万魔殿での初ごはん
いったいどうやって料理を頼むのかわからず、ハートレスが木製のテーブルを見つめていると、ザックが「おーい」と厨房の方へ声をかけた。
すると恰幅の良い“食堂のおばちゃん”スタイルのNPCが、「はいよー」と答えて奥から出てくる。
「料理と飲み物を四人分頼む」
「飲み物は酒かい?」
「昼間っから飲んでみてぇ気もするが、とりあえず茶みたいなのくれや」
「はいはい。ちょっと待っとくれー」
おばちゃんは笑顔で答えて厨房の奥へ戻っていき、ハートレスは(そうか、呼んで頼めばいいんだ)と、目から鱗が落ちたような気分でその背を見送った。
店というのはメニュー画面をタッチして商品を選び、電子口座から適切な金額が支払われるのを確認して注文した物を受け取るところだ、と思っていたので、店員を呼ぶという発想がなかった。
現実では普通、店員がいない場合はロボットかホログラフィーが店番をしているので、店の中に誰もいないから店員を呼ばなければならない、という事態に遭遇することがまず無いのだが。
思いがけないところで驚いているハートレスをよそに、普通でない店にも出入りしたことのあるザックとシウは落ちついたもので、ようやくモンスターの出ないタウンに辿り着けたことに力を抜いてくつろぎながら、それぞれのメニュー画面を呼び出して操作している。
メニュー画面は開いた本人でなければ表示されている文字が見えないので、空中にウィンドウが開かれているのはわかるが、何をしているのか他のプレイヤーにはわからない。
そしてエディは、また別のところに驚いていた。
「うわー。レビューにあった通り、すげーリアルなNPCっすね。他のVRゲームよりはるかにホンモノの人間っぽい」
「万魔殿の売りはリアルさだからな。まさか死ぬところまでリアルにするとは思わんかったが」
「しかしこの“デスゲーム”、変なところで甘いですよ。テストプレイと同じで、パーティを組むと味方の攻撃ではダメージを受けなくなりますし、装備品は盗賊の〈盗む〉スキルでも奪えないし、脱がすこともできない」
「確かに、妙にプレイヤーが守られてる感じはするが。ガイドブックのPKの説明見てみろ。コイツは後に行くに従って厄介になりそうだぞ」
顔をしかめて言うザックに、ハートレスも自分のメニュー画面を呼び出してガイドブックを開いた。
『対人戦闘によるプレイヤーおよびNPC殺害の影響について』
プレイヤー対プレイヤーの戦闘は、同じパーティに所属していなければ全フィールドで可能。体力をゼロにして殺害すると相手プレイヤーの所持アイテムおよび装備品の中から10種類を選んで取得、その他、所持全額と相手がこれまでに取得した経験値の半分を入手することができる。
しかし名前の横にPKであることを示す「赤ドクロ」のマークが付き、シティやタウンのサポートセンターが管理するブラックリストに登録される。
赤ドクロの付いたPKのみを殺害した場合、PKKとして「青ドクロ」のマークが付き、ブラックリストに登録される。
殺害した相手プレイヤーの所持アイテムおよび装備品の中から10種類を選んで取得、その他、所持全額と相手がこれまでに取得した経験値の半分を入手することができるのはPKと同様。
NPCを殺害した場合、民間人殺害犯として「白ドクロ」のマークが付き、ブラックリストに登録される。
民間人殺害によって取得できるアイテムや経験値は無し。
ブラックリストに登録されると、シティやタウンの施設内で店員などのNPCに発見された場合、即座に通報され、守護騎士団員の武装NPCに追われる。この武装NPCに捕まった場合、プレイヤーは守護騎士団詰所の地下牢に入れられ、一定期間拘束されるか保釈金を支払わなければ出ることができない(拘束期間の長さと保釈金の金額は、相手がプレイヤーかNPCであったかを問わず、殺害した人数に従って増える)。
地下牢は破壊できず、ブラックリストはプレイヤーには未公開で記録の改ざんはできない。
拘束からの解放後、および保釈後は2時間のみ通報されなくなるが、施設の利用については断られる。
その説明を読んだハートレスの感想は(面倒くさそう)だった。
相手プレイヤーの持ち物や経験値の半分が手に入れられても、武装NPCに追われて牢に入れられたり、シティやタウンの施設が利用できなくなるのではあまりにも不便だろう、と思う。
しかしシウはザックの言葉に同意して頷いた。
「確かに、先に進むほど危なくなりそうですね。シティやタウンで休めなくなってもモンスターのポップしない大階段で休めるし、それ以外にもNPCのいないセーフハウスというのがあるようですから、それを見つければ自由に休めそうです。しかも所持金全額と、相手がこれまでに取得した経験値の半分も手に入るというのがまた、悪どい」
「MMOはたいてい後半のレベル上げがキツイからなぁ。そんなルールじゃ、へたなモンスター狩るよりプレイヤー狩った方が早くレベルが上がりそうだ。仲良く遊べと言われてるのか、殺し合えと言われてるのか、よくわからんな」
「ヤだなー。オレ、プレイヤー同士での殺し合いとかはあんまり好きじゃないっす。せっかく倒していいモンスターがいくらでも出てくるんだから、そっちヤればいいのに」
「お前は見かけ通り甘いヤツだな。R18のMMOは、人間同士で殺し合うのが一番面白いって連中が多いもんだぞ」
エディは「うえー」と嫌そうな顔をした。
ちょうどそこへ料理と飲み物が運ばれてきたので、すぐに気分を切り替えて「メシだー!」と喜んだが。
料理が揃ったところで代金を聞き、4人はそれぞれの目の前に表示された支払い画面で自分の分の会計を済ませる。
「たくさん食べてっておくれよ!」
会計が済むとおばちゃんNPCはにこやかに言ってまた厨房へ戻り、全感覚を接続されて初めての食事に、4人のプレイヤーはさっそく手を伸ばした。
テーブルに並べられた料理はステーキと野菜スープ、丸パンとお茶というシンプルなものだ。
しかし彼らにとっては珍しく、また再現度の高いそれはとても美味しかった。
熱々に焼けた分厚いステーキは、噛むと唇の端からこぼれ落ちるほどたっぷりと肉汁がしたたり、口の中いっぱいに広がる甘みのある木の実のソースがかかった脂っこい味が、噛めば噛むほど深みを増す。
パンはひどくパサパサしていたのでスープにひたしたら、よく煮込まれた野菜の味がとけこんだスープを含んで舌に絡みつき、飲んだ時よりもより多くの旨味を教えてくれた。
「ウマイっす! ナニこれ神ウマ!」
「本当においしいですね。環境保護団体が見たら卒倒しそうな料理ですが」
エディは大はしゃぎしながら食べ、シウも感心したように頷いた。
ザックとハートレスは自分の前に置かれた料理を夢中で食べ、皿からステーキが無くなるとザックが「肉おかわり!」と叫んだので、ハートレスも真似して「にくおかわり!」と叫んだ。
現実では本物の動物の肉は高級品でめったに食べられず、環境保護団体の力が強い地域ではそもそも肉の売り買いができないので、代わりに“合成肉”という本物の肉が含まれていないものが広く流通している。
しかし合成肉は素材によって多少の違いはあるものの、本物の肉よりは確実に味が落ちるので、あくまでどうしても食べたい時の代用品にすぎず、あまり好まれてはいない。
それがここでは恰幅の良いおばちゃんが「いい食べっぷりだねぇ!」と喜んで次の皿を持ってきてくれるので、ザックとハートレスとエディは一気にステーキだけ3皿平らげた。
そして、それだけ食べても満腹にならないことにふと気がつくと、ハートレスは4皿目のステーキを食べながら首を傾げる。
「なんでこんなにたくさん食べられるのかな?」
ハートレスはあまり食事に関心が無い「生きるために食べる」タイプで、これまで食事は栄養さえ補給できれば何でもいい、と思っていた。
今日も現実では夜用簡易食の中で一番マズいと評判で、同時に一番安くお腹がふくれる小麦味を選んで買い、とくに何とも思わず食べてきた。
元からそうした生活をしているので小食な性質になり、現実ではおそらくステーキなど体が受け付けないだろう状態だ。
しかし今食べている肉はどれだけ食べても足りないくらい美味しく、精神的には満たされたがお腹は空腹でも満腹でもない。
「本当に、あなたは説明書をまったく読まないタイプですね」
最初に並べられた分を食べた後、おかわりはせずお茶を飲みながらガイドブックに目を通していたシウが、ため息をついてその理由を教えてくれた。
ハートレスはおかわりと叫ぶのを止め、ステーキがなくなるとパンをスープにひたして食べながら聞く。
「ガイドブックによると、基本的にこの世界での飲食は必要なし。この食事のように、食品アイテムを食べることで体力や魔力を回復させることができるようですが、空腹も排泄もないそうです」
「お金さえあればいくらでも食べられるの?」
「そういうことになりますが、こんなところで無駄遣いをすると後で困りますよ」
それは確かに、と頷いたハートレスに、シウはついでに“疲労度”についても説明した。
「空腹にならないかわりに、“疲労度”というものがあるようです。連続行動によって隠しパラメータ“疲労度”が蓄積され、これの数値が70以上になると疲れと眠気を感じるようになり、85を越えるとめまいや吐き気や頭痛に襲われ、最高値である100に達すると気絶。モンスターに囲まれた状態で気絶したら終わりですね」
「疲労度はどうすれば消えるの?」
「睡眠をとることで数値を減らすことが可能で、3分の睡眠で1減るので限界まで動いて気絶したとしても300分の睡眠で全快する、と書いてあります」
「気絶した場合は、強制的に5時間睡眠?」
「そこまでは書いてありませんが、ある程度眠って疲労度の数値が下がらないと起きられないようになっていそうです」
話を聞きながらスープを飲みほし、ハートレスはお茶のカップを手に取った。
片手が空いたので自分もガイドブックを開き、目についたものを読みあげる。
「1日は24時間。日の出は7時で日の入りは19時。夜はモンスターが活性化し、ステータスがアップする。ただしフロアによっては太陽も月も見えない。現実の時間を知る方法は無い」
「イロイロ無いっすね。でもこんだけウマい肉が食えるならこのまま永住してもイイ気が」
「期限内に攻略しないと全員死ぬんじゃなかった?」
「あ。そうだった」
あははー、とエディは軽く笑う。
ハートレスはその声を聞きながらシステム・メールを開き、プレイヤー死亡確認の映像を見てみた。
メール一件につき、二つの映像がセットで入れられている。
最初の映像は『パンデモニウム』内、草原フィールドでモンスターに襲われた男性が悲鳴をあげながら倒れ、動かなくなるところ。
その体はモンスターの死体と同じように、ぐずぐずと影にとけるように消えた。
次の映像は、がらんとした殺風景な部屋のベッドに、ハートレスが使っているのと同じヘルメット型のリンク・ギアを装着した小柄な男が横たわっているところ。
先ほどゲーム内で死亡した男と同じ体つきをした彼は、リンク・ギアがパチパチッと小さな閃光を放つといきなり激しいけいれんを起こし、しばらく全身をがくがく揺らした後、だらんと手足を転がして動かなくなった。
他の9通のメールに添付されていた映像も似たようなもので、最初はゲーム内、次が現実の死亡時の映像と思われる。
ゲーム内での死亡原因はモンスターに殺されたりプレイヤーに殺されたりと場所も状況もバラバラで、次の映像でも体格や性別、年齢や部屋の様子から生活レベルもそれぞれ違うようだが、ベッドで寝ていて、リンク・ギアが閃光を放つと激しいけいれんを起こし、しばらくして動かなくなる、という結末は皆同じ。
「メールの映像だけだと、本当にこれがデスゲームなのか、イマイチわかんねぇな。今はここみてぇに何でもリアルに作れちまうし、昔のデスゲーム物の映画でこんなようなモン見たし。そもそもなんでプレイヤーの部屋の映像が撮れてんだ? ホーム・システムに侵入したのか?」
ハートレスと同じように映像を見ていたらしいザックが、不信感たっぷりの声で言う。
確かにデスゲーム物でもホラー系の映画でも、よくあるたぐいの映像だと思って聞いていると、シウが答えた。
「ホーム・システムに侵入するのはとても難しいですが、セキュリティ・レベルによっては不可能ではないらしいです。今はどこの家のシステムも、住人の身に何か起きた時に備えて行動を記録していますし、侵入できればこうした映像は手に入れられるかもしれません。基本的にシステムの管理会社が法務局からの上位命令を受けて提出した場合でないと、表には出てこず消去されていく物なんですが」
「あー、あれなぁ。たまーに裁判の証拠品で出てくるヤツ。住人が見たいって言うだけじゃダメらしいな。自分に見せなくてもいいから、ちょっとドロボウ入ってないか確認してくれよ、って頼んで断られたとかいうヤツがいた」
「それは頼む方がおかしいです。映像を見る以外の方法で確認できることでしょう。そもそも社員であっても記録映像はそう簡単に見られていいものではありませんし、記録へのアクセスは厳重に管理されています。もし社員が不正アクセスしたなんてことが表沙汰になったら、どうしてそんなことが可能なんだとセキュリティの低さを糾弾されて、その会社と関連企業が潰れるくらいの騒動になりますよ」
詳しいなお前、と感心するザックに、これくらい一般常識でしょう、と呆れるシウ。
その分野についてある程度詳しくなければ知らなくても当然のことで、一般常識とまでは言えない種類の話なのだが、シウはため息をついて「とにかく」と話を戻した。
「もし本当にこのゲームによる死亡者が出ているなら、それを感知したホーム・システムが警報を鳴らして医務局に通報するはずですから、誰かが『パンデモニウム』で異常事態が起きていると気づいて救出活動に入るかもしれません。同時にゲーム主催者にプレイヤー個人の私室の映像を引き出せるような能力があるなら、ホーム・システムの通報ラインを切断することも可能だと考えるべきでしょうが。
ともかく今のわたし達には、外部の動きを知る手段がない。よってこの映像が本物でも偽物でも、さして違いはありません。今の私達には“ログアウトできない”ということがすべてです。
選択肢は二つ。戦って勝ち残るか、殺されて死ぬか。
でもまあ、とりあえず私は1,000日ここにいていいなら、いられるだけきっちり滞在していきたいですね。予定外に長期間の休みが貰えたようなものですから」
そうだな、とザックが頷いた。
「これが本当のデスゲームかどうかなんざ、死んでみなけりゃわかんねぇ。どっちでも好きな方を信じて、やりたいことをやりゃあいいか。俺も、明日仕事行かなくていい、ってのデカい。合法的に、自分の非でなく仕事が休めるなんてめったに無いからなぁ。なんつーか、学生に戻って夏休みもらった気分?」
「なつやすみ? ……やすみ。……なつかしい言葉です」
「お前どんだけ現実忙しいんだ」
「思い出させないでください。今日も苦労に苦労を重ねた末に、ようやく開始サービス直後から2時間だけログインする権利を勝ち取ってきたんですから。ああ、デスゲーム化したのが2時間後じゃなくて良かった……」
しみじみとつぶやくシウに「お前なぁ」と苦笑するザックを、エディは「ほへー」と不思議そうに眺めて言う。
「オレも働くようになったらそう思うのかなー。つい最近まで夏休みで遊びまくってたから、あんまりそういう感覚無いっす」
「ではこれからこき使ってあげましょう」
いかにもお気楽な学生らしいエディの発言を聞いて、笑みを浮かべたままさらりとシウが言った。
思いがけない言葉を返されて、盗賊青年の緑の目が「へ?」と丸くなる。
「いやっ、そんなつもりで言ったワケじゃ」
「パーティに入る時、わたしの指示にも従うと約束してもらっていますし。攻略していくついでに消耗品の歯車のごとく働かされてもねぎらいの言葉ひとつもらえず、できて当然、できなければ罵声を浴びせられるという社会人の生活の厳しさを教えてあげます」
「……うう。シウさん、コワイっす」
「ついでにそのふざけた言葉づかいも直してあげましょうか。いずれそういう世界へ出ていくことになるんですから、予習だと思ってありがたく学んでくださいね」
目が笑っていない笑顔で言われ、エディは涙目で「うひー」と身を縮める。
ハートレスとザックは、シウのストレス発散用の生け贄の羊をちょうどよく拾えたようで良かったと、のんびりお茶をすすりながら彼らの会話を眺めていた。