おやすみ
3戦目の途中でシウからメールが届いた。
ハートレスは狂化キマイラを倒して低レベルプレイヤーを地下10階シティへ渡すと、メール確認画面を開く。
残り「00:19:14」。
『件名:今の渡しを終えたら10階シティへは行かず、ボス部屋から30階へ戻ってください』
『内容:これ以上は危険ですので、引き上げます。今日は休憩し、明日の朝8時に大階段前へ集合。お疲れさまでした。ゆっくり休んでください』
各パーティリーダーへ送られた救出活動の終了を告げるメールだったが、ハートレスにはそれを読んだ直後にもう一通届く。
「フレンドメール着信:発信者アリス」のメッセージ。
『件名:お願い、戻って』
『内容:あとひとり助けて。ユーリの友だちなの』
次にまたシウからメールが届く。
『件名:アリスからメールが行きましたか?』
『内容:こちらへは戻らず30階シティへ。わたし達もすぐ行きます』
それを読んだところでまたアリスからの「お願い助けて」メールを受信、連続してシウの「戻りなさい」メールを受信。
ハートレスは面倒くさそうなため息をついてメールを開くのをやめた。
「レス、どうした?」
「シウとアリスがヘンな喧嘩してる。私は様子見に戻るけど、皆は30階戻っていいよ。シウが引き上げ命令出した」
「バカ言うな。お前が戻るなら俺も戻るぞ」
即座にフェイが答え、護衛役を自任しているオズウェルとレイヴも頷いた。
3人とも疲れきっているが、同じだけ戦っているハートレスが戻るというなら意地でも戻る気満々だ。
言い合いをするのも面倒なくらいハートレスも疲れていたので、頷いて4人でボス部屋前の地下9階草原フィールドへ戻った。
とたんにシウが叱ってくる。
「なんで戻ってきたんですか!」
同時にアリスが声を上げる。
「ありがとう、レス!」
彼らの背後にあるのは迫りくる狂化モンスターの群れと、じわじわとそれに飲みこまれて絶命していく低レベルプレイヤー達の絶叫。
『アークエンジェル・カンパニー』や他の高レベルプレイヤーはもう残っておらず、『紅の旅団』のシウとザック、エディとリドの4人、『兎のお茶会』のアリスとモニカの2人、『一角獣騎士団』のジークフリートとギルドメンバー3人がいるだけだった。
彼らの真ん中には『ビーバー・ファクトリーズ』のギルドマスターとなったユーリが、見覚えのない金髪の女性を抱きかかえ、よろめきながら立っている。
誰もが手足に傷を負い、ひどく疲れた顔をしていた。
「レス、お願い! ニナを渡してあげて!」
「残り16分ですよ! 今の狂化キマイラがどれだけ強いと思ってるんですか!」
アリスの言葉にシウが怒ると、美少女にしか見えない19歳のギルドマスターも必死に言い返す。
「だからレスにお願いしているの! この中では彼女が一番強いから! わたし達はもう回復薬も尽きているし、今の狂化キマイラに対抗できるだけの経験もない」
ハートレスは疲れていたが、友人を腕に抱いて必死に立っているユーリが片手剣と楯の戦士装備に変わっていることに気づいた。
彼女は弓使いの盗賊だったはずだが、メインクラスを変更したのか。
(せっかく盗賊のレベル上げたのに、レベル1の戦士になって楯持ちになったんだ)
さして親しいわけでもなかったが、戦うことを怖がっていた彼女がそこまでして守ろうとするなら、最後に一戦やっていくかという気になった。
しかし時間的にこの一戦で終わりにしなければ、自分たちもフロア崩壊に巻き込まれる。
内心で決めたハートレスは、無言で自分のパーティメンバーを振りかえり、かすかに小首を傾げて(いい?)と訊いた。
言葉にされずともその問いの意味を理解し、フェイとオズウェル、レイヴはこちらも無言で頷いて答える。
そうして数秒とかからずパーティメンバーの同意を得たハートレスは、ニナを連れてボス部屋へ行く前に、意外と繊細なところのある『紅の旅団』ギルドの神官サブマスターをこの場から退避させておくことにした。
今ここにいる低レベルプレイヤー達を全員渡してやるのはもう不可能だから、最後は必ず置き去りにされることをさんざん罵られることになるだろう。
彼をそんな声にさらす必要はない。
ハートレスは大剣を背負って手をあけると、「お断りです!」とアリスに言い返すシウの襟首を掴み、「何するんですか、レス!」と彼が怒るのもかまわず引きずっていって、ボス部屋の扉を蹴り開け中へ放り込んだ。
空のボス部屋へ転送され、シウの姿が消える。
そうしてサブマスターをその場から強制的に退かせたハートレスがザックの方を振り向くと、声をかけられるまでもなく彼はエディとリドを連れ、シウの後を追ってボス部屋の中へ消えた。
撤退だ。
『一角獣騎士団』のメンバーも、有無を言わさずアリスとモニカを抱えてボス部屋へと走っていった。
残された低レベルプレイヤー達が悲鳴じみた声をあげる。
「お、おい! なんで、なんで誰も連れずに行っちまうんだ!」
「俺たちまだ渡ってないだろ!」
「待ってれば渡してくれるんじゃなかったのか?!」
こうなることを予見して用意していたフェイとオズウェルが、ピィー! と鋭い音を立てて隷獣の笛を吹いた。
ブルーハウンドやイエティなどの大型モンスターを一気に10体呼び出し、自分達と低レベルプレイヤー達の間に壁のように立たせて命じる。
「全頭、威嚇咆哮!」
二人の隷獣がいっせいに咆哮を上げると、低レベルプレイヤーはその声に気圧されて身をすくませた。
動きを止めた彼らにフェイが「うるせぇ!」と怒鳴る。
「ガキみてぇにわめくな! 呪うなら今までレベル上げもせず1階で震えてただけのテメェを呪いやがれ!」
その間にハートレスがユーリの抱きかかえている女性をパーティに入れようとしたが、彼女は「ユーリと一緒じゃなきゃやだぁ」と泣いて拒む。
しかたなくレイヴを外して先に30階へ戻らせ、ハートレスはユーリとその友人、ニナをパーティに入れると、低レベルプレイヤー達を抑えているフェイとオズウェルに声をかけた。
「パーティ組んだ」
その時、彼女を狙って矢が飛んだ。
間一髪でオズウェルが剣で叩き落としたが、それが呼び水となったのか、低レベルプレイヤー達は背後から襲い来る狂化モンスターの群れよりもハートレス達に刃を向ける。
「いやだ、いやだ、いやだぁ!」
「渡してくれるって言ったじゃないかぁぁ!」
「置いていかないでくれよぉー!」
場が一気にパニック状態になり、隷獣たちの威嚇咆哮だけでは抑えきれなくなった。
ハートレスはユーリとニナをボス部屋へ放り込んで大剣を抜き、襲いかかってきた大剣使いの低レベルプレイヤーの刃を受け止めると、ギィン! と金属のこすれる嫌な音に顔をしかめながら言う。
「フェイ、オズも行って!」
二人がボス部屋へ飛びこんで姿を消すと、彼らの隷獣である10体のモンスターも消えた。
最後に残ったハートレスは、鬼のような形相で彼女を逃がすまいと襲いくる低レベルプレイヤー達を見渡す。
地下10階に自力で到達することができず、仲間を見つけて協力して突破することもできず、フロア崩壊によって死ぬ者たち。
(ゲームなのに。この人たちは、本当に死ぬの?)
心の奥に疑問が浮かび上がったが、その答えは分からない。
なぜこんなことになっているのかすら分からないのに、本当に死ぬのかどうかなど、分かるはずもない。
(ユーリはこれがデスゲームではないと信じて、助けに行ったんだっけ)
そうならいいなと、ハートレスはふと思った。
だから刃を合わせた大剣使いのプレイヤーを力任せに弾き返すと、つぶやくように言った。
「おやすみ」
これが一時の夢で、すべてが終わったら皆、ベッドで目覚められるといい。
ハートレスに襲いかかろうとしていた槍使いがその声を聞いて一瞬止まり、大きく目を見開いた。
彼女はその隙にボス部屋へ飛びこむ。
背後の絶叫と怨嗟の声が一瞬で遠ざかり、今度は全てのステータスが上げられた狂化キマイラの咆哮が全身をビリビリと震わせた。
カウントダウン「00:14:36」。
「最後の一戦だ。楽しんで行こうぜ」
フェイが笑みをふくんだ声で言えば、ハートレスは大剣をかまえながら応じる。
「うん。これくらい手ごたえのある敵の方が、楽しいね」
あきれた声でオズウェルが笑った。
「レイヴがいた時ですら一戦14分以上かかったってのに、ふたりとも緊張感なさすぎだ!」
ハートレスの大剣で足を斬られた狂化キマイラが苛立ちに吼え、その声に〈威圧〉されたニナがユーリの腕の中で「きゃあぁっ!」と悲鳴をあげる。
それだけ叫ぶ元気があるなら自分の足で立って動けよ、とは思っても誰も言わず、ひたすらに3人が戦い続ける中、残り時間は刻々と減っていった。




