サブマスターの判断
《 地下30階ラピスラズリ・シティにプレイヤー2,000名の到達を確認、これより上層部への狂化モンスター侵攻が開始されます。 》
システム・アナウンスの女性の声は穏やかな口調で告げた。
《 地下1階クリスタル・シティから地下9階までの全フィールドに狂化モンスターが出現、侵攻が最終段階に入ると9階から10階へつながる階段が破壊されます。階段が破壊された後の1階から9階はフロアが崩壊し、残留したプレイヤーは全員死亡します。侵攻対象フロアに残留しているプレイヤーはすみやかに移動してください。
階段の破壊まで、残り24時間。これよりカウントダウンを開始します。 》
ヴン、と音を立てて左手首の腕輪の数字が黄色の「23:59」に変わった。
同時にハートレスの視界に「フレンドメール着信:発信者アリス」のメッセージが浮かぶ。
大剣を地面に突き立ててメールを開き、内容を読んでシウに言った。
「アリスからメール。10階のシティへ来てほしいって」
「さすがに対応が早いですね」
3ギルドのマスター達が集まった朝食で出た話については、各パーティのリーダーを通じてギルドメンバー全員に知らせてある。
しかし彼らの反応は「いまだに10階にも辿り着いていない連中を助けて何になる?」というものから「助けられるプレイヤーは助けてやりたい」というものまであって幅広く、統一するのは難しかった。
「さて。どうすっかね、参謀?」
フェイが食事のメニューを相談するような軽い口調でシウに訊く。
大人数のギルドはこうした局面で意見が分かれることが多く、決断を迫られた時に下す判断が難しい。
しょせんは寄せ集めのプレイヤーの群れ、意見が割れれば簡単に分裂してしまうこともあるからだ。
シウは彼らを集わせたギルドマスター、ハートレスに訊いた。
「レス、あなたはどうしたいですか?」
ファントムの仮面を装備した女剣士は平然と答える。
「シウに任せる」
「……任せる? 助けに行きたい、とは?」
「自分が誰かを助けられると思ったことは無い。それに、私の行く先を決める権利はもうシウに渡してある。だからそれが何であれ、シウの判断に従う」
さらりと言って、「でも」と付け加えた。
「プレイヤーが多い方が攻略しやすいのがMMOゲームだから、この先のことを考えるとアリスに協力しておいた方がいい気がする。それに、上層部の様子を見に行くひとつの機会になる。後方組がこの先戦力になるのかどうか、多少は見られると思うよ」
そう言うハートレスを中心に、いつの間にか各パーティのリーダー11人が集まっている。
シウは「ふむ」と頷いて、顔を上げた。
「アリスに協力しますが、同時に攻略も進めます。
レスにはギルドの顔として救出に行ってもらいますが、他のメンバーの参加は自由。ただし救出に向かうメンバーはどんな危険に巻き込まれるのかわからないということを覚悟し、それが終わったらすぐに攻略へ戻ることを承知しておいてください」
ハートレスが強制参加と聞いて、ギルドメンバーの多くが自分も行くと声を上げた。
いきおい、攻略組が「残る」と言い出しにくくなったところへ、ベイガンが言う。
「わたしはここに残る」
シウはほっとした様子でベイガンに頷く。
実質ギルドの管理者となっているサブマスターとしてのこの判断が正しいのかどうか、結果が出るのは腕輪がカウントしている時間が尽きた後になるだろうが、後に残していく攻略組を任せられる人物が自分から声を上げてくれたのはありがたかった。
「ベイガン、後を頼みます。わたしはレスと行きますので」
「ああ。気をつけてな」
12パーティ59人の中、38人が救出に向かい、21人が地下34階の攻略に残ることになった。
ハートレスは地面に突き刺した大剣を抜き、ベルトポーチから転移石トパーズを取り出して言う。
「リターン」
手の中のトパーズがパリンと砕けて散り、それと同時にハートレスの体を白い光が包みこんだ。
視界が一瞬ホワイトアウトし、周りを取り巻く風景がまた一瞬にして変わる。
久しぶりに来た地下10階トパーズ・シティはがらんとしていて、ほとんど人がいなかった。
あたりを見まわしてアリス達の姿がないことを確認すると、ハートレスはメニュー画面を呼び出してフレンドメールを送る。
『件名:きた』
『内容:今どこ』
間もなくアリスから返信がきた。
『件名:ありがとう』
『内容:今2階。ユーリとスバルも一緒。ごめん、ダグラス達も来てもらっちゃってるの。狂化モンスターが厄介。わたし達は通り道を確保して一人でも多く進ませる。お願い、9階で低レベルの人たちのボス戦突破を手伝ってあげて』
ハートレスは内容をシウに話しながら、地下9階へ下りるべく大階段へ向かった。
歩きながらシウに言われ、狂化モンスターがどんなふうに厄介なのかメールでアリスに訊く。
シウはアリス達と地下30階を目指していたはずの『紅の旅団』ギルド後方生産組リーダー、ダグラスに状況を知らせてほしいとメールを送った。
少し間があって、ハートレスが大階段に到着する頃に返信が届いた。
『件名:普通のモンスターに混じって襲ってくる』
『内容:眼が白く、影がない。何かのステータスが異常に上がっているみたい。レベル2の狂化キバウサギの動きにレベル28の義賊が追いつけなかったけど、攻撃を当てたら一撃で終わった。他にも異常に攻撃力が高かったりするのが混じってる。注意して』
階段を上りながら、こちらもダグラスからの返信メールを受け取ったシウは表情を険しくした。
「ダグラスはアリスとジークフリート達と一緒に、全員1階からルート確保しながら低レベルプレイヤーの誘導をしているようです。彼らは転移石を持っていますし、ダグラスが同行しているなら大丈夫でしょう。
わたし達は9階内のルート確保とボス戦突破に専念。もしキマイラも狂化モンスターになっていたらかなり手ごわい敵になりそうですので、最初は4人1組でひとりずつ突破させて様子見で」
ザックが頷いて確認した。
「対キマイラの4人パーティをいくつか作って、それ以外の者でルート確保だな?」
階段を上りきると空のボス部屋に着く。
ハートレスは黒い大扉を前で立ち止まると、メニュー画面を呼び出しながら言った。
「私は対キマイラに行く。シウはボス部屋の前で全体管理、ザックはシウの護衛でいい? エディもキマイラ戦向いてないからパーティから外す。リドはどうする?」
パーティの中でハートレスの他、唯一キマイラ戦に適しているリドは、訊かれると「行きます!」と迷わず手を上げて答えた。
一度キマイラ戦で死にかけている彼のその手はかすかに震えていたが、ハートレスはそれには何も言わずに「わかった」と頷いた。
リーダー権限でリドを残して3人をパーティから外し、顔を上げて周りにいるギルドメンバーを見る。
「あと二人、誰か一緒に来てくれる?」
「自分とレイヴが入ります」
即座に護衛役である二刀流の剣士オズウェルが言い、狙撃手レイヴがその隣に並んだのを見て、ハートレスは「よろしく」と手を差し出した。
パン、と二人がその手を軽く叩いてパーティに加入するのを見て、フェイが「ああ、とられちまったなぁ」と残念そうにつぶやく。
その流れで他のメンバーも次々と4人組を作り、一団が対キマイラのパーティとルート確保の誘導パーティに分かれると、ハートレスは大剣を肩にかついで言った。
「行こうか」
左手首の腕輪に浮かぶ黄色い数字は「23:27」。
『紅の旅団』ギルドの一団はマスターの声に「おう」と応えて黒の大扉をくぐり、地下9階ボス部屋前の草原フィールドへ出た。
残り時間にまだ余裕があるうちにボス部屋の前へたどり着いた者達は、ボス戦突破を手伝おうという『紅の旅団』のギルドメンバーにおびえて警戒したので、対キマイラ戦パーティは大扉のそばで時々ポップしてくるモンスターを狩るくらいしかやることがなかった。
確かに、明らかにレベルの違う装備をした男性プレイヤーばかりの一団を相手に、あっさり「お願いします」などと言える度胸があるのならとうの昔に地下10階へ到達しているだろうから、考えてみれば当然の反応だ。
「あなた方をどうにかして得られるメリットなど何もありません。わたし達は『兎のお茶会』というギルドの依頼でここにいるんです」
ボス部屋の大扉を前に、レベルが足りないので思いきって進むことができず、さりとて戻ることもできないプレイヤー達へシウが言う。
「“ソロ殺し”と呼ばれるキマイラにやられて死ぬか、転移石で1階へ戻るはめになるかは自由ですが、希望するなら我々がボス戦突破のサポートをします」
それだけ言われてもレベル9にも満たないプレイヤー達はおびえた顔で『紅の旅団』メンバーを見るばかりで、なかなか決断しない。
攻略を一時中断してまで危険な場所に来たギルドメンバーとしては、なんとも助けがいのない相手だった。
「どいつもこいつも腰抜けばかりか。戦うのが怖ぇってんなら、なんでこんなゲームで遊んでんだ」
メンバーのひとりが吐き捨てるように言うと、大扉のそばで出番を待つハートレスにタバコをくわえたフェイが訊いた。
「レス、こんな連中に24時間付き合ってやんのか?」
「判断はシウがする。私は狂化キマイラと戦ってみたいから、誰かサポートを希望してくれる人がいると嬉しい」
地面に突き刺した大剣の柄に手を置いて答えるハートレスに、フェイは愉快そうな声で笑った。
「そうか、そうか! 狂化キマイラと戦ってみてぇだけってか! やっぱりイイねぇ、お前さんは。何を訊いても『紅の旅団』ギルドマスター、“赤の女王”の名にふさわしいセリフをくれる」
「赤の女王?」
「ハートレス、お前さんの二つ名さ。まぁ、うちのギルドの連中が勝手に呼んでるだけだけどな。そういやたまには魔獣使いにクラス変更して、あのドレス姿見せてくれよ。せっかく作ったのになかなか着てくれねぇってんで、職人がヘコんでんだ」
「そうなの? じゃあクラス変更する」
「……え? 今?」
ハイヒールが歩きにくいせいであまり気に入っていないのだが、そのせいで作ってくれた人をガッカリさせているのではいけない、とハートレスは頷いた。
何といってもタダで貰ったものだし。
パチン、と指を鳴らしてクラス変更すると、大剣装備の剣士から一瞬にして赤いドレスをまとって黒い革製の鞭を手にした魔獣使いになる。
「おおぉー! 女王サマきたー!」
「カメラカメラカメラー!!」
「眼福だが布が多過ぎじゃないか職人……!」
「うぉぉー! チラリズム至上主義者にはたまらん逸品!」
対キマイラ戦パーティとして待機していたギルドメンバーがいきなり騒ぎだしたので、何事かとシウがこちらに目を向けた。
退屈していたハートレスはシウが話をしていた男性プレイヤーも自分を凝視しているのに気づくと、転ばないよう注意してハイヒールで歩いていき、黒いレースの手袋につつまれた手をすいとのばし彼のあごに細い指をかけた。
「あなたはソロ? 10階へ進みたい?」
息をのんでハートレスの胸を凝視していた彼は、もう一度「10階へ進みたい?」と訊かれると戸惑った様子で答えた。
「は、はい……?」
「あなたはソロ?」
「そ、そうです」
ハートレスは満足げに頷いた。
「それなら私達が10階へ連れていく。手を出して」
赤いドレスをまとった仮面の女性の胸を見つめたまま、彼はほとんど何も考えずにふらふらと手を差し出した。
ハートレスはその手をパンと軽く叩いて勧誘、さっさと彼をパーティに加えるとまたパチンと指を鳴らした。
ドレス姿の女王スタイルから一瞬で大剣装備の女剣士に戻ると、「……え?」と狐につままれたような顔をしている彼の手を引いて漆黒の大扉へ向かう。
「シウ、行ってくる」
「うまいこと釣りましたねぇ……。はい、ムリしないよう、気をつけて」
「うん」
そうして頭が真っ白な状態の低レベルプレイヤーを引きずり、騎士リドと二刀流の剣士オズウェルと狙撃手レイヴを連れて、ハートレスは久しぶりのキマイラ戦へ向かった。




