第14話 公都バルカーク(2)
帰りは転移魔法でさっさと戻るつもりだが、行きはザカリアスの馬車に同乗する。
余計な荷物は全部ポーチの中なので、馬車一台に従者がふたり馬に乗って伴走する。従者は護衛よりも、馬車に先行してその日の宿を確保するための要員だ。荷車を連ねた隊商に必須の存在だが、今回は単に時間短縮のためである。
街道沿いの駅で馬も頻繁に替える。道が悪くてゆれが酷いので、トーコが馬車酔いになった以外は、道中はおおむね平和だった。途中、大きな町で一日骨を休めたのと、雨に降られて公都手前で宿に半日足止めされた以外はかなりのスピードで走りぬけ、七日後には公都についた。
「うう、もう馬車は一生分乗った。まだ体が揺れている気がする」
寝室に案内されるなり、トーコはベットに倒れこんだ。
ベアも凝り固まった首を回しながら、椅子に沈む。火竜の用心棒としてふたりは同室だ。そして泊まっているのは宿屋ではなく、ハルトマンの次兄の屋敷である。軍の役人だそうで、屋敷は官庁街の中にあった。
ザカリアスが泊まっている知り合いの商人の屋敷は目を瞠るような大きさと贅沢な構えだったが、そちらに比べると質実剛健というのがぴったりな、少し大きな普通の家という感じだ。
次兄は仕事で不在だったが、ハルトマンの手紙を取次ぎの使用人に渡すと、夫人とやんちゃな男の子とおしゃまな女の子が出迎えてくれた。正確には、子どもたちが子守の目を盗んで階段の上から覗いていたのをトーコが見つけ、早速仲良くなっただけだが。
「起きろ、トーコ」
いつの間にか寝ていたトーコはベアに揺り起こされた。
「夕食に遅れる。早く着替えろ」
ベアが部屋を出て行ってもまだ頭がぼうっとしているので、眠気覚ましにお風呂の魔法を使って急いで後を追いかける。
「その格好でいいのか?」
廊下で待っていたベアが言った。トーコは自分の格好を見下ろした。ローブは置いて来たが、いつもの入域スタイルだ。
「だってベルトポーチを置いてくるわけにはいかないもの。それにいざと言う時スカートじゃ気軽に飛べないし」
火竜は今はベアが持っているものの、他の人にはどちらが所持しているか言わないでおいている。一応泥棒への用心だ。ユナグールではギルド構成員の女性たちが闊歩しているので、トーコ自身は違和感ないのだが、スカートじゃない女性を見たことのない子どもたちは、最初トーコが女か男か相当悩んでいた。
「この格好だと失礼? でも、もともとお呼ばれするような服なんて持ってないんだけど」
「任務中だからということにしておこう」
そう決め、ベアは先制で身なりを詫びた。
「任務の内容については弟から聞いている。遠慮なく滞在するがいい。必要なものがあれば家人に言いなさい」
ハルトマンによく似た、しかし物静かな印象の次兄は過不足なくもてなしてくれた。若い夫人は座持ちがうまく、食事の時間はハルトマンの子ども時代や、公都についてや、ユナグールの話であっという間に過ぎた。あまり堅苦しい感じにならず、ベアは助かった思いだ。トーコは遠慮なく料理やテーブルマナーについて夫人に訊いている。
食事が終わると書斎に場所を移して明日の予定について打ち合わせになった。彼はベアたちを泊めるついでとばかりに火竜の大公検分の件の連絡役らしい。
「公都の西にある近衛軍宿舎から出発して大通りをまっすぐ東進。闘技場広場で北へ進路を変えて、宮殿の広場で大公に検分いただいて、闘技場まで戻る」
トーコはびっくりした。
「パレードがあるとは思わなかった」
「滅多にないことだからな。まして今回はひとりの犠牲もなく火竜を手に入れたのだから、せいぜい諸外国に見せつけておこうということなんだろう」
ベアがそっけなく言う。ハルトマンの次兄は気を悪くするでもなく肯定した。
「そんなところだ。帝国からすればちっぽけな我が国だが、火竜を無傷で倒しうる戦力と技術があることは誇示しておかんとな」
「そういう話、苦手。帝国と仲悪いの?」
「そんなことはない。だが、帝国の庇護を受けるというのは支配を受けるということでもある。できることなら自由でいたいと思うのは当然だろう。どのみち、競売でここぞという部位を買っていくのも帝国だがね」
「そうなの?」
「わたしより、明日の競売を取り仕切る商人のほうが詳しい話を知っているだろうが、国土の広さも人口も月と豆ほど違うから、仕方ない。帝国がバルク公国を認めるのも、魔の領域があるからだ。公都に持ち込まれる魔の領域の産物のうち、かなりが帝国に流れている」
公都は帝国との交易都市でもある。元々が帝国の一部なので、バルク人と言っても、帝国東部の民族とは殆ど同じなので、言葉もお互い訛りがあるくらいで意思疎通は比較的簡単なのだ。
公国は魔の領域の産物を帝国に輸出し、代わりに織物や小麦などを輸入している。当然公都には帝国人の商人も多数在住しており、資金力のある彼らが競売に参加すると踏んでいるらしかった。
火竜を乗せて練り歩く荷車は一台では幅が足りないので、六台の上に板を渡した連結車だった。パレードから競売の流れは三十年前の例を踏襲したものだそうで、だからかなんとなく手馴れている。トーコはほんの三十年前にバルク公国に竜が現れたこと自体知らなかったけれど、南方の魔の領域から火竜が出現したということだった。パウア研究員が言っていた巨石を転移魔法で竜の上に落としたというのは、このときのことらしい。
ベアとトーコは姿を隠して上空から見守った。幸いにも火竜が転げ落ちることも、不届きな盗人も現れず、無事に競売場になる闘技場に着いた。通路を通れるサイズではないので、移動魔法で直接会場内へ運ぶ。
「屋根のない闘技場が会場なのはこのためかあ。解体中に雨が降らなけりゃいいけど」
闘技場は競売に参加する人だけでなく、物見遊山の人たちでいっぱいだった。前のほうの席は競売参加資格のある人々だが、後ろのほうは飲食物を持ち込んでできあがっている者もちらほらいる。
トーコはザカリアスとこの競売を取り仕切っている大商人の指示に従って、吊り下げた竜を競売参加者の前でよく見えるように持ち上げたり回したりの係だ。
「最近こんなことばっかりやってるなあ」
競売の間、パウア研究員のようにあちこち測っている人がいるので余計にそう思う。
「それも明日で終わりだ」
「ふたりとも、そんなところにいないで降りてきてくれ」
ザカリアスに呼ばれてベアとトーコは闘技場の入場門の上から降りた。
「どうした。あとは見張りだけだろう」
「こづかい稼ぎをするつもりはないか?」
「ない」
満面の笑みを貼り付けた商人にベアは即答した。しかしザカリアスもめげない。
「時間凍結魔法を売らないかという意味だよ。これならギルドを通さなくていいだろう」
ベアは事情を察した。治癒力の高い鮮度の良い血肉を遠方まで運ぶことができれば利益は莫大だろう。当然、競売の値に跳ね返る。
「俺たちがここにいるのは時間凍結魔法を解除するためで、かけるためじゃない。見て分かるように有効期間が定かじゃない魔法を売るのは問題だろう」
「死骸でもかなりの魔力があるからどこまで効くかも不安だし、やめたほうがいいと思う」
トーコも口添えした。しかしその程度で折れる商人ではない。
「この竜をここまで凍結しているんだから、それから見当つかないかい」
「かなりしっかりかけているもの。実際に使いたいときに時間凍結で使えないんじゃ意味ないでしょ? 三ヵ月後に使えるつもりで時間凍結魔法をかけたとして、実際は二ヶ月で解けちゃうかもしれないし、五ヵ月後まで解けないかもしれないし。かなりタイミング難しいから現実的じゃないよ。申し訳ないけれど、そこまでの制御ができるほどの技量はないの」
「それでもいいと言ったら?」
「ええ~?」
ベアは急いで口を挟んだ。
「どうであれダメだ。余計な魔力を使って本来の任務に支障を来たしたら困る」
しかし、百戦錬磨の商人を相手にベアもまだまだだった。
「それなら心配いらない。彼女が魔力を込めた結晶石を持ってきている。この魔力を提供しよう」
ベアは言葉に詰まった。簡単には諦めてもらえなさそうだ。これ以上疲れる押し問答につき合わされるより、譲歩したほうが早い。それを先日の一件から学んでいたベアは、強欲商人に話を聞かれないようにトーコと入場門の上に戻った。
「トーコ、最低期間一ヶ月、最高期間三ヶ月でできるか?」
トーコは自信なさそうな顔をした。
「最低期間は余分に魔力をこめておけばいいだけだから、大丈夫。でも三ヶ月以内に解けるようにってのは……五ヶ月くらいなら。でも、保障しきれない」
「それでどのくらいの数できる」
「この火竜を百等分したとして……三十個くらいならザカリアスさんの結晶石の魔力だけでできると思う」
ベアはあごを撫でた。いつも就寝前に大量の封筒に空間拡張魔法と一年もつだけの時間凍結魔法をかけているトーコにしてはかなり控えめな数字だ。それだけ竜の魔力は規格外と言うことなのだろう。内緒話を終えたベアは下りてザカリアスに条件を告げた。そろそろ鱗の競売が終わって血に移るので、彼は嬉しそうに礼を言うと、急いで飛んでいった。
「料金任せて良かったの?」
「相場を知らんからな」
実を言うと、魔の領域に入る前にトーコが古道具をそろえるときに傷の店主に使った手口を真似した。
「それにしても競売ってずいぶん小分けにしてやるんだね。どーんと竜一匹ってやるのかと思った」
「大型の魔物もそうだ。だからチョウロウクロネコから結晶石が見つかったときに連絡が来たんだ。丸ごと売っていたら、当然結晶石も買った者のものだ」
「あ、そっか」
「競売を見たことがなかったのか? ユナグールでは毎週やっているだろう」
「うん、初めて」
魔の領域に入る前は存在自体知らなかったし、その後はひとりで出歩けるようになっても忙しくて機会がなかった。
独特の節回しの競り人がいつ息継ぎをしているのかというほど次々に数字を挙げていって、買い付け人たちはパタパタと手を下ろしていく。最後まで上げていた人たちがその値で購う。というのは見ていてなんとなく判るのだけど。時折わっと沸いたりするのがさっぱり判らない。そして、早い時刻からやっているのに、夕方までかかるというので正直ひまだ。
「あの競人の声ってすごくよく通ると思ったら、魔法だね」
「音声拡大魔法だ。あまり広い範囲には使えないが、こういうとき便利だ。あとは、この闘技場の形状自体音を伝えやすい形だな」
トーコは感嘆した。
「建物の形状も? それは気がつかなかった。魔法のほうは単純な風の振動系魔法っぽいね。ただ大きくしているんじゃなくて、一方方向に向けて大きくしてるのか。使ってるのは喋っているのと別の人……あ、あそこで立ってる人か。魔法でできる仕事って意外と幅広いなあ」
トーコは泥棒対策の探査魔法で暇つぶしを始めた。
「これ、逆に内緒話に使えそう」
「余計な魔法を使うなよ」
「うん、分かった。あ、またザカリアスさんが来たよ。あのひと大商人の割りに腰が軽いね」
「その分遠慮がなくて迷惑だ」
トーコが吹き出したので、ベアは逃げるタイミングを失った。
「時間凍結魔法は血と肉の落札額順に十ずつ、あとは心臓、肝臓、眼球など十の部位ということに決まった。リボンをつけてそれごと時間凍結してくれ、リボンが落ちていたら時間凍結が解除されたのが分かるからね」
「いいアイディアだね」
「容器に詰めていけばいいだけなら、血の採取はこちらで纏めてやろう。そのほうが劣化がないし、無駄も出ない。できるな、トーコ」
「ワタリヌマガモの血抜きの要領だよね。たぶん大丈夫」
「それは有難いね。ぜひ頼むよ。できれば派手に」
トーコはあきれた。
「派手にはならないよ。空気に触れさせたらそれだけ劣化するもの。すばやく手短にやらなきゃ」
ザカリアスはがっかりしたが、この血は自分たちの報酬でもあるので余興をするつもりはない。全身の競売になんと五時間もかかった。
「せっかく公都に来たのに、観光する時間もないね」
「観光したかったのか?」
「もちろん!」
「上から見たじゃないか」
「名所案内とかないのかな。名物料理とかも食べてないし。あとヘーゲル医師やバベッテ姉さんにお土産も買いたい! 公都土産ってなにが有名?」
「さあ。都だから何でもありそうだな。明日の解体が終わったら適当に見て回るか」
「わーい! ありがとう、ベアさん」
しかし、そうは問屋がおろさなかった。
落札した人たちは観客席から解体に立ち会うことが出来る。物が高価なので間違いがないように確かめられるようにだ。さすがにただ見物に来た市民は入れないが、それでもかなりの人数だ。落札自体は代理人に任せても、現物の引渡しも同時にやるので、そちらの関係で来ている人も多い。
問題はしょっぱなに発生した。
競売後、ポーチに回収していた火竜を出し、合図を受けてトーコが時間凍結魔法を解除したのだが。
「熱くて鱗をはがしに近寄れないんだ」
「そんなの分かってた事だろう。死んで一分も経ってない状態だと言ったはずだ」
「頭では分かっていたんだが……一応火竜の経験のある解体者なんだが、冷たくなった死骸しか知らないそうだ」
「普通はそうかもね。で、どうするの? 冷めるのを待つの?」
「どのくらいで冷めるものか、予測つかないんだが」
「その間、俺たちはここに足止めか」
「今、尻尾の先のほうからやっている。本当は頭から順にはがしていくらしいんだが、落札者が受け取りに待っているから」
「せっかく鮮度のいい火竜なのにねえ」
ベアとトーコは尻尾の先の作業を見守った。鱗に大きな鑿のような金具を当てて、これまた大きな金槌で叩いて一枚一枚割っている。スタート地点の鱗はやむなく犠牲にしたらしい。その落ちた破片も丁寧に回収されていた。
鑿と金槌を持った職人は十数人もいるのだが、熱いのと切り出せる部分がまだ小さいので、一枚割ったら次の者と交代という様子である。いつになったら終わるのやら、という風情だ。
作業をしばらく見ていたトーコはベアに耳打ちした。ベアは一瞬顔をしかめたが、仕方なさそうにザカリアスに申し出た。
「鱗は全部それと同じ方法ではがしていいのか」
「ああ、頭の先から、尻尾の先まで大きさは違えど同じだ」
「入札は部位ごとに分割してだったか」
「そうだ」
「そんな作業じゃ日が暮れるし、せっかくの火竜が冷たくなってしまう。今回だけは特別だ。全員下がらせてくれ」
職人が離れる。ベアはトーコに合図した。と、竜が二体になった。正確には、鱗だけが火竜がまとっていたそのままの形で空に浮き、身はその場に横たわっている。トーコの探査魔法と転移魔法の仕業だ。
「鱗のない竜って、羽を毟られた鶏肉っぽい。これはどこに置けばいいの? 置いたら鱗がばらばらになるから準備して欲しいんだけど」
「そ、そのまま! しばらくそのまま!」
唖然としていたザカリアスが我に返ってトーコを押しとどめた。仕切っている商人にこのまま入試札者に受け取りに来させようと言っている。
「時間かかりそうだな。先に血を回収しよう。ザカリアス、容器をくれ。首の血管を切っていいな」
「仕事が速すぎるよ」
「どうせこの先の解体は嫌でも時間がかかるだろう。これ以上は手伝わん」
トーコは遮光性の高い分厚い瓶を受け取って、そっと血管の浮き出た首の皮膚を切って血を回収しだした。
「わわっ! 割れた!」
血の熱に耐え切れず、瓶が割れた。トーコは傷口の出血を止め、飛び散った血を急いで回収した。
「あちゃー、熱膨張か。ベアさん、冷やしながら回収するしかないよね?」
「冷やせるか?」
「うん、できる」
「凍らせるなよ」
「分かった」
そこからは作業だ。冷却しながらどんどん瓶に詰めていく。詰めた先から瓶の入っていた木箱に納め、他の人たちがコルクと蝋で蓋をしていく。
トーコは自分たちの取り分の一本は時間凍結封筒に収め、高額落札者用のオプション品十本にリボンを巻きつけて時間凍結魔法をかけた。
「ザカリアスさん、この半端のはどうする? 血が瓶の細くなっているところまで届かないからこのままだと劣化しやすいよ。とりあえず、預かっていようか?」
「悪いけどそうしておいてくれ。こっちも忙しくて」
「思っていたより、本数あるな。もっと売っても良かったか。一滴も無駄なく回収するというのは凄いな」
競売を仕切っている商人が木箱の中に整列した瓶詰めを見て唸った。
「それは後日として、鱗の引渡しを始めたいんだが、いいかね。血のほうもできそうだな」
「ついでに売却予定じゃないのはとりあえず、君たち持っておいてくれ」
ザカリアスはちゃっかりトーコに血を保管させた。もめるのも面倒なので、おとなしく封筒にしまって、トーコは引き渡し所へ木箱を運んだ。
「こっちの箱に入っているのに時間凍結魔法をかけてあるから、気をつけてね」
引渡し担当の人にそういうと、横合いからがし、と手を掴まれた。
「礼ならする! 頼むから俺のにも時間凍結魔法をかけてくれ!」
涙目の男が必死の形相でトーコに迫った。びっくりするトーコに代わってベアが男の手を外した。
「それはしない」
「俺は十一番目なんだ! 他に三瓶も買ったのにこのままじゃ破産だ!」
「そういうルールを承知であんたも入札に参加したんだろう。他の魔法使いを探せ」
周りの商人から同意の声があがり、男は泣き喚きながら兵士に引きずられて退場していった。
「気にするなよ」
「……うん」
強制退去させられる男を見送っていると、入れ違いに明らかに身分が高いとわかる集団が現れた。
競売を取り仕切っている商人がすっ飛んでいく。
「魔法使いだね、あの人たち」
「大公お抱えの魔法使いだよ。先頭の老人が筆頭のウェラーさまだよ。大公に献上する部位を受け取りにいらしたんだ。こちらから献上にあがるつもりだったんだけど、解体の様子も見たいからとおっしゃって」
いつの間にかそばにいたザカリアスが教えてくれた。
「トーコ、話しかけられても余計なことは喋るな。受け答えは俺がする」
なんとなくベアが警戒しているようなのが不思議だったが、トーコも偉い人の受け答えが出来るような語学力は持ち合わせていないので素直に頷いた。
一行は脱皮状態の火竜を眺め、商人が見せた割れた瓶を見ながらなにやら話していた。案内している大商人がこちらに向かって手招きをした。ベアはトーコにそこにいるよう指示して歩み寄った。
「火竜の血を二瓶お渡ししてくれ」
ベアは言われたとおり、老魔法使いに手渡した。
「おや、これは熱くないな」
「熱いままだと詰められませんので冷やしました」
「残念。試してみたかった」
「効果に違いがありますか」
「さて、どうであろう。インメル」
筆頭魔法使いは背後の中年の女魔法使いに声をかけた。瓶を受け取った彼女はすぐに魔法をかけた。見慣れたベアには時間凍結魔法だとわかった。魔法をかけられた瓶は他の魔法使いが受け取って懐にしまった。こちらは空間拡張魔法だろう。
「早めに来て良かった。せっかく鮮度の良い血だ。無駄にしたくはないものだ。時に競売は順調に終わったかね」
「おかげをもちまして、盛況でございました」
「それは重ねて残念なことだ。残っていたら少しもらおうかと思っていたのだが」
「それでございましたら、思ったよりも量が取れましたので、少しですがございます。本来なら再度競売にかけるところですが、ウェラーさまのご所望とあらば依頼人も文句ございますまい」
もったいぶった言いまわしで大商人が筆頭魔法使いに余った火竜の血を売りつけにかかる。眺めていたベアに時間凍結魔法を使ったインメルという女魔法使いが訊ねた。
「あの火竜に時間凍結魔法をかけたのはあなた?」
「いいえ、違います」
「そう」
じゃあ誰か、とは聞かれずベアは内心ほっとした。あっさり引き下がった女魔法使いは肉の切り出しを見に行くといって離れた。
鱗は頭部から順番に区画割で買い付けられている。巻尺をあてて区画を確認し、外した部分をトーコが箱に入れ、その上に区画番号と買い取り主の名前を記した紙が投げ込まれていく。
「時間凍結魔法を使うのはあなた?」
トーコは巻尺を外して振り向いた。これだけの魔力の持ち主、探査魔法を使うまでもなく存在がわかる。大公お抱え魔法使いの一団の中でもひときわ強い力を持っている。
「うん、そう」
視界に入ったのは、五十歳前後の中年の婦人だった。意志の強そうな太い眉と強いまなざしが印象的だ。
「三ヶ月から五ヶ月の時間凍結?」
「うん。火竜みたいに魔力が強いと時間凍結魔法の効きも悪くなる?」
彼女が時間凍結魔法を使うのを遠くから見ていた。とてもスマートで無駄のない魔法は美しかった。それだけで彼女が優れた魔法使いなんだろうと思う。彼女はゆっくりはっきりした喋り方で答えた。
「ええ、悪くなるわ。だから三ヶ月より強くかけたのでしょう」
「そうだけど、確証がなかったから。教えてくれてありがとう」
「どういたしまして。わたくしのほうも訊いていいかしら。あなたが火竜を倒したの?」
「ううん」
「じゃあ、向こうにいる彼?」
「違う。わたしたちは死骸を運んできて護衛しているだけ」
「これも護衛のお仕事なの?」
女魔法使いは鱗を見上げた。首の辺りまで鱗がなくなって不思議な光景になっている。
「違うけれど、熱くて鱗をはがしに職人さんが、火竜に登れなかったの。お客さんが待っているからしょうがなく」
「こんなに新鮮な火竜が手に入るなんて素晴らしいわ。わたくしも競売に参加しておくのだったわ」
「まだ買い手のついていないぶんがあるから、もう一度競売するって言っていたよ」
「それはいい情報をありがとう。できればそれまで、あなたが管理してくれればいいのだけど」
「たぶん、そうなると思う。おばさんが自分の買いたい分に時間凍結魔法をかけておきたいって言えば、喜んでそうさせてくれると思うけれど」
「いい考えね」
トーコはゆったり喋る女魔法使いを見上げた。
「他の人が帰るみたいだけれどいいの?」
「いいのよ。献上品の肉にも時間凍結魔法をかけなくてはいけなくて、解体を待っているの」
「じゃ、今、お暇? 訊いてもいい?」
「なにかしら」
「時間凍結魔法を使うときに気をつけなければいけないことや、やっちゃいけないことってある?」
「人に使ってはいけないわ。特に体の一部だけにかけてはだめ」
「あ、やっぱり。そこで血流が止まっちゃうから?」
「そうよ。でもそれ以上に、人に使うこと自体、人としてやってはいけない。これは倫理的な問題ね」
「ふうん」
イマイチよく分からない。
「分らないことがあったら、いつでも訊きにいらっしゃい。時間凍結魔法のことを質問できる人は少ないでしょう。ああ、でもユナグールにはケンプフェルがいるのだから問題ないかしら」
「それってイェーガーさんのチームの魔法使いのおじいさんのこと?」
「イェーガーという人のことは知らないけれど、きっとそうね。時間凍結魔法の使い手は多くないから」
「わたしも、イェーガーさんのチームもお互い魔の領域に入っていることが多くて滅多に逢わないの。時間凍結魔法について相談したくなったらバルカークに来てもいい?」
「もちろんよ。あら、先に切り取ってくれたみたいね。もっとゆっくりでいいのに。若い人と話すのは楽しいわ」
「色々教えてくれて、ありがとう」
「どういたしまして」
彼女が歩み去り、トーコは全身で息を吐き出した。そうやって初めて緊張して身構えていたことに自分で気がついた。
インメルという女魔法使いは、トーコのような子どもで田舎者にもきちんとした言葉遣いで話してくれる親切でいい人だが、どこか気後れするというか、近寄りがたい雰囲気を持っていた。トーコのほうをあまり見ないで話をするせいかもしれなかったし、感情の読みにくい平坦な喋り方をするせいかもしれなかった。
鱗の仕分が終わるとザカリアスに声をかけられた。帝国の商人だという年配の男を紹介される。
「今回の競売で竜の心臓、血を一ダース、肉も相当落札している。文句なしの最大落札額だよ」
「それで用件はなに?」
トーコは半分逃げ腰で訊ねた。
「君に時間凍結魔法を依頼したいそうだ」
「さっき、他の人にも同じこと頼まれたけれど、断ったからダメ。あとからズルしたら、競売の意味なくなっちゃうでしょ」
「これは競売とは別の話だよ。彼は競売の値や条件を変えろと言っているわけじゃない。単純に個人的に私物へ時間凍結魔法をかけて欲しいと言っているんだ。もちろん、必要な魔力は彼が提供すると言っている。結晶樹の実の買い付けもしているんだよ」
うまく言いくるめられそうな気配がしたので、トーコはベアさんに聞いて、と逃げた。
「いいとも、彼がうまく捕まらなかったんで君に声をかけただけだから」
さてはベアもザカリアスに捕まらないように逃げてるな、と気づいたものの後の祭りである。
しぶしぶやってきたベアはまだなんの話もしていないのに、アニとの交渉したあとのようにくたびれて見えた。
「そんな大枚はたいたって、使えるかどうか分からんものにこだわる必要はないと思うがね」
「それは彼の事情でわたしたちが気にすることじゃない」
「うまい話には乗らないことにしているんだ」
すると帝国商人が言った。
「それなら簡単な話さ。帝国にも時間凍結魔法を使える魔法使いはいる。帝室のお抱え魔法使いや、なにより神殿にね。彼らなら適切に管理できるし、皇帝陛下も神殿も、伝説の霊薬に金に糸目をつけないだろう。なにしろ熱くて近寄れないほどの死骸から採れた鮮度のよい血だ。手に入れようとして手に入るものじゃない」
ザカリアスがささやいた。
「断らないほうがいいぞ。彼は宮廷にもつながりのある大商人の一族だ。お父上は貴族の称号も持っている。下手に逆らって敵に回すより、恩を売るといい。彼が皇帝にバルク公国の魔法使いは帝国に渡す薬の価値を落としたなんて吹き込まれたら、ちっぽけな公国がどうなるかなんて分かるだろう」
ベアは心底嫌そうな顔をした。が、結局折れた。どうあってもベアはザカリアスに勝てないようだ。
「……時間凍結魔法はまとめてか? 別々か?」
「別々に」
「言っておくが、俺たちの魔法は安くないぞ」
「承知の上だ」
帝国商人はにっこりし、ベアの負けが確定した。
トーコは瓶一本ごとに時間凍結魔法をかけた。今は忙しいので報酬交渉は後日、条件が折り合わなければ魔法は解除、ただしかかった分の魔力はどちらにしても補填してもらうということで話がついた。
売却先に伝のある商人というのは強いものだ、とトーコはつくづく思った。
「でも、交渉は後日なんてしてよかったの? 帰るの遅くならない?」
「仕方ない。なにしろ時間凍結魔法の相場なんぞ知らんからな。交渉のしようがない」
「この街には時間凍結魔法の使える人はいないのかな」
「聞いてみるしかないな」
「誰に聞くの?」
「魔法使いのことは魔法使いに聞くのが一番だ。たぶん、魔法使いの統括組織のようなものがあったと思うが」
「そんなのがあるの?」
「ユナグールにもあるぞ。ユナグールに集まるような魔法使いはギルドに所属してしまうことが多いから、あまり存在感がないが」
「ギルドに属していないヘーゲル医師やハルトマンさんからも、今まで一度も聞いたことないよ」
「治癒魔法使いも独自の互助組織を持っているらしいからな。ハルトマンは魔法使いを名乗るつもりはないと言っていたし」
ところが、意外なことにハルトマンの次兄が魔法使いの組織のことを知っていた。なんでもハルトマンのところにしつこく勧誘がかかっていたという。入会条件は魔法使いであることなので、市民から貴族まで会員は幅広い。技能に応じて依頼を斡旋するところはギルドにそっくりで、なるほどユナグールでは立場を食われてしまうわけだ。
違うところは、公都の治安維持に協力的なところだ。犯罪に魔法が使われた場合の捜査協力など積極的らしい。
協会への登録というのも、仕事の斡旋と同時に、どこにどんな魔法を使える魔法使いがいるか、把握、管理しておきたいというのがあって、ハルトマンは嫌だったらしい。
「確かに魔法が犯罪に使われたら、証拠出すの大変だもんねえ。あ、ここだ」
協会の建物は立派だった。ユナグールのギルドよりも装飾的で大きい。そこで時間凍結魔法使いの所在と相場を尋ねる。
「時間凍結魔法なら五人いるけど、ひとりはおかかえ魔法使いのインメルさまだから、よほどの案件じゃないと無理だね」
すらすらと答えた年配男性は奥から探してきた書類を繰った。
「相場は……過去の例では一時間百十クラン。ただし日当込み」
「一時間? どういう案件なの?」
「軍の工事のなんかだね」
「資材を固定とかかな」
トーコはハルトマンにやらされた外壁の修復工事を思い出した。
「もう少し長い時間単位だと?」
「二日で三百クラン。遺体の保存だね」
「一ヶ月くらいのは?」
「一ヶ月? ええと、これが一週間で千五百クランを二回連続」
「半月で三千クラン? 高っ!」
「あった。一ヶ月、八千クラン。ずいぶん古い依頼だから、内容は記載されていないね」
ぱた、と書類をとじる。
「え、一ヶ月以上は? 一年とかは?」
「君たちが何を依頼しようとしているのか知らないけれど、一ヶ月もの時間凍結魔法なんて次席魔法使いのインメルさまくらいじゃないと使えないから、料金もそれなりだし、お願いする伝がなければまず無理だよ。口利きの謝礼やなにやらで、八千クランの倍は用意しておいたほうがいいよ」
残るふたりの時間凍結魔法使いのうち、ひとりは数時間単位でしか引き受けない、もうひとりも五日が限度とのことだった。もともとが使い手の少ない魔法なので、その中でさらに魔力量もとなると、がくんと減ってしまうのは当然のことだった。
あわよくば、他の魔法使いに時間凍結魔法の依頼を振ろうと思っていたベアのもくろみは儚く消えた。
すごすごと協会を出たふたりは丁度走ってきた空馬車に乗った。街の地理に明るくないので、自力で歩いて次の目的地気にたどりつく自信はどちらにもない。
「まずかったな。時間凍結魔法が希少なのは知っていたが、こうも効果が持続しないものとは」
「人に渡すには使い勝手の悪い魔法なのに高いし。イェーガーさんところのおじいさん魔法使いは一週間単位で立て続けに六回使ってたのにね」
「彼もギルドを代表する魔法使いだ」
ベアと同じく攻撃的な魔法が得意でないようで、ギルドの作戦時には存在感がなかったが、貴重な人材であることに代わりない。
「そういえば、次席魔法使いのおばさん、あの人と知り合いみたいだった。意外と狭い世界なのかな」
「優秀な魔法使い同士、面識があってもおかしくはないか。同じ魔法を使うし、もしかしたら同門かもしれんな」
ベアは渋い顔で言った。経験の浅いトーコはともかく、自分までもがうっかりしていた。
時間凍結魔法を年単位で使う癖がついていたので、控えめな期間を設定したつもりだったのに、一年用の時間凍結封筒を使い捨てにしていたベアとトーコの感覚のほうがおかしかったらしい。嬉しげな商人たちの顔が脳裏によみがえった。失敗した。
「相場観がイマイチ分からないままだね。一週間×十二週で計算しちゃう? それとも、落札金額上位十と残りの平均額を出してその差額分にする?」
「落札額を見て考えよう」
ザカリアスの宿泊先でたずねると、すぐに落札結果を教えてもらえた。
「差の開きがすごいね。一滴単位で薬になると思えばこうなるのか。わ、十一番目の人かわいそう。これ、競売のルールがまずかったかもね。上位額順序じゃなくて、この十本だけってやれば、こんな悲惨なことにならなかったでしょうに」
「商人の世界は厳しいな。俺には無理だな」
「わたしも。だって、最低額と最高額ってほとんど七倍くらい違うじゃない」
「この十一番目から十三番目は時間凍結魔法をあてにしていた金額だな。なるほど、破産もするだろう」
「く、首くくったりはしない、よね……?」
ベアはトーコをちらりと見た。無言で逸らす。
「べ、ベアさん~」
「他人の失敗の尻拭いまでしてられるか」
「でも、競売のやり方も意地悪だったよ。こんなので人死になんて嫌だよ!」
ベアは狼狽するトーコにため息をついた。
「仕方ない。ザカリアスにこの三人には最高値との差額プラス手数料で時間凍結してやると言ってやれ。一日分、鮮度が落ちているし、それが他の落札者の手前ギリギリ譲歩できる部分だ。これだって大声で言えることじゃない」
トーコは飛び上がってザカリアスを探しにいった。彼はもちろん大喜びである。
「いやあ、皆喜ぶと思うよ」
「仲介料の入るあんたもな」
「君の説得に時間と労力をはらったかいがあるというものだよ」
ベアの嫌味は通じなかった。やっぱり勝てない。にこやかに切り替えしたザカリアスは憮然とするベアを尻目にその場で三箇所に使いを出すと、ふたりのこづかい稼ぎについて帝国商人の提案を伝えた。
「到着したばかりで現金の持ち合わせが少ないそうだ。火竜のほうは現金払いが鉄則だし。と言うわけで、為替は受け取れるかい?」
「カワセってなに?」
「いついつの日にこの金額を受け取れます、という保証書のようなものだ。現金と違って嵩張らないから高額取引はたいていこの形だ」
「踏み倒される危険もあるがな」
「えーっ!」
「彼ほどの商人ならその心配はあまりないと思うけれど。お勧めは一部を現物で貰うことかな」
「現物? 結晶樹の実?」
「それだけじゃない、魔の領域の産物をかなり手広く買い付けているからね。わたしが以前貸した結晶石も彼が買い付けたよ。ユナグール以外の魔の領域の産物なんかは君たちでも手に入りにくいんじゃないか」
「結晶石か。まあ見るだけ見てみるか」
倉庫というのは川沿いにあった。行ってみると帝国商人は商談の真っ只中だった。昨日解体された火竜の心臓や血やらも保管されているので、警備は厳重だ。商談は無事に成立したらしく、話し合っていた人々は握手して座を解いた。売れた荷の運び出しを指示していた帝国商人は大げさな身ぶりでふたりを歓迎した。
「何があるのかにもよるが、報酬の半分を現物で貰ってもいい」
「提案を受け入れてくれて嬉しいよ。まずは時間凍結魔法に使った魔力だな。結晶樹の実はこちらだ。結晶石でもいいよ」
結晶石は流石にいいものがそろっていたが、<深い森>でも産出するのでベアの目には割高に見える。
「でも結晶樹の実はもっといらないし。結晶石でいいんじゃない」
火竜の魔力があるので、トーコも結晶樹の実には必要を感じない。ベアは質はいまいちだが大きいのをひとつを選んでトーコに渡した。
「持っていろ。足りんだろうが、このあたりが補充速度の限度だな」
試しにその場で魔力を込めてみると、思ったような速度で魔力が流れていかない。以前ザカリアスから借りた物には到底及ばぬ品質でじれったい。その代わりクルミほどの大きさに見合う魔力の保存量だ。
急ぎの時には向かないな、と思う。
ベアと帝国商人が交渉している間、トーコは一足先に品を見せてもらうことにした。
「女性ならこちらでしょう」
案内を任された使用人が出してきたのは帝国から持ち込んだらしい宝飾品だった。革小箱の装飾も凝っている箱にそれぞれ収められている品は細工も素材もすばらしい。
「わー綺麗。でも使わないなあ」
「嵩張りませんし、換金性も高くてお勧めですよ」
「換金性……そういう意味ね」
「こちらの指輪とブローチのセットは中に物がいれらるようになっておりまして、お互いの髪など交換してお持ちになる……」
「ごめん、そういうのはいいや。他に何がある? 魔の領域の産物はベアさんと見たいから、他に。包丁とかある?」
「刀剣でしたらこのあたりに」
「ザ・武器ってかんじだね。あ、でもこのナイフ先が曲がっていてお魚を捌く時に使えそう」
「何かいいものはあったか」
商談を終えたベアがトーコの手元を覗き込んだ。ずいぶん早く交渉が終わったものだ。
「このナイフ欲しいんだけど。お魚捌くのに使うの」
「この金額の分は現物で貰う。半分はトーコの取り分だ。好きに選べばいい」
ベアに見せられた紙片を受けとり、トーコは思わず見直してゼロの数を数えてしまった。
「もしかして、どれを貰うか選ぶのって結構大変?」
「そうでもない。全部結晶石を選べば早い。そこの宝石とか」
魔の領域の産物は興味深かったけれど、個人的に欲しいものはあまりない。ベアは色々買っていたが、扱える知識がないのでトーコは他を探す。
「染物などはいかがです。うちは元々織物の交易で大きくなったので、質のよいものがございますよ。絹でも麻でも扱っていないものはないと豪語させていただいております」
「綺麗だけど、使わないかな。普通の麻布はない? 染めてないの」
丈夫で水に強く扱いやすい麻布はなにかとよく使う。
「ございますよ。下になりますが」
案内してくれた倉庫の一角に積み上げられた木箱の山。
「今、下ろさせますので……」
「自分で下ろすから大丈夫。どれをとればいいの」
使用人の示した木箱を移動魔法でおろし、釘を抜いてもらって蓋をあける。
「あ、これいい!」
「染めも何もしていないさらしですけど、こんなのでいいんですか? 加工はこれからのものですよ」
「うん。これ、一個頂戴」
「一個……ひと巻という意味でしょうか?」
「トーコ、それじゃ何時までたっても終わらん。一箱にしろ。先方だって一個だけ抜かれたら残りの処分に困るだろう」
「だって、そんなに使う?」
「バベッテのお土産にでもすればいいだろう。もうすぐ新年だし」
「新年がなにか関係があるの?」
「関係って新年の贈り物に……お前の国には贈り物を交換する習慣がないのか?」
はたと気がついてベアが訊ねた。
「うん、もらうのは子どもだけだね」
教えてもらってよかった。気がつかずに新年を迎えるところだった。せっかく都に来たのだから、ヘーゲル家の人たちに何か贈り物を探して帰ろう。さすがに、これは実用的過ぎるだろうが。
「判った。布巾としてはいくらあってもいいもんね」
「布巾……。あの、これハンカチ用の最高級品なんですけれど」
「ダメ?」
「ダメじゃないですが、だったらその隣のもご覧になります? シーツにする厚さですが」
「あ、こっちもしっかりしていていいな。これ二箱とさっきの一箱頂戴」
「俺も一箱ずつ貰おう」
「ベアさんもいるならこっちのを半分こすればいいんじゃない? そんなにいる?」
「バベッテにやれと言ったのは、刺繍でもすればいい嫁入り道具になるからだ。お前は……大丈夫か?」
「刺繍できなきゃお嫁に貰ってくれない心の狭い人なんかこっちからお断り! でも、庶民的な品物って扱ってないの?」
「庶民的? 染料とかガラス製品とかですか?」
「染料は自分じゃどうしようもないなあ。ガラス瓶とか容器ってある? 蓋ができるのがいいんだけど。できれば小さめで」
「ありますよ」
「なんだ、あるじゃない……ってなんだかキラキラしてるけれど」
「香水瓶だなこれは」
ベアは笑いをこらえた。さっきからかみ合っていないトーコと使用人の会話がおかしい。
「密閉性に難有り。これはいいや」
「酒はないのか。帝国といえばアッカ酒だろう」
「試飲用のがありますから、上へどうぞ」
トーコはお酒は匂いを嗅いだだけで遠慮して、目録を見せてもらった。お金持ち御用達品が主な取扱いのようで、魔の領域に持ち込むとまた使用人が声を高くしそうなものばかりだ。
「封筒もないし」
「そうですね、うちは大きい単位で取引するものが多いので。あとは宝飾品など一部の高級品になってしまいます」
使用人はむしろ自慢そうだ。
「お菓子とかがあればお土産にできるんだけど、そういうのはないってことね」
「お菓子……砂糖とか小麦粉とかならありますが?」
「お砂糖か……」
トーコは塩を喜んでくれたバベッテを思い出した。
「お砂糖と小麦粉なら使い道があるかなあ。じゃ、それも見せてね。あとは……布がたしかにいっぱいだね。平織りとか、綾織りとか、違いがわかんない……。木綿とかなら使うかな」
「そちらもご案内いたしますよ。酒や砂糖などは隣の倉庫なので」
「俺のほうは酒をこれだけもらおう」
ベアはリストに数量を書き入れて使用人に返した。
「お酒、こんなに飲むの? アッカ酒百樽は多くない? 美味しいの? ヘーゲル医師のお土産になるかな」
蒸留酒もワインもリストには何種類も載っている。ただ、トーコには違いが分からない。
「むしろ、アニへの土産だな。アルコール度数が高いので有名だ。薬草なんかを漬けて薬効成分を浸出させる。消毒にも使う」
「味も相当いいんです。宮廷へ収めて恥ずかしくない品ですよ」
使用人が抗議するように言った。
「じゃあ、わたしもお土産用に貰っておこうかな」
ついでにヘーゲル医師へのお土産になりそうなお酒もいくつか見繕ってもらう。布地を見て、砂糖や小麦粉を見て、とやっているとすぐに時間が経ってしまう。
「やはり宝飾品をいかがです? すぐに使われなくてもいざというとき換金できますので」
「使わないもん」
アクセサリーというレベルならともかく、こんな宝塚歌劇団ばりにキラキラしたものどこにつけていくというのだ。
「魔法使いの方なら結晶石や結晶樹の実はご入用では」
「結晶石はユナグールのほうが安く手に入るし、結晶樹の実もそちらに伝がある。いらんな」
「さらし生地や砂糖だけだと、なかなか金額がいかないんですが」
使用人は困り顔でリストを見せてくれた。確かに合計金額を見ると目標にはほど遠い。
「ベアさん、どうしよう。終わらないよう」
「面倒だな。こうしておけ」
ベアはトーコのリストを取り上げ、数量欄のゼロの数を足した。
「こんなにいる?」
「使い道はある。とりあえず終わらせないと、ザカリアスが今頃やきもきして待ってるぞ」
トーコは首をくすめた。新しく追加になった三人の購入者に時間凍結魔法をかけに行かなくてはならないのだった。鮮度が勝負なので、一刻も早くかけてほしいはずだ。
金額の帳尻を合わせるときにかなり切りよくおまけしてくれたのは、帝国商人の指示らしい。事前に勉強したつもりでも、彼には割のいい取引だったようだ、とベアはぼやいていた。これに味をしめて依頼が来たら困ると思っているのだろう。
「しかも、半分は為替にさせられるし」
「あれ、結局そうなったの?」
「持ち合わせがないので、今日明日では用意できないそうだ。彼の取引が終わるのを待つわけにもいかんしな」
「ない袖は振れないものねえ。ところで沢山買った小麦粉とかって何に使うの?」
いくらなんでもこんなには食べられないと思うのだけれど。
「とっておいて不作の年にザカリアスのところにでも持ち込んでやれ」
「そのくらいしかないよね。でもなまじ高級品だから、売れなさそう……」
ザカリアスが世話になっている商人の屋敷に顔を出すと案の定、落札者たちが待っていた。そして報酬はやっぱり現物になった。落札した竜の部位自体が高価なのと、その金を工面するのも大変だということで、またベアが折れた。普通にしてさえくたびれて見える彼なのに、だいぶお疲れの様子で諦めが早かった。
追加の三人との物々交換の交渉にはトーコが出向いた。いずれも帝国からの買い付け商人とのことで、交換の品は似たり寄ったりだろうと思ったので、ベアに休んでいてもらうようトーコが申し出たのだが、こちらのほうが帝国の大商人との交換よりよっぽど実りある取引ができた。
中でも十一番目で購入して泣きついてきた薬種商は、香辛料も豊富に扱っていたので、バベッテのお土産用と自分用に何と交換してもらうか大いに悩み楽しんだ。魔の領域の採集物を追加で出してお互いに満足な取引になった。
「と、いうわけで、三件ともベアさんの枠の分も私がもらったから。それだけじゃなくてここにメモした品物は勝手に交換に使ったから、ここからそのぶんも帝国商人さんからもらったお金から差し引いてね」
物々交換が終わってハルトマンの次兄の屋敷に戻ると帝国商人から代金の四分の一が届いていた。鋳造したてのぴかぴかの帝国金貨は棒状に紙に包まれて鍵のかかる木箱に厳重に収められていた。貨幣が棒になるとはトーコは初めて知った。そして、バルク公国内でも帝国金貨が使用できるということも。
「三件のほうは為替が無事に換金できたらそこからもらおう。追加の交換品はあとでギルドに申告しておく」
「え、ギルドに申告が必要なの? 物々交換なのに?」
「それなりに量があるし、交易商人相手だから念のため申告しておいたほうがいい。あとで面倒なことになるより、少なくともギルドに相談したという事実を残しておく」
軽い気持ちで交換したことで、ベアに手数をかけてしまったトーコはしゅんとした。
「ベアさん、ごめんね。面倒なことしちゃって」
「たいした手間じゃない」
「だって……」
「それは禁止用語だ」
トーコは慌てて口を押さえた。
「気にするなら酒ひと樽と亜麻布をひと箱提供してくれ。それでこの件は手打ちだ」
「ありがとう。亜麻布はハンカチ用? シーツ用? ナプキン用? シャツ用?」
「とりまぜてで。世話になった礼に置いていこう」
「滞在がずるずる延びちゃったもんね。屋敷の人にもお世話になったし。あ、お買い物に行って来てもいい? 屋敷の人がお店を教えてくれることになってるの」
お客なのに、台所にまでうろちょろ出没し、なんだかんだと使用人と仲良くなっているトーコである。
「まだ買い物するのか?」
物々交換だけでおなかいっぱいのベアである。
「まだ行っていないところがあるもん。市場と、お菓子屋さんと、あとさっきの商人さんに教えてもらったお店と……」
指を折り始めたトーコにベアは急いで許可を出した。
「夕食までには戻れよ」
さりげなく、俺は行かない宣言である。女の買い物に口を出すのはおろかというものである。夕方帰ってきたトーコはご機嫌だった。
「満足したか?」
「うん!」
夕食まで楽しかった買い物についてずっと喋りどおしだ。そして夕食後は、部屋に引き上げるなりベットに寝転がった。
「これでやっとユナグールへ戻れるな」
「本当!」
うーん、と伸びをしてそのままぱったりと動かなくなる。
「寝るなら靴を脱げ。もう運送は終わったんだからゆっくり寝めばいい」
「ねえ、ベアさん」
トーコの眠そうな声がした。
「これ、なーんだ」
ハルトマンの次兄から預かった手紙や、国境警備隊に勤める兵士へ家族や知人へからの返信、ザカリアスからギルド長への報告書を確認していたベアは目をあげた。ベットのうえからトーコがふらふらと腕を振っている。今にも眠りに落ちそうだった。親指と人差し指で小さなガラス球のようなものをつまんでいる。
「結晶石? 交換したやつか?」
「ううん。これ、わたしの魔力」
「魔力?」
トーコは得意げに報告した。
「そう、竜の魔力を保管できたんだから、理屈では自分のも出来るはずじゃない?」
はず、とか言われても。ベアの手から手紙が滑り落ちる。
「感覚を忘れないうちにやってみたかったんだけど、このところ魔力を空にするわけにはいかなかったでしょ。やっとやれた。結晶樹の実を貰っておこうかどうしようか迷ったんだけど、巧くいってよかったあ」
語尾に寝息が被った。ベアは椅子から立って魔力切れを起こした弟子を見下ろした。上掛けに転がったトーコの魔力を拾い上げる。淡い乳白色の玉。
そのままにしておくのも怖いので、時間凍結封筒の中に落とし込む。言うだけ言って夢の国に旅立ってしまった弟子の靴を脱がして布団の中に押し込む。
「あきれたな……」
公都バルカーク行きで最後の最後に度肝を抜いてくれたのは、無邪気な寝顔の彼の弟子だった。




