ブルーハウンド
翌朝、ギルドメンバーが写真館で情報を仕入れてきた“5人用かまくらセット(火鉢1個と餅10個付き)”を「高すぎる」とぶつぶつ言いながら購入したシウは、大階段の上で火焔丸をガリリと噛んだハートレスに続いて口の中へ赤い丸薬を放り込んだ。
「からい……」
「なにコレ辛ー! 火ぃ吹けそうに辛ー!」
「舌がヒリヒリしますね……」
「お。なかなかいい辛さじゃねぇか」
「からいの苦手です。ううぅ」
一部の辛党以外にはおそろしく不評な火焔丸は、それでも「寒い時にはこれが効く」という説明通り、地下21階の雪山マップでいつもと変わらず動けるようにしてくれた。
「いいですよ、レス」
ひーひー言いながらも火焔丸を飲みこんで、先行攻略組が準備を終えたのを確認してシウが言う。
ハートレスは一団の先頭に立って「うん」と頷き、新装備であるブルーハウンドの大牙剣を抜いて肩に担いだ。
「行こうか」
おう、と応えるいくつもの野太い声が背後から響く。
それを聞いたハートレスは、一団を連れて銀世界へと足を踏み入れた。
雪山マップは多少頭が働く者たちが危惧したとおり広大な迷路で、次へ進む大階段を見つけるのにかなりの時間を要し、その間にギルド名とエンブレムは変更可能時間が過ぎて固定された。
そして“5人用かまくらセット・火鉢1個と餅10個付き”は雪山フィールドで夜の休憩所として役立ち(かまくらの中にいるとモンスターがそばを素通りしていく)、とくに火鉢で焼いてぷくーっとふくらんだ餅を砂糖醤油で食べるのが「ウマすぎて泣きそう……!」と大ヒット。
しかし火鉢と餅付きのセットは高価だったので、シウはそれを1個しか買っておらず、次の日は付属品無しの“5人用かまくらセット”の中でユキウサギの肉をステーキにして食べることになった。
調合師のプラス補正のおかげでたまにできる「美味しいステーキ」を食べて、ハートレスはそれなりに満足していたが、ご飯係であるエディの方が不満げに叫ぶ。
「餅もちモチー! もっと食べたいのにー!」
「高いんですよ、餅付きのは。どうしても食べたいならモンスターからひとつでも多くアイテムを盗んで、資金を稼ぎなさい」
「おぉー! 明日は〈盗む〉頑張るっす!」
シティを出て2日目の夜、かまくらの中で毛布に包まったエディが拳を握って叫ぶのに、ハートレスがさらりと言った。
「エディ、あんまり前くると、一撃死するよ」
「ですねー。イエティは行動遅いけど、攻撃はかなり重いですから。エディの防御力だと、死にはしなくてもかなりヤバそうです」
白い毛もじゃの巨大ゴリラ風モンスター、イエティを思い出して頷くリド。
前衛二人にそろって言われて「うっ」と怯みつつ、それでも「モチのためなら、……やる!」と決死の覚悟をするエディ。
なまぬるい視線で見守っていたザックが言った。
「何でそうムダなところで頑張ろうとするんだろうなぁ」
「いいんじゃないですか。それで〈盗む〉スキルのレベルが上がって、アイテムがひとつでも多く手に入るのなら。ああ、でも、エディ。レスとリドの邪魔はしないように」
「うぃっす!」
「おや。返事については教えたはずですが?」
「リョーカイ!」
エディは慌てて言い直し、シウは「よろしい」と頷く。
そろそろこの光景にも慣れてきたザックとリドは、ゲーム終了までにシウがエディの言葉遣いを直せるかどうか、賭けでもするかとぼそぼそ話していたら、シウに聞かれて乗っ取られそうになった。
「いいですよ、賭けましょう。わたしは“矯正できる”に賭けますので、あなた方3人は“できない”に賭けてください」
「お前それ賭けとしてどうなんだよ」
「シウさんが“できる”に賭けるなら、おれもそっちがいいかなー、なんて」
「一方に偏ったら賭けにならないじゃないですか。わたし以外は“できない”でいいでしょう」
「横暴すぎるだろ。カモるならリドだけにしとけ」
「いやいやいや、ザックさん!」
自分が賭けの対象にされているのに、ひとり話から外されたエディは、とくに気にするふうもなく「マスターは“できない”に賭けるんスか?」と訊いた。
他のメンバーとまとめて賭けをすることにされているらしいと気づき、ハートレスは首を横に振って答える。
「私は賭けない」
「あれ。もしかしてマスター、賭けキライとか?」
「好きでも嫌いでもないけど。賭けはダメだって、お母さんに言われてる」
誰も、ガキかお前は、とは言わなかった。
エディ以外の男3人は、ハートレスを育てるのは大変だろうなと、むしろ見知らぬ彼女の母親を気の毒に思う。
時々こんなふうに奇妙な躾の良さを見せる、この見てくれだけ素晴らしい猛獣が、現実ではどんな娘なのか。
具体的な姿を想像するのは難しいが、おそらく普通の人々の中にうまくとけこめないアウトサイダーだろう。
そんな娘にきちんとした躾をするだけで、おそらく家族はかなりの苦労を強いられたのではないか。
思わず(ご苦労様です)とため息をついている3人の様子には気がつかず、エディがのんびり言った。
「キビしいお母さんっすねー」
ハートレスには友だちがいないので、一般的な母親というのがどういうものかよくわからず、「そう?」とあいまいに首を傾げて答えた。
「私はまだ学生だから。何か問題を起こすと私の責任より、家族が養育責任を果たしているかどうかが問題になって、兄妹にも迷惑がかかることになる。だからトラブルは起こしたくない」
「あー。家族多いとそのへん面倒っスねー。オレは親いない施設育ちだから、何かやらかしても担当スタッフの人に叱られて評価にマイナス付けられて終わりー、って感じだけど」
人物評価にあまり多くのマイナスが付けられると、後々の就職活動などで困るはずだが、エディは「あははー」と軽く笑っている。
短い会話だったが、多くの“現実の個人情報”がふくまれているのにシウが反応して、「そろそろ休みましょうか」と声をかけた。
彼はゲームに現実を持ちこんでもあまり良いことは無い、と思っているし、今もそう考えている。
深く知り合うことが良いことばかりとは限らない。
お互いが知らないからこそ保てるものも、時にはある。
「ではザック、エディ、最初の見張り番をよろしくお願いします」
「おう」
「リョーカイ」
賭けの話はそのまま流れ、「おやすみ」と短く言葉を交わしたハートレスとシウとリドが休むと、かまくらの中は静かになった。
地下20階ムーンストーン・シティを発ってから4日後、地下23階攻略中に騎獣調達組のリーダーであるフェイから、先行攻略組のリーダーであるシウへメールが届いた。
歩きながらそれを確認したシウは、休憩時間になると皆に言った。
「騎獣調達組からメールが来ました」
迷宮攻略中は分かれ道のたびにパーティをいくつか分散させて進んでいくため、現在シウのパーティと一緒にいるのは片手剣を両手に装備したレベル22の剣士、オズウェル率いる5人パーティひとつだ。
彼らはギルドが結成された夜、ギルドマスターであるハートレスの護衛役として他の先行攻略組の中から選抜された(酔っぱらい同士の喧嘩大会を勝ち抜いただけともいう)、ギルド『紅の旅団』のたぶん精鋭なメンバー。
二刀流の剣士であるリーダーを筆頭に、戦士から中級職へのランクアップで槍使いとなったメンバーが3人、そこへ『紅の旅団』で最も優れた弓の使い手と言われる狙撃手を入れた攻撃的なパーティで、基本的にハートレスのそばから離れず護衛役をつとめることになっている。
交代で休憩していた9人のプレイヤー達は、シウの言葉に表情を明るくした。
「お、とうとう来たか」
「青犬そろったのか?」
「はい。ブルーハウンドを全員分捕まえたのでこれから先へ進む、とのことです。彼らが20階のシティへ到達したら、一度合流しに戻りましょうかね」
やったー、と喜ぶギルドメンバー達の中で、シウは他の先行攻略組のパーティリーダーへメールで連絡。
騎獣調達組のリーダーであるフェイに道順を教えるメールを送り、地下19階のボスモンスターであるガーゴイルについての情報も知らせる。
その際、先行攻略組の中から1パーティ5人が志願して地下20階へ転移石ムーンストーンで戻り、騎獣調達組を迎えに行って先導役をすることになった。
そして5日後、ガーゴイル戦を突破したという連絡が入り、地下27階を探索していた先行攻略組はフェイの指定で日没1時間前の18時になるとムーンストーン・シティのポートへ転移、ブルーハウンドを受け取り。
当然、さっそく青い大きな犬型モンスターの乗り心地を確かめようと、地下21階の雪山マップを走り回るギルドメンバーが続出して大階段の下は大騒ぎになった。
「うおぉぉぉー! ペンギンが腹で雪上滑って追いかけてきやがるぞぉー!」
「ペンギン早ぇー! そして青犬が思ったより遅ぇぇー!」
「イエティは遅ぇぜ! うはははー! この鈍足がー!」
「おいそっち行くなアホー!」
「ええぇぇー! ここでまさかのワープホーるぅぅぅ……!」
「犬ごと落ちたァー!」
「アホが落ちたァー!」
ポップしてくるモンスターに絡まれながら、ブルーハウンドで走り回る18歳以上の男達。
現実から切り離されてRPGゲームの中で戦い続けるという日々のせいで童心に返っているのか、あるいは野生に目覚めつつあるのかよく分からない彼らのはしゃぎっぷりに、シウはため息をついて隣にきたフェイに訊く。
「これを予想して日没の1時間前に戻れと言ったんですね?」
「ああ。調達組の連中もブルーハウンドを手に入れたとたん、いい歳こいて大喜びで走り回りやがったからな。こっちの連中はもっとヒデェことになるだろうと思ったんだ。まあ、日が沈めば落ちつくだろ」
どこで手に入れてきたのかタバコをくわえたフェイは、紫煙を吐きながらどうでもよさそうに答え、ギルドメンバーとともにブルーハウンドに乗って駆けまわっていたハートレスがこちらへ戻ってきたのを見て声をかける。
「お。我らが女王サマはあんまり気に入らなったみてぇだな。乗り心地が悪かったか?」
「乗り心地はいい。思ったより揺れないし、方向転換や急停止の指示もよく聞く」
「が?」
仮面をかぶっていても何とはなしに伝わってくる不機嫌そうな様子に、フェイが重ねて訊く。
ハートレスは隷獣の笛にブルーハウンドを戻して答えた。
「乗ったままの状態で大剣を抜くと、バランスが崩れて落ちそうになる。大剣の重さがダメみたい」
「ははぁ。それでご機嫌ナナメなのか。まぁ、そりゃしょうがねぇよ。犬に乗りながらまともに戦えるのは槍使いくらいだ」
そばにいたシウも頷いた。
「片手剣は短すぎますし、短剣は論外。弓も止まった状態ならいけそうですが、駆けながらだと標的に当てるのはかなり難しそうですね」
モンスターの騎乗中は槍を使うしかないか、というシウの言葉に、ハートレスは気乗りしない様子で肩を落としてため息をつく。
そこへ、ふと何かを思い出したらしいフェイが言った。
「そうえいば鍛冶師の〈武器作製〉のスキル、レベルが上がると刀が作れるようになるんだが」
「カタナ? ……たしか、片刃で反りのついた細い剣のことでしたか」
「ああ。それでな、その中で作れる物は1種類じゃなく、3種類あるんだ。大太刀と太刀と小太刀。簡単に言えば大きさが大中小の3種の刀が作れるってことなんだが、この中の大太刀ってのがどうも槍みたいにモンスターに乗った時に使える武器らしい」
「攻撃力補正はどれくらいですか?」
「槍と同じくらいだが、装備時にステータス制限がある。“力”の数値が一定以上ないと装備できねぇんだ。残念ながらそのせいで俺のパーティには装備できる奴がいなくてな」
フェイは話を聞いていたハートレスに言う。
「たぶん“力”極振りのレスなら装備できるはずだが、どうだ。使ってみたいか?」
「うん」
ハートレスはぱっと顔を上げてこくりと頷いた。
武器の中で最も一撃の攻撃力が高い大剣が一番気に入っているが、モンスターに乗りながらだと使えないのでは、騎乗時は他の武器を装備することを考えるしかない。
しかし彼女にとって槍は(ロキの武器)という意識が大きかったので、騎乗時のみとはいえ自分が槍を使うことにはどうも気乗りせず、そこへ大太刀のことを教えてくれたフェイの言葉は嬉しいものだった。
「使ってみたい」
「そうか、そうか。じゃあ俺が女王サマへ献上してやろう」
にんまりと楽しげに笑ったフェイは、シウ経由でハートレスに大太刀を渡した。
「ウチの女王は素直で可愛いなぁ」としまりのない顔をするフェイに、装備を変えたハートレスはまたブルーハウンドに乗って礼を言う。
「ありがとう、フェイ。試してくる」
「おう。気ぃつけて遊んできなー」
デスゲーム中とは思えないほどのん気に手をふるフェイに見送られ、ハートレスは砂場へ遊びに行くような気軽さで大太刀を片手にブルーハウンドを駆り、イエティの群れへと突っ込んでいった。




