渡し
「弱い」
ザンッと大剣でキマイラの首を落としたハートレスは、つまらなさそうに言った。
ぐずぐずととけて消えていくボスモンスターの姿をおびえた目で見ていた低レベルプレイヤーは、ぽかんとした顔で細身の女剣士を見る。
彼女のそばで片手剣を両手に装備したオズウェルは、物足りなさそうな顔で同意して頷いた。
「狂化キマイラ、なかなか出ませんね」
「次は出るかな」
「出るといいですね」
「うん」
ハートレスはオズウェルの言葉にわくわくと頷く。
その心にあるのは「狂化キマイラ出るかな?」という次なるボス戦への期待だ。
デスゲーム化を告げられて後、30日以上が経過してもクリスタル・シティからなかなか出られなかった低レベルプレイヤーにとって、ハートレス達の思考回路はまったく理解できないものだった。
キマイラ以上の化け物を見たように蒼白な顔をして、リドが「大丈夫ですか?」と声をかけ、崩れた石壁の向こうに現れた階段の方へ導くのに、よろよろとついていく。
礼を言われることはほとんどなく、ボス戦突破を手伝ってもらった低レベルプレイヤーが逃げるようにそそくさと地下10階トパーズ・シティへ降りて行くのを見送ると、ハートレスは漆黒の大扉を開き草原フィールドへ戻った。
対キマイラ戦は、彼女達にとってほとんどうまみがない。
レベル差が5以上あると経験値が入らなくなるという仕様のせいで、何度倒しても経験値はゼロ。
素材が手に入っても生産スキルのレベル上げに使って、作れたものをオークションに流すぐらいしか役に立たないのだ。
いくらボスモンスターとはいえ、レベル9のキマイラの素材を使って作った装備など、地下34階では使いものにならない。
それでもまだ10階にすら到達していなかったプレイヤーは意外と多く、ボス戦突破サポートは一度軌道に乗ると多数の希望者が順番待ちの列を作ることになり、ハートレスのパーティもすでに12連戦を終えていた。
3戦ごとに5分の休憩をとるようシウが指示しているため、サポート希望者から離れた場所に座って4度目の休憩をとる。
狂化キマイラはおよそ5回に1回の確率で出現し、ハートレスのパーティも12戦中2回エンカウントした。
最初の一匹は防御力が高く、次の一匹は体力が多く、通常のキマイラより時間はかかったがさほど問題なく倒している。
何らかのステータスが異常に高くなっているので倒すのが面倒なうえ、通常のキマイラと同じで経験値が入らないし特殊アイテムも落とさなかったが、礼も言わないおびえた目の低レベルプレイヤー達を10階シティへ送り続ける『紅の旅団』メンバーにとって、狂化キマイラは“当たりクジ”。
唯一の楽しみだ。
このためエンカウントして倒してきたパーティが自慢げに様子を話すので、シウが“神官シウの雑記”に羽根ペンでメモして特徴をまとめていた。
「瀕死状態にしたプレイヤーではなく、いきなり別のプレイヤーを襲いにいくとは面倒な。ふむ。どうやら狂化モンスターの一番厄介な点は、ターゲットをランダムで選ぶという性質のようですね。ターゲットの誘導ができないと動きの予測が難しい」
「うん。眼が真っ白だから何を見てるのかもわからないし。ゲストには護衛を付けておかないと、いきなり襲いに行くから危ない」
片腕に大剣を抱いて座ったハートレスが、シウの言葉に頷いて言った。
「うちはリドがよく守ってくれてるから、今のところゲスト無傷でシティに渡せてるけど」
「おや、リドが? ……ああ、そういえば楯持ちでしたね」
「シウさん、そんな意外そうな顔しなくても」
「いやはや、まったく期待していない時に思わぬ活躍してくれるところがリドらしいです」
引き続き頑張ってくださいね、とシウに言われるのによろりと傾きつつ「ガンバリます……」とリドが答え、周りのギルドメンバーは巻き込まれない距離を保って休憩しながらのんびり見守った。
そうして『紅の旅団』ギルドがボス戦突破サポートを続けていると、ちらほらと様子見に来る高レベルプレイヤーがいた。
彼らは場の指揮をとっているシウに「今どうなってるんだ?」と声をかけたが最後、「いいところに来てくれました。ちょっとこの人渡してやってください」と低レベルプレイヤーをほいと放られて巻き込まれ、気のいいプレイヤー達はそのまま次も手伝ってくれる。
そんなプレイヤーの中には、ちょっとした変わり種もいた。
「ギルド『アークエンジェル・カンパニー』の社長、ガブリエルといいます。お気軽にガブリエル社長さんとお呼びください」
「社長、お気軽に呼んでいただくには名前が長すぎますから」
二十人を超える高レベルプレイヤーを率いて現れた三十代くらいの恰幅の良い男性、ガブリエルと、彼の言葉につっこみを入れる二十代くらいの長身で細身な女性プレイヤー。
魔法使いの装備をしたその女性プレイヤーが、「えー、そう?」と首を傾げるガブリエルを無視してハートレス達に言う。
「うちの社長が失礼をいたしました。社員はガブ社長か社長と呼んでおりますが、どうぞご自由にお呼びください。それから申し遅れましたが、わたしは『アークエンジェル・カンパニー』の副社長、ミランダといいます」
無関心な様子で「『紅の旅団』のハートレス」と自己紹介を返したハートレスの横で、「サブマスターのシウです」とこちらも名乗ってから、シウが訊いた。
「雑談なら後にしていただきたいのですが、ご用件は?」
「そうですな。時間も惜しいですし、単刀直入にいかせていただきます」
そう答えたガブ社長の提案は、低レベルプレイヤーの中でもいくつかレベルが上がっている者達でパーティを組ませ、必要に合わせて武器や防具を貸し出したりして独自に地下9階ボス戦を突破させてはどうか、というものだった。
「もちろん1パーティにつきうちの社員を一名か二名つけてサポートし、貸し出した装備は10階シティで返却してもらいます。それでもうまくいけば低レベルプレイヤー達はここでもやっていけるという自信が持てるでしょうし、あなた方の負担も減る。悪い話ではないと思うのですが」
「わたし達がここの責任者というわけではありませんので、どうぞご自由に」
「それはそれは、ご賛同いただきありがとうございます」
「……賛同したつもりはありませんが。まだ他に何かありそうですね?」
「いやいや、たいしたことではないんですがね」
低レベルプレイヤー達に貸し出す武器や防具を『紅の旅団』からもいくつか出してもらえたらありがたい、とガブ社長はほがらかな笑顔で申し出た。
「なるほど。装備提供の依頼ですか」
「はい。そちらの方々はみなさんレベル30を超えてらっしゃるようですから、低レベル帯で使用していた武器や防具など、とうに不要のものとなっているはず。もう処分されてしまっているようであれば仕方がありませんが、もし残っているようでしたら貸していただけませんでしょうか?」
「わたしの一存では決められません。すこしメンバーと相談しますのでお待ちください。……ザック、フェイ」
名を呼ばれた二人がシウとともにガブ社長たちのそばから離れたので、休憩時間が過ぎていたハートレスはパーティメンバーとともに次のゲストを連れてキマイラ戦へ行く。
そしてハートレス達が戦っている間に、『紅の旅団』からも低レベル帯の装備を出すが、貸すのではなく相場よりやや安い価格で『アークエンジェル・カンパニー』に売る、という形に落ちついて、一気にけっこうな数の低レベル装備を手に入れたガブ社長は社員を率いて低レベルプレイヤー達のところへ向かった。
しかし始まりの街クリスタル・シティからなかなか動けなかった低レベルプレイヤー達に、いきなり「装備を貸してやるから自分たちでキマイラを倒せ」と言ってもすぐにうまくいくわけがない。
ガブ社長たちはおびえている低レベルプレイヤー達にてこずりながら、ごく少数の「装備を貸してもらえるなら、がんばってみる」と決心した者達を「やればできる!」とはげまして支援した。
地下9階奥のボスモンスターを倒し、低レベルプレイヤーを10階シティへ送ることは“渡し”と呼ばれるようになり、『紅の旅団』はシウの指揮の元、3時間交代制で休憩を取りながら救出を続ける。
ハートレスは腕輪のカウントダウンが12時間を切ったところで、ふとシウが休んでいないことに気づいて言った。
「シウ、5時間寝てきて。ザックとエディも一緒に」
「今この状況で、それほど長時間休めるわけないでしょう!」
どんどん増えてくるボス戦サポート希望者を対キマイラ戦パーティに割り当て、あちこちで起こるトラブルを仲裁してまわっていたシウは、ぴりぴりと殺気立った顔で言い返す。
腕輪が残り時間をカウントダウンし続けて低レベルプレイヤーを精神的に追いつめるし、時刻はすでに19時を過ぎ、日が暮れて視界が悪くなったことでトラブルが起きやすくなっている。
『紅の旅団』や『アークエンジェル・カンパニー』はまだ耐えているが、「早くなんとかしてくれよ!」と泣きついてくる他力本願な低レベルプレイヤーに腹を立て、「やってられるか!」と下層へ戻ってしまった高レベルプレイヤーもいた。
今も「シウ、ちょっと来てくれ!」と呼ぶ声があがるのを聞きながら、ハートレスはそちらへ向かおうとするシウの白いローブを掴んで繰り返した。
「5時間寝てきて。フロア崩壊まで12時間残ってるんだから、5時間抜けてもまだ7時間ある。疲労度がたまりすぎていきなりシウが倒れたら、困る」
「言いたいことはわかりますが!」
「ザック、連れていって休んできて。エディも寝て。誰か、シウ達の休憩中の護衛やってくれる人は?」
力特化の剣士に知力特化の神官が勝てるはずもなく、ハートレスにぽいと放られるとシウは軽くとばされてザックに受け取られ、「ギルマス命令だ、あきらめとけや」と眠たげな顔で言われた。
そのそばにこちらも眠たげなエディが立ち、ルート確保パーティから「俺が護衛行くわ」と立候補したギルドメンバーが3人出てくると、ハートレスは彼らに「お願い」と頷いた。
「5時間経たずに戻ってきたら追い返す」
「……あなたにそんな指示を出されるとは、予想外です」
ハートレスに言われてため息をつきながらシウがあきらめると、ザックが大扉を開けて皆でシティへ向かう。
モンスターがランダムにポップしてくる草原フィールドでは安心して眠れないので、長時間休憩する場合は地下10階トパーズ・シティで休むことになっていた。
「レス! 向こうでケンカだ!」
そうしてシウがいなくなると、トラブル解決には当然ギルドマスターであるハートレスが呼ばれることになる。
彼女は自分のコミュニケーション能力の低さを理解していたが、いちおう一度は言葉での説得をこころみた。
「黙って待って。文句のある人は自力でキマイラ倒せばいい。向こうで『アークエンジェル・カンパニー』の人たちが、装備の貸し出しとパーティを組む手伝いもしてる」
「ふざけんな! 自力で行けるならとうに行ってるんだよ! それに今さら装備なんか貸してもらったって、キマイラなんかに勝てるはずねぇだろ!」
頭に血が上っているらしい低レベルプレイヤーが叫び返すと、説得不可能と判断したハートレスは彼のマントを掴んでボス部屋の方へ引きずっていく。
「それならひとりでキマイラの部屋に行ってもらう」
「おい?! 待て、やめろ! 正気か?!」
力特化の前線攻略組であるハートレスに低レベルプレイヤーが敵うはずもなく、ずるずると引きずられていくその姿を、他の低レベルプレイヤー達が青ざめた顔で見つめる。
そして『紅の旅団』ギルドマスターは衆目を集めながらひとりの男を大扉の前へ連れてくると、なんとか逃げようともがく彼を、マントを踏んで止めて見おろした。
「もう一度言う。静かに待って。従える?」
おそろしく冷静なその声に、表情は見えずとも「否」と言った瞬間ボス部屋に放り込まれると察知した男は、ざあっと全身から血の気が引いて頭が冷えた。
ここで従わなければ彼女は間違いなく、何のためらいもなく彼をキマイラのいる部屋へと放り込むだろう。
「……し、したがうっ! 黙って待つから、はなしてくれぇっ!!」
ハートレスがマントから足をどけると、男は必死に走って彼女から逃げた。
けっこうな人数が集まっているにも関わらず、いつの間にか周りはしんと静まり返っている。
ファントムの仮面を装備した女剣士は注目されていることに気づくと、月明かりの下、彼らをぐるりと見渡して訊いた。
「静かに待ってくれる?」
低レベルプレイヤー達は口を閉じてこくこくと必死に頷き、高レベルプレイヤー達はそれまでの騒ぎが嘘のように静かになった場を見て、苦笑気味にため息をついた。
ハートレスはそのまま騒ぎ立てる者達に対する抑止力として草原フィールドにとどめられ、伏せたブルーハウンドの背に座って、順番待ちをする低レベルプレイヤー達を見張ることになる。
「……ヒマ」
「お前さんが動くとまた連中が騒いで、渡しをやってる奴らのやる気が無くなっちまうんだ。おとなしく座っててくれや」
退屈するギルドマスターのお守役には槍使いのフェイと二刀流のオズウェルが付き、前に騎獣調達組のリーダーとしてトレード統括者をやらされていたフェイがシウの代理となって、ボス戦サポートを希望する低レベルプレイヤーを対キマイラ戦パーティに割り振ったり、ルート確保や渡しをする者達を交代で休憩させた。
そして5時間後、シティから戻ってきたシウ達が見たのは、ブルーハウンドの背に座って退屈のあまり殺気立つハートレスと、無言の彼女に見おろされて今にも死にそうな顔で沈黙している低レベルプレイヤーの一団。
「何があったのか聞きたくないので言わないでくださいね」
「おい、サブマス。戻って最初のセリフがそれかよ」
疲労度が全回復したらしく、すっきりした顔で言うシウにげんなりと疲れた顔でフェイが返した。
「とりあえずお疲れ様ですとだけ言っておきます。レス、言われた通りわたしは5時間休みました。あなたも5時間休んできてください」
「残り7時間だよ」
「最後の2時間、おそらく一番キツくなる時の戦力としてあなたを使いたいんです」
ハートレスはあっさり「わかった」と頷いた。
「一戦やってから休んでもいい?」
「ええ、いいですよ。フェイとオズウェルを連れて、好きに暴れてからシティへ行ってください」
ハートレス達の休憩中の護衛を3人見つくろって呼び寄せ、シウが言った。
「あなた方ならたぶん3人でも行けるでしょうし、ついでに2人渡してください。護衛役は先にシティに行っていてもらいますから、ちゃんと5時間休むんですよ」
「お前どんどんレスの母親みたいになってくな。……ん? そういや俺、なにげにレスとパーティ組むの初めてだ」
「よろしく、フェイ」
ブルーハウンドから飛び降りたハートレスが手を差し出すと、パンと軽く叩いてパーティを組み、フェイはにやりと楽しげに笑った。
「よーし! 寝る前にちょいと暴れてくるかぁ!」
「うん。狂化キマイラに当たるといいな」
わくわくと言ったハートレスに、ボス戦サポート希望者の列の先頭にいた低レベルプレイヤー2人は倒れそうな顔をしたが、彼女が手を差し出すとぷるぷる震えながらもパーティに加入した。
ようやく順番がきて安全なシティへ連れて行ってもらえるというのに、その足取りは死刑台に連行される虜囚のように重い。
そして彼らは(普通のキマイラでありますように……!)という内心での必死の祈りもむなしく、漆黒の大扉をくぐった先で月明かりの下、眼が白く影のない異常なキマイラとエンカウント。
「当たった!」
「おっしゃ来たぁ!」
狂化キマイラを怖がればいいのか、大はしゃぎしながら武器を構える戦闘狂の高レベルプレイヤー達におびえればいいのか、よく分からないまま自動的に閉じられた扉の前で身をすくませることになった。




