第9話 チーム(1)
ツムギグモ。
メスは体長二メートル、全長五メートルで茶と黄色の鮮やかな縞を持つ。オスはその半分程度の大きさで全体が茶色、メスの足が体より長いのに比べ、足の長さも体の半分程度。視力は低く、嗅覚も鈍い。普段は待機している隠れ家から振動で獲物がかかったことを察知し、風や木の葉でないことを確かめるために糸を振動させて反応を伺う。獲物が巣に絡まって動きが鈍ったところで麻痺毒を刺し、頑丈な捕獲糸で巻いて隠れ家の真下に吊り下げて保存する。麻痺毒は短時間で切れる。獲物は捕らえた順番に数日かけて食べられる。獲物をぐるぐる巻きにした状態からうまく捕獲糸を長く引き出したものが価値が高い。
餌をとるために網状の巣を張るが、粘着力が強いのは一週間程度で、餌場を変えながら頻繁に巣をかける習性がある。ツムギグモ自身の移動に使うのは粘着力のない縦糸で、獲物や風で壊れた巣を修復することは苦手である。なのですぐ次の巣を張る。粘着性の高い横糸は水に濡れている間効果を失うが、乾けば元通りの粘度を取り戻す。これを利用して、巣を濡らしてから糸を採集し、撚り合わせてから乾燥させて加工する。湯通しして粘着力を失うまで放置すると、しなやかで丈夫な紐が出来る。湯通しするときの温度、時間、回数などは門外不出の秘密で工房によって製品の出来も異なる。
ピンポン玉サイズの卵を三十個程産卵し包卵糸に包んだ卵のうを、十月から約二ヶ月かけて十数個つくる。卵のまま越冬して春になると仔グモが出てくる。卵は珍味として、包卵糸は最高に細くて美しい糸が採取でき、工業用だけでなく、装飾品、工芸品用としても需要が高い。
ここ数日の依頼では、巣糸は一キロ六クラン。捕獲糸で包まれた獲物は無傷なら角ウサギサイズで八十クランから大きさにより変動、ツムギグモがかじったものから糸を長くとるのは難しいので、値は下がるが、同サイズ二十クランから状態によって細かく変動。十月から十一月の卵のうは一個百五十クラン。はしりの時期には二百クランの値がつくこともある。卵のうは濡らす必要はない。
「基本的にツムギグモが放棄した巣を採って、卵があったらラッキーということみたい」
うっかり主のいる巣の糸を触ってしまったら、風でひっかかった枯葉のふりしてじっとして動かないか、逆にツムギグモが襲えないほど大きな獲物だと思わせるために思い切り揺らすかしないと襲われる。中途半端に動くのが一番危険。ツムギグモの麻痺毒は日持ちせず、依頼はあまりない。依頼があっても、メスではなくオスのクモを獲るのがギルド員同士の暗黙の了解事項。襲われたときを除いて、ツムギグモ、とくにメスを殺すのはマナー違反。隠れ家の下にぶら下げている捕獲した獲物を採るときは、誰かが遠くの巣を揺らしてツムギグモを隠れ家からおびき出している間に急いで切り取ること。その場合もかじりかけの獲物はツムギグモのために残すこと。ツムギグモの糸は春から晩秋までの長期間にわたって採集できるが、卵が珍味として知れ渡った百年ほど前から生息数が減り、棲息域も北に後退しているため、ギルドは十二月以降の卵のうの取引を禁じている。
一息で宿題をベアに提出したトーコは、お茶でのどを潤した。
「ツムギグモの棲息地まで一日かかるんだけど、この間のチョウロウクロネコのことがあって、何人かで往復だけ一緒に行っているみたい。明日と四日後の朝にギルド集合で黒板で募集が出ていた」
「じゃあ、明日の朝行くか」
「それじゃ、今日のうちに道具を借りてくるね」
「道具?」
「クモの巣を巻き取る紡錘。ギルドの人は使わないけれど、これに巻き取ると大体の長さと重さが計れるから便利だって、糸の加工をする工房の人が教えてくれたの。採りに行くなら古いのを貸してくれるって。あと卵のうを包むモリガエルの皮袋も。繊細な糸だからうっかり巣糸がくっついたりすると大変なんだって」
「加工所まで行ったのか」
「うん、どういう状態で採って欲しいのか判らなかったから聞きに行ったの。あと、こういうのは迷惑だってやり方、いっぱいあったよ~。卵は食べるから、絶対そーっと持ってきて欲しいんだって。上に捕獲糸でぐるぐるになった重い獲物を乗せたりするのは絶対やめてくれって。そのくらい判りそうなものなのに、結構だめにしちゃう人がいるんだって。すごく親切に色々教えてもらって、お昼までご馳走になっちゃった。ツムギグモの巣を採るのに成功したら、初めて採ってきた糸でわたし用のロープを作ってくれるって!」
ベアには真似のできない社交性だ。
「早くしないと巣糸の粘りがなくなるのと、捕獲糸も早く引き渡さないと中が怖いことになる可能性があるから、採ってきたらギルドじゃなくて、なるべくその足で直接工房工所に持っていくのがいいみたい」
ギルドに持ち込んでもいいが、捕獲糸の査定に時間がかかり、売買成立に時間を要する。直接持っていけば、双方が納得すればその場で取引が完了するため、直接工房に持ち込むのが基本である。
「あと、巣糸を濡らす方法だけど、これは結構人によって違うみたい。水で濡らした巨大な刷毛みたいなのを使う人もいるし、直接水を撒く人もいる。直接撒くのは結構技術がいるみたいで初めてなら刷毛のほうがいいって言われたけれど、魔法でいくらでも水が使えるなら雨みたいにざーざーかけちゃっても大丈夫だって」
トーコはメモをめくった。
「道中の森で危険なのはチョウロウクロネコ、ヨツキバオオイノシシ、フキヤムシ。同じ森だから当然だけどだいたいこの間と一緒だね。あとは森と草原に角ウサギが増えていて、危ないからひとりで行っちゃだめだって言われた。ギルドから角ウサギの特別依頼が出ていたよ」
ベアはあごを撫でた。
「特別依頼が出たか。今のギルドは早めに手を打ってきたな」
強制依頼は個人指名だが、特別依頼はギルドからギルド構成員に広く出す依頼だ。先日の話では角ウサギの買い取り価格は下がっているということだったので、今回はおそらく、大発生を未然に防ぐべくギルドが多少なりとも補助金を出して角ウサギの駆除にかかっているのだろう。
「受付のお姉さんにベアさんが戻ってくるまでに誰かと組んでやらないかって言われた」
「請けていないだろうな」
安易に人に魔法を披露しないよう、先日、クレムの町での別れ際に禁じておいたのだ。
「うん、師匠に勝手に入っちゃダメって言いつけられているって説明したら判ってくれたよ。毎日角ウサギがいっぱい持ち込まれて大変だって。台車で持ち込んだチームとか、ひとりで百羽持ち込んだ人もいるんだよ。百羽なんてすごいよね!」
自分も百羽持ち込んだくせになぜびっくりするか。謎だ。
「バベッテ姉さんは角ウサギのお肉が最近安いって喜んでいたけれど、狩っているギルドは大変だよね」
「駆除しないわけにはいかないからな。国境警備隊からも駆除隊を出しているんだろう?」
「それはもうハルトマンさんが率先して。このために俺は塩を大量に持って帰ってきたんだ、っていばってる。えーと、センケンノメイ? とか言っていた。塩漬けをつくるのはもっと寒くなってからみたいだけど」
きっと前に摘んだサンサネズの実も大活躍の予定なんだろう。
「魔の領域のおかげで予算が助かるって喜んでた。たしかに自分でとって来れたら、労力はかかるけれど、お金はかからないもんね。だけど、前線組の角ウサギの狩り方が荒くて毛皮に傷が多すぎるって文句言ってた。兵士の冬用の外套にしたかったみたい」
「……あの歳で将校なんだから、いいところの坊ちゃんだろうに」
遣り繰り上手な主婦かとツッコミたい。
「ギルド構成員のなかには罠で沢山捕まえている人もいるみたいで毛皮も傷つかなくていいみたいだけど、国境警備隊は一応訓練名目だから使っちゃダメらしいよ。ハルトマンさんの部隊の人たちは大変。毛皮傷つけると怒られるから、毎日怪我してる」
それを知っているということは。
「治療してやってるのか?」
「基本的にはお昼と夕方一時間くらいハルトマンさんのところに行って纏めて治してる。酷いのはハルトマンさんがその場で治癒するから、わたしが診るのは小さい怪我ばっかりだけど、歯が伸びてきている固体に噛まれると大変だって言ってた」
相変わらずハルトマンにいいように使われているようだ。しかし気になるのは角ウサギだ。二十年前はこんな風に早めの駆除などしていなかった。おかげでベアたちは酷い目にあったが、今回はそうならないことを祈ろう。二十年前の大繁殖を経験したギルド構成員としては、どこかで一日角ウサギ狩りをしておくか。幸いトーコがいれば角ウサギ狩りなどただの作業らしいし。
「話を戻すと、ツムギグモの巣採りには一日かけて棲息地まで行って、早朝の朝もやがかかっている頃に探すと巣が濡れて見つけやすい上に採取しやすくていいみたい。ツムギグモの動きもまだ活発じゃないから、捕獲糸をとるならやっぱり朝が狙い目だって。あと、道中でできそうな依頼だけど、今回は他のひとたちもいるからあまり寄り道できないかもね。キノコの依頼が色々増えていた。サジンダケはひと雨こないとまだだって」
ベアはトーコの差し出した依頼書の写しに目を通した。玉石混合いろいろある。ベアがいない間、トーコはトーコで結構忙しくしていたらしい。
ベアの下宿を襲撃した時分からずっと舌を使っていたトーコも喋りたいだけ喋って落ち着いたようなのでベアは気になっていたことをさりげなく訊ねた。
「空間拡張の魔法はどうだ。練習できているか」
トーコがベアが率いていた隊の水樽に何をしたのかはわかっている。汲めども尽きぬ魔法の水樽だと喜んでいた単純な連中と違ってベアは冷や汗をかいた。あの水量は樽に空間拡張をかけてそこに水を満たしたに相違ない。問題はどれほどの空間を作り、維持していたかという問題だ。水を冷やすために突っ込んであった馬鹿でかい氷柱については言及する気も失せる。
「しているけれど、拡張する容器が足りない。どのくらいの大きさを作るのにどのくらいの魔力が必要なのかはだいたい判ってきた。でも、保たせるほうはまだ実験中でどのくらいの魔力を注げばいいのか検証中。縮むとしてもどのくらいの速度で縮むのか計測したいし。一応留守の間はバベッテ姉さんが協力してくれることになってる」
トーコは実験と検証について熱心に報告した。師匠の指示がなくても、勝手に色々やっているようだ。
「一番不便なのが、魔力に単位がないこと」
「単位?」
「長さとか重さとか体積は具体的に十センチ、百グラム、一リットルって表現できるんだけど、魔力って単位ないんだもの。自分でこのくらいの魔力量、って判るけれど紙に書くとき困る」
そんなこと考えもしなかったベアは面食らった。
「だから、勝手に作っちゃおうと思ったんだけどこれが難しいの。例えば零度の水一リットルを百度にするのに必要な魔力量を一魔力とする。だけどうまく出来ないうちはたくさん魔力使うし、うまく出来るようになるとちょっとの魔力で済むようになるんだよねえ。だから今はとにかく、一キロの重りを一メートル持ち上げるのに必要な魔力量を基本単位にしようと思って毎日重りを持ち上げているの。これ以上少なく出来ないところまで早く行かなきゃこの先の実験に差し障る!」
ハルトマンの言うとおり、トーコは魔法の使い方だけでなく、捕らえ方もベアの理解の外のようだった。
翌日、トーコを連れてギルドに行くと、中年の夫婦が一組、若い三人組が一組いた。いずれも大きな籐籠を背負っている。チームの登録のためにギルドを訪れた際、頼んでおいたので、置いていかれずに済んだ。
彼らは互いに同じ縄張りの顔見知りであるようだったが、どうも友好的とは言いがたい雰囲気のようだ。懐こく挨拶したあとはトーコも黙りがちだ。
草原の角ウサギは確かに増えていた。人数がいるので歩けば勝手に逃げていくので問題はない。ベアは二組に遅れをとらない程度に足を止めてトーコに見つけた採集物を教えた。三人組は馬鹿にしたような顔をしたが、ベアは無視した。無視できなかったのはトーコだ。歓迎されない雰囲気に落ち着かない様子である。そのトーコがベアのローブを引っ張った。小声で、
「百二十メートル先、右手に魔物がいるみたい。角ウサギよりちょっと大きいくらい」
ベアも探査魔法を放った。
「ネグイだ」
「ネグイ?」
「長くて平らな爪を持っていて、冬は凍った地面を掘って植物の根につく虫を食べる。白い冬毛は需要があるが、他は利用出来ない。今は用のない魔物だな」
「このまま歩いていって平気?」
「肉食だが人を襲うほどの大きさじゃない。仔連れの季節でもないから大丈夫だろう」
万が一襲われても、ベアとトーコには障壁魔法がある。居所がわかっているのだから、他の二組が襲われても充分対処できる。暫く歩くとネグイは人の気配を察して逃げていくのが探査魔法で確認できた。ところがトーコがまたすぐ袖を引く。
「ベアさん、二百メートル先にヨツキバオオイノシシ。一頭だけだけど」
ベアは頷き、連れたちに声をかけた。
「どうする?」
夫婦も三人組も足を止めて振り向いた。
「「倒せないのか?」」
夫婦者の夫と三人組のリーダーの声がそろった。
「俺の手に余る。あんたたちはこういうときどうするんだ」
「隠れてやり過ごすか、迂回する」
「俺たちも同じだ」
夫婦者が道を沿れて脇へ入ったので、ベアも続いた。
残る三人はいささか不満な様子でトーコの後ろからついて来た。ところが、三度トーコがベアのローブを引く。魔物だ。探査魔法で確認したベアは顔をしかめた。肉食の大型魔物に立て続けとは運がない。手早く他の二組に状況を説明する。
「俺たちは隠れてやり過ごす。あんたちはどうする? よければ同じ消臭と幻惑の魔法をかけるが」
「頼もう」
「それでいい」
「トーコ、一式かけろ」
トーコが自分たちにかけているのと同じ魔法を全てかけ終わったというので、歩き出す。
「近くまできたら、あとは向こうが去るまで待つ。音だけ気をつけろ」
数十メートル歩き、安全な位置で適当な木の幹に寄りかかって相手がいなくなるのを待つ。トーコも慣れているのでなるべく楽な姿勢で同じ木にもたれた。時折探査魔法で魔物の位置を確認しながらじっと忍ぶ。一分、二分、五分、十分。
「なんだ、何も来ないじゃないか」
若い三人組のひとりが小さく舌打ちした。トーコがぎょっとした。幸い風にまぎれて魔物は気がつかなかったようだ。ベアはふたたび目を閉じ、周囲の気配をさぐる。トーコもやっているだろうが念のため消臭魔法を重ねる。このままなら魔物は十メートルほど離れたところを通り過ぎてくれそうだ。ところがその時、こらえ性のない三人組のひとりがささやいてよこした。
「どの辺にいるんだ? 近くにいるのか?」
ささやくといっても、彼らが隠れている場所とベアとトーコが張り付いている木には三メートルの距離がある。
「しっ!」
鋭く制したのはふたりの仲間だったが、そちらのほうが音が通ってしまった。まだ行き過ぎていなかった魔物がぴたりと足を止め、こちらを見る。正確には音を聞き分けようとしたのだろうが、その場から動かない。消臭魔法の範囲から外れた臭いを嗅ぎ取ったか。
ベアはローブを握り締めるトーコの手をたたいて、上を示した。頷いたトーコはそっと幹に沿って五メートルほど上へ移動した。下を覗き込むので頷いて、今度は三人組を示す。トーコはこちらを見ている彼らに向って唇の前に人差し指を立て、上を指した。そのままそっと彼らを上に移動させる。トーコのデモンストレーションを見ているのでさすがに声を上げるようなことはなかったが、例のひとりが体を支えるものを求めて反射的に目の前を通り過ぎようとする枝を掴んだ。トーコはあわてて上昇を止めたが、枝がしなって音を立てた。
顔だけこちらに向けていた魔物が完全に向き直る。トーコが凍りついた。ベアはかまわず彼らをあげるように手で指示し、次いで夫婦も上げさせる。魔物がしきりにこちらを伺っている。ベアは移動魔法で遠くのしげみを微かに揺らす。魔物がピクリと耳を動かした。ひそやかに繁みを鳴らし、少しずつ遠くへと魔物を誘導する。時間は掛かったが安全圏に達したのでトーコに合図して全員を下ろさせる。一行はしのびやかにその場を離れようとし……。
「ああ、驚いた! 心臓がひっくりかえるかと思った!」
発言者以外の心臓がひっくりかえりそうになった。臭いのしない、音だけの獲物に用心深くなっていた魔物はまっすぐにこちらを見据え、近寄ってきた。あわてた誰かが一歩を踏み出し、その枯葉を踏む音だけで充分だった。ベアはもはや声を抑えなかった。
「全員を上へ上げろ」
トーコがすかさずベア以外の同行者を元の位置に戻した。突進してきたイヌ科の大型獣が鼻面をベアの障壁魔法にしたたかに打ちつけ、きゃんと鳴いた。赤みがかった灰色の体に、巨大な耳。オオミミヤマイヌだ。地上で一転した魔物はめげずに突進し、ベアの障壁に阻まれる。攻撃は防げるが、攻撃をやめさせるだけの魔法がベアにはない。
にらみ合っていると、オオミミヤマイヌの横面を水のうねりが襲った。ヘビのように激しく暴れる水塊はオオミミヤマイヌをベアから遠ざけ、木にたたきつけた。
「ベアさん!」
障壁を張ろうとしていたベアは冷や汗をぬぐった。危うくトーコの魔法とぶつかるところだった。トーコを上に上げてベアが残ったのは自分が対応するという意思表示だったのだが、通じていなかった。こういうとき、中途半端に手を出されるのが一番危険なのだ。やめさせるには説明がいる。やむなく指示を出した。
「やつの動きを止めろ」
「ど、どうやって!?」
「凍らせろ」
「あ」
とトーコが呟くのと同時に水塊に包まれた魔物はそのままの姿で凍りついた。巨大な氷塊ががっちりと地に張り付き、その中央にオオミミヤマイヌが飛び掛る姿勢のまま閉じ込められている。
「ベアさん大丈夫? 怪我はない? そっち行ってもいい?」
余人がいるので説教はあとだ。
「大丈夫だ。他に魔物がいないなら全員下ろしていい」
「近くにはいない」
降りてきたトーコは心配そうな顔で報告した。
「今のなに?」
「オオミミヤマイヌ。嗅覚に優れ、基本的に単独行動で、木々の多い森や山での長距離の狩りが得意。追われるとやっかいな相手だ。もっと北のほうに棲んでいるとばかり思っていたが、こんなところまででてくるんだな。さて、行くか。これなら暫く追って来れないだろう」
ベアは道を知っている夫婦に目を向け、彼らの後に続いて歩き出した。
「オオミミヤマイヌはどうするんだ?」
三人組のリーダーが訊ねた。
「置いていくのか?」
「あれで死んだかまでは判らん。氷が溶ける前に離れるんだな。オオミミヤマイヌは三日前の臭いさえも追跡すると言うくらい鼻が効く。これで鼻風邪でもひいてくれたら御の字だ」
ツムギグモの棲息地に行く道はだいたい決まっているらしく、小川脇の昼の休憩地には石組みのかまどがいくつかあった。夫婦と三人組がそれぞれに火を熾すのを見てトーコは戸惑った。火を一緒に使わないのだろうか? 拾った薪をどこへ置けばいいのか判らずうろうろしていると、ベアが別の場所にかまどをつくりはじめた。トーコが火にてこずっている間に夫婦はさっさと食事を終え、三人組も食べ始めた。このままじゃ置いていかれちゃう。あせるとますます火は言うことを聞いてくれない。結局ベアが火の面倒を見てくれて、その間にトーコは弁当を出した。湯が沸くのを待ちながら、包みを解いたベアは出てきた物体をまじまじと見つめた。
「み、見た目はちょっとあれだけど、中身はちゃんとバベッテ姉さんが作ってくれたやつだから!」
そんなに言い訳がましくされると余計に食べるのが不安になってくる。どうやったらパンの厚みがこうも変化に富むのか不思議だ。一口かじる。味はバベッテらしい過不足ない美味しさだ。しかし、あごが痛くなるほど大口開けなくてはいけなかったり、逆にパンがすかすかだったりするとこうも違う食べ物になるか。ベアはパンを均一に切ることの大切さとバベッテの偉大さを思い知った。
あちこちからぶかっこうにはみ出す野菜やハムをリスのように忙しく齧りながら、トーコがさらに必死に言いつのる。
「晩御飯は美味しいのがあるから! こっちは絶対だから! 全部バベッテ姉さんが作ってくれたから! わたしは手を出してないから!」
「なるほど」
トーコが手を出していないのは美味しいご飯の大前提らしい。バベッテのサンドイッチの中身をだい無しにする才能を目の当たりにしたベアに否定する材料はない。魔法の修行もいいが、花嫁修業もしないと嫁の貰い手がなくなるんじゃないかとベアは他人事ながら心配になった。
口の中でやたら反抗的なサンドイッチをお茶で流し込み、片付けると、待っていたように同行者たちは休憩を切り上げて歩き出した。食後にゆっくりする間もない。
午後は魔物と行き会うこともなく、夕方というには早い時刻に共同野営地についた。トーコにとってはふたつめの共同野営地だが、こちらはずっと人の住処らしかった。床は地面がむきだしではあるが、数本の棒を渡した大きな棚があり、その下の床には溝が彫られて排水溝に続いている。壁に衣服をかけておける釘、煙突つきのかまどまであった。
共同野営地に入ったのは夫婦とベアたちだけだった。三人組は日のあるうちにもっと奥まで行くと言っていた。
「凄い! 立派な野営地だね」
「ここへ来るのはたいていツムギグモの巣を採りに来る人ばかりだからね。誰かが手を入れて自然にできたのよ。だから違う目的で来た人には使いにくいかもね」
夫婦の妻が教えてくれた。三人組がいなくなると普通に話すので、トーコはほっとした。ずっとあのいたたまれない空気が続くのかと思っていたのでなおさらだ。ベアはたいして気にした風もないが、トーコは辛い。
「そうなの? どのへんがツムギグモの巣採り専用なの?」
「色々あるけれど、一番わかりやすいのは棚とかまどかしら。糸が乾くと困るから反対側の壁にあるでしょ?」
「あの棚に糸を置くの?」
「籠ごとね。時々上から水をかけて常に塗らしておかないといけないから」
「もしかして、籠ごと水をかけるの? 落ちた水は自動的に排水される仕組み?」
「そうよ」
「よく考えてあるんだね。糸を水で塗らすのって大事?」
「大事よ。乾いたら粘ってくっつきあっちゃうから、巣の状態を維持しないと加工所で買い叩かれるもの」
トーコは早速メモを取り出して書き込んだ。いつもの調子が戻ってきたようだが、ベアは水をさした。
「かまど、使うなら先に使ってくれ」
「一緒でもいいわよ」
「はいっ!」
すかさずトーコが元気に手をあげた。
「角ウサギのシチューがあるの。四人なら充分な量だよ。朝から保温しているから今頃とろとろになっているはず!」
そういってベルトポーチから晩御飯を取り出した。
「……毛布に見えるが」
それも不恰好にぐるぐる巻きになっている古毛布だ。トーコは移動魔法で空に持ち上げた毛布の塊を解き始めた。すると二重になった毛布から重たげな鍋が出てきた。鍋ごと持ち込むとは。ベアにはない発想だ。
「よくこぼれないな」
「障壁魔法でしっかりコーティングしているから大丈夫」
障壁魔法ってそういうものだったか? ベアは何度目かになる疑問を胸の内で呟いた。毛布を抱えたまま鍋を移動魔法でかまどに下ろす。蓋をとるともうもうと湯気があがった。
「意外に温度下がってない」
嬉しそうに鍋を覗き込み、トーコは小首をかしげた。
「あれ?」
「どうした」
「なんか変」
トーコの視線の先で丸ごとの玉ねぎが浮き上がる。
「玉ねぎが原型をとどめている……なんで残ってるの? どうして、とろとろになってないの!?」
悲鳴をあげるトーコの後ろから大人三人も覗き込んだ。トーコはショックのあまり、その場に両手をついてしまった。
「朝からこれだけを楽しみに歩いてきたのに! なんで!」
「一応、火は通っているようだな」
「美味そうな臭いだし、別に食べられるんならいいんじゃないか?」
「どうやって作ったの? 何が入ってるの?」
「角ウサギと玉ねぎとニンジンとイモ。あとなんか香草を入れていたけれど。野菜は炒めてから、お肉も焼き目をつけてからバターと小麦粉を炒めてトマトとかワインとかのスープで煮てた」
「だったら、肉に火が通っていれば食べられはすると思うけれど」
トーコは一番大きそうなお肉をひとつ取り出して小さな風の刃で半分にした。器に入れて妻に渡す。
「どうかな」
「いい色じゃない。おいしそうよ。火を入れてさっきみたいに毛布で包んでおけば朝にはもうちょっと煮えると思うけれど」
ピンク色の断面を見た主婦の裁定が下ったので、とりあえず食事にしよう、ということになる。
「ベアさん、どうしよう。問題発生」
「どうした」
「お肉と野菜が大きすぎて、器にどれか一個しか入らない」
ごろっとした大きなお肉と野菜を食べる幸せばかり考えていたけれど、持ち歩く器は邪魔にならないコンパクトサイズなのをすっかり忘れていた。これだと、器を空にするまで肉だけ、イモだけしか食べられないことになる。
「さっきのお肉みたいに半分に切ればいいんじゃない?」
「それならふたつ、うまくすれば三つ入るかな。あ」
「どうした」
「ベアさん、どうしよう。もうひとつ問題発生」
「今度は何だ」
「お玉忘れた」
「……」
結局、障壁魔法で簡易お玉を作ってよそった。器も障壁魔法で作ればいいんじゃないかと思ったけれど、これは何故か全員から拒否された。
「トーコちゃん、次、ニンジンとお肉ちょうだい」
「はーい。他にお肉いる人~?」
「ニンジンなら貰うが」
「ダメ、もう半分のニンジンはわたしが食べるの! お肉いる人~?」
「肉を貰うから玉ねぎも」
「ええっ! 玉ねぎは明日の朝まで待ったほうが絶対いいと思う」
「とろけかけた玉ねぎほど中途半端で嫌なものはない。形があるならあるでしっかりと、ないならないでさっぱりとないのがいい」
「美味しいのに! 奥さんからも言ってあげて!」
「いいの、トーコちゃん、この人のことは放っておいて。わたしは結婚して一年でさじを投げたから」
「何があったの? 聞きたい!」
女ふたりがコイバナで盛り上がる横で、男ふたりは交代で焦げないように鍋をかきまぜた。
「見えなくてもあるのが不思議というか……便利な魔法だな」
「何故こんなに肉ばっかりなんだ? バランス悪いだろう」
「それはしょうがないの。そもそもお肉いっぱい貰っちゃって、消費するために作ったんだから」
「貰った?」
「うん、ギルドにたくさん角ウサギを持ち込もうとしていた人が、運ぶの手伝ったらくれた」
もしかして例の百羽持ち込んだひとの話か。
「鍋を持ってきちゃって、バベッテは良かったのか?」
「うん、シチューはもう作ったから。三日間はこの鍋を使わないメニューにするって言っていたから大丈夫。これがうまくいったら、お鍋欲しいと思っていたんだけど、これじゃ保留かな。やっぱり先にモリガエルの靴かなあ」
「持ってないの? どうして?」
妻のほうが不思議そうに尋ねた。
「角ウサギの靴とかローブとか、魔の領域に入るのに必要なものを色々買ったばかりでちょっとお金がない。でも森林湿地帯とかゲルニーク塩沼でやっぱりあったほうがいいかなって」
「その靴でよく行けたわね」
「しょうがないから水のあるところではずっと浮いてた。あとはさっきの障壁魔法で着陸できる場所を作ってた」
「魔法使いならではね。でもここでも朝もやの中を歩いたらすぐびしょ濡れになるから、今後もツムギグモの巣を採り続けるなら、やっぱりあったほうがいいと思うけれど」
「また来るかは判らないけれど。とりあえず、巣糸を持っていったらわたし用のロープを作ってくれるって」
「それが目的? どこの工房で作ってもらうの? ああ、あそこなら細くていいロープを作ってくれるわね。縒りの加工技術なら頭ひとつ抜けているから、いい取引じゃない。繊細な工芸用の糸を取るような技術はイマイチだけど。運よく卵のうを手に入れたら、わたしの知っている工房へ持っていくといいわよ」
「ロープを手に入れたら、人の領域での高所作業も出来るようになるでしょ。ベアさんが魔の領域に入っている間でも、請けられる依頼が欲しいなって。お金ためて最初は必要なものを買っていかないと」
先日の失敗に懲りて、方位磁石だけは真っ先に手に入れたトーコである。
「それだけ魔法が使えるなら狩りをすれば早いんじゃない? さっきのオオミミヤマイヌだって毛皮だけでも持ち帰れば、鍋でも靴でも買えるでしょうに」
「えっ!」
「いやだ、知らなかったなんて言わないでしょ」
「初耳!」
トーコは慌ててベアを振り返った。
「言わなかったか?」
「聞いてない~」
「倒せなければ同じことだ。あれを倒せるか?」
「無理」
「じゃあ、飯食って寝ろ」
「……そうします」




