霧の中
娼館の登場で、ギルド『紅の旅団』からは離脱者が1名出た。
しかし残りのメンバーは翌日8時、遅れることなくラピスラズリ・シティの最北端にある大階段の前に集合。
「娼館行く金があるならギルドハウス欲しい。PK警戒せずにたっぷり寝たい」
というのがギルドメンバーのだいたいの総意で、シウとザックが考えるより娼館で一時の夢にひたりたがる者は少なかった。
いくら高性能のAIが搭載されていても、相手はどこへ連れていくこともできないNPC。
そんなものに一時の夢を求めて溺れるより、全体のプレイヤーの中でも先行している攻略組ギルドのメンバーである、という優位な立場を手放したくない者の方が多かったらしい。
一晩か二晩浮かれ騒いで掲示板でもおおはしゃぎした後なので、たいていのメンバーは「遊ぶだけ遊んだからもういいや」と切り替えていた。
他にも「本物のデスゲームじゃなかった場合、一部始終を記録されて後で脅しのネタにされると面倒だ」とか、「ファンタジー世界で相手が普通の人間とかクリエイターやる気あんのか」とか、「アングラのアレを知ると他ので楽しめるとは思えん」などと様々な意見が出ている間、さりげなくハートレスは話が聞こえない位置へと誘導され、フェイが新しく隷獣にしたイエティの好物が“焦げた肉”であることに大喜びしていた。
「カバンの中にたくさんあるって言ってただろ。コイツ喜んで食うんだ。好きなだけやっていいぞ」
「うん。ありがとう、フェイ。……はい、たーんとお食べ」
どこかのアニメか何かで聞いたセリフとともにカバンの中にあった〈調理〉の失敗品、焦げた肉を与えたハートレスは、フェイの思惑通り娼館についてのギルドメンバー達の話を聞くことなく、大きな口をあけたイエティが半分炭化している肉をおいしそうに食べる様子を眺めている。
ハートレスがそのイエティをかなり気に入った様子だったので、フェイは大太刀の時のようにシウ経由で彼女にあげようとしたが、ふるふると首を横に振られた。
「あんまりタダでもらうのはダメ」
「イエティ3匹捕まえたからなぁ。俺はべつに、1匹くらい気にしねぇんだが」
それでもダメだとハートレスが主張するので、フェイは安値でイエティを売った。
すると焦げた肉が好物のモンスターを買ったハートレスは満足げに次の肉を取り出して、「たーんとお食べ」と与える。
主人よりレベルが低いイエティは従順でおとなしく、与えられた肉をまたおいしそうに食べた。
しばらくしてギルドメンバーの話が「先に進んで金を貯めてギルドハウスを買おう」という所へまとまると、『紅の旅団』12パーティ58人は地下31階へ進んだ。
今度は霧でよどんだ薄暗いフィールドで、黒っぽい岩が転がり、その影から急にモンスターが飛び出してくるという危ういところだった。
「とりあえず雪山フィールドのように火焔丸やかまくらなどの特殊アイテムが必要、というのは無さそうですが」
「索敵の範囲がせまくなってるー! オレが一番役に立つとこなのにー!」
「エディ、周りの音が聞こえない」
悲しげに叫んだエディは、索敵範囲が狭くなったのでかわりに音や霧のゆらぎでモンスターを探すようになったハートレスから鋭く言われ、慌てて口をつぐんだ。
新種のモンスター出現に加えて視界も足場も悪いフィールドということで、一団の歩みは自然と周囲を警戒して遅くなる。
そうして地下31階を進み始めてからいくらか経った頃、急に霧が動き、どこからともなく風が吹きはじめた。
「なんだこれ?」
「どんどん風が強くなってきた……!」
「ま、前に進めねぇー!」
なんとか踏みとどまろうとしても、風はさらに強くなる。
あまりの強風に目を開けていることさえできなくなり、ぎゅっとまぶたを閉じたギルドメンバー達は次々と体が浮き上がって吹き飛ばされ、もうダメかと「うわぁぁっ!」と悲鳴を上げたが。
「……あれ? 生きてるぞ?」
「俺も生きてた……」
「あ。でも、大階段のとこに戻されてる……」
「のおぉぉー! マジかぁぁー!」
「なんつー鬼畜マップ……」
強風に吹き飛ばされて体が浮いたかと思うと、すぐにドスンと落っこちて、気がつけば全員、ラピスラズリ・シティへ続く大階段の前、霧によどむ地下31階の入り口に戻されていた。
「出発してからの一定時間後か、あるいは定期的な時間で吹き戻されるのか。これは厄介ですね」
「面倒くせぇマップだなぁ」
ショックにわめき、ため息をつきながら言うギルドメンバー達の中で、さっさと立ちあがったハートレスは大剣を肩にかついだ。
「それなら風が吹いていない時間内に突破できる距離に次の大階段か、吹き飛ばされずにすむ場所があるはず。早く行かないとまた風が吹くかもしれない」
確かに、今のところ万魔殿にプレイヤーの進行を過剰に止めるような仕掛けはない。
その言葉に力を取り戻した者たちが「おっしゃぁ! 見つけるぜ大階段!」と立ちあがり、一団は再び進んだ。
そしてその後、もう一度風に吹き戻されるのに、シウはどうやら進み始めて3時間で入り口で戻されるようだと予測し、3度目の挑戦で3時間以内に到達できる距離に大階段を発見した。
「前の雪山フィールドより、フロアとしては狭いようですね」
「だけど視界も狭いからなぁ。薄暗いしジメジメしやがるし空も見えねぇし。雪山の方が進んでて楽しかった」
「それは同感ですが、定期的に火焔丸を飲まなくていいのはありがたい」
「お前意外と甘党だな」
「脳の活発な活動には糖分が必要なのです」
「今は実際に食ってるワケじゃねぇから関係無いだろ」
「……まあ、それはそれとして。後方生産組の方はどうなってますかね」
19時を過ぎて日が沈んだので地下32階手前の大階段で野営することになり、焚き火の前でザックと話をしていたシウはメニュー画面を開いた。
フレンドメールで後方生産組のダグラスと連絡を取り、近くにいた者たちに様子を知らせる。
「ダグラス達の現在地は地下27階手前の大階段。『兎のお茶会』と『一角獣騎士団』ギルドと会って、協力を申し込まれたそうです。向こうのメンバーが良ければ協力してかまわないと許可しましたが、異論のある人はいませんね?
……ふむ。29階のボスは飛行モンスターですから、黒魔法の使えるプレイヤーがいる『兎のお茶会』と会えたのは幸運ですね。
あと、他のプレイヤー達が急いで30階のラピスラズリ・シティに向かっているのを、よく見るようになってきたそうです。どうもセンターの雑談掲示板で先行組の誰かが娼館の話をしたことと、ガイドブックに追加されたギルドハウスの機能に動かされているらしいとか」
「やっぱり皆ギルドハウスはいいと思うよなぁ。俺も早くのんびりゴロ寝できる部屋が欲しい」
ザックの言葉に皆が賛成した。
ジメジメして薄暗い霧におおわれたこのフィールドにいると、よけい安全な家が欲しくなる。
その心情を察してシウが釘を刺した。
「早くお金を貯めたいのはわかりますが、モンスターの素材やここでしか採れなさそうなアイテムを高額でオークションに出すのは控えてくださいね。万魔殿のオークション・システムは出品者の名前が変えられませんし、隠せませんから、あまり高額出品してぼったくると後で面倒です」
フェイが「そうだな」と頷き、ベイガンが言った。
「今はオークションで素材として売るより、ダグラス達に素材を送って武器や防具に加工してもらった物を送り返してもらうのがいいだろう。そうすれば自分達で工房へ行かずとも、新装備にグレードアップできる」
「ええ、そうするのが結果的に一番利益になりそうです。ダグラスは30階に到達したら知らせてくれるそうなので、わたし達が次のタウンへ辿り着く前に連絡が入ったら作製を頼みますかね」
「ああ。こちらが明日以降も一日以内に次の階段を見つけて順調に進めるならいいが、そうでなければ最短ルートを聞いて進むだけの彼らの方が早くシティに着くだろう」
シウとベイガンが話している間に、フェイが隷獣の笛を取り出して雪山フィールドで〈調教〉したユキウサギを呼び出した。
白い毛皮のふくふくとしたその小型モンスターを、焚き火の前で半分眠りかけているハートレスのそばに連れていく。
「レス、こいつ枕にして寝ていいぞ。安眠枕より寝心地いいんだ」
「……うん。おいしそう」
「マスター、それ食いモンじゃねーっす。耳かじってもおいしくないから、ハイ、出して出してー」
今日も一日中先頭で戦って満足げに疲れているハートレスは、ゆらゆら揺れながらモンスターの白い耳をまぐまぐとかじる。
だいぶ慣れてきたエディが、冷静に言いながらその耳をハートレスの口の中から引っ張り出した。
「枕だって、レス、まくら。頭のっけて寝るんだよ」
「……うん。ありがとう」
ハートレスは口の中から耳がなくなると、フェイに言われるままぽふんとユキウサギの腹へ頭を預け、毛布にくるまった。
その腕には当たり前のように大剣が抱かれているが、手足をまるめて白いウサギを枕に眠る姿はどこか愛らしい。
耳をかじられ、枕にされたユキウサギの方は微妙にぷるぷる震えているように見えたが。
間もなくハートレスが穏やかな眠りに沈むと、フェイは軽く息をついた。
「寝る時にも仮面外さねぇんだな」
デスゲーム開始宣言の時、システムによって自分の望む姿であるアバターから現実の体に変えられてしまったプレイヤー達の中には、ハートレスと同じように仮面などで顔を隠したがる者も多い。
しかし顔を隠していると「この人はどうして顔を隠すんだろう?」と警戒されるし、「何か悪いことをするから顔を隠しているんじゃないか」とあらぬ誤解を招くこともあるし、〈分析〉で見られたらすぐに名前が分かって特定されてしまうので、実際にずっと顔を隠し続ける者は少なく、『紅の旅団』ギルドでもここまで強固に顔を見せないでいるのはハートレスただひとりだ。
となるとずっと顔を隠し続けるのはよほどそこに大きなコンプレックスがあるか、誰かに顔を見られては困る者だけ、ということになる。
そしてハートレスは唯一見える顔の下半分、あごや唇の形からそれほど不器量ではないと思われるので、「誰かに顔を見られては困る人物」ではないかと推測されていた。
「どっかの財閥のご令嬢か何かかねぇ」
プレイヤーが装備している物は万魔殿の仕様によって本人の意思でしか外せないし、フェイにも周りのギルドメンバー達にもハートレスの仮面をムリやりはぎとってやりたいという者はいない。
ただずっと隠されていれば、気になるのが人情だ。
「どうでしょうね」
毛布の中で手足をまるめて眠るハートレスを見て、考えこむようにシウがつぶやいた。
「彼女はテストプレイの時からこの仮面を付けていますし。妙に行儀が良いところがあるので上流階級の出身かもしれませんが、それにしては肉を食べ慣れていない」
「必要だから身に付けているんだろう。よけいな詮索はやめておけ」
ベイガンが低い声でさえぎるように言った。
「明日もまた何度か吹き飛ばされに行くんだ。くだらん話をするヒマがあるならとっとと寝ろ」
その言葉に、まだ起きていたギルドメンバー達は眼下にたゆたう濃霧のフィールドを見て、思わず深いため息を落とした。
夜になるとほぼ無明の闇となるので、このフィールドは多少明るい昼のうちに何とかして突破するしかなく、吹き飛ばされてもまた進んで正解の道を探し出すだけの気力が要る。
休める時に休んでおかないと、そんな気力を保ち続けるのは難しい。
「……そうだな。さっさと寝るか」
「おー。寝るべ寝るべ」
あちこちで毛布をかぶって安眠枕を取り出し、一団は見張り役を残して眠りについた。
そうして『紅の旅団』が3日かかって2階進み、翌日の朝から地下34階の探索をしていると、システム・アナウンスの前触れである鈴の音が聞こえた。
―――――― リン、リン、リン。
3回の鈴の音に、誰もが無言で足を止める。
全体の中でも先行した攻略組である一団は、(もう次のシティに200人到達したのか?)と内心で疑問に思った。
ひどい濃霧とはいえある程度は見通せるし、大階段には霧はかかっていないので、自分達を追い越していったプレイヤーなどほとんどいないことは分かっている。
それなのになぜ次のシティにもう200人到達しているのか、さっぱり分からない。
しかしその音に続いてシステム・アナウンスが告げた言葉は予想外のもので、誰もがそんな疑問など忘れて驚きに息をのんだ。
《 地下30階ラピスラズリ・シティにプレイヤー2,000名の到達を確認、これより上層部への狂化モンスター侵攻が開始されます。
地下1階クリスタル・シティから地下9階までの全フィールドに狂化モンスターが出現、侵攻が最終段階に入ると9階から10階へつながる階段が破壊されます。階段が破壊された後の1階から9階はフロアが崩壊し、残留したプレイヤーは全員死亡します。侵攻対象フロアに残留しているプレイヤーはすみやかに移動してください。 》
彼らの左手首の腕輪に表示された数字は「23,135」。
デスゲーム開始宣言から36日後の朝、生存可能フロアの減少を告げる声は穏やかに響き渡った。




