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第15話 公都バルカーク(1)

 合同作戦本部からは、倒せるならなんでもっと早く倒さなかったと苦情を言われたが、これはベアが応対してくれた。

 「相手は竜だ。対峙した経験がある者などユナグールにいないのに、魔の領域に入って数ヶ月の新米にどうやったら火竜を倒せるかなんてわかるわけない。先ほどの大攻勢を見てやっとなんとか糸口を掴んで、一か八かやってみただけだ」

 ベアはぐるりと国境警備隊長と町長とギルド長の顔を見回した。

 「ひとりの魔法使いでどうにかなるなら、こんな騒ぎには……」

 「軍の被害とて少なくはないのだ」

 「町が灰燼に帰すかどうかの瀬戸際に細かいことにこだわるのか。それから火竜を倒したのは彼女じゃない。先ほどの一斉攻撃が効果を発揮したものだ。誰のどの攻撃がものをいったのかは分からんが、そうだろう?」

 めずらしくベアが圧力をかけ、ギルドのみならず、町議会、国境警備隊の両上層部もそれを公式見解にした。

 「トーコもそれでいいな」

 「今ここで寝ていいならなんでもいい」

 ベアはうつらうつらしているトーコを連れてひきあげた。その翌日。

 たっぷり睡眠をとったトーコは爽快な気分で目を覚ました。ヘーゲル家の子ども部屋の窓から外を見ると空が赤い。朝焼けのはずないので、夕方だろう。

 「やれやれ、やっとお目覚めか」

 「あれ、ハルトマンさん。どうしたの?」

 居間に下りるとヘーゲル家の人たちはおらず、ハルトマンが居座っていた。

 「後片付けに決まってるだろ。東門に行くぞ。もう閉まる時刻だが、特別に通っていい。上からだがな」

 「もしかして火竜をどこかに運ぶの?」

 合同対策本部に報告に行く前に火竜に時間凍結魔法を厳重にかけ、その上誰も近づけないように、障壁魔法を地面の中まで張ってこれまた時間凍結魔法で固定したのはトーコだ。ベアの指示だが、当然トーコしか解除できない。

 「そうだ」

 トーコがいつ起きてもいいようにバベッテが作っておいてくれたサンドイッチを横から掠め取りながらハルトマンは頷いた。

 「火竜は公都でお偉いさんの検分を受けてから、ギルドと国境警備隊の委託を請けたザカリアスが競売で処分する。ギルドと国境警備隊の間で取り分についてはまだ協議中だが」

 「ちょうど良かった。ザカリアスさんに借りた結晶石の魔力の補充に行かなきゃいけなかったの。ついでにやらせてもらおうっと」

 ふたりで大皿山盛りのサンドイッチを片付けて表に出る。

 「なんだか、人が多いね」

 「見物客だろ」

 「見物?」

 答えは簡単だった。城壁の上から横たわる火竜の死骸を見に市民が集まってるのだった。

 「まだ見ている人がいるけれど、片付けちゃっていいのかな?」

 「これだけ見せれば充分だろ」

 「いつもは簡単に城壁の上に登らせてくれないのに、よく許可したね」

 トーコは素朴な疑問をぶつけてみた。

 「大騒ぎして住民を避難させたからな。ちゃんと脅威が去ったことをこうやって見せてやる必要があるのさ。でないと本当に火竜が出たかどうかも信じられないまま、勝手に隠蔽説とか言い出すのがいるからな。不安を不安のままにしておくのが一番良くない」

 「そういえば、町の治安を守るのもお仕事なんだっけ」

 「失敬な奴だな。そういえば、とはなんだ」

 ハルトマンは障壁の外で警護に立っていた兵士に軽く手を上げて下がらせると、トーコに死骸を回収させた。城壁の上から失望とも歓声ともつかないどよめきがあがる。

 その足でザカリアスを訊ねると、遅い時間、突然の訪問にもかかわらず、当主のザカリアスが玄関まで出迎えに出た。

 「こんばんわ。昨日は結晶石をありがとう。火竜を持ってきたけれど、どこに出せばいい?」

 「やあ、こんばんわ。お互い昨日は大変だったね。君はそのポーチに火竜を持っているのかい」

 「うん」

 「だったら、しばらく持っていてくれないか。迂闊に出すと見物客が押し寄せてきそうなんでね」

 応接間に案内しながらザカリアスが訊ねた。

 「いいけれど、いつまで? また魔の領域に入っちゃうから欲しいときに出してあげられるとは限らないんだけど」

 「魔の領域にはいつまで入るんだい? 最初の雪が降るまで?」

 「ううん、冬の間も入るよ」

 「それは残念」

 「どうしてザカリアスさんが残念なの?」

 「報酬が高くなるから。単刀直入に言おう。火竜の公都までの運搬を依頼する。ついでにワタリヌマガモを二千羽ほどもね。全て今ある状態の新鮮なままで」

 「チームのリーダーはベアさんなの。ギルドを通しての依頼を請けるかどうか決めるのもベアさん」

 トーコは気乗りしない様子で答えた。ギルドにとって大事な顧客なのは分かるが、トーコとて初めての冬の魔の領域での採集を学ぶ機会を失いたくない。ほんの少し時期がずれるだけで採れるものが変わってくるのだ。

 「それより、昨日空にした結晶石に魔力を補充させてくれる?」

 ザカリアスは使用人に木箱を持ってこさせた。お茶を飲みながらハルトマンと儀礼的な会話をしながら、視線はさりげなく魔力を補充するトーコに向けている。トーコは、さっと石を撫でていった。質の良い結晶石ばかりなので、魔力の送り込みもスムーズだ。

 こんなに高価でなければトーコもひとつ欲しいところだ。

 昨夜の騒動で結晶樹の実は使ってしまったが、火竜の魔力がしばらくは代わりに使える。トーコ自身の魔力として使うには魔力効率が良くないが、素の魔力が高いので急場しのぎくらいにはなる。

  「終わったあ」

  トーコは息を吐いた。数が多いのでそれなりに魔力を持っていかれる。おかげで昨日は助かったわけだが。

  「確認してね」

  「それじゃ遠慮なく」

 ザカリアスは不承不承トーコに結晶石を持ってきてくれた使用人を呼んだ。ハルトマンを睨んだ後で、全ての石を確認する。

  「どうだい」

  「全て満たされています」

  「持って行ってくれ。あれを」

 代わりに持ってこさせたのは宝飾品でも入っていそうな鮮やかな色に染め付けた革張りの小箱だった。中に収められていたのは大ぶりのブローチだが、金細工で縁取られた石は宝石ではなく大きな結晶石だ。トーコにも一目でいい結晶石だと判る。

 「うちの商売物をごっそり貸した賃料はこれへの補充でいいよ」

 「まだ中に魔力が残ってるよね。これ一度抜いて空にしてからでもいいかな」

 「魔力が満たされさえすれば、中身は問わないよ」

 「いっぱい入りそうだね」

 トーコの残り魔力では足りなそうなので、昨夜採ったばかりの火竜の魔力をそのまま移した。もう一眠りすればトーコでも補充できるだろうが、昨日かなり強引な借り方をしてしまったので、ここは速やかに返済と支払いをするべきだろう。

 トーコとしてはお金じゃなくて魔力で支払えるだけありがたい。

 「はい、確認して」

 「今のは何だい?」

 「これ? 火……っ!」

 隣のハルトマンが思い切り足を踏んだ。軍靴のかかとって硬い! そして痛い!

 勢いよく踏まれるだけなら対フキヤムシ用の障壁で防げるのだが、接触させてからぐっと力を込められるとどうしようもない。トーコが言葉にならない悲鳴をあげてぴょんぴょん飛び跳ねていると、ハルトマンがしれっと言った。

 「要件が済んだなら失礼するか」

 ザカリアスは面白そうな表情をしたが、追求はしないでおいてくれた。

 「お客様がお帰りだ。お見送りを」

 ザカリアスの屋敷を出て大通りで流しの馬車を拾うとハルトマンはあきれたように言った。

 「ほんとに駄々漏れが治らないな」

 「これも秘密なの?」

 「当たり前だ。ばれたら絶対売れって迫られるぞ」

 「勘弁して……」

 サジンダケの時のことを思い出してトーコは顔を引きつらせた。あれで、アニから逃げ回るベアの心情が理解できてしまったトーコである。

 そんなトーコをハルトマンは嘆かわしげに見た。ザカリアスの反応としてはそうだろうが、もっと根本的な問題にトーコがまるで気がついていないのが頭が痛い。ベアがかばうにしても限度がある。ここはひとつベアに恩を売っておくか。

 「トーコ、お前まだ眠くないよな」

 「うん、起きたばかりだもん」

 ハルトマンは御者席との仕切りを叩いて行き先変更を告げた。行き先は町の中央から南東よりの通りだ。そこで馬車を降りると、ハルトマンはトーコを連れて迷いのない足取りで大通りから路地に入った。閑静な住宅街の中ほどの家を訪問する。

 「国境警備隊のハルトマンと申します。パウア先生が会いたがっていた者を連れて来たとお伝えください。先生にはこの時間のほうがご都合が良いかと思いまして」

 応対に出た使用人に愛想良く取り次ぎを頼むと、ややあって、二階へ通された。

 「なんだか変わったお家だね」

 階段の壁に飾られたヨツキバオオイノシシの首や、踊り場を塞がんばかりに占領しているチョウロウクロネコの剥製。

 「ひょっとして元ギルド構成員の人?」

 「いや、本人は魔の領域には入ったことはないはずだ」

 「だってこういうのって高価なんじゃない? お金持ちなの?」

 「金持ちの嫁を貰うと、好きな研究に没頭できるけれど、頭が上がらなくなるって見本さ」

 「研究? 先生って学校の先生?」

 「ユナグール大学の研究員さ。専門は<深い森>の肉食の大型魔物」

 「正確には<深い森>の生態系上位の捕食性大型魔物の研究だよ」

 階段の手摺から四十歳前くらいの痩身の男がこちらを見下ろしていた。癖のある髪が好き勝手なほうを向いている。眼鏡の向うの表情は見えにくいが、気さくな人柄に見えた。

 「やあ、ハルトマン君、よく来てくれたね。誰を連れてきたんだい? 僕が会いたがるって?」

 「こんばんは、パウア先生。昨夜の功労者ですよ。話を聞きたいかと思いましてね」

 「こんばんは。魔物の研究をしているの?」

 「<深い森>の食物連鎖の頂点に立つ魔物を知れば、自然と他の魔物や環境のこともわかってくるんだよ。<深い森>の歴史もね」

 「それって中央高原地帯の先の草原に木を植えたら、巨鳥型の魔物がいなくなって、チョウロウクロネコが殖えたみたいな話?」

 やっとハルトマンとトーコは階段を登りきって、首をそんなにあげなくても話ができるようになった。パウア研究員は案内の使用人にお茶を頼んで、部屋に招きいれてくれた。

 「そうそう、それも歴史と生態系。でも僕はもっと長い単位、何万年、何億年って単位の歴史のほうが専門なんだけどね」

 「地質学とかそっち方面?」

 「それに近いかもね。魔の領域と人の領域だって、その境界は常に動いているんだ。今、僕たちが町を作っている場所も、一万年前には魔の領域だった可能性が高いんだよ。比較的年代が浅いから、発掘調査にはもってこいなんだ。実際に魔の領域に入れるハルトマン君が羨ましいよ」

 「先生、講義はまたの機会に。それより紹介がまだでしたね。こいつは、妹弟子のトーコ。治癒魔法使いのヘーゲル医師が共通の師匠です。この九月から見習いとしてギルドに入って、そっちの師匠は先生もご存知のベアです」

 「ああ、合同対策本部で報告していた彼ね。もっと色々話を聞きたかったんだけど」

 「落ち着いたらギルドに指名依頼を出せばいいと思いますよ。でもまずは記憶が新しいうちに、たっぷり火竜を観察していたこいつに聞いておいたほうがいいと思いましてね。なにしろ、三歩歩いたら忘れる鳥頭ですから」

 「誰が鳥なの!」

 「ほらな、もう忘れたことを忘れている」

 ぱかぱか叩くトーコの拳を腕で受け流しながら、ハルトマンは平然と答えた。

 「生きた竜をそんなにじっくり観察できるなんて、羨ましいね」

 「代わってあげたかったな。わたしは眠かった。何を聞きたいの?」

 水を向けたら最後、火竜の火炎もかくやの質問が降り注いだ。トーコの記憶と知識と語彙で答えられることなど半分もなかったが、パウア研究員は満足したらしかった。

 「流石に火竜を倒した魔法使いは色々見ているねえ」

 「目で見ているわけじゃないもの。ところで、わたしが倒したわけじゃないんだけど」

 「公式にはね。でもちゃんと正しい情報を残しておかないと、僕たちの子どもや孫の世代が困るからね。そのころには誰が倒したかなんか気にする人はいないから大丈夫」

 「ふうん。でもわたしだけでも倒せなかったのは確かだから、そこは誤解しないでね」

 「うん、その気持ちは大事だよ」

 「いや、気持ちじゃなくて事実だから。皆が怪我させなければ、火竜は治癒魔法を使わなかったし、それを見て火竜自身の魔力を送り込むなんて思いつかなかったんだから」

 「そんなふうに竜を倒せるなんてねえ、これは大発見だよ」

 「大発見かもしれませんが、こんなあほな真似できる魔法使いはそうはいないので、後世のバルク人のためにも他の方法を考えてください。そのための情報提供です」

 「あほってなに!? あほって!」

 「一番確実なのは火竜の回復力が間に合わないほどの大ダメージを一気に負わせることなんだけどね。それは過去の歴史が証明している」

 トーコの抗議は完全に無視された。

 「例えば、大量の投石をするとかですか」

 「巨大な岩を竜の真上に落とした事例はあるよ。岩と言うより、山だったみたいだけど」

 「それは転移魔法を使ったの?」

 「うん。よく転移魔法なんて珍しい魔法を知っていたね?」

 トーコはさっと両手でこめかみをガードし、足をあげた。そうハルトマンの攻撃をくらってたまるか。トーコだって学習するのだ。ハルトマンが鼻で笑う気配がした。

 「じゃあ、火竜を水没させるのは可能?」

 「水没? 地形にも寄るけれど、羽のある相手だから難しいかもね」

 「そうじゃなくて、障壁魔法で大量の水と一緒に閉じ込めるとか」

 ハルトマンがぎろりとトーコを睨んだ。

 「昨日なぜそれをやらなかった」

 「今思いついたから。あだだだ!」

 「だから考えが足りんと言っているだろうが! 第一火竜の火炎や体当たりを防げるような障壁を普通の魔法使いが作れるか! なんでも自分基準に考えるな! 並の魔法使いでもできる方法を考えろ! できれば魔法使いじゃなくてもできる方法が望ましい」

 「そんなのすぐに思いつけたら、今回こんな騒ぎになってないでしょ!」

 対処が難しいから大騒ぎなんじゃない。

 「そうだねえ。過去の記録を見ても、やっぱり地面に引き摺り下ろしてから近接戦闘で、というのが多いね。今回みたいに飛んでいる相手を仕留めるのは殆ど魔法だね。人の領域に現れる竜自体少ないからなんとも言い切れないけれど、公国、帝国全土でも姿を見せるのは十年に一度あるかないかだ」

 「思ったより多いね。そのときはどうやって倒したの?」

 「攻城兵器で追い払うか、餌でおびき寄せて罠にかけてから戦うか、そんなところだね。魔法で倒した事もあるけれど、その時代の類稀な才能の魔法使いたちを招集して、国をあげて倒すのが一番多いかな」

 「へえ」

 「感心している場合か。お前、なんでベアがお前の手柄にしなかったと思ってるんだ?」

 「え? 別にわたしの手柄じゃないし」

 「その認識は正しいが、間違ってる」

 「どっちなの?」

 「今回はひとりでは倒せなかった。やり方を知らなかったから。じゃあ、今度、魔の領域で火竜に遭遇したらどうする?」

 「隠れてやり過ごす」

 「見つかったら」

 「逃げる」

 「逃げられない場合はどうする」

 「それは……火竜にはかわいそうだけど、希少な絶滅危惧種かもしれないけれど、倒しちゃうかなあ」

 「倒そうと思えば倒せるんだな」

 「今回と同じ条件ならね。あの火竜以外の竜って知らないもん。飛竜とは全然違ったし」

 「飛竜は倒せるか?」

 「どうだろう? 飛竜ってそもそも魔法を使っているのかな? 魔力が採れないような気がするんだけど。火竜よりも翼がかなり大きかったから、あれは魔法なしでほんとうに飛んでいるのかもしれないし」

 「話がそれてる。ともかくな、お前が火竜なんて簡単に倒せます、なんて調子に乗ってほざいたら、面倒なことになるってことだ。今、パウア先生が言ったろ、国に呼びつけられるって。体のいい徴兵だぞ」

 「ふうん。でもわたし、バルク公国の人間じゃないよ。市民権ないもん」

 ギルド構成員として一定年数以上活動して税金を納めればもらえるけれど、気が遠くなるほど先の話である。

 「体張って火竜の相手してるじゃないか。制度はともかく実態はそうだってことだろ?」

 「ええ? それはどうかな。ヘーゲル医師やバベッテ姉さんのとこに火竜が行ったら困るとは思ったけれど、それ以上深く考えてない。だってギルドや町の人にはお世話になってるけど、国って言われると……税金払ってるんだから、もうちょっと便宜図ってよっとは思うけど」

 「……お前、それでかい声で言うなよ? 特にうちの隊長の前とか」

 「言わないけど、徴兵に応える義務はないよね? 女性には兵役義務もないし。そのぶん選挙権もないけど」

 「お前のその偏った知識、どこからでてくるんだ?」

 「ヘーゲル医師に教えてもらった。この国の文明がどのくらいのレベルか判らなかったから色々聞いたもの」

 「おいおい。魔法もない国から来たくせに」

 「魔法はないから、別の方向に技術が進んでる。どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、進化の方向性の問題。そりゃ、魔法で空が飛べたら、まず魔法で何とかしようって方向に技術が進むもんね」

 「面白い話してるね。進化といえば、人の領域の動植物と、魔の領域の動植物はどこか似ている。何故だろう?」

 パウア研究員が楽しそうに口を挟んだ。

 「それは思っていた。魔の領域ってもっと怖い魔物が跋扈するところだと思っていたもの。普通に生態系があって、普通に弱肉強食の世界だよね。違うのは魔の領域の生き物は魔力を蓄えたり、魔法を使ったりするところくらいで」

 「そう! そうなんだよ!」

 突然パウア研究員が叫んだ。

 「君、ひょっとして僕の論文読んでくれた?」

 「ううん。バルク語の読書きはかなり怪しいの。でも、こんなの一目瞭然じゃない。論文にするようなこと? あ、でも人間の魔法使いとかいるから違うか」

 「僕と師匠の長年の研究を! 一目瞭然って、魔法使いでもわからないだろう、普通。植物の魔力とか虫の魔力とか」

 「なんで? サジンダケやミズクラゲほど魔力の強い植物は珍しいと思うけれど、基本的に魔力があるじゃない。でないとうまく採集できないもん」

 「採集と魔力が関係あるのかい?」

 「採集物を探す時に、その植物の持っている魔力で見分けてるけど?」

 ハルトマンがあきれたように首を振った。

 「それは普通の採集方法なのか? それ以上喋らないほうがいいんじゃないか?」

 「これも内緒なの?」

 トーコはため息をついてしまった。その手をがばっとパウア研究員が掴む。拝まんばかりに、

 「誰にも言わないから教えて!」

 「いや、論文に書くでしょうが」

 「僕の研究成果も教えてあげるから!」

 「後で有難く、論文を拝読させていただきますので。それよりパウア先生、火竜の計測がしたいとおっしゃってたでしょう。解剖はできませんが、外側だけでよければできるかもしれませんよ」

 パウア研究員は今度はハルトマンに向って身を乗り出した。彼もトーコと一緒で簡単にハルトマンに気をそらされている。

 「本当かい! あの障壁が邪魔で精密な計測ができなかったのが心残りだったんだ」

 翌朝、ベアを訊ねていたトーコは、追いかけてきたパウア研究員に捕まってそのまま東門まで連行された。ハルトマンの口利きで、今回の火竜騒動では貴重な助言と研究成果を提供してもらった手前、ギルドと国境警備隊の特例許可で入り口とはいえ、魔の領域での計測となったようである。

 入域する予定だったベアとトーコは完全なとばっちりだ。ベアはトーコお手製の椅子とテーブルで自分の作業をしていたが、トーコは空に浮かべた火竜をひっくり返したり、巻尺を持たされたり、護衛兼火竜の管理監督兼計測要員としてこき使われることになった。

 トーコひとりでは心もとないので、ベアも付き合っているが、本当に眺めているだけである。

 やっと通常の活動に戻れる、とほっとした矢先に横槍が入ってがっかりしていたトーコだが、なんだかんだ言いながら興味津々である。鱗の数ってそうやって数えるんだ? 体高ってどこからどこまで? 体積を測りたいんならお水いる? 

 挙句に勝手に東門前にテーブルと椅子を追加して学生や人夫たちにお茶とおやつまで用意している。トーコは採集するのも好きだが、それを人に振舞うのも好きだ、ということがベアにもわかってきた。

 学者先生と縁を持っておいて損はないか、と黙認するものの、そろそろ計量を済ませてほしいのも本心である。

 この貸しはあとできっちりギルド長から取り立てることにしよう。すなわち、火竜の公都運搬までは請け負っていられない。トーコから情報を得てすぐに、拒否をギルドに告げておいた。

 トーコは城壁の上からハルトマンが手で呼んでいるのに気がついた。

 「なあに?」

 「お前、余計なことを先生に喋ってないだろうな」

 「多分平気。今日は話を聞くほうだもの。色々面白い話をしてもらったよ」

 「ならいいが。ところで、公都に出発する日は決まったか?」

 城壁の上に降り立ったトーコは首を横に振った。いつの間にか城壁の上は非番の兵士が見物に集まっていた。

 「行かないよ。ベアさんがそう言ったもの。窓口の人にも、ベアさんがさっきそう伝えてた」

 「甘いな」

 「どうして?」

 「ベアとお前を使ったほうが、安全、確実、安上がりに火竜を運べて、高値をつけられるから。竜は血の一滴、肉のひと欠片だって高価な薬だ。みすみす腐らせるような愚を冒すとおもうか?」

 「時間凍結魔法なら他にも使える魔法使いはいるよ?」

 「まったく、いつの間にそんな魔法を覚えていたんだか」

 「こ、今回ばれたのはわたしのせいじゃないから! ベアさんが偉い人に言ったんだもん」

 トーコはこめかみを押さえて後ずさった。

 「そりゃ、ベアが隠している意味がないって判断したからだろ。どうせあちこちで見せて歩いたろ」

 「そそそこまでじゃないよっ」

 「てことは、多少はあるんだな」

 言えば言うほど墓穴を掘ってしまうトーコにハルトマンは容赦なく畳み掛けた。

 トーコは一瞬ひるんだが、すぐに胸を張った。

 「なにをそっくりかえってるんだ?」

 「ハルトマンさんのぐりぐりなんかもう怖くないもんね」

 頭のそばに強固な障壁をしっかり張ったのだ。

 「ほう」

 ハルトマンが不穏に目を眇めた。そして、一転笑みを浮かべると、ポン、とトーコの肩に手を置く。

 「ん?」

 次の瞬間、足を勢いよく払われたトーコはその場にしりもちをついた。

 「ったーいっ!」

 「俺に喧嘩で勝とうなんざ十年早い」

 周囲の兵士たちから笑いが漏れる。肩を真上から押されたので床にもろに打ち付けたお尻がじんじんする。涙目でうずくまったトーコに、ハルトマンは一通の手紙を差し出した。

 「紹介状だ。バルカークに行くなら兄貴の家に泊めてやる。その代わり、皆の手紙を届けろよ」

 ハルトマンはそろそろ魔の領域に出ての計測が終了の刻限だとパウア研究員に告げた。

 パウア研究員が引き上げたので、ベアとトーコはそのまま<深い森>の奥へ転移しようとした。ところが、ギルドの使いが待っていて、ギルド長が呼んでいるという。嫌な予感しかしないベアは苦い顔になった。

 外れようもない推測どおり、ギルド長の執務室には涼しい顔のザカリアスがいた。もちろん、公都までの火竜の運搬、護衛を依頼に来たのだ。

 ベアはきっぱり断った。

 「既に俺とトーコへの強制依頼は使い切っているはずだ。請ける理由はない」

 「報酬はできるかぎり希望に沿うように努力するよ」

 ベアはザカリアスを無視して、ギルド長に向って答えた。

 「既にギルドの強制依頼と火竜の件でもう半月まともな入域活動ができていない。このままでは弟子の教育にも、今後の活動にも差し障りが出る。俺の採集を待っているギルドの顧客にも迷惑がかかる。俺の信用もギルドの信用も傷つけるつもりはない」

 「彼女だけでも構わないんだが」

 ベアは再びザカリアスを無視した。

 「ギルド長、見習いという以前に、俺は師匠として単独の依頼を許すつもりはない。ひと月教育が滞る損害は金銭で補填できない。魔の領域の季節はこちらの都合にあわせてひと月遅れてはくれん」

 トーコはハラハラして淡々と、しかし強い口調ではねつけるベアを見守りながら、ベアやハルトマンにしょっちゅう魔法を安売りするなと言われたのを思い出した。あれはこういうことだったのだ。魔法は便利だけど、それに頼らせることはトーコ自身を拘束するだけでなく、回りにも迷惑をかける。

 ワタリヌマガモの出張査定の時はため息をついて付き合ってくれたベアだが、さすがに今回は堪忍袋の尾が切れたようだ。トーコは発言するなと言われているが、言われなくてもベアの気配が怖くてとても口を挟めない。怒鳴り散らしたりしないから、かえって怖い。

 ベアに叱られることは多々あるトーコだが、こんなに不愉快な怒りモードのベアは初めて見る。

 「師匠の言い分は分かったが、君の気持ちはどうなんだい、トーコ」

 えええ、こっちに振る? しかもめんどくさい人に名前を覚えられちゃうし。やだなあ。

 挙手して宣誓。

 「ベアさんに賛成。以上」

 「それは残念だ。竜の血の一滴はどんな怪我も癒す霊薬、竜の肉のひと欠片はどんな病も癒す万能薬」

 ハルトマンと同じようなことを言う。

 「火竜一体でどれほどの人間が救われると思う? 血凝りや干した肉でも効果はあるが、いつだって生の血は竜との戦いで傷ついた瀕死の重傷者をたちどころに癒してきたんだ。これは竜に挑み、勝利した者の特権だが、今、死んで間もない火竜の血肉がそこにある。このまま荷車で運んでもそれなりに薬にはなる。しかし、加工した血凝りひとつを作るのに必要な血の量を考えたら、何百倍もの怪我人が救われるはずなんだ。これは比喩なんかじゃない。誇張などひとつもない純然たる事実だよ」

 トーコはたじろいだ。どこまで本当か分からないが、まるで手を貸さない自分が冷酷無情に思えてくる。

 「それが事実だとしても、どのみち解体された段階で加工するしかない。たいして変わらないな」

 ベアが指摘した。

 「売値は大いに変わる。君も薬草を扱う生業なら判るだろう? 報酬に火竜の血を一リットル、肉を一キロばかり加えよう。金では買えない報酬だよ」

 「それはいい」

 ベアはザカリアスと賛成するギルド長をじろりと見た。

 「勝手に人を保管庫扱いするな」

 「そんなことは思っていないよ。そこの彼女が、わたしの店の結晶石を自分の魔力の保管庫だと思っていないのと同じにね」

 トーコは首をすくめた。とんだあてこすりだ。

 「ただ、欲しい時に君たちが持っているなら、譲ってほしいと考えるのはいけないことか? 売る売らないは他人が口出しすることじゃないしね」

 ようやくトーコにも遅れて会話の意味がわかってきた。ベアとトーコに報酬として渡した竜の血を、ふたりがすぐに手放さず持っていれば、角ウサギ掃討作戦や今回の竜騒動のような時に、新鮮なままの効力の高い霊薬を買うことができるということだ。そして、ふたりは換金しないし、非常時の要請を蹴飛ばせないと踏んでいるわけだ。

 なんとなく足元を見られているような嫌な気分がした。

 トーコにもやっと時間凍結魔法や空間拡張魔法の便利さだけでなく貴重さが判ってきた。お金を出せば時間凍結魔法はかけてもらえるが、問題は解除のほうだ。いつでもお手軽に時間を止めたり解除できるのは自分で時間凍結魔法を使える魔法使いだけだ。

 トーコの封筒は例外中の例外だが、これだって扱いには注意がいる。本当に信頼できる人以外に渡すつもりはない。人柄が信用できても、最低でも移動魔法が使える魔法使いでなくては。

 ねばったものの、結局ベアは押し切られ、森と草原で一日ずつ採集をしただけで、ふたりはユナグールを離れることになった。


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