第18話 冬星祭(2)
冬星祭当日、朝一番でベアにコブシガシの実のパンと、甘み控えめにしたユキカンのマーマレードを届けたトーコは、大急ぎでヘーゲル家に取って返した。昨日のうちにご近所の男衆が通りに各家から集めた椅子やテーブルを並べていたので、バベッテを手伝って台所から料理や食器を運ぶ。
バベッテは昨日からオーブンをフル回転でワタリヌマガモの丸焼きをいくつも作った。ご近所のところに出すのや、ヘーゲル夫人が店へ持っていくのだ。焼きあがったのはトーコが時間凍結封筒に保管して、それぞれ持っていくときに出すことになっている。
いつも半日だけ手伝いに来てくれるおばさんもここ数日は夕方まで時間延長している。トーコもつけあわせのむかごの皮を剥いたり、よく肉汁を吸うように詰め物にするパンを乾燥させて削り下ろして自分の指も削ったりと、せいいっぱいおて手伝いした。
昨日からあちこちの広場や通りは事実上の通行止め状態である。
トーコはヘーゲル家のご近所さんだけだが、皆、勤め先や、親族のところなど終日あちこちに顔をだす。
ヘーゲル家のご近所の祭りの準備が整うと、互いの料理を賞味しあって早々に次の場所へ移動する人もいる。ユナグールの町は広いので、回る場所が多い人はそれだけで大変だ。特に民家のある路地などは馬車が通行できないので、大通りも大混雑すると聞いている。
ヘーゲル夫人とアニは最初から店へ行き、ヘーゲル医師とバベッテは嫁いだ長女ビアンカの婚家のところへ移動する。
トーコは診療所の留守番だ。留守番といっても篭っている必要はないので、ドアに「裏にいます」と札をかけてご近所の祭りを楽しむ。ご近所の治癒魔法使いの医師たちも同じようにして集まっている。急患が来たら、ここにくれば誰かいる寸法だ。
「って、急患が来るかもしれないのに、呑んじゃっていいの?」
「どうせ忙しくなるのは午後だ。酔っ払って喧嘩したの、馬車に曳かれたの」
「馬車に曳かれたら大怪我じゃない!」
「どこの通りも混雑してるからなあ」
言いながら医師たちは酒杯を重ねている。
「今のうちに呑んで、ひと寝入りしたら、いい具合になっとるわ」
「いいのかなあ」
主婦たちが腕によりをかけたご馳走が並んでいるので、トーコのほうは消化に効く自前のお茶を片手に食べるほうに忙しい。ベアが教えてくれたとおり、食料の交換会なので、持ち帰りやすい料理も多く、魔の領域のお弁当の参考になりそうだ。ひき肉の詰めものをパン生地で包んだ料理など歩きながらでも食べられるので便利そうだ。
参加者の多くは食べ物を入れた大きなカゴを持ってきており、持参料理を出したら、空いたスペースに他の人が作った料理を入れて持ち帰っている。あっという間になくなるものがある反面、いつまで経っても手をつけられないものがあったりと、人気投票結果はシビアだ。
空いたお皿はどんどん洗って片付けないと次の料理が置けないので、トーコは空になったお皿を速攻で回収する。凄いのは、皿の持ち主がいなくても、ご近所さんたちがちゃんとどの皿がどの家のものか覚えていることだ。トーコは言われたとおりに洗ったお皿を各家の台所に返してまわった。
トーコがシラー夫人の煮豆を堪能していると、急患の呼び出しが駆け込んできた。
「怪我人だ。ナイフで刺されて重症。来てくれ」
当然、一番下っ端のトーコが席を立つことになる。塩漬け豚の塩気とタマネギの甘みが絶妙な煮豆に名残惜しく別れを告げ、トーコは呼びに来た国境警備隊の兵士とともに歩き出した。
今日はどこへ行くにも歩くのが一番早い。
「場所はどこなの?」
「南区の……」
住所を言われてもトーコには分からない。特にユナグールの南区は魔の領域で手に入る薬、特に生薬や魔物の血肉を目当てに公国ばかりか帝国や他国からも傷病者が集まる、いわば保養地区で地元住民には余り用がない。
「南区って遠いじゃない。刺されたのはいつなの?」
「一時間前だ」
トーコは探査魔法で前方を透かし見た。人が多くて走るどころか歩く足も止まりがちだ。
「今から南区まで往復なんてしてられないよ」
「帝国の貴族が使用人に刺された。治癒魔法使いを呼んでいるんだ」
相手の身分が高いので、国境警備隊が気を使って使いを出したらしい。そういう不公平が当たり前にある国だと分かっていても、トーコとしては面白くない。しかし、文句を言っていても戻るのが遅くなるだけだ。
「しょうがない。捕まって」
スカートじゃなくて良かった。
「は?」
トーコは案内の兵士の手を掴むと問答無用でポーチから呼び出したボードに乗った。
「え、これは?」
「しっかり捕まってて」
兵士が恐る恐る目に見えないボードに乗ったのを確認して、浮遊する。周囲の人がびっくりして避けたり指を指したりする。充分な高さまであげてからトーコはボードを発進させた。
兵士が慌ててトーコにしがみつく。
「わあっ!」
「きゃあっ! 前! 前が見えない!」
「うわわっ」
「うぐっ! く、首! 首絞まってる!!」
落ち着くまでしばしの時間を費やしてから、彼の案内で道なりに飛ぶ。時折向かい風が吹いて、うまくそれに乗れると楽でいい。地上を行っていたのじゃ、いつまで経ってもたどり着けない。
兵士が案内したのは大きな広場に面した屋敷だった。南区と一口に言っても、重い病や怪我をなんとか治そうとなけなしの資金で滞在している庶民や、半分旅行気分の金持ちもいる。魔の領域で得られる薬は効果は高いが値段も相応なので、その落差が激しい。
立派な門の内側に着地し、兵士がドアを叩くと、使用人が中へ入れてくれる。寝室へ案内してくれる過程で通り抜けたいくつかの部屋は宴の後片付けの最中のようだった。
寝室の扉の前には国境警備隊の兵士がふたり護衛に配されていた。同僚の説明を受けて通してくれるが、扉が開く前から中の騒ぎは聞こえていた。
「この泥棒猫! どうせ遺産が目当てなんでしょう!」
「そっちこそ、今まで顔もろくに見せなかったくせに、お父さまが大怪我したとたん乗り込んできて!」
「あなたほど図々しくないだけよ!」
「あんたは黙ってなさい! 関係ない人間がなんでここにいるのよ!」
トーコはたじろいだ。本当にここ病室?
「入りたくないなあ。入らなきゃだめ?」
兵士たちにじろりと睨まれ、トーコはしぶしぶ案内の兵士の後ろに続いた。中では数人の男女が今にも掴みかかんばかりに言い争っていた。
これはあれか。ドラマで見たことのある醜い遺産争いと言う奴か。怪我人はまだ死んでないし、死なすつもりもないけれど。
兵士がわざとらしいくらい大きな咳払いをした。
「治癒魔法使いの医師をお連れしました」
揉めていた男女の半分くらいがこちらを振り返り、値踏みする視線でトーコを見た。トーコは彼らを無視してさっさと探査魔法を起動し、治癒にかかった。入り口で失礼したい。
「治癒魔法使いなんぞ呼んでおらん!」
「わたくしが呼びました。それとも、呼ばれて困る理由でもおありなの」
トーコは兵士の背中をつついた。
「終わったから、帰るね」
「えっ!」
そのまま回れ右をしようとするとがばっと手をつかまれた。否、正確には掴もうとして自動的に展開された障壁魔法に阻まれた。
「あ、大丈夫? なあに?」
「待った、行かないでくれ! 父を治してくれ!」
「もう治療、終わったから」
「そんなばかな!」
「そう思うなら、自分で傷の具合を見ればいいじゃない」
また外野がわーわー言い始めたのでトーコは耳が痛くなってきた。
「それから、怪我して弱っている人がいるのに、大騒ぎするのやめてくれない? 怪我は治っても、ゆっくり休んで体力を取り戻さないと……」
「お黙り! 似非ペテン師!」
治せ、出て行けの合唱に挟まれて、トーコはうんざりした。
「黙るのはあなたたち」
問答無用で障壁魔法で彼らの頭を包んで声を遮断し、同時に移動魔法で部屋から追い出す。
「やっと静かになった。病室で大声出すなんて、いい大人が馬鹿じゃないの? お兄さん、怪我の具合を診てくれる?」
兵士に怪我の治癒状況を見てもらい、治っているのを確認してもらってから廊下に出る。廊下に強制的に並ばされている男女を見上げる。障壁魔法を声が通るように調整する。
「わたしの患者の快癒の妨げになる行動はやめてもらう。それが理解できたら手を上げて?」
何人かが手を上げたので、トーコは障壁魔法と移動魔法を解除した。
「あなたたちは?」
「こ、こんな真似してただで済むと思うなよ」
声はくぐもっていたが、聞き取れる範囲だ。たぶん、わめいている本人には反響で何を言っているかわからないだろうが。
「それ、僕は病室で怪我人に配慮した行動は取れません、ていう告白ととっていいの?」
男はなにか喚いたがまともに聞き取れない。そのうち、他の人たちも手を上げたので魔法を解除する。
「この人は誰に預ければいい? 怪我に響くような大声をやめさせてくれない?」
怪我人の寝室に集まっていた男女は全員が嫌そうな顔で沈黙している。かといってトーコも用が済んだ以上長居したくない。せっかくの冬星祭りを楽しみたい。
「なら、連帯責任ってことで。頭の魔法は十五分くらいで解けるようにしておくから、それまでにちゃんと言い聞かせるか、追い出すかしてね」
後でヘーゲル医師が出すはずの請求書のあて先だけ確認して、転移魔法で戻る。それからも時折出る怪我人の対応に走り回りつつ、ついでにあちこちの冬星祭を楽しんでいると、どこからともなく現れたハルトマンからこめかみに拳骨を食らった。
「いたたた!」
「まったくお前はまた問題起こしやがって! 治療に行ったのに揉め事になってどうする!」
「なんで知ってるの!?」
「感謝しろよ。現場に配置されていた兵士がお前を見知っていたんで、わざわざ上官に連絡して、その将校が下手に報復なんか考えないよう先方に釘をさしてくれたんだ」
「どうして皆ハルトマンさんに告げ口するの!?」
「兄弟子だからだ。少なくとも国境警備隊ではお前は俺の縁者ってことになってんだ」
「そんなの認定してもらわなくていいよー」
トーコは涙目でこめかみを撫でさすった。
「そうはいくか。お前は俺のつてで火竜との交戦に駆り出したって主張しとかなきゃ、火竜の分配金が減るじゃないか」
トーコは唖然とした。そんなことになっているとは全然知らなかった。
「余計な敵を作るな。それでお前がどうこうなるとは思わんが、ヘーゲル医師に嫌がらせがいったりしたらどうする」
「わたしも乱暴だったかもしれないけれど、あのひとも悪いのに!」
「言っておくが、それで怪我人が感謝するなんて大間違いだぞ。身内をコケにされて、貴族の体面が傷ついたのに、そのままほうっておくと思うか?」
「え、ええーっ!」
「冬星祭に使用人に休みをやらないで刺されるような雇い主が、まともだと思うか?」
「あれ、ヘーゲル夫人のお店も、お肉屋さんもパン屋さんも今日は使用人にお休みあげてるよね」
「冬星祭はどこの通りもまともに動けなくなるから、南区や金持ち連中は前の日の前夜祭を楽しむんだ。で、翌日の冬星祭にそのご馳走の残り物が貧民に分けられるって寸法だ。その日は使用人も休ませるのが慣例だが、それを許さなかったんで、若い使用人が逆上したらしいな」
「そんなの、あり?」
「今回は国境警備隊のほうで収めてやるから、これは貸しひとつだ」
「……世の中って理不尽だ」
「ひとつ賢くなって良かったな」
トーコが嘆こうがハルトマンはどこ吹く風だ。さっそく貸しを取り立てにかかった。
「うちの連中も塩漬け肉ばかりでこのところ飽きてる。新鮮な角ウサギの肉をよこしたら許してやる。ついでに孤児院で使っていた台所設備を貸せ。明後日には入域するんだろ? 明日はどうだ」
「自分で捌いてくれるならいいけれど、お肉屋さんや材木店に行きたいから、朝置いていって、夕方回収でいい?」
「問題ない」
「角ウサギばっかり飽きない?」
たしかハルトマンは昨年のうちにたっぷりと塩漬けを作ったのではなかったか。
「別に角ウサギばかり食ってるわけじゃないぞ。基本的には豚とか鶏だ。まあ、今年は角ウサギの塩漬けの割合が高いがな」
「ハルトマンさんのところ、食料に回せる少し予算ない? ギルドを通さなきゃいけないけれど、ワタリヌマガモとかベニマスやアオマスもあるよ」
「ほう……」
ハルトマンはなにやら忙しく頭の中で計算している様子だ。
「トーコ、相変わらず解体は肉屋頼みなのか?」
「うん」
「じゃあ、それは俺のほうでやってやる。その代わり、捌いた分を半分寄越せ」
「ええっと、こういう場合はどうしたらいいのな。明日ギルドに寄って聞いてくるけれど、念のため、ギルドの手数料分だけもらうってことでいい?」
「ギルドの手数料ってどのくらいなんだ」
「一割」
「結構持っていかれるな」
「そうでもない。品物の引渡しとか、依頼人とのお金のやり取りとか、事務的なことは全部やってくれるし、結構いろんな補償があるし。ベアさんは結構取引単位が大きいから多少楽だとは思うけれど、小さい単位でも文句言わずに引き取ってくれるし」
臨時職員として裏方も見た後だと手数料に不満はない。
「まあ、一割ならなんとかなるか。ベニマスか。燻製が食べたいな」
「わたしもそう思って、やってみたんだけど、こんなふうになっちゃった」
トーコは以前作ったベニマスの燻製という名の焼き塩鮭もどきを出した。
「塩抜きが足りない。温度上げすぎ。あと、なんか鶏と一緒に燻したか?」
「鶏じゃなくてワタリヌマガモだけど」
「匂いが移ってる。なかなか酷い出来だな」
「そこまで言う!? これはこれでサンドイッチに少しだけ入れたり、鍋に塩代わりに入れたり使えるんだから」
「保存食としては合格だが、もう少し旨く作れよ」
「どうやって~」
これだって、ベアがワタリヌマガモを燻すのに便乗して一緒にやってもらったのだ。ひとりではできない。ハルトマンはトーコからどうやったか詳しく聞きだした。
「ベニマスは温燻じゃなくて、冷燻でやれ。うん、悪くないな。やってやるからこれも半分寄こせ。朝一時間くらいでいいから、入域の途中で二回くらい戻って来れないか? 煙の面倒は見てやる。障壁魔法で燻製箱をつくるのはいい考えだ。一度に大量にできるな」
「戻れるかどうかはベアさんに聞いてみないと」
「よし、聞いておけ。後は塩と白ワインとハーブか香辛料だな。お前塩は持ってるよな」
「塩と白ワインは好きなだけ使って。ハーブと香辛料は少しならある」
「どうしたんだ、こんないいワイン」
白ワインを一口味見してハルトマンは怪訝そうな顔をした。
「この間、火竜を公都に運んだでしょ。そのときに時間凍結魔法を帝国の商人に売ったの。で、お金の持ち合わせがないとかで、その代金がこれ。高級品しか扱ってないって……なんだか無理やり無駄に高い買物をさせられた気分だよ」
「まあ、これひと樽でそこらの安酒場で出してる酒が十樽買えるな」
「でしょう? 魔法だって売る気はなかったのに、ザカリアスさんといいどうして商人の人ってあんなに強引なんだろう。普通、こっちが一歩譲歩したら、向うも半歩譲歩してくれると思うじゃない」
「あほ。一歩譲歩させたら二歩踏み込むのが腕のいい商人というものだ」
「……ベアさんもわたしも充分学習したよ。ハルトマンさんのお兄さんのお家に泊めてもらえて本当によかった。同じところに泊まっていたら逃げ隠れできないもの」
「そこは逃げずに対抗しろよ」
国境警備隊の日用必需品の購入交渉も役務のハルトマンは対処の一端を伝授してくれた。それは有難いのだが、仕事はいいのだろうか? 今日は国境警備隊は祭りで発生するトラブルの対応に大忙しだと聞いているのに。
と、思っていたらそこへヘーゲル医師とバベッテが長女ビアンカ、ビアンカの亡夫の末の弟が戻ってきた。なるほど、これを待っていたのか、とトーコは納得した。
「ハルトマンとトーコだ!」
「よう、ディルク。元気だったか」
「こんにちわ、ディルク」
十一歳のディルクは魔法の才能があり、たまにヘーゲル医師のところに魔法を習いにきている。居候だったハルトマンやトーコとも顔なじみだ。
トーコには理解しがたいことだが、ハルトマンに憧れて懐いている。逆にトーコにとってはディルクは彼曰く「こんなの常識!」の師匠でもある。
ヘーゲル家に来た当初、あまりのトーコの物知らずぶりにたまげて、以来、ハルトマンの真似をしてか色々と偉そうに教えてくれる。トーコのギルド入りに長らく懐疑的だったが、ゲルニーク塩沼で拾った巨鳥の羽や火竜の鱗をお土産にあげてからは、少しは立場を回復した。少しだけというのが厳しいが。
そこへヘーゲル夫人と三女アニ夫婦もやってきて、やや遅れて次女コリーナ夫妻もやってきた。どうやら約束していたらしい。四姉妹が勢ぞろいするのは久々なので、おしゃべりに花が咲き、放置された夫たちは男だけでかたまる。
トーコとディルクはあっちに口を出し、こっちに顔をつっこみである。
「おーい、怪我人だ!」
「今行くー」
トーコはお茶を飲み干すと、屋根まで飛び上がって反対側の診療所の入り口へ着地した。人が増えてきて移動もままならないのだ。
それを目撃した婿たちが唖然とする。ちょくちょく実家に出入りしている娘たちは今更なので無視。おしゃべりのほうが大事である。
「ちょっと見ない間に立派な魔法使いになったもんですね」
「お義父さん、跡を継いでもらえそうで良かったじゃないですか」
「あれ、でもギルドに入ったと聞いてますよ」
「女房の知り合いにとられちまってなあ……」
家でこんなふうに話を聞いてもらえることは滅多にないので、ヘーゲル医師は嘆きながらも嬉しそうだ。
「魔の領域は怖いところだから、そのうち継ぐ気になってくれるかもしれませんよ」
アニの夫オットーが慰めた。魔の領域でやりたい放題、好き勝手に採集生活を満喫しているトーコを知っているハルトマンはふきだすのをこらえた。まったくもって世間一般常識の通用しない奴だ。
「オットー、東区の孤児院の院長ってどんな人なんだ?」
オットーは町役場に勤めている。
「院長? たしか、姉妹が東区の区長の夫人だったような。あまり印象がないな。彼とトラブルかい」
「一昨日、星冬祭の手伝いにビアンカやバベッテと行ったんだが、どうも我々の訪問は迷惑だったみたいで」
「迷惑なら断るんじゃないか? ビアンカもってことなら、国境警備隊とは関係ないんだろう?」
「トーコが話を持ってきたんだ。仲介したのはギルドの職員。なんでも、ギルド構成員の遺児を預かってもらっているとかで。親の残した未受取金から養育費を払っているらしい」
「うわ、せっかくの冬星祭なのに、不正とか、虐待とかやめてくれよ。俺のような下級書記官にどうにかなんかできないぞ」
「なんとなく不穏な感じだったんで気になっただけだ」
オットーはため息をついた。
「具体的に何を知りたいんだ?」
「とりあえず、院長の人となりを」
「……これは祭りで酔った上でのひとりごとだ」
冴えない顔のオットーにハルトマンはにやりとした。
あちこちの怪我人の対応に文字通り飛び回りつつも、楽しい冬星祭をすごしたトーコはベアの予想どおり翌日は朝遅くまで寝ているつもりが、ハルトマンに叩き起こされた。
「女の子の部屋に勝手に入って! 信じられないよ!」
「信じられないのはお前だ。こっちは朝から待っているってのに」
夢見心地でぬくぬくしていたところ、布団ごとベットの外に放り出されたトーコは頬を膨らませながら大またで歩くハルトマンに遅れないように小走りに国境警備隊の宿舎をくぐった。厨房に隣接した中庭にはハルトマンの部下が待っていて、寝坊遅刻したトーコはたちまち小さくなった。
昨日忙しかったのは、彼らも同じだ。国境警備隊からの要請で何度も治療に出向いたトーコはよく知っているので、それ以上ハルトマンに文句を言えない。
約束どおり食材と台所を出し、お詫びに水道設備つきの台所をもうふたり分増設した。そこまでやったら、あとは夕方までお役ごめんなのでハルトマンに追い出されてしまった。
肉屋とパン屋、材木店に寄ってヘーゲル家に戻ると、診療所の入り口に馬車が停まっていた。急患かと駆け込むと、中にいたのは、昨日呼ばれた南区の帝国貴族の寝室で言い争っていた男のひとりと国境警備隊の将校だった。ヘーゲル医師が苦い顔をしている。
「あいつが盗んだんだ!」
「は?」
突然喚かれてトーコは面食らった。椅子から立ち上がってトーコに指を突きつけているのは昨日、一番最後までトーコに手をかけさせた男だった。
将校が咳払いをした。
「昨夜、ヘンダーリン公爵の寝室から貴重品が紛失し、君が盗んだと彼が主張している」
トーコはあんぐりと口を開けた。これって、嫌がらせ? にしても幼稚すぎないか。
「身に覚えがない。以上」
「分かった」
将校はあっさり言ってお茶を飲み干して立ち上がった。
「なぜ探さない! どこかに隠しているに決まっている!」
「ここはわたしの家です。勝手に家捜しさせませんのでそのつもりで」
ヘーゲル医師が腹を立てて言った。その口ぶりから既に彼は家捜しをしようとして、阻止されたものらしい。
将校は貴族の男を促したが、彼は頑として動かなかった。あいつが盗んだの一点張りだ。
「人の家に勝手に押しかけてきて、大声で喚くのやめてくれない? 昨日も同じことを言ったと思うけれど、普通の声で話せないの?」
「トーコ、お前も黙っていなさい」
ヘーゲル医師が警告する口調で言った。昨日ハルトマンに言われたことを思い出して、トーコは素直に口をつぐんだ。確かに、全く状況が分からないので余計なことを言うべきではない。それにしても本当に困ったちゃんな男だ。
「それでは小官はこれで失礼します」
将校がそっけない口調でヘーゲル医師に言った。そのまま出て行くのを、貴族の男が慌てて追いかける。やっと静かになった診療所でトーコは昨日あったことを洗いざらい説明させられた。ヘーゲル医師はまだ二日酔いの残っている頭を振った。
「ハルトマンの言うとおり、帝国の貴族なんぞまともにとりあうな。はいはいって聞き流しときゃいいんだ」
国境警備隊の将校の態度がまさにそれだった。
トーコは納得いかなかったが、ヘーゲル医師に迷惑をかけてしまったのは事実なので引き下がるしかなかった。
「どうせ明日からまた魔の領域に入るんなら、その間にほとぼりも醒めるだろう」
ヘーゲル医師はあまり気にしていないようだが、あんなのにまた来られたら迷惑だ。
ところが、事態はヘーゲル医師もトーコも知らないところで動いていた。
「ヘンダーリン公爵の治癒をした治癒魔法使いは同行されたし」
町議会の執行書を持った役人がヘーゲル家に現れたのだ。トーコには事の重大さがよく分からなかったが、ヘーゲル医師は表情を険しくした。
「どういうことだ」
「我々は職務を執行しているだけですので」
詰め寄ったヘーゲル医師にふたりの役人は木で鼻をくくったような返答だ。ヘーゲル医師は唇を引き結んだ。
「未成年者の保護者として同行する。可能なはずだ」
「いいだろう」
「もうひとりの保護者も同行する。トーコ、全員でベアの所へ転移しろ」
有無を言わせない口調に、トーコは言われたとおりにした。事の展開は分からないが、よくないことが起こっているのだけは分かった。ベアの下宿先である靴屋の上空に四人で転移し、ベアを呼びに行く。着地した役人ふたりはあまりの出来事に声も出ないようだ。
「ベアさん、昨日南区に滞在してる貴族の怪我を治しに呼ばれて、そこの家の人と喧嘩した。そしたら貴重品を盗んだって国境警備隊に訴え出られた」
「国境警備隊が適当にあしらったら、今度は町議会からの執行書を持った連中がトーコを連れて行こうとしているんだ」
出てきたベアはトーコとヘーゲル医師からはしょりにはしょった事情を聞き、あきれたような顔をした。まったく、ほんの数日目を離したすきにこれほどの騒ぎをひきおこすとは。
「執行書は本物か」
「知るか。町議会発行の執行書があるなら、従わないわけにはいかないんだが、道理が通じる相手じゃない」
「朝来てこの時間となると、よほどのコネがあるんだな」
「ベア、最悪の場合はトーコを連れて……」
「それは懸命じゃない。後のこともある」
ベアは警戒でいっぱいの役人たちを振り返った。
「時間がもったいない。移動するぞ。どこへ行けばいいんだ」
「町会裁判所付属の待機所に収監することになっている」
「犯人扱いじゃないか!」
ヘーゲルが憤然とした。ベアは無視してトーコに指示した。
「雪の上を移動する障壁を出せ、全員詰め込んで移動する。上から行く。慣れない人間が目を回したら困るから、ゆっくり行くぞ」
「う、うん」
役人たちは抗議するまもなく移動魔法で強制的に乗せられ、トーコはベアの指示通り、ゆっくり飛んだ。ベアさんたらどうしたんだろう。いつもは目立つようなことを嫌がるのに。
ベアは飛行中に執行書をじっくりと確認した。そして、おもむろにトーコに行き先変更を告げた。
「か、勝手な行動は逃亡と見做すぞ!」
役人が警告した。
「問題ない。この執行書を発行した相手に出頭するだけだ」
「発行したひと?」
ヘーゲル医師とトーコは顔を見あわせた。
「トーコ、このまま通りをまっすぐ、そこで右へ曲がれ。広場が見えたらそこで降りる」
「ここ?」
「そう、その屋敷だ」
大きな広場に面した大きな屋敷の前に一行は降り立った。
「おい、ベア。ここは、もしかして……」
「町長の屋敷だ」
ヘーゲル医師よりも、役人たちのほうが絶句している。ベアはさっさと階段をのぼり、玄関扉を叩いた。
ややあって応対に出た使用人が、ベアの風体を胡乱げに見るのも構わず、封ろうのはがれた執行書をちらりと見せる。
「ギルドのベアという。至急の用件で町長に呼ばれた。取り次いでくれ」
「旦那様はお客様とお食事中で」
「では来たことだけ伝えておいてくれ。俺たちのほうには用はない」
「少々お待ちを」
強気に出たベアに、使用人は一行を玄関広間に迎え入れ、主人に伺いをたてにいった。
トーコはベアの袖を引っ張った。屋敷前に停まっている馬車に見覚えがある。
「ベアさん、お客さんって昨日治した人だと思う」
「それは好都合だ」
まだ使用人が戻ってきていないのに、ベアはトーコに探査魔法を使わせて、屋敷の構造と主人の居所を聞き出すと、勝手に歩き出す。ヘーゲル医師とトーコがついていき、役人たちがその後からあわてて追いかけてくる。
「勝手に……! 取次ぎを待てないのか」
役人たちは調子を狂わされ、すっかり後をついていくだけの存在になっている。
「そこだよ」
ベアは半分扉が開いて中から声が聞こえてくる部屋の前に立った。一応ノックしてから、返事を待たずに勝手に入る。
「食事中に失礼」
「なんだね、君たちは」
中には主人と客がひとりだった。昨日トーコが治癒した貴族は顔を覚えていないのか、トーコを見てもなんの反応も示さなかった。顔色を変えたのは町長だ。
「また、なにか魔の領域がらみの問題かね。竜ではなかろうね」
「いいえ、今日はあなたに呼ばれまして」
ベアから執行書を手渡され、町長は怪訝そうな顔のまま目を通す。読み終えて、ワインだと思って飲んだらお酢だったという顔で、ベアと客人の顔を交互に見る。
「君が、彼を治療した治癒魔法使いなのかね?」
「いいえ、彼女です」
「ああ……」
「それで、もし収監となると、彼女が預かっているギルドと国境警備隊の資産の保管先の問題がありますので、念のための確認を」
「ギルドと国境警備隊の資産?」
「火竜の生血と生肉です。なにぶんにも物が物なので、保管できる魔法使いが他におりません。時間凍結魔法が解けたときの損失を考えますと、ギルドも国境警備隊も充分な保管体制を今から用意するのに時間がかかりますので」
いけしゃあしゃあとうそぶくベアにトーコは唖然とした。脅しに聞こえるのは気のせいだと思いたい。
「……なるほど」
「昨日は冬星祭ですから、治癒魔法使いの医師方も、国境警備隊も立て込んでいたことでしょう。治癒魔法の腕はわたしと彼で保障しますが、どうやら行った先で患者の家族と感情的な行き違いになったようです。なにぶん子どもですから、売り言葉に買い言葉で失礼なことを申し上げたようで。当人も反省しています」
ベアに促され、トーコは慌てて前に出た。そっくり返っている帝国貴族に頭を下げる。隣でベアまでが頭を下げる気配がして、涙がこぼれた。こんなことでベアにまで頭を下げさせるなんて。
「昨日は失礼なこと言ってごめんなさい」
帝国貴族がうむ、とか何とか言った。それを受けて、町長が執行書を折りたたんだ。
「これはわたしのほうで引き取ろう」
「ありがとうございます。お手間をおかけしました」
ベアに促されてトーコは食堂を出た。
「なんで、今、泣くんだ。ベアがうまく納めたんだから喜べや」
廊下を歩きながら、ヘーゲル医師が苦笑してトーコの背中を叩いた。
「ご、ごめんね。ヘーゲル医師にも迷惑かけちゃうし、ベアさんにまで謝らせちゃうし……弟子失格だね」
「気にするな、もともと俺が任せたんだし、トーコはなにも悪くない」
「いい加減泣き止め。このまま外に出たら何事かと思われるぞ」
「ごめん、自分で情けなくて……」
「ヘーゲル医師の言うとおりだ。次やるときはもう少しうまくやれ」
ベアも内心はほっとしていた。相手は貴族、それも帝国の貴族だ。へたをすれば、町の施設に収監ではなく、そのままどこかに連れて行かれる可能性だってあったのだ。余計なことを言って怖がらせるつもりはないが、貴族とは横暴なものだ、という偏見がある。
「うん、そうする」
盛大に洟をすすりあげて頷くと、ふたりに失笑された。
確かに表に出るには抵抗のある顔をしているはずなので、ふたりに待ってもらって顔を洗う。
「それじゃ、帰るか。バベッテが昼を用意して待っているぞ」
「お昼ごはんで思い出した。あの、今の食堂で気になったんだけど」
トーコは歩き出そうとしたベアの袖を引っ張った。説明すると、ふたりとも天井を仰いだ。
昼食をともにした客人を玄関まで見送った町長は、家の中に入って玄関広間の暗がりにいたベアとトーコに気がついて顔をしかめた。
「まだ何か用かね」
「ええ。ついでに昼食がまだなので、呼んでいただけないかと思いまして。給仕はいないほうがいいでしょう」
「……いいだろう、来たまえ」
何かあると察した町長は先に立ってもと来た廊下を食堂へ戻った。
「お茶を頼む。彼らには……」
「パンだけで結構です」
片づけを始めていた使用人に命じて、町長は彼らを下げた。
「それで、何かね。わたしはこれでも結構忙しいのだが」
「存じております。トーコ、遠慮しないで食べていい」
「いただきまーす」
トーコはふかふかのパンを籠からとってジャムをたっぷり塗りつけた。ひとくちかぶりつく。
「うん、いい味」
「そうか」
ベアは町長に向き直った。
「お伺いしたいことがひとつ」
「なんだね」
「このマーマレード、どこで手に入れられました?」
「マーマレード?」
町長が拍子抜けした顔をする。
「たしか、冬星祭の前夜祭で東区の区長が持ってきたのだったか。魔の領域でしか採れない果物で非常に珍しいとか。食べて問題のあるものなのかね?」
「害はありません。出所は問題ですが。それは、我々が作ったものです。贈答品として出回るはずがないので、不思議だと思いましてね」
町長が呆れた顔をする。
「偶然ではないのか。マーマレードくらい誰でも作るだろう」
「ところが、この果物は魔の領域の深いところでしか採れないのです。たどり着くだけでも一週間以上。たいした薬効もなく値もつかないただの痛みやすい果物を持ち帰るような物好きが我々以外にいるとは考えにくいのでね。しかも、我々もこれを作ったのは、ほんの三日前のことでして」
「間違いなく、わたしたちが作ったものだよ。黒砂糖を混ぜるやり方も、このところどころ下手くそな皮の切り方も、隠し味のスパイスの配合もまったく同一」
トーコが太鼓判を押した。
「なんなら、わたしが持っているのと食べ比べてみる?」
「何が問題なのか、はっきり言いなさい」
「東区の孤児院の子どもたちのために、年長の子どもたちと一緒に冬星祭の二日前に孤児院の厨房で作ったものです。孤児院へはギルドが遺産を管理している子どもたちを養育費を払って預けているので、その関係です。贈答品の横流しとはいささか品位に欠けますな。町でも気になる噂を聞いておりますので、心配になりましてね」
気になる噂のほとんどは昨日ヘーゲル医師が娘婿から酒の肴に聞いたものだ。
町長は今度ははっきりと不快な表情をした。
「そちらは、わたしのほうで気にかけておこう」
「ご配慮ありがとうございます。それでは今度こそ失礼いたします」
立派な屋敷から出てトーコは尊敬のまなざしベアを見上げた。
「ベアさん、凄いねえ」
公都での商人たち相手の連戦連敗を取り戻すかのような鮮やかな手際だ。
「このくらい、できるようになれ」
「なれるかなあ。無理そう」
窃盗云々について何一つ言及せず事を納めてしまうとか、絶対無理だ。トーコなら頭に血が上っている状態でそこをうやむやにするなんてできそうにない。
「ヘーゲル医師が意外に短気でびっくりしちゃった。ベアさんがいてくれて良かったあ。助けてくれてありがとう」
「あまり、ヘーゲル医師やバベッテを心配させるようなことをするな」
「うん、気をつける。そうだ、入域が長いと心配するみたい。週に一回くらい顔を見せろって言われちゃった」
「ああ、そうだな。そうしたほうがいい」
「ベアさんもそのとき一緒に戻る?」
「俺はいい。移動しないで待っているから、気にせず顔を見せて来い」
「うん、わかった。……あのね、ベアさん、ありがとう」
「あほ貴族のことなら気にしないでいいぞ」
トーコは首を振った。
「それだけじゃなくて。木から下ろしてくれてありがとう。ユナグールに連れてきてくれてありがとう。ヘーゲル医師のところに居候先を見つけてくれてありがとう」
まるで、別れの挨拶のような不吉さに、ベアはたじろいだ。
「なんだ、急に」
「いろんなこと教えてくれてありがとう」
ベアは足を止めた。やはり去るのか。胸のうちがすーっと冷たくなった。
「そ、それでね……」
「なんだ。はっきり言え」
ベアは強い口調で言った。
「その、来月の三日でわたし、十五歳になるんだけど」
「……そういえば、そうだったな」
忘れていた。もう幾日もない。十五になったらトーコはひとりで魔の領域に入れる。ベアの許可は必要ない。
「書類の上では一人前なんだけれど、まだベアさんについていってもいい?」
ベアは知らず息を吐いていた。
「ベアさん?」
見下ろすと、トーコが心配そうな面持ちでベアの返事を待っていた。
「そ、その魔の領域だけじゃなくて、町でも迷惑かけておいて、ずうずうしいんだけど、次に同じ季節が来たらもうちょっとましにできると思うの。できるように頑張るから、足手まといだと思うけれど、ええと……」
語尾が小さくなっていく。
「むろんだ」
ベアは答え、それから思いついて言い足した。
「トーコとチームを組んで俺も助かっている」
「ほ、ほんと!?」
声ばかりか肩まで小さくしていたトーコがいきなり復活する。
「ああ。第一、ギルドの規定年齢は満たしても、弟子はそう簡単に卒業できん」
「ありがとう、ベアさん!」
トーコに飛びつかれて、不意をつかれたベアはよろめいた。十五歳じゃなくて、五歳児の行動だ。
そこから楽しかった冬星祭について、怒涛のおしゃべりが始まり、ヘーゲル家にたどり着くまで、ベアは延々聞かされる羽目になった。




