れてもっとやりにくいし、危険だ。最初は移動魔法で固定してやってみるんだな」
「う、うん」
やっぱり殺せないとダメみたいだ。蚊とゴキブリは殺せるんだけど。エゴなのはわかっているんだけど、気持ちがついていかない。できるようにならないと困るし、なれるつもりではいるけれど、とトーコはため息をついた。一人前のギルド構成員への道は遠い。
アカメクサグモの死骸は麻袋に入れられ、先にしとめた角ウサギが入った袋と一緒に足元に置いておく。これは結構荷物になる。以前ベアは何でも入る魔法の入れ物を持っていたけれど、今回は近いから持って来ていないのだろうか。採取する木を替えるたびに獲物の入った袋を持って移動しなくてはならない。角ウサギもアカメクサグモも結構重い。引きずらないように運ぶと袋越しに死骸があたるのが嫌でつい移動魔法を使ったら、ベアには魔力の無駄使いと釘を刺されてしまった。
ベアは足元の小石を拾った。手に軽く握りこんで、へっぴり腰で獲物の入った袋を持ちあげ、よたよたと歩くトーコに向って親指ではじき出す。小石はトーコにあたって跳ね返った、ように見えた。トーコが怪訝そうな顔で振り返る。
「今のベアさん?」
「そうだ」
「アカメソウの実だった?」
「小石だ。問題ないようだな。魔力はまだ大丈夫そうか?」
「たぶん。いきなり魔力が切れたりするの?」
「一度経験すれば自覚症状もわかると思うが、ないのか?」
「うん。ベアさんみたいに魔法を使いっぱなしってこともないから、切れたこともない。どんな自覚症状があるの? 人によって違う?」
「多少の個人差はある。ふらついたり、めまいがしたり。だが大抵はそれより先に魔法の使いすぎで体も疲れるから自分でなんとなくわかるもんだが。あまり一気に魔力を消費すると意識がなくなることがある。一晩寝れば回復するが、魔の領域では命取りになりかねん。そうだな、貧血で倒れる感じに近いか」
ふんふん、とうなずくトーコは疲れているようには見えない。新しい魔法を習得するときは不慣れなので余計な魔力を消費する。まだ習得して日が浅い消臭魔法と幻惑魔法は門を出た時から使い続け、午後からは障壁魔法も展開し続けている。意外に魔力量はありそうだ。
魔力のある人間は結構多い。二十人に一人くらいの割合だろうか。ただし、魔法を使えるほど魔力量があり、かつ魔法として発動させることのできる人間となると千人にひとりがいいとこだろう。この町はその特性上、魔法使いを名乗れるほど魔力があり、魔法を行使できる者が多いが、うまく相性のいい魔法を見つけられないと一生魔法と無縁な人生を送ることも少なくない。未熟ではあるがトーコも充分魔法使いを名乗れるレベルだ。
しかも既にベアが知識として教えたつもりの二種類の障壁も、練りは甘いが一応実用レベルで使いこなすようになっている。障壁魔法との相性がよほど良かったのだろう。得意といえる魔法が早い段階で見つかることは魔法使いとして幸運だ。適正のある魔法は効率化しやすいし、応用への幅が広がる。特に危険な魔の領域で護身につかえる魔法が少ない魔力で行使できるのは大きい。ヘーゲル医師は治癒魔法に才能があるといっていたが、魔の領域での安全性を高めるのにどちらも都合の良い魔法だ。
「ん?」
ヘーゲルを思い浮かべたせいで、ベアは本来の目的を思い出した。トーコに入域をあきらめさせるのが今日の目的だったはずだ。無理に画策しなくても、現実を知ればあきらめるだろうと思っていたのだが、障壁魔法を習得したせいでますます行けるつもりになっていたらどうするか。ヘーゲル医師の顔を思い浮かべたベアはこめかみに冷や汗が伝うのを感じた。
いやいや、この案を思いついたのはそもそもヘーゲル医師だ。失敗したら責任は作戦実行者ではなく立案者にある。その時はヘーゲル医師自身で説得すればいい。自分だけいい顔しようだなんて甘い。
ベアにはギルド入りをトーコに勧めるつもりはないが、止めるつもりもない。治癒魔法で安全に稼ぐ方法があるのにとは思わないでもなかったが、この町で外傷系の治癒魔法使いとして身をたてるなら、ある程度魔の領域への知識は必要だ。この調子で障壁魔法を使いこなせば<深い森>外周くらいなら、比較的安全に活動できるだろう。事前の知識はもちろん必要だが。
それにベアにはヘーゲルの思惑よりも気になるものがある。小石を拾ってもう一度親指で弾く。トーコにあたって跳ね返る。トーコが得意げな顔を向ける。やっぱり変だ。
「トーコ、内側の防護障壁をどこに張っている?」
「こんな感じ」
トーコは実を摘む手をとめて、自分の頭から肩、腕を少し空間をあけて撫でるようにした。ベアは考え込んだ。
「薄いほうの障壁は?」
「半径一メートルくらいで丸くしている」
「丸くしている?」
ベアは聞き返した。丸くしているってなんだ。障壁魔法は普通は球形だ。それが最も外からの衝撃に強く形状も安定する。当然魔力消費が少なくてすむ。
「防護障壁は丸くしていないんだな」
「うん、丸くすると最初の弱い障壁を突き抜けてから短い時間で張らないと間に合わないから、体の近くに張ってる。間に合うようにしようと思うと、弱い障壁を大きく張らないとダメだし、そうすると弱い障壁の内側から何かが飛んできたときに対応できないから。うんと練習したらもっと早く張れるようになるかもしれないけど、体と障壁の間に隙間があるのって怖くて」
「なるほど」
トーコなりに不慣れを補うべく考えたわけだ。だが、納得しがたいことがある。簡単に障壁を変形させると言うが、これはかなりの労力を伴う。常に安定した形状、すなわち球形にもどろうとする障壁を任意の形に維持するには相当量の魔力が必要だ。いくら適正があっても、初心者に簡単にできるものではない。何故できる。
「ダメだった?」
考え込んでいると、トーコが不安そうな顔をした。
「いや、魔力効率は悪いが、魔法としては悪くない。トーコには障壁魔法があっているみたいだな」
「ほんと?」
一転して嬉しそうに飛び跳ねたトーコはあわてて両手で口を押さえた。球形障壁のほうが変形させる手間がない分早く展開できるはずだが、トーコがそのほうが安心して使えるならまずはそちらで障壁魔法に慣れるのも手だろう。
「ああでも、ウズラソウが全然見つからない」
「よく探すんだな」
ベアの目はトーコが獲物の袋を置いたまさにその下にお目当ての薬草を見つけていたが、これはトーコが自分で気がつかなければ意味がない。
「さて、そろそろ戻るか」
「え、もう終わりなの」
トーコは驚いた。まだ明るい。
「帰り道で角ウサギを狩る。ギルドから家に戻る頃には夕方になっている。暗い中を歩いて帰りたくはないだろう」
「うん」
「ウズラソウは帰り道に角ウサギを探しながら、探すしかないな」
トーコは心配そうな顔になった。初依頼失敗の文字が脳裏を横切る。
「角ウサギ、あそこに一羽いるけど、あれはどうする?」
ベアはトーコの示したほうに顔を向け、目をすがめた。
「どこだ」
「向うの、アカメソウの裏側」
「入るのを見たのか」
「見たというか、見つけたのはさっき。二十メートルくらい離れていたから、気がつかれなかったんだけど、こっちに来たら嫌だから見張ってたの。ベアさんがさっき魔物には魔力があるって言ってたじゃない? それを見張ってたの」
「……それは探査魔法か」
まさか、と思って訊ねるとトーコはびっくりした顔をした。
「え、これって探査魔法なの? 魔力を追いかけていただけだけど」
ベアは即答できなかった。用途が違うだけで探査魔法の一種という気がするが、実際どうやっているのかわからないのでなんとも言えない。
「トーコ、その角ウサギを移動魔法で引っ張り出せるか」
「うん」
ややあって、トーコの示した茂みから角ウサギが浮かび上がった。怒りの鳴き声をあげている。トーコは首の後ろを支点に持ち上げているようだ。これだけ距離があるのに、おっかなびっくり見ている彼女にそのままにしておくよう指示し、小さなナイフを肩の高さに軽くかまえる。投げるのと同時に移動魔法で勢いよく射出する。ナイフは狙い通りに角ウサギの急所を捕らえた。トーコが感嘆の息を漏らした。
「これも移動魔法だ。コントロールは腕の動きだが、速さと飛距離を魔法で補助すると弓矢がなくてもなんとかなる」
「もしかして、前に、小石を投げて魔物のを気をそらすのに使わなかった?」
「よく覚えていたな。勢いが必要なければ狙いのコントロールも移動魔法でもできる。だが、最初から正確な狙いで投げたほうが勢いが削がれないし、魔力もくわない」
トーコは図を添えてメモをとった。でも、ナイフを正確に投げるって、それだけで立派な技能だよねえ。武闘派には見えないけれど、ベアさんもしっかり技術を持っているんだ。凄いと思う反面、自分がやっていけるかどうか不安になってくる。魔の領域は甘くない。仕留めた角ウサギを袋に回収していると、ベアが言った。
「さっき、追いかけていた要領で角ウサギを魔法で探してみよう。そうだな、まずは門の方向にいるかどうか。十メートル四方くらいずつ探して……」
「あ、いた」
ベアが言い終わるより先に、あっさりとトーコが言った。
「さっきみたいにもちあげる?」
「……ああ」
ベアが答えるや否や、三羽の角ウサギが宙へ飛ぶ。一番遠いのでも二十メートル程度。ずいぶんたくさん潜んでいたものだ。そしてトーコも見つけるのが早い。ほとんど一瞬で三羽の角ウサギの存在を捕捉したのか。ベアはナイフを投げながら舌をまいた。
トーコもナイフを投げてみたが、明後日の方向へ飛んでいってしまい、あたるどころかかすりもしない。かなり粘ったが、いくら言っても肩に力が入りすぎ、最後はベアが仕留めた。五羽も入るとトーコの力では袋を持ち上げられないので、魔法で移動させる。角ウサギとウズラソウを探しながら東門まで歩き、角ウサギは十一羽、ウズラソウは結局見つけられず、門をくぐった。
陽が傾き始める気配のなか、ギルドへ入る。まださほど混んではいない。掲示板に立寄ってから窓口に並ぶ。朝と同じ職員が本日の収穫を確認した。アカメソウの実を量り、角ウサギの毛皮と角の状態を確認してからこれも巨大な上皿天秤で量る。ベアがアカメクサグモに先ほど掲示板からとってきたばかりの依頼書を添えて出した。朝、目を通した依頼のうち、ついでに引っ掛けられそうなのを覚えておいて、獲った後で依頼書を探すのもありなのか。トーコは目から鱗が落ちる思いだった。さすがベテラン。スマートだ。
「ウズラソウは?」
「ごめんなさい、見つかりませんでした」
「ウズラソウ依頼料金の二割をさしひいて総計でこの金額。納得できたらここにサインを」
ペナルティがあるのか! トーコはショックを受けた。考えてみれば、とりあえず確保で、一度に達成できない数の依頼を持っていかれては困るだろうからこのくらい当然なのだろうが。今回の報酬はベアとトーコで半分ずつなので、ベアもこの罰金に巻き込まれたことになる。
「ベアさん、ごめん……」
ベアは署名を終えたペンをトーコに渡した。
「そこへ行けば確実に果たせそうな依頼は他の人にとられる前に確保しておく。確実性の低い依頼は獲物を確保してから請けるといい。他の人に先を越されたら運がなかったで諦める。ものによっては罰金覚悟で依頼を確保しておくのも手ではあるが」
「こらこら、俺の前でそんなことを教えてもらっちゃ困る。果たせない依頼を抱え込まれるのが一番困るんだから。君も無理な依頼は請けないこと。ギルドの信用にかかわる」
「はい」
さすがにトーコも神妙だ。品物はギルドに預け、ギルドから依頼主に連絡が行く。依頼主が納得すれば品物と引き換えに代金を払い、依頼を果たしたギルド構成員の口座帳簿に報酬金額が書き込まれる。つまり、獲物を持って帰ってもすぐにお金がもらえるわけではない。今回のように同時にいくつもの依頼を果たした場合、売買が成立したものから受け取れるようになるのだ。また自分だけが依頼を果たしても、ある程度まとまった量が溜まってから引き取ることになってれば、必要量が集まるまで待つことになる。急いで現金が欲しい場合は注意すること、と窓口の職員が教えてくれた。
ギルドを出ると、もう夕暮れが深かった。早いように思えたが、あの時刻でひきあげて正解だったわけだ。帰り道でトーコはため息をついた。依頼を選ぶのも、角ウサギを狩るのも全部ベアにおんぶにだっこだ。アカメクサグモについてはまったくノータッチ。トーコは腰を抜かしただけだ。それでも報酬は半分、罰金も半分。
これってベアさんにあんまりな状況だよねえ。
いくらギルドから補助があるとはいえ、自分のいつもの採集をしないで一日付き合うには割に合わなさ過ぎる。なんとかあと二回お願いしたいが、この体たらくではさすがに連れて行ってくれとは言えない。自分なりに情報は集めたつもりだったが、話に聞くのと実際に行ってみるのとでは全然違う。しょぼくれているうちにヘーゲル家が見えてきた。
「ベアさん、今日は一日ありがとう。それで、なんだか色々ごめんね」
ベアはそれには生返事を返しただけで、あまったアカメソウの実と角ウサギが一羽残った袋をトーコに渡した。
「俺はここで。ヘーゲル医師によろしく伝えてくれ」
「え、ご飯食べていかないの? バベッテ姉さん、たぶんそのつもりで用意しているよ?」
「寄るところがある」
ちょうどヘーゲル家の前に着いたところで、内側から勢いよく扉が開いた。そして、同じ勢いで跳ね返り、閉まった。中から悲鳴が聞こえる。
「あ、しまった。障壁魔法張りっぱなしだった」
そして早速役に立った。トーコがドアをひき開けると、おでこを抑えたヘーゲル家の慌て者の次女コリーナがうずくまっていた。
「大丈夫?」
「酷いじゃない……おかえりなさいを言おうと思っただけなのに」
「ママ、だいじょーぶ?」
二児の母とは思えないそそっかしい次女が恨めしげに言った。おかえりを言うために相手を道まで吹き飛ばす勢いでドアを開けるのはどうかと思ったが、ベアは黙ってきびすを返し、賑々しい家を後にした。背後から子どもの声や笑い声が響く。ベアには縁のない世界だ。
ギルドは日暮れ前に帰りついた入域者でいっぱいだった。ベアは掲示板に戻されたばかりの依頼書を探し出し、もう一度窓口に並んだ。
「どうしたベア、何か問題か?」
ベアは依頼書にウズラソウを三本添えてだした。葉と花はしおれているが、根は歪なほど大きい。ギルド職員は笑った。
「なんだ、あんたも人が悪いな」
「これも勉強だ」
トーコが気がつかないのが悪い。彼女にも機会は何度もあった。視界に入っていても認識できなければないのと同じだ。見えるようになるにはやはり経験がいる。ウズラソウは狙って獲りに行きやすい薬草だが、トーコにはハードルが高かったようだ。依頼の請け方がわかったようなので、次は失敗しないだろう。しかし、トーコには勉強でも請けた依頼を失敗すれば、ギルドの信用にかかわるし、なにより依頼人が困る。買取票に署名をしていると職員が尋ねた。
「あの子はやっていけそうかい」
「どうだろうな」
向いていない気もするが、初回だけで決め付けるのも酷だろう。移動魔法を使えるのだから、どこかのチームに入れてもらうという道もある。かなりの重量でも苦もなく扱っていた。荷車の使えない魔の領域で運び人として入域者からの依頼を受けることも可能だ。相手を見る必要があるが、護身用の障壁魔法と治癒魔法が使えるのだからめったなことにはならないはずだ。魔法使いの多い町とはいえ、絶対数が少ないので、えり好みする余地はある。移動魔法と障壁魔法、探査魔法、治癒魔法の組み合わせは、ギルドの花形、狩人たちにかなり魅力的だ。ギルド登録証の技能欄を書き換えれば、未熟者の彼女にもすぐにお声がかかるだろう。
ベアは翌日からの依頼をいくつか請け、ギルドを後にした。夏の名残の風がぬるく淀んでいた。