地下39階レイドボス戦
「レベル39ヘカトンケイル、氷属性! 弱点は頭、有効属性は火!」
コジロウたちの入団から7日後、地下39階レイドボス戦はエディの〈分析〉報告の声で幕を開けた。
濃霧ただよう薄暗いフィールドの奥から、3対6本の手を持つ巨人は50人の侵入者に向かって苛立たしげな咆哮をあげる。
しかし一度戦っているコジロウたちからヘカトンケイルの情報を得ている『紅の旅団』ギルドメンバーがひるむことはない。
全員レベル39以上の猛者ぞろいで、初めてのレイドボスという大物を相手に暴れる気満々だ。
現在その50人のプレイヤーを率いるユニオン・リーダーとなっているハートレスは、一団の先頭で青い毛並みの犬型モンスター、ブルーハウンドに乗って抜き身の大太刀を天に向けた。
そして、真っ向からみすえたヘカトンケイルを一刀両断するかのように大太刀を降り下ろして言う。
「行動開始」
応、とギルドメンバー達が野太い声で答え、事前の策通り50人は2つの部隊にわかれて動き出した。
後衛部隊の魔法使いが炎の球を放ち、弓を装備した盗賊系クラスの男たちもヘカトンケイルの頭部めがけて矢を射かける。
青みがかった緑色の肌に原始人のような毛皮の腰布を巻いた巨人モンスターは、頭をめがけて飛んでくる小さな矢をうるさげに振り払いながら、とくに炎の球に反応して6本の手に持った棍棒で後衛部隊へ襲いかかった。
けれど事前情報によってヘカトンケイルの移動速度がかなりのスピードであることを知っていた『紅の旅団』は、あらかじめ全員ブルーハウンドに騎乗している。
後衛部隊はブルーハウンドを走らせて散開することであっさりと棍棒攻撃を避け、空振りしたヘカトンケイルを前衛部隊が強襲した。
動きまわられては面倒なので、まずは右足を集中攻撃することによって二足歩行できない状態にする。
そして地面に転がって4本の棍棒を取り落とすと、今度はその手で這いまわりながら攻撃してくるようになった巨人の背に、ブルーハウンドをたくみに操ってハートレスが乗った。
フェイが槍を振りまわしてヘカトンケイルの注意を引きながら叫ぶ。
「よし行けレス!」
青犬から飛び降りてヘカトンケイルの背中に着地し、装備を大剣に替えてハートレスは走った。
「頭カチ割ってやれぇ!」
周りからの声援に大剣をふりかざして応え、気づいたヘカトンケイルが後ろを見ようとしたところへ、その頭部に真上から全力の斬撃を叩きこむ。
ギルドハウスを建ててマスタールームで“メンバー編成”を行い、極振りしている“力”のステータスにさらなる役職ボーナスを加えた今のハートレスの攻撃力は他の追随を許さないところまで強化されている。
一撃で叩き割れこそしなかったが、大剣の攻撃を受けた頭から派手な血飛沫が噴出し、巨人は悲鳴をあげながらすさまじい勢いで暴れ始めた。
血飛沫を浴びて背中から振り落されたハートレスは、オズウェルに拾われて彼のブルーハウンドに乗せてもらい、地面に転がって手足をふりまわすヘカトンケイルから大急ぎで離れると自分の元へ走ってきた青犬に戻る。
「いよいよだな」
ハートレスの隣に並び、彼女と同じ前衛部隊に入っているコジロウが言った。
「1匹目が瀕死状態になると、2匹目のヘカトンケイルが上から降ってくる。そいつが持ってる壺が、モンスターの回復薬だ。オレたちはそれで1匹目が回復したせいで退却するハメになった。壺を叩き割れるかどうかわからんが、とにかくやらねぇと元気いっぱいの巨人モンスター2匹と同時に戦わされる。
だがまずは野郎ども、上から落っこちてくるヤツに踏み潰されんじゃあねぇぞ!」
当たり前だ、とまわりから陽気な声が返るなか、彼は表情をゆるめてハートレスに微笑む。
「レスは大丈夫だぞ。オレが守るからな!」
周囲からは敵に一番の大ダメージを与えた女剣士相手によくそんなことが言えるもんだ、とあきれた視線が向けられたが、コジロウはまったく気にしない。
そして言われたハートレスの方も、さして気にしたふうもなく答える。
「守るより攻撃してくれた方がいい」
「おうよ! オレは期待に応える男だぜ!」
ハートレスの言葉を前向きに受け取り、やる気に満ちたコジロウが答える前で、とうとう2体目のヘカトンケイルが現れた。
濃霧の曇天からヘカトンケイルが落ちてきて、ずぅぅぅん、と重い音を立てて地面を揺らす。
こちらは5本の手に棍棒を、そして1本の手にはコジロウの情報通りモンスターの回復薬と思しき陶器の壺を持っていた。
幸い、その下敷きになったものはいないようだ。
「あれだ! ブチ壊せぇぇ!!」
叫んで突撃していくコジロウと、それにつられて突進していく十数人の前衛部隊。
ハートレスは彼らを冷静に見送った。
たしかに守るより攻撃してくれとは言ったが、現れたばかりで元気なヘカトンケイルから壺を奪うより、瀕死状態のヘカトンケイルが回復薬を飲むために止まったところを狙う方が簡単なはずだ。
というか、そもそも巨人の手にある壺まで自分達では青犬に乗っていても武器が届かないのだが、彼はそれを考えないのだろうか、と不思議に思う。
「おぉぉぉっ?!」
そしてハートレスが見守っていると案の定、元気なヘカトンケイルに突撃した男たちはあっさり蹴散らされて宙を舞い、彼らに足止めされて苛立った様子の2体目の巨人モンスターが、瀕死状態の1体目へと回復薬入りの壺を投げた。
―――――― 今だ。
命令もかけ声も必要なく、ブルーハウンドの腹を蹴って動き出したハートレスに従い、コジロウにつられることなく彼女のそばにいたリドとオズウェル率いる親衛隊が続いた。
一番先にヘカトンケイルのもとへ辿り着いたハートレスが走り抜けながら大太刀でモンスターの手を切り裂き、受け取ったばかりの壺を落とさせる。
次に到着したオズウェルたちがそれを拾おうとする他の手を攻撃して止めさせ、遅れてきたリドがブルーハウンドから飛び降りて片手剣を振りかざす。
「とぉりゃぁぁぁ!」
めずらしくおおきな声をあげながら剣を降り下ろすと、壺はバリンと壊れて中に入っていた透明な液体が地面へと流れ消えた。
「よっしゃぁぁぁ!」
「リドやったぁ!」
ギルドメンバーたちが歓声をあげるなか、回復薬に注意が行っているのを良いことにふたたびヘカトンケイルの背にのぼったハートレスは、無言で大剣をふりかざして2度目の斬撃を叩きこむ。
これまでの蓄積ダメージの上に弱点への強攻撃を喰らった巨人モンスターは、とうとう低く野太い断末魔の悲鳴をあげながら地に沈んだ。
「1匹目終了」
仕留めたヘカトンケイルの背からひらりと飛び降りて、血のしたたる大剣を肩にかついだハートレスが言う。
「あと1匹」
くちびるに妖艶な微笑みを浮かべたギルドマスターの向こうで、HPがゼロになったヘカトンケイルがとけるように消えた。
2体目の巨人が怒りに吼え、ギルドメンバーは歓喜の雄たけびをあげる。
「おおおぉぉぉ!!!!」
士気は最高、気分も最高。
ハートレスも吼えるように笑った。
さあ、次の獲物を狩ろうか。
◆×◆×◆×◆
地下40階エメラルド・シティは、白と緑を基調とした優美な都市だった。
2回のレイドボス戦に勝って先行攻略組63人、誰ひとり欠けることなく到達すると、13パーティのリーダーを集めてシウが言う。
「お疲れさまでした。いつも通り今日と明日は休憩としましょう。ギルドハウスに帰って休むのも、シティで休憩するのも自由です。ただしハウスに帰るという方はここの転移石を忘れずに買うよう注意してください。
ちなみにレスは『兎のお茶会』ギルドのマスター、アリスが35階タウンに到着したという報せが入りましたので、夜までシティをぶらついたらハウスへ戻って『兎のお茶会』メンバーと夕食をとる予定です。
では解散」
ギルドメンバー達はマスターであるハートレスがどこにいるのかやたらと知りたがるため、訊かれる前に予定を告げてから解散する。
レイドボス戦を2回やって疲れているメンバーが多いので、皆「おつかれー」と声をかけあうとあっという間にそれぞれの目的地へ散っていった。
大階段の前に残ったのは、ハートレスとオズウェルの2パーティだ。
「シウ、ごはん?」
仮面ごしでもわかる、きらきらと期待に輝く顔でハートレスが訊く。
シティやタウンに到着したら食堂へ行く、というのはもうこのパーティの習慣で、シウもわかっているとうなずいた。
「はい、まずは何か食べましょう。店はどこがいいですか?」
「お前ほんとに、どんどんレスの母親になってくなぁ……」
「おや、的になってくれるんですか、ザック?」
「すまん。いらんこと言った。謝る、っていうかその手のナイフ今どっから出したんだ」
同パーティ、同ギルドに所属しているのでシウからの攻撃でダメージを受けることはないのだが、過去のVRゲームでの体験がザックに冷や汗をかかせた。
そしてついうっかりこぼした一言のせいでむだな冷や汗を流すことになったザックの横で、食事休憩と聞いて「やたー!」とエディがはしゃぎ、そのノリにつられたリドとハイタッチした。
ハートレスはさっそく辺りを見渡して食べ物をあつかっている店を探し、ナイフとフォークの看板が出ているのを見つけて指差す。
「あそこにする」
久しぶりのよく晴れた青い空を見あげ、のんびり歩いて店に入る。
まだ他のプレイヤーはここまで到達していないらしく、NPCが行き交う街は静かだ。
ハートレス一行はエメラルド・シティで初めて出てきたメニューであるミートパイを食べ、何人かは持ち帰りができるというフィッシュ・アンド・チップスを買ってサポートセンターへ向かった。
紙袋に入ったシンプルな塩味の白身魚とポテトのフライを食べながら、サポートセンターで転移石エメラルドを購入し、クエスト処理をすませるとシティを散策する。
しばらくすると先にシティを見てまわっていたギルドメンバー達が、ハートレスを見つけて集まってきた。
「よう、レス。こっちに神殿があるが、閉まってるぞ」
「なんだ、そっちもか。あっちには見慣れない看板の店があるんだが、そこも閉まってんだ」
「ほー? 向こうにもなんか知らん施設みたいなのがあったが、誰もいなかったなー」
彼らが口々に言うシティの様子を聞いて、シウが「やれやれ」と面倒くさそうにため息をついた。
「シティに200人のプレイヤーが到達しないと新機能が解放されないように、新施設も開かない、ということでしょうね」
ギルドメンバーが「もっと細かいレイドボス情報公開するか?」と訊くと、シウは「いえ」と首を横に振る。
「攻略に必要な最低限の情報はもう公開してありますから。あとは他のプレイヤーの努力に任せましょう。こちらは明日のうちに新施設と思しき場所をあらかた見つけておいて、明後日からは予定通り先へ進みます。新施設解放のアナウンスが入ったら、その時に戻ってこればいいだけですからね」
なるほど、とうなずき、「他の連中にも話しとく」と言ってギルドメンバー達はばらけていく。
ハートレス一行も彼らから聞いた新施設をまわって場所を確認すると、ちょうど陽が暮れてきたので地下35階タウンにあるハウスへ帰った。
エントランスから外へ出るとエメラルド・シティとはまるで違う濃霧ただよう陰鬱なフィールドで、「早くタウンの場所変えようぜ」とザックがぼやく。
「安全に休める寝床があるのはいいが、その場所がこんな薄暗れぇところじゃ気が滅入ってしょうがねぇ」
「同感ですが、ハウスはタウンに置いておくべきです。移動させたいなら、早く45階のタウンを見つけて移動に必要なお金を貯めることですね」
「金か……。使う方なら得意なんだが、貯めるのはなぁ。なんでか貯まんねぇんだよ」
俺も俺も、と周りで同意するメンバー達に、シウは冷たい視線を向けて言う。
「だから貯められないんですよ」
そんな会話をしながらアリス達との夕食に行ったせいか、食事中の話題は『兎のお茶会』ギルドのサブマスター、メイリンによる「金策講座」になった。
「万魔殿で一番お金が稼げるのはオークションですー。地道にモンスター素材を加工して売ったりするのもイイですが、ワタシはオークションをこまめにチェックして需要と供給のバランスを調べ、皆さんが欲しがっているものを素敵な価格で提供するのが一番稼げる! と思うんですねー」
「ハーイ。先生しつもーん」
「はいはーい。エディくん、なんでしょー?」
「今一番売れるモノって、何すか?」
「いい質問ですねー。ではそれを知るにはどうすればいいのか、ちょっと考えてみましょー」
『兎のお茶会』の金策担当であるメイリンは教えるのが好きらしく、エディやリドたちににこにこと愛嬌たっぷりの笑顔をふりまきつつ、言いたくないところはたくみに話題を変えながら話を進めていく。
その隣のテーブルではハートレスとシウが、アリスとモニカに地下39階レイドボス戦についての話をしていた。
「なるほど。重要なのは2体目が現れた時、1体目が回復するのを阻止するってところね」
「ええ。ですが1戦目はリドの攻撃で割れてましたから、壺自体にそれほどの強度はないと思います」
情報の対価は情報で、『紅の旅団』が先の攻略情報を渡す代わりに、『兎のお茶会』は後方のプレイヤー情報を渡す。
シウによるレイドボス攻略の話が終わると、今度はアリスが後方のプレイヤー達の動向を話し始めた。
「後方で今話題になっているのはなんといってもギルド『万魔殿踏破軍』、通称“破軍”よ。多くのメンバーはそれほどたいしたレベルじゃないんだけど、中枢に数十人単位でかなり統率のとれた実力者がいるらしいの。彼らは今、自分達は万魔殿の治安維持部隊だと称してPK狩りをしてる。これに関して他のプレイヤーからは賛否両論出てるけど、とりあえずユーリの『ビーバー・ファクトリーズ』が破軍と協力契約を結んでPKから守ってもらってるそうだから、うちは今のところ静観してるわ」
「破軍は自分たちのギルドメンバーだけでなく、他のギルドもPKから守っているんですか?」
「そう。基本的にPKじゃないプレイヤーであれば守ってくれるし、その対価に金品を要求してくるわけでもないから、批判もあるけど評判は上々。一部では「後が怖い」っていう話も出てるけどね。今のところはステキな保安官サマよ」
「後で何も求めない、と明言しているわけではないんですね」
「そう。自分達は治安維持部隊だと言って、PKを狩ってまわってるだけ。他のギルドに所属しているPKを殺して問題になった、という話は今のところ聞いていない。……ただ、彼らが殺したPKプレイヤーのなかに、どれくらい自分の身を守るためにしかたなくPKした人がいるのか、誰にもわからない」
つぶやくように言って、アリスは心配そうな顔でハートレスを見た。
「気をつけてね、レス。破軍もあなたたちと同じように、先行組と後方組に分かれてる。たぶんかなりの早さで先行組はエメラルド・シティに到着するだろうし、そのうちトップクラスの攻略組のひとつとして名前の知れ渡っている『紅の旅団』ギルドにも、声をかけてくるだろうから」
何を気をつけてと言われているのかよくわからないまま、ハートレスはうなずいた。
「うん」
夕食と情報交換が終わると、翌日、ハートレス一行はエメラルド・シティへ戻る。
そして昼ごろ、『紅の旅団』ではないプレイヤーが大階段を下りてきたところへちょうど行き合った。
全員が全身鎧を装備して、左手の甲に漆黒のサーベルタイガーのエンブレムを刻印したプレイヤーの大集団だ。
のんびり話をしながら歩くハートレス達はサポートセンターを出て図書館へ向かう所で、無言で進む彼らはセンターへ入ろうとするところだった。
他のメンバーは相手に視線を向けながらも、とくに話しかけようとはせず、様子をうかがいながら通り過ぎようとする。
けれどハートレスだけがふと、何かに気をひかれて足を止めた。
よく見れば向こうの集団の奥にいたプレイヤーがハートレスを真っ直ぐに見つめて立ち止まり、他の者達へ先に行けと指示を出してひとり残る。
装備は重そうな全身鎧と、片手剣と短剣が一本ずつで、楯はなし。
彼はひとりになると、無言でハートレスに向かって歩き出した。
すかさず親衛隊が進み出て壁になろうとするが、しかし当の女王がするりと彼らの間をすり抜けていってしまう。
「レス」
いったい何をするつもりかとシウが厳しい声で呼んだが、ハートレスは背を向けたままかるく手を上げてそれを制した。
マスターから「待て」の指示を受けた背後のメンバー達は反射的に足を止め、静かな街でにわかに空気が緊張する。
そのなかでハートレスはゆっくり進み、自分に向かってくる全身鎧のプレイヤーと、お互いすこし離れた場所で立ち止まって対峙した。




