連合軍総司令官
《 リーダー「ハートレス」のパーティが地下50階、戦場階『ヴァルハラ』へ到達しました。これより大戦専用機能、連合軍が解放されます。 》
穏やかな女性の声が語るのを聞きながら、ファントムの仮面の奥で瞳を輝かせるハートレスは、広大なフィールドを埋め尽くすモンスターの海を見つめる。
あまりの大軍に呆然とするパーティメンバーの中でただ一人、喜びのあまり叫びだしたいくらいわくわくしている彼女は、そうして見つめているうちに、自分達とモンスターとの間に一本の赤い線が引かれていることに気が付いた。
赤い線の向こう側に、モンスターの大軍。
赤い線のこちら側に、一本の止まり木とそれに乗った一羽の雄鶏。
《 戦場階では、GMが指揮するモンスター軍とプレイヤー連合軍との大戦となります。なお、この大戦を開始することができるのはプレイヤー連合軍の総司令官が所有するアイテム[金冠の雄鶏]のみであり、[グリンカムビ]所有者は連合軍総司令官としてガイドブックにプレイヤー名が記載されます。 》
視覚の暴力に等しいモンスター軍を声もなく見つめるシウ達を置いて、ハートレスがふらりと動いた。
誰に止められる間もなく歩いて行った彼女は、赤い線のこちら側に立つ止まり木の上の、金冠の雄鶏の首へするりと細い指をかける。
瞬間、雄鶏は金色の光となって散り、その光がハートレスの手首に集まって腕輪となった。
雄鶏の飾りが付いた、金鎖のブレスレットだ。
その直後、ピコン、とシステムからのメッセージ着信を知らせる音がして、プレイヤー達の前にそれが表示された。
「新着情報:ガイドブック更新、連合軍総司令官『ハートレス』」
雄鶏が乗っていた止まり木が消えるその前で、大戦を始めることができる唯一の人物となったハートレスは、華奢な手首にしゃらんとまとわりつく金鎖のブレスレットをしげしげと眺め。
それを見た彼女の仲間達は顔面蒼白になって、いっせいに走り出した。
「ぎゃー! それだけはダメっすー!」
「やめなさい、レス!」
「今すぐ大戦開始とか自殺行為ですからぁぁぁっ!!」
「待てっ! 早まるなっ!!」
必死の形相で口々に叫びながら、ハートレスにタックルする。
これがいつもの彼女ならさっさと避けていただろうが、ブレスレットに気を取られていたせいで反応が遅れ、まともにその四連撃を喰らって押し倒された。
ハートレスを一番下にして、素早さの高いエディ、飛び出しの早かったシウ、続いてリドとザックが前世紀のマンガのように積み重なる。
「……!」
そんな彼らをあざ笑うかのように、常と変らぬ淡々とした口調のアナウンスが続けた。
《 ただし、大戦の開始は連合軍のプレイヤーが100名以上の時に限られます。皆さまお誘いあわせの上、より多くのご参加をつのって大勢でお楽しみください。
新機能の解放にともないガイドブックが更新されました。 》
またピコンと緊張感のない音がして、「新着情報:新機能1種解放。ガイドブックが更新されました」というメッセージが出た。
《 以上、新機能の解放と戦場階についてのご案内を終了いたします。
それでは皆さま、引き続き冒険の旅をお楽しみください。 》
そうしてアナウンスが終わり、沈黙の降りたフィールド。
境界線の向こうで待機して動かないモンスター軍の前で、五人積みとなっているハートレス達にも何とも言えない空気が降り。
「……なあ。お前ら、何してんの?」
ようやく追いついたフェイが、物言いたげな彼のパーティメンバー達を代表して、珍しく困惑した顔で声をかけた。
◆×◆×◆×◆
数分後。
地下50階、戦場階『ヴァルハラ』境界線前。
「さあどうぞ! いっぱい食べてくださいね、レス! まだまだエディがたくさん作ってくれてますから!」
エディが野外調理器具を使ってせっせと焼いた肉を、青ざめた顔のままのリドがハートレスの元に運ぶ。
彼らが四人がかりで下敷きにしてしまったばかりでおそろしく不機嫌な腹ぺこ女王は、無言で皿を受け取ってがぶりとステーキの肉を頬張った。
「あのアナウンスが、全部、あのアナウンスが悪いんですよ……!」
他の三人と一緒にハートレスに突撃してしまったシウも、今ばかりは肩身が狭く、彼女が黙々と肉料理を平らげている場所からすこし離れたところでザックとフェイに愚痴る。
シウと同じように肝を冷やしたばかりのザックもさすがに顔色が悪く、ただひとり他人事の気楽さで「へぇ」と軽い相づちをうったフェイが、しばらく愚痴を聞いたところで話題を変えた。
「まあ、100人いねぇと使えんアイテムなら、ウチの女王が持ってても問題ねぇだろ。それよりガイドブック見たか?」
もちろん、シウもザックもそんな余裕は無かった。
疲れた様子で「何ですか」と返されるのに、シウの愚痴を聞き流しながらガイドブックを見ていたフェイが答える。
「大戦の流れだ。意外と細かく書かれてんだよ、これが。親切すぎて、なんか裏があるんじゃねぇかと思うくらいな」
言われてシウとザックは自分のメニューからガイドブックを呼び出し、戦場階で行われるモンスター軍対プレイヤー連合軍の大戦についてのページを見た。
ガイドブック『戦場階『ヴァルハラ』での大戦について』。
プレイヤー連合軍の総司令官が所有するアイテム[金冠の雄鶏]の“刻告げる声”によって、ヴァルハラの大戦は開始される。
第1段階、キマイラ20頭、ガーゴイル15体、グリフォン10頭が地下2階から地下29階までの間に出現するフィールド・モンスターとともに攻撃を開始。
キマイラ20頭、ガーゴイル15体、グリフォン10頭が撃破されると第2段階へ進行。
第2段階、ヘカトンケイル6体が地下31階から地下39階までのフィールド・モンスターとともに攻撃を開始。
ヘカトンケイル6体が撃破されると最終段階へ進行。
最終段階、ユニコーン3頭が地下41階から地下49階までのフィールド・モンスターとともに攻撃を開始。
最終段階のボスであるユニコーン3頭がすべて撃破された時点でプレイヤー側の勝利となり、すべてのモンスターが消滅する。
「……確かに。本当にこのまま進行するとしたら、ずいぶんと親切というか。親切すぎて不気味ですね」
「だろ? おまけに注意事項まで細けぇんだぜ」
なお、以下の4項目に注意。
1、戦場階に入ったプレイヤーは自動的に連合軍に参入した状態となり、プレイヤー名、クラス、レベル、所属ギルドが総司令官と副司令官2名に通知される。
2、開戦前から呪文の詠唱や〈演奏〉を始めていた場合、開戦と同時に強制キャンセルされる。
3、攻撃を開始していないモンスターに対する干渉はすべて無効化される。
4、戦場階では戦闘終了まで、すべての[転移石]およびギルドハウスへの帰還コマンドが使用不可となる。
「何なんでしょうかね、これは。一度始めてしまうと勝つか全滅かのニ択しかないプレイヤーへの、せめてもの心遣い……?」
胃の痛い思いをしたばかりのシウが力なくつぶやくのに、フェイが「ふん」と鼻先で笑い飛ばした。
「万魔殿のGMに、そんなモンあるわけねぇだろ。今ごろ地下100階で、死ぬ覚悟があるヤツだけ遊びに来い、って笑ってんじゃねぇか」
そして「絶対ぶち殺してやる」と獰猛につぶやく彼の横顔がひどく楽しげに歪むのを、シウもザックも見て見ぬふりをする。
ハートレスの存在感が強烈なせいでうっかり忘れそうになるが、彼らが所属するギルド『紅の旅団』は戦闘狂の集まりだ。
モンスターの大軍を前にして呆然と立ちつくすシウ達の方が少数派で、大半の連中がハートレスやフェイのように獲物を前にした肉食獣めいた顔で楽しげに笑うだろう。
異常なことだが都合が良い、とシウは考えた。
顔を上げれば視界を埋め尽くす、あのモンスターの大軍に勝ち、地下100階で待つこのデスゲームの元凶の元へとハートレスを連れて行くには、戦闘狂集団の力が必要だ。
それに、もっと大勢のプレイヤーの協力が。
「レス。牙のギルドマスターと連絡を取ってください」
ハートレスの機嫌が落ち着いた頃合いを見計らって、シウが声をかけた。
肉料理をたらふく食べたことでだいぶいつもの雰囲気に戻ってきていたハートレスは、皿から顔を上げる。
「メール? 何て書くの?」
「共闘の要請です。一緒にこの大戦を戦ってくれ、と誘ってみてください。あと、できれば事前に打ち合わせをして、どんなふうに戦うのか作戦を練りたい、と伝えてください」
わかった、と頷いて、ハートレスは片手にステーキの肉を持ったままメニュー画面を呼び出した。
時々がぶりと肉に噛みつき、はぐはぐ食べながらメールを書く。
シウは自分もメニュー画面を操作しながら、他のメンバーにも指示を出した。
「リド、エディにカメラを借りてモンスターの写真を撮っておいてください。ザックとフェイはギルドメンバーと連絡をとって、それぞれの状況を把握。先行組が全員あのユニコーンを突破したら、ひとまず45階のタウンに戻ってギルドハウスを移動させましょう」
唯一エディに指示を出さないのは、もちろんハートレスのエサ係としての仕事が優先されるからだ。
そうして手の空いている他のメンバー達を動かしながら、シウは自分もギルドの主要メンバーにギルドハウス移転についての打診メールを送ったり、他のギルドのマスター達に今後どう動くかを問うメールを書く。
「シウ、返信来た。センリを連合軍の副司令官に任命したら、牙は全面的に協力するって」
「おや、意外ですね。牙はコミュ不全者の集まりかと思っていましたが。案外と積極的なところもあるようですね」
今まで誰もまともにコミュニケーションがとれたことのない、沈黙の全身鎧集団のリーダーからの思いがけない返答に、何と返したものかとシウは迷う。
その間にも次々と、指示に対する結果の報告が来た。
「シウさん、写真撮れました」
「ユニコーンの攻略情報、ギルドの掲示板に出したぞ。んで、今は2パーティが挑戦中。他の連中はまだレベルが足りないんで、ザコ殴ってるみてぇだ」
「シウ、フレンド登録してる他のギルドのやつらから、いくつか様子見のメールが来てるんだが。マスターとの繋ぎさせて、ギルドごと引っぱりこんでみるか?」
彼らに次の指示を出す前に、シウはハートレスを見た。
「レス、ひとつ確認しておきたいんですが。そのグリンカムビを誰かに譲る気は」
「無い」
当たり前のように即答する彼女には、迷いもない。
周囲には「そりゃそう答えるだろう」という暗黙の了解があり、一人やれやれとため息をついたシウも、最後には笑って頷く。
「わかりました。それではこの大戦、我々の流儀で仕切らせてもらいましょうか」
覚悟を決めたその顔は晴れ晴れとして明るく、モンスターの大軍を初めて目にした時の恐怖と絶望など、もう影も形もなかった。




