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第11話 角ウサギ掃討作戦(2)

 翌早朝、トーコは迎えに来たベアとともに城壁へ向かった。城壁の上から角ウサギの死骸を回収するためである。なにしろ、門の外はトーコが障壁魔法でふさいでしまったので、解除しない限り出られない。やむなくギルドの魔法使いたちに動員がかかった。

 昨日は結晶石から補充した魔力切れぎりぎりまで重傷者の治癒をしていたのだが、結晶石に蓄えられる魔力などたかが知れており、トーコとしては今すぐ治療の続きにかかりたい。角ウサギの死骸の回収なんぞに魔力を使いたくないのだが、ギルドの決定だから仕方がない。

 トーコとベアにあてがわれたのは一番遠い北側で、自前の空間拡張袋を持っているからだろうとはベアの言だ。自分たちにかける移動魔法はベアがやってくれることになり、トーコは角ウサギの損傷状況に応じた選別と回収だけだ。魔の領域に入る時よりも単純作業なので、おしゃべりする余裕はある。

 「ちゃんと眠れたか?」

 「寝ようと思って、バベッテ姉さんが安眠のお茶もくれたんだけど、なかなか寝付けなかった。寝なきゃって思ったらますます寝れなくて」

 トーコはあくびした。目がしょぼしょぼする。

 「結晶石に魔力は込めたか?」

 「ううん、まだ。寝れなかったせいか、魔力も全快という感じじゃないの」

 「ここが終わったら、治癒に行く前に魔力をちゃんと込めておけ。昨日もらった結晶樹の実はまだ残っているな?」

 「うん、二個ある」

 自前で持っていないので、ありがたい。

 「それは今日は絶対に使うな。明日からが本当に厳しくなる」

 「最初から昨日の後半みたいになるから?」

 「それ以上だ。こちらは負傷者が離脱して戦力が減るのに、角ウサギは逆に増えている。あまり長引くようだと医薬品も足りなくなる。狩人の武器も損耗するし、特に矢が足りないな。ギルドで支給できるように動いているが、昨日には間に合わなかった」

 「昨日、撤退に手間取ったときに国境警備隊もけっこう矢を使ってたよね」

 角ウサギの回収は売却できる傷の少ないものを優先的に、という指示がギルドから出ている。それとは別に、矢を回収するために、城壁近くの死骸を回収担当している人もいる。つまりは足りないのだろう。

 「国境警備隊と違って、みんな自前の弓だから、支給してもどこまで使えるかという問題もあるしな」

 「規格が違うと使えないの?」

 「大男と小女だったら腕の長さが違うから、当然矢の長さが違う。弓だって自分の矢にあわせているだろう」

 「へーそうなんだ」

 何度も東門まで往復する必要のないトーコは損傷の激しいものも、そうでないのも全部端からきれいに回収してしまっている。自分の担当区域は三十分ほどで終わったが、隣の区画がほとんど手付かずなので、戻りがてらそのまま作業を続行する。死骸が臭う中で救護活動するのは勘弁して欲しいし、多数の怪我人が出るのは分かりきっているので、不衛生な環境はできるだけ排除しておきたい。

 回収作業を終えて東門に辿り着いたので、指示されていたように売却用の角ウサギを引き渡そうとしたが、門前で待っているはずの荷車がない。そこにいたギルド構成員に訊くと、荷車は矢を受けた角ウサギ優先で、国境警備隊に運ばれていったとのことだった。売却用に確保していた荷車の半分を裂いてしまったので、足りないというわけだ。

 「仕方ない、そちらは後で届けるか。たしか、ギルド前の広場で午後から売ると言っていたな。もちろん、事前に引き受けていた例の大口顧客と肉屋に渡した後でだが」

 「すごい数だけど、本当に売れるのかな?」

 「そこまでは俺たちの心配することじゃない。先に焼却処分する角ウサギを置いてこよう。たしか、昨日のギルド左翼の後ろあたりにそれようの穴があっただろう」

 「うん、城壁の上から投げ入れられるようになってるって」

 ふたりで城壁の上をてくてくと歩く。いつもはあがれない城壁も今日ばかりはギルドの魔法使いや回収された死骸を手押し車で運ぶギルド構成員が闊歩しているので咎められることもない。

 「あれかな」

 城壁の外で火炎があがり、黒い煙を吐き出している。

 近づくと、損傷の激しい死骸が山になっている場所があった。鼻が曲がりそうな臭いがしている。腐った臭いではないが、不快だ。

 「焼却処分するのを持ってきたなら、そこに置いていってくれ」

 昨日、一緒に殿の支援をしていた魔法使いがいた。うんざりした顔をしている。

 「これ以上積んだら通れなくなりそうだね」

 「やあ、昨日のお嬢ちゃんか。焼却用の穴が小さくて作業に時間がかかるんだ。俺としては一度に派手にやってしまいたいんだが、穴の外では火は厳禁でね。ギルドの物資に燃え移ったらなんてこと上が考えているんだろうけどね、これじゃ作業が追いつかない」

 「角ウサギから水分抜いたらすぐに燃えるよ」

 「誰か水魔法使える魔法使いをよこしてくれないかな」

 「このあと治療に行かなきゃならないから、今ここにあるぶんだけならやろうか」

 「よろしく頼むよ。移動魔法はそんなに得意じゃないんで軽くしてもらえるなら大歓迎だ。結晶石への魔力の補充もまだ全部は済んでないってのに」

 ベアが口を挟んだ。

 「この火力は誰にでも出せないとしても、移動魔法だけでも他の魔法使いに代わってもらえないのか?」

 「ある程度回収にめどがついたら人を回してもらえるようにはなっている。いつになるかは知らんが」

 「そうか。トーコ、さっき回収した分は保管しておけるな」

 「うん。処分だけならこの作戦が終わってからでいいよね」

 「そんな真似できるんなら、そうしてくれ。駆除で魔力を消費するならともかく、死骸処理にまで余分な魔力を裂いてられない」

 そこにあった焼却処分待ちの死骸もトーコの時間凍結封筒に回収させ、ベアはトーコを連れて城壁を降りた。

 ちょうど戻ってきていた国境警備隊行きの荷車に、矢を受けた角ウサギをあけ、ギルドへ向かう。

 ギルド前の広場には昨夜の混乱が残っている。明日に備えて再び物資を荷車に積みなおしているところだった。

 ベアは広場を見回して角ウサギの一般販売窓口を探した。広場の一角が混雑している。

 「あれ、もうやってるみたいだね」

 「そのようだな、あそこに置いてこよう」

 ところが、人が殺到して、近づくどころではない。

 「たくさんあるから、押さないで!」

 悲鳴じみた声で売却担当のギルド構成員が叫んでいる。角ウサギが格安で放出されるとあって、まだ販売準備が整ってないのに町の人が殺到したらしい。買いのがしまいと、人を押しのけかき分けてでも荷車に近づこうとする人、買ったものの、そこから抜け出せない人、ごっちゃになって悲惨な騒ぎだ。昨日の戦闘に参加したギルド関係者なら充分な数があると知っているのだが、城壁の外をうかがい知ることのない市民にはそんなこと分かるはずもない。

 「大丈夫なのかな」

 「さあ。荷車が門に戻ってこない理由は分かったが」

 「このままじゃ、押されて怪我をする人が出そうだけど。誰かが並ばせないとダメじゃない?」

 「並ぶといってもギルドの窓口じゃないからな」

 「角ウサギを見られる前に、整列用のロープを張っておけば良かったね」

 「ロープを張る? なんでロープを張ると並ぶんだ?」

 「あれ、ここではこうゆうのやらないの?」

 銀行のATMとか、お店のオープンとか、遊園地のアトラクション乗り場でとか、よく見るけれど。トーコはメモ紙に図を書いて説明した。

 「ロープと支柱を立てる場所さえあればいいし、横入りされないし、調節しやすいの。ただ、支柱の用意が事前にないと難しいかもね。棒とコーンで仕切る方法もあるけど、今回はこれも準備がないから、普通に町中に一列に並んでもらうしかないと思うけれど」

 「ほう」

 ベアは感心して聞いていた。トーコは時々変な知恵というか、知識を持っている。そのぶん、逆にベアにとって当たり前すぎることを知らなかったりするが。それがたぶん、異国人ということなのだろう。

 そんな話をしながらギルドに行って、怪我人の治癒の割り振りをもらう。明日の二戦目に備えて、治癒は魔法使いと狩人が最優先、次いで治癒すれば出られる軽傷者だ。命はある重傷者は後回しになる。トーコの心情としては彼らこそ先に治したいのだが、ギルドの戦力を少しでも回復しないと、明日また沢山の怪我人が出ることになる。

 割り当てられた怪我人の収容所に行って最優先者を全員と軽傷者の一部を治癒し、彼らを家に帰す。ここで家に帰れないほどの怪我人の治癒はそもそも後回しだ。ことに大きな傷はふさがっても血の足りていない怪我人は意図的に後回しにした。でないと無理に戦線に出ようとするのが目に見えている、とヘーゲル医師に教えてもらった。彼も昨日は東門近くの広場で結晶石に蓄えた魔力も空になるまで治癒魔法を使い続けていた。

 「ヘーゲル医師は国境警備隊から結晶石を貸与されたって言っていたよ」

 「そういえば、ハルトマンが例の大口顧客から結晶石を借りるとか言っていたな。それか」

 「たぶん、そう。なくしたら弁償だって。普段はあまり思わないんだけど、こういうときは結晶石が欲しくなるね。ちょっとの魔力しか溜めておけなくても、使い切っちゃってしまった! ってのは回避できるもの」

 昨日の経験から、結晶石に溜めた魔力では角ウサギの噛み傷三十箇所が限度なのはわかっている。

 「結晶樹の実を使ったことがないから、それでどの程度怪我に対応できるのかが判らないんだよね」

 「それこそ、結晶石と結晶樹の実を扱っている店に聞けばいいんじゃないか」

 「あ、そっか」

 「帰りに寄りたいなら、かまわんぞ」

 「ベアさんは寄り道して大丈夫なの?」

 「ギルドに行ってもどうせ荷物運びか角ウサギの回収をさせられるだけだからな。角ウサギの封筒は俺が預かろう。トーコは夕方までに一眠りして魔力が戻ったらまた治癒だな。寝付けないなら、ベットに入ってから何でもいいから魔力を使って気絶してしまうんだな。ヘーゲル医師に見てもらえ」

 「魔力がもったいない気が」

 「どうせそんなに残っていないだろう」

 「そうなんだけど、昨日ずっと魔力を温存しなきゃ、無駄遣いしないようにしなきゃってやってたから、なんだか癖? 習慣? が抜けなくて」

 「いつもは気にせんくせに」

 普段、ベアに言われて魔力の効率化や節約には力を入れているトーコだが、魔法自体の使用を制限することはあまりない。むしろ、使いたい放題だ。そう指摘するとトーコは小首をかしげた。

 「効率とか節約って言葉は好きかも。はっ、もしかしてこれが民族性ってやつ!?」

 「全く意味がわからん」

 くだらないことを言い合いながら、そういえばこんなやりとりも久々だとベアは気付いた。やるべきことをやってしまって、今更じたばたしても仕方ないという気分もあるが、トーコの萎縮が溶けたのが大きいと思う。

 結晶石屋へ行くと空間拡張容器の実験はまだ結果が出ていないとのことだった。別の用事で来たと分かってもいやな顔をせずにギルド支給の結晶樹の実を鑑定してくれた。魔力留保量は、借りた結晶石に比しておそらく二倍に満たない程度という話だ。だいたいの目安がついただけでもトーコとしてはありがたい。

 ベアはトーコと夕方に再合流して怪我人の収容所へ送り届け、自分はギルドの二階へ向かった。明日使う医薬品の在庫を自分のベルトポーチに納めるためだったのだが、そこで明日の最終確認をしている作戦本部に呼び込まれた。

 「配置換え?」

 「そうだ」

 すまし顔のギルド長と反対にイェーガーが渋い顔をしている。

 「君の弟子に中央部隊の重傷者を中心に治癒を任せる。そこから遠隔治癒できる範囲の左右の部隊もだ」

 「今更そんなことをして大丈夫なのか?」

 人員の割り振りは治癒魔法使い同士の打ち合わせで、使える魔法の種類や結晶石も含めた魔力量で決めたことだ。作戦本部の一存で動かしたら、他が保たない可能性がある。

 「昨日の離脱者の集計が出た。左翼が一番重傷者が少ない。死者がないのも左翼だけだ。撤退でもひとりの死者もない。せっかくの特技を最大限に活かす配置にするのは当然だ」

 「治癒魔法使いの割り振りは間に合うのか」

 「今させている。聞けば彼女は使える魔法も魔力量も誰と組み合わせても問題ないそうじゃないか。そういう情報は早めにあげてもらわないと困る」

 「治癒系の魔法が使えるのと、実際に診療できるのとは違うぞ」

 常々トーコが言っていることを、ベアはそっくり繰り返した。

 「だとしても今回はこれで問題ないはずだ。ちなみに、遠隔の治癒というのをわたしも、治癒魔法使いの取りまとめも知らなかったのだが、これは他の治癒魔法使いには教えられないのか?」

 「俺も詳しくは知らない。当人も昨日初めてやったと言っている。どの範囲までやれるのかもおそらく本人にも分かっていない。あまり過剰な期待をされても危険だ」

 トーコは探査魔法を併用している。そして誰でも同じことができると思っている。しかし、トーコの探査魔法は桁外れの精度だ。もしそのレベルで探査できないと意味ないのであれば、伝授しても無駄だろう。

 「初めて?」

 「そうだ。そもそも魔法を覚えて一年も経っていない初心者だ。予備の魔力もほとんどない」

 「結晶樹の実についてはギルドから融通しよう。昨夜すでに想定以上に使ってしまって正直余裕はないのだが、仕方ない」

 「それよりも、結晶石を借りることはできないのか?」

 「借りる? 誰に? とてもそんな余裕のある魔法使いはいないだろう」

 「誰でもいいから、扱っている商人なり店なりに。ギルドが保証金を積めば不可能ではないはずだ。現に、国境警備隊ではザカリアスとかいう例の大口顧客から結晶石を借りて、治癒魔法使いたちに渡しているそうだ。なくしたら、弁償らしいが」

 室内が一瞬ざわめいた。

 「なるほど。その発想はなかった。さっそく交渉に当たらせよう。さしあたって今すぐザカリアスの所へ行ってまだ在庫があるようなら借りてきてくれ」

 「俺が?」

 「不満か、ギルド長代理どの? では聞くが、国境警備隊がザカリアスから結晶石を借りたと聞いたのはいつのことだ?」

 嫌な予感がした。

 「……作戦開始の三日前だ」

 「それだけあれば魔法使いたちも魔力を蓄えることができたし、ギルドは高価な結晶樹の実を使うことはなかった。報告を怠った責任はこれからの働き次第で問わないでおこう」

 いつから俺は対国境警備隊諜報員になったんだ。そう思ったが、口先でかなう相手ではないので、ベアは早々に引き下がった。

 

 一日置いて熱が冷めたか、角ウサギは再び草原中に散っていた。人間たちは二日前と同じ手順で陣地を築き、角ウサギの駆除にかかった。しかし、今度は角ウサギの反撃も早かった。たちまち潅木の茂みや森の中から角ウサギが集まってきて、いつのまにか数を増している。

 見えない障壁を解除したトーコは、魔力は少ないが、移動魔法は得意だというギルド構成員とともに、ギルドの先陣を追いかけ、中央部隊の前線の真上に陣取った。

 普段魔の領域で運び屋をしているという中年の女は魔力節約のため、自分は地上からトーコを支えてくれることになっている。作戦初日は怪我人の搬送を担当していたが、今日はずっとトーコの選任扱いだ。正確には、昨日寝る前に障壁魔法で作ったサーフボードに手すりをつけたものを持ち上げてもらっている。直接トーコの体を持ち上げていて、何かの拍子に魔力がぶつかって事故が起こるのは避けたかったからだ。

 少しでも体力温存のために、ベアが小樽を即席の椅子にくれた。だから、魔法使いでない人が見ると、空飛ぶ樽に座っているように見える。なんとも間抜けだが、この際見た目にはかまっていられない。

 突然の配置換えで中央部隊一隊だけでなく、できれば全部隊の重傷者への対応を期待されている。ベアに話を聞いた時には初日の経験で一部隊だけなら多分やれると思ったが、最初からあてにされると責任の重さにお腹が痛くなってきた。でももう後戻りはできない。ここでトーコが怖気づいたら、それこそギルドの手伝いであてにさせておいてから勝手に抜けてベアに叱られたように無責任なことになる。

 とにかく今日一日はなんとかしのがねばならない。

 トーコはベアが手配してくれた結晶石がポーチに収まっているのを確認した。治療を打ち切ってまで溜めた魔力で少しでも死人を出さないようにする。それがトーコの役割だ。

 ベアにはしつこくすぐに治癒しなければ命にかかわる者だけ、魔法を使えと言われている。トーコもそのつもりで、牙がかすったくらいや転んだ拍子の捻挫に手を出すつもりはない。しかし、角ウサギに噛まれた傷の深浅をうまく測れるだろうか。昨日はとにかく噛まれたら治癒していたので自信がない。

 「とにかく無理はしない。できる範囲から確実にやる」

 ベアに受けた注意を自分に向かって小声で繰り返し、トーコは探査魔法に集中した。

 トーコは初日の後半なみの怪我人続出を想定していたのだが、危険な魔の領域で、不測の事態への対応力を磨かれているギルド構成員たちは、早くも適応し、怪我人も少ない。

 いきなり国境警備隊のように盾をそろえたりはできないが、ギルド構成員たちも一昨日の経験を踏まえてさまざまに工夫している。

 たとえば防具面では、足に頑丈な樹皮を巻いて簡単に角ウサギの歯が入らないようにしたり、頑丈で柔軟性に富むツムギグモのロープを足や腕に隙間なく巻いている人もいる。手持ちの品で簡単にできて動きを阻害しない、なかなかのアイディアだ。

 武器の面では剣や山刀を持っている人はほとんど腰にさしたまま、手には短めの槍や槌、棒を持っている。角ウサギの体高が低いので、剣を振るおうと思うとこちらが身を低くしなくてはならない。これを一日続けるのはかなりの負担のうえ、低くしたところを襲われてバランスを崩して倒れると危険なので、示し合わせたように獲物は長物になったようだ。

 幸いにも、魔の領域で活動する狩人たちの間では短めの槍の需要が高い。杖代わり、荷物棒がわり、高いところの採集にも使えるので、護身用に持っている採集者もいる。当然それだけユナグールの市場にも出回っているわけで、調達しやすかったと見える。

 体力に余裕のある序盤はトーコの出番はあまりない。ひたすら我慢して出番を待つ。

 トーコには交代要員がいないので休憩は決められたタイミングに決められた回数だけだ。お手洗いに行きたくなると困るので、水分摂取は最小限にとどめる。代わってくれる人がいないということは、自己管理もきっちりやらねばならないということだ。

 体力的にはただ座っているだけでも、怪我人を前にして何もしないでいるというのも胆力がいる。

 「我慢、我慢」

 角ウサギに噛まれる人は少ないので、徐々に探査魔法の範囲を広げ、ギルド全体の前線を知覚内に納める。

 最前線を真上から見ているので、昨日より状況がよくわかる。角うさぎはどこから沸いてくるのかと思うほどキリなく押し寄せては狩られている。

 今日は魔法使いは全員戦線に混じらず、別編成にされている。基本的に上空から俯瞰して、角ウサギが密集した所へ魔法を打ち込んで排除する。角ウサギは単体ではギルド構成員にとってさほど脅威でないが、集団の恐ろしさは全員が思い知ったからだ。

 交代の時にも魔法で攻撃するなり障壁を作るなりして支援する。ユナグールのギルド所属の魔法使いはほとんど狩人のチームに属しているので、攻撃魔法を使うことにも、味方と連携することにも長けている。ベアやトーコ、運び屋の魔法使いのように攻撃手段を持たない魔法使いのほうがギルドでは少数派なのだ。

 「角ウサギ増えている……」

 本格的に戦闘が始まって二時間も経つと、草原に点在する角ウサギの数が明らかに増えてきた。開戦当初、草原の緑の中にポツポツと角ウサギの茶色い体が見えていたのが、いまやかなりの密度だ。初日の夕方よりも多い気がする。

 ベアの言っていたとおり、すぐに戦況が厳しくなった。全体の角ウサギの密度があがったので、魔法使いの援護もその中でさらに密集している所へ打ち込まれているものの、前線に到達する角ウサギの絶対数が増えている。

 治癒魔法を送り込みながら、トーコは草原の奥を見やった。角ウサギに食べつくされて緑薄い地平は茶色く染まっている。角度の関係でそう見えるだけだとわかっているのに、あれが到達したらと思うと、怖くなる。堀も塀もない地平で戦って、本当に大丈夫だったのだろうか。

 あっという間に前線は打ち倒された角ウサギの死骸で早くも茶色の帯ができ始める。角ウサギの死骸で足場の悪くなった場所を避けてわずかに戦線が後退している。二メートルかそこいらのことだが、まるで人間が角ウサギに押されているように見えてしまう。

 トーコの場所も後ろに少し下げられた。治癒魔法がどこまで届くか判らなかったので、最右翼、左翼までに最短距離を保つためにこの位置にいるのだが、一番最前線が見える場所でもある。目視でわかるだけでも、魔法の打ち込まれる回数が増えている。

 トーコの治癒魔法もいまやふたり三人同時平行でなくては間に合わず、昼までもまだまだ時間があることを思うと、みぞおちの辺りが冷たくなった。

 伝令のしるしを腕につけたベアが、上空の魔法使いの間を回っている。トーコのところにも来て、これから前線部隊を交代させるという。

 「ラッパが三回鳴ったら合図だ。魔法で派手に蹴散らす」

 「うん」

 「トーコは重傷者の治癒最優先だ。だが、向こうの彼が派手にやりすぎて延焼しそうなら消火しろ」

 ベアはトーコから五十メートルほど右手に離れたところで部隊の援護をしている火魔法の得意な魔法使いを指し示した。今も手元から火矢を立て続けに放って角ウサギの集団を火達磨にしている。燃やすのは得意だが、消すのは不得意という本人の冗談か本気かわからない申告を受けての指示だ。

 そういえば昨日も角ウサギの死骸を焼却しながら、派手に焼き尽くすのは得意、とか物騒な事を言っていた。せっかくの獲物を本当に焼き尽くしてしまったら狩人失格なので、その時は冗談だと思っていたが、案外本気かもしれない。

 初日の撤退で有終の美を飾った彼の火炎は凄まじかった。しかし、あれはさまざまな条件に加え、角ウサギが過剰なほど密集していたからこそやったのであり、いまこの草原で同じ魔法を放っても、角ウサギがバラけている中では、魔力効率が非常に悪くなる。一瞬広範囲に角ウサギの排除に成功しても、すぐに次が押し寄せてきてキリがない。

 「かといって、元が取れるほど密集されたら戦線がひとたまりもないし。ジレンマだよね」

 左隣の魔法使いのところに飛んでいくベアを見送り、トーコは呟いた。

 ラッパが鳴り、右手で炎が草原を走る。左手では突風が舞う。要の中央の更にど真ん中を任されるだけあって過不足ない威力だ。

 戦線が入れ替わる。味方にあたるとまずいので、魔法は充分な距離を置いて放たれている。そこへ後方から走り出た交代組が布陣し、戦線を一番最初のラインより少し前に押し出す。下がったほうは、接近しすぎて魔法の範囲から漏れた角ウサギを駆除し終えたら、武器防具の手入れや修繕、怪我の手当て、休憩を一時間で済ませなければならない。

 最前線の真後ろで後方支援組が男も女も総出で角ウサギの死骸を回収にかかる。今の戦線が下がってくる前にやらないと、今度はこれに足をとられて転びかねない。手押し車はすぐにいっぱいになり、後ろで待機している荷車まで往復する間にも、少しでも戦闘員の下がる場所を確保するために、後方に適当に積み重ねる。後方要員の豊富なギルドだからできる人海戦術だ。

 真後ろでの死骸の回収があらかた終わり、戦線が落ち着くと今度は最初の陣地展開時からずっと支援していた魔法使いたちが交代する。仮眠して少しでも魔力を回復させるため、魔法使いの交代スパンは長めになっている。

 「この交代の後で下がって食事と休憩を摂れ。魔力は大丈夫か?」

 四回目の交代のとき、魔法使いたちへ伝令に回っていたベアが訊ねた。

 「食べられそうにないからご飯はいい」

 トーコはしくしくするお腹を押さえて断った。角ウサギは増え続けている。今は保っているけれど、このまま皆の疲労が蓄積して、離脱者が増え、どこか一箇所で戦線が破られたらどうなってしまうんだろう。そういうのは作戦本部で考えているんだろうけれど、なまじ見通しのいい場所にいるので、終わりのない角ウサギの襲来が恐ろしい。

 「食わんと保たないぞ」

 「飴舐めているから大丈夫」

 「ならいいが、塩も舐めておけ。魔力は大丈夫か?」

 「このペースだとあと二時間くらいで結晶石を使わなきゃならなくなりそう」

 さすがに千五百人を診ているので消耗が激しい。

 こうしてベアと話している間にもまたひとり怪我人が出た。

 「こんな状況なのに抜けなくちゃいけないなんて」

 「撤退の支援もあるし、どのみち休憩なしでは無理だ。この一時間は慎重に戦ってもらうしかないな」

 「もっと早く、結晶石を借りることをまじめに考えていれば良かった」

 「魔力があっても、気力と集中力が保たない。しなくていい後悔をする暇があったら、きちんと休め。休まないとそれこそ取り返しのつかないミスにつながる」

 「うん……」

 ベアに諭され、四回目の交代が落ち着いた後、トーコは後ろへ下がった。休憩している人たちがいるところの、邪魔にならない適当な草地に寝転んで頭からフードを被る。光を遮断し、眠れないまでも眠る努力はしないと。

 ぜったに寝なきゃと力まなかったのがよかったのか、気がついたら、ベアに揺り起こされていた。眠ったと言っても安眠には程遠く、周囲の雑音のせいか朧な夢をいくつも見た気がする。

 「予定より早いが起きてくれ。交代のタイミングで入れ」

 「うん、判った」

 伸びをして軽くストレッチ。同じく仮眠を取っていた運び屋にあげてもらうと配置につくより先に交代が始まった。目の覚めるような轟音。再び交代していた火魔法使いが張り切っているようだ。

 そう思って下を見たトーコは顔をこわばらせた。角ウサギの密度が更に上がっている。

 角ウサギが炎に巻かれて吹き飛ぶ。

 安堵ばかりしてはいられなかった。非熟練者の多い左翼にかなりの被害が出はじめた。そちらでたびたび魔法が放たれていることからして、戦線の維持が厳しくなってきたようだ。

 視界に炎が走った。交代時でもないのに、前線の駆除速度が追いつかないと見て、火魔法使いが援護したようだ。広範囲を低く炎が舐める。しかし、角ウサギを吹き飛ばすほどの威力はなく、火達磨になった角ウサギがその勢いのまま駆け込んでくる。

 火魔法使いが矢の勢いで飛んできた。

 「火を消せ!」

 そういえば、消火はトーコの役目だった。すっかり忘れていたトーコは慌てて前方の角ウサギたちに探査魔法を飛ばした。その数、百以上。間に合わない。とっさに障壁を建てて火達磨になった角ウサギの進行を阻む。そのまま障壁を変形させ、角ウサギたちの上から被せ、ぴったり覆う。空気が遮断されれば火は消え、障壁魔法で角ウサギが突っ込んでくることもないはずだ。

 十秒、二十秒……一分、二分。

 トーコはボードを蹴った。そのまま移動して後方に降り立った。降り立つと同時に嘔吐した。喉の奥からせりあがってくる不快なものを吐き出したかったが、固形物を摂っていないので苦い胃液しか吐くものがない。

 「どうした!?」

 いなくなったと思っていたベアがすぐ傍に降り立ち、膝をついてトーコの顔を覗き込んだ。移動魔法でボードを支えていた運び屋も駆け寄ってくる。

 トーコはベアのローブを掴んだ。視界が回って何かに掴まっていないと体を起こしていられそうになかった。ぽろぽろと涙がこぼれた。

 「……角ウサギ、苦しがってた」

 「角ウサギ?」

 「そう。探査魔法で全部見ていた。でも、わたし、死ぬまで障壁魔法を解かなかった。全部、死んだ」

 切れ切れの言葉の断片と、動揺した様子からベアは事情を察した。トーコが角ウサギすら狩れない事は知っていた。能力がないのでなく、多分に甘えた心情である事も。いい金になる肉食の魔物たちも、本当は狩るだけの魔法は使えるだろうが、常に見逃してきた。ベアがトーコが狩人になれないと思う最大の理由だ。それでも狩りに手を貸し、狩りを否定はしない。いずれトーコが自分の中で折り合いをつけるだろうと思っていたのだが、遅かった。

 「そうか」

 「死ぬまで苦しいのが続くのを、見てた」

 「治癒に戻れるか?」

 ベアはトーコの腕を掴んで立たせた。トーコはこっくりと頷き、小さな水塊を作って顔を洗い、口をすすいだ。魔力の無駄遣いをベアはとがめなかった。

 「角ウサギか、ここにいる皆か、どちらかが死ぬ」

 「うん」

 「苦しまないようにしてやれ」

 「うん。ベアさん、さっきから魔法で攻撃しているのは、角ウサギが多くなりすぎて、戦線が崩れそうだからなの?」

 ベアはトーコの肩を叩いた。

 「心配するな」

 「違うの、角ウサギを集めてから魔法で一気に攻撃できない?」

 ベアは虚を突かれた。十秒前まで、ショックを受けていた人間の言うことではない。

 「重傷者が増えているの。このままじゃ、思っていたより早く魔力が尽きる」

 「だが、どうやって角ウサギを集めるんだ」

 「障壁魔法。初日の最後に、障壁を張っていないところに角ウサギが集中したでしょう? 角ウサギはみんな、森や草原から来て、必ずこっちに向かってくる。障壁を斜めに張って、何箇所かに自然に集まるようにするの」

 思い浮かんだのは川の流れを利用して魚を獲る簗漁だ。トーコはメモ紙に簡単な図を書いて説明した。

 「角ウサギが逆流しないようにある程度の深さが必要だから、陣地全部には無理だけど、これを三箇所くらいに設置すれば、前線までくる角ウサギの量は半分くらいに減らせると思う。長距離に障壁を建てて時間凍結魔法で固定するのに必要な魔力は、この間の感じで大体判る。今ならまだわたしに残っている魔力でできる。治癒魔法に使える魔力がそのぶん減るけれど、角ウサギが殺到しなくなれば怪我人も減ると思う」

 ベアはメモを破りとった。どんな攻撃魔法にも耐える障壁を築けるトーコでなければ思いつきもしない方法だ。すでに今、魔法使いたちが攻撃魔法を行使している状況でためらう理由はない。

 「本部へ行ってくる。持ち場へ戻れ」

 返事も待たずに高速でその場を離れたベアの背中を見送り、トーコも定位置に戻った。


 障壁の長さは約一キロ。これを二本一組、三組建てて、一回の時間凍結魔法で固定する。障壁魔法を一度に展開するのは大変だけど、残り少ない魔力を有効に使うためにも、何度も時間凍結魔法をかけられない。

 逆ハの字に置いた障壁は先端を閉じず、多少つかえようが、とにかく角ウサギが前へ前へ進もうとするよう誘導する。隣の組との間は十メートルほど離し、しばらくは角ウサギに罠に入ったことを悟らせない。撤退のときを考えて、全体に北よりに設置する。

 持ち場を離れられないトーコのところまで出向いたベアや他の魔法使いたちと詳細な設置場所や形について細かく打ち合わせし、ラッパの合図で治癒を打ち切る。すかさず探査魔法を走らせ、障壁を展開、時間凍結魔法で固定。

 「できた」

 傍にいた魔法使いが、他への合図に火の玉を打ち上げた。トーコは治癒に戻る。魔法使いたちがいっせいに飛び立ち、状況を確認に行く。

 どっと疲労が襲ってきて、トーコは樽と手すりに体重を預けた。ベアが訊ねる。

 「魔力は大丈夫か?」

 「もう、あんまりない」

 トーコはポーチから結晶石を取り出して魔力を補給した。ギルドから貸与された結晶石はふたつ。トーコが借りたものとは比較にならないほど質がよく、蓄えられる魔力量が多いだけでなく、魔力の注入自体も楽でスムーズだった。その分魔力のロスがなく、補給のために吸い出すのも早くて負担がない。なるほど、良質の結晶石が高価なわけだ、とトーコは納得した。

 真夏の汗をかいた体に水分が染みこむように、魔力が全身に染み渡っていく。

 「うまくいくといいが」

 しばらくすると、壁に当たった角ウサギが、障壁にそって流れ、やがて目に見えない障壁との境がはっきりと現れた。漏斗の底部分に近づくにつれ、角ウサギは否応なしに密集し、前を行く仲間のうえに飛び乗ってなおも進もうとする。先から転がるようにあふれた角ウサギが人間めがけて寄ってくる。逃げ足は速く持久力のある角ウサギだが、向かってくるときは移動の速度でしか動かないのは救いだ。

 限界まで密集し、一部が逆流を始めたとき、轟音と火炎があがった。

 「とんだ威力だな」

 「毛皮だけじゃなく、お肉も焦げちゃいそう」

 「晩飯にはなりそうにないな」

 軽口を叩けるのも対応すべき重傷者が減り、作戦のとりあえずの成功を見たからだ。左右の部隊に設置した簗からは何の音も光もなかったが、戻ってきた魔法使いたちからは問題なく成功したとの報告を受けた。真っ先に合流した中央の簗を担当した火魔法使いは晴れ晴れと笑った。

 「いやあ、いい気持ちだった! 障壁ごと吹き飛ばすつもりでやっていいって言うから、心置きなくぶっ放させてもらったけれど、すかっとしたわ」

 「あなた、やりすぎよ。魔力配分考えている?」

 右翼を担当したイェーガーのチームの女魔法使いが苦言を呈した。こちらは丸ごと氷漬けにしたらしい。

 「もちろんだ。骨も残らないから、死骸回収の手間も省けていいだろう。すぐに次の角ウサギを集められるし」

 肉が焦げるどころの威力ではなかったようだ。逆に女魔法使いのほうは、氷漬けにしたはいいが、簗を占領してしまっているので、第二陣がすぐに使えない状態だ。迂闊に解除すると仮死状態になっているだけの角ウサギがいるかもしれないので、しばらく置いているのだ。解除しても中の死骸を回収しないとダメだろう。一番後ろまで凍らせたわけではないので、前を氷の壁でふさがれ立ち往生している角ウサギは彼らほど高威力の魔法は持っていない魔法使いたちが対処中とのことだった。

 「次は風魔法でやるわ。死骸の回収のことを思うととってもやりたくないけれど」

 やっぱり、ひき肉一歩手前状態になってしまうのだろうか。それは確かに回収したくないし、見たくもない。かといって障壁魔法で窒息させる方法は教えたくない。トーコは折衷案を出した。

 「ふたりで場所を交互に変えればいいんじゃない?」

 「いいわね。そうしましょ」

 「また俺が焼却処分係かよ。誰か他に火が得意なやついないのか」

 「あんな火力を出せるような魔法使いが何人もいてたまるか。もう少し静かにやれんのかね」

 左翼を担当した壮年の魔法使いも加わって苦情を申し立てる。引退者だが引っ張り出されて参加している。

 「障壁が保ったからいいものの、そうでなかったらやりなおしだぞ」

 彼自身は水圧で圧死、および溺死させたそうだ。こちらの死骸は回収中なので、効率で言えば火魔法に軍配があがったことになる。

 「障壁は壊れはしないと思うけれど、確かにあの音はびっくりするよね」

 火魔法使いがどこか楽しげにトーコを見下ろした。移動魔法が苦手だという彼は魔力節減のために、ちゃっかりトーコの手すりに座っている。余計な重量がかかるぶん運び屋の負担は増えるがここは仕方ない。

 「言うな、お嬢ちゃん。俺に喧嘩売ってるか?」

 「ううん。あれは強度の問題じゃないから。これ以上は内緒」

 「みんな、その辺にしておけ。そろそろ次だ」

 作戦が巧くいって浮かれ気味の面々をベアが制した。それぞれの魔力の残存量と結晶樹の確認をする。

 「中央は今度はわたしがやるわ」

 「じゃあ俺は水浸しの左翼だな。回収し残しもまとめて吹き飛ばして問題ないよな」

 角ウサギを集めては魔法で吹き飛ばしを繰り返すうちに火魔法使いと女魔法使いで充分回るのが判ったので、壮年の魔法使いは交代要員として後方に下がった。

 火魔法使いと女魔法使いは大魔法を放つとトーコのボードに戻って待機する。ベアは本来の伝令に戻り、別にここへ集まる必要はないのだが。

 「だって、見晴らしよくていいんだもの」

 「自分で移動魔法を使わないで済むし、最高だね」

 「運び屋さんが重くないかな」

 「さっき聞いたら、これくらいなんでもないそうよ。あとで椅子をもうひとつ持ってきてくれるって」

 ただでさえ狭いのに、もっと狭くするつもりらしい。どこからともなく飛んできた木箱を置くとぎゅうぎゅうだ。もちろん、女性優先で、火魔法使いは手すりだ。どんなに移動魔法が使えても、トーコにはそんなところに座る度胸はない。後ろでゆっくり休めばいいのに、と思う。

 「角ウサギ、大分減ったな」

 「一時はどうなることかと思ったけれど、新米ちゃんの案が当たってよかったわ」

 女魔法使いがトーコの頭をいいこいいこした。

 「半分どころか、七割がた、これで処分できているからな。チマチマ焼くより楽だし、なにより出番がはっきりしているから、間に休めるのがいい」

 「そうね。魔法使いの編成を変えなきゃならなくて、リーダーは頭をかきむしっていたけれど」

 「それが彼の仕事だから仕方ないさ」

 「リーダーってイェーガーさん?」

 「今回の魔法使いたちを束ねている人のこと。あら、そういえばあなたもベアも事前の集まりで見なかったわね?」

 「それは攻撃支援役のひとたちの集まりじゃないかな。ベアさんは伝令で、治癒魔法使いは治癒魔法使いで集まってその中で割り振ってたから」

 「治癒魔法使いって新米ちゃんのほかに何人くらいいるの?」

 「今回集まったのは引退した人も含めて七人。他の人はふたりずつそれぞれの部隊の救護所に詰めているよ」

 「新米ちゃんは重傷者担当なんだってな。ずっと待機で退屈だろう」

 「あの、トーコって名前があるんだけど。それに退屈はしない。何回やっても治癒って緊張するし」

 「でも出番自体がないだろ?」

 「出番? あの、もしかしてわたしがただここに座ってるだけだと思ってる……?」

 「「違うの?」」

 トーコは絶句した。もしかして、わたしってさぼっているように皆に見えているの!?

 「ち、違うよ! 治癒系の魔法って少しくらい離れててもできるから、重傷者だけここで治療してるんだよ。今だって、ちゃんとお仕事してるんだから!」

 あらそうだったのー、へー治癒魔法って遠くからできるんだ、などと喋っているとベアが伝令に回ってきた。

 「次の交代でトーコは後ろに下がって仮眠をとれ。その後は撤退の援護だ」

 「重傷者が減っているから、魔力は大丈夫だよ」

 「ダメだ。また長丁場になったときに備えて、魔力の回復だけじゃなくて体も休めておけ。今回は最初から角ウサギにやられた戦闘員の処置は全部トーコに任せるつもりだ」

 「わかった」

 「ふたりも撤退に備えて交代で休め。代わりにさっきの彼を入れる」

 「次の回の処置をやってくれれば、先に休んでいいわよ」

 「いや、俺は休憩はいい。あんたとさっきの水魔法の彼じゃ死骸の処理ができないだろう。ギルドから借りた結晶石もまだ残っているし、このぶんなら魔力は充分だ。体も休まっている。正直暇なくらいだ」

 「あれだけの火力を連発して魔力が保つなんて化け物ね」

 「火魔法だけは得意だからな。誰かが移動の面倒を見てくれたならもう二、三発撃てたんだ」

 ベアもあきれた。

 「そういうことは先に言ってほしかった。そんなことくらいであの火力を出せるなら、トーコのように移動要員をつけたのに」

 「え、そうだったのか? 次回は頼むよ」

 「人がもったいないわ。ここと簗の往復くらいならわたしが運ぶわよ」

 「へえ、君が負ぶっていってくれるの?」

 「その舌ごと凍らせてあげようか」

 撤退は救護のトーコ、攻撃三名の計四名の魔法使いで殿を支援することになる。

 火魔法使いと女魔法使いはひきつづき簗にかかった角ウサギの処理を優先し、交代で広範囲支援にもつく。文字通り戦場を飛び回ることになるので、火魔法使いにはここまでトーコを移動魔法で支えてくれた運び屋がつくことになった。

 水魔法の得意な壮年の魔法使いと他数人が、東門で撤退する部隊を守る国境警備隊の支援に入る。ベアは魔法使いたちへの伝令や戦力の調整役だ。

 魔法使いたちの広範囲攻撃がいっせいに飛んだのを合図に、二回目の撤退はスムーズに始まった。初日よりも狭い幅で交代を繰り返し、取り残される者が出ないよう、すばやく陣地を縮小していく。即席の仲間たちとの連携も取れてきて、声を掛けあい、速度をあわせる。本職の国境警備隊には当然のことだろうが、個人主義的なギルドでここまで足並みをそろえるのは大変だ。

 追ってくる角ウサギの数は多いが、魔法使いたちも初日よりは魔力配分がわかってきているし、ギルド貸与の結晶石で全体で蓄えられる魔力量があがっている。特に戦闘のない休憩日の魔力を手持ちに補充してなお余るような、元々の魔力が多い魔法使いへの恩恵が大きく、効果は高い。初日のように撤退に手間取らなければ在庫の少ない結晶樹の実を配布してまわらずに済むだろう。

 背中を向けて逃げる時に、角ウサギに追いつかれるギルド構成員は後を絶たないが、倒れてもすぐに安全圏へ避難させられ、たかった角ウサギを外しさえすれば即時治癒されるとあって、無駄にまわりが足を止めて被害を拡大させることもなくなり、トーコも精神的にずいぶん楽になった。

 後方へ引き入れられた味方から角ウサギをはがすのもうまくなったものだ。

 中央部隊がほぼ撤収し、右翼部隊と左翼部隊が接触したころ、ベアが飛んできて女魔法使いを国境警備隊の援護に回した。中央の門部分ではなく、州軍の抜けた北側からの角ウサギの攻勢に抗しきれなくなってきていたからだ。

 「州軍の設置した防護柵やらがあるから、焼き払うわけにも水で押し流すわけにもいかん。できれば氷付けにしてついでに壁を作る方向でやることで上のほうで調整がついた」

 「簗の交代要員がいないことになるけれど大丈夫なの?」

 「彼は大丈夫だと言っている。念のため予備の結晶石を渡して、角ウサギが溜まりきるまで待たなくてもいいと伝えてある。これなら調整がきくはずだ。ここへも残り魔力が心もとないが、もうふたりくらいまわせる」

 「わかったわ」

 しかし魔法使いが増えればいいというものではない。魔法使いたちがお互いの担当区域を分けているのも、魔法同士が干渉しあう危険を避けるためだ。簡単に遊撃をいれられないのだ。

 現状の三人で各人の分割区域を支援しつつ、新たなふたりは角ウサギの波が来た時に、戦線より十メートル以上離れた地点へ魔法を打ち込むことになった。十メートル以内に接近した角ウサギが密集してしまった部分は三人の管轄だ。戦力が増えてもあまり効率的な運用といかないのが辛いところだ。

 さらにまずいことに、大威力魔法の支援がなくなり、追いかけてくる角ウサギの密度が高くなりだした。怪我人が増え始め、トーコは焦った。こういうときに限ってベアも発言力のある女魔法使いもいない。大威力の魔法で蹴散らせれば、下も体制を立て直すことができるのに。上から氷矢や火球を打ち込むくらいでは間に合わない。

 「誰か伝令を出して大火力のお兄さんに来てもらう?」

 「それしかないな。前のふたりのどっちかに頼んでくれ」

 トーコ以外の魔法使いは目視で対応しているので、下から目を離すわけにはいかない。トーコは一番近くにいた魔法使いに相談し、応援の魔法使いに伝言を頼んだ。人が抜ける分苦しいが、このまま誰かが来てくれるのを待っていて動けなくなるよりはいい。トーコはふたつめの結晶石から魔力を補充した。これ以上怪我人が増えたら、治癒魔法に使える魔力の残量云々のまえに撤退速度に影響がでそうだ。それなのに遠くから黒い波のように密集した角ウサギが押し寄せるのが見えた。大威力の魔法が使える魔法使いがいたときなら、即座に打ち込んでいたのに。

 気がついた撤退支援の魔法使いがトーコに向って怒鳴った。

 「障壁でも何でもいいから足止めしろ! 時間稼ぎできるならなんだっていい」

 トーコは前線に治癒魔法を送りこめるぎりぎりの地点まで前に出た。探査魔法を放ち、なるべく多くの角ウサギを巻き込めるように水を撒き、凍らせる。白く凍りついた角ウサギと大地は、すぐに後から来た角ウサギの群れに飲み込まれる。焼け石に水だ。女魔法使いは巨大な氷塊を作って、角ウサギを駆除するだけだなく、ついでに進路を妨害していたが、トーコがやるには魔力を食いすぎる。

 「ううん、全部凍らせる必要はないんだ」

 トーコは対角ウサギ用探査魔法の精度をあげた。角ウサギを一匹倒すために巨大な氷柱をたてる必要はない。凍らせるのはほんのちょっとでいい。水を生成する必要もない。あるものを凍らせればいいのだ。

 トーコは応援の魔法使いに声をかけてから魔力を送り込み発動させた。数が多いのでさすがに同時とはいかないが、波紋が広がるように心臓を凍りつかされた角ウサギがバタバタと倒れる。トーコは応援の魔法使いに礼を言って前線の上で中央部を担当している魔法使いのところへ行った。

 「一瞬だけ、わたしにやらせて!」

 「いいぞ」

 彼の担当区域を外れないよう、慎重に魔力を配分する。前から後ろへドミノ倒しが走るように角ウサギが倒れた。倒れてもすぐに後ろからくる群れが侵入してくるが、少しは時間が稼げる。

 「ありがと! 右に行ってくる」

 右と左でおなじことを繰り返し、その間に下が立て直してくれることを祈る。この方法でトーコが稼げる距離など精々百メートルだ。火魔法使いはなかなかこちらへ近づいてこない。代わりに来てくれたのがベアだった。

 「簗に対応している彼に持ち場を離れろと言ったのはお前か、トーコ」

 「え、う、うん」

 「そういう伝令は作戦本部へ寄こせ。それぞれが勝手に動いたら収拾がつかん」

 「そ、そっか。ごめん」

 つい助けを求めてしまったが、言われてみれば当然だ。

 「お前も誰かに言われたからって、持ち場を離れたりするなよ」

 「……持ち場は離れなかったけれど、ちょっぴり角ウサギは攻撃した。そんなに魔力は使ってないよ」

 「今、イェーガーのとこの女魔法使いが来る。それまで持ちこたえ……間に合うか」

 ベアの視線が南東から来る角ウサギの波を捉えた。他の魔法使いも気がついた。中央の魔法使いがトーコに向って怒鳴った。

 「嬢ちゃん、さっきのあそこにもう一度できるか!」

 「さっきのってなんだ?」

 「角ウサギを攻撃したの。使う魔力は重傷者の治癒一回分くらい。ひとり噛まれずに済めば元はとれる。もう少し距離が短くなれば、治癒は中断しないでできる」

 「わかった。やれ」

 密集した角ウサギが次第に近づいてくる。それが突然止まり、転がる。

 「障壁で抑える例の方法か」

 ベアはトーコの様子を伺った。しかしトーコは首を振った。

 「ううん。あれは苦しいからやらない。今のは心臓を沸騰させたの。イェーガーさんのところのお姉さんの氷魔法が頭にあったから最初は凍らせていたんだけど、よく考えたら温度を下げるほうが魔力を使うからやり方を変えてみた」

 「誰に教えてもらったんだ、そんな方法」

 「さっき思いついた。探査魔法とあとは氷魔法か水魔法が使えれば、誰でも同じようにできるんじゃないかな」

 ベアはまじまじとトーコを見た。いいかげん驚くのにも飽きたが、言わずにはおられない。

「誰にでもできる、という言い方はやめろ。できない大多数の魔法使いへの侮辱だ」

 結晶樹の実に手を伸ばしていたトーコは目をぱちくりさせ、ついで狼狽したように手を握ったり開いたりした。

 「あの、そんなつもりじゃ……ごめんなさい」

 「自分を過小評価する必要はない。ここにいる誰にもできないことをトーコはやっているんだ。もっと誇りに思っていい。学ばなきゃならないことも山ほどあるがな」

 「う、うん」

 「とりあえず今の魔法のことはなるべく黙っておけ」

 「どうして?」

 「大量虐殺用の魔法なんて外聞が悪いだろう」

 「う……」

 「絶対にひとには向けるなよ」

 「しないよ!」

 「迂闊に喋って真似した奴がひとに使ったりしたら危険だっての分かるな?」

 「うん。絶対に内緒にする」

 「ならいい。あともう少しだからがんばれ」

 トーコは深呼吸をして救護と角ウサギの波の排除に注意を戻した。流石に今日は撤退部隊が中でつっかえることもなく、陽が落ちるまでに全軍が撤退を完了した。


 二回目の角ウサギ掃討の翌日、例によってトーコは北側から角ウサギの死骸の回収をしていた。担当はいつの間にか中央部から北側全部とギルド展開部分全部になっており、さらに、焼却処分用の角ウサギの保管までが加わった。それというのも魔法使いたちが結晶石への魔力の保管を優先で、そのぶん人手が足りないからだ。例の火魔法使いは結晶石を追加支給され、最終日には最初から最後まで簗を担当することが決まっている。彼とベアが相談し、この作戦が終わり、彼の魔法を温存しなくてよくなるまで、トーコが角ウサギを預かることになったのだ。

 「それはいいよ。お兄さんを温存するのは理解できる。だけど、どうして、わたしが角ウサギの回収係なの!?」

 様子を見に来たベアにトーコは訴えた。

 「治癒だってしなきゃいけないのに! こんな広い場所をひとりでなんて、酷いよ!」

 「トーコがやるのが一番効率いい」

 「最初は皆でやったじゃない!」

 「トーコなら回収しながら選別できるから仕分の手間と時間と要員が必要なくなる。トーコなら荷車まで何度も往復する必要がないから全体の魔力がそれだけ節約できる。トーコなら一度にいくらでも回収できる。すなわち、みんなでやるより、トーコひとりに集約したほうが全体の魔力を節約でき、かつ荷車も積み込み積み下ろしも必要ないから後方要員を休ませてやれ、回収した角ウサギの管理も一元化できる。東門近くの矢の回収を兼ねた角ウサギの回収は他の連中にやらせているから」

 「そこだけ人手を割くってなんか国境警備隊へのあてつけっぽくて嫌なんだけど」

 「まあ、この辺はギルドと国境警備隊間の政治の問題だな」

 「……大人って汚い」

 「ところであれはなんだ」

 ベアは南のほうを示した。草原のど真ん中に黒い巨大なものがある。トーコはつまらなそうに答えた。

 「簗にかかった角ウサギ。あの後、また使うからと思って、放置して帰ったじゃない? そのまま前が詰まって圧死したりしたみたい。うう、近寄りたくないよう。あれも回収しなきゃだめ?」

 「当然だ。空間拡張の入れ物は足りるか?」

 「足りないって言ったら帰っていい?」

 「封筒を作って戻ってこい」

 「そんなことしてたらいつまでたっても治療にいけないじゃない~」

 「容器足りないのか?」

 トーコは恨みがましくベアを見上げた。

 「まだあるけれど……ちょっとお高めの可愛い色封筒だったのに。角ウサギの死骸なんか入れるのはもったいないのに。ポーチの中が角ウサギ封筒ばっかりで嫌になっちゃう。一応食品とはなるべく離して分けて置いているけれど、特に焼却処分用のとか、気分的に持ち歩きたくない。封筒も絶対再利用したくない」

 ベアはトーコの長々しい発言内容を精査吟味し、トーコの気分以外はなんの問題もないことを読解した。

 「この調子なら昼には終わるな。そのころにまた来るから、国境警備隊の詰め所で待たせてもらえ」

 「置いていっちゃうの!? ひとりで魔の領域に入っちゃだめって行ったのはベアさんなのに!」

 「遠くへは行くなよ。目的は死骸の回収だからな。なにかあったら、門のところにギルドの連中がいるから駆け込め。ここが終わったら、広場に売却用の角ウサギを届けるから勝手にフラフラ出歩くな」

 まだなにか、わあわあ言っているトーコを置いてベアはギルドへ戻った。やっと追加分がきたナガクサカズラの軟膏やその他補充の医薬品を確認し、リストと照らし合わせながらポーチに収めていく。トーコのおかげで荷物の運搬に制限がないのは助かるが、そのぶん何でもかんでも運ばされる。

 「どうだ、足りそうか?」

 後方で医薬品を手配していた馴染みのギルド職員が尋ねた。目の下にくっきりと黒いクマが浮いている。

 「シケツソウが殆どない。明日の午前中で切れるだろう。包帯の追加はまだか?」

 「午後には来る予定だ。消毒用のイブシジソの薬酒もそのときに。鎮痛剤が意外に余るな」

 「加療所まで来る重傷者が少ないからだろう。それより、延長の可能性は?」

 「明日の様子を見て、上同士で協議じゃないか? 金がかかるからどこも延長なんぞしたくはないが、かといって角ウサギが他に溢れたら意味ないし。ギルドとしても悩ましいよ。掃討は金がかかるが、皆が早く魔の領域に入れるようにならなけりゃ困るしで。一年で一番の稼ぎ時なのに、参ったよ」

 「明日で終わりならこれで足りると思うが、もう一日二日となると止血薬が全般に不足しそうだ」

 「作戦終了後の物資の処分を考えると追加を注文したくないんだが……」

 物資の打ち合わせをして、ふてくされたトーコを迎えに行く。

 ギルド前の広場に設けられた角ウサギ販売所では既に市民が並んでいた。並ぶようになったのは進歩だな。と思っていたら、横入りしたのしないので喧嘩がはじまる。現物を見せたら待てなくなるので、ぎりぎりまで出すなとのお達しを受ける。途中で人力回収したぶんがまだ着いていないから始められないという。しょうがないので、先にトーコを担当の怪我人収容所に送ってベアだけ戻ってくると、今度は遅い、どこ行っていたんだと怒られる。

 「盛況だな」

 「盛況だが、労多くして実り僅か、というやつだ。この角ウサギの売却でうちより儲けているのはどこだと思う?」

 「居酒屋とかか?」

 「肉屋だ」

 「大量に安く卸しているからな」

 「ところが違うんだ。皆が安く角ウサギを手に入れるだろう? でも慣れていなきゃ解体なんてできないし、毛皮や角を売りものになるように捌くなんてむりだろ」

 「なるほど、肉屋に持ち込んで解体してもらうのか」

 そういえば、トーコもそんなことを言っていた。どうでもいい話をしながら、金を貰って角ウサギを渡しているテーブルに封筒から角ウサギを振り出していく。荷車からもどんどん角ウサギが運び込まれるが、実に楽である。暫くやっているとギルドの二階の窓からイェーガーが呼ぶ。信頼できる男に封筒を預け、ギルドの集会室に行くと、既に何人かが集まっていた。

 「簗の追加設置が決まった」

 「どこに?」

 「東門前に二箇所。今日中にやってくれ」

 「今頃、怪我人収容所でちょうど魔力を使い切っている頃だ。結晶石に蓄えた魔力を使っていいならできるが、いいのか」

 「構わん。今、高威力の大魔法を使える魔法使いの配置に四苦八苦している。簗さえあれば彼の火で焼き払える」

 火魔法使いは眠そうな顔で頷いた。

 「イェーガーんとこの氷の姐さんと交互にやれば五つ巡回できるだろう。休憩の時、ちっと溢れた分は他の奴に処理してもらうとして」

 「あんたも大変だな」

 「そう思うなら、火魔法の取得に励んでくれよ」

 「あいにく適正がなくてな」

 「じゃ、なにか案を出せ。あんたたち、色々隠し玉を持っているじゃないか」

 「そんなものはない。全部ただの思いつきなんだから、あんまりあいつをつけあがらさないでくれ。ただでさえ調子に乗りやすいんで難儀なんだ」

 「調子に乗ってなんかないもん!」

 突然ドアが開いてフタオリスのように頬を膨らませたトーコが飛び込んできた。

 「この間痛い目みたばかりだろう」

 「う……」

 「治療は終わったのか?」

 「うん。わたしの担当の収容所は小さかったからすぐ終わっちゃった。まだ魔力あるから他のところにまわしてもらおうと思って、ギルドの人と一緒に戻ってきたの。そしたらベアさんが上にいるって聞いたから。あのね、回収した角ウサギ、きれいなのはなるべく残しておいてくれって。例の大口顧客さんのところに届ける分にするって」

 「まさか、届けろなんて指示は受けてないだろうな」

 「それは何も聞いてない」

 「もし言われたら断れよ。断れなかったら届けるのはトーコだからな」

 「嫌だよ! 入域できないじゃない!」

 「だったら請けるな。ところで治療の前にもう一仕事だ」

 ベアは簗の設置について説明した。

 「ふたつくらいならちょっと休憩させてもらえればできると思う。ところでお兄さんは結晶石の補充終わった? 魔力あったら、簗の強度をためしがてら、角ウサギ焼却処分しない?」

 火魔法使いはにこやかに終わっていないと告げた。トーコがあからさまにがっかりする。

 「回収したうちの半分近くが焼却処分なんだもん。嫌になっちゃう」

 「というか、もう回収終わったのか?」

 「もう? もうってなに!? ほとんど全部ひとりでやらされたんだよ! どんだけ広いと思うの。何時間もかかったんだよ。酷くない!? 一羽二羽って数えられるのはまだいいよ。魔法で細切れになっちゃったのとかほんと最悪。こういうのは真っ先に処分してもらおうと思って別にしてあるから、魔力の補充が終わったら教えてくれる?」

 「終わったらな。さすがに疲れているんでいつ終わるか分からないけどな」

 わざとらしいほどの笑顔で火魔法使いが言った。その目が絶対にごめんだと言っているのにトーコだけが気づいていない。

「疲れたときは甘いものだよ。わたしも疲れた。ベアさん、食べていい?」

 言いながら既にアケビやブドウ、森で採ってきた果物を並べている。打ち合わせの場は強制的におやつの時間になった。クリムカゴを前にトーコは火魔法について熱心に聞いている。

 「水魔法で間接的に火を通すことはできるんだけど、表面をカリッと焼きたいときとかはやっぱり火なんだよねえ」

 「でも、このクリムカゴを蒸かすのには便利だな。ちゃんと中までできてるじゃないか。だけどこれは水魔法なのか? 熱魔法じゃなく?」

 「ううん、水分子を振動させてるだけだから、水を含まない、たとえば金属とかは熱せられないの。それができたらフライパンを買ってもいいんだけど、熱いお湯を入れたコップが温まるように、間接的に熱くするのはできるけれど」

 「水で暖める? そんなことできるのか?」

 「うん。水のうんと小さい、霧より小さいのを高速で動かすとできるよ。でも、手抜きしないで、ちゃんと外側から熱い蒸気で包んで蒸したほうが美味しくなるから、なるべくやらないようにしてる」

 「火でこういうのを調理するのはけっこう面倒なんだぞ。最初のころはよく俺も黒焦げにしてたなあ」

 言いながらトーコの要望に応えてクリムカゴの皮をむき、拍子切りにしたのを柔らかな色合いの炎で包み、最後にしばらく強火で炙って即席おやつを作ってくれた。トーコは大喜びである。

 「美味しい! 中はほっくり、外はカリッとしてて最高~」

 小腹が満たされると同時にトーコの機嫌も直ったので、簗を設置したらそれぞれ家に戻って体を休め、夕方治療のために再度合流する。細切れに予定が入るので、慌しく、移動にばかり時間がかかってほかの事をする余裕はあまりない。

 ベアとトーコと違って治療と魔力の回復に専念できるヘーゲル医師も、戦闘のない休憩日はひたすら寝ては魔力を貯め、また寝るの繰り返しでたまに食卓に座っていても「寝すぎで頭がぼーっとする」とぼやいていた。

 国境警備隊が集めた町の治癒魔法使いたちは直接魔の領域に入らないので、東門近くで待機しているのだが、搬送されるのに時間がかかるだけ、重傷者の手当てが大変らしい。

 トーコも初日は苦労したものだが、ヘーゲル医師たちの大変さを聞くにつけ、探査魔法が使えなかったら今頃もっと大変だったのだと思う。ヘーゲル医師に探査魔法を教えてあげようとしたのだが、トーコの教え方が悪いのか、ヘーゲル医師にたまたま適正がないのかうまくいかなかった。今は練習で魔力をムダにできるときではないので、結局保留となった。


 角ウサギ掃討作戦も三回目ともなると展開がスムーズだ。初日に戦線離脱したギルド構成員も大多数が戦場に戻り、人数には恵まれている。後方部隊も戦闘員たちが確保した陣地に速やかに物資を運びいれ、指揮場や加療所、炊き出し場の設営を迅速に済ませた。

女魔法使いは最初から東門前に設置した簗の前に待機し、火魔法使いは最右翼の簗前にいる。ふたりは結晶石のほかに大量の結晶樹の実を携行している。そのほかに水の大魔法を使える壮年の魔法使いが交代要員兼遊撃として控えている。彼の水は広範囲に渡って角ウサギを押し流すことができるので、味方と角ウサギの間に間合いを作ることができる。これを利用していざというときは立て直す時間を稼ぐ。

 トーコは今日は中央部隊のすぐ後ろから相変わらず重傷者の対応だ。探査魔法と治癒を複数並行行使するのにすっかり慣れ、後ろにいても魔法を届かせる自信がついた。習熟によって、魔力を対象まで送り込むまでのロスの軽減ができるようになったので少しのこととはいえ魔力も効率よく運用できている。魔力をぼやっと飛ばすのではなく、小さくぎゅっと凝縮して勢いよく放ち、目標に達したら必要な形で展開させる。単純な外傷だからこそできる技だが、おかげで同時に二十人くらいなら対応できる。

 傷の治療自体は効率化のしようがないので、他で魔力を節約することを考えねばならない。

 魔法使いの配置を工夫したのが功を奏し、角ウサギの流れもおおむね予定通りにコントロールでき、撤収までを問題なく終了した。掃討を延長するかどうかは未定で、翌日と翌々日は戦闘が無いことだけが最後に告げられた。

 トーコも撤退支援時に治癒だけでなく、攻撃も担当するようになり、予備の魔力と支給された結晶樹の実を使いきって、へとへとになって東門が閉まるのを見た。ベアに何度も「ここで寝るなよ」と言われながら、やっとのことで歩くありさまだ。

 「ねえ、ベアさん、角ウサギ、何羽くらい駆除したかな」

 「数えようもないな。十万か百万か一千万」

 「一千万羽はないんじゃない?」

 「分からんぞ、なにしろ例の火魔法が景気よく吹き飛ばしていたからな。あんな大魔法、もう二度と見ることはないかもしれんな」

 「駆除が延長になったら見られるんじゃない?」

 「そうならないことを祈ってろ。この季節に誰一人通常の活動ができないなんて、ギルドには大打撃だ。俺たち構成員だって商売あがったりだ。入域できるようになったら、ひとつ向こうの森まで行くか。……どうした、静かだな」

 いつもなら飛び上がって喜ぶのにいやにおとなしい。ベアが水を向けると、トーコは自信無げに言った。

 「いってらっしゃい……?」

 「珍しいな。来ないのか?」

 「ついてっていいの?」

 「もちろん、来ていい」

 「あの、宿題終わってないんだけど」

 「ああ、あれか。あれは仕方がない。俺もトーコが分からないということが分かった。外国人で新米なんだからやむなしと思うことにする。焦らなくても、そのうちトーコも分かるようになるだろう」

 トーコが心底ほっとした顔をした。

 トーコが角ウサギの死骸の回収と怪我人の治療に走り回った翌日、角ウサギ掃討作戦は延長することなく完了が決定された。

 人的被害は避けられなかったので、町の北側にある共同墓地の一部に戦死者たちは合葬された。生きた人間の治療に急がしかったトーコは行けなかったが、ギルドからは十数名の死者がでていた。そのうちの半分以上が初日の戦闘で命を落としていた。国境警備隊と州軍も多数の死者を出しており、もともとの母体人数が多いので、埋葬されたのはほとんどが彼らだ。儀式めいた葬儀では人数の少ないギルド構成員などおまけで墓穴に入れてもらったような感じだったと見に行っていたギルド構成員が面白くなさそうに教えてくれた。

 角ウサギの掃討作戦は終わったけれど、すぐに入域制限が解かれるわけではない。皆が後始末に追われる中、トーコもギルド職員を手伝って、余った物資の在庫を数えて二階の空き部屋に運びあげたり、貸与品の結晶石を魔法使いたちから集めたりしていた。トーコはちゃんと最後に魔力を満タンに補充して返したのに、空っぽのまま返す人の多いこと。結局トーコが回収したものをチェックして入ってないものは補充させ、逃げられたときはしかたなく代わりに補充した。

 「信じられない! 使いっぱなしで返すなんて!」

 トーコがぷりぷりしている横で、ベアは余った物資をポーチから出して在庫と一緒に片付けている。これらはいずれギルドの競売で処分されるだろう。

 「べつにそのままでもいいんじゃないか」

 「よくない! 例え二割しか使えなくても、できるかぎり元の状態で、できることならそれ以上にして返すべき。魔法道具の補充なら全量使えるんだし。もしこれで、次回貸してくれなくなったらどうするの!?」

 トーコが怒っているのは実は純然たる個人的な理由であることをベアは承知していたので、右から左へと聞き流した。ギルド構成員はほとんど快癒して怪我人収容所もまもなく閉鎖される予定だが、トーコはさっそくハルトマンに捕まって国境警備隊の負傷者の治療をしているのだ。

 ギルドの救護がうまくいっていたのであまり意識していなかったのだが、国境警備隊と州軍の重傷者の多さと治療の遅れに仰天して、以来、自主的に手伝いに行っているのだ。州軍は引き上げたが、重傷者はユナグールに残されている。ヘーゲル医師が大変そうだったのを知っていたのに、そこまで気が回らず、呑気に角ウサギの死骸の回収なんぞをしていたことに勝手に責任を感じているのだ。

 半分ほど集まった時点でベアとトーコは大口顧客の商人ザカリアスへ角ウサギの納品ついでに結晶石を返却しに行った。そのときに怪我人の治癒が終わったら魔力を補充すると約束して許してもらった。もちろん、やるのはトーコであり、ベアはお人よしにあきれた。

 「ハルトマンから治療費ふんだくってやれ」

 「えーできないよう」

 「なんでだ。タダ働きでへたばってるようじゃギルド構成員失格だぞ」

 「だって」

 「だっては禁止」

 「そ、それは続くの?」

 「当然だ」

 「え、えーととにかく、氷は役に立った? って聞いたら、遺体の保存にとても役に立ったなんて言われちゃうと。そんで、もっと氷が必要になるかもなんて言われちゃうと……」

 ベアは嘆息した。困っているのは事実だろうが、だったら正直にギルドに指名依頼をだせばいいものを。姑息な。荷物整理を終えたベアはギルド職員となにやら話してトーコを呼んだ。

 「持って行っていいぞ」

 小さい樽をトーコに示す。

 「ナガクサカズラの軟膏?」

 「使いかけだから競売にも出せないし国境警備隊にあげていいよ。あとは増血のブレンド茶と、イブシジソの消毒薬、それからこのへんの使いかけも持って行っていいよ」

 「いいの!?」

 「どうせ欲しい人に持って行ってもらうかして処分しなきゃいけないものだから。ギルドは材料が調達できるからこんなに用意できるけれど、そうでなければ高価だから、国境警備隊もそんなに備蓄していないと思うよ」

 「ありがとう!」

 トーコは抱きつかんばかりに大喜びで役に立ちそうな医薬品を貰った。そして、ふと思い出した。  

 「処分といえば、角ウサギだけど」

 なぜかギルド職員がぎくりとした顔をする。

 「ああ、うん、毎日配達してもらえて助かってるよ」

 「町にいる間はね。でも、そっちじゃなくて焼却処分するほうの角ウサギだけど」

 「あ、今ちょっと忙しい」

 にわかに挙動不審になってギルド職員が部屋を出て行こうとするのを、ベアがすかさず邪魔した。ドアに寄りかかる。

 「話の途中だ」

 「そこ、どいてくれよ~!」

 「どうして逃げるの? いつ持って行けばいいのか教えて欲しいだけなんだけど。お兄さんの都合もあるだろうし、こっちはいつでも」

 ギルド職員は居直ったように、ポンとトーコの両肩を叩いた。

 「いやあ、大活躍だったそうじゃないか!」

 「はい?」

 「でね、角ウサギだけど、ギルドでは作戦参加者に日当はちょびっとしか出ないけれど、角ウサギは好きなだけ持って行っていいことになってるから」

 そういえばそんなこと初日に誰かが言っていたな、とトーコは思い出した。ギルド構成員向けに配布でもあるのかな? その運搬をしろってことかな。ギルド職員は満面の笑顔で言った。

 「だから、今、君が持っている角ウサギは、全部、君のものだから」

 「はあ!?」

 「ギルドは個人の私物には関与しないから。じゃね!」

 「待って待って待って!」

 トーコは慌ててギルド職員の腕にしがみついた。

 「それ、おかしいでしょ!ギルドの指示で回収して、お兄さんの魔力温存のために保管していただけで、これはギルドのものでしょ!?」

 「いやー、彼への強制依頼、もう使い切っちゃってるんだよね。作戦前にも角ウサギの焼却依頼しちゃってたから」

 「掃討作戦のうちでしょ、これ! 強制依頼関係ないよね!?」

 「それが、彼ももう角ウサギの焼却処分はもう嫌だと言ってね、さっきまで居たんだけど、君の声が聞こえたとたんに逃げていった」

 トーコはあわてて窓に駆け寄り、身を乗り出したが下の広場にはもういない。

 「彼、今回の一番の功労者だから、ギルドとしても強く言えないんでね」

 「だって、これどうするの!?」

 焼却処分待ちのミンチ未満、死骸以上の角ウサギが一辺十メートルの空間拡張封筒何枚分あると思っているのだ。角の欠けたのや、毛皮に傷があるのなんて、封筒の数を数えるのも嫌になるほどだ。

 「だからそれ、君の私物だから。あ、例の大口顧客に届ける分だけはギルドのものだから、そこんとこよろしく」

 「こんなの、どう処分すればいいの!」

 「そこらへんに捨てたらダメだからね。油かけて燃やすのが一番だね」

 「ええええ!」

 今や角も毛皮も使える角ウサギだって一タスにもならないというのに。むしろ処分するのに油を買わないといけないとか。しかも、どんだけ大量の油が必要になるんだか想像もつかない。

 「ひ、酷い! ひとりぼっちで回収させられたあげく自腹処理なんて!」

 「やー、ギルドも大赤字で」

 「だったらこれくらい赤字が増えたって!」

 「もう、知らないから。それ私物だから」

 ギルド職員が逃げていってしまい、トーコは待って、の形に手をあげたまま呆然とした。

 「……してやられたな」

 ベアが呟き、トーコは我に返った。

 「はっ、そうだ、お兄さんを追いかけて、燃やしてもらおう! 今なら草原に人がいないからそこで、ばーんと派手に豪快に一気に!」

 そのまま窓枠に足をかけたので、ベアは襟首を掴んだ。

 「国境警備隊に薬を届けなくていいのか」

 「うっ」

 「まだ入域制限は解けないから、彼を探すのは明日にしろ」

 「ねえ、ベアさん。わたしが結晶石を借りた店主さんだけど、お礼は角ウサギでいいって言ってたよね?」

 「恩を仇で返すな、仇で。仕方ない、うまく彼が捕まらなかったら、奥のほうに入域したときに穴を掘って埋めてこよう」

 「その穴、誰が掘るのー!?」

 「俺じゃないな」

 国境警備隊のハルトマンの部下たちに薬は喜ばれたが、トーコの探査魔法を持ってしても翌日火魔法使いは見つけられなかった。どうやら規則を破ってフライングしたらしい。トーコは悔しがったが後の祭りだ。

 「まあ、いつでもアカメソウたっぷりの美味しい角ウサギが食べられると思えば……」

 ベアが確信のない口調で慰めたが、恨みがましいまなざしが返ってきただけだった。

 「いつもバベッテ姉さんが行っているお肉屋さんは解体の予約が一週間先まで埋まっているの」

 「……まあ、トーコが持っていれば腐らないし、ほとぼりが醒めた頃、ギルドに依頼が来たら持ち込んでもいい」

 「空間サイズから算出した理論値での概算だけど。角も毛皮も損傷していないのが、約十万羽あるの」

 「……」

 「角が欠けただけのは」

 「わかった。俺が悪かった。彼が戻ってきたら教えてくれるよう頼んでおこう」

 ヘーゲル家の四女バベッテは塩、サンサネズ、サジンダケに続いて角ウサギの肉にも不自由しない身分となった。

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