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第11話 角ウサギ掃討作戦(1)

 雲ひとつない晴天。草原を吹き渡る風は清々しい。

 「暇だね~」

 大騒ぎして準備を整えた角ウサギの掃討作戦が始まるとは思えないほど、いい日和だ。もっとも、暇なのはトーコともうひとりの治癒魔法使いだけである。他の人は簡易ベットの設置や医薬品を天幕に運び込むのに忙しい。手伝おうとしたら、魔力と体力の温存を厳命された。

 早朝、まず国境警備隊が東門を出て中央に展開して、出入りする部隊の防護と、東門への角ウサギの侵入を阻む。続いて、国境警備隊の北側に一昨日町に到着したカウン州の州軍が出ていき、最後にギルドが南側に陣を張る。人数差があるので、北に延びた不均衡な編成だが、この配置には色々な政治的配慮とかが絡んでいるらしい。

 指揮本部と各部隊の連絡は主に人間で、部隊の指揮は太鼓やラッパの音で合図する。天幕の中から聞こえる太鼓のリズムからすると、前へ出ては戻りを繰り返しているようだ。

 「緊張しているか」

 加療所の設営状況を見に来たベアが膝を抱えたトーコに訊ねた。

 「最初はしていたんだけど、なんだかやることなくて」

 このところの角ウサギ狩りにはすっかり皆慣れて、陣地の展開時に怪我人などひとりもいない。

 「今だけだ。一方的に狩っていられるのもな。そのうち草原中の角ウサギが集まってくる」

 そしてやはり体力と魔力を温存するように言って他へ行ってしまった。

 ギルドに招集された治癒魔法の使い手のうち、最も年季の浅いトーコが配置されたのは、一番東門に近い左翼部隊の後方だ。戦闘要員だけで約千人。これがトーコともうひとりで担当するぶんだ。交代制なので実際に稼動するのはその半分。多いか少ないか分からないが、引退者を含めた採集者たちも相手が角ウサギとあって数多く参戦して狩人たちと肩を並べている。

 手押し車に角ウサギの死骸を満載して後方へ運んできたギルド構成員が言うには、角ウサギは人の壁に押されるようにして逃げ回っている状況らしい。

 角ウサギの死骸は可能な限り回収することになっている。放置すると足元が危ないし、なにより肉食の魔物が血の臭いを嗅ぎつけて出てくるので撤去しているのだ。前回、角ウサギの死骸の腐る臭いで、草原中に悪臭が漂ったという。

 回収した角ウサギは可能ならば売却し、残ったら焼却処分することになっている。そのための墓穴もすでに城壁近くに掘ってあるという。参戦したギルド構成員には欲しければどうぞ、という無造作さだ。

 時折自分の足で歩いてやって来る怪我人を治しながら、天幕に詰めている年配者に包帯の巻き方や用意した薬の使い方について教えてもらう。応急手当などはギルド構成員なら大抵自分でできるので、トーコにもいい勉強になった。後方にいるのは殆ど引退した女性採集者で、知識も豊富だ。教えを請えば経験を交えて教えてくれる。

 逆に怪我人の搬送などの力仕事には男性が割り振られている。

 状況が変わったのは二時間近く経ってからだった。急にばたばたと人が動き出し、後退の合図が強く鳴り響く。

 北側の州軍が駆逐していた角ウサギが、森の中まで逃げていたのに、後がないと覚悟を決めたかのように反撃に出たらしい。

 いずれこちらにも波及するはずなので今のうちに装備と隊列を整え、交代で休息するようにと連絡が回ってきた。反応が現れるのには一時間ほどもかかった。最初に気がついたのは音だった。細く空気を振るわせる漣のような連続音。

 「なんだろ、これ」

 「角ウサギの威嚇音だよ」

 前回の大繁殖を知っているという女性引退者が教えてくれた。彼女がこの加療所の責任者を務める。

 「来たね。さあ、忙しくなるわよ」

 彼女の嬉しくない予告は当った。

 合図の音が太鼓からラッパに変わった。弓箭の合図だ。平地なので、単に弓を持ってきている者への射出の合図程度でしかない。弓を構えた者がいたら、他の者は邪魔にならないようにしゃがむ、というレベル。今までは進むか下がるかの合図しかなかったのに、攻撃的なラッパの音色が響く。

 トーコには外の様子はわからないが、暫くして角ウサギに噛まれたギルド構成員が救護担当者に肩を借りて駆け込んできた。

 「角ウサギが急に増えやがった」

 「増えた?」

 角ウサギを追いかけているつもりで、いつの間にか囲まれていたという。 

 魔力温存のため、傷を洗うのに魔法を使うのは禁じられている。引退女性が瓶詰めの水をかけて洗浄した傷を素早く治癒しながら聞き返すと、彼は悔しそうに頷いた。一羽の相手をしている間に、他の角ウサギにふくらはぎを噛まれたという。ごっそり肉がえぐられ、出血している。

 角ウサギといえども、同時に複数を相手取ればこういうことも起きる。それからも何人かが担ぎこまれたが、皆足を噛まれていた。角ウサギの体高など人間の膝程度だから、どうしても足元に被害が集中する。皮革製のブーツを履いていなかった彼らは失敗した、とうめいていた。

 途切れることなく負傷者がやってきた。怪我は治癒できても、長歯化した角ウサギの噛み傷は深く、太い血管を傷つけられて酷い出血による失血で戦線を離脱する者が数名出た。

 いまやほとんどの角ウサギが長歯化しているとあって、近寄られる前に間合いの長い槍や弓で倒すのが良いらしい。ただ、矢はギルド構成員の私物なので、気軽に使えるほど数がなく、実際には棍棒が活躍している。

 逆に、冬に備えて皮下脂肪を蓄えた角ウサギを剣やナイフで倒すのは、一羽二羽ならともかく、数が多いと切れ味が悪くなって大変だという話だった。脂ののった美味しい角ウサギのはずが思いも寄らぬ障害だ。

 そのためにヌグイソウも荷車で運び込むほど沢山取ってきたのだが、このぶんだと足りなくなりそうだ。空樽に枝ごと刺しておいたら、結構皆ちぎって持っていく。

 時間を追うごとに運び込まれる負傷者は増え、抜けた穴を補うために次々に人が前線へ回される。

 「どいて、どいて!」

 天幕に初めて担架に乗せられた怪我人が運び込まれた。角ウサギに足を噛まれて転び、別の一羽に腕を噛まれたという。とっさに探査魔法で探るとどちらも太い血管をやられて、出血が酷い。つきそってきた仲間が呼びかけても酔っ払いのように頭がぐらぐらしている。意識が朦朧としているのだ。

 「水をかけちゃだめ!」

 水の瓶詰めを持って駆け寄る女性にトーコは慌てて待ったをかけた。これだけ出血してさらに血を失うのはまずいと、トーコにすら分かる。伊達にヘーゲル医師や他の治癒魔法使いのところで修行していない。

 こういうときは、まず止血してから、魔法で傷口を消毒。探査魔法で異物が入っていないのは分かっているが、もしある場合は移動魔法で除去。それからやっと治癒だ。手順が多い分、魔力と時間を食うが、患者の負担が少なく、復帰も早いのだ。

 「血と一緒に水分も失っているはずだから、増血効果のあるお茶をたくさん飲ませて。血が薄まるから、暖かくして安静にしていて。あまり体温が下がるようなら教えて」

 余力があったら、最後に増血の魔法をかけるなり保温魔法を使うなりできるが、今は温存だ。

治癒の終わった患者を頼んでいると、次の担架がきた。また出血が酷い。いつもなら噛まれることなく仕留められる角ウサギなので、こうも酷い怪我になるとは皆予想外らしい。ベアやギルド長はこれを知っていたからこそ、あんなに真剣に薬の確保に手を尽くしていたのだと分かる。トーコも角ウサギ相手に複数個所を負傷した怪我人は初めてだった。

 「この傷は洗っていいの?」

 「足首だけお願い。ほかはダメ」

 治癒魔法使いとしての経験は浅いトーコだが、重傷者には慣れている。というか、慣れているのだと、トーコの指示を待つ、トーコより経験豊富なベテランたちを見て初めて知った。

 胃がきゅっと音とたてて縮んだ。

 ここにはいつもトーコを指導してくれる、ヘーゲル医師やご近所の治癒魔法使いがいない。そして、一緒に配置されている治癒魔法使いが得意とするのは、解熱、鎮痛、化膿止め、抑炎症、増血などで、移動魔法も消毒魔法も使えないため、全て水で洗浄しようとするので、トーコはひやひやする。せめて増血の魔法をかけて充分な魔力を送り込んであげればいいのだけど、今は魔力温存が優先される。

 「ボームさん、こっちの人の続きお願い。あとは治癒だけだから。次来るひとはわたしが診る」

 トーコの探査魔法は天幕に入ってこようとする担架に乗せられた怪我人を捕捉している。また怪我が二箇所。大腿部の出血が危険な域だ。目視を待たず、問答無用で治療にかかる。入ってきた担架を担ぐ男に奥へ寝かせてもらうように頼む。ベットは治療の時に使うだけで、終わったら、草地にひいた毛布の上で雑魚寝だ。

 「おい、診ないのか」

 「もう終わった。増血のお茶飲ませて暖かくして安静に。体温に気をつけていて」

 言いながらすでに次の怪我人をトーコは見つけていた。だがこれは先のふたりほど酷くない。

 「ボームさん、次の人をお願い。腕の噛み傷と、左足首の捻挫」

 すぐにボームが洗浄用の水と、捻挫用の湿布と氷の用意を指示する。医者ではないが、ベテランのギルド構成員とあって判断が早い。ボームの用意が整うと同時に怪我人がくる。

 「この振り分けで行こう」

 「うん」

 お互い使える治癒系魔法の種類とだいたいの魔力量については情報交換済みなので、ここは役割分担するのがいい。それからしばらく間が空いて今度は立て続けに来るのを探知した。

 「三人来る。そのベットから順番に、噛み傷が三箇所、一箇所、一箇所。ボームさんは真ん中の人をお願い」

 言いながら三箇所のうち二箇所から多量に出血している負傷者の治癒にかかる。探査魔法で怪我の様子が先んじてわかるので、魔力さえ送り込めれば距離があっても治療にかかれる。トーコは最初のベットを指しながら、

 「ここ終わったから、運ばれて来たら手の擦り傷の手当てと増血のお茶。体温が下がらないよう気をつけて」

 トーコは治療の合間に処置済みの重傷者の様子も確認する。最低限の治療はしたものの、失血は怖いのだ。ヘーゲル医師のような経験も判断力もないので、とにかくまめに確認するしかない。なにしろ今まで魔力量にものを言わせた万全の治療しかしたことがないから、どこまでやれば充分なのか見極めできない。

 さすがに本職の狩人で運ばれてくる人はいないが、防護装備の薄いギルド構成員は増えてきた角ウサギに不覚を取ると怪我が酷い。運ばれてくる怪我人は増える一方だ。

 「あれ」

 「どうしたの」

 「最初の人が止まった。あ、二番目の人が先に入ってくる」

 「最初に来るのが、二番目の場所ね」

 「うん。どうしたんだろう」

 引退女性が運ばれてきた怪我人を手際よくベットに導く。

 トーコは不安が喉の奥からせりあがってくるのを感じた。トーコの探査魔法がなにか見落としてまずい治療を施してしまったのかも。居ても立ってもいられずトーコは加療所を飛び出した。十メートル先の怪我人の所まで走る。

 大声がして心臓がひやりとした。怪我人になにかあったのだとしたらどうしよう。横着しないで目視すればよかった。後悔が襲ってくる。

 「どうしたの!? 診せて!」

 「もう治った! 戻る!」

 まだ十代の少年が叫んだ。

 「そんな馬鹿な、その出血で立ったら下手すると死ぬぞ!」

 「とにかく一度診てもらわないと」

 トーコは事情を飲み込んだ。安堵と同時に怒りが湧き上がってくる。

 「黙んなさい!」

 八つ当たり気味に一喝すると、少年も、担架を運んでいた男ふたりもびっくりして口をつぐんだ。

 「怪我は治したけれど、流れた血が戻ったわけじゃない。今すぐ水分取って、横になりなさい!」

 トーコは加療所を指差して少年を睨んだ。

 「俺 ひとり休んでなんか」

 「誰が休ませてあげるなんて言った!? 死ぬほど不味い増血茶をお腹が破裂するほど飲んで貰うから! そこからあとは自力で減った分 の血を増やしてもらうから! 増血魔法を使ってもらえるなんて思ったら大間違いだからね! 血が足りないのに動いたって、酸欠で息があがって皆の邪魔になるだけだから! そしてそのぶん血が増えるのが遅くなるんだからね! さっさと担架に乗って指一本動かさない、無駄に息しない! 分かった!?」

 「わ、分かった」

 トーコは先に加療所へ駆け戻った。お馬鹿にかかわりあったせいで次の怪我人が着いてしまう。治癒魔法は飛ばして処置済みだが、対応を加療所のひとに伝えなければならない。なんとか間に合って一緒に入っていきながら伝える。

 「ボームさんに腕の傷だけ診てもらって。両手の擦り傷の手当てはそっちでお願い」

 怪我人が増えてきて、だんだん怪我人を寝かせる場所が足りなくなってくる。

 「ある程度治療したら、門の中に運んでもらえるはずじゃなかったっけ?」

 「さっき覗きにきたけれど、運ばなきゃならないような怪我人はいないからって、行っちゃったわよ」

 「ええっ! こんなに怪我人いるじゃない!」

 「そうよね、怪我人をどかしてもらわないと、場所がなくなるわよね」

 「運ぶのって担架じゃなくて、荷車だよね? 重傷じゃないひとだけでも門の中に入れてもらえないの?」

 「無理じゃない? そもそもここで応急処置だけして民間医に引き継ぐってことだったもの」

 「トーコが全部治しちゃうから、医者に引き継ぐほどの怪我人がいないじゃない」

 「怪我が治ったんだから、彼らも少し休めば戻れるでしょ」

 トーコはびっくりした。大慌てで声をあげる。

 「ダメダメダメ! 大きな怪我が治っただけで、元通りになったわけじゃないよ! 痛みを感じなくても、無理に動いたら本当に死ぬから! 今日明日は絶対安静、できれば五日間くらいベットでおとなしくしていなきゃダメ!」

 「だって治ったんでしょ?」

 「それは外側だけ! 魔力が足りなくなったら困るから、本当に最低限の魔法しか使ってないの!」

 「治癒魔法は治癒魔法でしょ」

 「普通は治癒魔法だけじゃなくて、他にも色々な魔法を一緒に使っていて……」

 言語能力に限界のあるトーコはボームに助けを求めた。治癒魔法ってはたから見ていると万能な魔法のように見られちゃうんだ、とトーコには目から鱗だった。ボームはうまく治癒魔法じゃ止血も消毒もできないということを説明してくれた。

 暫くすると戦闘の組が入れ替わったらしく、どっと軽傷者がやって来た。人数が多く、殆どは薬での治療になるので忙しい。中には酷い出血なのに、簡単な止血だけして来る人が結構いる。トーコは慌てて重傷者を探査して選りだした。

 「あなたとあなたと、そこの青い帽子の人はあっち」

 治癒しながら、強制的にベットへ追いやる。皆、腕や手を噛まれている。どうやら担架で運ばれてきたのは動けない人だけで、自力で立っていられるうちは後方に下がっていなかっただけらしい。戦闘の興奮で感覚が鈍くなっているのか、失血で青い顔をして脂汗をかいているのに来るのが遅すぎる。しかも、傷がふさがったらもう治ったつもりでいる。

 「だから、その怪我はふさがっているだけで……どいて!」

 次の交代時に出て行くつもりでいる彼らに言葉を尽くして説明していたトーコの探査魔法の範囲に新しい怪我人が入ってきた。足にも腕にも受傷しているが、それより首からの出血がまずい。止血、消毒に続いて大量の魔力を送り込んでの力づくでの治癒。でも出血しすぎている。本人はうめいているが、意識が朦朧としている。体力も消耗している。この状態で怪我人本人に負担のかかる増血魔法をかけていいのか? 

 「重傷者がくるからそこあけて! ボームさん!」

 トーコはボームを引っ張って加療所の外へ出た。件の負傷者を運んでくる担架に向って叫ぶ。

 「揺らさないで! そこ置いて!」

 担架の振動にすら体力を削られていくのが判る。担架を担いだ男たちが驚いたように足を止めた。

 「止血、消毒、治癒で傷はふさいだけれど、体力を消耗しているの。どうしたらいい? 増血魔法をかけていい?」

 ボームは顔を曇らせた。

 「やめたほうがいい。このままなるべくそっと運んでもらう。傷を塞いだら、あとは彼自身に任せるしかない」

 トーコは唇を噛んだ。それは非情な宣告だ。だがこれ以上魔法でできることはない。魔法はトーコには奇跡のように色々なことができるが、本当に奇跡を起こせるわけではない。輸血できたらいいのに。傷自体はふさがっているので、そうしたらかなりの確率で助かるはずだ。でもここには血液型の概念もないし、トーコのおぼろな知識だけではとてもやれない。

 「戻ろう。まだ怪我人がくる」

 「ボームさん、次の担架の人、左足首と手首の捻挫。外傷は治癒した」

 「トーコ?」

 ボームは足を止めたトーコを怪訝そうに振り返った。

 「わたし、ここにいる。ここからならもっと前まで見えるし、早くに治癒できる」

 ボームは仰天した。

 「加療所を今から動かせないよ」

 「加療所は今までどおり。わたしがここに残るだけ」

 「そんなこと。誰が指示を出すんだよ」

 トーコよりずっと年配のベテランギルド構成員が狼狽したように声をあげた。

 「分かった症状を伝えただけで、わたしだって指示なんかしてない」

 「それでも君経験あるだろう? 治癒魔法使いに挫折した俺は無理だぞ!」

 「わたしだって、初心者だよ。もともとわたしたちは軽傷者の応急処置と重傷者の治癒担当なんだから、門の中に連れて行ってもらえれば、ちゃんとお医者さんに診てもらえるはず」

 「だけど」

 「問題があったら誰かよこして。ボームさん、怪我人が加療所へつく」

 ボームは言い争いに時間を費やすより、自分の仕事をすることを選んだ。トーコを残して足早に去る。

 トーコは深呼吸をひとつして、加療所に背中を向けて、戦場があるはずの前方へ探査魔法を広げた。とにかく角ウサギで怖いのは出血だけだ。噛まれた怪我人を探して片っ端から治癒する。消毒と止血だけしていきなり治癒だ。

 なまじ軽傷者に止血をするとそれで加療所へ来ない可能性があるのでトーコは手を出さない。捻挫や自分で歩いて加療所に来られる程度の怪我人は加療所での応急手当を経て門の中の医師たちに任せる。

 次第に要領がわかってきて、噛まれたのを探査したら即座に魔力を送り込み、角ウサギが離れると同時に魔法を発動させる。これなら最小限の出血ですむ。慣れてきたのでトーコは探査魔法の範囲を担当部隊全体に広げた。


 「本部から伝令。左翼、前へ出すぎだ。下げろ」

 「下げようとしているが、言うことを聞かん」

 突出するギルドの左翼を指揮する引退者は苦々しげにベアに答えた。寄せ集めの兵隊なので、簡単に統制などとれない。指揮官を補佐していたイェーガーが前線に伝令を手配する。

 「このままじゃ囲まれるぞ」

 「判っている。いざとなったら交代させてでも下げる」

 さすがに交代の合図までは無視しないだろう。城壁の上に設けられたギルドの作戦本部から草原にやぐらを組んで急遽設けられた指揮場に移動魔法で飛んで来たベアはそのまま草原に降り立つと、後方物資、特に医薬品関係の補充を確認しに、加療所へ足を向けた。そろそろ、不足するものが出てくるはずだ。要の中央、最も門から遠い右翼加療所への補充は先に済ませたところだ。

 加療所は負傷者と手当てする女たちで外まで溢れていた。他のふたつの加療処も似たようなものだが、ここは奇妙な感じだった。

 責任者の引退女性を見つけ、在庫の有無を尋ねる。不足しそうだというシケツソウの止血薬と包帯を渡し、ぐるりと天幕の中を見渡した。トーコの姿はない。配分を誤って早々に魔力を使い切ったか。魔力量の多いトーコでもさすがにこれだけの怪我人の治癒を片端からしていたら保たない。

 ベアはポーチから結晶樹の実を出そうとして止めた。ここの加療処はうまく運営できている。忙しいは忙しいが、後方の人手は充分に確保してあるし、引退女性がよくまとめているようだ。

 「トーコはどこかで寝ているのか」

 「前に出ているわよ。彼女に用?」

 「前に? 休んでいるんじゃないのか? まさか、戦闘に参加しているわけじゃないだろうな」

 「違うわ。前に出て重傷者を診ているみたい」

 「勝手に加療所を離れているのか?」

 「よく知らないけれど、ボームとそういうふうに役割分担したみたいよ。治癒魔法使いのことはわたしにはわからないから、彼に聞いて」

 ベアは指し示された中年の治癒魔法使いのところへ行った。

 「トーコが前で治療していると聞いたが、あんたの指示か? 誰かついているのか?」

 ボームは汗をぬぐいながらベアを見上げた。その視線が腕に巻かれた伝令の印に止まった。

 「作戦本部からの伝令の人?」

 「そうだ。医薬品の追加補充に来たんだが、それは終わった。ついでに弟子の様子を見ておきたかったんだが」

 「ああ、じゃああんたが、トーコのいう「ベアさん」?」

 「そうだ」

 彼が何を聞いたかは知らないでおこう、とベアは決めた。

 「トーコなら、前に出て重傷者を優先的に診てる。凄いね彼女。あんな治癒魔法使い初めて見たよ」

 ベアはぎくりとした。今度は何をやらかした。

 「前にいけばどっかその辺にいると思うよ」

 「ありがとう。トーコがここにいないということは、あんたひとりで診ているのか? 魔力のほうは大丈夫か」

 「ここまで来るのは命にかかわるような怪我人じゃないから、ちょっと酷いのは止血だけして、なるべく門の中へ送っている。それでも手持ちの結晶石は大分使ってしまってギリギリだ。今日は保つだろうが、次はもうすこし配分を考えないと」

 ベアは礼を言ってトーコを探しに出た。会う人に重傷者用の加療所を尋ねて歩いたが、皆知らないという。

 「どこでやってるんだ」

 たいして広くもない陣地を歩いてぽつねんと小柄なローブ姿が佇んでいるのを見つけた。

 何か書き物をしている。走り書きのメモをちぎり、前方からくる担架に駆け寄って負傷者に握らせた。担架を運ぶ男たちと短く言葉を交わし、すぐに離れた。担架は加療所へ向かう。軽傷者だったのか。

 「トーコ」

 「ベアさん。どうしたの?」

 「魔力は足りているか?」

 「今のところは温存しているから大丈夫。ベアさんは?」

 「伝令ついでに医薬品の補充をしてきたところだ。問題ないか」

 「問題というか、水が豊富に使えるのはいいんだけど、排水のことを考えなかった。排水用の穴を掘らないと、加療所が水浸しになっちゃう」

 「治療は順調か?」

 「ううん。ひとり危なそうな人がいるの。出来る限りの治癒魔法は使ったんだけど、出血が酷くて」

 トーコが泣きそうな顔をした。

 「そうか。加療所を離れていいのか?」

 「うん。そういう風にしてもらった。……あの、ちゃんと一緒の人には相談したから」

 トーコがしどろもどろになった。

 「その、勝手なことしてごめんなさい」

 「それでうまくいっているならいい。元の加療所はさっき見てきたところだ。俺が聞いたのは重傷者用の加療所だ。医薬品は分けているのか?」

 トーコはきょとんとした。

 「重傷者用の加療所って何?」

 「お前はそっちを診ていると聞いてきたんだが」

 「別に加療所はないよ。単にここから治してるってだけで。加療所からだと遠くて魔力を飛ばすのが大変だから。でも大分慣れたよ」

 「……よく意味が判らないんだが。ここから魔力を飛ばす?」

 またトーコが不安そうな顔をした。

 「あの、ここから探査魔法で角ウサギに噛まれた傷を探して、治してる。角ウサギに噛まれると出血が酷くて、さっきの危ない人もそうだったから。探査魔法はもともと怪我の具合を診るのに使ってたので別にたいして余分な魔力を使っているわけじゃ。それに、どのみち治癒魔法を使わなきゃすぐに塞げない傷だし。この方が増血魔法や他の魔法を使わなくて済むから、結果的に魔力の節約にもなって……ごめん」

 しどろもどろに加えて、言い訳がましい言葉の数々を並べたあげくにトーコは謝って沈黙した。

 「具体的に何をどうしているんだ?」

 「探査魔法で怪我を探して、止血と消毒して治癒してる」

 「怪我人はどこにいるんだ」

 「あっち」

 トーコは角ウサギの威嚇音と戦闘員の雄たけびのする最前線を指差した。理解するのにしばしの時間を要した。

 「それは、現在戦闘している連中をここから治癒しているという意味か?」

 半信半疑で訊ねるとトーコはあっさり頷き、むしろ不思議そうに言った。

 「そう。あそこにいる以外で角ウサギに噛まれる人って?」

 「ちなみにどの程度できているんだ?」

 「どういう意味? みんなそんなにしょっちゅう噛まれるわけじゃないし、角ウサギを外したらすぐに治してる」

 「治癒にはどのくらいかかるんだ? すぐに治るのか?」

 「ううん。すぐには無理。下手な噛まれ方をすると肉をごそっと抉られるから、その場合はどうしても一分くらいはかかる。でも出血は最低限に抑えられるから、治ったらすぐ復帰しちゃう人もいる。本当は後ろで休んで欲しいんだけど、声が届かなくて」

 ベアは額に手をあてた。

 突出の原因はそれか! 深手を負ってもすぐに治るとあらば、それは前に出たくもなる。

 「そんなことして本当に魔力は大丈夫なのか?」

 思わずもう一度確認してしまう。トーコは頷いた。

 「重傷なひと、つまり太い血管を破られたひととか、がっぷり噛まれたひとしか治していないから。あとのひとには申し訳ないけれど、痛いのを我慢してもらってる。まだ、結晶石があるし、最後にできる限り治したいと思っているけれど。何?」

 「いや、もっと見境なく治して魔力切れでも起こしているかと思っていた」

 トーコは口をへの字に曲げた。

 「ヘーゲル医師とかにちゃんと話を聞いたもん。死なないひとは後回しってことぐらい分かってるよ。わたし、補充できる魔力とかないと思ってたから。……あの、まずかったかな」

 語尾が自信なさげに小さくなった。ベアは息を吐いた。一生懸命魔法について説明していたトーコは魔の領域に入って間もない頃の彼女のようだった。それが急にこのところの萎縮した彼女に戻ってしまった。おどおどとベアの顔色を伺っている。

 ベアは息を吸った。トーコの肩を強く叩いた。

 「いいぞ、よくやった」

 「そ、そうかな」

 つんのめりながらトーコがベアの顔を見上げた。

 「直接前線の連中を治せるなら、みんな心強い。よく遠隔で治癒するなんて思いついたな」

 「怪我の具合を確認するのに近づく必要があるだけで、もともと治癒魔法は遠隔だよ。だから、探査魔法でもなんでも傷の具合が分かれば視界の範囲外から誰でもできると思うけれど」

 ベアは治癒魔法について明るくないが、そうなのだろうか? なんとなく違う気がするのだが。しかしここはめいっぱい褒めてやるところだろう。

 「だとしてもよく思いついた。えらいぞ」

 トーコが嬉しそうに笑い、不謹慎だと思ったのか慌てて手で口元を覆う。

 「じゃあ俺は伝令に戻るが、残り魔力に気をつけてやれよ」

 「うん!」

 ベアはやぐらに戻り、イェーガーに事の次第を伝えた。

 「あのお嬢ちゃんにそんな特技があったとはね。ひとは見かけによらないもんだ」

 「だがこのまま突出して怪我人が増えればトーコの魔力消耗も早くなる。あいつも借り物の結晶石をひとつ持っているだけだからな、息切れしたら後があまりない」

 「事情はわかった。今前に出ている連中のほうこそそろそろ息切れだろう。交代要員たちにはあらかじめ言い含めておくとしよう」

 「ついでにトーコにひとり付けてくれないか。端からはただ突っ立っているいるようにしか見えないんで、大分皆の邪魔になっている」

 「過保護だな。いいだろう、貴重な治癒魔法使いだから護衛をつけるくらいはしよう」

 ベアは本部へ戻り、突出の原因を報告した。理由が分からず心配していた面々がほっと胸をなでおろした。ただひとり、ギルド長が疑問を呈した。

 「うちにそんな治癒魔法の名手がいたとは知らなかったな」

 「加入したばかりだ。先日会ったと思うが、俺の弟子だ」

 「あの子か」

 ギルド長はワインと間違って酢を飲んだような顔になった。それを見てベアはささやかな満足にひたった。このところこき使ってくれた礼だ。しかしギルド長もめげない。

 「そろそろ店じまいの準備だ。彼女を殿の援護に回せるか」

 「障壁魔法なら他にも……」

 「軍にいた連中が言うには撤退の時が一番死人が出るそうだ。要救護者に自力で歩いてもらえれば一番いい」

 「それは難しいんじゃないのか。経験が浅すぎる。気丈な性格ではないし、殿の支援は荷が重い。誰かひとり転んで取り残されたら、どうしたらいいのか分からなくて立ち往生しかねん。魔力のこともあるし、当てにしないでくれ」

 「ギルドで年齢は言い訳になるか?」

 「まだ規程年齢になっていない」

 「それじゃ、師匠、指導をよろしく頼むよ」

 あっさりとギルド長はベアの配置換えを決めてしまった。


 トーコは自分の持ち場、というより患者予備軍の傍を離れるのに難色を示したが、そこはベアが言い聞かせた。突然治癒が止まると前線のギルド構成員が動揺して戦線が崩壊しかねないので、イェーガーがあらかじめ伝令をまわしている。

 ベアがギルド長からせしめてきた結晶樹の実を受け取り、角ウサギの歯の届かない上空から右翼を見下ろす。すでに州軍は大方の撤退を終えており、右翼の後方支援部隊も物資と怪我人を門の近くへ移送している。ここで怪我をしたら、搬送係が長い距離を担架で運ばねばならない。撤退時の搬送を担当する人員は体力のある若手が集められているが、どの程度数があれば足りるのかまではわからないので、最悪仲間が担いで離脱しなくてはならなくなる。

 回収しきれなかった角ウサギが邪魔になって、徐々に戦線が下がったらしく、草原の一部が帯のように茶色くなっている。

 「ずっと後ろにいたからわからなかったけど、これは回収しきれる数じゃないね」

 戦闘の交代時にできる限り回収していたようだけれど、焼け石に水だったろう。

 「だが放置すれば戦闘にも差し障る。明日、隙を見て回収するしかないだろうな」

 角ウサギは門の中には入ってこれないので、戦闘は一日置きということになっている。要はここへ角ウサギをひきつけておければいいのだ。現時点では三回の予定だが、様子を見て延長する可能性はある。

 「撤退部隊の援護が俺たちの仕事だ。トーコは治癒に専念しろ。魔力はどうだ」

 「大丈夫。結晶石もまだ使ってないから」

 「撤退時に一番死人が出るそうだ。温存は続けろ。死にさえしなければ、終わった後で治療できる」

 「うん、判った」

 「撤退に取り残されたり、角ウサギにたかられた奴がでたら、俺が移動魔法で後方の交代部隊まで投げる。後ろの連中が角ウサギを外したら治癒しろ」

 「ベアさんは魔力大丈夫なの?」

 「さっき仮眠もとったし、充分ある。結晶石も結晶樹の実もあるから心配ない。いざとなったら障壁を張るのも俺がやる。障壁魔法はもっと門近くまで撤退してから、最後の部隊が門に入るときに使う。一応そのための人員を門上の城壁に配備しているが、時間がかかるようなら俺たちも手伝う」

 殿撤退の支援には、救護担当のベアとトーコのほかに、三人の魔法使いが配備されている。いずれも移動魔法と障壁魔法が使えることが最低条件で、こちらは攻撃魔法で一箇所に角ウサギが集中しないように適宜排除するのが役目だ。さすがに全部対処するのは魔力が保たない。彼らも魔法がぶつかり合わないよう、三分割で担当を分けていた。ふたりは知らないギルド構成員だが、ひとりはイェーガーのチームの女魔法使いだ。

 まもなく右翼の撤退が始まり、到底スムーズといかない動きをトーコははらはらしながら見ていた。後方支援部隊がまず撤退し、前線部隊から五十メートルほど間を置いて交代の部隊が並ぶ。太鼓の合図で、前線部隊がいっせいに走り出し、交代部隊の後ろへ駆け込む。追ってきた角ウサギの相手をする交代部隊の後ろ五十メートルほどの位置に再度布陣し、役割を交代する。

 撤退してきた左翼部隊と重なったところから中央部隊が後方へ抜けていく。

 畳んだ担架を担いだ救護要員だけが常に前線組とともに待機する。なるほど、若くて体力がなければ無理だ。

 人間相手ではありえない大雑把な撤退だが、ギルドにはこれが精一杯だ。

 一番負担の大きい左翼部隊には狩人をチーム単位で多く配置しているが、皆長時間の戦闘で疲れている。怪我を押して前線に出ている人もいて、何度か繰り返すうちに死んだ角ウサギに足をとられたりして転ぶ者や、遅れる者が出始めた。

 逃げる部隊を追って走る角ウサギが、立ち上がる前にたちまち追いつき、一羽に噛まれてそれを振り切るのに手間取ると次々に角ウサギがたかってくる。

 上から見ていてぞっとした。下手に襲われた仲間を助けようと足を止めるとたちまち囲まれ、あっという間に個人の対処能力を超える。ベアがたかった角ウサギもろとも後方へ引きずりいれ、安全な交代組の後ろで仲間に角ウサギをはがしてもらうのだが、一瞬にして深手を何箇所にも負ってしまう。魔力がぶつかると怖いのでベアの移動が解除されたのを確認してからトーコは魔力を送り込み、角ウサギが外れた傷口から処置していく。

 「まずいな。角ウサギが勢いづいている」

 まるで人間が逃げているのを察知しているかのように、草原の南側から角ウサギが走りこんでくる。まるで波のようだ。

 ベアはまぶたの上から目を揉んだ。たかられた人間を片端から移動させてはいるものの角ウサギに追いつかれる者が増えてきた。

 「ベアさん、半分担当する」

 「俺たちがいるところから右手を任せる。思い切り投げていいぞ」

 「うん」

 トーコは探査魔法で噛まれたのを察知すると、目視確認を待たず、次々に後方へ移動させた。移動させながらすぐに止血し、離れると同時に消毒して治癒。

 「ベアさん、もうちょっと担当できる。転んだかどうかは判らないけれど、探査魔法で噛まれたのが判ったらすぐに後ろに投げているから、あんまりたかられない。怪我の数が少なくて、治癒魔法もそのぶん使わないで済む」

 「俺の担当分をもう半分まわす。こっちも足を止めたら問答無用で投げるとしよう」

 目視で探す範囲が狭まればベアもたかられる前に対処できる。治癒にまわしていた魔力を大分節約できるので、トーコの負担も減り、そのままひとりの取り残しもなく中央部隊の撤退が完了し、左翼部隊も撤退を始める。

 予定より撤退に時間がかかり、もう陽が落ちそうだ。夜目のきかない角ウサギは夜間は森や潅木の茂みに隠れるが、今はまだ興奮してかねぐらへ戻るどころか追いかけてくる。やぐらなど、ギルドの物資などが置き去りにされた元陣地も入り込んだ角ウサギで満たされている。

 ギルドの左翼も門の中へ無事に収まり、右翼部隊と国境警備隊の一部が重なり合った部分から国境警備隊が殿を交代する。こちらはさすがに整然とした動きで、盾を隙間なく並べ、上から槍で角ウサギを突き倒していく。

 「このまま国境警備隊の撤退を支援しろ。移動はいらない。右翼の治癒だけでいい」

 ギルドの作戦本部から伝令が来て、ふたりに結晶樹の実を渡した。

 「了解した。トーコ、いけるな」

 「うん」

 まもなく障壁がいくつも展開され、角ウサギを阻む。障壁と障壁の間の隙間から入りこむ角ウサギもいるが、数は少ないので都度駆除される。これなら大丈夫。

 そう思っていたのに、急に撤退が止まった。ギルドの殿を務めた右翼部隊もまだ半分残っている。

 「どうしたんだろう」

 「まさか、中がつかえているなんてオチじゃなかろうな」

 ベアもいぶかしげだ。状況がわからないまま、時間だけが過ぎる。いまや押し寄せる角ウサギで障壁魔法が展開されている境界線がわかるほどだ。

 障壁魔法の隙間には盾と槍で対処していたが、川が岩をよけて勢いを増すように流れ込み始めた。角ウサギに角ウサギが重なり、盾を飛び越えて進入し始める。国境警備隊はすぐに盾を二段に重ねて高さを稼ぎ、ひとつの盾に数人がかりで内側から押し返しはじめたが、盾などないギルドの受け持ち部分から次々に角ウサギが侵入してくる。ベアが隙間部分に隣り合う障壁ギリギリに小さな障壁魔法を張るが、完全には進入を防げない。

 「門の中は何をやっている。このままじゃ障壁魔法も盾も保たんぞ」

 城壁の上の動きがあわただしくなった。撤退の援護に弓兵が配置されていたのだが、一部が動いて、障壁魔法にたかる角ウサギを放置して、隙間から進入してくる角ウサギへ集中的に対応し始めた。しかし障壁魔法が矢もはじいてしまうので、対処できる場所が限られてしまう。

 「魔力は大丈夫か」

 伝令が来てベアに訊ねた。

 「それより怪我人を下げる場所がないぞ。いつまでこのままなんだ」

 「町の中で先に入った部隊が入りきれなくなっている。中央よりの広場に撤退場を広げているが、町の人間が集まって中々進めないでいるんだ。今、障壁を維持している魔法使いに結晶樹の実を一通り渡してきたところだ。大至急障壁魔法の使える魔法使いも交代用に集めている」

 トーコはベアの袖をひっぱった。

 「ベアさん、わたしが障壁魔法を張る。時間凍結魔法で固定すれば、その後は維持に余計な魔力を使わないで済む。全体で見たら、たぶんこのほうが魔力を節約できるし、確実だと思う」

 「できるのか。範囲が広いぞ」

 「一度に全部は無理だから、高さ五メートルの障壁を端から少しずつ建てていこうと思う。今他の人が維持している障壁の内側に建てればそんなに角ウサギに入り込まれないと思う。そのためには内側にスペースが必要なんだけど」

 障壁の中は角ウサギの対応に追われてそんなことできるだろうか。

 一緒に撤退を支援していた魔法使いたちも集まってくる。彼らはとっくに魔法を放つのをやめて、本当に撤退できる時まで魔力を温存することに切り替えていた。

 「高さ五メートルの塀のような障壁? 出来ないことはないだろうが、障壁魔法の変形は魔力を食うだろう」

 「どのみち、このままなら障壁を維持できなくなる。全員で分担するか?」

 「それだと接地面の問題が残る。ひとりの魔法使いが建てないとまた隙間から入り込んでくるぞ」

 「だったら障壁魔法の外に新しい障壁を建てましょう。とにかく全体を囲う障壁を建てて、その固定?ってのをしたら、今ある障壁との間の角ウサギは魔法で排除する。障壁魔法を維持している魔法使いに渡した結晶樹の実を彼女に回せばいけるんじゃないかしら。どう?」

 イェーガーのチームの女魔法使いが提案し、それでやることになった。伝令が本部に戻って承諾を得てきた。

 トーコは南側から北側へ向かって半円を描くように障壁魔法を建てては時間凍結魔法で固定していった。障壁に押しのけられた角ウサギが激しい威嚇音をあげる。北側の終着点で待っていた伝令が、内側の障壁を維持している魔法使いに攻撃魔法に備えるよう連絡に飛び、中の国境警備隊やギルドがいっせいに、後ろへ下がる。

 障壁を建てている間もずっと治癒魔法を飛ばし続けていたトーコは城壁の上に降り立った。さすがに魔力が保たず、予備の結晶石から補充していると、角ウサギが流れ込む障壁の隙間に人の背丈よりも大きな氷柱が立った。角ウサギの進入を防ぐと同時に角ウサギを氷漬にしている。

 ややあって二つの障壁の間に轟音とともに火炎が走った。逃げることもままならない狭い空間で角ウサギが焼き殺され、酸欠で死んでいく。女魔法使いの氷柱が溶ける頃には、トーコの障壁の内側に生きた角ウサギは残っていなかった。

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