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第17話 結晶樹

 「ベアさん、明けましておめでとう!」

 「アケ……?」

 「新年おめでとう、って意味だよ」

 「新年はおめでとうなのか?」

 ベアが怪訝そうに訊ねる。

 「じゃ、バルク流に、新しい年へようこそ!」

 「新しい年へようこそ」

 新年の挨拶を返し、靴についた雪を落としてギルドの建物に入る。

 年が変わった二日目。バルク公国には正月休みなどというものは存在しないので、普通にギルドも営業中だ。ただし、年末から雪が二回降っているので、入域者は減り、ギルドも閑散としている。

 トーコは嬉しそうに掲示板に駆け寄った。秋にはびっしりだった掲示板も空白が目立つ。

 「見て、ベアさん! 新しい掲示板だよ!」

 トーコがワタリヌマガモの出張査定の報酬に予算を貰って作り直した掲示板だ。依頼書は薄い木の板にネンチャクマツのヤニで留められて、その板が鴨居のようになった差込部に引っ掛けられている。

 「前の掲示板は一度貼ったら移動させるのが大変だったでしょ。これなら依頼書の板を押せば横にはずずーっと簡単に動かせるし、画鋲を抜くより簡単に取れるの。どうやったら見やすい掲示板になるかは意見が出すぎて全然まとまらなくて困ってるけれど、暫くはみんなで試行錯誤するつもり。今決まっているのは、掲出して二日以内のは『新』マークをつけるのと、緊急で依頼したいもので追加報酬があるようなのは『至急』マークをつけることだけ」

 トーコはベアを掲示板の前に引っ張っていき、説明した。

 「並べる順番はぜんぜん決まってないの。採集系を左に、狩猟系を右にしたいって人もいるし、ツムギグモは左上に、ワタリヌマガモは右下にって依頼場所を地図みたいにしたほうがいいって人もいるし、みんな自分が並べるときに勝手に置き換えて喧嘩してるって!」

 そういってトーコは嬉しそうに笑った。

 「似た依頼が近くにあるだけ見比べやすくなったな」

 ベアは洗濯ばさみのような「新」マークのくっついた板をしげしげと見た。素人が釘を打ったような簡易な作りだが悪くない。

 「問題は、長く置いているとネンチャクマツのヤニの粘着力がなくなって依頼書が落ちちゃうことと、依頼書がヤニで汚れること。板を薄くしたから、画鋲が使えないんだよね。これは盲点で失敗しちゃった。なんかいい案がないかベアさんも考えて~」

 「思いついたらな」

 ギルドの職員ともすっかり仲良くなったトーコは彼らとも新年の挨拶を交わしている。ベテランのベアよりよっぽど入り込んでいる。

 ベアはギルド証を出して入域申請をした。

 「二ヶ月? こりゃまた雪の季節にずいぶん篭るね。ま、あんたたちなら心配はしないが」

 「心配してくれ。もし戻らなかったらギルド長に葬儀代を請求する」

 「戻らなかったら請求することもできないね」

 なじみのギルド職員は肩をすくめてベアとトーコを送り出した。

 「全く、冬の入域を軽く考えて」

 ベアはぼやいた。物資をいくらでも持ち込め、いざとなれば転移魔法で戻ってこれるとはいえ、冬の入域が楽なわけではない。トーコは冬場の入域にも当然ついてくるつもりでいたようだが、ベアはそこまでは考えていなかった。ギルドに入って四ヶ月の初心者、しかも十五にもならない子どもを連れて入るのはベアと言えども厳しい。

 「ベアさん見て!」

 そんな師匠の胸の内など知らず、トーコは温かそうな手袋に包まれた両手を見せびらかした。

 「新年にヘーゲル医師と奥さんに貰ったの。すごくあったかいの」

 「良かったな」

 「ベアさんの言ったとおり、ヘーゲル医師のお酒と、バベッテ姉さんとヘーゲル夫人の亜麻布も喜んで貰えたよ! そのまんまじゃ味気ないから、プレゼント用にリボンをかけて花を飾ったんだけど、樽にリボンをかけるのが意外に難しくて大変だった」

 「花? よくこの季節にあったな」

 「秋に摘んでおいたのが少しあったから。それだけじゃ足りないから実のついた枝でごまかしたら、今朝来たアニにすっごく怒られた」

 「なんでアニが怒るんだ」

 「クロザクロが欲しかったみたい」

 「……なるほど」

 トーコには飾りでも、アニには薬だ。今頃花束は彼女に回収されているに違いない。ヘーゲル医師はおそらく花より酒だろうし問題ない。

 「これはベアさんに」

 トーコは小花を挿してリボンをかけた小箱をベアに差し出した。深い緑色に染めた革の蓋を開けると指輪が収まっていた。

 「結晶石か」

 「それだけじゃないよー」

 トーコはやわらかなクッションから指輪を取り上げた。

 「台座をこう押しながら上にずらすと、ほら、物が入るようになってるの。めいっぱいの空間拡張と時間凍結魔法をかけてる」

本来なら豆一粒ほどのスペースだが、それで充分だ。

 「これはいいな」

 「火竜を運んだ時、泥棒対策にどこにしまうか悩んだじゃない? その時、ぱっと見ただけじゃポーチから出したのか分からないように、こっそり別の空間拡張容器から出し入れできないかって思ったの。後であの帝国商人の人から交換品を貰った時に、色々しつこく勧められた品にこれがあって、使えそうな気がしたの。石を取り替えてもらうのに時間がかかっちゃって新年に間に合わないかと冷や冷やしたよ~」

 「わざわざ石を変えたのか?」

 「うん、ベアさんがサファイアの指輪とか不自然でしょ。結晶石なら空間拡張維持にも使えるし、魔法使いが結晶石を身につけているぶんにはおかしくないもの」

 「なるほど」

 「自分用にもう一個指輪を加工してもらっているんだけど、輪の大きさも変えてもらわなきゃならないから時間かかるって」

 「男物だからな」

 指輪は男性が、対のブローチやペンダントは女性が身につける。トーコにかかればロマンチックな品もただの実用品に成り下がる。

 「このデザインが一番台座と石がでっぱってなくって、邪魔にならなかったんだ。ベアさんのも本人が来てくれれば大きさをあわせてくれるって」

 「大丈夫そうだ」

 ベアは中指に通して目の高さにあげた。シンプルだけれどいい細工だ。物が入るとは分からないつくりは、腕のいい職人が作ったに違いない。おそらく人目を忍ぶ恋人たちのための品だろう。製作者の意図とは違うだろうが、隠し場所として使うにはもってこいだ。

 使う時は手袋を外さなくてはならないが、日常使いにするわけではないから、そのくらいは構わないだろう。探査魔法で内部を探るとかなり広い。中になにかある。移動魔法で取り出すと、手のひらに乗るような小さなカードだった。

 「ベアさんへ いつもありがとう 今年もよろしくお願いします」

 「……」

 ベアはカードを時間凍結された空間へそっと戻した。


 東門から見る魔の領域は真っ白だった。旧年のうちに一度雪の魔の領域を経験してはいたが、さほどの降雪ではなかった。キラキラした雪は美しいが目を傷めるので、トーコは幻惑魔法を応用した日除け魔法でベアと自分の身を覆った。

 積雪はまだたいしたことはない。それでも慣れない雪道は体力を奪うので、自然にゆっくりとした移動になった。時々枝に積もった雪がばさりと落ちる音が大きく響く。秋にはあれほど賑やかだった森が、深い眠りについたようだった。

 先を歩いたのはトーコだが、いつもと違う森は簡単に道を見失ってしまう。採集はせず、移動だけだったのに、何度かベアの軌道修正を得て共同野営地に入ったのは日暮れぎりぎりだった。最後は良く見えなくて、ベアが先導した。

 ベアは周囲の木の並びや幹の感じでなんとなく分かるというが、その域に達するには何十回となく往復して無意識のレベルで道を叩き込まねばならない。トーコに長い道のりである。

 遅くなったので雪の下から枯れ枝を探すのは省略して、手持ちの薪を炉に組んで火竜の火を火種にする。残念ながら互いの予定が合わず、火魔法使いからまだ火魔法を教えてもらっていないのだ。

 乾いた薪はすぐに暖かく燃え始めたが、煙たい。そのうえ建物が暖められるより直土の床から登ってくる冷気と隙間風で、冷えるほうが早くたいして暖かくない。晩秋とは全く違う冬の寒さだった。

 「こんなのは寒いうちに入らない。冬の中央高原地帯は零下二十度だ」

 「それがどのくらい寒いのかは分からないけれど、わたしには無理ってことだけは分かった」

 トーコは早くも敗北宣言だ。

 「迂闊に金属のカップを使うと、唇がはりつく」

 「ひえーっ」

 「まあ、真冬に行く用もないが」

 「凍傷とかしもやけについては一応ヘーゲル医師や治癒魔法使いの医師たちに対処法や治療法を聞いてきたんだけど。服はこまめに乾かさないといけないらしいから、休憩の時にやっちゃうね。あとヘーゲル夫人がしもやけ予防のクリームを手と足の指に塗っておきなさいって。ベアさんのぶんもあるよ」

 トーコはポーチを漁り出した。

 「ありがたくいただこう」

 いつも大量に薬草類をまきあげてゆくヘーゲル夫人の実家は質の良い薬へ加工する技術を持っている。

 「顔にはこれ。唇はこれ。ひじやかかとはこっち。あ、顔はふたつあって、夜はこっちの」

 「……」

 「これは全身用」

 「それだけでいい」

 「ダメだよ、ちゃんと塗らないと雪火傷するって」

 目的と基準がベアとヘーゲル家の女性陣とでだいぶずれている。既に洗脳、否、薫陶を受けているトーコは不満そうだったが、ベアは一番汎用性のありそうなのだけ受け取った。

 煮えてきた鍋と炉火で暖を取り、寒いので早々に寝床を作り始める。トーコが枯葉の形を整えているとベアが上掛けを投げた。

 「これを使え。新年の贈り物だ。中身はトーコの獲ったワタリヌマガモだがな」

 「うわあ!」

 以前、ベアが即席で作った羽毛布団もどきは頼りないくらい軽いのにとても暖かかったのを覚えている。トーコもローブの下にベアに見立ててもらって買ったダウンジャケットのようなものを着ているが、暖かいのは上半身だけなのが悩みだ。

 「防水加工できないから野営しながら使える場所は限られるが、こういうときはいいだろう」

 「さっすが、ベアさん! ありがとう!」

 トーコは大喜びで早速お風呂の魔法を使ったら足先までくるまって枯葉マットレスに寝転んでみた。薄い羽毛布団は体にぴったりと沿い、くるまるのに丁度いい。火の始末をして、残った魔力を集めて封筒に保管したらそのまま朝まで暖かくぐっすり眠れた。


 冬の森は少ないなりに採集物がある。

 「ウラジロヒイラギ。冬に黄色く熟す。これはもう少しだが、一本見つければ沢山取れる効率のいい実だ」

 ふむふむ、とトーコは記憶した。メモをとりたくても指がかじかんでしまうので、火を熾す休憩のときまでしっかり覚えておかなくてはならない。

 「となりはアカヒ。冬の終わり、春、つぼみが膨らんできて咲く直前に樹皮を剥がす。薬として煎じると汁が真っ赤になる。花も赤いが、花が咲いて散ると樹皮からも赤い色は消えてしまう。採るタイミングの難しい木だから普段から歩いて場所を覚えておくといい」

 「ベアさん、見たことない小鳥が上の枝にいる。白くて可愛いの」

 「ユキスズメ。<深い森>で越冬する渡り鳥だ。冬を越す虫なんかを探して樹皮を剥ぐ。害は害だが、小さいから無視していい」

 それより、とトーコの指を追って梢と灰色の空を見上げたベアが早めに野営場所を探すと宣言した。寒いけれど穏やかな天候が続いたのは三日までだった。

 「今の季節、北東からの風が吹雪を運んでくる。上空の雲の流れが速い。次の野営地まで行けなくもないが、早く行こうと焦ると道を間違えたり、天候の変化が予想よりも早かった時に対応できない危険がある。次の野営地は無理していくほどのものじゃないから、今回はこのあたりで野営できる場所を探す。自信がなかったら無理せずユナグールへ転移しろ」

 「うん、分かった。どんな場所を探せばいいの?」

 「大きな岩や木の南西側で雪の吹き溜まりにならない場所だ」

 言いながら、モミに似た常緑樹の枝を山刀で落としてトーコに持たせた。

 「探査魔法で場所を探していい?」

 「今日はいいことにしよう。いずれなくても探せるようにな」

 「うん」

 トーコが探した場所を実際にベアが見て、四つ目の候補地へ移動する途中で使えそうなのに行き当たった。岩陰ではなく、大きな木の洞だ。トーコには盲点だった。恐る恐る中を確認する。あちこち隙間だらけだったがベアの落としたモミの枝を差し込んで塞いでいく。じめじめしてキノコが生えていたが、トーコが乾燥させた。

 「モミの枝って使えるね」

 「本当は崖や岩かげに薪用の枝を立ててそこに被せるつもりだったが、いい場所があったな」

 膝は伸ばせるが火を焚くスペースはないので、トーコのレンチン魔法でスープを作る。

 「火は通るんだけど、やっぱり食感がイマイチだなあ。特にお肉とかおイモが」

 「贅沢言うな」

 「どうせ作るなら美味しくしたいもん。ベアさん、お肉とおイモはできれば全部食べちゃって。明日の朝の分は追加してこのまま障壁魔法で覆って保温しておこうっと」

 ベアはほとんど肉とイモしか入っていない椀を受け取って黙々と食べた。文句はない。この状況下で食べごろに寝かせた肉や新鮮な野菜がたっぷり入った食事など普通望むべくもない。

 ふたりは市場で冬の間の入域食料として根菜や乾燥豆を調達していた。全てベアとトーコのポーチに振り分けてしまいこんでいる。食料の心配がないというのはありがたい。

 トーコが魔力切れから入った眠りから醒めるとあたりは暗かった。まだ早いのだ。木の洞とベアにもたれて眠った体がこわばっている。そっと体をほぐしてもう一眠りする。二度寝して起きてもまだあたりは暗い。でも魔力は充実しているし、トーコの腹時計がもう起きてご飯を食べる時間だと告げている。

 「起きたか」

 「おはよう。朝だよね?」

 「それどころかもうすぐ昼だ」

 「真っ暗」

 「吹雪だ。障壁を張れるか?」

 「うん。魔力は満タン。どうすればいいの? 外はどうなってるの?」

 「外が気になるなら、ここを中心に直径五メートルくらいの障壁を張ってみるといい。外に出られる。空気穴を忘れるなよ」

 言われたとおりに障壁を張って、入り口を塞いでいたモミの枝を外す。ベアが寝ていたほうの亀裂は雪がモミに付着したまま固まっていてまるで壁だった。

 「もちろん、壁になるようにしたんだ。こういう葉の枝は雪がつきやすい。雪から逃れるには雪の中に隠れるのが一番だ。周囲になにもないときでも、雪を掘って隠れれば意外に暖かい。吹きさらしの中だとあっという間に体温を奪われて危険だ。雪の粘度が足りない時は、飲み水を使ってでも雪の中に入れ」

 かまくらみたいなものかな、とトーコは思う。

 「うまく作れない時は、障壁魔法で形を押し固めてから水をかけるとあっという間に凍る。気をつける必要はあるが、一度作れば魔力を消耗しないでとりあえずしのげる」

 「うん、分かった。空気穴を忘れないように、だよね」

 「そうだ。心配なら棒を外に向ってつきたてておくと、いざと言う時引き抜いて空気穴にできる。空気が流れやすいように、できれば二箇所あるといい」

 壁を壊して外に出る。亀裂の位置が高いので、先に出たベアに引っ張り上げてもらう。入る時と、中にいる間はいいのだが、移動魔法がないと最初に出るのは大変だ。

 「さっむーい!」

 トーコはぎゅっとフードを引き下ろした。木の洞のなかは自分たちの体温で暖かかったのだ。

 「わー、何にも見えない」

風の音だけがごうごうとする。木の洞の中で聞こえていたひゅうひゅういう音とはまた違う世界だ。

 「トーコ、空気穴はどこだ」

 「ここの下と上の二箇所」

 「まだ時間凍結魔法で固定していないなら、風下側に作り直したほうがいい。雪が吹き込んでくるし、火を使うなら詰まるとまずい」

 「火を使っていいの? だったら煙を逃がす穴も上に作ったほうがいいよね。暖かい空気も逃げちゃうけれど」

 「そのくらいは仕方ない。吹雪の直撃を受けないだけいいはずだ。しばらく収まりそうにないから魔物もこないだろうし。火をくれ」

 ベアがホムラギ、通称ボロギの樹皮をとりだしたのでトーコは火竜の火で点火する。それでやっとあたりが見えた。障壁にはものすごい勢いで雪と風が当っている。トーコは北東からの風を逃がしやすい形に障壁を変形させ、煙突口も雪が吹き込みにくいように覆いをつける。念のため通風孔を複数あけて、使わないところにはスライド式の窓で塞ぐ。雪がもっと積もったり風向きが変わって、今使っているのが塞がってしまっても作り直さなくていいようにだ。

 「こんな感じでどうかな」

 「いいだろう」

 トーコは時間凍結魔法で固定した。

 「それじゃ、飯にするか」

 トーコは湿地で作った即席テーブルと椅子、かまどをだした。薪に火を移すと周囲が明るくなる。ベアがヒブセの枝の先端を割り、燃えているホムラギの樹皮を差し込んで、雪に立てた。燃えるホムラギの樹皮と燃えないヒブセの枝で作る即席松明は使い勝手が良くて、ベアのお気に入りだ。

 移動できないのでゆっくり過ごすことにする。薄暗い上に、裸火はちらちらするので長くは書き物もできない。

 トーコは通風孔から雪を取り込んで、水にすると鍋型に変形させた障壁魔法に汲み上げ始めた。いくつも作る。

 「何をしているんだ」

 「乾燥豆を水で戻しておこうと思って。水に戻してから保存しておけば、すぐに煮られるでしょう? まずは五分の一くらいずつやっておけばいいかな」

 「戻しておくのはいいが、煮るなよ」

 「味がしみなくなるもんね」

 トーコが続いて根菜を水洗いしている横で、ベアは何か考えているようだった。

 「トーコ、水薬用の首の細くなっている一番小さい瓶ってどのくらいの大きさだ」

 「百ミリリットル。黒いのと青いのがあるよ」

 「その瓶が十本、充分な間隔をあけて入るような木箱はないか」

 「木箱?」

 トーコはポーチを覗き込んで探し始めた。

 「麻布が入っていたのは?」

 「でかすぎる」

 「ニンジンを買ったときの木箱」

 「蓋ができるのがいい」

 「蓋、蓋……あ、これは? 瓶詰めワインが入っていたの」

 「ふたつあるか」

 「ちょっと待って、中身をどかすから……はい。何をするの?」

 「せっかくこんなに寒いんだ。竜の血と肉を小分けにしておく。瓶のまわりに雪を詰めておけば、外に出しても簡単に劣化しないだろう」

 「一リットルなんて使いにくいもんね。もっと小さくすればいいのに」

 「俺たちのように生の血を保存できれば別だが、普通はこれから血凝を作るからだろう」

 「あ、そうか。凄かったね、効果」

 火竜の解体時、連れてこられた傷病者がいた。肉を解体した刃物についた血をぬぐったパンを与えられた怪我人、肉の欠片を与えられた病人はみるみるうちに快癒した。大公からの振舞いという名のパフォーマンスだ。

 トーコは苦しそうな彼らが闘技場に担架で運び込まれるのを見ていい気持ちがしなかった。怪我なら治癒魔法で今すぐ何とかしてあげられるのに、解体を待って吹きさらしにされている彼らを黙って見ていなくてはならないなんて。

 やらせじゃないかとも思っていたので、密かに探査魔法で見張っていたのだが、火竜の膨大な魔力は嘘偽りなく怪我人を癒し、吸収されなかった魔力があふれ出て流れるのを見た。怪我は分かるが、病までもとなるとトーコにはもはや理解不能の領域だ。竜がずば抜けて長命で生命力が強いのも当然だと思えた。

 「一滴ってどのくらいなのかな。解体した刃をぬぐったパンをあげていたけれど、あれ、多すぎるよ」

 「あれで多いとはあきれるな。トーコが搾り取ったせいでほとんど解体時に血が出なくて、半端の瓶を開けるか話していたほどだったぞ」

 「前日に大怪我したっていう大工さんがいたじゃない、骨折も内臓の出血も一瞬で治ってた。足りない血を補うのは流石に無理みたいだけど、治癒魔法の完全上位だもん。治癒魔法を使うときに目いっぱい魔力を送ってもあそこまで体力を回復させられない」

 「俺も自分の目で見るまでは話半分だと思っていた。あの時、よく時間凍結したと思うよ」

 「しろって言ったの、ベアさんなのに」

 ベアがしみじみといい、トーコは笑った。

 「あそこで竜に復活されたら困るからだ。あの血肉を持つ竜をよく倒したと思うよ」

 「ほんと! それは心から思う。ねえ、この竜の血だけど、十等分にしただけでも多いよ」

 「一滴で快癒か……。これで何滴分だろうな」

 「昔、お父さんが使っていた目薬が十ミリリットルで一日三回一か月分とか言ってたなあ。両目に使っていたんだから、単純計算で百八十滴。一リットルで一万八千人分か」

 「途方もないな。小分けにしたらトーコもひとつ持っておけ。人に頼まれても売るなよ。自分用だ」

 「うん、ありがとう」

トーコはふたつの木箱に雪を詰めて十個の黒い小瓶を立てた。暇な時にかけておいた空間拡張と時間凍結魔法を解除する。慎重に大瓶の中身を注ぎ分け、自分の分は障壁魔法に雪を詰めたものに差し込むと残りの九本に封をする。

 「何をするんだ?」

 「このままじゃいざって時すぐに使えないから。もうちょっと使い勝手良くしようと思って」

 トーコは一滴ずつ竜の血を取り出して氷で作ったカプセルに閉じ込めた。氷は薄いので口に入れれば簡単に噛み砕け、すぐに溶けてしまう。

 「パンに一滴ずつたらしてもいいけれど、これなら意識のない人でも口にしやすいかと思って」

 「いい考えだ」

 「ベアさんのもやる? この状態で時間凍結と空間拡張をかけた容器にいれておいて、飴玉みたいにして使えばいいんじゃない?」

 「道具がなくてもすぐ使えるのはいいな」

 トーコは小瓶ふたつ分を氷飴にした。肉のほうも十等分にしてから一部を更に細かくカットする。転移魔法なら一瞬だ。こちらも欠片を氷飴にして瓶詰めにしたら、間違わないように厳重に紐をかけて目立つラベルを貼る。

 ついでにザカリアス商人を通じてギルドと国境警備隊から預かっている未売却の血肉も木箱に詰めた雪に埋め込んで保存する。ザカリアス商人はどうやら夏場にバルク公国を訪れる周期の帝国商人をターゲットに半年後くらいに再度競売を開く腹積もりらしい。

 吹雪は二日続いたけれど、食材の下ごしらえに、竜の部位の小分けにと有意義な時間を過ごすことができた。


 降り積もった新雪の上を歩くのはかんじきもどきの木枠を足に装着していても難しい。降りたての雪はさらさらして体を支えてくれないので、埋まっているんだか、前に進んでいるんだかわからない状況だ。

 「ベアさん、魔法使いたい。もう無理。これ以上泳げない」

 一時間がんばったあとでトーコは根をあげてベアに泣きついた。

 「年の初めにしてはずいぶん降ったからな、まあいいだろう」

 トーコは嬉々として雪の上にボードを立てて飛び乗った。浮遊魔法と移動魔法で雪煙を立ててすっ飛ばし、すぐにベアに叱られる。

 「遊ぶのは後だ。ちゃんとまわりの木を良く見ろ」

 「難しい。幹だけ、しかも半分くらいしか見えないのに、ベアさんはよく区別がつくね」

 探査魔法を使うほどの採集物はないのでふたりは比較的まっすぐ東へ進んで、翌日には草原に出た。

 「さて、おまちかねの採集だ」

 「わーい、何があるの?」

 「そこに見えているのがユカン。雪を落として、黄色く熟した実をもぐ。ヘタの回りがまだ青いのは残しておけ。皮の油と種が大事だ。ヘタの棘が鋭いから、気をつけろ」

 「果肉は? 食べられる? 食べていい?」

 「酸っぱいだけだぞ」

 ベアが厚い皮にナイフをくるりと入れて外してくれたので、さっそくひと房齧る。

 「酢っぱ~い!」

 トーコは口を押さえて縮こまった。

 「だから言ったろう」

 「酢っぱすぎでしょ、これ!」

 それでも口の中が落ち着くと、

 「ビタミンがいっぱいありそうな感じ。お酢代わりにつかえないかな。ドレッシングとか」

 とトーコも懲りない。

 木をゆすって雪を落とすと常緑の葉陰にお日様色の果実がたくさん見える。くるくると回すと、細かな棘がびっしりついたヘタからポロリととれる。

 「すごくいい香り」

 「そんなことを言っていられるのも最初だけだ。皮を雪の上に干すと白かった雪が黄色くなるほど果皮から油がでる。素手で一日収穫作業すると手の皮が剥けるほど強い油だ。手袋をしても一週間くらい匂いが落ちない」

 「うわ、強力すぎ」

 「そのぶん薬効は高い。皮膚の湿疹や痒みに効く。扱いが難しいから、自分で使うなら、絞った後の皮を干しておいて、水か湯に漬け置いて使うくらいでいい」

 「絞る? 干すんじゃないの?」

 「昔は皮を干して運んだらしいが、今は皮ごと絞って上澄みの油だけを採って帰る。荷物の量が全然違う」

 「じゃ、皮と果汁はもらっていいってことだね!」

 幸せな結論にたどりついてトーコは採集のための魔法をフル稼動させた。

 「お酢代わりに果汁を使いたいならユキカンのほうが安全だ」

 「それはどんなの? 名前が似ているけれど」

 「同じかんきつ類だから、木はユカンと似ている。ユキカンのほうが大木になりやすくて、棘は若い枝に多い。干した皮が胃薬になる。薬といってもこちらは効果が穏やかだ。塩漬けにして食べている奴がいたな。木からもいでも日持ちするから、熟す前の固い実を入域の食料にできる。皮ごと食えば、冬場の野菜不足を多少補える」

 「熟していないのをわざわざとるの?」

 「熟して甘くなったのは食べやすいが、酸っぱいもののほうが壊血病は防げる」

 「カイケツビョウ?」

 「新鮮な野菜を摂れない船乗りがなる病気だ。歯茎から血がでて止まらなくなるとか。それが嫌なら酸っぱいのをがまんして食え、とまだ見習いの頃に言われたな」

 トーコは目を輝かせた。

 「ベアさんが見習いだった頃の話、もっと聞きたい」

 「今度吹雪で動けなくなった時にでもな。さて、絞るのはあとにして、ここはもういいだろう。次へ行くか。向こうに見えているのがフトジマツツジだ」

 「あの大きな木?」

 「そうだ」

 フトジマツツジの高木は直径五センチほどの楕円形の実をたわわにつけていた。

 「まだ青いみたいだけど、熟す前に採る実なの?」

 「これでもう熟している。乾燥させた物が生薬として出回っているが、肉を食べ過ぎて胃もたれしたときに生の実を食べると消化を助ける。酸味が強いが甘みもあって食べやすいから、単に果物としても美味い。熟した実は潰れやすいから、依頼には出ないが」

 「食べてみていい?」

 懲りずにトーコは訊ねた。ベアがナイフで半分に割ってくれたのを齧るとキウイフルーツのような甘酸っぱさがある。

 「美味しい! これ、生でも持っておいていい?」

 「半分は乾燥させておけ」

 「やったあ!」

 気候のよい日が続き、雪は溶けはしなかったが移動しやすいので採集ははかどった。


 草原を東へ東へと向かい、再び森にぶつかった。

 「この先は俺も数えるほどしか入ったことがない。森を抜けるのに一週間かかる。何かあったときにはここへ戻れるように、場所を覚えておいてくれ」

 「うん」

 今回はギルド長の依頼で遠いところに行くのだとは聞いている。どういう依頼かまでは聞いていないが、必要があれば話してくれるだろうとあまり気にしていない。それより覚えることがいっぱいあって大変だ。その場でメモをとるのが難しいぶん、あとでちゃんと復習しなきゃ。

 冬の魔の領域は動きにくいし、採集物は少ないし、寒いけれど、ねぐらに入るのも早いので、ベアが色々な話をしてくれるのは楽しい。昆虫の類は殆どいないので、警戒はずっと楽になった。一度若いヨツキバオオイノシシに出くわしたけれど、「脂が乗って旨そうだ」のベアの一言でトーコのポーチに収まった。

 「ベアさん、あれ、なんだろう」

 昨晩降った雪がまだ柔らかいので、ボードに乗って移動している最中だった。森の中に光が沢山入り込んでいる場所があったので、近寄ってみると、そこで嵐が起こったように木々がなぎ倒されていた。ベアは折れ口を見て、周囲の木を順に調べていった。

 「火竜だな」

 「ユナグールに来た火竜?」

 「おそらく。折れたのはそんなに古くない。上から降下してへし折ったか」

 「ひょっとして狩りをしたのかな。ほら見て」

 トーコは探査魔法で探し当てた巨大な鳥の羽を雪の下から引っ張り出した。羽根も羽毛もある。

 「前も思ったけれど、火竜の狩りってスマートじゃないねえ」

 「いや、いくら丈夫な竜でも森に突っ込むなんてそうはないだろう。この羽根はクロオチョウだな。逃げるために魔法で方向感覚を狂わせようとしたが逃げ切れなかったようだな。火竜も産卵間近の卵を抱えていたなら、腹が重くて動きが悪くなっていたかもな」

 トーコは雪をどかした。なぎ倒された木を見ながら、ベアが指で火竜の軌跡を追った。

 「ここで獲物を捕らえて、飛び立つために周囲の木が邪魔だったんだろう。このあたりは低い位置から一方向になぎ倒されている」

 「火竜って環境の敵だね」

 破壊力にあきれるとともに、尾の一撃で生木を何本もへし折る力に改めてよく倒せたと思う。できれば二度はあってほしくない遭遇である。

 「折れた木はもらっていいかな。薪にするなら裂けていても問題ないよね」

 「そこのオニウルシはうっかり素手で触るとかぶれるからやめておけ。他は大丈夫だろう」

 トーコは折れた木をポーチに詰め込んだ。枯れ枝でも火は熾せるが、太い幹を割ったもののほうが、火力がでて火持ちもいい。根も薪になるので、上のほうを掘り起こして土を払ったら同じくポーチに収める。吹雪の日にやる作業ができた。


 「こっちの森は魔物が多いね」

 去っていったヨツキバオオイノシシの足跡を眺めてトーコが言った。白い毛の混じった巨大な老イノシシだった。牙も大きく、欠けや傷があっても歴戦の古つわものといった趣だった。魔物を避けて木に登るのはこの半日で二回目だ。上を見ないヨツキバイノシシは樹上へ逃げればいいが、チョウロウクロネコはやっかいなので大きく迂回するはめになる。

 「狩人が入り込んでいないからかもな」

 雪の上をちょろちょろしているフタオリスもよく見かける。

 森へ入って数日後、チョウロウクロネコに行き会った。迂回するには地形が悪く、木の陰に潜んでやり過ごすことにする。雪の中でじっと息を殺している間、トーコはずっときょろきょろしていた。チョウロウクロネコが行ってしまってもトーコは座ったまま動かなかった。

 「ベアさん、ずっと考えていたんだけど」

 「なんだ」

 「ここ、前に来たことがある気がする。あの木の瘤に見覚えがある」

 「よく分かったな」

 ベアの声が笑いを含んだ気がした。

 「わたしたち、どこ行くの?」

 「着いてのお楽しみだ」

 森を抜けたら森のふちに沿って南へ移動する。森のふちを歩くのは道を失わないためと、ひらけた場所には巨鳥のダイコクチョウやクロオチョウがいるからだ。果樹のある草原と違い、こちらにはほとんど隠れられる場所がない。

 「ここは湿地?」

 雪から枯れた葦がつき出ているのを見つけてトーコは訊ねた。

 「そうだ。今の季節は浅い所は凍っているからこうやって歩ける。春になったら水浸しだ」

 「雪で殆ど見えないね」

 「湿地といっても、魚がいるほど深くはない。さて、そろそろ見えるはずなんだが」

 「目的地?」

 「いや、目印だ」

 ベアが東を時折見やりながら歩いているのには気がついていた。どこまでも平らな湿地とそれを縁取るような森が複雑に入りくんだ土地は似たような植物ばかりで何を目印にするのかさえトーコには分からない。

 「あれだ」

 一時間ほど歩いた頃、ベアが南東を示した。目を凝らすと森のもっと先に葛飾北斎の富嶽三十六景の波のようにえぐれた山が見えた。木などない岩山のようだった。

 「あれを見失わないようにな。今日は雲がなくてすぐ見つかったが、そうでなければ晴れるまで待つ。こちら側の目印はここだ」

 「うわあ、大きなホムラギ! 三つ子みたい!」

 ホムラギの巨木が三本、森のふちを守るように横並びになっている。

 「ホムラギってこんなに大きくなるんだね」

 「ここまで大きいのは滅多にない。今日は近くで野営して、明日一気に湿地を越えて反対側の森に入る」

 陽のあるうちに雪を掘って寝み、翌日はボードに乗って湿地を越える。固い雪面を滑り抜けて目的の森にたどり着く。

 「湿地を渡るのは冬のほうが楽だが、この魔法だと半日かかる場所が一時間で済むな」

 ベアが感心したように言う。

 「もっとスピード出るよ」

 「出さんでいい。風が冷たい」

 「わたしのこと、寒がりって言うくせに」

 丸く着膨れたトーコは笑った。今日は冷たい北風ではなく、穏やかな南東からの風が吹いている。森の中ではさすがにスピードを落とす。ボードは雪上を小気味よい音をたてて滑る。これだけ木が多いと雪庇を踏み抜く心配もないので周りを見る余裕ができる。

 「いい木が多いな。樹皮を剥がすと枯れてしまうのもあるから、必要な時だけ草原近くで採っているんだが。夏にまた来たいな」

 「いつでも来れるよ! 三つ子のホムラギとあの景色は印象的だもん。絶対忘れないって! 枯れちゃうなら、そこに苗木を植えようよ」

 「そうだな」

 トーコが言うと全てが簡単に思える。

 「ベアさん、この先には何があるの? 凄く魔力の気配が濃い。でも火竜がいるような感じじゃなくて」

 「ほう、こんなところから分かるのか。この先は魔力が強いんだそうだ。このまま魔力の強い場所に行けばいいものが見られるぞ」

 陽が落ちてきたのでベアが言うところの「いいもの」は翌日にお預けになった。朝から細い粉雪が舞っていたが再びボードに乗って移動した。

 「大きな足跡がある。これ何かな?」

 「なんだろうな。初めて見る」

 四足の獣なのは間違いないが、チョウロウクロネコともヨツキバオオイノシシとも違う。しかしそれらに匹敵する大型の魔物だ。

 「植生はほとんどユナグール周辺の森と代わりないが、未知の魔物がいるかもしれん。気をつけろ」

 「うん」

 トーコは探査魔法を大型の魔物に絞って再走査させた。

 「あ、なんかいる。シンリンヌマジカと似てるけど違うような」

 「どこだ」

 「このまま隠れていれば通ると思う」

 ベアとトーコはボードごと高い枝に登った。待つことしばし、がさり、と繁みがゆれて雪が落ちたかと思うと見事な大角の鹿に似た魔物がいた。シンリンヌマジカより小型で、シンリンヌマジカの角が三日月のように湾曲しているのに大して、こちらは枝分かれしている。黒い鼻面を上げるとしきりに匂いを嗅いでいる。と、突然ぴょんと飛び跳ねて逃げていった。

 「気づかれたかな」

 「ううん、向うから来るほかの魔物を見つけたんだと思う」

 トーコは小さな声でささやいた。数分後、現れたのは、白い獣だった。精悍な顔と長い鼻面、ぴんと張った大きな耳、灰色の毛皮は雪を反射して白く見える。寒さをものともせずふかふかと暖かそうだった。イヌ科の獣に似ているが大きい。ゴールデンレトリーバーサイズのコウゲンオオカミよりもふた回り大きい。それが五頭いる。鹿の足跡のところまで来るとあたりの臭いを嗅ぎまわって、やがてその臭いを追っていった。

 「今のは?」

 「最初のはオジロジカだ。ユナグール周辺の森にも昔はいたらしいが、今じゃ滅多に見ない。追いかけていったのはたぶんハイギンオオカミだ。これも珍しい。ユナグール近くの森にもいるが、縄張りが広くてあまり遭遇しない」

 「見られてラッキーだったね」

 「問題は、同じ方向へ俺たちも行きたいということだ」

 「ありゃ」

 探査魔法で前方の様子を伺いつつ慎重に進む。オジロジカが風上へ風上へと逃げたらしくハイギンオオカミたちは南東へ行った様だ。

 「このあたり、すごく魔力が強い。探査魔法が使いにくいな。なんていうか、安定しない」

 電波の悪いラジオみたいだ。

 「心配ない。見えた」

 ベアがいうのと目の前が開けるのが同時だった。トーコが歓声をあげた。辺りを払う輝きを放つ一本の木が君臨していた。森はなくなり、少し低くなった岩場にむき出しの大地に捩れた根を張り巡らし、同じく捩れた幹から捩れた枝がたおやかに伸びている。葉のないむき出しの枝は白樺のように白く、枯死したような枝先には無数の結晶がきらめき、風が吹くとシャラシャラと揺れてシャンデリアのようだ。

 「ここって、わたしがベアさんに会ったところだよね」

 「そうだ。トーコがひっかかっていたのがあの枝だな」

 「ええっ、あんなに低かった? もっと高いとこじゃなかった?」

 「いや、あそこだ」

 トーコはベアについて岩場を慎重に滑り降りた。強すぎる魔力で他の生物の存在を許さない結晶樹はただ岩の大地を抱えている。

 「このあたりから実が落ちているな。気をつけて拾え。危ないから、岩と岩の間に落ち込んでいるのを無理に拾うことはないぞ」

 「移動魔法で拾うのはダメなの?」

 「魔法が安定して使えないだろう。移動魔法が使えれば、トーコを枝から下ろすのに、俺まで木登りする必要はなかったんだ」

 「あはは、その節はお世話になりまして」

 「笑い事じゃない。まったく、来て見ればひとがいるし、そいつはピーピー泣いて木から下りられないし」

 去ろうとすると泣き喚くので仕方なく命綱を投げ上げて回収したら、突進の勢いで抱きつかれて結局木から落ちるわ、トーコはそのまましがみついて離れないわ。結晶樹の実を拾うのを手伝ってくれたのはいいが、木になっているのまでもごうとして頭をはたいてやめさせた記憶がある。

 「だって、自分で登ったわけじゃないもん。突っ込んでくる車から逃げなきゃって思っただけなのに、変なところに来ちゃうし。もう、びっくりだよ! それなのにベアさんは無視するし、酷いよ」

 「同業者だと思ったんだ」

 同業者どころか、完全なお荷物を抱えてしまったことにすぐ気がついたものの後の祭りだった。不用意・無用心・好奇心の塊のトーコを連れてユナグールまで戻るのは本当に大変だった。当時は意思疎通もままならない中で、よくふたりとも無事に人の領域まで辿りついたものだと思う。

 「ベアさんたら、ひとりでにやにやして」

 「トーコを連れて森を歩くのは大変だった」

 「ええっと、ありがとうございました……」

 急にしどろもどろになる。ベアは笑い含みに促した。

 「早く拾え。陽がくれるぞ。前に拾って一年も経っていないからあまりないと思うが」

 「木になっているのはダメなんだよね」

 「本来なら。限界まで魔力を結晶化させて落ちたのを拾うのが一番いい。ここまで大きくなるのに十年かかる」

 ベアはギルド長に言われたことを思い出して難しい顔になった。どういうわけでまだ落下していないのも、どんな小さな結晶も全て採って来いなどと言ったのだろう。嫌な感じしかしない。近くどこかと戦争でもあるのだろうか。よほど短期に決着しないと結晶樹の実が次に採れるのは十年後、それで大丈夫なのだろうか。

 「実が大きくなるだけで十年なんて、この木、いったい何歳なんだろう」

 「千年くらいだと聞いている。今回は特別に木になっているのも採るが……骨だな」

 落下していない未熟な実は簡単には枝から離れない。

 「ベアさん、落ちてるのはだいたい拾った。不安定だけれど、一応移動魔法も使えたから、岩と岩の間に落ち込んだのも拾えるだけ拾った。大分ちっちゃくなっちゃったのも全部」

 長い年月をかけて実った実は同じ年月をかけて自然に魔力を放出して小さくなっていく。

 ベアはトーコの広げた袋を覗き込んだ。結構な量だ。岩の下に落ち込んだのまで移動魔法で回収できたのが大きい。

 「それは時間凍結魔法の封筒にいれておけ。木に成っているのは分けて保管しておこう。たぶん、落ちた実と変わらないとは思うが、念のためだ」

 木に成った実を採るのは予想通り難航した。不安定な魔法しか使えない状態でトーコのいつもの魔法による採集方法に頼れないだけでなく、滑らかに捩れた幹を持つ木に登るのも重労働だ。

 以前、トーコを下ろすためにベアが登ったように、ツムギグモのロープを上の枝に投げ上げて体を引き上げる。土地の魔力で育つ結晶樹は幹自体も半ば結晶のようなものだ。風にしなりもしない石でできているかのように不動の樹木なので、折れる心配だけはない。

 登ったら手作業でもぐが、これが固くて山刀を打ち付けてやっと採集できる。ほとんどへし折っている。

 「戻ったら研ぎなおしだな」

 ベアのいつもの手入れでは間に合わない。本職に研ぎに出さないと無理そうだ。刃が欠けたりゆがんだりしている。

 腕力のないトーコも慎重に小さな風の刃で切り取りにかかっていたが、用心に用心を重ねて実の周囲に障壁魔法を三重にかけてからじゃないと危なくて使えない。

 結局その日だけでは終わらず、いったん木を離れて野営して、翌日いっぱいかかってなんとか終える。赤ん坊の爪ほどの小さな結晶はまだ残っているが、岩の隙間に落ち込んだ結晶樹の実を回収できたこともあるし、これでいいことにした。

 ベアなどは山刀を振るい続けて腕と肩がだるいので、湿布を貼り付けている。

 結晶樹の木を後にして、湿地まで戻る。ここまでくればさすがに魔力の影響を受けないはずだが、用心して三つ子のホムラギまでボードで戻ってから、障壁魔法で安全な野営地を確保して実の選別にかかる。トーコが大きさ別に並べたものを、少量ずつ紙に包んでしまう。

 数ヶ月で魔力の放出を終えてしまいそうな小さなものは自分たちの取り分としてもらっておく。時間凍結封筒に入れておけばこれ以上の魔力の流出は抑えられる。

 「氷砂糖みたい。舐めたくなっちゃう」

 「魔力を取り込むには直接触れていればいい。使うときに食ってみてもいいぞ。甘くないと思うが」

 「冗談だってば。でも食べちゃうのはいいかもね。魔力を補充したい時は、一度に沢山使わないとダメそうだもの。落としたらもったいないし、口に入れちゃえば確実だものね」

 「それこそ冗談だったんだが」

 「仕分が終わったら、ユカンとかの処理もしちゃう?」

 「いや、このあとは果樹のある草原に転移して採集を続けよう。そろそろ別のも採集できるころだ」

 「ユナグールに戻らなくていいの? 結晶樹の実はギルド長さんからの依頼なんでしょ?」

 「知るか。簡単に行って来れると思われるのも癪だ。こっちはこっちの採集を続けさせてもらう」

 そんな意地悪をしたのがいけなかったのか、果樹の草原で採集を始めて三日後、ベアは風邪をひいた。朝起きた時、熱っぽいのが自分で分かったので、トーコに南の森にある崖の野営地に転移させる。

 「ベアさん、大丈夫? ユナグールに戻ったほうがよくない?」

 「ひきはじめだから、寝ていれば治る。俺が寝ている間に採集物を加工できるか?」

 ベアは自分で煎じたまずい薬湯をすすりながらトーコに指示をだした。心配そうな顔でしょっちゅう覗き込まれるより、なにかやることを与えておいたほうがゆっくり休める。ユカンの絞り方を教えてトーコの作った寝床にもぐりこむ。薬湯の効果ですぐに眠りに落ちた。

 酷い頭痛に目覚めた時、熱があがって喉が苦しいのを自覚した。予想していたので慌てはしない。すっとんできたトーコにあらかじめ一回分に分けておいた薬草類を渡して煎じさせる。トーコは厳密に水を計量し、小鍋を真剣に睨んで、薬湯を作った。

 慣れているベアと違ってトーコは心配でたまらない。火 竜の肉の出番じゃない? お医者さん呼んでこようか? ツキリンゴの果汁とユキカンの果汁を合わせたものはいらない? 冷たくしてあるけれど、あったかい ほうがいい? 汗をかいた服を変えたほうがいいんじゃない? それともベアさんごと洗っちゃっていい? ワタリヌマガモの出汁でお粥作ったけれど、これなら食べられる?

 「お粥? 焦げ臭い匂いはそれか」

 「に、二回目はちゃんと成功したもん。お塩入れたら味も良くなったし」

 塩なしのお粥とか、ありえん。これまでトーコが作った数々の失敗作を身をもって知っているベアはおそるおそる粥を食べた。風邪のせいか味はよく分からなかった。それが幸いしてかとりあえず器に半分ほど食べることができ、砂糖を齧ってベアはふたたび眠った。

 おたつくトーコには悪いが、体調を崩すと食欲がなくなるのはいつものことだ。水分と糖分を摂取してひたすら寝るのがベアの風邪の対処方法だ。

 今回は安全で快適な寝床があり、なによりトーコという同行者がいる。万が一魔物が入ってきても対処できる仲間がいるのは心強いものだ。具合が悪いところを魔物に襲われることほど怖いことはない。魔物から隠れながらひたすら回復を待ち、薬を煎じることもままならなくて、薬草をそのまま口にしたこともあった。

 安心して眠れるというのはそれだけで気が軽くなる。次に目覚めたのは早朝だった。寝すぎと頭痛で重い頭を動かすと、ぎょっとするくらい近くにトーコの顔があった。

 「風邪がうつるぞ」

 ベアは呆れた。ふつう、心細くなるのは風邪をひいたほうじゃないのか。それなのにトーコはベアが上掛けの上に被っているローブを握りしめたまま眠りこけている。

 それでも早めの適切な対処と役に立たないトーコの不適切な看病のおかげで丸四日寝た後、ベアは起きだした。

 「もう起きて大丈夫なの?」

 「寝てばかりだと体がなまる。もう一日ここでゆっくりすごすが」

 食欲が戻ってきたら回復してきた証だ。

 「ユカンは絞ったか?」

 「うん、言われたとおりに果皮は果汁で洗って布で濾したよ。皮の油は浮いているけれど、見てもらってからのほうがいいと思ったら、まだ分けてない。今は時間凍結をかけてしまってある。ここだと狭いから外じゃないと見てもらえないけれど。種は全部干した。どこまで乾燥させればいいのか分からなかったから、これも見てもらっていい?」

 ベアは寝ていた間の宿題の採点にかかった。

 「種はもう少し乾燥させたほうがいいな。片手に掬ってみて、見た目よりも軽い、と思うくらいでいい。果皮の油はこれくらい落ちていれば充分だ。どれ、絞った油と果汁のほうを見てみるか」

 「外は寒いよ。まだ本調子じゃないんだから無理しないで」

 「見るだけだ。もうだいぶいいから心配するな」

 ベアとトーコは浮遊魔法と移動魔法で崖の野営地の外に出た。トーコがポーチから絞った果汁を取り出す。

 「でかいな」

 「けっこう量があったね」

 トーコは巨大フラスコ形の障壁魔法に溜めた果汁を丁度いい高さに置いた。重いけれど比重によって中身が分かれているので浮遊魔法を使うわけにはいかない。

 「時間凍結魔法のかかった容器に絞り入れてから、この障壁魔法の容器に濾して、十五分くらい放置した状態。一度絞った後で、果汁で皮の表面を洗った二番絞り? したのもあるよ」

 「充分だ」

 ベアは細く延びた首に目を近づけた。上澄みの油が薄茶色、果汁が明るい黄色だ。もとの量が大量なだけあって、油の量も多い。トーコいわくの二番煎じも、お得意の皿洗いの要領でやれば、簡単な作業のはずだ。

 ベアはトーコに指示して上澄みの油を果汁が混じらないように余裕を持って分けさせた。トーコはフラスコの首の一部を変形させて、果汁と油の間に壁を作った。そのまま取り外すと、巨大試験管に入った状態の油が採れる。

 「一番小さい瓶にわけて保存しておこう。まだ瓶あるか?」

 「百ミリリットルのは、もう、あんまりないよ。氷と水を入れていた二百ミリリットルのなら沢山ある。また買いに行かなきゃね」

 以前なら一つの瓶に空間拡張をかけて流し込んでいただろうが、小分けにするトーコのやり方があとで取引する時に便利なのでベアも採用することにした。瓶に慎重に油を落とし込むトーコを見守りながら、まだ重い体を岩壁に預ける。

 ヘーゲル医師の頼みで彼女を連れて初めて東門を出た時にはまさかこんなふうに自分の採集スタイルまで変わると思っていなかった。彼女と入域するようになって五ヶ月。冷や汗をかくことも多いし、厄介ごとも増えたが、概ね満足している。トーコも時折泣き言を言いながらも結構楽しそうだ。

 だが、同時に思う。このままでいいのだろうか。

 「それでね、板にできるところは板にして、割れちゃってるところとかは薪にした。まだ細いのだけどコグルミの木もあったから、これは別にしたよ。燻製とかするときに使えないかな。昨日は時間あったから前に獲っておいたベニマスも捌いて塩したんだ。けっこううまくできるようになったと思うんだけど、漁師のお兄さんの域にはまだまだ。凄いよね、あんなに早いのに、ほとんど骨に身がついていなかったもの」

 「トーコ」

 「なに?」

 「公都で次席魔法使いと何を話していたんだ?」

 突然話が変わり、トーコは目をぱちくりさせた。

 「あの女の人? 自分も竜の血が欲しかったって言ってた。あれ、肉だったかな。それがどうかしたの?」

 「それだけか。他には?」

 「他は、えーと……あ、そうだ、時間凍結魔法について聞いたんだ。やっぱり人間にかけたり、体の一部だけとかにかけるのは良くないって。イェーガーさんところの魔法使いのおじいさんと知り合いみたいだったよ」

 そのあたりは前にも話したと思ったけれど、とトーコは首をかしげる。

 「それだけか?」

 「えっ、もう一ヶ月も前のことだし、何が聞きたいのか言ってもらえないと思い出せないかも」

 「いや、別にいい。たいしたことじゃない」

 「ひょっとしてベアさんもお話してみたかったとか? だったら話しかけてみればよかったのに」

 ベアはうやむやに話を畳んだ。

 聞けなかった。弟子入りを勧められなかったか、とは。

 公都を思い出したトーコはのんきにハルトマン家の使用人に連れて行ってもらった店の話などし始めた。ベニマスをあげたお礼にトーコにもできる調理法など教えてもらって仲良くなったらしい。

 結局何も言い出せないまま、採集を終えて、ベアはトーコとともにユナグールへ帰還した。

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