ドリーム・シティ
「レベル29、グリフォン! 弱点は眼!」
万魔殿地下29階。
雪山の山頂へ続く漆黒の大扉の向こうで一行を待ちかまえていたのは、大空を舞う異形のボスモンスター、グリフォンだった。
鷲の上半身と獅子の下半身を持つ巨大なモンスターは、その上半身から生えた鷲の翼で空を飛び、侵入者であるハートレス達を見つけると甲高い声で咆哮を上げる。
初めての大型飛行モンスターは、一行にとって相性の悪い敵だった。
剣士1人、騎士2人、義賊が1人と神官1人というパーティは、接近戦には強く進むには堅実だが、残念ながら遠距離攻撃が可能なものがいない。
それでも一度扉をくぐってしまった以上、ボスを倒すか転移石で20階へ戻るしかないので、5人は迷わず戦闘態勢に入る。
シウが攻撃力アップの補助魔法の呪文詠唱に入れば、エディは指示を待たずに短剣から弓装備へと変更し、剣士と騎士はそれぞれの武器を構えてグリフォンの接近を待つ。
大空をゆるやかな弧を描くように飛んでいたグリフォンは、シウが呪文を完成させかけたところへ彼へ向かって急降下、鋭い爪で襲いかかった。
モンスターは基本的に、自分にとって一番危険であると判断したプレイヤーを狙う。
それを見越してシウが狙われると予想していたザックが彼の白いローブを引っつかみ、力任せにグリフォンの爪の届かない場所へと放り投げたことでボスモンスターの攻撃は空振りした。
そこへこちらもシウが狙われると予想したハートレスが大剣を振りかざし、グリフォンの翼めがけて斬撃を当てる。
わずかにバランスを崩したグリフォンが女剣士の方を向いたところで、今度は反対側からザックが翼の根元へ片手剣を突き立てた。
どちらの剣もあまりダメージを与えられはしなかったようだが、怒りのこもった声を上げたグリフォンは、身をよじって暴れることでハートレスとザックを追い払うと、翼をはばたかせて再び空へ舞い上がる。
「面倒くせぇヤツだな! 逃げ回ってねぇで降りてきやがれ!」
腹立たしげにおどすような声で叫ぶザックに、ハートレスが言った。
「飛ばれるのが面倒なら、叩き落としてやればいい」
弓を装備したエディが矢を射るが、グリフォンに当たるどころか届かない。
ハートレスはシウに訊いた。
「シウ、タゲ取りいける?」
“タゲ取り”は「ターゲットを取る」の略で、“自分にとって一番危険なプレイヤーを狙う(ターゲットにする)”というモンスターの思考を利用して、特定のプレイヤーに攻撃を向けさせることを言う。
先ほど補助魔法を使おうとしたことで狙われたシウは、即座に頷いた。
遠距離攻撃のできないパーティでグリフォンを倒すには、誰かがターゲットとなっておびき寄せ、そこを叩くしかない。
「エディ、弓攻撃止め」
「リョーカイっす。……うう。義賊ってボス戦役立たずだ~」
ターゲットという明確な数値や表示があるわけではないので、モンスターが誰を最も危険と認識するか、実際にモンスターが動くまで正確に把握するのは難しい。
そこでタゲ取りと呼ばれる行動をとる時は、ターゲットになる予定のプレイヤー以外は行動を控えるのが常だ。
エディはぼやきながら当たらない矢を射るのをやめ、ハートレスとリドとザックが警戒する中で、シウが再び呪文の詠唱に入る。
大剣の攻撃はダメージが大きいので、グリフォンは先ほど一撃当てたハートレスを狙おうとする様子を見せたが、シウの呪文が完成しかけると再び彼を強襲した。
シウを守ったザックの楯にグリフォンの爪が当たり、金属の削れる耳障りな音が響く中、側面へ走り込んできたハートレスが翼の根元へ大剣を叩きこむ。
一度や二度当てた程度で翼が落ちることはなかったが、繰り返せばダメージはたまっていくので、シウのタゲ取りによる5回目の斬撃でグリフォンはようやく片翼を落とされて雪山の頂に沈んだ。
流れ落ちる血で真白の雪を赤く染め、残る片翼を重たげに引きずりながら、手負いのボスモンスターが激怒して咆哮を轟かす。
ここからが本番だ。
ハートレスは手負いのグリフォンに睨まれて嬉しそうに笑う。
「ようやく私と遊ぶ気になってくれた?」
グリフォンのターゲットは片翼を落とすほどのダメージを与えたハートレスに固定され、もうシウのことなど眼中にない。
獅子の後ろ足で雪の大地を蹴った巨体のボスモンスターは、鋭いカギ爪で細身の女剣士に襲いかかった。
◆×◆×◆×◆
地下30階、ラピスラズリ・シティ。
それまでの純白の都市とは一転した黒い石造りの都市には、ところどころに宝石のような色鮮やかな石がはめ込まれており、日が沈むと街灯に照らされてあやしげに煌めくという夜に映える都市だった。
ギルド『紅の旅団』は騎獣調達組から先行攻略組へ移ったメンバーのレベル上げをしながら迷宮を探索し、正解のルートを探し出してどうにか全員地下29階のグリフォンを突破。
初めての飛行タイプのボスモンスターとの戦いで疲れてはいたが、それ以上に次なるシティへ辿り着けたことに歓喜し、皆であちこちの食堂へ散らばって浮かれ騒いでいた。
彼らのおもな話題は他のパーティへ助っ人で入り、4戦連続で29階ボスを撃破したハートレスと、グリフォンの弱点である眼を弓で射抜いた狙撃手、ハートレスの護衛役のパーティに属するレイヴのことだ。
ボーナス・ポイントを“力”に極振りしている上、常に集団の先頭で戦い続けるギルドマスターの勇猛ぶりはすでに周知されているので、弓の腕前によっていきなり名を知られたレイヴに視線が集中している。
ぼさぼさの黒髪に眠たげな目をしたレイヴは、あちこちから「すげぇなお前!」と声をかけられるのに面倒くさそうな様子で「運が良かっただけだ」と答えていたが、彼の属するギルドマスター護衛パーティのリーダー、二刀流のオズウェルは誇らしげだった。
弓を装備しても矢がまるでグリフォンに届かなかったエディは、「何が違うんだー?」と不思議そうに首を傾げる。
「レイヴはボーナス・ポイントを俊敏と力に振ってるらしいけど、オレよりめちゃくちゃ力が強いってワケじゃないし。それでも弓の威力がだいぶ違うのって、何でだろー?」
「ステータス表示には書いてないけど、武器の習熟度か、クラス補正があるのかも」
エディの隣に座ったリドが答えると、向かいのシウが頷いた。
「それはありそうです。おそらく他のクラスでも、適した装備をしている時には微量のダメージの増加や、防御力アップの補正が入っているかもしれません」
「こういう時に効率中毒な検証マニアがいてくれると、勝手に確かめに行ってくれるんだが」
「攻略サイトではよくお世話になりますが、残念ながら一緒に遊びたいタイプじゃないですね」
「楽しい奴もいるにはいるが、効率主義者はゲームを遊びじゃなくすることがあるからなぁ」
パーティメンバーが話すのを聞きながら、にぎやかな食堂の中で新メニューであるナン付きカレーを食べたハートレスは、仮面の下でちいさくあくびした。
ボス連戦は楽しかったし、おかげでレベルも32に上がっていたが、経験値と一緒に疲労度もたまったようで、どうにも体が重たい。
エディが気づいて「マスター」と声をかけた。
「なんかユラユラしてるけど、眠たい?」
「……うん」
うつらうつらと揺れながら頷いたハートレスに、シウが「では宿で休みましょう」と立ちあがる。
すでに食事を終えて休憩していただけだったので、護衛パーティも一緒に食堂を出て宿へ向かった。
道中、どこかへ向かって慌ただしく走り去る男性プレイヤー達とすれ違いながら5人部屋を頼んだ宿に着くと、ハートレスは装備を布製防具に変更して奥のベッドにもぐりこみ、ほとんど一瞬で眠りに落ちる。
もちろん腕に大剣を抱き、これまでに一度も外されたことのない仮面も装備したまま。
すでに慣れたパーティメンバー4人は、まったく気にせずそれぞれのベッドに座ってメニュー画面を開いたり、ごろんと横になってくつろいだりしていたが、ふとシウが「おや?」と声を上げた。
「ギルドの雑談掲示板に新しいボードが作られていますが、これは……」
「んん? あー……、娼館」
「ええぇぇー! ホントにあったの?! デマだと思ってたぁー!」
「エディ! 大声で騒ぐとレスが起きるよ!」
驚きに叫んだエディは、慌てて注意したリドの言葉で「あ!」と気づき、熟睡しているハートレスがぴくりとも動かないのを見てほっとした。
一方、シウとザックは気難しげな顔をして考えこむ。
「確実に行く奴いるよな?」
「いるでしょうね。やめろとは言えませんし、仕方がありません。31階の様子を見て、雪山フィールドのように攻略に特殊アイテムが必須かどうかを確かめる必要がありますから、それまでに済ませてもらえるならいいんですが」
「それまでに散財しすぎなけりゃいいけどな」
「……ムリじゃないですか。ウチ、脳筋集団ですし」
「だろうなぁ」
はぁ、とため息をついている年長組をよそに、エディとリドはメニュー画面を開き、次々と作られていくボードを読む。
ボードのタイトルは「【天国】生きてて良かった【到来】」とか「デイジーとコスモスは俺の」などで、ラピスラズリ・シティの西側にある娼館『フラワーズ』について、どんな女性NPCがいるのか、どれくらい金がかかるのかなどのコメントが書き込まれている。
近くに女性プレイヤー向けのホストクラブ『ブルーローズ』というのもあるらしいが、『紅の旅団』の女性はハートレスしかいないので話題に上がらない。
その時ふいに、涼やかな音が鳴り響いた。
―――――― リン、リン、リン。
三回の鈴の音に反応して、寝ころがっていたエディがベッドの上で起きあがり、他の3人も口を閉じて耳をすませる。
間もなくシステム・アナウンスの、穏やかな女性の声が降ってきた。
《 地下30階ラピスラズリ・シティにプレイヤー200名の到達を確認、これより新機能を解放します。
サポートセンターにギルドハウス建築機能を追加、ギルドマスターが一定の金額を支払うことにより、ギルドハウスを建てることが可能になりました。ラピスラズリ・シティにある家具屋が開店、ギルドハウスで使用できる家具の購入が可能になりました。新機能の解放にともないガイドブックが更新されました。 》
ピコンと音がして、プレイヤー達の前に「新着情報:新機能2種解放。ガイドブックが更新されました」というメッセージが出た。
《 以上、新機能の解放とご案内を終了いたします。その他、ラピスラズリ・シティには新施設が用意されておりますので、どうぞご利用ください。
それでは皆さま、引き続き冒険の旅をお楽しみください。 》
アナウンスの声が完全に消え、しんとした部屋でザックがぼそりと言う。
「相変わらず、意地の悪りぃアップデートだ」
娼館で金を使う者がかなり出るだろうタイミングで、今後必要になると思われるギルドハウスの建築解禁。
ギルドハウスの建築は大人数を収容できる大きな家を買うということで、どのMMOゲームでも代金としてけっこうな高額を要求されるものだ。
しばらく金欠に悩まされそうなアップデートを聞いて、シウはため息をつきながら無言でベッドに沈んだ。
エディとリドはR18ゲームであっても普通は無い娼館という新施設へ行ってみたい気がしたが、どうにも行ける雰囲気ではなさそうだと察して暗い顔を見合わせ、不景気なため息を落とす。
ただひとり、アップデートのアナウンスを聞くことなく、娼館やホストクラブという新施設の出現も知らず眠り続けるハートレスだけが、やすらかな眠りのなかでくつろいでいた。
けれどその眠りのなかで、彼女はふと目を覚ます。
(……ああ。私、夢を見てる)
眠りについた時とまったく同じ、ラピスラズリ・シティの宿屋の一室で目を覚ましたハートレスは、仮面の下でまぶたを開いてぼんやりと思った。
彼女がこれは夢であると判断した理由は二つ。
同じ部屋にいるはずのパーティメンバーの姿がないこと。
そして、そばにはいないはずの彼が、すぐ近くの窓辺に立っていること。
テストプレイの時に見たのと同じ、白い髪にファントムの仮面。
見覚えのない銀色の金属鎧をまとって白いマントをはおっているが、装備している武器が槍であるところは変わらないし、背格好もパーティを組んで一緒に戦った時とまったく同じように見える。
ぼんやりと、半分眠っている意識で見つめていると、彼はかすかに首を傾げて唇を開いた。
「ハートレス」
とても、とても聞きたかった低い声。
ベッドの上で横になったまま、その声に名を呼ばれてハートレスは微笑む。
なんていい夢なんだろうと、ただ無邪気に喜び、甘えるように呼び返した。
「ロキ」




