第10話 臨時職員(4)
翌日、ヘーゲル家から出てきたトーコはギルドへ登録しに行ったときのような緊張した顔をしていた。そして挨拶もそこそこに、便箋をベアに差し出した。
「ベアさん、これ」
「なんだ、これは?」
「反省文」
ベアはまじまじとトーコと渡された便箋を見比べた。全部で三枚。
「一応、添削してもらったから、誤字脱字はそんなにないはず」
本当に、本当に、なにやってるんだ。苦手なバルク語の作文を見てもらったということなのだろうが。そんなことをしている暇があったら寝ろと、ちゃんと指示しておくべきだったか。
「まだベアさんの言った事、全部分かったわけじゃないけれど、だから、あの、反省もまだ半分だけなんだけど、とりあえず、中間報告ということで」
つっかえつっかえトーコは説明した。ベアは反省文に目を通した。なし崩しに魔の領域に入ることになってしまったので、トーコなりにけじめをつけようとしたらしい。自己申告どおり、及第点には程遠い。五十五点といったところか。
「今日のところはこれで受け取っておこう」
トーコは神妙に頷いた。お調子者のトーコのこの神妙さがいつまで持つかは神のみぞ知るだが、ベアは彼女を促して歩き出した。東門を出て、草原を横切りながら、簡単に昨日ギルド長から聞いた話を教える。
「いつもならこのあたりの草も人の背丈ほども伸びているはずなんだが、角ウサギが食いすぎて、大分短いな」
「軍、って国境警備隊とは違うの?」
トーコが遠慮がちに訊ねた。
「国境警備隊も軍の一部だ。これに加えて、今回はカウン州の常備軍が出てくる」
「カウン州? ジョービグン?」
「バルク公国はいくつかの行政区に分かれている。ユナグールはこの中のカウン州に属している。ここまではいいか?」
「うん、なんとなく分かる」
「徴兵された兵士や義勇軍を募って特別に編成される軍もあるが、これに対してハルトマンのように平時からあるのが常備軍だ」
「戦争……戦争があるの?」
「むろん、ある」
トーコが怯えた目をした。
「ベアさんも戦争に行かなければならないことがあるの?」
「ギルドは軍とはまた別の組織だからな。今回の角ウサギの掃討作戦のように国や州からギルドへ参戦要請があることはあっても、直接徴兵されることはない。ギルドもギルド構成員に強制依頼はできても、本当に強制はできない」
「今、この国ってどこかと戦争とかしそう?」
トーコは心配そうに訊ねた。
「そういう話は聞かないが、年中どこかしらと小競り合いレベルから軍を動かすまで、なにかしら戦争のようなことはしている気もする。まあ、辺境の俺たちにはあまり縁のない話だ。門から充分離れたら、崖の野営地へ転移する。できるか?」
「うん、大丈夫」
「そこから中央高原地帯と森の間にある草地へ行く。今回サジンダケはついでだ。ナガクサカズラの実をなるべく確保しておく」
「ええと、魔物からの傷に効くんだっけ?」
「そうだ、他にも魔物からの受傷に効く薬草の類はあるが、ちょうど今が採取時でたっぷり量が採れるナガクサカズラを今日は集中的に採る」
「角ウサギの掃討で必要になるってこと?」
「おそらくな。集団になった角ウサギは凶暴だ。これが普段狩られるばかりの角ウサギかと思うくらいだ。一羽一羽はたいしたことなくても、集団でたかられると脅威だ。振り払っても振り払っても食いつかれるから、下手をするとあっという間に沈められる」
「じゃあちょっと品質が落ちるのも採っておく?」
トーコの採集はいつもはだいたい半分くらいだ。
「そうだな。あとはこの間と同じように採集しておこう。しばらくギルド構成員たちが魔の領域に入れなくなるから、いろいろと不足するものが出てくるはずだ」
「じゃあ、こっちも基準をゆるくする?」
「そこまでは必要ない。明日からは森に入ってすぐに使えそうな薬草を見つけたら教えるから、この間の要領で採集しろ」
ベアの経験と知識、トーコの採集特化魔法があってこそ可能な荒業だ。予定通り初日は草地、二日目はオオグルミの木へ転移できたので、そこから更に東へ進みながら採集する。
トーコは休憩時間に採集物保管用封筒の製作に励んだ。先日、薬草以外の採集物をトーコが持ったまま別れてしまったので、今のうちにベアの自家消費用に分けているのだ。幸い、昨日の配達後、封筒を扱う店に寄ることができたので、また封筒を買い足しておいたのだ。角ウサギの対応があるので、しばらく魔の領域に入らないということだったが、魔力のこともあるし、できるときに作業はしておいたほうがいい。
ベアは素直に弟子の厚意を受け取った。トーコほどこだわるつもりはないので、サジンダケばかり大きさや乾燥具合に応じて何枚も封筒を渡されたときはめんくらったが。
サジンダケと言えば、相変わらず森中サジンダケだらけだ。大きな株は一キロ近くの重量がある。それがあちこちから飛んでくるのは中々の見ものだった。
「ねえ、ベアさん、サジンタケってそんなにやわなキノコじゃないよね。なのにどうして他の人のは折れたりしちゃうのかな」
「積み重ねるからじゃないか? 特にサジンダケは一度に大量に採集するから、背負いかごにいれるとしても、下のほうはつぶれるだろう」
ベアに封筒を受け取ってもらったトーコは、しばらくためらっていたが、思い切って切り出した。
「それって、空間拡張の容器があったら改善すると思う? すくなくとも今、ギルドで依頼を満たせるだけのサジンダケが集まらないって問題は解決できると思うんだけど」
「作ってやるつもりか?」
「ううん、わたしには使い捨ての容器しか作れないもの」
時間凍結魔法をかけていなければ、寿命は一週間程度。作成時に余分に魔力を注いでおけば多少延ばすことはできるが、時間凍結魔法は限界結果が分かるまでに時間がかかるので、トーコも自分のフォローしきれない範囲にばら撒く勇気はない。
「この間、ギルドのお使いの途中で変な人たちに絡まれたことがあったでしょう? あの人たちも、伝言屋の子もわたしが魔法使いだって思ってなかったんだって。空間拡張の容器って高価なんでしょ? それをわたしみたいな下っ端が持とうと思ったら自分で作るしかないし、物を出し入れするとこを見ていたんだから、まさか知らないとは思わなかったんだけど、伝言屋の子はわたしの私物じゃなくてギルドの配達用の品だと思ったみたい」
「なるほど。空間拡張の容器なんてめったにお目にかかるものじゃないしな」
「それで考えたんだけど、ギルドで空間拡張容器を所有して、ギルド構成員に貸し出すというのはダメなのかな? 買うには高いけれど、今回みたいに角ウサギをたくさん運びたい時とか、サジンダケを大量に採る時とかだけ一日いくら、で借りるの」
レンタカーみたいにできないだろうかと考えたのだ。
「ちなみに、空間拡張容器っていくらくらいするものなの?」
「この間の長持ちサイズが、魔法使い以外の採集系ギルド構成員には一番使いやすい大きさで依頼も多い。ギルドの依頼価格で二千クランが相場だ。加えて、結晶石を用意しなくてはならないが、これはピンきりだ。一週間程度でよければ百クランくらいからあるだろうが、そのぶん拡張維持魔力の補充が頻繁に必要になる。魔力の補充は……良く知らんな。魔の領域の奥で会えばそのくらいは物資や情報の交換がてら提供することもあるし。知り合いに魔法使いがいれば格安で頼めるだろうが、これはむしろヘーゲル医師やあのあたりの治癒魔法使いの先生たちに聞いてみたらどうだ」
「そっか、確実にそこに行けば会えるひとのほうが、そういう依頼を請けていそうだよね。ギルド構成員の顔見知りも多いだろうし。空間拡張魔法に二千、結晶石に最低でも百。初期投資だけで二千百って……高いなあ」
トーコはメモを見て唸った。
「補充魔力については、引退した魔法使いの人に格安でお願いできないかな。どうせ毎年なにかしら強制依頼は出すらしいから、順番にお願いしていけば。でもそうすると、結晶石はもうちょっと大きいのじゃないと回らないか」
「結晶石も強制依頼にする手がある」
「えっ! どうやって?」
「結晶石も魔の領域で採掘できる。どこで採れるか俺は知らないが、鉱物の採集を専門にしている連中がいる。たぶん、ギルドの上のほうなら誰が採ってこれるのか知っているんじゃないか?」
「どうして他の人は知らないの? 秘密なの?」
「採掘者が秘密にしておきたいだろうからな。ギルド構成員なら誰もが自分だけの秘密の狩場を持っている。ふつうそういうものは教えないが、売り捌くにはどの道ギルドが間に入る。だけど、ひとに知られるのを嫌って持ち込まずに外で捌かれるのも問題なんで、希少な物品に限り、口外しないことをギルドが約束しているんだ。下手をすると採掘者自身がろくでもない輩に狙われることもあるからな」
「すごいなあ。いつかそんなギルド構成員になりたいなあ」
ベアは一瞬言葉に詰まった。
「……言っておくが、俺の空間拡張の魔法もそうだ」
「えっ、そんなに大事な秘密だったの!? ど、どうしよう」
トーコが青くなった。
ベアはついでに反省文の採点返却もすることにした。
トーコは先日強盗に狙われたのはギルドの売り上げ金だと思ったようだが、それよりもよほどポーチのほうが高価なのだ。残念ながらトーコ以外には開けられないポーチだが、魔法使いと思われていなかったのだから、当然考慮されていなかっただろう。というか、魔法使いでもなければ知らないことだ。普通は、物理的な鍵を使う。
「俺の場合はギルドも長いからな、ギルド職員を経験した奴で知っているのは多い。ユナグールで空間拡張魔法が使えるのは俺が知るかぎり二、三人程度だ。誰かは俺も知らない。現役のギルド構成員では俺だけだ。いや、トーコも入れて今はふたりか」
「嘘! 少ない! あ、だからギルド長はわたしがベアさんの弟子だって言ったら、このポーチを見てベアさんが作ったって分かったのか」
「当然彼も知って……まて、それは角ウサギの商談の運搬のときの話か」
「うん」
「角ウサギはどのくらい持って行った」
「四百羽」
「それ、全部出して見せたか」
「うん。どうしたの、頭抱えて」
「それだけのサイズの大きさの容器を俺が作ったと思われたら難儀だと……」
彼に手を抜かれたと思われると非常に面倒だ。
「中に他の空間拡張容器を入れていたって言えばいいんじゃない? 現にそうだもの。長持ちサイズの封筒をいくつも持っていたって言えば」
「……それはそれで厄介そうな」
「わたしも作ったって言うのはダメなの?」
「ダメではないが。空間拡張魔法のこと、人に話したか?」
トーコは目を困った顔をした。
「ヘーゲル医師たちには話した。塩のお土産の時に。バベッテ姉さんには中に入れるものを作るときに一緒だから当然見てるし。結構メジャーな魔法みたいだから秘密にしなきゃいけないと思わなくて……知らないうちに人に見せたりしてると思う。あ、ベアさんがゲルニーク塩沼に入るときの水樽にもかけちゃった」
「今更、というわけか」
ツムギグモを一緒に採りに行った夫婦の水筒にもベアが止めるまもなくかけてしまっている。
「ご、ごめん、ベアさん、どうしよう」
「いい、それならいっそ見せ付けてやればいい。ただし、あまり手の内を見せすぎるな。ハルトマンが言っていただろう、舐められるな、と。得体の知れない相手には、うかつに手を出しにくいんだ。この間のようなことがあっても絶対に怯えたことを相手に悟られるな。魔物相手と同じだ。どんなにまずい状況でも、平然としていろ。そうすれば相手も警戒する。うまくすれば勝手に引いてくれる」
ギルドの花形、狩人の魔法使いたちのように攻撃的な魔法を使えないベアだが、先日ギルドでトーコに掴みかかってきた男にしたように、使い方によっては威嚇くらいできる。単なるはったりだが、種さえ割れなければ有効なのだ。
「ただ、誰にでも空間拡張容器を作ってやるようなことはするな」
「うん、まだ人に渡せるレベルじゃないのは判ってる」
「そうじゃない。さっきも言ったとおり、空間拡張容器は高価だ。それをお前がほいほい皆に配って回ったら、それで飯を食ってる連中や、高い金を払ってやっとの思いで空間拡張容器を買った連中が面白いと思うか?」
トーコは納得した。営業妨害ということだ。
「わかった、他の人の仕事の邪魔はしない」
「それ以前に、魔法を安売りするな。少なくとも、自分で自分の魔法の価値を客観的に理解できるようになるまではダメだ」
「う、うん。あの、ベアさんはいいんだよね?」
「俺が悪用しないと思うなら、もちろんいい」
少し意地の悪い言い方だったがトーコはほっとしただけだった。どうして逢って一年もたっていない相手のことをそこまで信頼できるんだ。信頼していい人間の範囲が広すぎやしないか、とベアは心配になった。
「ヘーゲル医師も? 使うのは主にバベッテ姉さんとかだと思うけれど」
「そうだな。だが、何か間違いがあったとき、魔法使いでなければ魔法に対処できない。素人は魔法使いには予想もつかない使い方をしようとするかもしれん。特に子どもがいる家は要注意だ。うっかり、塩の袋を倒してそのままにしたら、家ごと埋もれるぞ。そのことは良く覚えておいて、慎重にやれ。判断つかない場合は、俺に聞け。俺がいなかったらハルトマンでもいい」
ヘーゲル医師はあてにならないと決めつけるベアである。
「ハルトマンさんには言っていいの?」
「できれば言わないほうがいい。彼にも立場というものがある。が、必要とあれば仕方ない。虫のいい話だが、そこはおいこだ」
「おあいこなの?」
「……お前、散々ハルトマンにいいように使われているだろう」
「え、そう?」
「自覚ないのか!?」
薄々そんな気はしていたが、ベアは頭が痛い。すぐに人に簡単に使われるし、喜んでもらったらそれで満足してしまうところがある。
トーコは小首をかしげた。
「ハルトマンさんは人使いは荒いけれど、自分だけ得しようとか、お金儲けしようとかいうのはないよ?」
さらりと言われ、ベアは瞠目した。たしかに、トーコをいいように使ってはいるが、私腹を肥やしているわけではない。部下のため、国境警備隊のためになっても、彼には一文の得にならない。せいぜい部隊内での支持集めくらいだろうか。
しかも、そのおかげで先日はトーコも彼の部下に助けてもらえたわけだし。
「まあ、彼のことはトーコのほうが良く知っているしな」
人を見る目ににわかに自信がなくなり、ベアは話題を戻した。
「空間拡張容器だが、さっきの長持ちサイズだと、奥まで採集にいけるギルド構成員や狩人には小さいな」
「それはいいの。日帰りか、一泊二泊程度で活動しているひとに貸すことを考えているから。こういうのって効率の良い狩りや採集ができるようになって、奥まで行けるまでが大変だと思うの。そういうひとたちを支援して、ギルドとしてもなるべくたくさんの産物を持ち帰ってもらって、って考えているから」
「支援か」
「そう。最初は装備をそろえるのも大変だし、空間拡張容器があれば、サジンダケや角ウサギみたいに比較的安全な場所でたくさん採ってこれるものの数で稼げないかと思って。ギルドも角ウサギもサジンダケも足りなくて困っているから、今なら需給が一致してると思うの。本当はサジンダケは豊作だからこんなに足りなくなるはずないんだけど、今年は角ウサギにも人手が分かれているでしょ。ギルドは何年くらいで元が取れればいいかな。皆はいくらくらいなら皆借りようって気になるかな」
「むしろ、空間拡張容器の持ち逃げのほうが問題だろう」
「借りてそのまま返さないってこと? そんなひといる?」
「驚くようなことじゃない。魔物に襲われて逃げる途中でなくしたといえばそれまでだ」
「うーん、じゃあなくしたら、弁償してもらうようにするとか」
「ギルドに登録して、すぐ持ち逃げされたらそれまでだな。一定期間以上の活動実績があるとか、口座帳簿に罰金を支払えるだけの金額がある者に限るか」
「それって初心者に厳しい条件だね」
「トーコの気持ちも分かるが、ギルドに提案するならまずこんなところからだろう。うまくいくようなら、保証人をとるなりして初心者に拡大する方法もある。あとは、魔力補充が間に合わなくて容器自体が縮む可能性だな」
「魔力の補充日に間に合うように返せなかった場合だね。それは普通に延滞料金を取ればいいんじゃないかな。容器の管理自体はギルドの仕事でいいと思う。あまり複雑にすると借りづらいし」
そうか、とベアは頷いた。トーコなら簡単に大量の角ウサギも運べるから、出張査定もできた。しかし抜けたときにはそのぶん迷惑も大きかった。それで、今回の案となったのだろう。魔法に頼った案ではあるが、魔法は外注なので、トーコがいなくても実現可能だ。
肝心の資金や貸出料金、実際の管理運営など細部の詰めは甘いがトーコにしては上出来だ。ギルドの業務負担を考えると受け入れられるかは微妙だが、結果はともかくトーコにとっていい経験になる。トーコには魔法の才能がある。逆に圧倒的にないのが経験だ。
その後も休憩のたびに、容器や拡張の形状をどうするか、最初に何人かに試しに使ってもらってアンケートをとるのはどうかなど相談を持ちかけられた。少しは落ち込んでいた気分が戻ってきたらしい。いつまでもしおらしくされているのも気持ちが悪いので、ベアとしては歓迎しておく。
東へ進みながら、四日目の朝、大岩の下の狭い隙間から這い出すと、景色がけぶっていた。朝もやにしては黄色味を帯びている。
「ベアさん、これってもしかしてサジンダケの胞子?」
「そうだ。今日はまだ大丈夫だろうが、明日あたりから視界が悪くなる。全身胞子まみれになるからそのつもりでいろ」
そういいながらベアがフードを被ったので、トーコも真似した。髪や服についた胞子は最後にお風呂の魔法で流すとして、問題は採集物だ。
「今日採集したものは全部別にしておいて、後で胞子を払ったほうがよさそうだね。封筒が足りないから、仕分けも後だね」
「それよりこの場所は覚えたか?」
「うん、大丈夫」
朝もやが晴れると胞子はますます多く飛ぶようになった。視界の悪さにトーコは用心深く歩いた。
「凄い胞子」
「今年はサジンダケが多いからか? 初日でこんなに飛ぶとは予想外だ。一番飛ぶのが三日目、四日目あたりだが、例年の三日目並みだな。本当に三日目になったら一度ユナグールに戻るしかないな」
「視界をよくしていい? 肺からキノコが生えてきそう」
「どうする気だ」
「胞子をどけるの。こんなに視界が悪いと道がわからなくなりそう」
トーコが封筒をとりだし、すると周囲の空気が渦を巻き、封筒の中に吸い込まれた。視界が一気に晴れる。
「疲れない程度にしておけよ」
「うん」
サジンダケの胞子は濃くなるばかりで、前方の胞子はトーコがかなりの速度と範囲で吸い取っているから見えるものの、午後になると遠方の視界が利かなくなる。
「ベアさん胞子のどけ方を変えてもいい?」
「どう変えるんだ。疲れたらやめていいぞ」
「疲れてはないから平気。胞子を移動させるんじゃなくて、目の細かい障壁魔法をいくつか重ねてこれをいくつかまわしてみたらどうかな。こんなふうに。今はちょっと枝に引っ掛けて胞子をこぼしちゃったりしているけれど、このほうが魔力の節約になると思って」
ベアの視界を厚い胞子の層が左から右へと何かに押されるようにして動いた。
「いいんじゃないか」
次から次へとよくも思いつくものだ、と感心してふと気がついた。トーコが実際にやってみてからではなく、やる前にベアにお伺いをたてるのは珍しい。
しばらくするとトーコがまたお伺いを立てた。
「さっきの障壁魔法、左右にまわすとなんだか目が回りそう。上下に変えてもいいかな」
「いいぞ」
下からベールが巻き上げら得るように前方の景色が濃くなった。このほうが確かに気にならない。しかも、最初より遥かに広範囲だ。
「そんなに広くやらなくても歩けるぞ」
「でも、ベアさん、薬草を探しにくくない?」
トーコが心配そうに言った。
「今ここで無理をする必要はない。今採れるめぼしいのはだいたい教えたしな。森を抜けるまで歩くだけだ」
一度教えてしまえばあとはトーコが勝手に採取するのでベアとしては非常に楽である。そして今回のように緊急に大量の薬草類を手に入れたいときには便利だ。湿地帯や別の地形に生える薬草は他の者が採りに行っているはずなので、ひたすら森と草地を歩き回って薬草集めに専念することにする。
「わたし、今日歩いた道、覚えられたか全然自信ない……」
「仕方がない。この視界じゃ慣れた者でも迷う。俺も大体の方角で歩いているだけだ。このあたりは地形が平坦だし、とにかく東に向かえばいずれ森を抜けられる。もし迷ったと思ったら、どこからでもいいから北へ行け。中央高山地帯へぶつかるまで歩けばとにかく森は抜けられる。逆に南へは絶対行くな。森が深いし、そのうち湿地に入ることになる。気がついたら前にも後ろにも進めないなんてことになりかねないから、万が一湿地に迷い込んだら無理せず安全な場所へ転移して出直せ」
「うん、わかった」
トーコがメモを終えるのを待ちながら、ベアはもうひとつ重要なことを思い出した。
「そういえば、転移魔法だが、これも希少な魔法だ」
「そうなの?」
「俺もトーコが使うのを見るまで、存在を忘れていたほどだ。ユナグールで使える魔法使いがいるかどうかも知らん。そのうち、トーコにもギルド経由で転移魔法の依頼があるかもしれんが、最初は独断で引き受けるな。ギルドを通さない依頼など論外だ」
「意外。誰でも使えそうな簡単な魔法なのに。魔力はそれなりに消費するけれど」
不思議そうに言うトーコにベアはあきれた。
「だとしたらよほど適正があったんだな。誰に教えてもらったんだ?」
「誰に?」
トーコははたと目をあげた。
「ベアさん、だっけ?」
「そんなわけあるか。俺は使えん。さっき存在すら忘れていたと言っただろう」
「じゃあ、誰に教えてもらったんだろう?」
トーコの声音に不安が混じった。迷子になった子どものように視線が不安定に揺れた。トーコが動揺しているのを見て、ベアはさりげなく言った。
「まあ、誰に習ったかは大して重要じゃない。それより、あまり人前で安易に使うなよ。依頼は慎重にな。メモしたか」
「するする。待って」
「それから胞子が濃い中では絶対に火を使うな。何かの拍子にとんでもない火事になったりする」
ついでに他の注意事項もメモらせて注意をそらせる。いくつかの注意点をすべて書き込ませたころにはトーコの興味は次へ移っていた。
「ベアさん、あれなに?」
「マリブドウだな。しかしこれはでかい。一本の蔓じゃなくて何本かでこうなったんだろうな」
「ううん、その下。なんか広がっているの」
ベアは視線を下に向けた。マリブドウの根元に水溜りのようにゼリー状の物体が広がっている。
「なんだこれは」
ベアはゼリー状の物体をつついた。ぷるぷるとふるえ、端を持ち上げようとすると自重で切れてしまった。この感じには覚えがある。
「でかいからすぐに分からなかった。これはミズクラゲというキノコだ。脆いんでこんな大きさにはならないものだが、マリブドウの下で他の動物に踏まれずに結果的にここまで大きくなったみたいだな」
「キノコなの?」
「これも採っておこう。火傷にかぶせるととてもよく効く。水分が蒸発すると使えなくなるんで、瓶などに入れて保存するのが普通だ。その封筒なら問題ないな。ひとかけだけ残しておいて、また殖えるか見てみるとしよう」
「む、難しい」
脆いので、障壁魔法で枯葉と胞子まみれのまま持ち上げ、なんとか封筒に収める。わざわざ残さなくても、破片があちこちに落ちてしまった。
「不思議なキノコだね。サジンダケ並みに魔力が多かった」
「それで気がついたのか?」
「うん。たぶん、たくさんあったから気がつけたんだと思うけれど」
サジンダケの胞子のせいで、陽が落ちるより早くに暗くなりそうだったので、早めに寝場所を探す。クリムカゴやヤネの葉に包んだ角ウサギの肉をトーコの魔法で蒸して火を使わずに食事を済ませ、お風呂の魔法でサジンダケの胞子にまみれた体を服ごと洗い流す。さっぱりしたところで濡れないようベルトポーチを守っていた障壁魔法を解除した。
「薬草の集まりはどうだ」
「このくらい」
これ以上胞子を浴びるのはごめんなので、トーコが張った障壁魔法の中で今日の成果を検分する。トーコが採集物についた胞子を取り除きながら順番に薬草を並べていく。間違って毒草や別の草が混じっていないか全てベアが確認する。大きさ順に並べるのはトーコの癖だ。ベアももう慣れた。ベアの確認が終わった分は次々にしまわれていく。
相変わらず店が開けそうなくらいあるが、しばらくギルド構成員たちが入域できないことを思えばとても足りない。そして、止血効果や増血効果のある採集物は全然足りない。怪我による発熱を抑えるための、解熱効果のあるものも欲しい。
止血効果の高いその名もシケツソウはおそらく別の誰かが湿地帯へ採取に行っているはずだが、今の時期、使える葉は少ないだろう。ナガクサカズラは怪我の治療には使えるが、応急処置にはならない。更にナガクサカズラも加工しなくては使えないので、いつまでも魔の領域にとどまるわけには行かない。サジンダケの納期もある。
トーコが転移魔法が使えるのでギリギリまで効率の良い採集ができるのは助かる。
サジンダケの胞子の量はベアにも予想外だ。ここまで急激に視界が悪化するとは思っていなかった。そうと判っていれば初日に草地ではなく森を行ったものを。明日もこんな調子だとしたら今回は森を抜けるのをあきらめてユナグールに戻るか。
ふと顔をあげると心配そうなトーコと目があった。
「問題があった?」
「いや、トーコの採ったものに問題はない。明日をどうしようかと思っていただけだ。もう一日行けるか?」
「魔力がって意味なら大丈夫」
「なら、胞子の飛びぐあいにもよるが、明日も東へ向かう。それでたぶん森を抜けられるはずだ」
「うん。薬草、足りないの?」
「もともとユナグール近くで、俺たちだけで集められるぶんなど知れている」
自分に言い聞かせるような口調に、本当に足りないのだとトーコは感じた。
「しばらく薬の類が不足するはずだから、アニに頼んで最低限の自分の薬は用意しておけ。角ウサギは毒も魔法も使わないから、単純な止血や痛み止めなんかだ。何を用意するかはアニに相談するのがいいだろう」
「分かった。……わたしも角ウサギを獲る手伝いをすることになるのかな」
「トーコはたぶん治癒担当だ。今頃、ギルドと国境警備隊とで治癒魔法使いの取り合いをしている頃だ。もちろん、民間医への協力要請も双方から町議会を通じて出ているはずだ」
「そんなに沢山怪我人が出るんだ……」
「二十年前とはギルドも違う。幸い今のギルド長は前の角ウサギの大繁殖を経験している。事の重大さがよく分かっているから、早め早めに手も打っているし、あまり心配するな」
「わたしにはイマイチ実感がなくて」
トーコが不安なのは、ベアがこれだけ気にかけている角ウサギの脅威に実感がないからだ。ベアに見えているもの、ベアの経験したことが分からない。この温度差がトーコの前に暗い影を落としている。
「わたしに事前に準備できることってある? 怪我人が沢山出るなら、お湯とか綺麗なお水や、氷を用意しておいたほうがいい?」
「瓶詰めのあれか」
ベアはトーコにもらった瓶詰めを思い出した。瓶を傾けると飴玉のような氷の球がころころと転がり出てきたときには驚いたが、便利なのは確かだ。
「あれは、いつベアさんが出かけちゃうか分からなかったから、急いでヘーゲル医師にもらった瓶に詰めたんだけど。もうちょっと使いやすい形の容器に入れて、時間凍結魔法はなしで」
「そうだな、水と湯、氷が潤沢にあれば、加療所の設営が格段に楽になる。特に氷はいいな。患部を冷やすのにも止血するのにも使える。俺からギルドへ話しておく。ユナグールへ戻ったら、作れるだけ作っておけ。時間凍結魔法は渡す直前に解除すればいい」
「うん。問題は入れ物だね。水差しとか?」
「アニに頼んで薬瓶を分けてもらえ。たぶん問屋に伝があるだろう」
「使いにくくない?」
「蓋ができたほうがいい。できれば色と大きさの違う瓶にして、取り違えのないようにしろ」
「うん、分かった」
全ての採集物の確認を終えて今夜の寝床にもぐりこむ。即席なので安全面でも快適性でも劣るが、トーコが空気穴を残して障壁魔法を時間凍結魔法で固定したので、大物に襲われる心配だけはない。
そうして目を閉じたふたりだったが、翌朝はさらに酷いことになっていた。
「とんでもないな」
降り積もった胞子が障壁を滑り落ちた音で目を覚ましたベアは呟いた。障壁に雪のように厚く胞子が積もっている。障壁を張っておいてよかった。
しばらくしてトーコを起こすと、彼女もびっくりしてあたりを見回した。
「すごい、こんなになるんだ。今日は障壁を張ったまま移動してもいい?」
「それしかないな。疲れたら早めに言え」
そのまま障壁の中で朝食を摂って出発する。
トーコは昨日と同じく魔法で前方の視界を確保したが、地面に厚く積もった胞子が一定のリズムで排除される様子が目視ではっきりと見える。
魔法で胞子を掬い上げると、近くの胞子が舞い上がる。視界は薄く煙っている。トーコが胞子を排除していない場所へは足を踏み入れるのもためらわれるほどだ。魔物も今日は襲ってくるどころではないようで、みんな隠れてしまっている。
黙々と歩を進め、昼過ぎにやっと視界が開けた。森を抜けた先の草地は地平が見えるほど広々している。森から漂ってくるサジンダケの胞子でけぶっているものの、吹き渡る風が気持ちいい。
「目標の位置からだいぶ南にずれたな。あった」
ベアが歩み寄ったのは、あやめのように細長い剣葉が茂っているところだった。根元を束ねるようにして掴み、引き抜く。土を払うと、しょうがに似たねじれた根が現れた。
「見つけ次第採れ。葉も使えるから引っこ抜いてそのまま集めればいい。ユナグールに戻ったらまとめて水洗いして土を落とせ」
「うん、わかった」
ベアにしては珍しく草の名前も効用も教える時間も惜しんでいるようなので、トーコも黙って採集に励む。
トーコも真似して引っこ抜き始めたが、しょうがのような太い根のほかに長い鬚根があって、これがしっかり土を掴んでおり、かなりの力がいる。
「ベアさん、これ抜くのに、障壁魔法と移動魔法を使ってもいい?」
「いいぞ。自分の手より少し先に重ねるようにするとやりやすい」
「判った。ありがとう」
そのあたりに生えていた株の半分ほどを抜くと、地面がぼこぼこになった。次の繁みに移動する途中でベアが足を止めた。大きく放射状に茎を伸ばした草があった。葉はベアの手のひらよりも更に大きく、厚い。細かな産毛が生えており、光を反射してうっすら光って見える。
「そういえば、こういうのもあったな。ついでに採っていくか」
手早く茎を根本から折って摘み始めるのでトーコも真似して放射状の根本を折ろうとした。しかし、繊維が残って、ベアのように切り離せない。鋏を入れてやっと切り離した。こちらは力もいらず、たいして難しくない。
「これも薬?」
「いや。ヌグイソウという。脂汚れが綺麗にふき取れるんで、手や食器を拭くのに便利だってだけだが、角ウサギを切れば武器も切れ味が鈍るから、血脂を拭くのにあればみんな使うだろう。そのまま遣い捨てられるしな。雑草のようなものだから丸坊主にしてしまってもかまわん」
「わかった。だったらヌグイソウは魔法で簡単に採れるから、わたしたちはさっきのを採らない?」
「じゃあ、これは任せる。あまり無理して取る必要はない。俺たちはトオカソウと格闘するとするか」
「さっきのトオカソウっていうの?」
「言わなかったか?」
「うん」
「根をすり潰して傷に当てると治りが早くなる。葉は干して煎じたものに増血効果がある。どちらも魔の領域の薬草にしても高い薬効がある。今は終わってしまっているが、夏に十輪ほどの花をつけ、これは体を温め、種も同様だ。どこをとっても薬になる。昔はユナグール周辺の草原にも生えたらしいが、採りつくされて今じゃ、ここまで来ないと手に入らない」
トーコがメモを出すとたいてい足を止めてくれるベアだが、今は急ぎ足に次のトオカソウへ向っている。途中で見かけたリンゴに似た実のなっている木が気になったが、訊くのもためらわれる。
暗くなるまでトオカソウとヌグイソウ、そのほかにベアが見つけた薬草を採ってユナグールへ帰還する。閉門時刻は過ぎているが、転移魔法で直接ギルドの上に出てしまえば問題ない。
「上を借りる」
ベアは帰還報告もせずに、ギルド職員に声をかけて二階へあがる。階段があるのは知っていたけれど、トーコは登るのは初めてだった。あちこちに荷物が積まれた広間があって、ドアが並んでいる。躊躇いなくひとつをあけ、壁に備え付けの明かりをともして回った。そこで今日採った薬草をベアが確認していると、採集に詳しい女性ギルド職員がやってきて目を瞠った。
「採りに採ったりという感じね。どうやってこんなに集めたの?」
「非常事態だからな。こちらも非常手段を使った」
「分かったわ。聞かないでおく」
「作業に入るのは明日からだったか」
「そうよ。作業場も人員も確保済みでもう近場の薬草の加工に入っているわ。うちでできる簡単なものだけだけど。トオカソウは有難いわ、自分たちで加工できる。悪いけれど、明日届けてくれない?」
「承知した。それから、加療所で使う水だが、現場で使う分は事前に用意できる」
ベアは水、お湯、氷の瓶詰めを渡して説明した。
「助かるわ、今回は加療所を三つ設置するの」
「三つ?」
「そう、前回は角ウサギにたかられて出血が酷くて亡くなる人が多かったってギルド長が言って、なるべく部隊のそばに加療所を置くことにしたの。いきなり戦線が崩壊することはなかったから前線近くに加療所を設けても大丈夫だろうって」
「三箇所に分けて物資が足りるのか?」
「そのぶん伝令と後方の物資移動に人を当てるわ。引退者にも招集をかけているし、後方に使える人数には余裕があるから。足りないのは、実戦向きの構成員。ギルド長がこんなに本気で働いているの初めて見たわ」
薬草の量を確認しながら、管理や届け先について細かく打ち合わせするのをトーコはぽつねんと聞いていた。早口な上に、短いやり取りで知らない単語が飛び交うので、本当にただ聞いているだけで内容まではよく分からない。
「トーコ、明日はサジンダケを届ける前に、東門の外で採集物の整理をする。なにもかも胞子まみれだから、汚れも落とさないとな。町中より外で作業するほうがやりやすいだろう」
「うん、わかった」
翌日、開門と同時に外に出てサジンダケの胞子まみれの薬草を洗い、洗えないものもゴミを取ったりしてから昨日ベアが聞いてきた作業所や薬種商のところへ採集物を届ける。もちろん、サジンダケの依頼を請けたふたりのところにも届ける。量が多いので計量に時間がかかる。その間ずっとベアを待たせてしまって申し訳なかったけれど、ベアは心ここにあらずといったふうで、別の考えごとに沈んでいるようだ。
ヘーゲル夫人の実家は薬種商だ。いつもはギルドから魔の領域で採取できる薬効のある動植物を購入するが、今回はギルドからの協力依頼を受けて薬草などを薬に加工することになっている。ベアとトーコもいくつかの品をギルドの指示で届けたが、立寄ったついでに今回使わない薬用植物と引き換えに水薬用のガラス瓶をベアが手に入れてくれた。
なんとなくに話しかけづらいので、トーコが歩きながらそれらに空間拡張と時間凍結魔法をかけていると、ベアが足を止めた。前を良く見ていなかったトーコは思いきり彼の背中にぶつかってしまった。例の大口商人の作業所からハルトマンが出てきたところだった。こちらに気がついて手をあげる。
「こんなところで会うとは珍しいな」
「ここの所有者に用があってな。そっちこそどうした」
「サジンダケの依頼を請けていた。それを届けに来ただけだ」
「サジンダケの加工所だったのか、ここ」
「ベアさん、わたしサジンダケ届けてきちゃうね。計量してもらうのに時間かかるから」
「あー、行って来い、行って来い」
何故かベアではなくハルトマンが指先で追い払う。トーコが姿を消すとベアは改めて問いかけた。
「ここへは何の用で? それとも聞いてはいけなかったか?」
「秘密にするようなことはなにもない。結晶石を扱っていると聞いたんで、貸してくれるよう頼みに来ただけだ。知ってのとおり、そんなものを買ってくれる予算はないんでな」
「角ウサギ用か」
「そうだ。トーコはギルドで雑用係か?」
「治癒係だ。というわけで、そちらには出せないな」
ハルトマンが舌打ちした。
「トーコはヘーゲル医師の弟子で、俺の妹弟子だ。半分寄こせ」
「残念ながら、トーコはギルドの正式な構成員で俺の弟子だ。諦めろ」
「一日くらいはこっちに顔を出す義理があるだろう」
「ギルドと提携していた治癒魔法使いをごっそり持っていっておいて何を言う」
「あんたたちは角ウサギなんて慣れているだろう?」
「そちらもずいぶんと角ウサギ狩りに精を出していたらしいじゃないか」
「トーコが喋ったな。俺の部下は確かに慣れているが、残念ながら基本的に後方部隊なんでな。意味がない。前線部隊にはまだ経験の浅いのもいる。というわけで」
「却下」
「まだ何の条件も出していないぞ」
「出しても無駄だ」
「酷いことになるのは目に見えている。最初のパニックがおさまるまでだけでもヘーゲル医師の指導を受けたほうが結果的に、ギルドにもいいと思うが?」
「難しい治癒は発生しないと聞いている。俺も様子を見に行けるし、問題ない」
ベアは今回各後方部隊、主に加療所を見て回って、本部に連絡する伝令係だ。全体の医薬品などを預かり、必要に応じて追加支給する。移動魔法と、空間拡張魔法でなんでも持って歩けるからこそだ。当然トーコの様子も見られるし、必要な時には追加で彼女に水や湯を用意させる。ハルトマンは苦笑して手だけで部下を先に行かせた。
「なんだ、まだトーコは破門になってないのか」
「破門? どこからそんな話になるんだ」
眉をひそめるベアとは反対に、ハルトマンはにやりと笑った。
「あの反省文を見たらそうなるかと。そもそも反省文、って発想からして久々に限界まで腹筋を使わせてもらったよ」
「添削したのはあんたか」
「いや、俺は見ていただけ」
「だったら、兄弟子として指導すべきことはないか?」
「ない。俺は兄弟子であって師匠じゃないから。でもまあ師匠を降りる気になったら連絡くれ。さすがにあれを野放しはまずい」
気安い笑顔を一瞬よぎった冷たい色にベアはひやりとした。背中に汗がじわりと浮かぶ。
「心配かけて恐縮だが問題ない」
「そのわりにトーコがびくびくこそこそしているじゃないか。それとも別件でまた何かやらかしたか?」
別に驚かないが、とハルトマンは平然と言った。
「別に何もない。反省文は受領したし、魔の領域にも連れて行っている」
「受領って、あんたは役所か?」
「問題ない」
「問題ない? どこがだ。大有りだろうが。あの三歩歩けば忘れる能天気なあほが一週間もしょげていること自体異常だ。バベッテが心配するわけだ」
「バベッテが?」
思いもかけないところでヘーゲル医師の四女が出てきてベアは怪訝な顔をした。
「いつも魔の領域から戻ったら、煩いくらい見たもの聞いたものぺらぺら喋って、何かと言えばベアさんがああ言った、ベアさんがこう教えてくれたって、かしましいのにろくに話もしないんだと」
ベアは姿勢をぐらつかせた。どんだけベアの行動はヘーゲル家に筒抜けなんだ。
「気にしすぎじゃないかと思ってたんだが、いつもなら尻尾振ってあんたの周りを飛び跳ねてる犬が遠くからご主人様の顔色を伺ってるじゃないか。何やらかしたか知らんが、上っ面だけでいいから、早いとこなんとかしてくれ。今は目の前の魔物の群れで手一杯で、後ろの火薬庫まで気にしてられないんだ」
口調は軽かったが、懸念の色は本物だった。そこに件の火薬庫が戻ってきたのでハルトマンは口をつぐんだ。
「ハルトマンさんまだいたの」
「角ウサギの件で少しばかり彼と情報交換をな。そっちは大丈夫だったか」
「うん、胞子まみれになってないので足りた。味は変わらないって言っていたけれど、あれを売るのはどうかと思う」
「そうか」
変なところで生真面目なトーコだ。ハルトマンが師弟の会話に割って入った。
「ヘーゲル医師に伝言。今夜、打ち合わせに行くから人集めよろしく、と伝えてくれ」
「うん、分かった」
ハルトマンと別れ、歩きながらまたトーコが水薬瓶を取り出す。手の中で暫く握ってから次を取り出す。それを視界の端で捕らえながら、別になにもおかしなところなどないとベアは思った。先日の一件があってから確かにおとなしいが、きっと最初のものめずらしさが失せただけだろう。
「ベアさん、茶色の瓶と青色の瓶とどっちがお湯が入っているイメージがある?」
「さあ。同じじゃないか」
「しいて言えば?」
「青が水かな。形も違うし、そこまで心配しなくても大丈夫だろう」
「うん。でもラベルの色を青と赤にしておこうかな。氷はこっちの広口瓶で確定なんだけど、氷の大きさってどのくらいがいい? この間のだと大きい? 小さいと早く溶けちゃうけど、布袋に入れて怪我にあてて冷やすなら粒が細かいほうがいいよね」
「この間の大きさで大丈夫だろう。あまり小さいと布に包んで使うときにこぼれる」
「そっか、わかった」
別にいつもと変わらない。ハルトマンが考えすぎなだけだ。ただ……違和感はある。のどに刺さった小骨のようにそれはちくちくとベアを刺す。
「この間の件、早めに提案してみたらどうだ」
「この間の? なんだっけ?」
「空間拡張容器の貸し出しだ。先にギルドに使ってもらって、どういうものか理解してもらったほうが早いだろう。それで使い勝手の感想を聞いてみるといい。試しにやるとなれば容器の作成については俺に依頼が来るだろうが、実際はトーコに手伝ってもらうことになるな」
「うん、わかった」
トーコは頷いた。ベアは拍子抜けした。拘っていたのはトーコだ。さぞあれこれと質問が飛んでくるだろうと思っていのだが、それで終わってしまった。後に残る沈黙が重い。ハルトマンが余計なことを言い出すまでは気にもしなかった沈黙だ。ベアが一話せば、十喋るトーコがたった一言で黙るなんて変だ。やっとそのことに気がついた。
ベアに送ってもらってヘーゲル家に戻ったトーコは診療所を覗いてヘーゲル医師にいくつか質問したあと、居間のテーブルで紙を広げた。紙は値が張るのでヘーゲル医師にもらった反古紙の裏に書き付けていく。制作費二千クラン、結晶石三百クラン、二週間に一度の魔力補充十クランで年二百六十クラン。初期投資と年間維持費合わせて二千五百六十クラン。週二回貸し出しがあるとして、一年で減価償却しようとすると一回二十四クラン。
ハルトマンとの打ち合わせのためにヘーゲル医師を訊ねて来ていた治癒魔法使いによれば、たまに魔力補充の依頼はあるらしい。さすがに診療所を構えている治癒魔法使いにではなく、弟子時代のこづかい稼ぎとしてだが。しかも大半は現物だったらしい。
大都市に限った話だが、魔法らしい魔法は使えなくても魔力がある人の中には、商人や公的機関と契約して魔法道具の魔力の補給を行ったりするらしいが、ほとんどは副業扱いらしい。当然値段もピンきりだろう。
「国境警備隊なら魔法道具のひとつやふたつありそうなもんだが」
「しまったなあ、ハルトマンさんに聞いておくんだった」
「どの程度かにもよるが、月二回の魔力補充くらいならこのへんの連中で回せるだろう。詳しい相場はハルトマンに聞くとして、一回十クランでとりあえず計算してみたらどうだ」
というわけで計算しているのだが。
「ネックは結晶石かあ」
「結晶石がどうしたって?」
居間で突っ伏していると、頭の上からハルトマンの声が降ってきた。
「あれ。早いね」
「俺に用らしいな。ひとり遅れているから、その間だけなら話を聞いてやる。魔力補充の費用? そんなもん自分たちで賄うに決まってるだろ。びた一文出すつもりもない」
事情を説明するとハルトマンはあっさり答えた。
「だよねー。ハルトマンさんに聞いたわたしが馬鹿だった」
「第一、軍の持っている魔法道具なんて殆ど軍事機密に決まっているだろうが。ほいほい民間人に頼めるか」
「あそっか。そういう問題もあったんだ。でも魔力が足りない時はどうするの?」
「そうならないよう、マメに補充しておく。俺が来る前は外注していたみたいだけどな」
「え、誰に?」
「機密に決まっているだろ」
「値段が知りたいだけなんだけど」
「このくそ忙しいのに、俺に書類漁りさせるとはいい度胸だな」
言いながら、トーコの広げた紙をとりあげる。
「お前にしちゃ比較的まともな案だな。言葉が半分以上読めないが」
「あ、その企画書、まだ途中だから見ないで~」
文化祭の出し物だって各クラスごとに企画書を出させていたんだから、実際のお金が動く提案なら絶対必要だと思って作っていたのだ。というより、言葉だけで全部説明するのは無理だ。
「お前、どのくらいの大きさまで作れる?」
「今のところ一辺十メートルの立方体くらいまで……いだだだだ!」
「まだ学習しないか。簡単にこんなカマにひっかかりやがって。手持ちの魔法をばらすなって言っただろうが!」
「ベアさんは言っていいって言ったもん」
「そりゃ、ギルドにだろ。その提案をする以上はどうせお前が作れるってことはばれるからな」
「え、そんな限定的な意味だったの?」
「俺は今、教育しがいのない弟子を持ったベアに心底同情している」
トーコはしゅんとなった。
「魔力補充の依頼価格については調べておいてやる。その代わり氷寄こせ」
「氷? カキ氷作るの?」
「お前の頭は食うことしかないのか。角ウサギの掃討作戦については聞いているな?」
「うん。ベアさんも忙しそう」
「怪我人の手当てに使う」
考えることは一緒というわけだ。
「ダメとは言われないと思うけれど、一応ベアさんに確認してからね」
「犬よりは賢くなったな。それでいい」
翌日瓶詰めの水と湯と氷をギルドへ届けるために迎えに来たベアは、眠そうな顔のトーコから企画書を見せられた。トーコがお茶を淹れる間に読み終えたベアは呆れた。
「よくこんなものを作ったな。将来役人にでもなったほうがいいんじゃないか」
「無理。ハルトマンさんに三回も直されたもん」
「ハルトマンに見てもらったのか?」
「うん。昨日ヘーゲル医師のとこで他の治癒魔法使いのひとと打ち合わせしていたんだけど、結局最後は飲み会になって、というか最初からそのつもりだったみたい。結局泊まって行ったよ」
ベアは手元の企画書をまじまじと見た。酔っ払いが見たにしては立派なものだ。書類を作るなどと縁のないベアにはない発想である。
「魔力補充の費用は概算。正確な金額はハルトマンさんの連絡待ちだけど、持込すれば医師たちも協力してくれるって」
「ほう」
なんでも駄々漏れのトーコだが、たまにはいいこともある。
「結晶石はヘーゲル医師行きつけのお店で聞いたら、必要な魔力量が分かれば、だいたいの金額を出せるから、試させてくれるって。実際に水を入れた拡張容器を作ってみて、維持魔力が切れて溢れてたらその何倍の魔力を蓄えられる石が必要か判るから。そういうわけで、後でお店に空間拡張容器を置かせてもらっていい?」
「いいぞ」
「あと、色々調べてもらう代わりにハルトマンさんが氷欲しいっていうんだけど、これもいい? 角ウサギの負傷者に使うって。瓶詰めのことは喋ってないよ」
「ハルトマンの私物扱いにして貰えるなら構わん。ギルドに渡したのと同じように作ってやれ」
「氷の大きさとかはハルトマンさんの要望を聞いてみて、必要なら変えてもいい?」
「ああ。そんなに何でもかんでも俺に聞く必要はないぞ」
「……ごめん。うるさかったね」
「そうじゃない。氷の大きさくらい、好きにしたらいい」
「うん」
でも、氷の大きさ「くらい」、ってどのくらいが「くらい」ですむ範疇なんだろう。トーコがたいしたことないと思って引き起こした数々を思えば、自分の判断に自信などあろうはずがない。
「いいんじゃないか。ギルドに行く前に、結晶屋に寄って行くか?」
「大丈夫? 忙しくない?」
「ちょうど手が空いたところだ。あまり早くギルドに顔を出しても使われるだけだしな」
ついでにその結晶石を扱っている店主も見ておきたい。万が一にも悪用されては困る。
トーコだけなら舐められても、背後にベア、ひいてはギルドがいることは見せておいたほうがいい。ベアにとっては当然の用心だが、これもトーコには理解できないことかもしれない。家族に愛され、友達が沢山いて、陽の当る道しか知らない彼女には。
件の結晶屋はいつかトーコがお使いした店だった。そう何度も足を運んでいるとは思えないが、懐こく挨拶して、ちゃっかり店の奥まで入り込んでいる。持ってきた水薬瓶に結晶石を取り付けてもらい、中を拡張する。最後に水を満たしてそれぞれバケツの中に置いたらあとは待つだけだ。
「結晶樹の実は品薄だけど、結晶石はまだ在庫がある。必要ないかい」
「大丈夫だ。ありがとう」
「君は?」
「欲しいけど、お金がない。貸し出しとかはしてる?」
結晶石は宝石並みに高価なのだ。小さなものでも百クランとなると、魔力不足に悩んだことのないトーコとしては手が出しにくい。
「していない。君も今度の角ウサギの掃討作戦には出るのかい」
「うん。後ろの救護班で治癒係だけど」
「なるほど、ヘーゲル医師のとこの子だものね。それじゃ特別にこれを貸してあげよう」
店主は引き出しから結晶石を出してトーコの前に置いた。濁りが多く品質は良くないがクルミ大の立派なものだ。
「時間があるようなら一度中の魔力を吸い取って、自分の魔力を込めなおしておくこと。でないと、魔法使いには意味ないからね。ヘーゲル医師はお得意さんだし、貸し賃は特別に角ウサギでいいよ」
「ありがとう! なくさないように気をつける」
結晶石を受け取ってトーコがぱっと顔を輝かせた。
それを見てベアは違和感の正体にやっと気がついた。
店を出て、水薬瓶を分けてもらうためにヘーゲル夫人の実家の店を訪ねる。アニにうちは瓶問屋じゃないんだけど、と呆れられ、それだけの在庫がないということなので、本物の問屋を教えてもらう。
そうと分かっていればもっと瓶を仕入れて、薬草をベアから仕込めたのに、と恐ろしいことを呟きながらアニが書いてくれた地図を辿る。そこでいろいろ迷った末に、ギルドと国境警備隊どちらにでも融通できるように結局同じ瓶を購入する。
余ったらアニに引き取ってもらえないかな、などとむしのいいことを言いながら、空間拡張魔法を覚えてからというもの、容器の類に目のないトーコは小さくて可愛い小瓶にフラフラと引き寄せられていた。問屋なので購入単位が大きく断念していたが、代わりに破損が出て安くばら売りされていたものをいくつか買ったようだ。
作戦を明後日に控えたギルド前の広場は人でごったがえし、荷車がいくつも並んでいた。すでに荷を積まれた車に雨よけの幌をかける者、積荷を運ぶ者、荷を確認する者。窓口が混雑する朝夕でもないのに、こんなに沢山のギルド構成員が集まるなどめったにない。
建物内でもギルド職員たちが忙しそうだ。薬草に詳しい女性職員を探して声をかける。
「瓶詰めの水を持ってきた。数は水が百、他が五十」
「置き場がないから二階へ持って行ってちょうだい。集会室に適当に置いておいてくれればいいから」
「分かった」
心配そうな顔をするトーコを連れて二階へ行く。広間の奥の部屋は一階と比べてまともだが、強い薬品臭が漂っていて長居したい状況じゃない。ふたりで長机の上を片付けて瓶を入れた木箱を置く場所を作る。階段を下り、伝えると、目も上げずにありがとうと言う。
「ふたりとも、荷物を運ぶの手伝って」
ギルドを出ようとすると、すかさず他の職員に捕まる。指示されたテントの支柱を荷車に移動魔法で運び入れながらトーコが呟いた。
「瓶の外側にだけ時間凍結魔法をかけておけばよかったかな。あの瓶、木箱ごと誰かがうっかりひっくり返したら大惨事になるよね」
「それはギルドの管理の問題だ」
「でもなんだか皆忙しそうだし」
扱いに注意のいる品を無造作に置いてきてしまったことを後悔しているようだ。
「そうだな。皆余裕がないんだ」
ベアのように。
いつからトーコの顔から笑顔が消えていたのかも判らないダメ師匠だ。何日も一緒にいて行動を共にしていても、この数日、顔もまともに見てもいなかった。バベッテやハルトマンのほうがよっぽどトーコの異変に気がついていた。
師匠失格だ。
荷物運びに使われ、遅い昼食を広場の屋台で買ってきてギルド前の階段に座って食べていると、ベアの馴染みのギルド職員が同じく屋台で買った食事を持って戻ってきた。ベアとトーコを認めると、勝手に傍に座る。
「ふーやれやれ、毎日てんてこまいだよ。どうだい、角ウサギの出張査定をもう一度……」
「もう一度はない。それにもうすぐ掃討作戦が始まる。必要ないんじゃないか?」
「掃討作戦があろうがなかろうが、毎日三百羽届けなくちゃならないんだよ。今はみんな遠出しないし、引退狩人たちが肩慣らしに出ているから、数は集まるんだけど、査定と運搬がね」
「だったら、トーコに案があるようだ」
「お、いいね。なんだい」
「え、空間拡張容器のこと? まだ結晶石と補充魔力の費用がわからないんだけど」
「空間拡張容器? もしかして貸してくれるとか?」
元狩人のギルド職員が身を乗り出した。
「貸すのはギルドで、俺たちはギルドに売りつけようと画策中だ。トーコ、企画書を見せてやれ」
「あの、途中なんだけど」
元狩人のギルド職員は串焼きをかじりながらトーコの差し出した企画書もどきに目を通した。
「面白いこと考えるね、君」
「もしよければ、いくつか試作品をギルドで使ってみて、使い勝手など意見を聞きたい。結晶石はついていないが、一週間程度は使えるはずだ。魔力を補充し続ければもっとだ」
「それは、今からでも?」
「もちろん、かまわない。角ウサギ掃討作戦の準備にでも使ってくれ」
「やるかどうかは俺の一存では決められない。あくまで、空間拡張容器の使い勝手の確認だけだ。それでもいいか」
「承知した。この大きさでいくついる?」
「いくつまで出せる?」
「そうだな。手持ちが十ほどある。それを出そう」
「わかった。一応確認をとるから、あとで顔を出してくれ」
ギルド職員はそう言い残して作りかけの企画書を持っていってしまった。
「ベアさん、ありがとう」
「まあ、今はとにかく空間拡張容器が欲しいだけだろう。この先どう転ぶかは期待するな」
「うん」
ギルド職員が見えなくなると、ベアは麻袋を出して今言った条件でトーコに空間拡張容器を作らせた。これだけだと普通の袋と見分けがつかないので、ギルドからインクを一瓶貰って「魔の領域への入域管理ギルド ユナグール01」と前後に大書きする。刷毛などないので、移動魔法でインクを載せ、乾かす。移動魔法で文字を書くというより、プリントするイメージだ。
トーコが説明しても最初は移動魔法でインクを載せるというのがよく判らなかったベアだが、彼女が器用にごく薄く文字の形に広げたインクを麻布に下ろすのを見て感心した。よくまあ思いつくものだ。相変わらず常道を外れた魔法の使い方をする。
「インク部分に障壁魔法と時間凍結魔法をかけたほうがいいかな」
「一枚だけやってみて、他と比べてみよう」
ギルド職員に袋を届けると代わりにおつかいを言いつけられた。ギルドが加工を依頼したあちこちの薬種商や工房を回って出来上がった品を、加工賃と引き換えに受け取ってくる仕事だ。薬はギルドが渡した品だけでできているわけではないので、加工賃は高額になる。ベアなら他の薬剤や基材の大体の相場がわかるだろう、というわけだ。よほどおかしな金額でない限り黙って払って来いとのことだった。
「角ウサギの駆除ってお金かかるんだね」
「半分戦争みたいなものだからな。国境警備隊ならこういうときに備えて物資も蓄えているんだろうが、ギルドはなにかも一から集めなきゃならん」
それこそ、怪我人を運ぶ担架用の布から炊き出し用の鍋から。
お使いを済ませてギルドに戻ると、半分ほどが年配の集団がぞろぞろと二階から降りてきた。その中のひとり、ギルドのトップチームのリーダーがベアに話しかけた。
「やあ。ふたりは魔法使いの集まりに出なくていいのか? 今、隣でやっているようだが」
「イェーガー。俺たちは戦力にならないんでな」
「あれだけ障壁魔法が使えるのに?」
「防御はできるが攻撃手段がない。俺は伝令で、彼女は治癒係だ」
「治癒も大事だが、怪我人が出ないように防御するのも同じくらい大事だ。どうだ、俺のところに寄こさないか」
「あんたが指揮官か?」
「俺は二回目と三回目の左翼担当だ。初日の指揮官は前回を経験している御大方だ。指揮と言っても国境警備隊と違って、みんな集団戦の経験なんてないからな。交代のタイミングを見るだけさ。交代、撤退時に障壁魔法があると助かるんだが」
「余力があって、本部の許可が下りたらな」
「了解した」
イェーガーが行くと、トーコがベアのローブを引っ張った。
「障壁魔法も使うの?」
「トーコは治癒だけでたぶん魔力を使い切るだろうから、障壁魔法のほうは考えなくても大丈夫だ。イェーガーも半分は社交辞令だろう」
残り半分は本気だろうが。
「彼もいきなり指揮官とは大変だな」
あっさりと話していたが、実際には瞬発力は高くても持久力に欠ける魔法使いを投入するタイミングや、弓での援護のタイミングなど相応の経験が必要なはずだ。ふたりの魔法使いのいるチームを率いているとはいえ、一介のギルド構成員には荷の重い話だ。
「イェーガーさんって元軍人さんかなにか?」
「なぜだ」
「なんとなく。最初に会った時も思った。ハルトマンさんに似てるって。ええと、何ていうのかな、こう、動き方とか」
身ごなし、と言いたいらしい。
「元軍人というのはありそうだな。元国境警備隊だったギルド構成員は結構いるんだ。チームに元兵士もいたしな。ギルドは所詮寄せ集めだから、指揮官クラスには軍経験者を集めたのはありそうな話だ」
「じゃあ、今度の作戦も安心?」
「肝心の兵隊が寄せ集めだからな。どこまで指揮官の意志どおり動けるか」
相手が角ウサギだからいいが、人間の軍隊だったらひとたまりもない。
「まあ準備は万端だから、後は本番を待つばかりだな。ハルトマンに渡す瓶詰めはできたのか?」
「うん、歩きながら終わった。瓶はまだ半分あるけれど」
ベアと相談して、容器の中身はうっかり割ってしまった時のために、一辺五メートルの立方体サイズに抑えてある。それでも百二十五トンの水なので、扱いに注意して欲しいのに変わりはない。
「充分だ。ハルトマンには例の封筒に入れて渡していい」
国境警備隊の準備の様子を偵察がてら届けに行こうということになり、東門近くの広場に臨時設営されている本部へハルトマンを訊ねる。運良く彼は程近い別の広場で物資の最終確認をしていた。
「約束の氷だ。それから、水と熱湯。見た目は小さいが、中は百トン以上入っている。扱いには注意してくれ」
「ほう。こんな魔法道具、貰って大丈夫か?」
「心配ない。同じものをギルドにも提供している」
「それなら遠慮なく。氷用の樽を集める必要はなかったな。それから、熱湯?」
「一応全部ラベルはつけてあるけれど、取り違えには気をつけて。この封筒に入れている限り氷は溶けないし、お湯は冷めない。でも絶対に封筒に手を入れたりしないで。危険だから。取り出すときは必ず移動魔法でお願い。氷の大きさ、これでいい? 変えたかったら作り直せるから言って」
ハルトマンは手のひらに氷を振り出して確認した。
「問題ない」
「封筒は人に渡さないほうがいい。事故があっても責任はとらん。これはあくまでトーコが個人的に兄弟子に渡したものだ」
「なにやら物騒だな。承知した。水と湯はうちでも算段つけているし、これも兵士の日頃の訓練の成果なんで使うかは判らんが」
「最後に中身をどこかに捨ててくれさえすれば構わない。空間拡張はその封筒に入れておけば一週間ほどは保つが、それを越えれば縮みはじめるから、ほうっておくとあたりが水浸しになる」
「なるほど、扱いには気をつけよう。氷はその日使う分だけ俺が樽にあけた方が良さそうだな。そっちの準備は順調か?」
「てんてこまいだ。こっちは落ち着いているな」
「角ウサギはこちらが動くまでは動かないんだろ? 予定通りに相手が動いてくれるなんて訓練みたいなものだ。ま、明日はゆっくり体を休めるんだな」
余裕である。そして正論だ。ベアも明日はゆっくり休んでギルドに顔を出さないようトーコに言いつけて、その日は言葉にならないしこりを残したまま別れた。




